木下秋彦先生がおもしろい文献を紹介して下さった。
斉明天皇の6年(660)信濃国からの報告で
巨坂(おおさか/信濃坂=神坂峠)を蠅の大群が西の方向に飛び越えて行った
という「日本書紀」の記事です。
推古天皇35年(627)にも同様の記事があり、
蠅の集団が信濃坂を越えて東の方へ行き、上野国(群馬県)で散り失せた
とあります。この時の信濃坂は碓氷峠で、「蠅」は「灰」の間違いで浅間山の噴煙(火山灰)のことであろうと、本誌300号に桜井伴さんが寄稿しています。
村誌編纂のとき、推古35年の記事は別冊「阿智村年表」に載せたのですが、斉明6年の記事は同じような比喩的な記事を続けて載せるのもどうかと思い、見送ってしまいました。しかしこれはうかつな判断でした。
というのは、蠅の大群の記事のあとに「あるいは救軍の敗れむしるしということを悟る」とつづけて、「童謡ありていわく」とあり、その童謡の歌詞を「まひらくつの……」と全く意味のわからない64文字で記してあるのです。これが信濃国から報告した蠅の記事に関係ありとすれば、この歌の発生地も神坂峠の東麓の阿智あたりではなかったかと想像されるからです。
ここで「童謡」というのは熊谷元一先生が描かれる「わらべ唄」とは違い「民間に流行した作者不明の歌謡、元来は童歌であったり、歌垣での歌であったり、民間で歌われた歌謡に時の政治への風刺や、政治的事件の前兆を示す意味を付会して史書がとり入れたもの(日本史広辞典)」といわれています。
私はこの歌詞をみて、全く意味が分からないだけに好奇心をそそられました。古来日本には優れた国学者や歴史学者がいるのに、今もって解き明かせないとは何とも残念です。木下先生の記事と重複しますが、その歌詞をここに掲げますと、