第1日 8月31日土曜日 東京→千歳→支笏湖
百年の北海道へ
天皇・皇后両陛下には、北海道百年記念祝典にご臨場のため、8月31日12時18分皇居をご出門、日本航空特別機ダグラスC−8「ばんだい号」で東君国際空港から北海道に向かわれ、途中つつがなく十四時十五分千歳空港にお着きになられた。
両陛下のご来道は、昭和36年以来7年ぶりである。
両陛下は、厚地千歳空港長のご先導でタラップを降りられ、ターミナル前で奉迎する町村北海道知事ら特別奉迎者にご会釈を賜わり、空港からお車で支第湖畔に向かわれた。途中の沿道は小・中・高校生や一般市民の日の丸の波が切れ間なく続き、整然と隊列を組んで挙手の礼でお迎えする千歳駐屯陸上自衛隊員の白手袋の波が目にもあざやかだ。
通りすぎる林間の道路沿いはすでに初秋の気配。お車はすがすがしい道道支笏湖公園線を湖畔に進み、十五時五分、お泊まり所王子クラブにお着きになった。
この日、気づかわれた天候も、お召し機が到着するころはときどき薄日がさすおだやかなひより。支第湖の空にもかなり厚い雲が立ちこめていたが、ご到着のころには折よく噴煙をあげる樽前山も頂上をみせ、湖をはさんでそびえたつ標高1,320メートルの恵庭岳も鋭い山容をのぞかせて、いつにない風趣が感じられる。
王子クラブでは、北海道知事町村金五、北海道議会議長岩本政一、千歳市長米田忠雄、千歳市議会議長吉田信一の四氏が拝謁、町村知事から道政一般について奏上し、天皇陛下から道内の事情について種々ご下問があり、知事は約30分にわたってそれぞれお答え申しあげた。
両陛下はしばらくお休みのあと、湖畔から5キロあまりの千歳市モーラップヘ。ここは昭和36年5目24日、第12回国土緑化大会植樹行事の行なわれた所で、このとき両陛下がお手植えになった三本ずつのアカエゾマツは見事な成育ぶりをみせ、樹高2.3メートルから2.7メートルにおよんでいた。植栽面積9.2ヘクタール、約36,000本はすべてアカエゾマツで、欠株などはほとんどみられない。
林中に、昭和36年に賜わった御製を刻んだ碑があり国土緑化に寄せられる深い心のほどが拝察される。 天皇陛下は道ばたの木や草にお手を触れ、身をかがめて、ご観察されるなど、植物に対するこよない愛情のほどがうかがわれた。
御製
ひとひとと あかえそ松のなへうゑて
みとりのもりになれ といのりつ
支笏湖畔で第一夜
前夜から時おりパラついていた雨は夜明けとともに本降りとなったが、11時すぎには小降りに変わり、ところどころ雲もきれ間を見せる。
北海道での第一夜を支笏湖畔の王子クラブでお過ごしになった両陛下は、朝七時ごろお目覚めになられた。ご朝食のあと、晴れ問をみて三十分ほどクラブの庭をご散策されたほかは、天皇陛下は植物の本などをご覧になられ、皇后陛下はお泊まり所から眺められる湖畔の風景をスケッチされるなどして午前中をお過ごしになられた。 13時50分、クラブ従業員にねんごろなねぎらいのお言葉を残されて支笏湖をあとにされた。両陛下のお車は雨に洗われた自然林と人工林の問の道を縫って千歳駅へ。ここから特別列車で沿線地元民の奉迎をうけられながら15時26分、札幌駅にお着きになられた。 嶋田札幌鉄道管理局長のご先導で西口からお姿を現わされると、早くから位置を占めてお待ちしていた札幌市民は、日の丸を打ち振り真心こめて奉迎する。 自動車のお列は、駅前通りから大通りを経て養老院へ向かわれた。5キロあまりのお道すじの両がわに人がきをつくって奉迎する市民は、7年ぶりにお迎えする両陛下のご健摩そうなご様子を一目のあたりにして、一様に晴れやかな喜びに沸いていた。
新装の道庁へ
北海道百年記念祝典を迎えたこの日、ご日程はまず北海道庁から−。
パークホテルを出られた両陛下のお車は、10時10分、新装の道庁玄関前へ。町村知事のご案内で、1階のホールに特設された 「北海道百年の歩み展」 にお立ち寄りになられた。
ここには、明治初期以来の政治・産業・文化・教育など各方面にわたる推移と現況が、各種の資料によって展示され、天皇陛下は熱心にご覧になっておられた。町村知事が 「時間が少なくもっと詳しくご説明できなかったことが心残り」 と述べているように、よほどご興味をおもちになられたご様子で、予定の時間を6分も超過してしまった。
ついでエレベーターで屋上へ。折からの小雨に両陛下はカサをさされ双眼鏡をお手に、町村知事と原田札幌市長のご説明を受けながら、伸びゆく札幌の市街や冬季オリンピック施設予定地などをご展望された。また、重要文化財として明治21年建設当初の姿に復元保存される赤れんが庁舎に深いご関心をお示しになっておられた。
このあとお車は、サッポロビール株式会社札幌第二工場へ進まれた。松山収締役会長の概況奏上ののち、まず開拓使麦洒記念館内の史料館をご覧になられたが、ここには、明治14年、明治天皇ご臨幸のときご使用のイス、また、明治44年、皇太子であらせられた大正天皇お立ち寄りの記録、大正11年に当時摂政宮であらせられた天皇陛下がご視察されたときのお写真などが保存されており、天皇陛下はおなつかしげに見入っておられたという。
ついで工場では、仕込みから製品となって最後の箱詰めにいたる一貫したオートメーション工程についてご下問をつづけられながら熱心にご覧になっておられた。
パークホテルでご昼食をとられたあと、北海道神宮にご参拝、つづいて円山陸上競技場において行なわれる北海道百年記念祝典にご臨場になった。
この日、朝からの小雨も祝典の始まるころにはようやくはれ、会場には、北海道二世紀の開幕を祝う道民が続々と詰めかけていた。メインスタンドには、佐藤内閣総理大臣をはじめ、赤沢自治大臣、木村道開発庁長官ら、政府、国会関係者、ジョンソン米国大使その他在日外国高官、道関係国会議員、都府県知事、議長道議会議員、道内各界代表、開拓功労者やその子孫たちなど特別参列者三千六百人、競技場を取り囲むスタンドには一般参列者22,000人がびっしりと席を埋め、さらに、集団演技出場者12,000人、本部員、協力員などを合わせ、約40,000人の大群衆で会場はふくれ上がった。
14時、ドラの連打が、祝典の開幕を告げた。雄壮な行進曲のリズム が祝典の臨場感を盛り上げる。プラカードを掲げる慈恵女子高校生の先導で、郷土の青年に捧持された全道216の市町村旗が、札幌市を先頭に入場してきた。メインスタンドからバックスタンドへ、その列は、力強くトラックを踏みしめながら、フィールドの芝ふに扇形を措いて整列した。
つづいて北海道旗の入場である。札幌二条小学校児童の色あぎやかな鼓隊が南人り口から姿を見せた。濃紺の地色に、白と赤の七光星をくっきりと浮かび上がらせた道旗が、6人の青年に掲げられ入場してきた。北海道の二世紀に向かっての、たくましい若人の行進である。
14時30分。天皇・皇后両陛下が、メインスタンドの最上部、ロイヤルボックススにお着きになった。あらしのような万歳が起こり、日の丸の小旗が波を打つ。
三枝副知事が式典開式を宣した。陸上自衛隊のファンファーレが高々と鳴り響く。君が代が斉唱され、スタンド中央ポールに国旗が掲揚された。つづいて道旗が上がった。
町村知事が演壇に立った。一瞬、水を打ったような静けさ。その中を知事の式辞が朗々と流れる。佐藤内閣総理大臣の祝辞、岩本政一道議会議長の決意表明がつづき、全道青少年から選ばれた今井博、高垣春美両代表が、力強く青少年のちかいを述べた。このとき、ふたたびファンファーレが、低くたれこめた雨雲をはね返すように鳴りわたった。
天皇陛下が、お席にお立ちになり、「たくましい開拓老精神をうけつぎ北海道の開発を推進し、国運の進展に寄与するよう」にと道民に励ましのお言葉を賜わった。感動が会場四万人の胸にあふれた。知事がお礼を言上、そのあと万歳を三唱する。2,500羽のハトが放たれ、空高く舞い上がる。高校生1,000人の合唱隊16団体600人のブラスバンドによる北海道賛歌が円山の森にこだまし14時52分、式典は終わった。この間22分、かつてない充実した感動と緊張。先人への深い感謝と新しい北海道建設への決意がみなぎる感激のひとときであった。
10分間の休憩のあと、真昼の空に五彩の花火が打ち上げられ、祝典演技が開幕。会場をかすめるようにジ ェット機が進入してきた。浜松航空自衛隊機5機の曲技飛行である。高く低く、左から右から、曇り空に美しい煙の軌跡を描く。
ダイナミックな空の妙技に酔った会場のぎわめきをたち切るように、 大太鼓が響き、南北両人り口から婦 人団体、各種学校生徒ら2,000人が走 りこんできた。シンボルマークを染 めぬいたそろいのゆかた姿。ソーラン節が、北海音頭が、「郷土の香り」 を会場いっぱいにただよわせる。これを追って、幼稚園児とおかあさん保母さんら2,000のリズム遊戯がつづいた。
育ちゆく幼い生命の躍動と母親のつながり、それは 「二百年へのかけ橋」である。つづいて、中学生2,200人の組体操がグラウンドいっぱいに展開された。「ワーツ」という歓声とともに高校生2,400人が中学生の列に割りこんできた。中央に形づくられた北海道絵図が、帽子の色で四季それぞれに色彩を変えてゆくそのまわりで「輝く未来」を象徴する集団体操が展開され、人文字をつづる。そして音楽フィナーレ。1,600人の小学生鼓笛隊のドリル演奏、合唱隊、ブラスバンド、グラウンドの高校生も参加して、6,000人の大行進がはじまった。北の空から、ヘリコプター2機が進入、会場いっぱいに紙ふぶきが投下され、七色の風船が希望の空に舞い上がる。道民のうた「光あふれて」の大合唱、スタンドもグラウンドも一つにとけこんでいる
かくて祝典は、1時間10分にわたる集団演技を最後に、先人への感謝と、未来に躍動する青少年の決意を披歴し、大きな盛り上がりのうちに終幕した。
16時13分。両陛下は、会場をゆるがす道民の万歳に親しくおこたえののちご退場、お泊まり所パークホテルに向かわれた。
秋空のもと旭川へ
両陛下には、明けて三日、道北の旅に向かわれた。
お召し列車は定刻十時二十分札幌駅をご出発胡恨んだ桃空のもと、豊かに稔りの穂をたれる空知の水田地帯を北に進む。神居古潭をすぎるあたりからは川幅のせばまる石狩川の激流を右に見おろされながら十二時四十二分に旭川駅にお着きになった。 駅頭からの沿道には人がきがつくられている。両陛下は日の丸の波に終始おこたえになりながら、常盤公園の北海道百年記念北海道消防大会にご臨席になられた。会場には全道の消防団・消防署代表約三千六百人が参集。二十台の消防車からいっせいに五色の水柱をたてる勇壮な訓練をご覧になられた。このあと、北海道、樺太関係の戦没者六万七百六十七柱をまつる北海道護国神社へ向かわれた。参道両の側にゴザを敷いてお迎えする六千余の遺族にていねいにご会釈されながら神前に進まれ、護国の霊を慰められた。
ついで、途中、旭川駐とん陸上自衛隊員の礼をうけられたのちお車は春光台の国立地川工業高等専門学校へ向かわれた。ここのご視察は中堅工業技術者の養成を目的とする高専教育の実状をご覧になるためである。学校では、旭川市長五十嵐広三、旭川市議会議長柴田登志雄の両氏に拝謁を賜わり、原田校長の概況奏上のほか担当三教官のご説明で、十分あまりにわたって実習工場をご覧になられた。
特に関心をお示しになられたのは溶接実習工場であった。ガス溶接(切断)、電気溶接の際に発生する強力な光や火花、煙による学生の安全と衛生をご心配になられて、幾度もご下問があったが、教官から「電気溶接の際発生する煙は溶接棒の被覆剤の燃焼によるもので、有毒ではなく、マスクの必要はごぎいませんが、換気扇を使ってできるだけ早く排出するように努めております。いずれの溶接の際にも強い光と火花を発生するので、特殊なめがねと専用の手袋足首カバーを用いて危険から守っております。また、実習機械の取り扱いが適当でないと大きな危険を招きやすいので、技術習得と同時に、使用器具や装置の点検に意を用いた教育をしております」など申し上げるとようやくご一安心のご様子であった。
同校は昭和三十七年発足した国立十二校の一つで、機械工学、電気工学 (以上三十七年設置)、工業化学 (四十一年設置) の三科をもち、四十二年に第一回卒業生を送り出した。現在の学生数は六百五十八人となっている。
旭川工専に隣接して、道立旭川整肢学院 (養護学校併設) がある。重症を除く百四十二人の児童生徒が、職員や父母の介添えをうけて、松葉づえや手押し車を用い、校門前でお迎えしていた。一両陛下はすぐこれにお目をとめられ、ことに皇后陛下は、いたわられるように慈愛深いおまなぎしを注いでおられたという。
工専のご視察後は旭川駅から上川駅までお召し列車をご利用になられ、ここから国道三九号線を石狩川の上流に向かってお車を進め、大雪山国立公園の入り口にあたる景勝地層雲峡の 「ホテル層雲」 に十六時にお着きになった。
天皇陛下が旭川へおいでになったのは摂政宮ご当時の行啓を合わせ今回で四度目、両陛下おそろいでお出ましになられたのは昭和二十九年に次ぐ二度目である。久しぶりに両陛下をお迎えする市民の喜びはお道すじの歩道をぎっしりと埋めつくす盛んな奉迎風景からもうかがい知ることができた
また、上川町は、天皇陛下が網走方面へおいでになられたとき奉迎におこたえのため一時お立ち寄りになられたことがあり、十四年ぶりの奉迎とあって町民の喜びはひとしおのものがあった。層雲峡への途中、山あいの小集落でも、小旗を振ってお迎えする集落の人たちに、両陛下は、そのつどお車を徐行され、お手をあげておこたえになっておられた。