村送りの庄屋と名主

 この「村送り一札」は、江戸時代の結婚による戸籍移動の「送籍文書」で、特に珍しいものではないが読んでみます。

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 一、私娘よ志と申す者、当寅弐拾七才、宗旨の義は代々浄土宗にて浄久寺旦那に
   紛れ御座無く候、村内藤作肝煎を以てその御村方(おむらかた)五郎左衛門伜
   喜代松妻に差し遣し候につき、此の方人別除帳いたし、送り遣し候間、以来
   御村方人別に御加え、御作法通り御執斗(おとりはから)い下さるべく候、後証の為
   送り一札依て件の如し。
     嘉永七年寅二月
                                 阿部播磨守領分
                                    中関村庄屋 六左衛門
     知久静衛介様御預所
      小野川村御名主 清兵衛殿
 
 当時は寺が戸籍を掌握していましたので、当方の宗旨を書き先方の旦那寺の帳面へ記載してもらい移籍が完了したわけです。

 ここで留意したいのは、中関村は当時奥州白河藩領ですから「庄屋」を使い、小野川は幕府領(天領)知久預りですから「名主」と使い分けていることです。
  (H3.1)