1, 雑記帳 (3) 2004/1/3 - 2005




 今夜も散歩をしてきた。風はあまり感じられなかったが、季節柄やはり寒いものである。そのかわり、夜空の方は透明度が高く、冬の星座はよく輝いていた。途中、息を整えるためしばしの休息。夜空を見上げつつ、その深遠微妙なる空間の先の、そのさらに先にまで想いを馳せる。一切のものが変転流転する。ひとときたりとも留まる事はない。まったく無常である。・・・そしてまた歩みを進める。歩きながらもいろいろと考えていた。しかし、家に到着するまでの間、何一つ考えはまとまらなかった。今も何かが私の中でくすぶっている。その生焼けのものに水を差す事も出来ようが、今必要なのはその正体をあからさまにして、しかも再び火を付ける事なのだ。

 これから作曲のために書きためてあった、いくつかのノートを整理してみようと思う。どれほどのものが役に立つものとして残るであろうか?

 それにしても何となくおかしな夜である。何か得体の知れない胸騒ぎにも似た感覚が付きまとっている。私の意識下で何かが蠢いているような、いないような。何かが起ころうとしているのであろうか(良い事なら歓迎するが)。

 2005.2.2



 ネコの話

 本日、我が家で面倒を見ていたネコが死去したとの事であった。昨年から病気にかかったらしく、よく獣医にお世話になっていたが、とりわけ今年に入ってからというもの、調子が悪かったらしい。私はとりたてて世話をしていた訳ではなかったので、事の一部始終はよく分からないが、やはり、そのような話を聞くにおよんでは一抹の欠如感のようなものを感じてしまう。

 そのネコとの出会いというものは、今から5年ほど前にさかのぼる。・・・それは春5月頃だったと思うが、とても天気の良い温かな日であった。その日、私は朝からこの小屋にいた。明るい日差しの射す午前中、近所のどこかでネコが鳴いていた。姿は見えないが、何やら聴き覚えの無い鳴き声であった。その時私は、その事に特に関心を向けていたわけではなかった。ひとしきり鳴いていたようだが、いつの頃からかそのネコの声は聴こえなくなった。しかし、近くをウロウロと歩き回っていたのだろう。しばらくすると、今度は小屋のすぐ横で鳴き始めた。そして私の気配に気付いてか、とうとう小屋の正面・入り口のところで鳴き始めた。私は特に追い払うつもりはなかったが、とりあえずどんなネコなのか見てみたくなったので小屋のドアを開けてみる事にした。

 そこにいたのは全体的に真っ白な細身のメスのネコで、よく見ると長くまっすぐに伸びた長い尻尾と片耳の一部が黒く、また体の横に5cmほどの黒い楕円形の模様があった。そして私の顔をじっと見据えての最初のひと鳴き・・・。その時の表情が(人間を連想させるような?)とても印象的であったのが思い出される。この一連の場面は今でもよく覚えている。それにしても、このあたりでは見かけた事の無いネコである。野良にしては毛並みがきれい過ぎる。首輪などはしていなかったが、おそらく飼われていたのであろう。人に良くなれている(なれなれしいくらいに)。”ああ、お前、何かの事情があって捨てられたんだな”などと思っていたところ、そのネコは小屋の中に入ってこようとしたので、私はひとまずドアを閉めた。その後しばらく小屋の前にいたようだが、やがてどこかへ移動したようであった。

 午後になってから再びそのネコは戻ってきた。我が家の敷地内に入り込み、鳴いている。今度は家族の者が気付いたようで、”どこのネコだぁ〜?”などと言っている。・・・と、その後も、このネコとの出会いのくだりはあるのであるが、結果としてはその日からウチで面倒を見る事になった次第である。

 そのネコはとてもすばしっこく、どこで捕まえてくるのか、よくネズミを得意満面でくわえてきたものであった(むろん、家では大騒ぎ)。ちなみに我が家では、以前よくイヌやネコを飼っていた(この当時は何もいなかった)。

 あれから、もう5年(もしかしたら6年だったかもしれない)も経ったんだな、と思い返した。一匹のネコの死ではあっても、少なからず近しい存在ではあったのであり、その事実を機縁として生命というものについて、私はいろいろと思い馳せるのであった。

 お前はひとり、この世界全体の内へと帰っていった。しかし・・・お前は一体、どこからやって来たのであろうか?

 

 2005.2.1




 早いもので1月も今日明日を残すのみとなった。私は昨年の暮れあたりから中途でほったらかしのままになっていたものの整理に手をつけてきた。その作業はどれほど進展したであろうか?なるほど、それらは意外と多岐にわたってやり残されていて、そのひとつひとつを拾い上げてみれば、さしずめガラクタの展示会的な様相を呈してはいる。しかし、それらはいずれも私自身の意思で実現を見るがために手がけたものばかりであり、今さら放棄するわけにもいかない(我ながらよくやり残したものであるが・・・)。

 しかし何から手をつけるべきであろうか?。このような迷いが生ずるのは再び手がけるべきものの、あれもこれもといったような量的な理由からではなく、それは質的な順序、序列といった要素からきているのである。一例をあげれば、例えば作曲のために採ったいくつかのスケッチや断片などは、単にそれのみで存在していて、それに即して実現できるという訳ではなく、その他の要素である、音楽への見通しを明らかに見るための一連の思索や、その補助としての読書・調べもの、実際に書き進めるための記譜法等の技術的要件、また、環境的条件の整備に関わる事柄等々、私の当面の主題である音楽への関わりのひとつをとってみても、個別的に在るほったらかしの作業のいくつかが、関係性の網の目の中に絡み合っている。それらをうまく解きほぐしつつ、また連結しながら最善の順序で実現していきたいと考えてはいるのであるが(考えすぎ?)・・・。

 とはいえ、ここに立ち止まっているつもりもなく、右往左往しているつもりもない。当面はプログラム関連のやり残しをこなし、次いで平行しながら作曲作業に取り付きたいと思っている。今は幸いにもそのような事に関われるだけの時間的ゆとりがあるのだ。

 ところで、このところ時間のある夜には努めて散歩をするようにしている(これも時間の無かった昨年からは停止していた事柄であるが)。時間にして一時間足らずのコースを巡ってくるわけである。現在は大いに運動不足であり、その解消を少しでも遂げたいとの目論見もあるが、真の目的はまだその先にある。

 私は少年の頃から近くにある山地へよく遊びに行っていた。まあ、山といっても200m足らずの丘陵であるが、それにしてもいつの頃からかめっきり遠ざかってしまっていた。そして今ごろになって再び山歩きへの憧憬がよみがえって来たというわけである。理由は分からない。ともあれ、ただ今の夜のちょっとした散歩は、山歩きの準備運動のようなものである。良い季節になったら少しばかり足を伸ばしてみたい場所がいくつかあるのである。この件に関してはいずれまた(ネタとして)書き記す事になるであろうから、今はこのくらいにしておこうか。

 2005.1.30




 今朝は意思に反して大分早起きをしてしまった。よく早起きは一文の得などというけれども、しかし今朝の目覚めといったら一文の得どころか、シャレにもならない激しいものであった。

 ・・・眠りの途中でぼんやりとした夢がうかんできた。そして次第に私は重苦しい感覚をおぼえるようになってきた。やがてその重苦しさは明瞭さを伴いつつ、夢の全体を支配するようになってきた(?何か変だぞ)。場面はめまぐるしく展開し、もはやその重苦しさは苦痛に変質し、その苦痛が私自身の身体的な痛みに由来するものである事がはっきりとしてきた。今や夢と現実が相互に浸透しており、私の意識はこの事態が単なる夢の中の出来事ではない事を自覚せざるを得ない段階にある事を認めた。そして私は目がさめた。

 夢の世界は霧消したけれども、しかしながら、苦痛の方は未だに私の最も身近なところにある。しかも、その苦痛はより厳しいものである事が自覚される。目覚めの当初、何が何やら訳が分からなかったが、完全に我に帰ったとき、私の体は身をかがめるようにして苦痛に耐えようとしていた。今やこの激しい痛みは現実のものである!。本能的に私は、少しでも楽な体勢は無いものかと、体の向きをかえてみたり、伸ばしたり、かがめてみたりと試してみた。そしてある程度楽な体勢を見つけたので、しばらくはじっとそのままにしていた。時計を横目で見たら午前3時を少し過ぎたところであった。

 この激しい苦痛は、ちょうどミゾ落ちのところ、胃にあたる部分の痛みによるものであった。胃袋をわしづかみにされたような痛みである。また、多少ひきつったかのようなニュアンスもある(発熱・吐き気・嘔吐等は無かった)。ともあれ、く・苦しい・・・と、もがく寸前である(まさに119番級である)。が、しかしこの苦痛の質的な感覚には身に覚えがあった。10年程前に、俗にいう”胃ケイレン”(正しい医学用語ではないらしい)を起こした時とよく似たものである。”あぁ、これはアレだな”と直感し、であるならば、2〜3時間もすれば治まるのではないかと思い、今しばらくはこのまま様子をみてみる事にした。しかし、その間の苦しい事といったらもう・・・。

 やはり私の予想どおり、2時間ほどで痛みは大分和らいできた。7時の朝食は何の問題もなく摂ることが出来た(食後の異常はナシ)。さっきまでの苦痛は一体何だったのやら・・・。

 このような俗にいう”胃ケイレン”とは、実は胃に関わる症状であるとは限らないそうである。例えば、すい臓や胆嚢の異常(結石等)に起因する場合もあるのだという。このような場合は持続的に痛みが現れるとの事で、今回の私の場合はピタリと治まっているので該当しないと思われる。ならば文字通り胃に起因するものであろうか?その場合、ストレス性のものであろうか?胃はストレスに弱い臓器であるといわれる。そういえばしばらくの間、ストレスを発散するような機会もなかったし、私はどちらかといえば神経質な方である。まあ、これは私の素人考えであるし、実際のところはよく分からないが。今後再びこのような事態に陥った場合は、いさぎよく医者のお世話になった方が良いかもしれない、などと思ったりもする(<医者嫌い)。


 2005.1.27




 
長らくの休止からようやく復帰。

 我ながらずいぶんと長い間、このページから離れてしまっていたものである。その所以はつまり、私の社会的ポジションの質的変動、またそれに連動するかたちで生活上の状況も大きく動き出し、まさにその渦中にある私はいやおうなくもその奔流に呑まれてしまっていたという事にある。・・・と、まぁ早い話が忙しくなってしまいHPに関わる時間がなかなかとれなくなってしまったという、およそありがちな話ではある。しかしながら、理由の全体はそれほど単純ではない場合が多いものである。

 上記の理由に関わる文脈でいえば実際のところ昨年の秋口以降、ある程度の時間的余裕は戻ってきたのであるが、さてもうそろそろ更新でも、と思っていたところ、メインPCが大クラッシュに見舞われてしまった、という事態も付け加えなければならないであろう。この事態には正直なところ、私はかなりのダメージを受けざるをえなかった。これはシャレにならないぞ!というわけである。

 事の起こりは2004年10月、その日は時間的余裕があったので開発途上のソフトウェアの手直し等の作業をチマチマと行っていたのであるが、折りしも大型で強い勢力の台風が接近中(というより直撃中)であり、それはそれは凄まじい暴風雨の中、一抹の不安を身近に感じつつも(屋根が風に持っていかれないかと・・・)、一人この小屋にこもって作業を進めていたところ、突如として2度にわたる停電があった。

 それはほどなくして復旧したのであるが、しかし、恐らくその停電が災いしたのであろう、私のメインPCはその後、OS(Windows)が立ち上がらなくなってしまっていた。これはいつもとちがうぞ!まさに由々しき事態?!と直感し、ドタバタと大立ち振る舞いを演じた次第・・・(ここまで深刻な事態は初めての経験である)。状況からハードディスクの異常と判断し、DOSによる修復を講じたものの、一向に回復せず・・・。このような時、私はひとつたいの冷や汗が流れるのを感じた・・・などというのは、あながち言い過ぎではなかろう。その後しばらくは善後策を模索・検討しつつ、メインPCにはさわらないようにしていた。

 いささか足りない頭脳で考えた挙句に到達した結論は、ハードディスクの再フォーマット、OS等の再インストールという比較的オーソドックスな方法に集約された(これで一件落着する保障は無いのだが)。しかし、これには多大なる犠牲を蒙る事を覚悟しなければならなかった。それは様々なデータの類の多くを一挙に失う事を意味しているからである。理由は明確である。つまり、”最近はパソコンにさわる時間がないから・・・”と、普段から大切なデータをこまめにバックアップするのを怠っていたからである!。ああ、しかし手痛い応報である。(<ちなみにこの段階に至るまでには約1ヶ月近くを要した)

 このような顛末をはさみながら、一応PC環境は復活した。と、同時に失ったものも少なからずあったのであるが、幸いにも”少しだけ古いデータ”のバックアップは外部ディスクに保管されているものもある。ともあれ復活してくれて良かったが、さて、このPC環境を元の状態に戻すのには大変に骨の折れる作業が必要である・・・。おかげさまで以後、およそPCとの関わりという点では、PC設定の復元(いろいろと小細工をしていたので大変である)と、復元可能と思われる諸データの修復作業で2004年は過ぎて行った感がある。

 このような手痛い教訓から、データのバックアップはこまめにとるようにと気を引き締めた。また、バックアップ用のソフトも導入した次第である。

 さて、そんな事の流れの内に年が明け、状況的にも落ち着いて来た事だし、もういいかげんにHPの更新にも手を着けるべきだと思いつつも、正月気分にダラけてしまったのであろうか、なかなかキッカケがつかめず乗り切れない自分がいた。長らく離れてしまっているとこんなものか・・・。しかし、HP再開にあたって、なかば躊躇していたのは他に理由がないわけでもない。昨年来の長い休息の後、HPを更新する際には是非とも公開したいコンテンツがいくつかあったからであるが、その最たるものは自作のソフト・Doppelgänger Zwei(SONAR用数値入力ツール)である。しかし先に記したとおり、昨年のPC大クラッシュ事件の折に最新修正版を失ってしまった。同時にそのマニュアルや更新記録もである。

 実のところ、昨年中のHP更新離脱の最中にあっても、まったく時間がなかったというわけでもなく、たまに少しづつではあっても、このDoppelgänger Zweiに機能追加や修正を加えていたのである(ちょうどアテネオリンピックの頃、そして大変な猛暑!)。したがって、最新版を失った以上、現存する少し古いバージョン(約2ヶ月分のバージョンダウン)を再びバージョンアップしていかなければならない。この作業は今も続いている(ほとんどが記憶をたどりながらの作業である)。また、その他作りかけの文章的コンテンツに関しては始めからやり直すしかあるまい。ただ、そのほとんどが推敲の域を出るものではないレベルのものだったので、多少は気分的に楽ではある。

 ともあれDoppelgänger Zweiは何とかしたい。昨年の動作テストに協力してくださった方々にも申し訳が立たない。とはいえ、この作業には今しばらくの時間が必要であると思われる(昨年発売されたSONAR4での動作が気にかかるが)。それを待つよりは今の時点でひとまずはHP復帰を果たしておいた方が良いだろう。PCも復活した。いつまでも作曲小屋を立ち枯れにしておくわけにもいかない。このページの作者は存命しているのだ。そして今は時間もある程度ある。・・・・という事で、ひとまずはこのつまらぬ記事と日付けだけでも更新した次第である。


 2005.1.23




 今日は薄暗い一日であった。夕刻にひとしきりの雨。このところ妙にこんな日が多いように思える。梅雨の走りというものであろうか。そして、もうそんな時期にさしかかろうとしているのか。この作曲小屋もなるべく早い時機に梅雨対策を講じておかなければならないであろう。季節は巡っている。

 最近はつとめてギターの練習をするようにしている。来るべきギターを伴う音楽作品の製作のために。しかし、今日は何となくおかしな感じだ。微妙にフィンガリングとピッキングのタイミングがズレている。ところどころでミュートしたようになってしまう。特に左手の薬指と小指とのコンビネーションが良くないようである。どことなくたどたどしい。こんな場合は基本に帰って、指ならし用の定型フレーズをゆっくりと、時間をかけながら弾いていき、フォームをチェックしながら両手のタイミングを合わせていくに限るのであるが、さて、昨日まで調子がすこぶる良かった場合などには、ついカッカしがちで、力ずくでタイミングを合わせようとしてしまう。この場合、決まって余計な力が入りがちである。これを続けてしまうと必然的に不必要な筋肉疲労を招いてしまうわけであって、結果的にタイミングはおろか、その前提であるフォーム自体を崩してしまう。スランプの始まりである。調子の良い時期がある程度続くと得てしてその調子を過信してしまい、その前提条件たる基本を軽んじてしまいがちである。やはり基本は大事である。自省を込めて記す。

 2004.5.23




 篠つく雨の休日。それは何となく精神的なテンションを停滞させやすい。いや、むしろそれは、ある種の落ち着きを取り戻す良い機会かもしれない。

 このところ、やけに気難しい顔をしている事が多いように思う。眉間にしわを寄せ目を細め、口元は”への字”である。だが別に深刻な悩みや苦悩があるという訳ではない。それは大体において今後のプランというものに関わっている。さあ、これから何をどうするか・・・。

 日常を見渡せば、その中でこなさなければならない事柄というもの、それは必然的なものから全く煩わしいものまでかなりの数にのぼるのであるが、しかし、それはさておいても私自身の望むべきものとしてこなすべき事柄、それはいくつかあるのであるが、今、最も手がけたいと思っているのは、やはり作曲作業という事になろうか。というより”本腰を入れて”とりかかりたいといった方がいいだろう。何しろ昨年の秋口に見通しを立ててより、すでに半年以上経過している。その間、その見通しに従った作曲法や素材を考え、その上で実際のスケッチをとりながらの試行錯誤を進めては来たけれども、今ひとつ何か不足しているものがある。その不足する何かは必要なものである。必要なものがある場合、何とかそれを自分のもとへ手繰り寄せようとするのは至って自然な要求である。その手繰り寄せ方にしても様々ある訳であって、私のここでの課題についていえば、まずは思索することが先にくる。しかし、何か案ずるにしてもそれに関わる何らかのきっかけとなるものが欲しい。私は大体においてそのきっかけを書物に求める。本を開いては音楽に想いを馳せ、またくり返し(そして時に、いや、おおむね眠くなり)・・・。それは場合によっては当の課題の中心とは大きく隔たる方向へと突き抜けるのであるが、そんな事はおかまいなしである。私が今求めるところのものは、作曲上の技術的な事柄ではないようである。ではそれは一体どんなものだろう?多分に作品を基礎づけるであろう理念的な部類の事柄であろうと思われる。その輪郭はぼんやりながらも見えつつあるが、はっきりとは表現できない。もしそれが出来るのならば、何も気難しい顔などしなくてもすむであろうに。

 ・・・などと記しているうちに大分夜も更けた。まだ小雨は降っている。外に雨だれの音を聴く夜も、そう悪いものでもない。

 2004.5.9




 この”Kompositionhütte 作曲小屋 音楽と芸術の途上において私を場として生起する音楽と、その意味一般についての私的な一考察”も、本日4月28日付けで公開1周年の迎えることとなった。こういう節目にさしかかった場合、よく”早いもので”とか”ようやく”などと時間的な感慨を表明する事が多いのであるが、私の場合は公開1周年を迎えたことに関しては特にそのようなものは感じていない。早いといえば早いし、ようやくといえばようやくなのである。ともあれ、存続しえた事は何よりである。

 思うところ、この作曲小屋は開設当初の見通しを越えて、思いの他拡張してしまったようである。まあ、それはそれで結構な事ではあるのだが、個人サイトであるが故に更新が大変である。もともとは自分の音楽に関する紹介を、と思っていたのであるが、いつの間にやらあれもこれもと手を広げすぎ、中心課題は後回し、または先送りの状態である。それを悔いているのでは決してないのであるが、早い時機に更新の滞っているコンテンツに取りかかりたいものである。とりあえず今は”Doppelgänger Zwei”のベータテストの真っ最中であり、いよいよ作業も佳境に入ってきた感がある。テスター様のご協力を仰ぎ、バグ潰しにいそしんでいる今日この頃である。この正規版を公開できた後には、まず私自身の作曲作業に取りかかりたい。これは普段からコツコツと進めているのであるが、いかんせん、それに割り当てる生活時間の余裕は少ない。それと、シリーズものの”音楽室”の方も、いい加減もうそろそろ更新したいところだ。ギター関連の方にも追加したいものがあるのだが、これは先送りになるであろう。

 ・・・などと書いているうちに日付は更新されている。夜の深みに浸潤するひと時の静謐。

 2004.4.29




 今夜は夕食もとらずに寝入ってしまい、目が覚めてみればすでに日付も変わり、時計の針は午前2時過ぎを指していた。ああ、いかん、いかんと思いつつも、まあ、早起きをし過ぎたな、と思いなすまでにはさほどの時間は必要ではなかった。という事でフラフラとこの小屋にやってきた。さすがに春4月ともなれば夜の空気も冬の厳しさはなく、それはどことなく生暖かくて何となく目覚めの悪いものではある。

 一時期に比べれば、近頃はとりたてて変わるところのない平板な日々であるが、その起伏の無さにおいてはあいも変わらずDoppelgänger Zweiのデバッグ作業をコツコツと続けている。何とも根気の要る作業ではあるが、もう間もなく”試用版”を公開できるであろう。ついでながら、このソフトウェアの前身(本体)である”Doppelgänger Eins”の方も手を加えている。何しろ開発が途絶してより大分経過している状態なので時間を見計らっては手直しするようにしてはいるのだ。思えば開発開始が1999年の初冬であったから、早いもので5年を経過したことになる。

 とにもかくにもこのような作業にも、早いところ一定の区切りをつけたいところである。私には次なるプランが控えているのである。

 2004.4.10




 今までDoppelgänger Zweiのデバッグを行っていた。何しろ約2ヶ月もの間、開発の手を入れることが出来なかったシロモノである。そのおびただしい変数やら何やらでもう大変である(自分で作っておきながら・・・)。さて、すでにほとんど実用の域にある感を覚えるのであるが、慎重に動作実験をしてみると未だにバグ(些細なものではあるが)が出てくる始末・・・。そしていくつかの仕様を変更してみた。まあ、こんな作業を繰り返しながら一応の完成にまで追い込んで行くというわけである。何とも根気の要る作業である。

 まだ他の動作環境ではテストをしていないのであるが、早ければ明日にでも仮の配布版パッケージを作ってみて他のPC環境で動作試験をしてみたいと思っている。果たして上手く動作するであろうか?

 2004.3.23




 本日は”ピアノと合唱の録音をしてもらえないか”との親しい友人のたっての申し入れを引き受けて(正確を期した言い方をすれば私のほうが積極的であったのだが)、お人好しの私はとなり町の会場まで足を伸ばした。持ち出した録音機材はノートパソコンに外付けハードディスク、6chミキサーやUSBオーディオインターフェイスなどなど。モバイル・ハードディスク・レコーディングというわけである。録音データはつい先ほど編集とマスタリングを終えたところである。まあ、まずまずの出来だろうか。作業にはSONARを使った。

 もう時刻は24時を過ぎたところであるが、長らく中断していたソフトウェア(それはDoppelgänger Zweiの事である)をこれから少々いじくってみようかと思っている。未だにデバッグ版をリリースする事が出来ないでいる。せっかくご期待を寄せていただいていた方々がいたにもかかわらず、なかなか作業が進まず申し訳なく思う事しきりである・・・。という事で今夜はこの辺で・・・。

 2004.3.21




 昨日も記したとおり、時間的余裕も出来てきたのでボチボチ小屋内部の整理整頓を始めようと思っている。やはり”仕切りなおし”をする場合、私自身のみならず環境を整える事もそれなりに意義深いものである。とかく時間のない場合、私を取り巻く環境は雑然となりがちである。これはあまり気分のいいものではない。まずは必要のなくなった書類等を処分したい。

 さて先日、時間が無いなどとボヤキながら地元で開催された音楽イベントに参加した。残念ながらそれは出演者としてではなく、ミキサーとしてであった。何しろ”予算が少ないので・・・”と主催者側の弁。むろん報酬など望むべくもないが、そんな事は度外視して一肌脱いだ次第。また、ギターアンプのレンタル料を浮かせたいので貸してくれないか、との事。まあ、それも良かろうと思い、Mesa/Boogieのギターアンプを貸し出した。久々の広い会場でこのアンプはのびのびと吼えていた。そのサウンドに我ながら悦に入っていた。会場は新しく、客席は500席程度。通常はピアノの演奏会などに使われているらしく、スタンウェイなどの高級ピアノが2台備えられていた。そしてスケジュールの合間を見計りつつ、出演グループとしばしの談話。みんな良い若者たちばかりであった。その若さに私は懐かしさを覚えると共に、うらやましさを感じた。私は君たちといつかまた逢いたい。

 2004.3.17




”さあ、これからまた少々滞っていた音楽をはじめとして、ソフトウェア開発関連の作業やHPの更新を図っていきたいと思う
”・・・というのが前回の雑記帳でのセリフであった。その日付は1月29日、本日は3月16日である・・・。以来、すでにひと月半を経過しており、2月中はついにHPの更新をする事が出来なかった。HPを運営する者としては何とも心苦しいものである。せめてここに近況でも記しておきたい。

 先週までは私の自由になる時間がとにかく乏しかった。しかし、ようやくこのような状況から解放されそうな見通しとなった。そう、ようやくである。今週末あたりからは滞っていた作業を再開したいと思っている。特にソフトウェア関連の作業は早急にとりかかりたいと思う。本来の行程ではもうとっくに公開していなければならないものだったのだ。

 しかし早いもので寒い冬は終わり、すでに春三月も中旬である。時は駆け足・・・。

 2004.3.16




 このところ何だかんだで煩わしい事が多く、それをこなしている内にすでに今月も終わりになりつつある。その間、この”作曲小屋”の方も手付かずになってしまっていた。まあ、それでも何とかひと段落がついたのでHP更新に復活という訳である。

 今週に入って再改造中のままほったらかしになっていた、ギター用のエフェクターであるMXRのディストーション・プラスをひとまずは組み上げた(内容はこちらに掲載)。この手の作業に不可欠なのが実際に音を出してのヒアリングである。おかげでこの作業を繰り返すうちにハンダごて片手にギターにのめり込んでしまった。このような状態になったらもう最後、時間などという概念は100億光年の遥か彼方である。気付いた時には夜明けの時間である。結果としてひどい寝不足・・・。いい歳して何をやっているものかと・・・。

 さあ、これからまた少々滞っていた音楽をはじめとして、ソフトウェア開発関連の作業やHPの更新を図っていきたいと思う。

 2004.1.29



 昨日は早く眠ってしまい、気が付くとすでに日付が変わっていた。今や夜明けの時刻である。それはまたひときわ静かだ。

 今年の正月三賀日は気候も穏やかで、元日を除いては比較的のんびりムードにひたっていた(つまりダレていたという事・・・)。昨日はほとんど1日中、改造された23フレット仕様のストラトキャスターを中心に、思う存分ギターを弾きまくっていた。先日友人より借り受けた”ウルリッヒ・ロート=ウリ・ジョン・ロス”のDVDによって、私の中の遠い昔のギター少年が目を覚ましたのかも知れない。今現在はそれとは全く違うギタースタイルとスタンスでこの楽器と付き合っているが、まあ、たまには良いだろう。新鮮である。

 ギター漬けの一日にあって、ひとしきりの休憩の合間に小屋の空気の入れ換えを兼ねつつ天窓を大きく開け、そして青空と少々の翳りの下、リゲティのいくつかの作品と、シュトックハウゼンの”コンタクテ”を聴いた。

 2003.1.5



・謹賀新年

 ・・・ということで特に目立った起伏の無いままに新しい年を迎えた、といった印象である。とはいえ、元日はそれなりにあわただしい部分もあったのであるが、まあ、おおむね穏やかな2日間であったと思う。気が付けばもう3日目である。

 ところで今夜、最近ご無沙汰していた友人よりDVDを一枚貸してもらった。なんでも”貴重なモノだよ”というふれ込み付きだったので、ではその肝心の中身は何だ?と問うてみたところ”最近のウリ・ロートだ”、ということであった。ウリ・ロート?いやいや、私的には”ウルリッヒ・ロート”と呼びたいところであるが、しかし大多数の方はご存じ無いであろう。これが一体何者かといえば、その昔(かなり昔)”スコーピオンズ”なるドイツのロックバンドがあって、そこでギターを弾いていた人物であるが、これがまたかなりの異彩を放っていたギタリストであった(後に脱退、その後はエレクトリック・サン〜ソロ活動)。何しろジミ・ヘンドリックスに深く影響され、基本的にはラヴ&ピースであり、しかも流暢なクラシカルなスタイルをそれに融合し、よく泣き、よく歌い非常にメロディアス、かつ縦横無尽なハイテクニックという独自の世界を体現していた。また外見的にもかなりサイケデリック色がにじみ出ていて、バンドのメンバーとのスナップショットを見ると明らかに彼だけが浮いてしまっている・・・。まあ、バンド自体さほどメジャーな存在ではなかったと思われるので、ごく一部の人種を除いて今や知る人もいないように思えるのであるが、ともあれ良くも悪くもそのギタースタイル、テクニック、世界観のインパクトを蒙った者の一人として、私には大いに興味あるところである。

 さて、かかるDVDを謹んで拝見させていただいたのであるが、久しぶりに見る”ウルリッヒ・ロート”氏は・・・基本的に何も変わっていない!このインパクトは尋常ならざるものがある。これは生きた化石であろうか?いや、まさに時空を超越して現われた”ギター仙人”とでも呼んだ方が妥当であろう。しかも相変わらずギターが上手い!たしかに歳をとったという事実は隠せないのであるが、30数フレットはあるであろうオリジナルの”スカイ・ギター”(7弦)の広大な音域を、それこそ縦横無尽に彼の指先は駆けめぐっていた。・・・これは重要無形文化財として手厚く保護していかなくてはならないのでは?と思えてしまうのはあながち誇張であるとは言いきれない・・・(絶句)。あのギターサウンドも健在であった。そしてワウ・ペダルのサジ加減も絶妙である。

 ところがである。そのギター仙人氏のライヴにゲストとして参加してきたのが同じくドイツ出身のロックギタリストである”マイケル・シェンカー”(激しくなつかしい!)なのであるが、これには別の意味で絶句した。この同郷のギタリストはかつてはギター少年たち(もちろん全てではないが)のヒーロー的存在であったのであるが、しかし、しかし何なんだコレは?!・・・私は曙(サップに負けた残像か?)がフライングVを持って出てきたのか?と思ってしまいそうになった。まあ、それは言い過ぎとしてもしかし、あの突き出た腹部、よれた皮ジャンに変なサングラス、そして極めつけは真っ赤な短パン・・・かつての面影はそこには微塵も無い。身のこなしも不細工である。演奏の方も??である。”ウルリッヒ・ロート”が相手であるから尚の事??だ。またあの”悪い病気”が出たのだろうか?・・・。ともあれ、これにはまいった。ショックに近い戦慄が走った・・・。正直なところ、私にはこちらの方が印象に残ってしまったという事を告白せざるをえない。

 新年早々、大変に”貴重”なモノを鑑賞させていただいた。このDVDを貸してくれた友人にお礼を言いたい。(しかし、このDVDの出所はどこなのだろうか?)

 あと、この他愛もない雑記帳も新年を迎えるに当たり、キリの良いところで分割した。

 2003.1.3







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