昭和六十年三月、関田平地の北端に近い林氏の宅地付近から上図のような「はそう」1個が出土しました。須恵器(古墳〜平安時代)で胴部の直径は10pほどです。(考古学では「はぞう」という)
この上に朝顔の花のように開いた口縁部分が続くのですが、欠けてなくなっています。「はそう」は、胴部にあけられた丸い穴に竹の管をさして水などを注ぐのに用いたといわれ、いわばドビンやキュウスの原形です。
この「はそう」の出土地点をめぐり、古墳の副葬品か(このあたりから五反田一帯は古墳跡が多い)、又は安布知神社の源初に関係する祭祀の跡か(近くにはミダレハシ=ミタラシの転とも=という字名あり)、または東山道・阿知駅の関係遺跡か……と古代史への夢を誘う土器です。
熊谷善弘氏が着目、原治幸氏が発見し復原、公民館の資料室に保管されています。同形の土器は今までに鞍掛から二個出土しています。 (写真 原治幸氏)
(S60・5)