再びの旅立ち Abermalige Abreise
 1993年9月13日〜9月17日


成田からパリ そしてベルリンへ 天皇陛下のドイツ訪問が重なって・・・
ベルリン 博物館の町 文化施設は佃煮にするほどあります・・・

成田からパリ そしてベルリンへ

 結婚式が12日。その翌日にいきなり出発しました。ほんとはドイツへの直行便をとりたかったのですが、ちょうど同じころ天皇陛下のドイツ訪問が重なって、どうしても空きがなく、やむを得ずパリ経由のエール・フランス便に乗ることとなりました。

疲れている相棒 これがこれから私の相棒となる人です。疲れやすいたちで、我が町から成田への移動だけでもうぐったりして眠そうにしています。 エールフランスの機内食 エールフランス機内での食事。先の旅行で使ったアエロフロートの「宇宙食」とはえらい違い。もちろん飲み物もアルコール類も含めサービスです。
 写真にカメラのストラップが写っちゃいましたね・・・。
コンコルド モスクワのシェレメチェボ空港で一時給油した後(ここでは機から降りることが許されなかったばかりか、窓から外を見ることも禁じられました。前回の旅ではこんなことはなかったのに、なぜでしょう)、パリのシャルル・ド・ゴール空港に降り立ちます。
 コンコルドが並んでいたので撮りました(ただし撮影は帰国の時)。これが数年後、衝撃の墜落事故を起こすとは・・・。
ベルリン テーゲル空港 シャルル・ド・ゴール空港で飛行機を乗り換え、ベルリンのテーゲル空港に乗り入れました。いよいよドイツの旅の始まりです。
 ちなみにこのテーゲル空港、近い将来、同じベルリンにあるテンペルホーフ空港とともに旧東ベルリンのシェーネフェルト空港に統合され、廃止される運命にあるのだそうです。

ベルリン 博物館の町

 さて、とりあえず旧東側に入る前に最初の訪問地ベルリンを堪能しましょう。ここはさすがにドイツの首都(当時はまだ予定)だけあって、文化施設は佃煮にするほどあります。壁もなくなったので、旧東ベルリンへの行き来も楽であります。

 まずはペルガモン博物館(Pergamon Museum)へ。ここは紀元前3世紀から2世紀にかけて栄えた古代小アジアのギリシャ植民都市ペルガモンにあったゼウス神殿をそのまま持ってきて館内に復元展示してある(!)のです。文化財の収奪もここまで来るとすごいものがあります。今ペルガモンの遺跡に行っても、ゼウス神殿の跡地にあるのは基礎部分だけなんですから。

ペルガモン博物館正面 なにしろ神殿一つ丸ごと中に納めようってんですから、建物の大きさも半端でない。まあ東大寺の大仏殿みたいなものです。 ゼウス神殿 ペルガモンのゼウス神殿。これでも一部しか写ってません。ペルガモンといえば新約聖書「ヨハネ黙示録」2章12節以降に出てきますが、そこにある「サタンの座」というのがこの神殿のことなんだそうですが・・・。
ゼウス神殿壁面の彫刻群 壁面の彫刻群もそのまま持ってきたのです。すごい迫力です。ちなみにこれはギリシャ神話中の神々と巨神族(ティーターン)との戦い(ティタノマキア)を描いたもの。 ミレトスの市場門 同じく小アジアの古代都市ミレトスの市場門。ミレトスはペルガモンよりさらに古く、紀元前2000年から植民が行われたギリシャ植民市です。紀元前6世紀ころにはタレスなどの哲学者が輩出し、後にミレトス派と呼ばれたことでも有名です。
 前にいる人々と大きさを比較してください。高さ10mくらいはありそうですね。
イシュタル門のライオンのレリーフ この博物館の呼び物の一つ、バビロンのイシュタル門にはめ込まれたライオンのレリーフ。この筋肉表現を見てください。
 ドイツに本物をぶんどられたおかげで、バビロン遺跡の現地には、レプリカのイシュタル門があるばかり。でも、先のイラク戦争後の略奪騒ぎなど見ていると、ほんとに文化財が現地にあった方がよかったのか、考えさせられます。
ライオンのレリーフ頭部拡大 こういう仕事を見ると、美的表現に翔情熱には現代人も古代人もあったものじゃないという思いにとらわれます。

 次にエジプト博物館(Das Aegyptische Museum)へ。

ネフェルティティの胸像正面 ここでの見ものはなんといっても王妃ネフェルティティの胸像でしょう。実物と対峙するのは実に胸躍る経験でした。
 ここに限らず、ドイツの博物館ではいくつかのきまり(フラッシュ・三脚使用禁止など)を守れば展示品の写真撮影OK。
ネフェルティティの胸像横向き これは横向き。
 ネフェルティティは古代エジプト新王国第18王朝の王、イクナートン(アクエンアテン、アメンホテプ4世)の妃で、有名なツタンカーメン王の義母でもあります。古代エジプト最高の美女ともいわれているそうですが、この胸像を見るとそれもうなずけますね。
ネフェルティティの胸像後ろ向き 図録などでは滅多に見られないネフェルティティのうなじ。実物もきれいだったんでしょうが、これを作った彫刻家も大変優れた腕を持っていたと思われます。
 最近、ネフェルティティのミイラが発見されたという報道もありましたが、ほんとかいな・・・?
 ちなみに、これが作られたころ、日本では縄文時代後期です。
土層剥ぎ取り おまけ。遺跡を発掘したあと、地層の重なり具合を特殊な接着剤で布にうつして剥ぎ取り、保存する手法について説明するパネルです。
 もちろん日本でもさかんに行われていますが、なかなかこれ、きれいに剥ぐのは難しいんですよね・・・。

ベルリン編はいっぱいあるのでまだ続く・・・。


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