阿智の開拓祖神について
〜 以下は要旨です (文責さんま) 〜

 昼神の阿智神社(奥宮)は、10世紀初頭の「延喜式神名帳」にも記され、神社としては最古の歴史と格式を持つ。主神である「八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)」が、史書の中でどのように扱われているか紹介する。

 思兼命は、古事記では「思金神(おもいかねのかみ)」、日本書紀では「思兼神」、先代旧事本紀では「八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)」と表され、阿智神社では先代旧事本紀の記述に従っている。 思兼命は、天照大神の「天の岩屋戸ごもり」や、「天孫降臨」前の大国主命の国譲りに関連して、高天原では重要な叡智の神として活躍する。その後があまり知られていないが、次のようである。

 古事記によると、邇邇芸命(ににぎのみこと)の従者として、数柱の神々と共に葦原の中つ国に降臨した(天孫降臨)。この際、天照大神から「〜(前略)。次に思金神は、前の事を取りもちて政せよ」という詔があった。続いて、「この二柱の神(邇邇芸命と思金神か?)はさくくしろ、いすずの宮に拝(いつ)き祭る」とあり、任務を終えた後、伊勢の皇大神宮に祭られたように読める。これ以後思金神の記事はない。日本書紀には、随従のことも詔のことも書かれていない。

 更に、先代旧事本紀(平安初期成立か?)には、「天思兼命は、信濃の国に天降り、阿知祝部(あちのはふりべ)らの祖(とおつおや)となった(神代本紀)」、「八意思兼命の児(みこ)、表春命(うわはるのみこと)は、信乃(しなの)阿智祝部らの祖となった(天神本紀)」と記されている。

 思兼命は何らかの事情で阿智地域の開発に携わり、その末裔らによって祖神として祭られたのが阿智神社の原初の姿であり、阿智神社が思兼命を祀る総本社として延喜式にも載せられたということだろうか。

表紙に戻る 総合目次 足あと 1章 愛郷 3章 神社の歴史 阿智の産土神