駒場村最古の絵図面(部分図)

 この絵図には標題もなければ作成年月も書かれていませんが、通称「大沢山」といわれた山地に山や沢の名称が記され、入会村の村名が記されているので、この地の山論(もめごと)のあった延宝4年(1676)の扱い証文と同時に作成されたものと判定されます。駒場村の概要のわかる最古の絵図です。中央下を横に蛇行している青黒い太線は阿知川(図では駒場川とある)で、その上の逆L字型の赤い線は伊那街道です。

 この絵図で興味があるのは、右方の「馬場平」と書かれた集落に、塀で囲まれた駒場下町領主宮崎氏の館があることと、駒場の町並の西のはずれの八間門らしき門の奥にやや大形の家、つまり上町領主宮崎氏の館が描かれていること、さらにその西に浄久寺があり、なお西方に長岳寺が描かれていることです。

 町並などの家の描き方は同じ様式ですが、その筆致は適格で絵に心得のある人の執筆と思われます。 (S60・12)

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