1990年2月23日〜26日
ベルリンから列車に乗って南下し、東ドイツ第2の人口を誇る都市、ライプチヒにやってきました。ここはバッハが晩年の27年間を過ごしたところで、国際的な見本市が毎年開かれることでも有名です。
とりあえずあちこちうろついて目についたものを撮りまくりました。
列車の旅をしていれば、まずお世話になるのが駅です。これはライプチヒ中央駅。ドイツの建物はおおむねどれも異様に重厚です。いかつい顔の彫像などが壁面にはめこまれていたりして。映画「バットマン」のゴッサム・シティーを思い出させます。 |
建物がでかくて写真1枚に収まらない。これが駅の東口。 |
ライプチヒ郊外にある対仏戦勝記念碑。1813年のナポレオン軍に対する勝利を記念して1913年に建立されたものとか。高さ90mほどで、実際見ると異様に質量感があります。こいつもゴッサム・シティーですね。 |
これはなんだったっけな。雰囲気からすると第2次大戦時の記念碑で、いかにも共産圏的な意匠なんですが。 |
かと思えばこんなモダンで軽い建築も。市の中心部にある見本市ビル。 |
クラシック好きな人ならご存じ、ライプチヒ・ゲヴァントハウス。ゲヴァントハウス管弦楽団の本拠地です。楽団自体は世界最古なんだそうですが、建物はそんなに古くないですね。
ちなみに手前にたっているのは東ドイツのおまわりさんです。警察官の服装や装備の配色は、政治体制の違いを超えて東ドイツも西ドイツも緑と白が基調になっています。 |
ドイツに限らないのかもしれませんが、公的施設に地名ではなく人の名前が付くことが多いですね。ライプチヒ大学も本当は「カール・マルクス大学」。さすがに今では違う名前なんでしょうけど。
ここがライプチヒの宿の玄関。インターホンに声をかけると、中から管理人が電子ロックを開けてくれる仕組み。なかなか警戒厳重です。ロックがはずれるとき「ジー」などというのが秘密基地みたいでしびれます。
正面になにやら横顔のレリーフがはめこまれていますが、この人は誰なんでしょ? |
表札みたいなプレートに「ユーゲントトゥアリステンホテル ゲオルク・シューマン」と書いてありますね。もしかしたらあの音楽家のシューマンのことでしょうか?例の横顔はシューマンさんだったのか?
まあ、人名付きっていうのも格調高い感じがしますけど、日本では似合わないでしょうね。 |
で、部屋の方はこんな感じ。私が散らかした後なので何ですが、もともとはきれいにベッドメーキングされていました。全体に掃除が行き届いて清潔に保たれています(このへんはさすがドイツというべきか?)し、食事の内容も値段の割に悪くない。ユースホステルですが若くない人も泊まれるみたいですし、知らない人と相部屋になるのさえ気にならなかったらおすすめの宿といえるでしょう。
なんといっても驚いたのは、ホステルにディスコやバーが併設されてることです。日本のユースホステルってお酒は厳禁じゃなかったっけ? |
けっこう石碑やらプレートやらが目立ちます。これはなんだろう。1813年のナポレオン侵攻に対抗した君主連合の記念碑? |
「1938年11月9日まで、この地にユダヤ教ライプチヒ教区の大きなシナゴーグがあったが、ファシストの群れに火を放たれ、失われた。このことを忘れるな」
やった方は忘れるけど、やられた方は決して忘れないし、忘れられない。 |
見本市の宣伝塔。 |
恋愛詩人(ミンネジンガー)のハインリッヒ・フォン・モルンゲンが晩年ここに住んで1220年に没したとか書いてあるようですが、ドイツ語のヒゲ文字はよくわかりません。ほかにもトーマスなんとかがどうとかという人名が記されているみたいだけど・・・。 |
広大なキャンパスを持つアメリカや日本の大学と違って、ヨーロッパの大学は町中にとけ込むようにして存在してます。ここだって表札がなければ大学だなんてわかりません。「カール・マルクス大学」入り口です。 |
一応、バッハの足跡をたどるという大義名分を掲げて旅に出ましたので、彼が晩年の27年間カントル(音楽監督)として奉職した聖トーマス教会にも行ってきました。
こういうアングルの写真はバッハ関係の本なんかによく出ていますからわざわざここに載せるほどのこともないですね。もちろんバッハの立像です。なんだか非常に偉そうであります。 |
でも、裏から撮った写真はなかなかありません。小型のオルガンをしょってることがわかります。バッハといったら今では「音楽の父」などといわれていますが、当時はむしろ作曲家としてよりオルガン奏者として評価されていたそうです。 |
教会の構内、祭壇前にはバッハの墓があります。元々バッハの墓は所在不明だったのですが、20世紀初頭に別の教会の敷地内工事で骨が出てきて、復元したらどうもこれはバッハのものらしいということでここに埋葬しなおしたんだとか。
墓前にはいつも花が絶えません。ちなみに手前側一番左のが私の供えた花だったと思います。ライプチヒ中央駅の花屋で買いました。ヨーロッパの駅には食堂や床屋、花屋や郵便局まであって実に便利です。 |
教会にはオルガンもあるので、こんな風にミニコンサートも開催されています。私も聴きに行きましたが、バッハが弾いたのと同じオルガンの演奏にふれられて、これだけでもわざわざここまで来てよかったなと思いました。
演奏に先立って普通に礼拝も行われるのですが、さすがにドイツ語の説教は一言一句も理解できませんでした。 |
ライプチヒ市街地の中心部には広場がある(広場自体はたいがいどこの町にもある)のですが、そこでこんな風景を目にしました。
いろいろなメモらしい紙が地面や建物の壁にびっしりと並んでいて、人々がそれらに群がって熱心に読んでいます。私も近寄って解読を試みましたが、あちらの方々の肉筆の筆記体はさすがに理解できませんでした。 |
本当にひたすら読みふけっているんです。もしかしたらベルリンの壁が崩壊して、東西に引き裂かれていた家族たちがお互いの安否を確認しあうための尋ね人広告でも出していたのでしょうか? |
あと、夜の街をうろついてたら、こんな若者たちも見かけました。なにやってんのかな〜?と思ったら、コイン式の体重計に乗って喜んでるんでした。
ヨーロッパの街にはなぜかこういう体重計がそこここに置いてあって、使う人もいるようですね。なんのために往来で体重測定せねばならんのでしょうか。 |
車もいろいろ走ってはいますが、排ガス対策が不十分なせいか、街全体が排ガスくさい。あるガイドブックには、昭和40年代の公害がもっともひどかったころの東京に近いとありましたが、そうかもしれないと思わせるひどさです。
これが東ドイツ名物トラバント(の表と裏)。1950年代末の誕生以来、事実上全くモデルチェンジしてないという代物です。この1台も市の広場に停めてあったもの。あちこち板金を張り替えて大事に乗っているらしいのですが、色までそろえる余裕はなかったようですね。
このトラバントのタクシーに乗ってみたのですが、エアコンどころかデフロスターさえついてなくて、おもちゃみたいな小型の扇風機をフロントガラスの下に取り付けてその代わりとしていました。乗り心地は言うに及びません。 |
これは東ドイツ国家警察のパトカー。日本では(もちろん西ドイツでも)ちとお見かけしないレトロなスタイルです。しかし周りの町並みには結構とけこんでいますが。
これで犯人の車とカーチェイスなんてことになったらどうなるんだろう。あ、犯人の車もどうせトラバントかなんかだからこれでいいのか。
ドイツ統一の暁にはさすがにお払い箱になったんでしょうねえ・・・。 |
ライプチヒはわりあい大きな街ですから、動物園もあります。時間つぶしにのぞいてみました。
ここが入り口。なかなか立派な門です。正式名称はZoologischer Garten、まあ「動物庭園」てなところでしょうか。要するに動物園ですけどね。 |
門の向かって右側にそびえる塔。何となくお城風のデザインです。側面にでかでかとZooと書いてあります。 |
子供動物園。直訳すると動物幼稚園?上野動物園などにもありますが、小動物などを集めて子供たちがさわれるようになっています。
絵柄の感覚が日本人と違いますね。なにしろヤギが腕組みしております。 |
こういう様子を見ると、どこの国でも人間のすることは似たようなもんだと思ってホッとします。
動物園らしく、ここも親子連れがたくさんいました。 |
ソ連の兵士が遊びに来ていました。遊んでるくらいだから非番なんでしょうけど、なぜか軍服姿です。私は本物のソ連軍人を東ドイツで初めてみました。みんな肩のところに「CA」という徽章をつけた毛布みたいな分厚いコートを着て、でかいブーツを履いてドカドカと歩き回っていました。見たところドイツ人より小柄(私と同じかもう少し小さいくらいの兵士も少なくありませんでした)な人が多く、何となくあか抜けない感じなので親しみを感じます。
ソ連軍はながらく東ドイツに駐留していましたが、東西ドイツ統一後、しばらくしてから完全撤退しています。このころはまだあちこちにいました。この後訪れるワイマールには郊外に基地がありました(さすがに写真を撮る気にはなれなかった)し、移動の列車内で乗り合わせることもあったし、マイセンでは子供におもちゃを買い与える軍人にも会いました(彼も軍服姿だった・・・)。 |