第四話 道化師の生き様 後編
「よくよく自分勝手な男だった」 つぶやいて、茶に染まった前髪をかきあげた。 ちらりと、時計を見る。午前一時半、まぎれもなく真夜中だ。 ……先程、電話があった。重大な、けれど、わかっていた報告が伝えられた。 だから自分は、こんな事を思い出しているのだろう。 「最期まで、強情で、ワガママで……人使いの荒い」 ――最期。そう、最後ではなく『最期』。 電話は訃報だった。東城真澄が死んだ、という内容の。 そして自分は今日、その訃報が来ることを知っていた。否、正しくは、今日……すでに昨日だが、『真澄が死ぬこと』を知っていた。 昨日の朝、珍しく真澄から電話が入った。電話などしなくても毎日顔を合わせるはめになるのに、だ。おかしいとは思った。 そして、しばらくした世間話の続きであるように、やつはさらりと言った。 《俺は、今日死ぬ》 聞き返そうと思わなかったわけではない。あまりにもさりげなく、悲壮な感じは欠片もなく言われたから。 しかし不幸なことに、真澄がそんな冗談を言う人間ではないことを、伸一はわかりすぎていた。 言ったからには実行する。それがあの男だった。 ゴクリとつばを飲んだその後、続けて言われた一言に、驚きも忘れて悪趣味だと思わずにいられなかったのは確かだ。 《樹(いつき)にも伝えた》 「樹に……?」 《そうだ。あれに伝えずに誰に伝える?》 楽しげに、嬉しげに。この世の至福とでも言わんばかりの声に、伸一は顔をしかめる。 樹とは、伸一と真澄、共通の友人の名だった。 鏡と揶揄される、万華鏡。 そして、真澄にとっての絶対存在。 目の前に、黒髪の少女が思い浮かんだ。自分のことを『僕』と呼ぶ、不思議な雰囲気をたたえた少女。 「伝えて……あいつがどんな風に思うか、お前にわからないわけないだろう?」 《そうだな。『だから』だって、お前はもうわかってるんだろ?》 謎かけのように返される答えに、意味がわかってしまって伸一は沈黙する。 樹は、その性質ゆえに自殺を止められる人間ではない。しかし、それを後悔しない人間でもない。 それをわかってて、真澄は自殺予告をしたという。 考えられることはただ一つ。 「そこまでして……刻み込みたかったのか」 そして、返る答えはもう知っている。 《ああ、この想いの成就だけが、俺の願い。俺が欲しいのは、あいつだけだ》 強い、強すぎる執着。 純粋で、それだけ狂気に満ちた恋慕。 かわいそうに、と思う。もちろん対象は、真澄ではなく樹だ。 残酷なまでの執着を持たれ、知らず知らずのうちにとらわれ、刻み込まれ、忘れることすら許されない。 それでも運命だったのだとしか言えない自分が、伸一は恨めしい。 樹を真に理解した最初の男は真澄で、その真澄の心に新しい風を吹かせたのは樹だった。お互いに惹かれあうのは当然だったのだ。 まあ、樹の鈍感さは表彰もので、きっと真澄の気持ちにも、自分自身の気持ちにも気づいていまい。 まどろっこしい。だけど、そんな樹だからこそ、真澄は本気で愛した。 そう、戯れではなく本気で、彼の全てを懸けて。 真澄の本気を感じたのは、高一の冬だった。 ……一応、それ以前からもおかしいとは感じていた。 人など、うっとうしいだけと断じていた男が、今までにないほど、一人の人間の側にいたがった。 なにものにも興味を持たず、周りへの意地だけで生きていた男の瞳に暖かいなにかが宿るようになった。 外面の完璧な奴だったから、この小さな変化に気づいたのは伸一と……本家の長老数人だろう。 夕暮れの生徒会室。眠る少女の髪を指先でもてあそぶその様子に、言い知れない妖しさを感じたのは自分の気のせいではあるまい。指先の動き一つ一つから、抑えようのない恋情があふれていた。 濡れ場になれてるはずの自分が、その空気に耐えきれず部屋から逃げ出したのを、真澄が勝利者の眼差しで見ていたのも、伸一は知っている。 なぜそんな目で見るのかという伸一の疑問は、本人に聞くまでもなく、十分後には解消された。 ようやく冷静になって部屋に帰った伸一の目に映ったのは、眠る樹に我が物顔で口づける、真澄の姿だった。 「――っ!? ……なに、してんだよ、チカン」 かすれた声でおどけて言うのが精一杯の自分に対し、真澄は余裕しゃくしゃくの表情で……伸一の腹の中は煮えくりかえりそうだった。 「ばれなければチカンじゃない……そう、ツバつけだ」 それは宣戦布告ですらなく――勝利者宣言だったのだ。 強者の光を瞳に宿し、断罪者の雰囲気で彼は語っていた。 ――これは自分のものだ、と。 そこで伸一はようやく気づいた。自分が樹に惹かれていたこと。それに真澄が先に気づき、わざわざ釘を刺すために、こんな行動を起こしたということ。 ずっとタイミングをはかっていたに違いない。伸一が扉を開く、その瞬間に狙いをさだめ、一番効果的に見せつけた。 ――なんて、底意地の悪い。 だがこの男を、そこまでの行動に駆り立てているのは、目の前で眠る友人なのだ。 ――なんて、タチが悪い。 無自覚のまま猛獣を引き寄せて、自分を守らせている。そら恐ろしい才能ではないか。 似たもの同士と呼べることに気づき、伸一は怒りもなにもかも通り越し、呆れの境地に踏み込んだのだ。 あの日以来、伸一は二人を見守る道を選んだというのに、結末はこれだ。 真澄は自殺し、またその行為自体を利用して樹をがんじがらめに縛りつけることに成功した。 「最期まで遠慮のない奴だ……おまけに、目的のためなら手段を選ばない」 まだ顔をあわせていないが、伸一にはわかっていた。 今頃樹の中は真澄でいっぱいで、さらにその記憶は、何年たとうともけして消えることはないだろう。愛しい者の性質すら利用して、あのエゴイストは自らを消えない傷として刻み込んだ。 「俺には渡さないってわけか」 おまけに、伸一の数少ないチャンスがことごとく潰れるよう、あの男は画策した。 最期の会話。その中で真澄は、伸一に「知らなかったふりをしろ」とのたまった。 真澄の自殺を知っていたことも。真澄が樹に自殺予告をしたことを知っていたことも。そして、樹がどんな気持ちで真澄の自殺予告を聞いたかわかっているということすらも。 なにもかも、全て。世界を樹の信じたままにと。今の樹は、後悔することで自らを保っているはずだと。 《お前が樹に同情すれば……かえって樹は傷つく。お前にそれが耐えられるのか?》 無理だろうと、言外に言われたセリフは痛いほどに事実。 《だったら傷つけろ、別の方法で。言え、俺を見殺しにしたんだと》 そうすれば、樹は壊れない。樹の信じた世界は残る。 だがそれは、樹に真澄を忘れられなくさせる言葉。やっとのことでつかんだ樹の好意を、伸一から引きはがす行為。 やっと笑顔で応えてくれるようになった想い人が、自分に幻滅することは必至……だが、だが自分は――。 「くそっ」 ぐしゃりと髪をかき乱す。 自分はあの万華鏡が壊れてしまうことを望んでいない。あの少女が壊れるぐらいなら、二人の関係が壊れる方がどれほどましだろう。 「あの策士め……」 伸一に選択肢は、残されていない。 「のってやるよ、真澄。貴様の策に」 吐き出すように言って、電話の受話器を握った。 「そうだ。道化ぐらい、いくらでも演じてやるさ」 あの、愛しくも哀れな犠牲者のため。断じてエゴイストのためなどではない。 ……さあ、茶番劇の始まりだ。万華鏡のために、一世一代の演技を見せようじゃないか。 ボタンを押すマヌケな音。空しく聞こえる電子音。 やがて開幕のベルが鳴りやんだ。 《はい、どちら様ですか?》 すっと顔にはりつく仮面に一人笑む。 血の涙を流しながらでも、守るためなら演じてやろう。 この舞台はただ、受話器の向こう、覚悟を決めた者のためにある。 「――樹か!? 俺だっ、大変なことになったぞ……!」 さあ、道化師の生き様、とくと見よ。 第四話前編へ 第五話前編へ 戻る |