第六話 必然の邂逅 前編

「おい、瀬川(せがわ)!」
 朝のHR前、教室に続く廊下を歩いていたところに名を呼ばれ、瀬川樹(せがわ・いつき)は振り向いた。
 声の主は担任で、彼は立ち止まった樹に早足で近づいてくる。
「なんの用ですか、先生?」
 目の前に立った担任に尋ねれば、彼は「ちょっと頼みがあるんだ」と言った。
「悪いが、この二人――転校生たちを教室まで案内してやってくれないか? 机は昨日の放課後のうちにもう運んでおいたから」
 そう言われて気づいたが、担任の後ろには二人の男子生徒の姿があった。
 ああ、これが噂の転校生かというのが第一印象であった。
 校長に挨拶に来たのをクラスメイトの誰かが見たらしく、美形の転校生が来るとずいぶん話に出てたことを思い出す。
 実際二人は、容姿にまるで無関心である樹でさえ一瞬はっとするほどに整った顔立ちをしていたが、面白いぐらいに両極端だった。
 黒髪に切れ長の瞳の青年は態度といい、制服の着こなしといい、いかにも優等生らしい出で立ちをしている。しかしもう片方の青年は、毛先が少し長い茶色の髪にピアス、着崩した制服と……転校早々から生徒指導の教師にケンカを売るような格好だった。
 見かけはまるで正反対の二人が、樹の視線に気づきかるく礼をしてみせる。それに礼を返しながら樹は担任に聞き返した。
「別にいいですけど……先生は来ないんですか?」
 連れて行くのはいいのだが、普通担任が紹介などをするのではないだろうか。
 そんな疑問を正直にぶつけてみるが、担任は何か気になることがあるらしくどこか態度がよそよそしい。
「ああ、少し用があってな。すまないが頼んだぞ!」
 言うが早いか担任は慌てるように走り去る。『廊下は走らない』という学校生活に必須なスローガンは、彼の頭からすっかり消えているようであった。
 残されたのは、自分と転校生の三人。
 担任が何に慌てていたのかは知らないが、いつまでも廊下に立っているわけにもいかない。『頼む』と言われ、それを引き受けたのだから責任ははたさねばなるまい。
「――とりあえず、行きましょうか」
「頼むよ。……ええと、瀬川さんだっけ?」
「そう、瀬川樹です」
「俺は東城真澄(とうじょう・ますみ)。そしてこっちは東城伸一(とうじょう・しんいち)。これからよろしく」
 黒髪が真澄で、茶髪が伸一……と心の中で反芻する。しかし、二人とも同じ名字とはややこしい。
 そう思ったのが伝わったのか、茶髪の方――伸一がははっと笑った。
「悪いな〜。同じ名字なんてややこしいだろ? 従兄弟同士なもんだからさ……俺のことは伸一って呼んでくれていいから」
 ウィンク混じりに言う伸一の表情はなんだか子どもっぽく、少したれ目がちなこととあいまって、とても茶目っ気のある好感の持てるものだった。そのせいか、「はい」とつい素直にうなずいてしまう。
 そんなガキ大将のような伸一の横、真澄がうっすらと微笑んだ。
「それに瀬川さん、俺たちに敬語は使わなくていいよ。これからはクラスメイトなんだから」
「……うん。わかった」
 一瞬間が空いたのは、なぜか真澄から奇妙な感じを受けたからだった。
 穏やかな物腰に、気遣いと優しさに満ちた完璧な微笑。なのになぜ、自分は彼に違和感を感じているのだろう?  
「どうかした?」
「ううん。なんでもない」
 不思議そうな真澄に、樹は慌てて首を横に振った。
 きっと気のせいだ。初対面の相手だからそんな風に感じてしまうのだろう。違和感だなんて、失礼なことこの上ない。
 気を取り直して、樹は二人の『東城』を見た。
「じゃあ、行こう。案内するよ」


 その後、高校一年の六月という中途半端な時期の転校であるにもかかわらず、樹と同じ一年C組に配属された二人はすぐにクラスになじむようになる。
 それどころか、真澄はその物腰穏やかな態度と優秀さで、伸一は軽めの明るいキャラクターで、クラスの中心になっていった。その姿はまるで、二人が中学からこの学校にいたかのような錯覚を樹に起こさせた。
 また、この学校に来て初めて話した生徒だったからだろうか、真澄は学校生活でわからないことがあったりするとよく樹を頼ってきた。そして伸一はいつも真澄の側にいたものだから、三人はいつしか行動を共にすることが多くなった。
 樹も最初はとまどったものの、すぐにその状況に慣れた。
 寮のルームメイトであり、親友である綾(あや)こと宮小路綾子(みやこうじ・あやこ)が違うクラスになってしまい、クラスでは一人で過ごしていたので、タイミングが良かったと言えばそうかもしれない。
 ましてや真澄は樹に対しては気さくな男だった。伸一だって軽そうな外見に反して相手に対して気の使えるやつで……二人の側がだんだんと居心地の良い場所へと変わるのにそうそう時間はいらなかったのだ。
 だからこそ、気づいたのだ。真澄が本当に笑っていないことが多いと。
 いつでも物腰穏やかで、誰に対してでも公平で優しい真澄。
 面倒ごとが起こっても、笑顔で素早く対処する真澄。
 優等生で、真面目な真澄。
 ――けれど。
 なぜ、みんな気づかないのだろう。彼の口元は笑みを作っているのに、瞳はけして笑っていないという真実に。
 いつも彼の瞳は冷めている。
 どんなに優しい口調をしていても、目は笑っていない。
 よく観察していれば、彼の言葉は優しいと思わせながらも、どこか他人事で突き放すような、そんな印象がある。
 それに気づいて、樹は胸が痛くなった。なぜかはわからなかったけれど、その事実がただ悲しかったのだ。


 委員会を終えて、樹は一人廊下を歩いていた。予定よりもずいぶん時間がかかったせいで、空は端から朱色に染まり始めていた。
 朱と蒼が混ざる不思議な空を見つめながら、樹はため息をつく。
「来週こそ彼にも出てもらわなきゃな……」
 委員会はどれも男女各一名ずつの合計二名が選出されている。だが樹の相棒であるはずであるクラスメイトの少年は、いつもなんだかんだと理由をつけては樹一人に任すのだ。
 おきまりと化している「瀬川なら大丈夫だろ?」という台詞は、いったいどのような意味を持って言われているのか。
 どうせろくな意味ではあるまいと思いつつも、断り切れない自分も悪いのだと自己嫌悪が持ち上がる。
 はあ、ともう一度ため息。最近ためつつある気疲れのせいか、両肩が重いと感じながらC組の扉を開けた。
「――ああ、樹か」
 真澄が、そこにいた。
 夕焼け色の教室で、真澄は何をするでもなくそこにいたようだった。
 こちらにこいと手招きする彼に引き寄せられるように、樹は真澄の側による。
「……どうして?」
 ここにいるのかという言葉を短縮した台詞も、真澄にはきちんと伝わったらしい。
「伸一が、また生徒指導に呼ばれたんだ」
「待ってるのか」
「待ってないとうるさいからな……色々と」
 伸一が、と言うことではなさそうなその様子に、首をかしげながらも「お疲れ様」とだけ返す。
 そこで真澄の表情が本当に疲れていることに気づいた。そういえば真澄は学祭の実行委員か何かに祭り上げられていたはずだ。
「学祭も近いし、真澄は大変だろう?」
「まあな」
 めんどくさそうな表情の後に、少し慌てたように取り繕ったような笑みがのせられる。
「でも、頑張るよ。みんなも楽しみにしてるし」
「――っ!」
 ああ、またその笑顔。
 自分の大嫌いな、口だけの、笑み。
「……樹?」
 急に黙り込んだ樹を、真澄がいぶかしげに見つめてきた。
 胸が痛い。
 喉がひっつく。
 粘り着くそれを無理矢理はがしながら、樹は口を開いた。
「――笑いたくないなら、笑うな」


第五後編へ   第六話後編へ

戻る