兄妹 後編
 昼間から暗く、湿っぽい。そんな人から嫌われる要素をたんまり含んだ森を、一歩一歩かみしめるように歩いていた。
「……ガキだな」
 これは……嫉妬なのだろうか。家族の愛を一身に受け、何もなく幸せに生きてきた『妹』への。
「……でも、認めない」
 あんな、あんな守られることしか出来ないような、無力な少女など。
 なぜあんな少女が、世界一だと言えるのか。少年二人の心情が、志摩には全く理解出来なかった。
「バカみたいだ」
 期待して、損をした。あんな普通の娘だったなんて。
「あーあ……」
 つまらないと寝ころんですぐに、足音が聞こえた。
「――見つけたっ!!」
「なっ!?」
 寝ころんだ志摩の上、見下ろしているのは那智だった。
 そんな馬鹿な。なぜこんなに早く、ここに来られたんだ。こんな小さい少女の足では、ここに着くまでもっと時間がかかるはずだし、なによりもここを見つけられたこと自体が奇跡に近い。
「なんでっ……!?」
 慌ててその場から飛び起き、座ったまま一歩後ろに下がった。
 那智が、笑う。今はその笑顔さえも、不快に思えた。
「うんとね、小鳥さんとか、リスさんとかにみちをきいたの〜」
「何言って……」
 ホントにこの少女は、バカじゃないのか。
「みんな、ちゃんとはなせば、こたえてくれるよ〜?」
「……………近づくなって、言っただろ」
「でも、しまおにいちゃんにあいさつしてないもん」
 それだけで、ここまで来たというのか、この少女は。
 やはり、バカに違いないと確信する。
「俺はお前のお兄ちゃんなんかじゃない」
 吐き出すように言うと、那智は不思議そうな顔をした。
「なんで〜? さがみおにいちゃんも、かずさおにいちゃんも、しまおにいちゃんはアタラシイカゾクだっていってたよぉ?」
 ああ、イライラする。ムカつく。何かにこの苛立ちを、ぶつけたい。
 けどこの少女は、尊敬する人の大事な妹だ。ムカつくからって、傷つけるわけにはいかない。そのくらいの分別は、志摩にだってある。
「とにかくっ、俺はお前の兄貴なんかじゃねえっ、『お兄ちゃん』なんて呼ぶな!」
「うにゅう〜……わかった。じゃあ、しまクンって呼ぶから」
 母親がそう呼んでいるからだろうか。のんびりとそう言われ、志摩は肩を落とした。
「うんとー、あとそれとぉ〜」
「まだ何かあるのかよ」
 まだ何か言いたそうにする那智に、志摩はため息を落とす。
 那智のあめ玉の瞳が、志摩を射抜いた。
「なんで、そんなに泣いてるの〜?」
「……何を言ってる? 俺は泣いてなんかいない。見えないのか?」
 自分でも知らないうちに尖った声に、那智は怖がることなく志摩を見つめてくる。
「泣いてるよ。ココロのそこで泣いてるよ。きづいてないだけ。しまおにい……じゃなかった。しまクンは、ずっと泣いてたでしょ?」
 少女の声が、巫女の託宣のように聞こえる。
「バカ言うな! 俺は……俺は……!」
 泣いてなんかいない。親が死んだときも、優しい祖父が死んだときも、自分は泣いていない。物心ついたときから、自分は泣いた覚えがない。
 そういうふうに、生きてきたんだから。
「泣いてるよ……なんで泣いてるの……?」
 静かな声。眼差し。その存在。全てが、不愉快だった。
 全てを見透かすような、どこも見てないようなその不思議な瞳に、志摩はえもしれぬ感情を覚える。
 ゾクリと。背中に何かが走る。これは……
 ――恐怖か?こんな少女に、恐怖を感じているというのか。
「泣いてる……」
 そっと添えられた少女の手。ビクリと体を震わせて、志摩は思わず少女の手をたたき落とした。
 少女が、ぽかんとして志摩を見る。
「近づくな……」
 この少女が恐ろしい。そして、そんなことを思う自分に怒りを感じた。
 この少女は危険だ。自分にとって、とても。少女の一言一言が、心の深いところの突き刺さる。恐怖が、じわじわと溢れだす。
「俺に、近づくなっ!!」
 叫んで、駆け出した。後ろを見ないで、森の奥へ、奥へとひた走った。

 どれだけ走っただろうか。かなり奥まで来たようだ。森の暗さは最初の頃と比べものにならないし、小鳥の声も聞こえない。
 ふと立ち止まって体を見ると、あちこちに擦り傷が出来ていた。走っていたときに、木の根か何かにひっかかって転んだ気もするが……よく覚えていない。
 とにかく、がむしゃらに走ったのだから。
 少しの間、後ろから那智がついてきていたが、さすがに今はもういない。全力で走ってきた志摩に、あの七歳の少女が追いつけるはずがなかった。
 息が切れていた。荒い呼吸が、喉からもれる。
「水が……欲しいな」
 だが、こんな所では水なんて無いだろう。とはいっても、家に帰るわけには行かない。きっとあそこにはもう、自分の場所はない。
「いや……元から、なかったんだ」
 あると感じたのは、きっと自分の気のせいだったのだ。
 自嘲めいた、笑みを浮かべる。九歳の少年には似つかわしくない、何もかも諦めきった笑みだ。
 ガサガサガサ。
「――誰だ!?」
 音の方向を振り向くと、一人の男がいた。無精ひげを伸ばした、不健康そうな男だ。疲弊しきった男の表情が、驚きから暗い喜びに変わる。
「こんな所に子供がいるとは運がいい……」
 ――こいつはヤバイ。
 本能が告げていた。
「お前を使って、もう一回イイ商売が出来る……」
 不快な笑いを見せながら、男はじわりじわりと近寄ってくる。
 それにあわせて、ゆっくりと後ずさりながら……志摩は体をくるりと反転させ、全速力で逃げ出した。
「くそっ、待ちやがれ!!」
 だみ声を響かせ男が追ってくる。走りながらも志摩は、先程見た男の風体を思い出していた。
 目に見える範囲で、武器らしい武器は持ってなかった……と思う。マジックアイテムや隠し武器とかなら話は別だが。あの立ち振る舞いからも、男がそんなに戦闘経験のある者でないことも見て取れた。
「ぎりぎり……逃げられるか?」
 自分が子供で体格が足りないことの利点と不利点を思い描きながら、志摩は走り続ける。男の声から察するに、二人の距離は段々縮まっているようだ。
「くそっ……」
 悪態をつきながらも、走るスピードは緩めない。懸命に走って、今どこかすらわからない。元々、この森は不慣れだった。
「あっ!!」
 足に、何かが巻き付いた。そのまま抵抗も出来なく転び、とりあえず顔からいくのだけは防いだが、手がぼろぼろになった。しかも、一番ひどいアザを、もう一度痛めてしまったようだ。
「いっ……!!」
 顔をしかめる志摩の前に、男が現れた。
「やっと追いついたぞ、ガキ……。手間、かけさせやがって」
 忌々しげに呟く男の手にはおもりつきのロープ。そしてその先は、志摩の足にからみついている。
「おとなしくしてれば、大事に扱ってやる……」
 男を黙ってにらみつけ、最後のあがきとばかりに志摩は近くにあった石を投げつけた。石はそのまま、男の胸元に当たる。
「へっ、ノロマ!」
 バカにしきった声で言うと、男は黙って志摩の頬を殴った。
「ぐっ」
 口内に鉄の味が広がる。……切れたようだ。
「……自分の立場がわかってねえようだな。おとなしくしてれば、これ以上、何もしない」
 志摩は真っ向から男をにらみつけ、もう一度、ことさらゆっくりに言った。
「の・ろ・ま」
 男が、もう一度腕を振り上げる。次に来るであろう衝撃を覚悟して、志摩は歯を食いしばった。


 ばちん。
 音がした。音からいって、今度は平手打ちだろう。しかし、痛みはなかった。その代わりに、頬にさらさらとした絹のような感触があった。あと、なんだか暖かい。
「……?」
 ゆっくりと目を開けると、信じられないものを見た。
「え……な、ち……?」
 振り切ったはずの那智が、自分の代わりに男の平手打ちを受けていた。痛みのショックだろうか……那智は意識を失っている。
「おい……那智、那智っ!?」
 なんで……あれだけ近づくなと言ったのに……。
「あぶねえなあ、危うく拳で殴っちまうとこだったぜ……そんなの拳で殴ったら、飛んでっちまうわ!」
 手を揺らしながら男が再び近づいてくる。
 ――ヤバイ、このままだと。なんとかしてこの足にからみついたロープをほどかないと。
 なるべく平静を装いながら足のロープに手をやる……が、ほどけない。
「無駄だよ」
 そう言って、男がロープを引っ張ると、足首がさらにしまった。
「くそっ……」
 絶体絶命……。その時だった。
「……なんだ?」
 那智が、目を開けた。
「なんだ。娘ッコはもう目を覚ましちまったのか」
 覚めない方が都合が良かったとぼやく男に、那智が視線を向けた。そのままゆっくりと、その場に立ち上がった。
「那智……?」
 ホントに、那智だろうか?
 唐突に、そんな疑問が持ち上がった。
 那智以外でありえるはずがないというのに、志摩はそう思ったのだ。
 だって……今見えた那智の瞳が……水色ではなく、朱色だった気がしたから。
 いや、それだけではない。先程までの那智と、今の那智は、雰囲気が……立ち姿が……何もかもが違って見える。
 ――コイツハナンダ?
 そう思った瞬間、那智の姿がかき消える。
「なにっ!?」
 男の叫びと同時に、那智は男の後ろに回っていた。
「……………………………………」
 無表情、無言のままに、那智は男の指の関節を思い切りそらせた。男の顔がその激痛に歪む。
 そして痛みで倒れ込んだ男の足を、拾った石で思い切り叩いた。
 ごきり。
 鈍い音がする。骨が、折れたに違いない。男が絶叫し、そのまま痛みに転げ回る。
 那智はそんな男の姿を冷たく見ながら、志摩の方を見ると、黙って足にかけられたままのロープを解きだした。
 鮮やかな……鮮やかすぎる手並みだった。一片の迷いのない、冷静な判断と残酷なまでの手口。
 志摩はあ然とした。
 これが……これがあの那智なのか。のほほんとした、あの少女なのか。
 それとも普段のあの様子は、単なる演技とでも言う気か。
「歩けるか?」
 上総そっくりな簡潔な問いに、志摩は立ち上がることで肯定した。
 やはりその瞳の色は朱色で、その表情は那智と大分違っていた。
「お前は……なんだ?」
 その朱色の瞳の少女は、なんの表情も出さないまま答えた。
「わたしは……わたしは、那智の裏。血無と……そう覚えてもらえればいい」
 那智よりも大人びた、しっかりした口調。
「なぜ俺を助けた?」
 心からの問いに、血無は小さく笑う。その笑い方すらも上総に似ていて……やはり兄妹なのだと、意味もなく納得した。
「あなたが、わたしの兄だからだ」
 短い答えに、かみつくように反論する。
「兄ではないと、那智に言ったが?!」
「だが、那智は納得していないよ。そして何より、兄上たちがあなたを弟として認めている。ならばあなたはわたしの兄だ。他の誰でもない、あなたはわたしの兄なのだ」
 困惑する志摩に、血無は先程とはうってかわって優しく微笑んだ。
「那智の言葉に、声に、耳を貸してみるとよい。恐れないで……那智の言葉を。真実をとらえることを、恐れないで……」
 そのまま血無は、意識を失うように倒れ込んだ。
「お、おい!?」
 驚きながらも少女を抱きとめると、間髪入れずに再び少女の目がうっすらと開く。……今度は、今度こそ、水色だった。
「……無事か?」
 複雑な気分で問いかけると、那智は目を何回かしばたかせた。
「……しまおにい、じゃなくて、しまクン……? 大丈夫? 怪我とか、してない?」
「してないよ……お前が、庇ってくれたから」
「よかったぁ……」
 ほにゃらと笑う少女の姿に、目頭が熱くなった。
「無事で……良かった……」
 ぎゅっと、抱きしめる。
 今なら、今ならわかる。彼女を世界一だと言っていた二人の気持ちが。そして、少女の強さが。
 安堵の涙があふれて、頬を濡らした。その様子に慌てながらも、那智は笑った。
「……やっぱり、泣いてたんだね?」
「ああ……そうだな……」
 流れ出る涙を、那智が「いいこいいこ」と言って頭を撫でながらぬぐってくれる。そんな子供扱いも、今は気にならない。
 那智が怖かったのは、その瞳のせいだ。何もかも見通す、優しい瞳のせいだ。
 自分の弱いところを見つけられて、自分は苛立っていたのだ。
 怖かった。弱さをさらすのが、認めるのが。
 だから、ずっと泣かないで、自分の中に押し込めて……。あふれそうな想いをずっと隠してきたのだ。
 那智にはそれがわかった。見破られた。それを見破られて、自分という存在が危うくなるのを、弱くなるのを、志摩は恐れていたのだ。
 こんなに似ているのに……どうして気づかなかったのだろう?
 『泣いている』と言ったあの時の真剣な眼差しは相模に、その静かな雰囲気は、上総によく似ていたというのに。
「もう、泣いてない? もう、平気?」
 ああ、本当に……この少女は強い。
「平気だ……もう、大丈夫だ」
 自分も、この兄妹のように強くなれるだろうか? この兄妹の一員として、生きていけるだろうか。
「那智、帰るか?」
「うん、おにーちゃんたち、まってるもの」
 満面の笑みを見せた少女に、志摩は言った。
「ほら、おんぶしてやるから背中に乗れよ」
「うん、しまおにい……じゃなかった、しまクン」
 言い直す少女に、志摩はクスリと笑みをもらした。
「いいよ、志摩お兄ちゃんで……俺はお前の、『お兄ちゃん』だからな」
 那智が一瞬、じっと志摩を見る。照れて顔をそらす彼に、那智は今までとは一味も二味も違う、嬉しくてしょうがないという笑顔を見せた。
「……うん! うん! しまおにいちゃん!!」
「そうだ……さっきアメもらったんだ。やるよ、プレゼント」
 そして志摩もまた、『妹』に、アメと共に初めて見せるとびっきりの笑顔をプレゼントするのだ。
 こうして兄妹は、仲良く家路についた。


「とまあ……こーゆーわけだな」
 志摩はギャラリーにむかって頷いた。
「うん、那智は強いぞー。どーだ、これで満足か? 壱夜」
 そう言って同居人を見れば……彼は寝ていた。
「……………………スル、こいつ、いつから寝てた?」
「えっと、話の半分あたりから……」
 唯一真剣に話を聞いていた後輩を横にどけて、志摩は同居人の襟首を掴んだ。
 次の惨劇を予測したように、駿河は耳をふさぐ。それと、志摩の怒声は同時だった。
「起きんか、このボケナスうううううううううううううううううっ!!!」
「ぬはっ!? 何事ッ!」
 慌てて起きあがりよだれをふく壱夜に、志摩はにっこりと笑った。
「てめえ……人に話させておきながら、なぁに寝こけてやがるっ!?」
 まだ半分寝てるらしい壱夜は、ボケボケとした表情で「大丈夫、大丈夫」と呟いた。
「ちゃんとマジックアイテムで話は録音(とって)あるからー」
 ぷちっと、志摩が切れる音がした。駿河が慌てて部屋から逃げ出す。
「そおおおおおおおおゆうううううううう問題かあああああああああっっ!??」
「ぎゃああああああああああああああああああああああっっ!!??」 
 男子寮『ストキルト』の隅々まで断末魔が広がる。
 その発生源の扉の前で、一人難を逃れた駿河が手をあわせ合掌した。
「……なーむー」
 ――今日も『自由学校』は平和です。(多分)

                 〜とんでもねぇ勇者ども外伝・兄妹 終〜


〜あとがき〜
こんにちは、毎度おなじみ(嘘こけ)刃流輝です。
『とんでもねぇ勇者ども外伝・兄妹』を読んでいただき、ありがとうございます。
今回の外伝の主役は、本編の主要キャラではなく、めちゃくちゃ端キャラな那智の兄貴(しかも三男坊)の志摩です。
一体、本編を読んだ人で、どれだけの方が兄貴を気にかけてくださってるんでしょう。実はプロローグにしかいないし。身内には人気があったりするんですがねえ。意外と好きとおっしゃって下さる方もいましたし。でも……人気はわりかし長男次男に集中。三男肩身が狭いです。
そんなわけで、三男の人気を上げよう計画発動。いや、でも……また長男次男の人気あがりそうだ……。頑張れ志摩っ!! 私(作者)は君が好きだっ!
今回のゲストは志摩のルームメイト壱夜クン。それなりに気にいってます。
ちょっとばかし若い駿河は、あいかわらず苦労性です。あわれ。

ちなみにこの話の後、志摩はきちんと上総と相模を『兄』として認めます。本編プロローグでも上総を『兄貴』と呼んでますしね。
志摩と駿河は学校卒業後は会っていません。会ってたら、駿河は那智のことをもっとしっかり知っていたでしょうし。まあ二人のことです「縁があったら会えるさ。生きてたら会おうぜ」とでも言って別れたんでしょう。
今後駿河と志摩が再会する予定は……高いですね(笑)感動とかはないでしょうが。

ではでは、この作品が、少しでも楽しまれることを願って。
2002.5.6 刃流輝



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