この壷が神坂峠を越えたのか

 昭和57年復元作業中の更埴市森将軍塚古墳から出土した須恵器(素焼きの土器)の大つぼは、高さが97p、胴回わりは2.5mもあるという。考古学者のみたところでは5世紀中ごろ、現在の大阪府下の須恵邑で作られたものに間違いないとされ、大人3人でやっと持ち上げられる重さだと新聞は報じていますが、何のために使われたのかははっきりしないといいます。

 とに角こんな大きな初期の須恵器で、見事に復元されたものは全国でも例がないそうですが、一つ興味があるのは、この大きな壷が、大阪からどこをどう運ばれたのか? いいかえれば、この大きな壷がいかにして神坂峠を越えたのか? ということです。

 5世紀といえばまだ駅制もしかれず、道路も険阻なものであったと思われます。畿内から信濃へ入って来るにはまず考えられるのが神坂峠です。日本海側から入ったことも考えられますが、それには海路にしても陸路にしても神坂峠以上の困難が想像されます。
  (S59・2)

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