園原末代鑑(そのはらまつだいかがみ)

 『園原末代鑑』は園原・本谷集落開発の現場記録で、このような生々しい記録は例が少なく、貴重な資料です。原本は本谷・園原両区の所蔵で、本文15ページの縦帳です。

 園原といえば、古代の官道、いわゆる「東山道」が険難な神坂峠を越えてきた所の人里として、旅人に印象深く、伏屋、ははき木など古歌や古文学に残され、炭焼吉次の伝説なども語られていますが、木曽街道(中仙道)等の開発によって通行がなくなり、室町時代の頃は無人の里になったといわれています。

 江戸時代の中期、享保の頃から小野川村の人々が開拓に入り三十余戸が住みついたところ、ここは幕府の御林山で入会山のため問題になり、本文に見るような苦難の経過を経て、定住権を確立したわけです。

 「阿智村誌」編集の指導と執筆に当たられた筒井泰蔵先生は、この一古文書との出会いが地方史研究への点火になったとお聞きしています。  (S60・9)

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