阿智村曽山の庚申坂は、江戸時代から明治の前半まで、「中馬街道」といわれた三河・尾張と伊那谷を結ぶ幹線街道にあった坂道で、路面は舗装されていますが、数十基の石神・石仏があり、昔の名残りをとどめています。
その石仏の中に高さ80pほどの半肉彫りの立像があり、丸顔の童顔が愛らしく、村内の石仏中の秀作です。この石仏については以前に拙文を書きましたが、造立の年号がひと目見たところ「寛永五年」と読めるので、飯伊でも最古の石仏かと目を見張りましたが、拓本をとって調べたところ「子ノ霜月十日」と読めたので、寛永ではなく宝永五年(1708)造立とわかりました。
それにしても、この丸顔に右手をあてた石像は、如意輪観音か弥勒菩薩かが今もってわかりません。頭上の化仏も判然としないし、左手に持つ品も宝珠らしいが不明です。一石の台座に「僧山村中」とあるのは「曽山」の故意の宛字です。 (H2・6)
→ 「阿智の産土神」(さんまのメモ書き) 白髯神社