江戸時代後期に園原を訪れた文人らが書き残した寄書帳を所蔵される熊谷秀二さんのお宅に、当時の当主であった武左衛門が書写したと思われる医学書があり、その中に上記の「肺の臓の形」と「心の臓の形」という彩色した絵があります。
これは有名な、杉田玄白らが刊行した「解体新書」(安永3年刊)とは違い、漢法の概念図かと思われますが、印象としては外科医学的なものを感じさせられます。ただ肺の気管が二つに分かれていないことや、心臓が氷嚢のような形をしているのは、写生ではないのかもしれません。天保年間に園原を訪れた十返舎一九(二世か)が武左衛門のことを「医術の心得があるのに偉張ない謙虚な人」と評していますが、山里に住みながら新しい医術に志した点に敬服します。 (H6・5)