第五話 鏡の中の他人 前編

 大嫌いな男がいる。
 鏡を見るかのように自分とどこまでも似ている存在。そのくせ、自分が欲しくてたまらないものを持っている男。
 だから綾子(あやこ)は彼が嫌いだった。それこそ会った日から。
 初めて会ったのは高校一年の時だ。友人に付き合って後期から生徒会に入ったと親友から話を聞き、生徒会室までわざわざ尋ねていったのだ。
 それまでも、噂は聞いていた。なにせあの『東城家』の御曹司が転校してきたのだから、転校からしばらくはその話で持ちきりだったように思う。親友はそういうことにうとい子だったから、最初の内は自分の親しくなった相手がそんな大それた人物だとは気づいてなかったようだが。
 ノックして教室に入った瞬間、彼と目がった。その瞬間の既視感――というか、不快感はかなりのものだった。それは相手も感じたらしく、はかるような目線でこちらを見ていた。
 だが、二人の間に決定的な亀裂が入るのにそれほどの時間はかからなかった。
「――綾(あや)、来てくれたのか!」
 嬉しそうに親友が自分の名前を呼んだ瞬間、部屋の温度が氷点下まで下がったような錯覚を受けたのは自分だけではないだろう。そしてその原因が目の前の男にあるのは明白だった。
「……オトモダチ、かい?」
 他の人間なら気づかないだろう、ゆったりとした丁寧な口調に隠された棘に気づき、綾子はそれを宣戦布告と見なした。
「――ええ、初めまして。この子の『親友』の宮小路綾子(みやこうじ・あやこ)です。どうぞ『よろしく』お願いしますね?」
 色々なところに強調をおいたことに気づいた男の目が冷ややかに細められる。
「初めまして、東城真澄(とうじょう・ますみ)です。あなたの『親友』には転校以来『とてもお世話に』なってます。どうぞ『よろしく』お願いします」
 お互いに微笑みながらも、目は多分笑ってなかった。
 おそらくあの日、二人は同時に気づいた。目の前の人間が、自分とまるで鏡を見たように似たような種類の人間であることに。
 仮面をかぶっていることも、『親友』への想いも、なにもかもがわかってしまった。
 だからこそ、お互いという存在を許せなかった。『同類』ということへの親しさも感慨もなく、あったのはただ絶対的な嫌悪感。
 そう、東城真澄という男はまぎれもなくこの宮小路綾子の天敵だったのだ。
 ただ過去形で言うべきなのか、それとも現在形で言うべきなのか……しばらく悩むぐらいに真澄という男は複雑だ。なぜなら、彼はもうこの世にいないのだから。
 けれど、綾子の愛しい少女の中ではその存在は生き続けているだろうし、そうである限り自分は彼を好きになれるわけがない。
 ライバルがへって万々歳と大手をふれればよかったのだが、そううまくいってはくれなかった。すべてあの男の策略のせいで。
「……まったくいまいましいこと」
 憎らしいあの男は、自らの死すら利用して愛しい少女をがんじがらめに縛り上げた。
 その手口は悔しいが敵ながらあっぱれとしか言いようがない。そのぐらい鮮やかな手並みだった。しかしそのために少女を傷つけたことまで許せるほど、綾子は寛大には出来ていなかった。
 彼女の性質を知る者だからこそ考えられた手段だと思う。けれど彼女を知るからこそ使ってはいけない最悪の手段だったのだと言い切れる。
 あの子に、『見殺しにした』という汚名と、『助けられなかった』という心の傷を与えて去っていった。
 そんなこと、綾子には出来やしない。愛しいから、大切だからこそ傷つけたくないし、幸せになって欲しいと思っている。出来ることなら籠の鳥のようにどこかに閉じこめ、何ものからも遠ざけ、守りたい。
 けれどあの男は違った。同じ想いを抱えながらも綾子にはけしてこえられない一線を越えていった。


 連絡があった日、『まさか』と思った。あの狡猾で大胆不敵な男が死ぬはずがないと確信していたのだ。けれど連絡は真実で、あまつさえその通夜にまで出てしまったのだから……信じるほかない。
 雨の中、形ばかりの焼香をして辺りを見回した。自分はこの男が死のうが何しようがどうでもよかった。しかし、親友である瀬川樹(せがわ・いつき)は違うはずだ。本人は気づいていないだろうが、彼女はきっとあの男を好きだった。
 傘をさし、列から離れる。誰も彼も黒ずくめのこの場所で、たった一人を捜し出すのは困難だろうが、諦めるつもりはない。樹は絶対にここにいるはずなのだ。
「人でなし!!」
 どこからか、そんな台詞が聞こえた気がした。かんしゃくを起こすような女の声。樹ではなかったが……気になる。
 声の出場所を探し慎重に辺りを見回していると、言い争うような声はさらにエキサイトしているようだ。
 焼香の列から大分離れた人気のない場所に、男が一人、女が二人いた。聞き覚えのある声に、足を速める。近づくにつれて声はますます大きくなり、その場にいるのが自分の知った顔だと言うことに気づく。
「……っ、信じられないっ」
 ヒステリーを起こしている少女は確か栄(さかえ)と言ったはずだ。真澄にどうにか認められようといつも必死に働いていた姿を思い出す。真っ正面から当たるその姿は、なかなかに好感のもてるものだったが、今の怒りに染まった彼女にその面影はない。
「なにを?」
 一方、その栄の前の少女はひどく冷静に答えを返しているように見える。……樹だ。
「なんでそんなことぬけぬけと言えるのよ。あの人は、親友である貴女に、助けを求めてたに違いないじゃない!!」
「自分の価値観で全てはかっちゃいけないと思うよ。僕にも言えることだろうけどね」
 その言葉にショックを受けるように栄の体が震える。次の瞬間、綾子がとめる間もなく栄の手の平が舞い、樹のほおをしたたかに打ちつけた。
「――なっ!?」
 あまりの出来事に二人の間にむかい走りだしそうになった瞬間、その場にいたもう一人の男――東城伸一(とうじょう・しんいち)がこちらをむいた。
「……っ」
 ふっと、逆上しかけていた気分が落ち着く。目線だけで「そこにいろ」と諭された気分だった。どういうつもりかは知らないが……そちらがそのつもりなら、少しだけ見ててやってもいい。
 了承の代わりにうなずいて足を止める。二人に気づかれないように伸一は小さく笑みを見せた後、再び少女たちに向き合った。
「貴女と話してると……おかしくなりそうよっ。もういい、貴女の顔なんて二度とみたくないっ!」
「俺も……今、お前の側にはいられない……」
 やがて、栄は捨てぜりふを残して去っていった。伸一は、その後をついていく――綾子にむけ申し訳なさそうな顔で「あとは頼む」と伝えて。
 あの伸一がわざわざ樹を残し栄を追いかけたのは綾子がいたせいなのか、それとも真澄になにか言い含められたせいのかはわからないが……そんなことは後から考えることだ。今はただ、樹を抱きしめたやりたい。
 だから、行こう。


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