笹の実

 昔から凶作の年に笹の実がなり、それを取って来て食べたといわれます。小野川藤ノ戸の原家(家号松葉)には江戸時代に亀反という俳人があり、その懐日記に、

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  天保七年申年奥山の幣ぢく笹に実が
 なりて、当村の男女、五ヶ村の人々我も
 とむれ入り、笹の実をとる事一日に凡そ
 千俵も出るならんと言ひけり。

  峰越に笹の実とりの話かな
 
とあります。笹の実は六・七月ころ熟すので、麦の熟期と同じところから「野麦」といわれ、小説「野麦峠」でその名が知られました。天保七年に笹の実はなったけれど、さ程の不作でもあるまいと思っていたところ大凶作になったと亀反が書いています。

 この写真は昭和31年結実の笹の実
 で、清内路の桜井伴氏の採集された
 もの。小麦の半分にも足らぬほどの
 大きさで、褐色のつぶらな形、数枚の
 外皮に包まれています。  (S58・9)