昭和四十三年の行幸啓より 北海道護国神社ご親拝

 天皇・皇后両陛下には、昭和43年8月31日12時18分皇居をご出門、日本航空特別機ダグラスC−8「ばんだい号」で東京国際空港から北海道に向かわれ、途中つつがなく14時15分千歳空港にお着きになられました。
 両陛下には、千歳市、札幌市をご視察のあと、9月2日、札幌市円山陸上競技場における北海道百年記念祝典にご臨場、親しく道民をお励ましになり、翌3日から、旭川市をはじめ道北各地へ御巡幸されたのでした。

以下、北海道護国神社史より引用。

 両陛下はこの日(九月三日)札幌をお発ちになり旭川に向われたが、旭川では全道消防大会、当神社、旭川工業高等専門学校においでになることになっていた。
 
定刻十時二十分札幌駅を出発したお召列車は澄んだ秋空のもと、豊かに稔る空知の水田地帯を北に進み、神居古渾の激流を右に眺めて十二時四十二分旭川駅にお着きになった。駅頭からの沿道ぎっしりの人垣と日の丸の波に両陛下は手を撮っておこたえになり、常磐公園の北道百年記念北海道消防大会にご臨席になった。

斎庭の奉迎者常磐公園をお発ちになった両陛下は沿道の市民の歓迎におこたえになりながら午後一時八分、神門前で下車された。 
 藤枝宮司がご先導申し上げ両陛下は六〇〇〇名の遺族、奉迎者粛然たる奉迎の中を拝殿前にお進みになられた。 
 ご拝礼の位置は畳一枚程の清められた白砂が敷かれていたが、両陛下はお並びのうえ、恭々しくご本殿に神鎮まります六万七六七柱のご英霊に拝礼された。列席の遺族の中にはこらえ切れずしきりに涙をぬぐう姿が見られる。
 両陛下ご拝礼後、期せずして万歳の嵐がわき上ったが、その音頭をとった奉賛会大見副会長の両頬も涙にぬれていた。
 両陛下は奉迎者一同の歓送にこたえられながら一時十三分、お車で次の行幸啓個所たる旭川工業高等専門学校に向われたが、ご拝礼の位置に敷かれた白砂は、奉迎者が群がってあとかたもなく持ち去られた。

この光景を見ていたのが当日記念講演をした佐古女史であったが、当時を回顧して昭和五十六年、靖国神社社報新年号に次の一文を寄せた。これを原文のまま掲げる。

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