組頭格の御墨付

 江戸時代の末期になると、各大名は財政が苦しくなり、民衆から借金をしたり献納金を取り立てたりしました。駒場村の領主、奥州白河藩の阿部氏は、慶応元年開港開市問題で幕府の方針に背くとの理由で老中の職を免ぜられ謹慎、慶応2年許されて養子に家督相続、棚倉へ所替えと物入りが続きました。その「殿様の物入り」に応じさせられた駒場の住民に対する褒状が下の「お墨付」です。

表紙に戻る 総合目次 足あと 7章 愛郷 6章 さんまのメモ 更新記録

   駒場村上町、彦右衛門悴、小十郎、
 当年江戸表非常の御物入り在らせられ候趣
 承知致し、御国恩冥加金として、
 金拾五両献納致し、奇特なる義に付、
 組頭格申し付け候。
 丑十二月廿八日
 
               (駒場・平原氏文書)
 解説すると、今年、殿様の江戸屋敷でただごとでない臨時出費ができたことを知って、殿様への御恩に報ずる冥加金として十五両を献納したことは殊勝なことである。よって組頭格を申し付ける。というものです。「丑の十二月廿八日」というのは慶応元年(1865)のことと思われますが、このお墨付には発行者の署名もなければ捺印もありません。これはこの程度のお墨付の通例で、一見して御役所の文書である威厳と格式を見せています。「組頭格」については、村方役人のうち組頭となる資格を与えるという認証です。    (S57・12)