百姓の苗字

 一般に、江戸時代の文書には百姓の苗字が書いてないので、百姓には苗字がなかったと思われていますが、そうではありません。表向きの文書には、苗字御免の者以外は禁止されていたためです。それが神仏への寄進となると全く解禁状態になり、ほとんど全員が苗字を冠して記名しています。

 下の図版は、天保10年(1839)に向関村の天満宮に鳥居と石灯籠を寄進した時の寄進帳で、備中原村の一部です。上方を少しネズミに食われていますが、原、上原、玉置、吉村等の苗字が明瞭です。(菅野屋文書)
 寄進額の金百疋というのは銅銭、弐朱は金又は銀のいわゆる小粒、終りから二行目の銀三匁は銀貨で、青銅弐拾匹は銅銭です。  (S60・4)

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