兄妹 中編
 そこでの一番最初の記憶は、義父の声だ。
「今日からウチの子になる、志摩だ」
 今は亡き義父は、わりと厳格な人だったと記憶する。話のわからない頑固者ではなかったが、一本筋の通った、不真面目なのが大嫌いな職人気質だった。まあそれでも、やっぱり那智には多少甘かったが。
「志摩クンは、三男になるのね」
 そう言っておっとりと笑った義母。いつもゆっくり喋るのが癖。たれ目がちの、春の花のように可憐で穏やかな女性だった。那智の、のほほんとした天然ボケは、きっと彼女からもらったものだろう。
「じゃあ、お兄さん達を紹介するわね?」
 そう言われて出てきたのは、二人の少年。
 当時から無表情だった長兄、上総(かずさ)と、正反対に好奇心を丸出しにした次兄、相模(さがみ)。
 自分が当時九歳だったと考えると、上総は十五、相模は十二だったはずだ。
「本当はもう一人……そう、妹がいるんだけど、今おばあちゃんの所に行ってて、家にいないの。帰ってきたら、紹介するわ」
 そう言われたものの、正直言ってどうでもよかったのだ。
 半年ほど前に、たった一人の肉親であった祖父が死んだ。父は元からいなかったし、母は流行病で死んだ。ここに来るまでに、何件も親戚筋をたらい回しにされ、世間をシビアに見る癖もついていた。
 ――どうせここにもそう長くいねえだろ。
 最初がどれだけ愛想良くても、すぐに化けの皮ははがれる。そしてみな、決まったように言うのだ。
 ごめんよ、ウチにはもう余裕がないんだ――。
 脳裏によみがえる声に、自然と身が固くなる。
 まあ、いいとこ一ヶ月か。
 冷めた半眼であたりを見ながら、心の中で呟く。……今までで一番長い滞在時間が、それだったのだ。短い時は、半月以下だったこともあった。
「じゃあ、上総クン、相模クン、志摩クンをお部屋に案内してあげて?」
 ぽんと背中を叩かれて、前に出された。満面の笑みを浮かべて、次男が近寄ってくる。
「ほら、おいでよ! 部屋へ案内してやるからさ!」
 そう言って、力強く手を引かれた。
「あ……」
 人と手をつなぐなんて、久しぶりだった。
 今まで行った家庭でも、そんな風に触れてくる者はいなかった。どこか、はれ物のように志摩をあつかった。
 思わず声を上げてその顔を見れば、相手の方が驚きの表情をしていた。
「……? どうかしたのか?」
「……いや、なんでもない」
 首を横に振ると、安心したように笑う。
「じゃ、行くぞ! 上総兄ぃ、いこっ!」
「ああ」
 そのまま、半ば無理矢理のようなやり方で引きずっていかれる。
「…………………………………」
 二人の背中を見ながら、変なやつだと思った。
 どうせ、すぐに自分をうとむようになるのに。
 今だけ。物珍しい今だけだ。すぐに二人は、自分を無視し始めるだろう。
 それなら最初から、かまわなければいいのに……。
 家の中に突撃し、奥のわりと広い部屋に連れ込まれる。大きな窓と、床に転がったボールが目についた。
「ほら、ここが僕たちの部屋!」
「今日からは、お前もこの部屋に住むことになる……」
 めちゃくちゃ明るい次男と反対に、長男は寡黙だった。
 ぼそぼそと喋ってるようで、だがわりと聞き取りやすい。少年にしては低い声と、発音が良いせいでそんな風になってるのだろうと、志摩は見当をつける。
「三人だからちょーっと狭いかもしんないけど……まあ、なんとかなるさっ!」
 ……それは嫌味なのだろうか。
 そう思って相模の顔を見るが、そういうわけでもないらしい。
 少し、疑心暗鬼になりすぎているのだろうか……いや、それぐらいで、ちょうどいいのだ。油断なんて、片時も出来ない。
「隣の部屋は、妹の部屋。名前は、那智っていうんだ」
 そう言うと、思い出したように笑った。嬉しそうな、幸せそうな笑みだ。
「すげー可愛いんだ。もーなんつーの、世界一? ね、上総兄」
 隣で黙って相模を見ていた上総が、初めて笑みを浮かべていた。小さな小さな、気をつけなければ見逃しそうなものだったが、確かに笑っていたのだ。
「とりあえず、着替えて飯食おうよ。志摩、服あるか?」
「……少しは」
「まあ、なかったらないで、僕のを貸してやるからさ。少しでかいだろうけど、母さんに裾上げしてもらえばちょうどよくなるよ」
「まあ、その内父さんにいって買ってもらえばいい……」
 上総の言葉に、少なからず驚いた。
 何を言っているのだろう、こいつらは。たかが居候に服を買うつもりか? 子供が言ったところで、大人は承知しまい。世間知らずめ。
 嘲笑めいた考えを持ちながら、さすがに表情には出さずに服を脱ぐ。
 その時急に、腕を痛いくらいに掴まれた。
「なっ……!?」
 なんだ。とうとう喧嘩か? 上等だ。
 今までもこうやって親のいないところで喧嘩をふっかけてくる奴等はいた。だが、全て逆に叩きのめした。今回だって、負けるつもりはない。
 きっ! とにらめば、上総だ。彼も着替え中のはずだったが、無表情の上に、静かな怒りを含んでこちらを見ていた。
「………………………………………」
「……?」
 静かにこちらを睨む上総の様子が、何かが違う気がして首をひねった。
 これは……喧嘩を売っているのとは違う気がする。……怒っているのは確かの様だが。
「上総兄?」
 沈黙に絶えきれなかったのか、疑問に思ったのか。両方かもしれないが、相模が恐る恐る兄に声をかけた。
「……これは、一体、なんだ」
「へ?」
 一言一言区切るように言われた視線の先にあるのは。
「あちゃ。なんだよ、このアザ! ひっでーなぁ。ってゆーか、全身にあるんじゃないか、これ……」
 顔をしかめる相模。上総も眉の間にしわを寄せ、お世辞にも機嫌がいいとは言えない。
「……別に。たいしたことない」
 鬱血して青紫に変色したこれは、喧嘩の痕だ。今までの勲章と言えば、そうかもしれない。多少痛みはするが、その痛みにはもう慣れた。
「たいしたことないって……」
 たいしたことあるだろうとつぶやいて、相模が途方に暮れた。
「なぜ手当てしない?」
「――必要ない」
 言い切ると、微かに上総の眉がはねる。
「座れ」
 無理矢理腰を下ろさせられた。そして「少し待ってろ」と言い捨てて、上総がどこかへ行く。
「一体どこへ……」
 訝しげに言った志摩に、相模は小さく笑った。
「心配すんなって。悪いようにはしないから。少なくとも母さんには言わない。このアザ見たが最後、母さん卒倒するよ」
 けたけたと、まるっきり茶化すように笑っていたが、次の瞬間その瞳は真剣なものへと変わった。
「――誰に……」
「え?」
「誰にやられたんだよ?」
 それまでの明るさはなりをひそめ、相模は真っ向から志摩を見つめていた。
「誰にって……覚えてないよ」
 もう、覚えていない。どの傷が誰にだなんて覚えてるのもめんどくさかったから、全部、忘れた。とりあえず、一番痛いのが最近のものだということぐらいしかわからない。
「覚えてないって……本気で?」
 信じられないと相模。
「別に……やられっぱなしじゃないし、同じだけやり返したから、どうでもいい」
 相模の顔を見るのがなんか嫌で、ふいっと横を向く。相模が小さくため息をついているのを感じたが、そのまま無視した。
 扉が開き、箱を持った上総が帰ってきた。
「上総兄、お帰りっ」
 すっと、相模がいつもの笑顔に戻る。
「アザは……上半身だけか?」
「まあ、大体……」
「そうか」
 上総が箱から湿布を取りだし、ハサミで切り始める。手の平大に切ったそれを右手に、左手で志摩の腕を持ちながら簡潔に言った。
「しみるぞ」
「――っ!!」
 腕に貼られた湿布は、冷たさもさることながら、薬用なのか、上総の言うとおりかなりしみた。必死になって歯を食いしばった。
 相模もよくこの湿布にお世話になっているのだろう。同調して痛さをこらえるような顔をしている。
 手当をされる志摩の横に、相模はちょこんと座り込んだ。そして力を込めて言った。
「今度喧嘩するときは、僕を呼びなよ? 一緒にやってやるから」
 本気で「そうしたらこんなにひどい怪我はしないだろう?」と笑う。
 あ然とする志摩の横で、上総がさらに言う。
「どうせ喧嘩するなら、もっとうまくやるんだな。怪我を負うようじゃ、まだまだだ」
 怪我をするような腕で満足するなと。今度戦い方を教えてやると、上総が言った。
「なんで……そんなこと……」
 わからない。わからない。どうして、どうして他人の自分にこんな事を言うのか。
 なぜたかが居候に、こんな気をつかって、怪我の手当までするのか。
「だって……」
 二人の少年が、目を合わせる。小さく笑い、声を合わせて言った。
『お前は弟だろう?』
 その笑顔に、言葉に、暖かさに。ついつい、信じてしまいそうになる。
 ついつい、寄りかかってしまいたくなる。
 だめだ。だめだ。信じちゃダメだ。結局みんな裏切るんだから。
 ダメだ、ダメだ、ダメだ。でも……でも、少しだけなら……。

 二週間。それだけ平和にすぎた。
 新しい居候先はなかなかに居心地が良かった。そこの家族は全員、安心出来た。
 父親いわく、近いうちに自分を正式な養子に迎えるらしい。そんなことをして後悔しないのかと聞くと、彼は大笑いした。細かいことは気にするなと。
 とりあえず、まだ帰ってきていない例の『妹』とやらが帰ってきてからのことになるらしいが。
 上総と相模を、未だ兄とは呼べない。が、認めてはいる。兄として認めたのではなく、その人間性を認めている。
 彼等は強く、優しかった。そう、自分とは違い。なんというか……器がでかいというのか。でもやはり、最初に目についたのはその強さだったのだが。
 その歳に似合わない強さを、彼等は持っていた。志摩も自分では強い方だと自惚れていたが、そんなものは遙か彼方へ追いやられた。彼等の身のこなしと言ったらもう……とにかく、初めて負けたと思ったのだ。
 だから、自然に興味がわいた。二人が世界一という『那智』という妹の存在に。
 彼等二人があれだけ言うのだ。どれだけ素晴らしいものなのか。自分より二つ下だというその少女は、一体どんな存在なのか。
 そして今日、少女は帰って来るという。初めての対面に、期待が高まる。
 こころなしか、今目の前にいる二人の少年も、どこかソワソワしてるように見える。
「おい、相模。那智ちゃん帰ってくるのか?」
「そうなんだ。久しぶりだからさ、ドキドキするよ」
 近所にいる他の子供たちにも人気が高いようだ。朝からずっと、この質問と答えが繰り返されてきた。
「ああ、今帰りかい? 三兄弟よ」
「あ、おっちゃん!」
 雑貨屋の親父さんだった。麦わら帽子の下の目が、三日月型になっている。
「今日は那智ちゃん帰ってくるんだってな。ホラよ、これ持ってきな!」
 相模と上総にアメが渡された。
「志摩、お前も受け取りな」
 目の前に出されたアメに、恐る恐る手を伸ばした。
「……ありがとう」
「いいってことよ! 志摩は今日初めて那智ちゃんに会うんだろう? これ、那智ちゃんに渡せよ!」
 もう一本アメを渡し、雑貨屋の親父はニカッと白い歯を見せて笑うと、大荷物を抱えて去っていった。
「母さんの頼まれものも買ったし、帰ろうか?」
「買い忘れはないか?」
 志摩はポケットからメモを取りだした。ざっと目を通し、頷く。
「ああ、ないと思う」
「じゃあ、行こうか」
 三人の手にはそれぞれ買い物袋。那智が帰って来るというので、母がご馳走を作ると張り切ったのだ。
 少し急ぎ足で家まで向かう。すると、家の前に馬車が止まっているのが見えた。
 相模が顔を輝かせた。
「上総兄っ、あれってもしかして……!」
「……帰ってきたみたいだな」
 相模が駆け出した。
「おい、相模っ!……仕方ないな」
 上総が、志摩を向いて苦笑した。
「志摩……俺達も行こう」
 期待で胸をいっぱいにしながら、上総の後をついていく。家に近づくと、相模が誰かを抱きしめてる様子も見て取れた。きっと、あの抱きしめられている人物が『那智』なのだろう。
「……那智、相模」
 上総が声をかけると、相模に抱きしめられていた人物が、もぞもぞと動く。隙間から、黒い髪の毛が見えた。相模が笑いながら、名残惜しそうに手を離す。
「――かずさおにいちゃん!!」
 小さい何かが、飛び出してきた。そして、上総にしっかりと抱きつく。それに、上総の鉄壁の無表情がほころんだ。
「……那智」
 ――あれが?
 思考がいったん中止した。目の前にいる生物が、信じられなくて。
 全員が、にこにこと機嫌良くしている。視線が、一人に向かう。
 あれが、那智。
「嘘だろ?」
 思わず呟く。
 那智は……志摩の尊敬する二人の少年が誇らしげに語った妹は、なんの変哲のない小さな少女だった。
 肩までの黒髪と、大きな水色の瞳。たれ目は母譲りか。舌っ足らずな甘い声。どこからみたって、どうって事ない少女。むしろ、年よりもさらに幼く見えるし、どこかマヌケそうというか、バカそうというか……。
 期待とは、全く違う。
 那智が、志摩を見た。どこか頼りない足取りで、近寄ってきた。
「あなたが……しまおにいちゃん?」
 耳に響くその声が、とてつもなく不快だった。何も言わずにただ見つめていると、ほへらっと笑う。
 それがまた、不快だった。
 なにが? わからない。ただ、気に入らない。
 しいて言うなら、その目か。真っ直ぐな、汚れのないその目が……気に入らない。
 ――壊したくなる。
「……怪我したくなかったら近づくな」
 ただそれだけ言い捨てて、後ろを向いた。
「ほえ?」
「俺に、近づくな……うざい」
『志摩!?』
 上総と相模が、驚愕の、そして非難の声を上げる。
「俺は……その『妹さん』とは、悪いけどうまくやれない……そーゆーこと」
 やっぱり自分は他人なんだと。この家の者ではないと実感した。
 近寄れない。あの暖かな雰囲気の中へ、入り込めない。
 わたわたする一家族を後目に、志摩は走り出した。家とは真逆――森の方向へと。



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