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今回は、テーマを「年金について」として私の持論を述べさせていただきます。
テレビに出ているような政治家の方々は決まって、「年金は若者が老人を支えるシステムだ」と主張されます。彼らの頭の中には、その年度の年金収入と年金支出の帳尻を合わせる計算式しかありません。どの政治家も討論番組で自前のボードを用意して、「その年度の年金収入÷老人の数」という無意味なグラフについて力説し、自分がライバル政党の政策を論破したかのように気取っています。
私から言わせてもらえれば、どちらも単年度決算の帳尻合わせごっこです。誰一人として本物の年金について語っている人は居ませんでした。保険会社出身の社会保険庁長官・村瀬氏でさえ、その主張を見る限り帳尻合わせに終始しているようです。本物の年金は同世代間のお金の掛け合いによって成り立ち、実は世代間の人口バランスは影響しません。それを分かっていただこうとメールマガジンを発行しました。
この主張を裏付けるために、私が持論の中で「本物の年金」と表現している完全積立て方式の年金を計算するソフトを作りました。無料ダウンロードできます。
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●年金について《1》
最近、国会やマスコミなどで年金が話題になっているので、ここで持論を述べさせていただきたい。きっと政治家や有識者、その他マスコミの方々から年金の“常識”を浴びせられた皆様にとっては驚天動地の内容に違いないので、どうか読む前に覚悟してほしい。
政府の財政は悪化し、年金資金は役人によって食い潰され、少子高齢化が進み、もう今の若者は年金給付が受けられないのではないか。これは国民共通の意見である。私も現在の年金には不安を感じているが、きっと皆様とは違う種類のものである。
まずマスコミなどで問題にされたのが、役人による投資の失敗である。株式投資に失敗し、その他にも様々な保養所を何千億円も掛けて全国に建設したあげく、ついに赤字のまま施設の処理が決まった。これには私も腹が立つ。投資を失敗した相手を褒めるような人間は居ない。
それはともかく、成功しても失敗しても給料が一定の役人に株式投資で儲ける勤務環境など有るわけがないのだが・・・そんな役人たちに精神論だけをぶつけて株式投資で失敗した責任を取れと糾弾するのは、いかがなものかと思う。
国民「おいっ、役人ども! 株式投資で利益を上げろ!」
役人「株式投資に成功したら、ボーナスをちょっとだけ上げてほしいのですが・・・」
国民「何をっ!? 公務員が営利目的で動くなど、けしからん!」
役人「それでは、お金が儲かったらどうするのですか?」
国民「全部、オレ様のものだ! ガッハッハッハッハッ!」
役人「それでは、株式投資が失敗したら・・・?」
国民「全部、役人どもの責任だ! ガッハッハッハッハッ!」
役人「・・・(無言)・・・」
これこそが正義の味方を名乗る政治家や有識者、マスコミの言い分を要約したものである。まるで能無しの守銭奴その物である。役人には仕事上のインセンティブ、すなわち良い意味での利益誘導(鼻先にニンジンをぶら下げること)が働くはずもない。仕事が成功しても儲からない、失敗すると叱られる、そんな勤務環境で誰が仕事を頑張れるだろうか。
昔から常々不思議に思っていたことがある。日本人は民間企業だと上手に人を使って仕事をこなすのに、なぜか役所運営になると途端に人使いが下手になるのだ。やれ予算を節減しろだとか、やれ仕事をサボるなだとか、やれ経済を盛り上げろだとか言いたいことだけは言って・・・では、目標を達成した暁(あかつき)には何をくれるのかと言えば褒美は何も無い。褒美どころか、やれ役人の給料が高すぎるだとか、やれ役人の年金が高すぎるだとか、やれ官舎費用が高すぎるだとか、やれ天下りをやめろだとか叩けるところは叩き放題である。
役人が“生物”であることを完全に忘れてしまっている。数百万人の役人集団が「仕事が上手くいったら褒美がもらえる」という正当報酬の道を閉ざされてしまったら、いくらマスコミなどが正義面(せいぎづら)で幾百万の精神論をぶつけても、この大集団は利害によって行動し、別ルートで収入を確保する道を探すだろう。
それは何か・・・?
簡単な話である。仕事を上手くやらなければよいのだ。一般の民間企業では経費は削減すればするほど褒められ、収入は増やせば増やすほど褒められる。そして彼らサラリーマンは収入−経費=利益の大小によって正当報酬を手に入れる。ボーナスなど即金の褒美だけではない。若い頃に良い仕事をしたサラリーマンは出世が約束され、壮年になれば重役の席が用意される。老後も退職金と私的年金で左団扇(ひだりうちわ)の生活が待っている。短期的にも中期的にも長期的にも褒美を用意するのが、正しいインセンティブ設定と言える。
一方、役人は飲み屋などで、自分が如何(いか)に大きな予算を使ったかをガハハッと自慢する。もし機会があったら役人に、民間企業のノリで「その経費を使った結果、いくら収入を得たのですか? 運用利回りは何%ですか?」と訊いてみるがよい。きっと彼らは閉口するだろう。なぜ役人は、経費の大きさを自慢するという一般人には到底理解できない“常識”に囚われてしまうのだろうか。
その理由は、経費を増やせば増やすほど自分たちが儲かるからだ。役所内で良い仕事をしても正当報酬をもらえないので、生物学的な行動原理によって収入源を探した大集団は、関係取引先で良い仕事をして、そこから正当報酬をもらう道を発見した。若い頃に経費を特定の業界にバラ撒けるだけバラ撒いておいて、その“成果”によって役所内で出世し、退官後は業界に天下りするというのが役人たちが見出した活路だった。
役所内では何をしても国民から褒められない以上、べつに役所内で頑張って良い仕事をする必要は無い。正直なところ彼ら役人は、自分が勤めている役所に対して何の共同意識も感じていないと考えられる。そこが、会社から正当報酬をもらっているサラリーマンと違うところだ。よく政治論などで「役人の組織防衛」という言葉を耳にするが、彼らは役所その物を守っているのではなく、役所を使って別ルートで収入が手に入る関係取引先を守る手段として組織防衛に励んでいるに過ぎないのだ。この歪んだインセンティブを役人たちに与えたのは、他ならぬ国民である。
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◆年金事業の経費《2》
次に問題にされたのが、事務経費の出処(でどころ)についてである。事務経費とは、年金を取り扱っている役人の給料や官舎費用、彼らが使っている施設機材備品の経費など、年金事業のやり繰りのために必要な出費のことである。
これまでは当たり前のように、国民から預かった保険料は給付金だけに使い、事務経費は税金から出すべきだ、と考えられていた。法律上もそうなっていた。それが正義だと信じられていた。おそらく皆様も「国民の保険料に手を付けて役人の給料を支払うなんて許せない!」と力(りき)んだ経験が一度はあるだろう。特にマスコミで騒がれたのが、役人が保険料を使って自分たちの給料を賄(まかな)い、それどころか高級官舎を建設し、そこに安い賃貸料で入居した“事件”についてだ。他にも、国民年金を取り扱っている社会保険庁の役人が、高級公用車を乗り回している“事件”も糾弾された。
これらの糾弾に私は首を傾げた。役人は年金事業を行うにあたって、その年度に必要な年金支出が30兆円なら、同年度の年金収入が30兆円以上になるように保険料率などを調整しようとする。それが良い経営だと信じて疑わない。役人の行動を監視している政治家やマスコミの方々も同じ意見である。ところが、この帳簿には最近まで役人自身の給料や官舎費用、施設機材備品などの事務経費は含まれていなかったのだ。それが法律改正で保険料を事務経費に回せるようになってから、政治家や有識者、マスコミの方々は役人への糾弾を始めた。公務員は営利目的で動いてはならず、国民の保険料に手を付けてはならず、役人の給料や官舎費用、施設機材備品などの事務経費は政府の一般会計予算で賄(まかな)うのが正義らしい。なんと保険会社出身の社会保険庁長官・村瀬氏でさえ、事務費は一般財源から出すべきとの主張を持っている。
とても不思議な話である。一般会計予算の財源は税金であり、それを負担するのは一般国民に他ならない。その中には年金に加入していない人間も含まれる。国家運営に参画する国民同士の立場は平等であり、したがって年金事業への税金拠出の負担は同額と考えられる。ここでは“納税者”の身分と“国民”の身分を混同しないでいただきたい。“納税者”は政府にとって客だが、“国民”は政府にとって運営参画者である。“国民”は二十歳から終身任命される政府の役員と解釈してもよい。だから税金拠出の負担は個々の納税額に比例するのではなく、単純に人数に比例する。ただ、1票の格差の分だけ税金拠出の負担に格差が生じるとの解釈もできる。そうなると1票の軽い都会の“国民”は負担が軽くなり、逆に1票の重い地方の“国民”は負担が重くなる。選挙時に票で欲張って税金拠出で損をするとは・・・とても皮肉な話である。
念のために言っておくが、年金をやり繰りしている役人は年金事業の一部である。なぜ彼らの給料などを、年金に加入していない国民が支払わなければならないのだろうか。加入者同士の間でも支払っている保険料は違うのに、税金拠出による負担は全国民に覆い被さってくる。事務経費の税金拠出で利益を得ている加入者グループと、逆に負担を被っている国民グループが一致していないのが分かる。
役人は年金事業という巨大な機械を構成する部品の1つである。その部品が存在しなければ機械は動かない。どのような名目を掲げようとも事実上は一心同体である。事業経費の一部を帳簿から除外して赤字をごまかすのは、どこぞの民間企業が行っている粉飾決算と同じではないか。例えば、年金事業の保険料収入が30兆円、給付金支出が30兆円、その他に税金を使って職員給料などの事務経費を6000億円使っていたとしたら、本当の事業収支はマイナス6000億円の大赤字である。政治家も有識者もマスコミも正義面(せいぎづら)をして得意気に「HowTo粉飾決算!」を叫んで回っている。彼らは全員、言うなれば商法違反をそそのかしていることになる。その誤った常識で国家財政を破綻に追い込んでも、彼らは“屁”とも思わない。その薄っぺらで無根拠な正義のために国を滅ぼしても構わないのか。
年金の事務経費は全て、年金の保険料収入と資金運用益だけで賄(まかな)うべきである。年金資金をやり繰りする職員の給料も何もかも自前で賄(まかな)い、その環境下で黒字経営を達成して初めて国家財政は健全化するのだ。様々な公的事業で黒字が達成されれば政府は借金を返済し、赤字国債に頼らない恒久減税が可能になる。そうなれば日本経済は更に発展するだろう。その邪魔をしているのは「公務員は営利目的で動いてはならない」という誤った常識である。このような精神をNPO教と呼ぶことにする。「NPO」は「非営利団体」を意味する。
誤解してほしくないのだが・・・NPO教とは“自分から積極的にNPO活動に邁進する心”ではなく、“非営利目的か否かを善悪の基準にしてしまう心”を意味する。本来なら相手の仕事内容その物を見るべきなのに、NPO教に取り憑かれた方々は、営利目的か非営利目的かを見ただけで一方的に善悪を決め付けてしまう。「営利目的」と聞いただけで相手を悪魔呼ばわりし、「非営利目的」と聞いただけで相手を褒め称える。
しかし、役人ばかりを責めるのは酷(こく)である。彼らの捻じ曲がった精神を育てたのは国民なのだ。国民は近所の町内会の運営と国家運営を同列に置いており、政治家や役人に“清貧”を求める。そして、まるで踏み絵のようにマスコミは政治家や役人に“清貧宣言”を行わせる。テレビカメラの前で「私は非営利目的で良い政治を行います」などと言わせて言質(げんち)を取ろうとする。政治家の中には、自分から積極的に“清貧”を売り物にする方々さえ居る。それをアピールするのが良い政治家だと思い込んでいる。自分が“普通の人”であり、たいした収入が無いこと、貧素な食事をしていることなどを自慢する。
ところが、“清貧宣言”はインセンティブの放棄に過ぎないのだ。どうか冷静に考えていただきたい。「政府の財政状態と自分の財政状態は連動しない」「政府の財政状態が良くなろうが悪くなろうが自分の給料は一定である」などと言い張っている“清貧”な人間を信用できるだろうか。これこそが“清貧宣言”の正体である。私なら「政府の財政状態と自分の財政状態は連動する」「政府が黒字になれば自分はボーナス・退職金・年金をたくさんもらう。政府が赤字になればカットする」と約束している人間を統治者として信用する。
本来、政府や自治体の運営は統治業とも呼べる商売である。国民に良い行政サービスを提供し、それと引替えに税を取って儲けるのが業務内容だ。正々堂々と見返りを要求し、それを得るために国民の生活を豊かにするのが優秀な統治者である。このような精神を殿様魂(とのさまだましい)と呼ぶことにする。これは政治家に求められる精神である。そして、政治家が考えた政策を実現するために具体的な企画立案に励み、政策を実行し、目標を達成した暁(あかつき)にはボーナス・出世・退職金・年金などの褒美をたくさんもらうのが役人の商売である。彼らが持つべき精神を侍魂(さむらいだましい)と呼ぶことにする。
今の日本では“清貧”を売り物にする町内会長のような政治家や役人しか存在が許されていないが、私は決して彼らを信用しない。私は殿様魂(とのさまだましい)を持った政治家に投票し、侍魂(さむらいだましい)を持った役人に行政を任せる。
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◆現在の年金事業《3》
今、政府が主催している「年金」は、実は本物の年金ではない。よく見ると、ただの仕送りである。
では、年金と仕送りは、どこが違うのだろうか。仕送りとは、“今の若者”から“今の老人”に対して現金を送り続ける作業を言う。ただ送るだけである。このような年金を賦課方式と言う。
政治家や有識者の方々がマスコミに登場すると、彼らは当たり前のように「年金とは、若者がお年寄りを支える公的サービスです」などと力説するが、それが正しいと仮定すると、ある重大な矛盾が発生する。どうか仕送りの連鎖を過去に遡(さかのぼ)っていただきたい。年金事業が始まった時、“最初の老人”は若い頃に保険料を支払っていないのに年金をもらっていることになる。そして、いつの日か年金事業が廃止される時、“最後の若者”は保険料を支払っているのに年金をもらえないことになる。“最後の若者”が可哀そうだからと言って無理に年金を給付すると、“最初の老人”に給付した金額だけ大赤字が発生して政府の財政が傾いてしまう。これだけでも『仕送り年金』が破綻していることが分かる。今、政治家や有識者の方々が主張している理論では『“最初の老人”と“最後の若者”の矛盾』を何一つ解けない。
【“最初の老人”と“最後の若者”の矛盾】
◎=最初の老人=もらうだけ ●=最後の若者=払うだけ
年┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
齢┃◎ 老 老 老 老 老┃
↑┃↑ /↑ /↑ /↑ /↑ /↑┃
│┃銭 / 銭 / 銭 / 銭 / 銭 / 銭┃
│┃↑/ ↑/ ↑/ ↑/ ↑/ ↑┃
│┃若 若 若 若 若 ●┃
│┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┼──────────────────→時間経過
無理に●に年金を給付すると政府が財政破綻を起こす。
◎=最初の老人=もらうだけ ●=最後の若者=払うだけ
年┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
齢┃◎ 老 老 老 老 老┃
↑┃↑ /↑ /↑ /↑ /↑ /↑┃
│┃銭 / 銭 / 銭 / 銭 / 銭 / 銭┃
│┃↑/ ↑/ ↑/ ↑/ ↑/ ↑┃
│┃若 若 若 若 若 ●┃
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┼──────────────────→時間経過
無理に●に年金を給付すると政府が財政破綻を起こす。
政府が年金だと言い張っているものは、若者から老人への仕送り税に過ぎないのだ。この金品授受を税金と考えるなら矛盾は発生しない。あれほど年金未納問題で政治家たちが吊るし上げに遭(あ)うのも、年金保険料の支払いが事実上の税であるためだ。彼らは脱税犯と同じ扱いを受けていることになる。どうりでボロクソに言われるわけだ。
年金保険料が税である以上、それを財源とする年金給付は単なる生活保護になってしまう。政界では税方式の年金を盛んに主張する方々も大量発生しているが、あれは年金でも何でもないのだ。
「貧乏な老人が可哀そうだから税金で助けてあげよう!」
・・・こんなものは小学生でも思いつく幼稚な資金繰りに過ぎない。これが賦課方式、ならびに税方式の正体である。
ここで1つ、年金運営の常識をひっくり返そうと思う。現在、年金未納の国会議員などが大変なバッシングを受けているが、その理由は「政治家たちが保険料を払わないから年金が赤字になる」というものだ。このような非難は、賦課方式を前提にしたものであることが分かる。ところが、本物の年金帳簿が、山のような補助金によって維持されているのは周知の事実である。単純計算で全体の1/3が政府からのオマケで成り立っている。それが本来の保険料に上乗せされ、何十年にもわたって運用される仕組みだ。
という事は、年金加入者が増えれば増えるほど政府の長期的な赤字(※平均60年間の業績)は膨らんでしまうではないか。赤字事業の参加者が増えれば事業主の赤字が増えるのは当然である。それなのに今までは、年金未納によって政府の財政が傷付けられているかのように報道されてきた。
マスコミの方々は小学生並みの算数もできないのだろうか。彼らの熱狂とは裏腹に、実際には年金加入者が減れば減るほど、年金未納が増えれば増えるほど政府の補助金拠出が減って財政状態は良くなる。その点を指摘している賢明な政治家や有識者が居るなら教えていただきたい。ぜひ個人的に応援したいと思う。
賦課方式に取り憑かれた政治家や有識者の方々は、その年度の年金収入と年金支出の帳尻を合わせることしか考えていない。どの政治家も討論番組で自前のボードを立てて、「その年度の年金収入÷老人の数」という無意味なグラフについて力説し、自分がライバル政党の政策を論破したかのように気取っている。私から言わせてもらえれば、どちらも帳尻合わせごっこである。誰一人として本物の年金について語っている人は居なかった。保険会社出身の社会保険庁長官・村瀬氏でさえ、現在の帳尻合わせの範囲内で改革を進めるつもりらしい。
そんな社会保険庁のホームページで国民年金などが紹介されているのを見たときに、私が思わず笑ってしまった部分がある。それは年金給付額の計算方法についてだ。なんと単純に加入年数が掛け算される形で、年金給付額が決定される仕組みになっていた。
「社会保険庁・年金簡易試算ページ」
http://www.sia.go.jp/sodan/nenkin/simulate/top.htm
※下記は一般的な自営業者(国民年金)の計算式。
給付金額[年/万円]=2×加入期間[年]
一見すると合理的に思えるが、よく見ると噴飯モノのインチキ経済学である。社会保険庁は10年前に支払われたの保険料も、今日支払われた保険料も、まったく同じように扱っているのだ。10年も前に支払われた保険料なら、その間に資金運用で儲けるチャンスがあったのだから、本来なら今日支払われた保険料よりも高い評価を与えなければならない。
どうやら役人たちには利息の概念が無いようだ。遠い昔に支払った保険料に利息評価が与えられなければ、国民には「保険料は後で支払ったほうが得」という悪いインセンティブが働いてしまうではないか。帳尻合わせ恐るべし、である。こういった役所運営の常識が、皆様の年金運用を傾けていく。
正しい帳簿感覚を持たない“清貧”な公僕、
その日限りの金(かね)勘定しかできない“清貧”な公僕、
役所が営利感覚を持つことを“悪”と教え込まれた“清貧”な公僕、
財政を扱っているのに営利現象を認知する事自体を禁止された“清貧”な公僕、
「利益」を「剰余金」と読み替えて非営利目的をアピールする“清貧”な公僕、
数十年後の予想収入や予想支出を逆利息で現在価値に直せない“清貧”な公僕、
・・・彼らは間違いなく役所の中では国民に言われた通りに“清貧”を貫いた。ただし、それ以外の場所では自然な行動を取った。役人たちは外郭団体などで、誰の目も気にせずに営利目的で行動したのだ。
それを知った国民は烈火のごとく怒り、そこでも馬鹿の一つ覚えみたいに“清貧”を求めた。狂信的なNPO信者は正義面(せいぎづら)を並べて正義の言葉を吐き、正義の拳(こぶし)を振り上げて正義の名の下(もと)に国家財政をさらに傾けた。一般国民は綺麗な言葉に流されて思考停止に陥(おちい)り、役人の行動心理に関して何のシミュレーションも行わずに世論を形成した。
一体全体いつまで、この役立たずで間抜けな“清貧宣言”を唱え続けなければならないのだろうか。今こそ国家運営の原点に戻るべきではないだろうか。政府など所詮は“公認ヤクザ業”である。NPO信者が盛んに唱える“清貧”な組織運営は、せいぜい近所の町内会や自治会でしか通用しない子供の飯事(ままごと)である。
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◆本物の年金事業《4》
本物の年金というものは、若者から老人への仕送りではなく、同世代間のお金の掛け合いである。自分と同世代の人間が自分を含めて100人、年金に加入したとしよう。最初は全員、しっかりと保険料を支払っているが、残念ながら1年に何人ずつか事件事故災害、病気、老衰などで死んでしまう。仮に日本人の平均死亡確率を1年に1.5%としよう。通常の投資ファンドなどで約束できる利率が年5%だった場合、単純計算で1.05÷0.985=1.066・・・で、なんと加入者に年6.6%の利率を約束しても年金事業は破綻しないのだ。このような特別な利率を年金利率と呼ぶことにする。
だからと言って長期運用のスケジュールを、すべて今から決めておくのは現実的ではない。数十年後の通常利率を予測するのは至難の業(わざ)である。そうなると資金運用の基本スタイルは、どうしても一部の投資ファンドのような歩合制・変動性・成果制を選択せざるを得ない。資金運用が成功すれば払戻し金額は増えるが、もちろん失敗すれば減ってしまう。超長期運用の世界に、完全な固定金利を持ち込むのは危険である。
これはテクニック論として聞き流していただきたいのだが、変動制を基本としながらも、数年ごとに加入者の意思で運用残高の一部を一定期間だけ固定金利に投入できるシステムを採用すれば、加入者は低リスク低リターンな人生、中リスク中リターンの人生、高リスク高リターンの人生を選択できるようになる。公的年金は加入者にとって選択肢の少ない事業だが、知恵をしぼって資金運用に参加してもらうのは良いことだ。毎年のように加入者が、「来年の資金運用は成功しそうだ」「いいや、安全第一で固定金利にしよう」などと仲間内で侃々諤々(かんかんがくがく)と論議すれば、社会保険庁の運用担当者(※現在は外郭団体)も少しは気が引き締まるだろう。
途中で不運にも死んでしまった加入者が過去に支払っていた保険料をあてにして、幸運にも生き残った加入者が通常の投資よりも高い見返りを手にする、というのが年金事業の趣旨である。加入者が65歳になると、それまで年金利率で運用しながら貯め込んできた運用残高を使って給付請求が行われる。すると、運用残高がゼロになるのと引き替えに「終身給付権」がもらえるのだ。「終身給付権」の月支払い金額は、給付請求に使われた金額と、加入者の将来の平均的な死亡確率や予想される通常利率によって決定される。これが積立て方式の年金である。
本物の年金=同世代間のお金の掛け合い
貯 ■■■■■
蓄 ■■■■■■■■■
↑ ■■■■■■■■■■■■
│ ■■■■■■■■■■■■■■■
│ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■
│ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
│ ↑ ↑ ↑ ↑ ↓ ↓
│ 銭 銭 銭 銭 銭 銭
│ ↑ ↑ ↑ ↑ ↓ ↓
┼─今の若者────時間経過───→将来の老人
│(昭和◎年組) (昭和◎年組)
│ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
↓ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■
残 ■■■■■■■■■■■■■■■
余 ■■■■■■■■■■
人 ■■■■■
数 ■
貯 ■■■■■
蓄 ■■■■■■■■■
↑ ■■■■■■■■■■■■
│ ■■■■■■■■■■■■■■■
│ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■
│ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
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│ 銭 銭 銭 銭 銭 銭
│ ↑ ↑ ↑ ↑ ↓ ↓
┼─今の若者────時間経過───→将来の老人
│(昭和◎年組) (昭和◎年組)
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↓ ■■■■■■■■■■■■■■■■■■
残 ■■■■■■■■■■■■■■■
余 ■■■■■■■■■■
人 ■■■■■
数 ■
計算によっては、一定期間だけ支払いが続く「定期給付権」を売り出すことも可能である。また、それまで貯めてきた年金資金を全て給付請求に使うのではなく、一部を残して運用を続け、数年後に増加分を給付請求に使えば毎年のように給付金額を増やせる。これは給付開始後に再投資をしていることになる。日本経済が成長しても1人だけ取り残されることはないだろう。それどころか、手元の「給付権」を途中で返却して運用残高を回復し、再投資をより一層強めることもできる。ただし、加入者の寿命が近づいているので、購入時の値段よりも大幅に減額されるが・・・。
このようなシステムであるため、本物の年金では、65歳まで未加入でも自己資金を一挙に投入することで年金給付を受けられる。信じられない話だが、事実は事実である。それまで年金契約の範囲内で3000万円を貯めた人と、自己資金で3000万円を貯めた人に帳簿上の差は無いのだ。
とは言うものの、全ての手続きを加入者自身に任せるのは酷なので、あらかじめ標準的な運用方法や請求方法、再投資の分量などを決めてから、加入者の要望で特別な資金運用や給付請求、再投資を選択できるようにするのが望ましい。
しかし、良いことばかりではない。このような年金にはマイナス点もある。通常の投資では契約切れになると運用残高が戻ってくるが、年金事業では加入者が死ぬと運用残高が没収されるのだ。その没収された運用残高が、まだ生きている加入者のために使われる仕組みだ。
色々と定義面の齟齬(そご)はありそうだが、
1.死ぬまで給付が続く。
2.死んでも元本が戻ってこない。
・・・の両条件を充たすものが「本物の年金」だと思っていただきたい。本物の年金では死亡確率に応じて利率を上乗せできることは既に説明したが、これは年金業者が好き好んでオマケするのではなく、元本没収のマイナス点があるために、利率を上げなければ“お客様”が集まらないのが実情だ。
そうなると、年金業者にとって重要なのは特定世代の死亡確率が予想と合うか否かであり、世代間の人口バランスは年金事業の収益と無関係になる。本物の年金では、どんなに少子高齢化が進んで世代間の人口バランスが崩れても、全体の経済規模さえ維持できれば年金事業は破綻しないのだ。
ここで1つ、絶対に誤解してほしくない事がある。将来の死亡確率は事前に設定されるものであり、途中で大規模な事件事故災害が発生して加入者が大量死したからといって、生き残った加入者の年金利率が上げられることは決して無い。死亡確率と死亡率は違うのだ。死亡確率は将来の予想値に過ぎないが、死亡率は言わば死亡実績である。この点を誤解した頭の悪い役人や政治家が、わざと国民が大量死するような政策を実施するかもしれない。たしかに加入者が途中で大量死すれば死亡確率の誤差分だけ儲かるように見えるが、逆に国民の大量死によって日本経済は衰退し、通常利率がマイナスに落ち込んで年金業者は大損害を受ける。
さて、なぜ日本政府は今のような仕送り事業しかできないのだろうか。それは、役人が単年度決算でしか予算を管理できないのが最大の原因と考えらる。単年度決算とは、その年の収入と支出を合致させると褒められる制度である。そして当然の事として、年金事業では、少子高齢化が進んで世代間の人口バランスが崩れると単年度決算の収支が赤字になる。それを元に戻すために役人は若者の保険料を増やし、老人の給付を減らしているのだ。たとえ長期的な収支が黒字でも、単年度決算が赤字だと彼らは上司に叱られてしまう。国会質疑においても無知な議員によって吊るし上げに遭(あ)ってしまう。残念ながら今の役人や政治家に、そんな不合理を把握し、改善する能力は無い。
しかも、社会保険庁は「物価スライド」などと称して、それまでの運用結果に関係無く給付金額を調整することを正当化している。給付額が物価スライドで決まるなら、そもそも役人は資金運用に精を出す必要など無いではないか。公的年金の利点として紹介されている物価スライドは、完全なるインセンティブの放棄である。これでは役人が頑張らなくなってしまう。
仮にデフレもインフレも起きていない世の中で通常利率を5%、日本人の平均死亡確率を年間1.5%、20歳〜65歳までの年収を100万円として年金計算のシミュレーションを行なってみよう。
「sesson積立て年金(簡易版)1.xls」
http://www.vector.co.jp/soft/win95/business/se353195.html
これだと年金利率は単純計算で約6.6%になる。この加入者は年間6万円(月間5000円)の保険料を支払うだけで、なんと65歳の時点で約1500万円もの運用残高が貯まる。そして、65歳を過ぎてから年金給付が始まると、年間100万円が支給される。つまり、働いていた頃と同じ収入である。政府や自治体からの税金投入は一銭も必要無い。それどころか、事業主である政府は充分に儲かるのだ。
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◆老後の自助《5》
年金事業は今、度重なるトラブルによって世間から大きなバッシングを受けている。有識者の中には年金事業の将来を悲観し、本気で国民に“老後の自助”を訴える方々まで居るほどだ。彼らは、自分で貯金をして老後を乗り切る作戦を奨めているわけだ。
ところが、そんなやり方では貯金の元本を一定に保ったまま微々たる利息しかもらえず、しかも死亡時には山のような預貯金が残ってしまう。もし相続人が居なければ、残金は所有者不明財産として政府に没収されることになる。身寄りの居ない人にとっては、極めて生活効率の悪い老後と言えないだろうか。また、相続人が居たとしても、現在のように高い相続税を取られるような状態では、世代交代のたびに自己資金による家内自助が断絶されられてしまう。どちらの場合も“老後の自助”は不可能である。
もっと相続税が安ければ家内財産の継続性が確保され、自分自身は「若い頃に稼いだ自己資金+親からもらった相続財産」を運用して老後の利息を得られ、それがそのまま子供に相続されれば子供も同じように老後の利息を得られるのだが、“金持ち憎し”の嫉妬魔たちが相続税の減免を認める気配は全く感じられない。
私は生物学的な利益と金銭的な利益を一致させることが社会の発展につながると考えているが、こういった方々は人間が生物の1つに過ぎないという厳然たる事実を忘れて、自分たちだけの思想の花園をさまよい続けている。
一部の政治家や有識者の方々は自暴自棄となり、ひたすら“老後の自助”を叫んでいるが、彼らのやり方で生活効率の良い老後を送るには、自分の死亡日時に預貯金がゼロにならなければならない。いったい誰が自分の死亡日時を予測し、その瞬間にピッタリと預貯金がゼロになるように生活費を使えるというのだ。
年金には、それができる。もっとも、貯金がゼロになるのは支給開始の直前だが・・・。事前に山盛りの貯蓄を差し出す代わりに、一生涯の年金給付を約束されるのが年金だ。それまで蓄えた老後の資金が無駄に余ることは無い。しかも、年金の給付金額は“老後の自助”で支払われる通常利率とは比べ物にならないほど高くなるのだ。これは元本放棄の対価として手に入れた特典である。
このような「本物の年金」には、実は少しだけ付加サービスが含まれていることを告げなければならない。もっとも純粋な年金は、次のような契約構造を持っている。
1.加入者は自分が死んだら、遺産から一定金額を年金業者に差し出す。
2.年金業者は加入者が死ぬまで年金給付を続ける。
しかし、これでは抵当権でも設定しておかなければ死亡時に遺産が残る保証は無いので、実際には“事前納付”の付加サービスが行われている。一例を挙げるなら、元々は「加入者が死亡時に4200万円を差し出すなら、年金業者は加入者が死ぬまで年65.6万円の年金給付を続ける」という契約内容だったものが、かなり減額される形で「加入者が前払いで1000万円を差し出すなら、年金業者は加入者が死ぬまで年65.6万円の年金給付を続ける」といったものに変更されるわけだ。「4200万円」と聞いて驚かれたと思うが、これは決してオーバーな話ではなく、ずっと加入者側が資金を持ち続けることを考慮すれば妥当な金額である。それが事前納付された途端に、数十年間の通常利率や死亡確率が考慮されて一気に減額される仕組みだ。
最初に1000万円を差し出する代わりに、元本を維持したまま通常利率で年50万円の利息が支払われ、それに加えて死亡時に没収される元本1000万円の対価として年15.6万円の年金給付が上乗せされる、といった解釈も可能である。
〈結論〉
年金とは、自分の遺産を売って現在を買う取引である。もっと正確に言うなら、本来なら自分の死亡時に元本の払戻しを受けるはずだった相続人の将来を売って、自分と扶養家族の現在を買う取引である。
べつに、これらの原理は私が考案した斬新な発明品でも何でもない。民間の年金業者が普通に行なっている事業内容をつらつらと記述したまでだ。マスコミに登場しているような有名な方々が『仕送り年金』に囚われて、公共の場で恥ずかしげもなく大声でインチキ経済学を並べている状況に、大きな憂(うれ)いを感じる今日この頃である。
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◆世俗の資金運用と王様の資金運用《6》
もののついでに、年金資金の運用法についても記述しておこうと思う。今、年金事業を含めて健康保険などの公的福祉サービスで国民から集められた資金は、当たり前のように株式や債券などを売買して運用されている。それが投資のあるべき姿である、と誰もが信じて疑わない。だから役人が証券投資などで失敗しても、「ヘタクソ!」といった罵倒の言葉しか頭に浮かばない。それ以外の改善策は何も思い付かない。ただ投資下手な役人への悪口雑言を垂れ続けるだけである。
私は役人が行う投資活動に関して、根本的な疑問を持っている。その疑問点は株式投資のヘタクソ具合についてではない。
なぜ政府ともあろう者が、わざわざ世俗の資金運用を行っているのだろうか・・・?
世俗の資金運用とは、民間人でも行えるような普通の金儲けの総称である。株式や債券を売買したり、銀行預金をして利息を儲けたり、商品市場で安く買った物を高く売ったり、生産地で安く買った商品を消費地まで運んで高く売ったり、どこかの会社を直接経営して儲けたり、と有りと有らゆる商売が世俗の資金運用に含まれる。
これらの商売には、ある共通の特徴がある。それは“当たり外れが激しい”という点だ。世俗の資金運用というものは、時には成功し、時には失敗するが、全体の平均値をならすと小成功になる、といった性質を持っている。自分が成功者のグループに含まれるか、それとも失敗者のグループに含まれるかは勝負が終わってからでないと分からない。どんなに広く薄く様々な業種に投資を分散させても、当たり外れが激しいことに変わりはないのだ。そんな危なっかしい投資に、国民から集めた保険料を投入する必要があるのだろうか。
きっと政治家も役人も、政府にしかできないもう1つの投資法を知らないのだ。皆様は王様の資金運用を知っているだろうか。王様が何らかの資金を持て余している時に、どのような投資をすれば儲かるのかを考えてほしい。「どうせ大店(おおだな)に資金を貸して利息を儲けるんだろ?」と思った方々は残念ながら不正解である。それは世俗の資金運用である。たとえ王様が主催していても世俗の資金運用である。大店(おおだな)に資金を貸して利息を儲ける、という商売は民間人にもできるからだ。
王様には王様にしかできない資金運用がある。この資金運用は、王様が支配する国で最も安全な投資法である。私が王様なら、余剰資金をそのまま国の一般予算に組み入れて使い、それと引き替えに同額分の減税を実施するだろう。これは減税を通じて全民間人、全民間企業に広く薄く投資していることになる。もし減税の効果で民間人、民間企業の生産活動が活発になって経済が発展すれば、王様は数年後、数十年後に多額の税収を手に入れることができる。これが投資の見返りになる。つまり、王様は自分の領土全体に投資をしていることになるのだ。
今の日本で王様の資金運用ができるのは唯一、領土を持っている政府だけである。しかし政治家も役人も、年金の保険料収入を王様の資金運用に回す知恵は持ち合わせていない。そもそも彼らは、王様の資金運用をこなすために必要な“営利現象を認知する能力”を持っていない。殿様魂(とのさまだましい)も侍魂(さむらいだましい)も無いのだから、これは仕方がないことだ。
政治家の方々には、はやく“町内会長が大きくなった代物”から脱してほしいものである。行政府に入っている政治家なら尚更(なおさら)だ。言うまでもなく、行政官は国民の生殺与奪を握る職業である。
“生殺与奪”とは何か・・・?
それは、国民の生命・身体・財産に関する利害を管理することを言う。自分自身が勤務する組織の利益や損害について考える事自体を“不潔”と教育された人間が、はたして国民の利益や損害について考えることができるだろうか。
彼らは年金も管理できないし、その他の行政サービスも管理できないだろう。政治家や役人が行政機関の正しい資産状態を認識し、それを自分自身の短期的・中期的・長期的な褒美と連動させるのは、彼らに政府の“身の丈”を認識させる効果がある。また、政府と自分自身の“運命”が連動するような勤務環境を国民に見せ付ければ、そこで獲得できる信頼は計り知れない。
今の政府に、どのような種類の業務をどのくらいの規模で実施する能力があるのか、
それが将来的にはどうなるのか、
・・・それさえも知らない政治家や役人に、行政機関を任せるのは危険極まりないことである。彼らが一日も早くNPO教から目を覚ますことを願っている。
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◆新制度への移行《7》
年金事業において単年度決算が採用されているからと言って、本物の年金帳簿が変わるわけではない。政治家や役人の方々が唾を飛ばして「年金は若者が老人を支えるシステムです」などと連呼したところで無駄である。賦課方式だろうが、税方式だろうが、“数十年後の給付義務”が厳然として存在しているからだ。
将来の年金給付が予定されていれば、それを逆利息と死亡確率で現在価値に直した金額がマイナス財産として存在し、現時点でそれ以上のプラス財産を持っていなければ年金事業は破産である。賦課方式や税方式などの仕送り制度を採用しているつもりでも、実際にはプラスやマイナスの“貯蓄”を考えなければならないのだ。社会保険庁が使っている帳簿に文字として記載されていなくても、それは無関係である。
『仕送り年金』の制度は、まさに空理空論と言える。
困ったことに政治家や役人の中には本気で、帳簿に借金を書き入れなければ借金は存在しない、と思い込んでいる方々が大勢居るのだ。政府が現在のようなインチキ帳簿を維持しようが、帳簿作りを小学生に任せようが、民間並みの帳簿を作ろうが、そんなものは紙の上に書いた文字であり、現実の資産状況に変化が起きるわけではない。
とにもかくにも、日本は本物の年金帳簿を元に、本物の年金を始めなければならない。これを実現するには現在の年金制度を清算し、それを新制度に移行する必要がある。そのための手順を紹介しよう。
制度移行の第一段階において個々の加入者の清算金額を決める作業があるのだが、それには次の2通りの方法があることを知っていただきたい。
1.将来清算。
├1.現行制度を元に、将来の支払い予定給付額を算出する。
├2.通常利率と死亡確率を元に、将来の年金利率を設定する。
├3.“ある年度の給付予定額”に逆利息を乗じて、その支払いの現在価値を求める。
└4.各年度分の現在価値をすべて合計する。
・・・これだけだと分かりにくいので、仮に10年後の年金給付で1万円が必要な場合について考えてみよう。
この年金業者が1年あたり5%の運用利回りを達成する自信があるなら、1.05の10乗=1.628(62.8%増)になり、現時点で6139円持っていれば事足りる。
さらに、10年間の死亡確率を考慮して最終金額を算出しよう。この年金業者が予想する1年あたりの死亡確率が1.5%なら10年後の生存確率は、0.985の10乗=0.859(85.9%)になり、現時点で6139円×0.859=5273円を持っていれば事足りる。
これが“10年後の年金給付1万円”の現在価値になる。このような計算を各年度分について実施し、最後に全体を合計すれば、“将来の年金給付に備えて年金業者が現時点で用意しておかなければならない金額”が分かる。100歳を超えるような給付分については、減乗算につぐ減乗算で金額が米粒のようになるため、一定年齢以上の計算は、例えば「死亡確率を年10%と見做(みな)す」といったルールを採用し、単純な積分式で現在価値を求めるのが良いだろう。
将来清算で問題なのは、保険料が政府のオマケ制度によって補助されている点だ。また、賦課方式の弊害も相俟(あいま)って、保険料の支払い金額と将来の給付金額の間に合理的な関係性が無くなっている。たとえば、今の若者は少子高齢化の影響で多額の保険料を取られているが、将来の給付金額は大したものにはならない。これは『仕送り年金』に囚われた政治家や役人が、帳尻合わせのために保険料収入を増やそうとしたのが原因である。
“将来の支払い義務”を元に今の若者の清算金額を決めると、支払った保険料とは釣り合いが取れないほど小額になるだろう。
2.過去清算。
├1.現行制度における将来の支払い予定給付額を完全に無視する。
├2.過去に支払われた保険料を調査する。
├3.過去の保険料が新制度によって昔から運用されていたものと見做(みな)す。
└4.シミュレーション結果の運用残高をそのまま清算金額とする。
・・・負担と給付の間に金額的な整合性は生じるが、これには“遡及効”という法的な問題点が残る。すでに年金給付が始まっている人の扱いも難しい。突然、給付額が変わってしまうからだ。また、現行制度が無視されるなら、過去に保険料を支払わずにオマケで年金給付を受けている人は清算金額がゼロになる。
以上のような方法で算出された清算金額をそのまま新制度の年金口座に入金すれば、速やかに本物の年金をスタートできるはずだ。将来清算と過去清算の間の金額を採用する折中案も可能なので、ぜひ国会などで検討していただきたいと思う。それを発議させるだけの個人的なコネは無いが・・・。
他にも忘れてはならないのが、社会保険庁への出資である。政府は現行制度の清算金額を超える資産を社会保険庁に持たせなければならないのだ。詳しい必要金額は社会保険庁にしか分からないが、おそらく数百兆円以上になるだろう。
このような規模の資産を確保する最も簡単な方法は、国債の新規発行である。社会保険庁が国債を保有し、低リスク低リターンの資金運用を行うのが良い。政治家や役人がNPO教を放棄し、政府全体が本物の帳簿を採用しなければ王様の資金運用は不可能なので、ここでは歯を食いしばって世俗の資金運用を行うとしよう。
こんな事を提案すると、「国の借金をさらに増やすとは何事か!」などと大騒ぎをする方々が大量発生することは容易に想像が付く。しかし、この借金は新制度によって作られたものではなく、もともと存在していた“将来の支払い義務”を史上初めて帳簿に載せたに過ぎないのだ。昔から多額の借金は存在していた。これまでは、例のインチキ帳簿に記載されていなかっただけである。
仮に年金事業による借金を500兆円としよう。役人的な財務常識に従うと、500兆円の債務を抱えて事業を行うには500兆円の資産が必要である。この数字を見て、何かの違和感を覚えないだろうか。実は自己資本の概念が無いのだ。年金に限らず大抵の公的事業において、役人たちは無謀にも自己資本率ゼロ%の綱渡り経営を行おうとする。これは役人の悪い習性と言える。
どんな年金業者でも、加入者からの他人資本(借金)とオーナーからの自己資本によって事業が成り立っている。多少の“波”が発生しても、自己資本がクッション効果を発揮して加入者に影響が出にくくなるからだ。もし自己資本率がゼロ%なら、ほんの少しでも経済の“波”が発生しただけで事業破綻を起こしてしまう。これを防ぐために社会保険庁も、加入者からの他人資本500兆円に、相当量の自己資本を政府から上乗せしてもらって資金運用を行わなければならない。
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◆保険料の徴収《8》
新制度においては生誕と同時に全国民に福祉口座を用意し、それを核として全ての公的福祉サービスを提供するのはどうだろうか。生まれたばかりの赤ん坊にも福祉口座が用意され、すぐさま健康保険などのサービスが開始されるわけだ。その赤ん坊が順調に育って勤労年齢に達すると、今度は福祉口座に付随する年金口座から案内が届くようになる。16歳にもなれば法的に勤労が認められるのだから、この段階で年金保険料の任意納付を始めても構わないと私は考えている。
年金には基礎部分を設定し、義務年齢(たとえば20歳)に達した国民全員に同じ金額を支払わせる。これは原則として支払いを拒否できない請求である。誰もが支払わなければならず、支払わなければ1銭たりとも年金口座の元本は増やされない。困窮や専業主婦などを理由に支払いの免除を認めるのは構わないが、その時に年金口座の元本がオマケで増やされることは決して無い。元本を増やしたければ、必ず保険料を支払わなければならない。
現行制度では困窮や専業主婦などを理由に支払いが免除されたとしても、なぜか年金点数を得られるのだ。すでに本物の年金をご存知の皆様ににとっては、とても信じられない制度と言えるだろう。情に駆られた救済措置は、まともに保険料を支払っている加入者にとって迷惑この上ないことである。そういった人助けは年金制度ではなく、生活保護制度に則って行われるべきである。なお、専業主婦の年金については、のちのち述べる予定なので心配しないでいただきたい。
年金に基礎部分しか用意されていないと、若い頃の生活レベルと老後の生活レベルに極端な差が生じるおそれがある。特に小金持ちの場合は、一般人レベルの年金給付しか受けられないと、土地や建物を維持・管理する能力を失って老後の生活が破綻してしまう。私に“金持ち憎し”の感情は無いので、ここではしっかりと解決策を提案したいと思う。
こういった問題の解決策として有名なのは、応益式の年金である。応益式とは、所得額に比例して保険料を請求する制度である。だからと言って“金持ち憎し”の感情を爆発させ、たくさん保険料を支払わせておきながら「金持ちは我慢しろ」などと言って老後に一般人レベルの年金給付しか行われない、という如何(いか)にも有りがちなインチキ年金を支持するつもりは毛頭無い。たくさんの保険料を支払えば、たくさんの年金給付を受けられるのは当然である。
加入者が貧乏人だろうが、金持ちだろうが、学生だろうが、サラリーマンだろうが、専業主婦だろうが、障害者だろうが、健常者だろうが、自営業者だろうが、公務員だろうが、政治家だろうが、誰であろうが、正しく支払った保険料は正しく積立てられ、正しく運用され、正しく給付される。これが本物の年金である。一切の手心は加えられない。
ところが、単純に応益式の年金制度を採用すると、どうしても逃れられないリスクが生じる。大金持ちが長生きしたかどうかで、年金事業の収支が大きく揺り動かされてしまうのだ。これを防ぐには、社会保険庁が年金事業の自己資本をさらに増やしてクッション効果を充実させるしかない。
あまりにも非効率な年金運用と言えないだろうか。もっと簡単な解決策があるはずだ。それは、保険料を逆進制にすることである。所得が増えれば増えるほど保険料率を下げていくのだ。実際の保険料グラフを作ると、最初は斜めにまっすぐに上昇していったラインが徐々に角度が緩やかになり、最後は天井に突き当たって横這いになる。これなら小金持ちの老後破綻は防止され、大金持ちの長命・短命による収支の“波”も安定する。
ここで「金持ちの保険料率を下げるなんてズルい!」などと言って騒ぐのは『仕送り年金』に囚われた方々だけである。支払った保険料がそのまま老人に給付される、という誤った“常識”に取り憑かれているからこそ逆進制が“悪”に見えるのだ。保険料は自分自身のために貯蓄・運用され、金持ちが保険料を支払わなくても他の貧乏な加入者が困るわけではない。
このような応益式の保険料は、あくまくで基礎年金の上乗せ分として任意納付させるのが良いだろう。先ほど紹介した逆進制の保険料は上限金額として扱い、そこまでなら自由に上乗せ分の金額を決められるようにする。
まだ現行制度で解決されていないのが、過去の年金未納である。このままでは将来の年金給付が減らされてしまう。自業自得と言えばそれまでだが、現行制度で過去の年金未納を解決できないのは、それが賦課方式の年金であるためだ。その年度の年金収入と年金支出を合わせることばかりを考えている役人にとって、「過去の保険料を今になって納付する」という行為は理解不能なのだ。この話を始めた途端に思考停止に陥ってしまう。彼らは時間差のある取引の概念その物を持たない。
本物の年金では、年金未納など簡単に解決できる。そのまま多額の保険料を一度に入金すれば完了である。過去に標準入金・標準運用を行ったと仮定した場合の運用残高から、現在の実際の運用残高を差し引いた金額までなら一括入金を認めるようにすれば、65歳になってから数千万円の保険料を納付しても何の問題も発生しない。『仕送り年金』に囚われた方々にとっては、頭がオーバーヒートして失神するような光景に違いない。
最後に、具体的な入金方法について考えてみよう。現行制度においてサラリーマンは、本人と会社が個別に入金義務を課せられているが、これほど無意味な制度はない。寸分の財務能力も無いマルクス信者(※とにかく会社が大嫌い)の言い分を真に受けたサラリーマンたちは、会社側に入金義務を負わせることで自分が得をしたかのよう気分に浸っているが、そのせいで自分の給料が減らされていることなど気付きもしないのだ。また、非効率な分割入金のせいで社会的なコストが増えて、回り回って自分が損をしていることなど夢にも思わない。
年金の保険料は原則として本人に入金義務を課し、実際には「面倒臭いから」との理由で会社が全額を代理入金するのが合理的だろう。こういった入金は、納税手続きと同時に税務署で行えるようにする。ついでに言わせてもらえば、税金や保険料だけでなく、世の中にある全ての公的債権を税務署に回収させるのはどうだろうか。
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◆年金分割の方法《9》
現行制度では、大ざっぱに夫婦単位で年金口座が運用されている状態である。職業によっても年金口座がバラバラなので、転職・結婚・離婚などの身分変更のたびに年金登録も変更しなければならない。この手続きに失敗して無年金になる人が多いのは、大変な問題である。
これは日本の役所が、特定の業界に対して1つの行政機関だけで全ての行政サービスを担当し、一括管理しているのが最大の原因と考えられる。どこの行政機関でも、許認可も殖産も金融機関も保険も年金も何から何まで単独で管理を行おうとする。ついでに、ほとんどの省庁で何かしらのギャンブルを主催しているのはジョークとして笑える。本当に全部欲しいのだ。そして、彼らは自分が担当する業界の周囲に鉄条網を張り巡らせて、他の省庁には指一本触れされない。残念なことだが、当分の間、この問題が解決されることは無いだろう。
さて、最近話題になっている離婚時の年金分割について取り上げよう。一般的に専業主婦は無収入、あるいは低収入であり、これまでは「夫が保険料を支払っているから」との理由で年金給付を受けられた。このような年金給付に財務上の整合性は無く、完全なるオマケ制度だった。しかし、このオマケ制度が廃止されて専業主婦にも保険料が請求されるようになると、各方面から非難や怒号が政治家に浴びせられるようになった。
特に問題とされたのは、夫婦の離婚後に専業主婦だった妻が無年金状態になることである。これを解決するために、年金分割が行われるようになった。つまり、夫の権利の一部を妻に譲渡するのだ。この方式は部分的に運用されているようだが、かなり不都合な点が多い。
はたして50年間連れ添った夫婦の離婚と、いわゆる成田離婚を同列に扱うことができるだろうか。ここで下手な平等主義に取り憑かれると、1日だけ結婚していた夫婦であっても自分の運用残高の50%を奪われてしまう。離婚時の財産分与ルールに従って「運用残高が結婚中に増えた金額の50%を与える」という考え方もあるが、どちらにしろ既に存在する年金口座の運用残高を離婚した夫婦間で分割することには重大な問題が潜んでいる。これは年金の根本原理を破壊する大欠陥と言える。
夫婦の死亡確率は違うのだ。
その人の年金口座は、その人の死亡確率を予測することで成り立っている。それを自由に他人に譲渡できたら年金事業その物が破綻してしまうではないか。
民間企業が売り出す年金商品の中には「年金」という名称を用いながらも、実際には同世代の死亡確率を考慮せずに資金運用の利息を本人に給付し、死亡時に元本を払い戻すものが存在するが、こういった投資契約では途中解約も資金譲渡も自由自在である。なんの不都合も生じない。
一方、本人の死亡確率を考慮し、通常利率に特別な利率を上乗せすることで成り立っている本物の年金では、少なくとも死亡確率の設定期間中は途中解約を認めてはならない。そんな事を認めたら、ガンなどで「余命X年」を宣告された人間が次々と年金契約を解除し、自分の運用残高を引き出すに違いない。そうなれば政府は、瞬く間に財政破綻を起こしてしまう。
夫婦間の年金分割は、まさに年金契約の一部を解除して、その運用残高を死亡確率の異なる人間に譲渡する作業に他ならない。こんな分割制度が世の中に広まったら、
1.余命宣告。
2.離婚成立。
3.年金分割。
4.政府破綻。
・・・という四連地獄が待っている。おすまし顔で平等主義を気取っていると、皆様の年金は離婚奴どもに食われることになるだろう。
〈解決策〉
すでに存在する年金口座を分割するからいけないのだ。先に述べたように年金口座は個人単位で作り、そこへ一生涯保険料を入金し続け、そこから一生涯年金給付を引き出すような環境を整備しなければならない。
では、無収入の専業主婦はどうすればよいのだろうか。簡単な話である。夫が自分自身の年金口座に保険料を入金すると、その数十%が妻の年金口座にジャンプするように設定しておけば良いのだ。逆に妻に収入があって自分自身の年金口座に保険料を入金すると、その数十%が夫の年金口座にジャンプする。これを「保険料ジャンプ制度」と呼ぶことにする。
平等主義に取り憑かれてジャンプ率を50%にすると確実に労働意欲が薄れるので、男女に限らず稼いだほうをやや優遇するようにしよう。これなら保険料のジャンプは普段の相互扶養と同列になり、その後の年金運用も各人の死亡確率に基づいて行われる。
また、結婚期間が長ければ長いほど相手への入金総額が増えるので、運用残高のバランスも適切なものになる。成田離婚で運用残高をごっそり取られるようなことは無いだろう。同じ人が何度結婚・離婚を繰り返しても、ジャンプ先の設定を変更するだけで適切な入金が実施され、適切な資金運用が実施され、適切な年金給付が実施されるのだ。
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◆他の年金メルマガ《10》
〈帳尻合わせ〉
保険・年金情報センター
http://www.mag2.com/m/0000122032.htm
ここがヘンだよ!日本(ニッポン)のしくみ
http://www.mag2.com/m/0000041129.htm
負けない年金! weekly
http://www.mag2.com/m/0000140911.htm
──厚生年金・共済年金については『年金=積立て』を理解、と思ったら『国民年金=税方式』を推奨。意味不明。
>>数十年後、『“最初の老人”と“最後の若者”の矛盾』に襲われて絶叫してください。
〈現行方式の解説〉
年金生活お役立ち情報
http://www.melma.com/mag/13/m00099313/
http://cgi.kapu.biglobe.ne.jp/m/8659.html
あなたに損をさせないために…。
http://www.melma.com/mag/58/m00120258/
年金生活情報誌
http://www.mag2.com/m/0000116699.htm
国からお金をもらおう!〜社会保険と年金の基礎知識
http://www.mag2.com/m/0000130810.htm
http://www.melma.com/mag/57/m00124257/
ちょっとしたやり方で、社会保険料は安くなる!
http://www.mag2.com/m/0000141128.htm
狸通信・・・やさしい年金シリーズ
http://www.mag2.com/m/0000059033.htm
知っておきたい年金のはなし
http://www.mag2.com/m/0000106417.htm
あなたの年金大丈夫?〜老後資金を考える
http://www.mag2.com/m/0000021754.htm
http://www.melma.com/mag/82/m00035482/
──私的年金と現行制度の解説。
年金なんて簡単、これであなたは専門家
http://www.mag2.com/m/0000136400.htm
──賦課方式と積立て方式の違いを理解。現行方式の解説が中心。
500万円はあたりまえ!年金でラクラク保険の節約術
http://www.mag2.com/m/0000140385.htm
──公的年金よりも、その付加サービスの各種保険に注目。
なんやねん?年金?+α〜今ある制度を知っておこう〜
http://www.mag2.com/m/0000137005.htm
──現行制度と、その付加サービスの各種保険に注目。
誰でもわかる年金講座
http://www.mag2.com/m/0000123267.htm
──現行制度と、その付加サービスの各種保険に注目。無年金障害者訴訟に正義の鉄拳を振り下ろしているつもりだが・・・「保険料を払っていないから障害基礎年金が給付されない」という至極当然のことを無視して、年金制度と生活保護制度を混同している。しっかりと保険料を払って障害基礎年金をもらっている一般加入者にとっては迷惑この上無い。年金に加入できなかった困窮者を助けるのは生活保護制度である。
>>ある意味、役に立ちます。所詮はインチキ年金の解説ではありますが・・・。
〈自助方式〉
自分年金を創る不動産投資戦略 物件調査ファイル
http://www.mag2.com/m/0000142354.htm
──不動産投資による自助方式を推奨。
「高木加奈子」の年金運用
http://www.mag2.com/m/0000103890.htm
http://www.melma.com/mag/44/m00082344/
──株式投資による自助方式を推奨。
シングルだから貯められる!年金不安解消22の法則
http://www.mag2.com/m/0000128591.htm
──『年金=仕送り』を信じているが、貯金による自助方式を推奨。
年金は足りてますか?自分年金作りの成功原則
http://www.mag2.com/m/0000110309.htm
──長期投資による自助方式を推奨。
>>どうぞ低金利で頑張ってください。死亡時に残った元本を、相続税で山ほど政府に持っていかれて泣いてください。
〈私的年金〉
自分年金はこうして作れ!
http://www.mag2.com/m/0000126756.htm
──『年金=積立て』を理解。確定拠出年金を推奨。
確定拠出年金(日本版401k)情報
http://www.mag2.com/m/0000070750.htm
──確定拠出年金を推奨。
経営者の力量がわかる 適格年金の対処法
http://www.mag2.com/m/0000140658.htm
──確定拠出型年金などの解説。
年金危機の救世主!
http://www.mag2.com/m/0000137235.htm
──自助方式と私的年金を推奨。
>>私的年金を重視している方にはオススメです。
〈逃避行〉
フィリピン生活情報
http://www.mag2.com/m/0000067833.htm
──物価の安い海外での余生を推奨。
>>どうぞ、ご自由に。ただ、私を巻き込まないでください。
>>中でも特に濃い内容の年金メルマガを見つけましたので、丸々1本批評します。
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年金は本当に破綻するの? 〜若者のための年金講座
http://www.mag2.com/m/0000120046.htm
http://www.melma.com/mag/05/m00109205/
──このメルマガの主張は以下の通り。
【1】年金=保険
年金とは、働けなくなったときに備えて掛けておく保険である。
年金とは、全国の老人を国民みんなで支える制度である。
【2】年金≠貯蓄
年金は積立てではない。「万が一、長生きしてしまった時のための保険」であり、貯蓄性は無い。「早死にした人から、長生きな人に仕送りをする」と言う考え方である。その分、保険料をかなり安くできる。
【3】死亡時刻は不明
その人の寿命を知るには、地獄まで行って閻魔帳を見せてもらうしかない。
【4】年金=ほどこし
国民年金は「最低限の所得の保障」である。
【5】年金分割万歳!
年金分割は特殊なものではなく、世界の潮流である。
──これらを踏まえた上で、まずは年金と保険との違いについて持論を展開したい。
【1】年金=保険・・・???
1.保険
ここでは生命保険を例に挙げよう。これは全加入者が今この瞬間にも給付適用(死亡)されるかも知れない可能性を秘めており、そういった意味では全加入者が同じ立場で不運な人間を助けていることになる。この瞬間、たまたま不運に襲われた人間に、たまたま幸運だった人間が金銭を与えていると解釈できる。
解約時の払戻しがゼロの純粋な生命保険の場合、各加入者が不運に遭遇する確率や損害額さえ予測できれば資金繰りが可能になる。保険業者としては、確率論的な“波”に耐えられるだけの自己資金を貯蓄しておけば事足りるのだ。偶然にも不運が短期間に大量発生したときに、これが経済的なクッション効果を発揮する。
純粋な生命保険は、金銭の“瞬間値”を今日も明日も明後日も24時間365日、常に加入者同士で分け合い続ける制度と言える。
2.年金
金銭を支払う様子が似ているからと言って、「みんなで支える制度」である生命保険を単純に年金と結び付けることはできない。はたして生命保険における幸運者・不運者の関係と、年金における若者・老人の関係を同列に扱えるだろうか。
前者は誰でも同じ立場で死亡・生存し、同じ立場で保険料を請求され、同じ立場で保険金を給付される可能性がある。たとえるなら、老若男女を問わず四六時中ロシアンルーレットを続けて互いに即金を渡し合っている状態である。各参加者の死亡確率=1ターンあたりに引き金を引く回数によって賭け金を増減させれば、確率論的な矛盾は発生しない。たくさん引き金を引く人(老人)の賭け金は増やされ、ほとんど引き金を引かない人(若者)の賭け金は減らされるわけだ。そして、1ターンが終了するたびに賭け金が清算される。
では、年金の加入者である若者と老人は、同じ立場で賭け事に参加できるだろうか。それも、瞬間値的な即金のやり取りができるだろうか。
・・・できるわけがない。若者が給付を受ける側になるのは数十年も先の話である。誰でも同じ立場で死亡・生存するのは生命保険と同じだが、保険料の請求や年金給付には加入者ごとに時間差があるのだ。どう考えても辻褄が合わない。
【2】年金≠貯蓄・・・???
──この発行者は「早死にした人から、長生きな人に仕送りをする」などと主張しているが、“いつ”保険料を支払うつもりなのだろうか。そして、“いつ”給付を受けるつもりなのだろうか。保険料は“事前”に支払うのではないか。給付は“事後”に受けられるのではないか。
“早死にした人”と“長生きな人”には負担と給付に時間差があるのだが、その間の運用資金は異次元空間にでも飛んで行ってしまうのだろうか。両者に時間差があれば、当然のように積立金が発生し、『【2】年金≠貯蓄』という理論は崩壊する。
たしかに年金でも毎年のように即金は動くのだが、これはポーカーゲームの途中で“降りた”人の賭け金がテーブルの真ん中に積まれている状態であり、実際に金銭が支払われるのは数十年後だったりする。という事は、その時間差の分だけ金銭の積立てが存在していなければならないのだ。積立ての存在しない年金は、例の『“最初の老人”と“最後の若者”の矛盾』を抱えていることになる。
【3】死亡時刻は不明・・・!!!
──ここまで閻魔帳の理論が分かっているのに、それに伴(ともな)う時間差の理論は抜け落ちているようだ。『【2】年金≠貯蓄』と『【3】死亡時刻は不明』の理論が、所々で捩れているのが分かるだろうか。
「いつ自分が死ぬか分からない」
「でも、通常運用だと最後に残る元本がもったいない」
このジレンマを解決するのが本物の年金である。何度も説明したことだが、加入者は通常運用で払い戻される予定の元本を年金業者に売って、通常運用よりも高い利息を稼いでいるのだ。
【4】年金=ほどこし・・・???
──それは生活保護の話である。年金は貧乏人を助けるための制度ではなく、若い頃に保険料を払う余裕のある人間が、老後にプラスアルファの生活を送るための制度である。
【5】年金分割万歳!・・・???
──死亡確率の異なる人間同士が、死亡確率の設定期間中に運用残高を譲渡することの不合理を全く理解していない。そうやって世界の潮流に流されて遭難すればよい。
────以上。
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