兄妹 前編
 めんどくさい宿題が一段落して、窓の外を何気なく見れば、白い花が空から降っている様子が見えた。
「……雪か」
 どこか嬉しそうに呟いて、鳶色の髪の少年、志摩(しま)は椅子から立ち上がり、窓の方へと歩み寄った。
 冷たい風が入ってくるのにもかまわず、彼は窓に手をかけ、そして開けた。
「あっちも降ってんのかな?」
 気まぐれのように降ってくる雪を手の平で直に感じながら、志摩は我が家を思い出していた。
 ここは、志摩が現在通っている『エキトラ』の男子寮『ストキルト』だ。
 『エキトラ』とは、年齢、性別、宗教や人種など、ささいなことにはかまわずに、とにかくやる気がある人間に学ぶ場を提供するという目的のため、ごく最近(とは言っても数年経つが)作られた、かなり大規模な学校だ。
 その個性的な校風ゆえに『自由学校』などと呼ばれている。
 どちらかと言えば辺境な土地にあるのは、その大規模さゆえの敷地にかかる金額を考えてのことと、この学校の創立者がこの土地を気に入っているかららしい。
 しかし辺境にあり、国認可でないというのに、エキトラへの入学希望者は、普通の二倍から三倍近い。未だ未認可なのが信じられない生徒数だ。
 認可がおりてないのは、おかしい。いや、近いうちに認可がおりるのだ、とエキトラを知る人は言う。
 その噂を聞き、周辺に暮らす者達だけでなく、遠くからの希望者がいるのは、至極当然のことで。
 そうして、志摩が現在いるような寮が存在するのだ。
 もちろん家から通う者、親戚の家から通う者などもいるが、遠くから来ている者は、たいがい寮に住んでいる。下宿などより、よっぽど安いからだ。
 かくいう志摩も、かなり遠いというわけでもないが、毎日通えるような距離ではなかったため、寮に部屋を取ってある。個人部屋ではなく二人部屋だが……まあ、快適と言っていいだろう。同居人も、悪いやつではない。
 金さえ払えば、一人部屋になることも出来るが、志摩は実家にそれほどの負担をしいろうとは思わなかった。なにせ実家にはすでに両親はなく、今自分をこうやって学校へ行かせてくれているのはすでに働いている兄二人なのだから。
 黒髪のいつでも冷静な長兄と、薄茶色の髪をしたハイなぐらいに明るい次兄を思いだし、その対照さに一人笑う。
 自分が家族と全然似ていないのは、養子だからだ。だが、そんなことはどうでもいいと、血のつながりなど関係ないと、今は思える。
 そして、一番鮮やかに思い出せるのは、長兄と次兄の特徴を受け継いでる大切な者。自分達兄弟が、大事に見守る末っ子だ。
 そんなことを考えながら窓の外を見続けていると、部屋の戸がコンコンと来客を告げた。
「おう、入ってこい」
 愛想も何もなくただそう言うと、扉は遠慮なく開いた。
「ただいま〜」
 肩に積もった雪をほろいながら入ってきたのは、同居人にして同級生の壱夜(いちや)。そしてその後ろにいるのは、見知った一つ年下の後輩だった。
「なんだい、この寒さは……って、ああっ、志摩! なにこのクソ寒い中窓なんて開けてるんだい!? 今は冬だよ、冬っ!!」
 季節感がないと文句をつける同居人に、志摩は苦笑しながら窓を閉めた。
「いいじゃねえかよ。つい見とれてたんだよ、雪にな。雪見だ雪見」
「雪見って……だからって窓開けっ放しはないだろう? 寒いんだよ、部屋が! これじゃ外と全然かわんないじゃないか」
 壱夜の抗議を無視し、志摩は閉めた窓の方をもう一度向いた。
「これで酒があったら完璧なんだけどな……そう思わねえか、スル?」
 先輩二人の掛け合いに噴き出すのをこらえていた赤茶の髪を持った後輩は、いきなりその『スル』という愛称を呼ばれて少し驚いたようだ。
「未成年にきかんでくださいよ」
 はしばみ色のその瞳が、戸惑いと笑いで揺れている。
「相変わらずスルは頭がかてぇな。俺だって十六、未成年だぜ?そんなこっちゃでかくなれねえぞ?」
「背は関係ないでしょうがっ!!」
 かみつくように抗議する後輩に、志摩は大笑いした。
 年のわりには背の小さい後輩をからかうのは、志摩の趣味のようなものだ。弟とはこのようなものなのかと、いつも思う。
 この後輩の名は、駿河(するが)という。志摩や壱夜などと違い家から通っているらしいが、寮に友人が多いので、よくこうやって男子寮『ストキルト』にやって来る。
 もちろん、その友人の中に志摩が入っているのは言うまでもない。
「あ、そうだ先輩。先輩宛に手紙来てたけど?」
「なにっ!?」
 ここまで持ってきたと、ごそごそと懐を探っている後輩を待ちきれず、自ら他人の内ポケットへ手を突っ込んで、強引に手紙を取り出す。
「先輩っ、なぁにすんすか!!」
「ははは。相変わらず鬼だな、お前」
 怒る後輩、笑う同居人を無視して、志摩は自分の机の引き出しからペーパーナイフを取り出す。そしてそれはそれは丁重に……先程、駿河から手紙を奪ったのとは比べものにならないぐらいに気をつかって封を開けた。
 そしてさらに丁寧に手紙を取り出すと、ゆっくりと目を通す。
 見覚えのある字が、『一生懸命!』といった感じに便せんいっぱいに書かれていた。便せんから微かに香るのは、今栽培してるハーブだろうか。
 何回も何回も、一字一句読み落とさないように見て満足すると、彼はまた、今度は手紙がしわにならないよう、細心の注意を払って封筒に戻した。
 封筒の表にはここの住所と志摩の名前。そして裏には封筒、便せんともに共通する丸っこい文字で『那智』(なち)と書かれている。
「また、お姫さまからかい?」
 からかうように言われた一言に、なんだかカチンと来るものがなかったわけではないが、素直に頷いた。
「お姫さまって……妹さんでしたっけ?」
 首をかしげた駿河に、壱夜がにっこりと笑う。
「そうそう、大事な大事な妹君! このエキトラの格闘科でいつも上位をキープしてるこいつが重度のシスコンだなんて……笑えるよねえ」
 そう言って本当に大笑いする壱夜に、とりあえず頭を殴っておく。
「はっ! 可愛いものを可愛いと言ってなにが悪い!」
 確信を込めて「うちの妹は世界一可愛いんだ」と言えば、壱夜がぱちぱちと手を叩く。嫌味なものではなく、純粋に賞賛としての拍手だ。
「いいね、志摩は。ホント家族を大切に思えて。うらやましいよ」
 どこか自嘲するように、壱夜が呟く。
 詳しく効いたわけではないが、壱夜の家の家庭は何やら事情が複雑らしく……彼いわく「あんな家に愛情なんてもてないね」だそうだ。この学校に来たのも、とにかく家から出たかった一心からだという。学校ならば、誰も文句は言わない。
「どんな子ですか?」
 駿河が、興味津々と言ったようにきいてきた。それをジロリと睨むと、志摩は後輩の首を絞めるマネをした。
「ふふふふふふ……うちの妹に手を出そうとは、一億とんで百五十三万五千百一年早いわ!!」
「なんですか、その具体的すぎる数字はっ!! つーか、手なんて出しませんよっ!」
「なぬっ、うちの妹じゃ不満だと言うんか、お前はっ!!」
「そんなこと言ってないいいいいいいいいいいいっ!」
 このまま模擬格闘戦に移りそうだった二人を止めたのは、壱夜だった。
「で、結局。どんな子なわけ? お前の大事な姫君は」
「あれ? 壱夜先輩は、聞いたことなかったんですか?」
「なかったんだわ、これが」
 二人に言われ、志摩はしばらく考え込んだ。すぐに、脳裏に彼女の姿が映し出される。
「そうだな……名前は那智って言うんだ、可愛いだろ。とりあえず髪は、壱夜と同じ黒。まあ、あいつの方がきれいだけど」
「はいはい、それで?」
 先をせかす壱夜に、とりあえず続けた。
「瞳はあめ玉みたいな水色。普段から可愛いが、歩く姿も、食べる姿も可愛いぞ。笑ったら無敵だな。ちなみに年は、スルの一個下。……ああ、そうそう、あれだ。リスの変種……なんて言ったけ、ハムスター? に、似てるかな」
 志摩の描写に、二人は何やら考え込む。
「小動物系って事か。ふむふむ。確かに可愛いかも」
 納得する壱夜とは反対に、駿河は微妙に首をかしげている。よく、わからなかったらしい。そんな様子の駿河を見て、壱夜が意地悪く笑った。
「やっぱりスル君は子供だねえ?」
「……子供いわんで下さい」
 ムッとしたように眉をひそめた後輩の頬を、「スル君は犬かな〜?」とちゃかしながら壱夜は引っ張る。そしてそのまま問いかけてきた。
「なあなあ志摩。なんでそんなに妹が可愛いんだい?」
 一体、こいつはなにが言いたいのだろう?
「はあ? そんな、訳なんざあるかよ」
 その言葉に同居人は人の悪い笑みを浮かべ「嘘ばっかり」と呟いた。
「お前が好意を寄せるのは、自分で認めた者だけだからな……スル君にしたってそうだろ? 後輩だからじゃなくて、認めたからこうして可愛がってるんだろうさ。そんなお前が、妹だ何だだけで、猫可愛がりはしないはずだとふんでるけど?」
 好意を寄せるのは〜のあたりに激しく心当たりがあった。
 さすが……と、少し動揺する。
「本当に兄弟だって言うなら信じるかもしれないけど、お前確か養子だったろ? そこまで大切に思えるのはなぜか……それを僕は知りたいんだ。それとも、血より濃い絆とでも言うつもりかい?」
 もとより血なんて信じていないけどな、と言いながらも、壱夜の目は挑戦的にこちらを見ていた。
「なにか、あったんだろう?」
 いつものことながら、壱夜ははっきりとものを言う。まあ、そこが気に入っていると言えばそうなのだが……他の人間が壱夜を『きつい』と言っている気持ちが、少しわかった気がする。
「……鋭いな。まあ、あったと言えば、あった……かな?」
 だいぶ昔の話だけれども。
「だろう? それが、聞きたい……どうしてそんな気持ちが持てるのか、研究出来そうだからね」
「研究?」
 訝しげに問い返すと、壱夜はそれは爽やかに、かつ穏やかに微笑んだ。
「志摩の性格からいって、妹なんてめんどくさいと言ってた気がしてねえ。それがどうしてこんなシスコンになったのか、研究のしがいがあるよ」
「あの頃俺も若かったからなあ……環境も環境だったし」
 苦笑しながら呟くと「先輩、あんたいったいいくつだ」と、駿河から鋭い裏拳つっこみが入った。
「まあ、とりあえず……その心当たりとやらを話してくれないかい? 我が親友よ。僕の輝かしい未来のために」
 嘘くさいまでに神々しい笑顔でにじり寄る親友の様子に、志摩は大きくため息をついた。
 いまいち理屈がわからなかったが、こうなってしまった以上、壱夜に理屈は通用しない。さっさと話した方が身のためだということは経験上わかっている。
 もう一つため息をついて、話す決心をした。
「しゃーねえなあ」



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