慶応2年(1866)11月30日の夜、駒場の宿場の中心部に出火があり、風はなかったものの、たちまち街道の両側を東西に燃えひろがり、六十余戸を焼き尽くしました。これはその時の「出火見舞受納帳」で、北原明治先生所蔵のものです。
表紙の右側に「慶応弐寅年十一月卅日夜四ッ頃」とあり、左側には「下町若松屋伊之吉裏借家より出火、直様かじや栄吉宅へ移り、夫より両かわ一日ニ焼、上町亀屋井筒やにて火留り、下町分は岩之沢にて火消申し候」と記されています。
大火に焼かれ、取り片付けや仮り住居の対策に忙殺されている中で、見舞いの金品を記帳しただけでも奇特なことなのに、この大火の要点を表紙に書きとめた山田屋当主の見識に敬服します。帳面の内容は、見舞金、酒札、みそ、飯、わら、豆腐、屋根板、縄、ごもくめし、ごまめし、ぼたもち、にしめ、手伝い等々です。栗矢、浪合、飯田等からも見舞いを受けています。 (S60・11)