第七話 白き密室の幽鬼 前編

 目を見た瞬間に確信した。
 ああ、この女が自分を殺すだろう。この女のために、自分は死ぬだろう、と。
 そしてそれは、現実となった――はずだった。


 覚醒したとき、まず目に飛び込んできたのは虚無的な白だった。
 布団はもちろん、部屋の壁紙さえも潔癖なほどの冷たい白に染められたその部屋は、どこか薬臭い。
 とっさには状況が把握できず、緊張しながら身を起こす。手も足も自由に動くし、物質的な感覚もたしかにあった。
 ……生きて、いる。
 そう思った次の瞬間、気を失う直前のことを思い出し、自然と舌打ちがもれた。
「俺は……」
 ――死に損なったのか。
 唇だけを動かしてつぶやくと、部屋に隅にあるスピーカーが突然うめくような音を立てた。
《目が覚めたようじゃな、真澄(ますみ)よ》
 じじっというノイズに混じって聞こえる声は、ノイズ以上に不快なしわがれた声で、真澄はその主に一瞬で気が付く。
「……長老か」
 悪夢の再来以外のなにものでもない。
 そう忌々しさを隠すことなくつぶやけば、ひび割れた音は嗤いを形作った。
《お主のそのような顔、初めて見たわ。なるほど、それが正体というわけかのう》
 重なり、音が猥雑さが増す。
 どうも『向こう側』には、悪夢が数人そろっているらしい。しかもこちらの表情まで読み取ったとなれば、監視カメラもあるはずだ。
 そう思い部屋をぐるりと見渡せば、それはすぐに見つかった――隠すつもりもないらしい。明らかな監視カメラが一台、真澄に向けて冷たく光っている。
 ベッドから降りると、真澄はカメラの前に身を置き、向こう側にいるだろう長老たちをにらみつけた。途端、スピーカーが騒ぎ出す。
《ほっほっほ、威勢の良いことじゃ。死にぞこないのくせにのう》
《ほんになあ。おまけに、大馬鹿者じゃ》
《そうじゃ、愚か者じゃ》
 かんに障るしわがれた声。なにもかも変わってなくて、かえって笑えそうだ。ああ、本当に嬉しいとも。あいもかわらず反吐を吐きそうな空気が充満してる。
「その愚かな大馬鹿者に、なんの用だ」
 真澄の問いかけに、老人たちの笑い声が止まる。しばらくの物々しい沈黙の後、いらえが返ってきた。
《お主に、やってもらいたい仕事がある》
「ほう……?」
 くっ、と思わず皮肉気な笑みが口元に浮かぶのがわかった。
「仕事。この『愚か』な『死にぞこない』にか」
 嫌味を込めた言葉に、長老たちは当然とばかりの声を返す。
《この仕事は、死にぞこないの、死人にしかできないからの》
「……へえ?」
 言葉の裏に宿る意味を気づいたのと同時に、《ああ、そうそう。忘れておったわ》という、わざとらしいつぶやきがされた。
《まず言っておこうかの、真澄。この世にお前という存在はもうない》
 その意味は、言われなくとも知っている。
 長老は、自分を『死にぞこないの死人』だと言った。
 その意味は、たった一つしかないではないか。
 次に来る言葉を予想し、真澄は目をつぶる。
《――お主はもう死人。なにせ鬼籍に入っておるからのう》
 ほら、予想通りだ。
 すとんと落ちてきた言葉に、真澄は目を開ける。目の前に広がるのは、変わらない白い世界に冷たいカメラ。
《葬式も、お主が寝ている間にもうすんだ。お主という存在は、もはやこの世界で認められておらん》
《お主がさまよえる場所は、もはやその白く狭い世界のみ》
《それとて幽鬼として。人として生きることは、もはや不可能と考えよ》
 すらすらと、よくもまあそんな台詞が出てくる。よほど長老間で練習したのだろう。
 まあ、それも当たり前か。長老方のなにより大事な『東城家』の『跡継ぎ』であるこの自分が『自殺』なんてしたのだから。
 スキャンダルはすぐに広がる、もみ消すにも一苦労だったろう。大あわてで『病死』、もしくは『事故死』として片づけたに違いない。その損害が、いったいどれだけのものか……考えるだけで笑いが止まらなくなる。
 ――ざまあないな、狸ども。
「相変わらず底の浅いことだ。『東城(とうじょう)』の名に傷がつくことをおそれたか。はっ、いつもご苦労だな?」
 嘲りもあらわに笑ってやれば、それはよほど老人たちの気に障ったらしい。甲高い猿のような鳴き声がスピーカーから放たれた。
《うるさいわ、小童! この面汚しめが!!》
《東城家の世継ぎともあろう者が……なんたる体たらく!》
《わしらが今回のことでどれだけの犠牲を払ったとおもうておる!?》
《お主ともあろう者が何を血迷った!》
《好きなおなごがいるなどと、一時の気の迷いだと思っておったのに……世継ぎであるという立場を忘れおって。この家を盛り立てる以外にお主の意味はなかったのだ!》
《ああ、情けない。東城ともあろう者が、一般人の娘などに骨抜きにされおって。まったくもって嘆かわしい……!》
 あまりの声量に、スピーカーが悲鳴を上げる。脳天に突き刺さるような音は老人の声とあいまって、顔をしかめるに十分だった。
 ぎゃんぎゃんと騒ぐ老人たちは、心底うっとうしい。不本意ながら付き合いが長いせいで、顔を真っ赤にしたその様子すら容易に想像できるのがなおむかついた。
 もしも目の前にいたならば、何重もの猫を取り去った今、問答無用で拳の一発や二発入れてやるところだ。
「……言いたいことはそれだけか?」
 投げやりな言葉に、老人たちの嘆きがやむ。
 カメラをさらに強くにらみつけ、真澄は宣言した。
「愚かでけっこう、馬鹿でけっこう。俺は道を誤ったつもりはない」
《……なんじゃと?》
「あんたらの言うとおりになってやっても良いことと、悪いことがあった。そして今回ばかりは俺は自分の意思を尊重した。それだけのことだ」
 淡々と事実だけを述べた真澄に、息を呑むような沈黙がスピーカーの向こうから伝わってきた。
《どこまでも、道を誤るつもりか……!》
 焦りとも悲鳴ともつかない、しぼり出したようなその言葉に、真澄は嘆息をもらす。
 絶対にお互いがわかりあうことなどないとは知っていたが、年寄りはどうにも頑固でいけない。
「誤ってなどいないと、さっき言ったはずだ。……ああすまない、あんたたちはもうずいぶんいい歳だったものな? 老人性のぼけが進行しているようだ。もう手の施しようがない、諦めろ」
《〜〜〜〜〜真澄っ!!》
「うるさい。第一俺に、仕事とやらをやるつもりがあるとでも思ってるのか?」
 頭から『仕事』に反抗してやれば、老人たちは目に見えて(耳に聞こえて?)慌ててみせた。その切羽詰まった様子から考えれば、『仕事』がなにかは知らないが、よほどのことなのだろう。
《ええい、誰がお主を助けてやったと思っておる!?》
《このままここで一生を無駄に費やす気か!》
「阿呆。俺は死にたかったんだ。助けてもらって恩義に感じろとは異な事を言う。はっきり言ってありがた迷惑のなにものでもない。それに、俺はもう『幽鬼』なのだろうが。死人がこの世に関わるのはタブーだろう?」
 どうやら切り札だったらしい『命の恩人』という札をあっさり切り捨てられ、老人たちは言葉に詰まった。
《くっ……相変わらず賢しいな、真澄よ。さすがはお主というべきか》
「おかげさまで。狸との化かし合いは大得意になったな」
 だてに『東城家跡継ぎ』などやっていたわけではない。『跡継ぎ』である以上、生きている間ほぼ全てが騙し合い、化かし合いの繰り返しだったのだから。


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