ありし日の朝日松

 酉年にちなんで「金鶏伝説」のある園原の朝日松の古い写真をご紹介します。
 この伝説によると、園原に住んでいた炭焼きの吉次が、戦乱のためこの地を去っていくとき、秘蔵の黄金の鶏をこの松の根本に埋めていった。その後、毎年正月元旦の朝、この松の木のあたりから鶏の鳴き声が聞こえた、といわれ、土地の人はこの金鶏をおそれて鶏を飼わなかったといいます。

 万延元年にこの地を訪れた松本藩士藤井方宣の「その原紀行」にも
 「明け行く程の待たるるに、さる故ありとかいひて更に鶏をかふ家なければ、やこえの一声も聞ゆべうもあらず」
と、鶏のいなかった事実を伝えています。

 この松は昭和34年9月の伊勢湾台風のため倒れてしまい、現在わずかに残幹に名残をとどめるのみとなって、二世の成長を待つ状態です。
 この樹下に一基の歌碑があり、「日かげさすこのそのはらのあさ日松梢もたかし色もめでたし 美静」と碑表に、また碑の裏には、「朝日松ガ故アリテ伐採セラレントスルヲ憂ヒ山本村伊坪源太郎氏ガ名所保存ノタメニ之ヲ買収シ土地六十坪ヲ附シ神坂神社ニ奉献セシモノナリ 近藤赤嶺書」と刻されています。
 福羽美静は島根県の人、元老院議官・貴族院議員をつとめ明治40年77歳で歿、伊坪源太郎は大正8年11月〜10年3月の間小野川小学校の校長をつとめた人で、この碑には「紀元二千六百年記念、昭和十五年十一月十日」とあります。

 なおこの地からは石製模造品土師器片の出土もあり、園原の重要史跡とされています。 (S56・1)

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 ありし日の園原朝日松
  (「下伊那写真帖」より
     〜大正3年刊〜)