第七話 白き密室の幽鬼 後編

《だがな真澄よ、こちらとしても退くわけにはいかぬ》
《お主の不在中、新しい頭は立てた。だがあれはいかん》
《そう、真人(まさと)ではいかんかった。アレは外見はともかく中身がない》
「真人だと?」
 言われて、『真人』を思い出した。真人とは自分がいなかった場合の東城家跡継ぎ――いわゆる第二当主継承者――だった。
 だが、どうにもそれほどの器とは思えない。東城に生まれ教育を受けた以上、ある程度のことは出来るだろう。しかし、それは本当に『ある程度』に過ぎない。東城家……ひいては巨大な東城グループを率いることが出来るとはお世辞にも思えなかった。
「真人がやっているのか……なんだ、とうとう東城に終止符をうつ気になったのか?」
 そりゃめでたい、との真澄の軽口に、長老が《だからこそ!》と力をこめる。
《お主の力がいると言った》
 そこまで言われて、真澄も長老たちの言わんとしていることに気づく。
「――真人を傀儡(かいらい)にしようってわけか」
《……………………》
 長老たちの沈黙が、何より雄弁な答えだろう。
 お飾りのお山の大将をとりあえずおいておいて、そいつのフォロー――いや、それどころではない、ほぼ全部の仕事をこっちに回そうというのだ。
 なるほど。確かにそうすれば、今までやっていたことを再び真澄がやるわけなのだから、変わらない成果が期待できる。
 そんな一笑にふしそうな、ばかばかしいカラクリを考え出すほど、真人はこの老人たちにとって頼りなかったわけだ。
「……真人は知ってるのか? あんたたちのやろうとしていることを」
 顔だけしか求められないなど、屈辱以外のなにものでもないだろうに。少なくとも自分ならば、ふざけるなと怒鳴るぐらいではすまない仕打ちだ。
《お前がやるとは知らぬ。しかし、自分が傀儡になることは了承した》
《それも二つ返事で、な》
「それは……」
 二つ返事という単語に、思わず目が点になる。
 半ば呆れて続けようとした言葉は、長老がつむいだ。
《あやつにプライドなどない。それがあやつの最大の愚かさ》
《――これでわかったじゃろう、真澄。今の東城がどういうことになっているのか》
《お主という東城の申し子が生まれたからか……お主以外の者はすべて役にたたんのが現状》
《お主の力、どうしてもいる》
《働き次第ではどんなものも与えてやろうぞ?》
《真澄》
《真澄……》
 体にまとわりつくような、甘く粘っこい声。
 どうにかして真澄を絡め取ろうとしているそれには、かつてと同じく嫌悪感しか感じなかった。だからこそ、真澄は一言で応じる。
「――断る」
 なんのためらいも含まない声に、長老が悲鳴を上げた。
《真澄っ……!》
「くどい」
 どこまでも断ち切るようなそれに、沈黙が落ちる。
 しかし、長老たちの壊れたような含み笑いが聞こえるまで、さほど時間を要さなかった。だんだん大きくなるそれに苛立ちが最高潮に達した時、真澄にはけして聞き逃せない台詞を、長老がはき出した。
《なあ真澄、あの娘……なんといった》
「――っ!?」
 顔から血の気が引いていくのが、自分でもわかった。
 まさか。まさかこの老人たちは。
 たどり着いた答えに震えそうになる自分を叱咤しながら、真澄はなおもカメラを――その先の老人たちをにらみつける。
 だが、こちらの動揺に老人たちも気づいているのだろう。彼らは楽しそうな嗤いを隠さずにしゃべり続けた。
《そう、確か……瀬川樹(せがわ・いつき)、だったか》
《お主はずいぶんと、気にかけておったようじゃのう》
 猫が鼠をなぶるように、老人は遠回しな揺さぶりをかける。
 冷たくなってきた指先に力を込めながら、真澄は必死に皮肉気な表情を作り上げた。
「言うことを聞かなければあいつを殺すとでも? ずいぶん短絡的だな。だが、あいつが消えるなら、なお俺にはお前たちの言うことをきく理由がなくなる」
 虚勢を見破った老人たちは、いびつに嗤う。
《まさか、殺すなど。そんな野蛮なことはせぬよ。なにせ……殺してしまっては楽しみが一回で消えてしまうからのう》
 喉に嗤いをためて、老人はそれを『楽しみ』で『遊び』なのだと言い放つ。
《痛めつける、なら何度でも出来るじゃろう? 最近は物騒な世の中だから……通り魔、強姦魔、誘拐犯と、不安要素はいくらでもあるな》
 わざとらしく《世の中とは恐ろしいのう》なんて、恐ろしいなどと欠片すら思ってない声音でつぶやく。
「貴様らっ……!」
《おや。顔色が悪いようじゃな。どうした真澄》
「そんなことしてみろ……ただではおかない」
 殺意すら込めた本気の宣言を、長老は余裕で受け止めた。
 形勢は今、逆転したのだ。
《その牢獄で、なにが出来る》
《助けることも、守ることも。何も出来はしないじゃろう?》
《それでも、娘の状況だけは報告してやろうとも》
《なんなら、疑いなどもてぬよう、物的証拠を揃えてやってもよいぞ?》
 彼女をいたぶるだけじゃあきたらず、その様子まで克明に記録してくれるというのか。さらに彼女を辱めるというのか。
 そんなことは許せない。許すものか。
 だが、長老たちの言葉は全て真実。
 老人らは自分を動かすためだけに、彼女をいたぶるだろう。そして囚われたままの自分には、傍観という最悪のこと以外なにも出来ない。  
 ぎりりと、唇をかむ。
 力が欲しいと、切実に願った。
「…………が望みだ」
《真澄、なんと言うた?》
 つぶやいた内容に気づかないはずがない。それでも老人は聞き返す。真澄自身に無理に選ばせ取引させるために。
 意地が悪いどころの話ではない。カメラを壊したい衝動を抑えつけ、真澄は怒りに燃えた目で一言一句、はっきりと言い直した。
「何が望みだと、そう聞いている!!」
 半ばやけくその叫びに、老人たちは深く満足したようだった。ほう、というため息の後、勝ったとばかりの声がする。
《やる気になったようじゃな》
「はっ、笑わせる。やる気にさせたのはそっちだろう」
《ほっほっ。わしらはなぁんもしとらんよ。例え話をしただけじゃ。そしてお主は快くわしら年寄りの頼みをきいてくれた……そうじゃろう?》
 うなずきなどしなかったが、それでも取引が成立したのは事実だった。
 愛しい女の安全と、自分のこれからの幽鬼としての人生。秤にかけるまでもない、選ぶのは前者だ。
「いいだろう。のってやるさ、貴様らのばからしい取引とやらに。だが覚えておけ。あいつに少しでも手を出したなら……!」
「わかっておるとも。これは正当な契約、約定は違えぬよ」
 老人の誓いに思わず安堵のため息が落ちた。それを見た者が、呆れと喜びの混じった声で揶揄する。
《愚かよの、真澄。賢しく、愚かじゃ》
《こうなることを思えば、まああの小娘も役に立ったということか》
《詳しい話はまた後ほど。それまでゆるりと過ごせ》
 ぶつん、と。始まりと同じように唐突にスピーカーが音を立て、切れる。
 そうして部屋に真の沈黙が戻った瞬間、真澄は己の拳を壁に叩きつけた。
「くそっ!!」
 そのまま二度、三度と、白い壁に赤がつくのにもかまわず、くりかえし苛立ちをぶつける。
 肩で息をしながら、真澄はうめくようにつぶやいた。
「三年。三年だ……」
 三年でやってみせる、絶対に。
 決心と、覚悟。誰にも見せないそれを心に秘め、真澄はもう一度壁を殴った。


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