月と共に      桐島上総 様


             『月と共に』 第三話


 このところ小夜は毎夜龍之介の元へ通っている。昼間では人目が憚られて、隣の村に用でもない限り西の森へは近づけないのである。隣の村へ使いに出て一晩帰ってこなかった小夜を、村長が再度使いに出すはずがない。そんな訳で、小夜は毎夜人目を忍んで龍之介に会いに行き、夜明け前に村に戻って来るのである。
 気を失ったところを龍之介に助けられて翌朝村に戻ったときは、『転んで怪我をしたから歩けず、木陰に隠れて一夜を明かした』と偽った。その次の時は、龍之介に説教をされて帰宅が遅くなったが、なんとか家人が起き出す前には戻ることが出来た。
 こうして小夜と龍之介は誰にも見つからずに逢瀬を重ねていった。
 目の下に隈をつくってはいるが、元に戻った、否、以前より格段に明るくなった小夜を、村人は微笑ましく見守った。小夜に思い人がいるらしいということは周知の事実で、それを本人に尋ねるようなことはしないでおこうというのが暗黙の了解だった。

 そうこうしているうちに文月も終わり、葉月に入った。
 ある夜のことだった。
 村に珍しく客が訪れた。しかも客人は京からやってきた国司の補佐官である。久々の客に村は盛り上がり、この村にしては大層賑やかな酒宴が催された。ただの客ならば、ここまで豪華な宴は開かれない。その辺からも今回の客人が如何に特別な存在なのかが窺い知れる。
 客人は夏山染衛門(なつやまのそめえもん)という名の男だ。色黒で、小さく丸い目に、鷲鼻、無精髭を生やしている。少し出っ張った腹が気になるが、筋骨隆々とした外見からは相当腕が立つように見える。腰に差したものは素人目に見てもそれなりに立派な品のようだ。これなら村人が総出で歓迎するのも頷ける。と言うのも、怪の噂を聞きつけた国司が、怪討伐のために送って寄越したのが夏山であるからだ。
 善意からか、あるいは自身の評判を上げたいがための舞台か。国司の意図など村人達には想像もつかないことであり、また、どうでもいいことでもある。とにかく不安が取り除かれればそれでいいのだ。
 そういうわけで、村人の期待を裏切らない、強そうな武人像を具現化したような夏山は、必要以上のもてなしを受けているのである。
 村長の家には近隣の住民が集まり、客人を囲んだ気の早い月見の宴を楽しんでいた。
 小夜は、今晩は龍之介のもとへ行けないだろうと心持ち気を落としながらも、賑やかな酒宴を楽しみ、皿を出したり酌をしたりと場を切り盛りしていた。
 ふと、小夜と並んで皿を洗っていた葵が口を開いた。
「小夜・・・その傷・・・」
「え?」
 小夜は咄嗟に腕の傷跡を隠した。前の望月の晩に獣化した龍之介に腕を銜えられ、その時に付いてしまった歯形だ。
 小夜は狼狽のあまり、皿を落としそうになった。普段は人目につかないよう、袖からはみ出さないように気をつけており、2ヶ月も怪しまれずにいたことが慢心に繋がったのかもしれない。
 犬と偽るには大きすぎる歯形、加えて、先々月西の森の龍之介宅で一夜を明かしたという事実。どちらか片方でも露見してしまえば、小夜にとって大切な何かを失う事は明らかである。小夜にとって龍之介は大切な人間でも、村人にとっては怪、化け物という畏怖の対象でしかない。
 小夜は何とかその場は誤魔化し、訝しむ葵をかわし続けた。不信感を顕わにする葵とぎこちない小夜をよそに、宴の夜は更けていった。

 皆が寝静まった頃のことである。
 葵は誰にも気付かれないよう、こっそりと小夜の両親を起こし、人目につかない所へ呼び出した。そして、最近ずっと小夜の様子がおかしかったこと、小夜の腕に大きな傷跡を見つけたことをつぶさに語った。
 小夜の両親は青くなり、その後に赤くなり、最後には呂律が回らない状態で、ただ‘化け物が’、‘怪が’、‘村長に話を’と繰り返した。葵の耳には、意味の通じぬ言葉の合間に‘小夜が’とか‘小夜に’とか、とにかく‘小夜’‘小夜’と、大事な妹分の名だけが届いていた。

 空には十三夜月がかかっている。時は子の刻を回ったあたりだ。 
 嫌な沈黙が横たわっている。誰も口を開かなかった。否、開けなかった。虫の音が大きく聞こえる。脇の下から腹にかけて、ぬるりと汗が伝った。
 今、葵と小夜の両親、村長と客人・夏山の5人は村長宅で車座になって座っている。
 小夜の両親がこけつまろびつしながら、その後を追って走ってきた葵と共に村長宅に転がり込んだのが今から丁度半刻前で、息も切れ切れに小夜について語ったのだ。そして今まで重苦しい沈黙が場を支配している。
 沈黙を断ち切るように村長が口を開いた。
「・・・小夜は・・・小夜は怪に魅入られた。間違いないな?」
 老人らしからぬ鋭い視線が小夜の両親と葵に向けられた。
「まだそうと決まったわけでは―――」
「喩え魅入られちゃいなくとも、その娘は怪に噛み付かれてんだろ?なら、その娘は怪に毒されちゃいねぇか?」
 拳を握り、勢いで腰を上げた葵の半ば叫ぶような反論は夏山に掻き消された。京から下って来たというわりに、粗野な言葉使いに珍しいイントネーションで話す男だ。気迫負けしたと言っても過言ではない。
 胡座をかいた夏山が酔いの醒めぬ、だがしっかりとした目でじろりと四人を見回す。「決まりだな。怪は殺す。娘も―――」
 夏山はパンッと膝を叩いて立ち上がった。
「止めてっ!小夜は魅入られても毒されてもいないわっ!!」
 夏山に対抗するように葵も立ち上がり、キッと夏山を睨みつけた。
 夏山は、ふうんと考えるような仕草を見せた。
「・・・そんならこうしよう。娘が魅入られてるとしたら、娘はそのうち自ら怪に会いに行くだろう。半月、娘を監視しようじゃねぇか。もちろん娘にバレねぇようにだ。娘が怪に会いに行かないようなら娘と怪は無関係だ」
 葵が唇を震わせる。
「もし・・・もし、小夜が会いに行ったら?」
「娘が怪に会いに行ったその時は―――」
 血の気を失い、小刻みに震える小夜の両親。沈痛な面持ちの村長。葵は拳に爪が食い込むほど力を込め、こくりと唾を飲み込んだ。

 夜は再び静寂を取り戻した。月が青白く寒々とした光を降らせている。
 村長と、村長宅に集まった三人は金縛りにでもあったかのようにピクリとも動けずにいた。

 ―――その時は、怪と娘、両方とも殺す。

 虫の音が聞こえる。 




第四話へ      第二話へ






戻る