12月31日(金):あと数時間で過ぎ去ろうとしている2004年を思えば、私はまたしても右往左往、否応なしに激しく喜怒哀楽の日々だったなぁ…と。そんな中で本当に有り難くも心強かったのは、常に身近に感じさせて貰っていた、私の揺れ動く気持ちを察知しては様々な想いを共有してくれたり時にシビアに苦言を呈してくれた、友人たちの存在でした。嫌な顔もせず心の底からお付き合い下さったことに改めての感謝!です。世の中は皆さん御存知の通りの、不条理と災いに充ち満ちた世界でしたねェ。さて来年の私ですが、30年来の親友K子の言葉「今年もなんとか生き延びた」に同意しつつ、だからこの調子でやって行くよ!生き延びるしかないじゃん! <久しぶりに70年代のことを思いだした。光と影の強烈だった時代。キリキリと闇を擦り抜けて綱渡りしていた。闇が深くなりすぎて、もはや闇の手応えさえもない。光とは一体な・ん・だっ・た ・のか?>(by K子)



12月28日(火):昨日の続き。友人の助言もあり、「在日」とは「外国人が日本に旅行目的以外で滞在または居住すること」としたいけど、どうかな? で↓、とにかく気になって仕方がないのが「在日」の独自な解釈である。「存在」を難しく考え出すとまぁ様々とあるが、日常的には「人間や事物があること、いること。また、その人間や事物」のことだと思うから、↓の文章それ自体には間違いはないだろう。しかしソウイウ発想に至るその根本に潜む何かに、私はなぁんかこう本能的にゾゾッと来るワケさ。その某サイトでは著名な世話人達が某「志」を表明しているが、↓に続くは<「私はナニ人なのかな?考え直してみるために、「在日○○人」を名乗って遊ぶことにしました。(略)○○には地名か民族名を。どんな○○を選ぶかで、新しい自分を知ることがあるかもしれません。」>。ナンだぁ!? この文脈に見え隠れするものは、一体全体ナニカ? 寒気がするぜ!



12月27日(月):ゆえあって「在日」という言葉を考えた。基本的に「在日」って、「外国人が日本にいること」ではないの?在日日本人って使う? 日本生まれ日本国籍だった弟は米国のグリーンカード保持者になってから30年近くを経て決心し、指紋照合による犯罪チェックを受け移民官のインタビューも受け、米国の歴史や政府に関する知識を試験インタビューと試験で試され、合格後「宣誓式」では判事の前で米国に忠誠を誓うことを宣誓し、米国市民権を取得した。つまり日本国籍は失効し米国人、アチラでいうところの日系アメリカ人になったワケだ。その彼がこの日本に理由あって長期滞在する場合、彼は立派に「在日(日系)アメリカ人、an (Japnese) American living in Japan」と呼ばれるはずだ。某サイトで目にした〈「在日」つまり「日本に存在する」ということ。その意味で私たちはみんな「在日」。その点で連帯します。〉って、いくら言葉遊びでも、私的には根本から…?



12月22日(水):とっても嬉しく思い、そして元気づけられたのがこのニュース。理由は全く違いますが、同じく通信教育過程で、卒業率が6%にも満たないK大のソレを卒業した私は、心の底から彼に、頑張ってください!とエールを送ります。「おれもまだ夢をみたいんだ」という一言に、彼の理不尽な人生を想い、ちょっとばかり複雑な涙と目一杯の怒り。
ハッキリした態度をとれよなぁ!日本政府!!



12月20日(月):「悔い改めなさい。神を信じれば永遠の命が与えられるとイエス・キリストは述べておられます」「神はあなたを今も見ておられます」Etc.と、白地に黒文字で書かれた旗を掲げながら大音声でがなり立てる東京の繁華街ではお馴染みのキリスト教系某団体の宣教風景だが、そんな彼らに道行く人は一瞥すらしない。彼ら宣教者たちの表情は暗く掴みどころのない静かな狂気さえも漂っており、寒そうに肩を縮める姿からは神の御許で働くという喜びは感じられない。「幸せですか?」と、次々と雑踏の中を行き交う人々に声をかける中年女性の身なりは一見高価そうだが、黒っぽいコートの襟には埃それともフケなのか白いものがうっすらと散らばり、ピンクに染められた唇はカサカサで笑いかける表情が作り物なのは険のある両目が正直に語っている。誰もが、他人は自分を避けてくれるのが当然とばかりに鋭角的な歩き方をしている。師走の渋谷駅周辺風景。荒涼。



12月13日(月):「Chiroの小部屋」にも書いたように、昨日「仕事のお仲間連絡BBS」をオープンした。当分は、私の身近な同業者達のみが入室可能という極めて閉ざされた場所となる。1級研修時に出会いシビアな話も出来るようになったのは、年齢・経歴ましてやココに至る動機・理由も千差万別の、少数ではあるが全員が遣る気のある人ばかりだ。それ故だろう、現場での様々に一人悶々とすることが多く、理不尽な事業所側の対応等もあり、常に押し潰されそうになりながら働いているのが現実である。お互いに愚痴や悩みを言い合うだけでも気分は楽になる。誰かのちょっとした一言で煮詰まり過ぎて見えなかったものが見えて来ることもあるだろう。さて、どうする? 頻繁に会う機会を持つのは無理な相談だし、この瞬間にも誰かは緊急対策が必要な問題に悩んでいるはずだ。皆で同時にそれを共有し意見を出し合うことは可能だろうか? そこで先ずはBBSで、という次第です。



12月10日(金):小人閑居為不善。つまり"An idle brain is the devil's workshop."とか"Idle hands are the devil's workshop."ってことなのだろうが、私の場合は「小人閑居して雑文を為す」ことで、結構ヤバ目な状況を乗り切って来られたようだ。実は仕事の現場を離れてのこの1ヶ月間というもの、怒濤の2年間余りの反動もあってか嗜眠症傾向が酷く、絶えず起こる躁鬱の小さな波状攻撃に参っていたのだ。以前だったら簡単に白旗を掲げ自分の殻に閉じこもり、より一層の症状悪化を招いたはずだけど、どうにかこうにか大丈夫なセンを保っていられたのは、全てに無理をせず無駄な抵抗もせず、誰に読んで貰う宛もない駄文を書きなぐっていた所為ではないかと思ってる。書きなぐる行為は生産的ではないけれど十分に創造的だから、内容によっては時に被虐的になりながらも、私の根底にある表現欲求を満たしてくれたし、それは心の解放に上手く直接リンクもしたようだ。さぁ!疑似冬眠はそろそろ終了。



12月7日(火):北朝鮮による拉致被害者・曽我ひとみさんの一家4人が無事に彼女の故郷佐渡に到着した。曽我さん、本当に頑張ったネ!まずは良かったねェ。しかし本日彼女が語った「この2年間は私にとって、とても長い日々でした」「もう家族に会いたくて、何もかも捨てて家族のいる北朝鮮に帰ってしまおうと思ったこともありました」「夫の問題もあり、家族が日本で暮らすことが幸せなのかいろいろなことを考えました」を、「即刻5人を北に帰せ!」と大合唱していた連中はどの様な思いで聴いていたのだろう? 正直なところジェンキンズさんに対しては複雑な感情も抱いている私ですが、こうなったからには包み隠さず北朝鮮(で)の様々を語って欲しいなぁと思っています。『TIME』誌に載った彼の言葉「"In North Korea, when you lie they think you are telling the truth,"」「"and when you tell the truth they think you are lying. You learn real quick to say no when you mean yes, and yes when you mean no."」は、実に重く、辛い。



12月5日(日):直接関係する人達すべてが素直に心開き合うことがもし可能ならば、何事も穏便にコトが運び困難極まりない事柄でも万々歳の結果を迎えられることはあるだろう。例えそれが事の本質をそのまま放置し何かを先送りしただけであろうとも、それはそれで結構この上ないことではあると思う。しかし他との摩擦を懸念する余りか必要以上の無理を自分にさせコトを丸く収めようとする時、他の誰かにも何かを無理強いさせているかもしれないと、どうして気づかないのかな?考えてみないのかな? それに下手すればそういう時って、何かを表立ててはヤバイ人の消臭作業に知らずに手を貸していることもあるってことだ。一時の我慢作り笑いも笑いの内、とにかく平穏無事にコトが済みさえすればそれでまぁイイと願う「事勿れ主義」は、私みたいに自分をも暴露してしまう様な体質の人間には、どうしても合わない。今日は朝からソンナコトがあって色々と考えたのさ。



12月2日(木):ちょっとした出来事に出会って心を動かされ、ほのぼのとした幸せな思いを抱いたり怒ってみたり笑ってみたり泣いてみたり、そして自分ではどうしようもない突如襲われる寂しさに、ひとり胸塞がれ悶々としながらも、日々は一瞬にして過ぎ去っていく。平安と云うには程遠いかもしれないけれど、今ココにコウして息づいているという意味の雑然とした有り難さ。でも、こんなんでイイのか!?満足なのか?と、内なる悲鳴があがって来ることも否定できない。そうだネ、生きていくのは楽ではないけれど、もう少しだけ踏ん張らなくちゃいけない、頑張らなくちゃいけないってことだ。様々と噴出する整理がつかない気持ちをドウニカするために、自分自身に嘘をつくというのではないな? 多分きっと小利口な理屈で無理矢理に納得させようとしているんだな。そういうことだけは、もう本当に止めたい。余計に何かがコンガラがるし、根本が見えなくなるものな。



11月30日(火):もうもう嫌ッ!かもぉ。Windows Servise Pack2は…とのPC関係に強い友人の忠告もありシカトし続けています、PC立ち上げの度にポップアップの「最新云々」のメッセージがウザイなぁと思いながらもです。で、数日前に南米の友人からメールがあり「○日○時頃ChiroがOKなら久しぶりにMSNメッセンジャーでチャットしようよ」と。会いたいよぉなぁんてモンじゃない彼ですから、時間的にキツイのをモノともせずに即OKメールをしました。で、その約束時間直前にメッセンジャーを立ち上げると「メッセンジャーの更新が必要」。無論彼との会話に支障を来たしたくないから「ソレだけ」は更新しましたが、その時間の長さやらなんやらに疑念と不安が…。結局のところ、ふんッ、調子は最悪で向こうからの高すぎジャンの国際電話で会話さぁ。その後PCの動きがヘン。Servise Pack2を導入していない所為だろうなぁ。身近な友人たちが薦めるように、次はMacかぁ? 



11月29日(月): ↓11/26付で紹介させて戴いた trycom氏の投稿「全体的疑問点・矛盾点」ですが、続く同氏の投稿「個別的疑問点・矛盾点」が本日付で電脳補完録にUpされました。第一回目は「横田めぐみさん」に関してです。御一読願えれば幸いです。また追って同氏がお書きになられるだろう「個別的疑問点・矛盾点」は、Upされ次第、順次ココにリンクさせて戴きます。
なお、電脳補完録には「リンクのページ」から跳べますが、ウチのTopページ、屋号の横に貼って御座います「ブルー・リボン」からも直接リンクさせて戴いております。
※11/30[2]田口八重子さん  [3]市川修一さん



11月28日(日):「落ち葉のプール」。イイなぁ〜…。大の大人は飛び込んで遊んではいけないのかな? 出来ることなら子供は勿論、大人さえ誰一人いない落ち葉のプールに、裸にちかい格好で心行くままジッと埋まりきってみたい。そして充分に落ち葉を感じた後、マッチで火を点けての壮大な焚き火をしたいなぁ。そんなことを何気なく友人に話したら、「じゃぁドコカ焚き火が出来るトコを探すか。するか!?」。馬鹿にもせず笑いもせずに直ぐさまソウ云ってくれる友人って……。最近「断続的瞬間オチ気味症候群」の私は心がふんわりと軽くなったよ。あなたも様々と状況的には大変だというのに、何時もいつも気にかけてくれて本当にありがとう。そして時にコトの本質を理路整然と、でも優しさ100%で投げかけてもくれるよね。ドキリとしながらも結局は納得しちゃうのは、人間の心の闇ってものを覗いてしまっている人の言葉だからかもしれないと思っている。感謝。



11月27日(土):昨日から2曲の歌が流れ続けています。いや正確に云うと、狭い部屋に流れ続けていたのですが、それじゃぁダメだ集中力に欠けるぞ!ってことでヘッドホンをバッチリ耳にあてソレラを聴き込んでいるわけです。曲はKris Kristoffersonの「Me And Bobby Mcgee」とLittle Jimmy Dickensの「Wedding Bell Waltz」で、共に退職後Country-and-Western歌手Againの我が従兄弟みっチャンの持ち歌になる予定のもの。前者は私が彼に唄ってヨと云い続けていた所為でジャァオマエガ日本語詞ツクレバ唄うということで、譜面は入手不能だけどコードを追えば曲は全く問題はないという後者は、どうしても詞が判らないから聴き取れるようだった是非ともヤッテオクレという次第です。前者は大好きな歌なので楽しみながらも煮詰め切って仕上げるつもりですが、後者はマジ聴き取れません。超ベテラン歌手が上手に歌っているのですが、ン?何なにナニ〜?はてなハテナの世界で、楽しいのに溜息がふぅ〜ッ。



11月26日(金):この問題に興味があるなしに拘わらず、先日の第3回日朝実務者協議において北朝鮮が提出した「調査報告」に対する様々な疑問点と矛盾点を、拉致被害者の家族会の方々が訴えていらっしゃるのを、TVで御覧になったり新聞でお読みになった方は多いことと思います。しかしどう贔屓目に見ても、それらマスコミ報道の多くは、情緒的な切り口で御家族の主張を中途半端に流したり政府側発表の一部のみを伝えるだけで、調査報告のナニがどう問題でありドコがどう矛盾するかの「詳細」には、程遠い内容なのは確かです。そこで出来ましたら、ウチからもリンクさせて戴いている「電脳補完録」の時々刻々更新される様々な記事をお読み戴きたく存じます。本日付けのtrycom氏の投稿、「全体的疑問点・矛盾点[][][]」は、的確な引用もあり、この調査報告の疑問点・矛盾点を、否が応でも浮き彫りにしていると思います。御一読戴けましたら幸いです。
※11/27追加投稿 「全体的疑問点・矛盾点[]」



11月25日(木):雑文を書く以外には、アトランダムにCDをかけ手元の何冊かの詩集をパラパラとひもとくばかりのここ数日。考えること想うことは様々と押し寄せてくるが、「明日」という日常には直接的に反映しなさそうなことばかりで消耗するのみ。そんななかで、今夜そっと抱き締めてしまった言葉たちが…。

これがどうならうと、あれがどうならうと、
そんなことはどうでもいいのだ。

これがどういふことであらうと、それがどういふことであらうと、
そんなことはなほさらどうだつていいのだ。

人には自恃があればよい!
その余はすべてなるまゝだ……

自恃だ、自恃だ、自恃だ、自恃だ、
ただそれだけが人の行ひを罪としない。

平気で、陽気で、藁束のやうにしむみりと、
朝霧を煮釜に填めて、跳起きられればよい!


(中原中也『山羊の歌』より「盲目の秋U」)



11月23日(火):It's a good day to die. 直訳すれば「死ぬにはイイ日だ」。
私が初めてこのフレーズに出会ったのが、何時どんな状況だったのかは、哀しいかな詳しい記憶のページからはもうとっくに消え去ってしまったけれど、20代はとっくの昔という或る日、誰かの詩集を読んでいてのことだったような覚えはあるんだよね。今日のような日に限って、朝っぱらから嫌なことばかりが連発だった今日のような日だからかな? ふぅーっとコレが、私の中のどこかから浮かび上がって来てしまったのかもしれないなぁ。なんだか最近は色んなところで直訳的な意味で使われているようだけど、元々はネイティブ・アメリカンの或る部族の日常的な挨拶を米語訳したものだそうだ。「イイ天気だなぁ」という感じで使われ続けているらしいけれど、こんな挨拶を毎日交わし合えるってのは、羨ましい限りだねェ。
I really wanna say to you every day, "It's a good day to die!".



11月17日(水):小泉純一郎首相は17日午後、岡田克也民主党代表との党首討論で、北朝鮮に対する食糧支援について「今回の(日朝実務者協議の)件とは別だ。国際機関を通じて出すべき時に出す」と述べ、日朝実務者協議の結果とは切り離して残り12万5000トン分の食糧支援を実施する考えを示した。(中略)北朝鮮に対する経済制裁については「有効に働くかどうか見極めながら、対話と圧力の両方の手段を取ることが必要だ」と指摘した。(11/17 15:33 Sankei-Web) これを読んだ途端に思い出したのが次の文章。もし自分が拉致されていたら もし自分が北の工作員だったら と想像することはあっても もし国会議員だったらとは思わないのは何故だろう・・(by 月亭寅馬)。あなたも新聞やTV等で目にしたはずの、今回の日朝実務者協議において北朝鮮が提出した、横田めぐみさんのあの3枚の写真を思い浮かべながら、ラジオ番組を文字に起こしたコレを読んで欲しい。



11月14日(日):辞書は一つの言葉には幾つもの意味があることを教えてくれるが、もし個人の心身が携える辞書に、言葉一つには只一つの意味しか記されていなかったとしたら、他者との充分なコミュニケーションは可能だろうか? 「言葉」が否応なく背負ってしまった意味世界の混沌さ、その混沌世界から何をどう選択し抽出するかということは、或る種の決心を伴う行為であるが、その怖さを日々の暮らしの中では忘れがちである。己が他者に何かを伝えようとする時、使用しなければならない言葉の余りの煩雑さに知らず知らずの内に怖じ気づき、大鉈を振るうことは珍しいことではないし、それ自体は容易なこと。しかし悲しいかな、その振るう大鉈もまた、言葉である。「言葉という大海」の中で生きざるを得ない一人としては、言葉というものにもっと謙虚に向かい合いたいと、「言霊」を信じたい私は思うのだ。あなたは言霊の存在を、信じますか?信じたいですか?



11月12日(金):本日、お会いしたことも声さえも聞いたことのない方から初めてのメールを戴いたのですが、文中には「ッてやんでぃ」を読んで下さっての次のような感想も…。 ケアについての手記(日記)を読ませて頂きました。体を張った真のサービス業に心を張る人こそがプロフェッショナルなんだなぁと改めて思い知らされました。またそんなプロフェッショナルな人ほど心いため身体こわしリタイアされていかれるという現実に言いようのない空しさを感じます。 
拙い素人の雑文でも、書いてて良かったぁ!と心の底から思うのは、感じるのは、こういう時です。
どうも有難う御座います。私、若くはありませんが、心と身体に気をつけて、真にプロフェッショナルを目指して、これからも踏ん張ります頑張ります。結果、ピエロになってもイイんです。道化には道化なりの、立派な役割ってぇもんが有りますものねェ。本当に、ありがとう。



11月10日(水):【なぜアタシは静かにしずかにキレたのか!? その顛末の後記】

本日で、現場を上がりました。
8月末日の契約更新時点で14日間あった有給休暇ですが、最初の説明とは違い、ひと月に5日間しか認められないとのことなので明日から5日間は有給休暇、あとの9日間は無給を承知で意地で休みを取り、11月末で事業所への登録を抹消します。
つまり、辞めるってことです。
先月20日に所属のG事業所に辞める旨を伝えた直後から起こった様々な茶番劇は、結構面白かったし、正直なところ、アチラから提示される諸々にチョッピリ心が揺らいだ瞬間もありましたが、大変だけど好きなこの仕事を続け、ケア・マネージャー受験資格を満たす約3年半後までの為には、自分が精神的に潰れないようにすることが第一と考え、やはり今の会社で働くことは止めようと決心した次第です。

熟慮の末に決心したにも拘わらず、ちょっと甘いことをチラつかされて心揺らいでる自分に腹が立ち落ち込んでいた際、心配してくれたこの仕事に関しても明るい友人が与えてくれた助言の数々には、心の底から感謝です。本当に有難うございました。
次の仕事先を心配しメールをくれた友人もいますが、有難う、大丈夫ですよ私、頑張るからネ。
働こうと思えば明日からでも働ける所に所属するのは、「今はまだ」という注釈付きですが、ある意味とても容易な業界です。
なぜなら、次から次へと介護員を養成しても、仕事内容の大変さに音を上げて短期間で去って行く人が多く、どこもかしこも人手不足なのが現実だからです。
そして、直ぐにでも来て欲しいという某介護施設も、既に押さえてあります。しかし施設介護の実態を垣間見た私としては、施設でフルに働くと腰を直ぐにヤラレルのは確実だと思うし、理由あって、私はどうしても「訪問介護」に拘りたいのです。
ちょっと今考えていることがあるのですが、その決心がついたら、週に2日間は施設、あとの3日間は訪問でと、両方をやろうかな?とも思っています。
だって両方の現場経験を持つケア・マネージャーって、これは強いですものネ。
このトシになって、決して楽ではありませんが、まだまだ将来に夢と希望を持って働ける仕事に出会えた私は、幸せ者です。

さて、この1週間、私はヤッテはいけないことを沢山してしまいました。
利用者さんに、例えシフト変更上であったとしても、次回から来られない旨を伝えることは基本的には御法度ですが、伝えた方がイイと判断した、利用者御本人やその御家族には、私的な理由があって会社を離れるがこの仕事は続けるとキチンと伝えました。
それは会社側が介護員が替わる都度にしている、その説明理由の多くは「家庭の事情」「ちょっと身体を壊した」「少しお休みしたいそうなので」なのですが、利用者さん側は「なんて水くさい」「一言の挨拶もなく…」などはまだしも、「自分が嫌われたのか、ウチに来るのが嫌になったのだろう」「そんな人だったのか、がっかりだ」と思うことが多いのを知っていたからです。
つまり大なり小なり、彼らは「裏切られた」と感じてしまうわけです。そういうのは、私は嫌だったからネ。
仕事ではありますが、人間と人間として、心の交流は充分にあったわけですから、最後はキチンとしたかったのです。

で、何人もの方に泣かれました。有り難かったし、寂しい気分にもなりました。

「あんたは仕事で来ているからって、このバァサンと一緒に今までお茶一杯飲んでくれなかったねぇ。今日は最後なんだから飲まなきゃ怒るよ」と云いながら、欠けた湯飲み茶碗にインスタント・コーヒーを作り、いつも大事に一欠片ひとかけら楽しんでいる好物の板チョコと一緒に差し出して下さったSさん。
「なんだよ、来なくなっちゃうのか。俺がこのボロ家であの世に行くか山ン中の老人ホーム送りになるまでは面倒みてもらえると思ってたのによぉ。なんだぁ、あんたのツーと云えばカーの活きのイイ東京弁、もう聞けなくなっちゃうのか。寂しいなぁ」と、戦前の市井の暮らしや兵隊体験など様々と聞かせて下さるのを楽しみに伺っていたKさんは、涙ながらに握手を求めて下さいました。
「そうなの。ふ〜ん。そう云ってもさ、あんたどこか他ンちで働くんだろう、嘘云ってるんじゃないの」、そうプイッと横を向いて云い放ったYさんですが、最後の挨拶をしてバックパックを背負おうとした時あまりの重さに驚き開けると、スーパーのビニール袋に郷里から送って来たというお米を詰め込み、私の知らぬ間に突っ込んで下さっていました。
「パパがいつも怒鳴ってごめんねぇ。聴き取れない言葉を辛抱強く聞いてくれて有難う。リハビリの散歩は腰が痛んだと思うけど嫌な顔もしないでパパに付き合ってくれて有難う」と抱きついてきたYママは、次の会社に移ったらまた来てね、ケアマネには私が話を通すと云い張って下さったけど…。Yパパは口をひん曲げて一生懸命に「あ゛り゛ぃがと」。
事前に辞めることを伝えてあった同い年の中途障害者のTさんは、「あなたとは口があったから毎回お料理が楽しみだったのよ。ンもうっ!愚痴も聞いてもらえないじゃん。せっかく電動車椅子にして買い物にも一緒に行ってもらおうと思っていたのにさ。でもさ事情は分かる気がするからしょうがないよね。頑張って早く小さい事業所立ち上げてね。私そこの第一号のお客になるよ。身体に気をつけて頑張ってください」と、綺麗にラッピングされた私らには必需品のタオルをプレゼントして下さいました。
同じく事前に伝えてあった私と同業者のSさんの娘Kさんは、「あーッ間に合ったぁ!30分の時間短縮を利用者さんに頼み込んで帰って来たのよ」と息せき切って玄関に飛び込んで来ました。「母には私から上手に伝えるね。ここんとこ幻聴幻視が酷いし痴呆も進んでるから夜間の母の介護は大変。でもあなたが入ってくれてた時間は安心して仕事に出られていたよ。色々とお世話になりました。それからルール違反を承知で御願い。もうウチに仕事には来ないんだから、これからは同業者として友達付き合いして欲しいの、情報交換もしようよ」と、小さく畳んだ可愛らしいメモ用紙を握らされましたが、それには彼女の携帯番号が書いてありました。

ありがとう!皆さん!! お礼を云わなくちゃならないのは私の方です。色んなことを学ばせて戴きました。人間ってやっぱり素敵だ、そう日々教えても戴きました。


事業所からの電話は、今夜も、あった。
利用者さんの誰々さんの最近の情報が欲しいとか、誰それさんのサービス内容はどうとかこうとか…。
今更なにを焦りまくっているのさぁ! 私は何度も何度も嫌になるくらい、問題点やらなんやかの情報を、事細かに現場の声として上げていたんだよ。わざわざやらなくてもいいような書類にしてまでも渡してた。サービス計画の見直しだって提言していたよ、煩がられてるのを百も万も承知でネ。
それを今になって…。まったく、もう!

悪魔が私に囁きましたよ。もう辞めるんだからイイだろ、彼奴らを痛い目にあわせてやれ、いい気味じゃないか、ってさ。
でもそうはせずに、懇切丁寧に教えてあげたその理由は、困るのはなんといっても問題山積の利用者さん方だからです。決して、彼奴らの為にではありません。

さぁ、シンドイけれど、またまたの新しい出会いのために、頑張ろうと思う。でも、ちょっとだけ小休止をしてから、ネ。



11月1日(月):さっき本を読んでいて閃いたことは、書き手の現実や実際はドウデモイイコトであって、書き手が紡ぎ出す文章というモノの中にこそ、中だけにこそ、その書き手の世界があるのだ、ということだった。書かれたモノに興味が持てるのは、その書き手が存在する現実世界の現実的な生々しい何かではなく、書き手がコチラへ投げかける、文章による目眩まし的な不思議な力そのものと云ってもイイだろうモノの所為。ちょっと頭を働かせて考えれば、それは実に当たり前すぎることなのが判るはずだが、結構そのへんが誤解されているような気がするのは私だけ? 
最近ちょっと、モノを書くということ、書かれたモノを読むということについて、様々と思いを巡らせている私なのですよ。
まとまったモノを書きたくてもなぁ…他人様に読ませるだけのモノを書く、才能ねぇや! チッキショウ!



10月29日(金):ここのトコロかなりの低空飛行な日々だけど、以前のようにド〜ンと落ち込まないのは更年期症状がほぼ収束したからだと思っている。実は、何か重大な原因があるのでは?と複数の病院で診察を受けたことがある程の月経困難症で、毎月のその間は自分自身のオンナとしての身体を心底呪ったりもした。特に困ったのは長丁場の舞台出演の時。婦人科で事情を説明し、本番直前の何日かと初日二日目までは生理が来ないようにとホルモン剤による調整処置をして貰ったことも数知れないが、神経の煮詰まり具合に身体は勝つことが出来ず、必ずと云ってイイ程、なった。それも初日の幕開き直前にだ。そして更年期の様々な症状もソウイウ体質に比例してなのだろうか、それはそれはキツイものだった。今、毎月の気を失いそうな激痛などや脈絡無く突如襲来の理不尽な不安感を抱かせる更年期症状が無いことを実感するのは、「オンナ」としては、とても幸せなことである。



10月21日(木):この裁判の結果に、超・注目して欲しい。結果如何では、何処ゾの屋台骨が、ポキリと根底から折れるかな? です。



10月14日(木):【なぜアタシは静かにしずかにキレたのか!?】

本社内に在った目黒事業所が、I、G、Sの3事業所に分割独立したのが8月1日。担当地域が広すぎる、地域に密着し利用者さんにより細かい対応をする為というのが、その理由でした。しかし実際には、昨年の8月に同じフロアー内で同3地域に分かれ事務処理をし始めたばかりなので、事業所の所在地が3つになり責任者が3人になっただけのことです。
なぜなら私たち現場の人間は8月1日以降も、所属はそれぞれの事業所に振り分けられたものの、仕事の担当先はそれ以前のものをそのまま引き継いだままだったのですから。つまり私はGの所属にはなったけれど、I地域のものも(S地域の仕事は幸いなことに引き受けていなかった)続行なわけです。
なぜなら現場の人間の多くが、ここ1年の間に仕事を辞めたりより待遇の良いところへ移ったりで、絶対的に人手不足だから、そうせざる得ないわけです。

ハッキリいって、私が働く所は大手なので仕事の絶対数は多いのですが、交通費は出ないし時給の安さでは業界では定評のある所なのです。
では何故、私はココで働いていたのかというと、この会社がもつ研修センターで、ココで働くという条件で無料で2級資格を取得させて貰ったし、最低1年間は仕事やそれに関連する様々な事を学ぶ為の最低期間だと捉えていたからです。
そして、利用者(被介護者)の為の細かいサービス内容を考えたり、利用者とそのサービス内容に適した介護員を考え選び依頼し、現場の介護員と密接な連絡を取り合い、より利用者のニーズに合うサービスへと改善していくメンバーの一員でもある「サービス提供責任者」になれる1級資格を取得(条件としては1年以上の現場経験と定められた就業時間数をクリアしたのち、座学と現場実習をこれまたクリアしなければならない)するまでは、とにかくココで頑張ろうと考えてもいたからです。
介護者不足を補う為に粗製濫造気味の3級2級資格では、どこへ移っても同じことの繰り返しになるだろうし、キャリアにもならないだろうという考えもあったからですが、その考えは、ここのところの行政側の諸々だけを見ても、間違っていませんでした。

さて、社員として働く人間のなかで、手抜きをすることなく基本を忘れずに一生懸命に働く人はいて、そういう人たちは、ボランティア精神に溢れたアルバイト感覚の主婦、つまり働くのは週に2〜3日、それも一日数時間で、身体介護は汚いし大変だから(基本的にその為の介護保険制度だろ!)イヤ、生活援助なら日頃の主婦としての家事内容と同じ(ンなぁワケはない。だって仕事だろ!)だからデキルワ・イイワァ、あッ午前中はダメよ、夕方からもダメ、タイプではなく、キチンと現場状況を把握し柔軟な対応をして働き、うるさ型・問題山積みの利用者に好かれ、単発で一度入ると必ずと言ってイイ程ご指名がかかる私を信用してくれていました。
でも、そういう人に限って身体を壊したりコノ仕事に疑問を持ち(というより、会社の体制にですネ)次々と辞めて行くという現実がありましたし、現在もソレは進行中です。
ですから会社内も絶対的な人材不足で、新卒で4月入社の泥縄で2級を取らされた現場を知らない人間が、本当は違反行為である「サービス提供責任者」となるから、現場の混乱は増すばかりの悪循環です。

そういうことがつぶさに分かるから、私は新規の仕事を引き受ける時は、しつこい位に情報提供を迫り、「行けば分かります」には、「どんな悪条件でも教えて欲しい。コチラはその方が覚悟して行けますから」と云い続けてきました。
でも利用者やその置かれた状況を知らない人間が殆どだから(つまりキチンと現場に足を運んでいない)、信用は出来ないし、現場に行ってみての唖然呆然なことが少なくなく、結果として騙されたことも多かったのは事実です。
ただ、私ら現場の人間が第一に考え対応すべきは利用者なわけですから、現場の混乱した状況等を上げ、サービス内容変更をさせたことも何度もあります。
会社側の担当者は連絡が悪いしイイ加減で信用できないという2度現場で顔を合わせた行政側の担当者が、私の携帯番号を会社から聴き(本来教えちゃイカンだろ!それも本人の承諾無しにさ)連絡して来たので、心を閉ざしゴミの山の中で8ヶ月も風呂に入っていない身体障害と痴呆もある方を、如何にして社会的な暮らしに近づけるかを一緒に検討し、デイサービス・配食サービスなどを、私が時間をかけてその方に話し勧め、成功させたこともあります。
まぁ自慢話になりますが、ペェペェの訪問介護員としては、現場で学びながら本当に頑張って来たと自分では思っています。

で、話を戻すと、3事業所に分割されてから、私が懸念した以上に事務的な混乱は凄まじく、当然のように仕事の出来る人から順番に身体を壊したりお手上げ状態になって次々と姿を消して行きました。PCの中にキチンと入れるべき介護員の仕事のスケジュールさえ、ぐちゃぐちゃです。
ダブルブッキングは当たり前、仕事中にどう考えても時間的に移動不可能の次への突如の単発依頼はあるは、これから直ぐ某さん宅に入っていただけませんか(オマエから受けた定期の仕事中だぞ!)などの、馬鹿馬鹿しい連絡がはいるのは、もう驚きはしない状況です。
もうもう、何をか況や、ですネ。
ですから最近は怒る気も失せ、今年いっぱいはココで頑張ろう余所へ移ろうと、とにかく出来うる限りの自衛手段をこうじつつ、私は乗り切っていたのです。

で、ソコに登場するのが件のバカ男(以下、X)です。
彼は移動で8月に他部署からI事業所にやって来た、付け焼き刃のサービス提供責任者補で、ある意味、組織内での被害者とも云えますが、仕事の本質や怖さを知ろうとしないからでしょうか、それとも知ってしまったら対処しなければならないことばかりなのが解っているからでしょうか、不備だらけですが一応は有る「サービス計画書」を読みとろうともしないから一切疑問を持たず(持てず?)、自分の担当先に足を運んで問題等を見つけようとはしない、無責任大バカ者の一人です。

ではなぜ、上手に生き残っているベテラン社員が彼のフォローをしないのか、在宅支援センターから急遽依頼の、問題ありありの新規の仕事まで彼に任せてしまっているのか?
第一には人手不足、そして最大の理由と思われるのは、近くI事業所に査察が入るので、その対応の為の諸々で手一杯だからです。
査察が入るのは珍しいことでは無いのですが、そのことに会社側が超神経を尖らせているのは、実はココに書くのは幾ら何でも憚る不祥事、目黒区の介護認定に関わる人達の中では有名になってしまっている、ドコをドウしたら何年も判明しなかったのかというような信じられないような不祥事の存在が、この夏に判明してしまったからです。わやや。

まぁそういった直ぐそこに迫っていることへの危機感さえも持てないから、ヘラヘラと介護員には禁じられている医療行為(実際には大なり小なり、そういうことが行われている行わざる得ないのは事実です、この業界では)をしなければならない現場に、私を騙してでも入らせようとしたんでしょうかねぇ?Xは…。
私みたいな人間を、そういう現場に入れるのが一番ヤバイじゃん。つまり私が、どういう仕事の選び方をしているのかさえ全く理解していなかった分けです。
私は「チューブでの痰の吸引」(昨年7月、在宅の筋萎縮性側索硬化症患者(ALS)に関しては適切な指導を受け事業主等の責任などを明確化すれば、私たちもヤッテイイことになった)さえ、ALSではなく脊髄小脳変性症患者だということを1日目にして突き止め、その仕事を断った人間です。その時会社側の人間から云われたことは、「20歳をちょっと過ぎた小娘(当時、福祉系大卒で入社したばかりの現在はG事業所所属)が平気でやっていることを、どうしてあなたはヤレないのだ」。
やるはずないじゃん、違反行為なんて真っ平御免。自衛しなきゃ、遠からず自分で自分の首を絞めちゃうもん。

で、再び件のゴタゴタに話を戻します。
Xから電話があったのは火曜日の夜でした。「担当の人間が骨折で仕事が出来ないので(コレは事実)、「就寝ケア」に単発で明日入ってもらえないでしょうか」。
私は当然のこと、答える前に色々と質問をしました。しかしこのX、利用者が男性か女性かさえも答えられない。私「就寝ケアにも色々ありますし、まずはサービスの内容が書かれたものをキチンとお読みになり内容を把握した上で、もう一度お電話ください」。再びの電話で質問しながら仕事内容の把握をし、問題はないと判断し仕事を受けました。
次にFAXで送られて来た書類を検討すると、Xは「利用者のオムツ交換が必要」と云ったにも関わらず、室内見取り図には「オムツ及び尿パッド」の置き場所が記載されてはいなかったので、即電話をしたところ、Xは「ははは、すみません。他の利用者の方と間違えました。その方は車椅子から移動介助すれば、トイレは自立です」。
ムッとしましたが、そんなことは日常茶飯なので、心の中でオイオイまたかよぉ、で済ませました。

そして当日のことです。
6時に終了した仕事先から、次までは1時間あるな、やっと5時間ぶりでトイレにいける(原則、私らは利用者宅でのトイレ使用は禁止だし、お水一杯戴いてはいけない。私は頭が固いと思われる程、余程のことがない限りはこういうことには厳密に対応しています。なぜなら、云うべきコトははっきり云うので、何かあった時に弱みとして利用されない為です)と思いながら歩いていると携帯が鳴った。
A(女性)「これからのお宅で困ったことがあったら何でもお教えするのでと、定期の骨折の某さんが、あなたに携帯の番号を教えたいと連絡がありましたので」。
私「そんなに問題がある方なんですか?」。A「カテーテルのことで何かあるかもしれません」。
カテーテル!? 私「カテーテルって、尿道カテーテルを交換(医療行為なので違法である)するってことですか!?就寝ケアの一環として?」 。A「はい…」。
私「引き受ける時にそのような説明は一切ありませんでした。カテーテル交換があるのなら引き受けてはおりません。そちらには社員の方がまだ何人もいらっしゃるはずですから、そちらで対応してください。私は帰ります」。
ちょっとそのまま待ってください、と何やら電話口でゴソゴゾ話をしてる気配。A「本日は家の方がいるそうなので問題は無いと思いますのでお願いします」。
私「ちょっと待ってください。お孫さんがいらっしゃることは昨日伺っていますが、その方がカテーテル交換をなさるわけですか? もし出来なかったらどうするんですか!? 私は以前から伝えているように、こういう仕事は絶対しません」。
再び三度の、やり取りと長ーいゴソゴソ。もうさぁ、オシッコ漏れそうだよ!

A「分かりました。カテーテルは最後なので、こちらから誰かが出向きます。それまでの食事介助等までをよろしくお願いします。利用者宅に向かってください」。私「あなたを今回は信用します。もし何方も現れなかったとしても、私はカテーテルには一切手を触れないことを、もう一度ご確認くださいネ」。
あぁ、もうバスを待ってたら間に合わない。歩くしかない。道筋を考えたって、コンビニさえ無い場所だ。トイレ?膀胱破裂はしないだろう、暗示暗示あと2時間半の辛抱だ!

急ぎ足で歩いていると、再び携帯が鳴る。
A「Xがソチラに向かっています。利用者さん宅の近く、あなたが何度か仕事で行かれた某さん宅前で待っていてください」。
で、某さん宅前で、Xと出会った。
Xは、すいませんの一言もなく、ニヤニヤしながら、こう云った。「いやぁ、なんでカテーテルなんですかねぇ。この方の蓄尿パック内の尿を捨ててくれればイイだけなんですよぉ」。
またまたの、何をか況や、ですな。

Xの云うことは本当かもしれない。常日頃なされている違反行為なので、「膀胱留置カテーテル」の利用者さんだと、偶然にも耳にしたAや他の人間達の、思い違いと過剰反応なのかもしれない。しかし、FAXで送られた書類には、何も書かれてはいず、そもそもXはその場にいて、どういうことを伝えたのか?また伝えなかったのか?!

Xは、二人で入る必要はないから帰らせて貰うという私に、「いやぁ女性の方なので、女性が食事を食べさせて上げたほうがイイですよ」。私「それは利用者さんからの要望なんですか?」。
X「いいえ」。私「あのさ、私は女性ですよねぇ。さっきまで男性の食事・排泄・入浴介助を問題なくこなしてきましたよ。どう思う? あなたも介護員という意識があるなら、そういう無意味なことは口に出しちゃいけないんじゃないの。あなたもキチンと出来るはずですよねぇ。この仕事、1円もいりませんから、帰ります、私」。「あ、それからですねぇ、あなたが直接窓口になって依頼してくる仕事は、今後一切引き受けませんから、御承知おきくださいネ。あなたはこの件を報告なさるでしょうが、私も事細かに事の発端から経過を全て報告しますから。さよなら。よろしく!」。

ハイ、静かにしずか〜にキレタ、でも実のところは目の前のバカオトコを、ぶん殴ってやりたかった、バカバカし過ぎて笑っちゃう一件の、コレが全て、です。



10月6日(水):なんだか様々と調子が狂いっぱなしだ。小さなトラブルが、仕事や生活の場面で次々に起こり過ぎると、ひとつひとつのソレは、実はどうってことのないものなんじゃないか? そう思えてくるから不思議。つまり、こういう時は、下手な考えや動きはせずに、何かが通り過ぎるのを静かにジィーッと待つ、というのが一番の得策かな? 
さぁ!楽しいことを考えよう。心地よくて刺激的な気分に満たされ、ウキウキドキドキするようなことを、ネ。計画しよう、やってみよう、そういうことを、ネ。それって、決して現実逃避じゃないよ、ねェ!?    



10月1日(金):発熱。更年期も終わっただろうにココントコ何だか意味なく汗が噴き出るなぁと思っていたけど、もうその時から熱があったんだろうな、きっと。もう色んなことが有り過ぎで久しぶりのBitchな気分になり、もうもうッ嫌ッ! 何もかも放っぽり出したい気分になったけどヤバイじゃんコレって!?と気づき、担当の仕事を一件、無理を云って外して貰い早めに帰宅した。こういう時こそマジ遊ばなきゃ!とオンナ友達に連絡したけど、みんな今夜はお忙しでさぁ。あ、こういうBitch状態の時はオトコ友達は駄目。意味無く甘えてしまって、せっかくのイイ友情関係をブッ壊しちまうようなオバカな行動に走る可能性が私は大だからネ。それくらいは流石の私も学んでいるんですよ。あ〜あッ。熱の所為で頭が半分も働かないから音楽を聴くこと位しか出来ない。で、泣けるぅ、ARBの『KAZA-BANA』。石橋凌の詞、凄すぎ! なんでこんなイイもの書けるのさ!全くもうッ!   
 


9月29日(水):けんきょーふかい。正直なところ書けと云われたら一瞬「けん?」と考えてしまうけど、読めるよ「牽強付会」。勿論、意味もバッチシ解っております。そんな、日常生活では絶対といってイイ程に使わない言葉が、考え事をしていた時に、ふぅっと頭の中に浮かんだ。私は誰にも何に対しても遠慮無くモノ云わせて貰ってるし、理屈も捏ねている。だから時に牽強付会だってあると思っている。だってそれほど人間デキテイナイし、決してイイヒトではないし、好きか嫌いか気持ちイイかワルイかといったような、かなり動物的な皮膚感覚じみたものが、私の考え方や行動の基本にはあるからさ、いくらパッパラパーでも、保身という、これまたかなりの動物的で本能的な作業も必要なワケよ。今夜の文章、私が何を云いたいのか全くワケわかんない?ですよねェ。こんな天気の夜は、人生様々と想い巡らすワケでして…。ま、イイやぁ。ソウイウこと(?)なんです。



9月27日(月):事業所のIさんが「今日まで言えなかったのゴメンなさい。私辞めるんです」と電話口で囁いた。有給休暇を消化するから退社は来月になるが仕事は明日一杯で引き上げるという。週明けからショック! 本社内に在ったM事業所の担当地区が広範囲過ぎるからとI・G・Sの三事業所に分割されたのが8月1日。Gの所属となった私だが以前からの担当先も継続だから何の為の所属かも判然としないまま此処に至っているし、懸念した通り事務的混乱は以前より甚だしい。そんな中でIさんは私が信頼する数少ない社員の内の一人だった。私同様ハッキリものを云う彼女とは何度か遣り合ったが積極的に現場に出てはコチラの伝えた現状の把握に努めていた。混乱極まる体制の中で頑張って仕事をやっていたし闘っていたし向上心もあった。何をやっているのか本当に判らなくなったし疲れ切ったという彼女は、再度大学で学びたいらしい。楽しく頑張って下さいネ。



9月25日(土):「この電車は7分遅れでの発車です」と車内アナウンス。飛び乗った各駅停車車内が方角と時間にしてはいやに混んでいたのはその所為だったのかと納得した。続いて「優先席に座られていたお客様は心臓ペースメーカーを御使用の方でした。その隣に座られた方が携帯電話を使用なさっていたので、止めてくださいとお願いしたところ、その方はそのお客様を突然殴りつけ下車なさいました。お客様はその所為で具合が悪く成られましたので、只今途中下車して戴きました。優先席付近では必ず携帯電話の電源をお切り下さいますよう御願い致します」。殺伐たる気分になった。その殴った奴は論外だが、その優先席付近にはソイツを取り押さえようとする人間が一人もいなかったってワケだ。まぁ誰だって殴られたくはないだろうしソウイウ奴ならそれ以上の行為に走る可能性だって充分あるだろう。私だったらどうしただろう?と重い気分で考えた。が、答は出ない。



9月22日(水):猛暑だった今夏は室内で脱水症状を起こしたりで入院する方が続出だったし、その一歩手前で危うかった方も何人もいらした。そしてそういった、この夏もまぁなんとか無事に乗り越えたかに思えた方々の中から何故かここのところ再入院も含めて病院へ運ばれる方が頻発。秋の気配にホッとなさり夏の疲れがドッと出たのだろうか? 高齢者が入院するとADL(日常生活動作。つまり人間が毎日の生活を送る為の基本的な動作のことで、例えば食事・更衣・トイレ・入浴といった「身の回りの動作」や「移動動作」のこと)が落ちることが多く、仕事としては入院前より格段困難さを増すが、こちらとしては無事に退院なさり再び住み慣れた自宅で過ごせるよう待つことしか出来ない。その中の御一方が今朝方亡くなったと事業所から連絡を受けた。殆ど寝たきり、微笑みと共に出辛い声を振り絞ってはアリガトウを連発の、小さくて可愛らしいオバァチャンだった。合掌。



9月19日(日):東京はいやに蒸し暑かった。案の定、気温30度以上の真夏日67日目だったそうで此れ程Crazyなのも単に残暑って云うのかな? そんな一日だったというのに、私まるごと、落ち葉ハラハラ、なんだかさぁ…寂しくって淋しくってどうにもならなかったのさ。電話をする気分じゃなかったから自分からは掛けなかったけど、友人から貰った数回のコールでは話の内容に関係なくいつも通り相変わらずの調子でお喋り出来たはずだし、返信を含めて送信の何通かのメールも元気印の私だったはず。でもね、なぁンかとってもサビシイのさ、サビシカッタのさ。なんで? 人恋しいっていうの?肌寂しいっていうの? よくワカンナイんだけど、よくワカリタクモナイんだけど、なんで? なんで、なんで、なんで? ヤバイよぉ、困っちゃうよぉ、こういうの。好きじゃない、コウイウ感じ。どうにかしなきゃどうにかしなきゃ、ネ。でもさ、一体どうしたらイイんだろう?  



9月17日(金):最後の最後までコチラかそれとも所属事業所の茶話会という名の小会議かと迷ったが後者に決定。生活基盤がキチンとしていなければ社会的な参加も結局は中途半端に終わる、そう考えたからだ。お金があればカンパ等は出来るし気分的余裕があれば周囲への問題提起等も幾らでも可能だからネ。さて茶話会での成果は事業所の責任者と一対一で話せたことだ。現場の人間として上申したが中間で握り潰されたと確信している仕事上の問題点や疑問点などを一切合切、勿論私にしては最大の気を使った表現方法を用いたけれど伝えられた。まぁ彼女も一雇用人ゆえどこまでソレを会社中枢部に上げるかは疑問だけどさ。懇親会風になった時、責任者が隣にやって来た理由は有り難くも充分に理解したが、申し出は、断った。現場で働くならば、中途半端な雇用形態の準正規軍一兵卒よりも、より不安定ではあってもゲリラ部隊の一ゲリラ兵の方が面白いし、私らしいもんな。



9月13日(月):この記事を読んで、直ぐさま跳びました。凄いよねぇ、こういうものが自分のウチに居ながらにして閲覧できちゃうんだよ、Web って凄いよ。最も、コレを無料で公開しちゃう、イギリスの「ブリティッシュ・ライブラリー」の英断がとにかく凄いと思うんだけどさ。時間がある時に、まずは台詞を覚えている有名なシーンに行って楽しもぅーっと。この活字を目にするだけでも、なんだかワクワクしちゃう。ううーっ、ちょっとだけ、本当にちょっとだけで我慢するからさぁ、指先で触ってみたいぞ、鼻を近づけてクンクンと匂いを嗅いでみたいぞ、こういう本。



9月11日(土):今、日付が変わったばかりだ。Sep.11、そう、あの日だ。「テロルの時代」に突入していることを否応なく世界に知らしめた、あの日…。昨年のこの日にもココで触れたが、まざまざと思い出されるニューヨークでの不条理な悲劇は、決して悪夢ではなく、現実だった。忘れてはならない。日々は知らずしらずのうちに、生業と多量に発せられる情報そして極めてコジンマリとした楽しみなどによって急き立てられるように過ぎて行くが、私たちが生きるこの世界の現実から目を背けることは、結局は私たち自身の首を絞めることに容易に通じている。異議なし!と心の中で叫びながら読ませて戴いたのはココの「OZANA REPORT その11.」、是非読んで下さい。そして「その9.」も。またココにも足をのばして戴けると幸いです。声高にでは勿論なくてイイ。時々でイイから思い出して、個々の心のスクリーンに写し出し続ける必要なことって、あるはずだ。そう思う今夜の私。



9月9日(木):友人と長電話。前日とあることに関して、迷いイッパイの感想メールを書き送ったのだが、それに関して彼女は、私の視点の大きな間違いを鋭く指摘してくれた。感謝、そして納得。本当にありがとう。
終始一貫して論理で語られているものに対しては、例え一片であろうとも、心情や感情を持って接することは大きな間違いであることを実感させられた。初っぱなから自分自身の目を曇らせるし、理解には程遠い、終わりのないラセン状の混沌とした思考に填り込み、どうにもこうにも抜け出せなくなるんだな。
今夜の彼女の名言のひとつ:「世の中のルールには人格はない」。



9月6日(月):「ここのところメールがないけどChiroアンタ元気にしてるの? これを読んだら即メールか電話にメッセージを残すこと」。「生きてる?心配している。×曜日×時から×時までは確実に部屋にいます。我慢して起きているから電話しろ! 電話を受けたら直ぐコチラからかけ直すから安心しての長電話が可能です」。先週末に届いた海外の友人二人からのメールだ。泣けた。勿論速攻で連絡を取ったけれど、忙しいからこそのメールだろう時差があるからこそのメールだろう、と怒られた。ゴメン、その通りだよ。書き込みはなくてもウチを覗いてくれている日本の友人達は私の様子をかなり分かってくれているが、日本語が分からない友人達はそうはいかない。だから忙しさにかまけて連絡をサボッテいると、こういう心配をさせてしまうことになるんだよねェ。詳細は決して訊ねないが、私の様々を気にかけてくれる彼らは、さっき電話をくれた貴方と同じ、大切な友人だ。



9月4日(土):電話が鳴った。どんな内容の夢だったのかは悲しいかな全く思い出せないのだが、いつもの様に鮮明な色付きの、その夢のなかで、確実に電話は鳴った、延々と鳴り続けていた。固定電話?それとも携帯電話なの?どっちなのさ!? 出なくちゃいけないよ、早く出なきゃ! でも、身体がさぁ、なんだかこぅ身動きがとれないんだよ。だから、だからお願いだから、もうちょっとの間でいいからコールし続けて!   突然目覚めたのは、きっと、大声で何かを叫んだからだろうな。固く抱きしめ身体を絡ませた綿毛布まで、信じられないほどの汗でぐっしょり濡れていた。だるいなぁと思いながらも下着とパジャマを着替え、真夜中だというのにシーツと枕カバーまで取り替えた。何やってんだよぉ、泣きながら、何やってんだよぉ。夢の続きの雰囲気に酔って、無意味に泣くなよ!バカ!! イイトシして、そんなことで泣くんじゃない、しっかりしろよなぁ!自分。



9月1日(水):クソ暑い、湿気が酷い。ここんとこ地震が頻発するなぁと思っていたら浅間山が噴火。気象庁は「大規模な噴火につながる可能性はまだない」と云っているが本当か?そう願いたい。ロシアでは旅客機同時爆破テロ・モスクワの自爆テロ・武装集団による中学校襲撃占拠と不穏な動きが活発化。イラクなんか混沌という言葉そのものの状況だ。別に海外に目を向けずとも日本国内だって、何時までもオリンピック関連ばかりを嬉しそうに報道しててイイのかよぉ!という災害や悲惨な事件が続発していたし、している。あッ国内さえも考えなくとも身近な困ったチャンは、またまた他人にベッタリと何やらワカラン相談をし始めたようだし、全くもうッ! とまぁ、私が溜息と共にドンヨリ頭を絞ってもドウニモナランことばかりなので、今夜は半分自棄気味に、大量の「豚挽肉・茄子・トマトのカレー」と「トマトと玉葱サラダ」を丁寧に作って、食べた。 美味しかった。



8月24日(火):「宗教」というものに興味をもち「宗教多元論」を基盤にした卒論(注:「Not Fade Away」のココを読んでネ)を書いた私だが、最近は宗教に出会うのがとても怖い。仕事先の個人宅で直接目にするもの知ってしまうことは、まだイイ。こちらがアチラの誘いに乗らずまたアチラに嫌な思いをさせないように上手に逃げればいいだけのことだから。正直疲れるがソレはそう難しいことではない。実に恐怖なのは個人宅ではなく仕事関係の事務所や施設などに何気なく置かれているその手の新聞や書籍に気づいた時だ。表立って何々(教)を母胎にしての云々などと説明がなされている場合は何ら問題はないのだが、事務室や所長室の机の上のSやK新聞を目にした瞬間まずは身構えてしまう私が確実におり、そういう自分を嫌悪するし、怖くもある。個的な偏見を再認識するから? しかし福祉の場面では、国家中枢と深く結び付いたS勢力は、想像以上に強力で強大である。



8月21日(土):ここ1週間というもの仕事以外には好きな音楽も聴かずに黙々と読書。そう、BBSに書いたアナーキズム関係の本ばかりなのだが、59回目の八月十五日があった所為か思考停止状態になる文章に出会う回数が思いのほか多く、ページをめくる手が手持ち無沙汰でちょっとイライラしたかもという、そういった日々だった。音楽関係に思考を跳ばすと、慶應での授業で『IMAGIN(by John Lenon)』をアナーキズムの最たるモノだと云った教授がいたが、まさしく! 加えて『ANARCHY IN THE U.K.(by Jonny Rotten)』を読み込み比較すると…。「自由」というものの原理主義者がアナーキストだ!ということを再認識できる。それも、ロマンと感傷に満ち溢れた何時までもケツの青い人間の「爆発」の思想、かな? イイじゃん!! そして生前に一度でいいからお目にかかりたかった、晩年は全身に刺青を背負った竹中労氏曰く、「ほんらいアナキズムは人間の気質に関わる」と。



8月18日(水):抗議をされた方に、改めてお詫びを申し上げます。御迷惑をおかけしました。まことに申し訳御座いませんでした。
以後、16日付けのような文章を書くときは、必ず固有名詞、または読者がソレとはっきり判るような形で、モノを書かせて戴きます。



8月18日(水)一昨日の内容に関して、抗議を受けました。反論(というより説明かな?)するにも物的証拠はなく、ただの感情的な水掛け論になるだけです。よって、後半部分を削除しました。



8月16日(月):なんだよぉ!ってな感じィ…。人の心は刻々と変わるし頭や心で考え続けて来たかもしれない理想的な人生とそれに至る為のナンヤカヤなど考え得る最低限の対処方法、ましてや日々の生活に関連する数え切れない程の雑事に対して如何にテメェの根本を殺すことなく風穴をあけるか否かってのは、本当に苦しくて大変なことだというのは解っている。いくらオバカでグズグズ、誰かさんが肩にチョッとでも触れたならブワーッと恥もイイとこの大量な埃が舞い上がりいつまでたっても落ちて来ないような生き方をして来た私でもネ、私だからこそネ。( 以下、削除。


                     ) 



8月15日(日):云わずと知れた59回目の「八月十五日」。今月6日付けのMさん話の続き。「館山到着後は兵舎に軟禁状態で敗戦だという情報しか与えられず。玉を抜かれ米本土に移送後一生使役だという噂が真しやかに流されたがそれさえも現実感が持てずに鬱々の日々。そうした状況に耐えきれず仲間をピストルで脅し、戦闘だ!と水上機で飛び立つ者も現れついにはプロペラ外しという手段が講じられた。館山でも除隊命令が出されるまでの10日間余りに二、三十人の戦後戦死者が存在する。」さて昨年BBSで議論沸騰した「終戦それとも敗戦」だが、最終的にNANIOさんの意見に同意した。【名前変えたって、隠されるものは隠され、うやむやにされるものは、所詮うやむやだ。僕らは、ただ、今が平和であることを歓び、これからもこの平和を維持することを認識する。そういう日であればいい。と思う。振り返れないこの時代を、悔やむな。歩き出すことを今、畏れるな。】



8月11日(水):研修スケジュールをチェックし始めて、ハタと気づいた。昨年の今日、日付が変わった瞬間にウチをWeb上に正式UPしたんだなぁ…と。短距離走者の私にとっては十二分に長距離と云える1年を、ともかくも走り続けることが出来たのは皆様のお陰です。本当に有り難う御座います。HPなんか作れるのか?と悩む私の背中を何気なく押して下さったお二方、作成中嫌な顔一つせず様々と御教授下さった方、UP直前の状態を見て戴き御意見を頂戴した方々、そしてヒヨリかけていたBBS設置に対しては何人もの方が真摯な意見をぶつけて下さり目の曇りを払拭することも出来ました。また開設後ヘンな箇所を指摘して下さっただけでなく手直しの方法まで丁寧に教えて下さった方々、そして勿論「お気に入り」に入れて下さり遊びにいらして下さる方々etc.。皆様に心から感謝!です。イイ気にならず更なる長距離を目指して行きますので、これからもどうぞ御贔屓に!



8月10日(火):ゾクリッです。なぁんて美しいの! 火星というと、恥ずかしながら何やらタコのような火星人のイラストをまずは思い浮かべてしまっていた私ですが、最近は違うんだなぁ…。ここを訪れると、コマコマチマチマな日常を、一時ですが忘れます。



8月6日(金):広島・原爆の日。原爆ドームを初めて目にした時の複雑な感情を思い出す。お父様が被爆なさったというウチの常連さんのお一人は、何を考え何を思われたのだろうか? さて仕事先のMさんは戦争関連の何かの日には必ず話しを始められるが、今日も「新型爆弾」投下を数日遅れで知った三重海軍航空隊での最終的な任務のことなどを、それはそれは静かに語って下さった。マッチ箱1個大で驚異的な破壊力を持つ爆弾をドイツから日本に運搬の噂があったので、あぁアメリカに先を越された負け戦は決定的かと、多くの仲間達は絶望と悲壮の想いで沈黙したという。しかしまた同時に彼らは、必ずや本土決戦になる、「水際特攻」に選ばれた我々は東京湾海底に爆弾を抱え潜み待機し、米軍の上陸用船艇に体当たりして散る日は間近だと身震いしたそうだが、以前からの予定通り列車で館山に向かわされたのは、玉音放送を聴くことを許可されなかった、その日だった。



8月5日(木):マジギレしそうだったが、そこはそれ仕事だからグッと我慢し最後までやるべき事はやり終えた。狭い玄関で靴を履き笑顔を貼り付け軽くお辞儀をして「お大事に」と声をかけ廊下へ出ると、あらまぁしまった途中でドアノブを離しちゃったぁ大きな音を立てちゃったわ、という感じでバタン!とドアを締めてやった。次の仕事先へ向かいながらも怒りは治まるどころか益々膨らむばかり。気分を変えなきゃ。しかしコーヒーなどを飲んでる暇は全くないから、人っ子一人いない歩道橋の真ん中でひっきりなしに下を通り過ぎて行く車を見ながら一服していたが、気がついたら大声で歌っていた。昨夜BBSで書いたからだろう「Teacher's pet」だった。ついでだからと、仕事に必要な物を目一杯詰め込んだデイパックを背負ったまま自分の歌に合わせてタップダンスまで踊っちまったのさ。4時半頃、もしあなたが池尻大橋付近で不審なモノを目にしたとしたら、それは、私です。



8月3日(火):ン?と耳を疑ったのは帰り支度をしながら話す某区・某「在宅介護支援センター」の某ケアマネージャーの言葉。母の所へ「通所リハビリ」のことで書類を持って来ていたのだが「本当にこの夏は家の中で脱水症状を起こし救急車で運ばれる人が多いのよ」。母「云々」。某C.M.「あら某区で脱水症状で何人も亡くなったら大変よ。センセイ何をやってたんだって私は怒られてしまいますよ」。先生!?ケアマネって先生って呼ばれているの?! 母は某C.M.を「何々さん」と呼んでいるが、少なくとも私が知る限り、私のような現場の人間や利用者などはC.M.を先生とは呼んではいない、「さん付け」だ。そう云えば昨日の実習中、著名らしい某C.M.女史は話しの最中に自分のことを「先生」と連発し失笑ものだったっけ。私には理解不能、ハテナ?の世界。ちなみに、私が心から先生と呼び、また先生と書ける人の数はそれほど多くはないなぁ、それこそ世界中で数人だ。



8月2日(月):本日は同期生全員一緒の現場実習だった。後は10月の最終授業日までは会うことが無いからと終了後なぁんとなく気が合う連中と軽くビールを呑みながら食事をした。殆ど全員が深い悩みを抱えながら仕事をこなし現場でも事業所に対してもキチンとモノを云うという、孤独で割の合わない闘いをしていることが分かり、おぉ!同志!!と単純に嬉しかったし心強く思った。そりゃぁそうだよな。20万近い金を自腹で払っての研修、そして研修日には仕事が出来ないから減収もイイとこだという辛い現実。加えて1級を取得したからといって仕事内容や収入にはなんら反映されない今のシステムでは、オイシイコトはそれこそ皆無。基本的に自分の為にだけこうして研修を受けてるのだからイイ加減なヤツはいるはずがないものなぁ。ちょっと横の連絡網を強固にし、何か変えられることがあるのか?あるならその戦術は?など、その可能性を探っていきたいなぁと私。



7月29日(木):なぜコンナ仕事を始めたの?あらぁ高校も出てるんだぁ勿体ないねぇコンナ仕事で。珍しくはない偏見だが、なぜか本日は複数の仕事先でソウ云われた。この業界「今のところ」は根本的に学歴は関係ない。大学・短大で専攻または専門学校を終え取得の国家資格があっても現場で求められる仕事内容は今の私と全く同じだし、その国家資格も現場を3年踏み(従事した最低時間数は求められるが)国家試験に受かれば入手可能なのだ。つまり年齢や学歴に関係なく「仕事」をすることが出来るし、現場での評判評価が悪ければ何を云っても無意味な業界でもある。それに生身の人間を直接相手にするのだから己の人生の来し方を生かすも殺すもコチラの知恵次第。様々問題は山積みだが仕事自体は面白いんだよなぁ。「コンナ仕事」をする人の「コンナ」ケア無しには日々が立ち行かない彼らは、どんな学歴のドンナ仕事なら納得がいくのだろう? なんだか淋しくない?   



7月28日(水):決めた!「PAZ」というWeb世界を探索し始めた時に自分で付け現在も愛用の名前には、今夜限りでサヨナラをしよう。PAZはスペイン語。化石のようだなぁと笑われようが手紙やメールの最後にこれまた未だに愛用の「Love & Peace」を、必要に迫られてちょっぴり囓ったスパニッシュに置き換えれば「Amor y Paz」になり、そこから取ったお気に入りの名前だった。私から云わせれば、いつまでも自分の痛みにだけ拘泥し真摯に対応したであろう他人の想いには全くと云ってイイ程に思いを馳せられないらしい方がいて、その方が最近になってウチの存在を知り覗いて下さっているらしいのだが、もしその方がコレを読んだならば「ChiroがPAZを捨てる理由」くらいは解ってくれるのだろうか? もうドウデモイイけどさ。これで私のWeb上の名前は、戸籍上の名前よりも「本名」と云えるChiroと、ブルーリボン関係で使用の「ちい」だけになった。あーッ、すっきり!



7月26日(月):薄ぼんやりと心の中に存在してしまった小さな塊が気になり、ここ数日どうにもならなかった。きっかけは「自殺、過去最悪3万4427人」という記事。これが日本という国の一端を強烈に現していることは云うまでもないし、なんだか辛すぎるのは事実だ。しかし私の中でざわめいていることは、そんな現実から触発されてのものではない。かつての仲間で自ら命を絶った奴らの顔を思い浮かべながら、確実だった彼らの手段と、仲間だった一人として知り得る限り判る限りのそこに至らざるを得なかっただろう理由らしきものを列挙してみたが、私のザワザワ感は全く消えず。しかし本日、中原中也の詩を読んでいて久しぶりに再会した或る一語、その言葉から一瞬のうちに連想したことがあり、勝手に納得。そうなんだ、「緩慢なる死」。そういう死を自ら望んで成功したと思えるアイツのことが、「自殺」という単語の意味的範疇の境界線で漂っていたんだな、きっと。



7月18日(日):曽我さん一家が帰国・来日。何はともあれ、まずは良かった。後はジェンキンス氏が何事かをハッキリと語る日が来るであろうことを信じたい。しかしこうした一連の動きの陰で拉致問題に幕を引き性急に日朝国交正常化を進めようとする動きがあることを、私たちは注視しなければならない。なぜなら、政府認定の行方不明者のみならず未認定の「特定失踪者」達の存在が忘れ去られてはならないからである。署名活動を開始した直後、心ない言葉だけではなく生卵まで投げつけられながらも活動を続けてきた「家族会」の原点は何か?! ニュースを見ながら再度考えてしまった今日、知り合ったばかりのカナダ人男性が「ブルーリボン・バッジ」を胸につけてくれBBSにこう書き込んでくれた。「僕は外国人ですので拉致問題に関して分からない事がいっぱいありますが、あの日本人達に最低な犯罪がされたと分かります。彼らの家族や命や自由などが盗まれました」。



7月12日(月):夕食後Juliaにせがまれていたカラオケに行った。私は定番の「サルビアの花」や「浅川マキ」ナンバーといったものから最近お気に入りでよく聴いている曲の中から初めて挑戦した、沖縄民謡(?)「十九の春」とARB「ダディーズ・シューズ」まで、久しぶりに楽しんだ。「魂のハグ」がなかったのがとっても残念だったけどネ。以前からUTADAファンのJuliaは、何曲も彼女のものを歌っていたが、う〜む、どれもこれも何やらお経を唱えているようにしか私には聞こえず…。でも、エッ!そんな難しいものを歌うの!?と選曲した時は驚いたけれど、森山直太朗の「さくら」は、とても不思議な雰囲気を漂わせていて良かったなぁ。帰宅したらまたまた仕事関係の手順の悪さに腹が立つFAXが届いていたが、ウン、今夜は気持ち良く声を出して歌うことが出来たから、七面倒くさいことを考えることは後回しにして、まぁまぁイイ一日であったと、幸せ気分のままで寝よう。



7月9日(金):「なんて幸せな人なんだろうねぇ。1億円じゃ足りないそうだよ日本から飛行機飛ばして旦那と娘二人を連れて行くしね。ホテルも一泊10万円以上の凄い部屋なんだって。そこに何ヶ月も家族で泊まるんだってよ。羨ましいねぇそんな生活してみたいよ」。朝から盛んに流されている曽我ひとみさん関連のTVを見続けていたらしい仕事先の一人の、想像力皆無で無神経な感想。「1億だろうが10億かかろうがイイじゃないですかぁ本当に良かったですよね。日本政府がだらしなかったから曽我さんが北朝鮮に連れてかれてたことも判ってなかったんですものね。あッそう云えば曽我さんのお母さんはどうしたんでしょうねぇ?お母さんとも一日も早く会えるといいですね」とやんわりと私。1978年8月12日に佐渡島で拉致され2002年10月15日に帰国するまでの24年間そして今日までの日々。未だ情報が得られない大勢の拉致被害者の方々を奪還!への道のりは遠い。



7月6日(火):期日前投票を初体験。事情があり仕事中に絶対的な空き時間があったので前後の移動時間などを考慮し一番妥当だと思われる田園調布特別出張所に出向き、権利を行使した。2階の6畳程の広さの小会議室。階段を昇る前から聞こえてきたのは大声での談笑だったが私の姿が見えた途端、一瞬にして作り出されたのは重々しくも冷ややかで人工的な静寂だった。笑っちゃうよな。入り口にはチェック係の男一人女二人、また二つの投票箱の間に女一人がおり投票用紙に向かう私の背後1,5m程に位置している。そして入り口の三人に対峙する格好で女二人が何事かを注視監視。つまりこんな狭い空間では場数を踏んだプロならば、私の腕と手先の動きでどんな名前などが書き込まれたかあるいは何も書き込まれなかった(笑)かなど、絶対に判然としたはずである。気の弱い人に耐えよ!と云うのが無理難題な雰囲気と状況であり、なんだかなぁのお役所仕事的対処だと痛感。



7月2日(金):コレは面白い! イイっ!! 
〈今度の参院選挙で国民からマスコミへの不信を表明してみませんか? 名付けて「出口調査は民主党に清き一票を」キャンペーン〉
私は今回、選挙区でどうしても一票を投じたい方がいます。しかし投票日は研修で、時間的に余裕が無さ過ぎ。なので、仕事の隙間を縫ってどうにかして来週前半には、「期日前投票」を済ませる予定です。ですから私自身は誠に残念なことには、出口調査に出会う機会は絶対に有り得ないのですが、このアイデアはどうしても紹介したいと思いました。如何なもんでしょかねぇ?皆さ〜ん。



7月1日(木):今日はなぁんとなく、気分がガサガサとしています。仕事中の笑顔も、無理矢理の作り笑いが多かった様な気がします。
ココ行きたくないなぁ…とか、もうそろそろココの担当はイイんじゃないのかなぁ?外して貰えるかなぁ…などと、仕事先へ向かう足取りが重くても、いったん挨拶して仕事を開始すると、そんな気分は吹っ飛ぶんですよねェ…実のところ。でも、なんかこう相手から、絶えず振りかけられてるマイナス・エネルギーのオリのようなモンが、私のなかで溜まって来ちゃっているようです。
いけないよなぁ、もっとプロにならなければ、徹しなければ…。心っていうもんの働きを、もう少し鈍に出来たとしたら、いくらか楽にはなるのだろうか?



6月29日(火):ただでさえベターッとクソ暑くて不快指数が高いというのに久しぶりの「本質的に大馬鹿野郎」からのメール。BBSに書き込んだら徹底的にヤラレルだろうからとヒヨッテらしきの小心バカ者からのものはHP開設以来日常茶飯なのでオッ来たな!と御相手するのもバカを喜ばせるだけだと即削除で気にもならなくなっている昨今だが、今日来たのはナンなんだぁ?馬鹿すぎ!あんたって誰よ? いくらメールアドレスやハンドルを変え文章に小細工を施したって根本的な癖ってもんは滲み出ているよ。どの辺りからの馬鹿なのかは判ってるつもりだけど全くいつまでもシツコイねぇ。私のことがなんでそんなに気になるのさ? それほど嫌悪の対象になるのなら、来るな!読むな! それとも何か?指が勝手にクリックしちゃうわけ? 「愛憎表裏一体」って言葉知ってるかな? もしかして、実は私のことが大好きだったりして?お友達になりたかったりして?(大藁)



6月23日(水):21日付けで触れたこの件に関して、↓の友人が、一昨日に続き昨日今日と追求の手(?)を緩めることなく書いています。この不思議(はてな)ブームに何か引っ掛かるところがお有りになる方は、是非ともtarochan.netへ!



6月21日(月):移動中に携帯が鳴った。アレ?まだ仕事なんやねェと関西在住の友人の何時もながらの低くてのんびりとした声と口調。彼女が久しぶりに見たとあるTVワイドショーでやっていたのは日本でも放送中の韓国TVドラマの脇役俳優に熱狂する女性達のレポートだったそうだ。違和感に居ても立っても居られなくなり珍しくも夕方、それも私と同様ビンボな彼女にとっては料金が高過ぎる携帯に電話してしまったというわけだ。「私は見てないけどChiroも見てないよねェそのドラマ?なんだか無理矢理感動させられてない?惚れさせられてない?日本のオンナ。私のイイオトコ観からは程遠いしなぁ、あんたが好みの暑苦しい位に濃いのや癖ありすぎのもナンだけど、なんであの程度に驚喜してるわけ?どこかが何かを演出してるわけ?」と、彼女らしくなく一気に捲し立てた。蓼食う…ですがねェ、偶然にも友人の本日付けのコレ、かなりの当たり〜ッじゃないのかな?



6月18日(金):時間に追いまくられてる感じの毎日です。そんな日々のなかで、大切にたいせつに殆ど毎晩、見開きの2ページずつを楽しんでいるのが、『童謡 赤い靴―The Images Of “AKAIKUTSU”』(作品社)という本です。歌から触発されたイメージをこんな風に具体化したんだぁ…と、イラストレーター124人の才能に脱帽。
よろしかった是非、本屋さんで実物を手にとってみてくださいネ。お薦めの一冊です。



6月16日(水):なんて凄い女性なんだろう曽我ひとみサンって。私などの想像が絶する思いのなかで生きてこられたはずだ。「悲劇」などと云う言葉は如何に甘いか、「不条理な現実」はそんな言葉を軽く超えたところに厳として存在することを背筋に寒気を覚えながら痛感、そして涙。彼女の手記(その朗読はココ)を是非! 反して、この報道が事実だとしたら余りにあまりだ。情緒的な想いだけではコトは動かない、どうにもならないことは幾らナンでも解っている。だからこそ、伝えるべきことは詳細に伝え主張すべきことはギリギリの線までの戦略を考え決定した上で実行しなけりゃ、国家の主権はどうなるんだ! まぁ最低限のやるべきことをヤッテから、「ポチ」らしくニヤニヤと薄ら笑いを浮かべながらのコメントしろよな! でもってコレ。なんでさ!? 全く哀しすぎるよ。どうしてこんなことまでしなけりゃならないのかなぁ。私は出来得る限り応援するけどネ。



6月13日(日):研修は休日なしで仕事に再突入といった塩梅だからキツイが講義内容は面白いことこの上ない。私は受講していないが3級の内容は円周率に例えて云えば「およそ3」の世界、2級は「約3,14として計算しなさい」だろう。そして1級はと云えば、今は小数点以下およそ1兆2400億桁まで求められているというソレの、任意の桁を知る公式を教えられ実際にそれを試みるという世界か? 受講者36名の内16名は今年東証一部上場で話題になった某社からの受講料全額会社持ちでの社員。あとの殆どは私同様の契約形態で働く、取得可能な資格は取ってしまえ実務経験3年で受験資格が得られる国家試験への第一歩それに日々の仕事に生かせるはずだと考える、デモシカあるいはボランティア精神が生かせそうとやって来てはアルバイト感覚で働き直ぐに辞めて行く大勢の主婦連中とは全く異なる人達だから、同志気分で真面目に様々と話される内容は過激極まりない。



6月9日(水):私にとっちゃ、まぁ、今やもう、どうでもイイことの一つなのかも知れないんですけどねぇ、多分…ですが……。しかし、こういうものをウッカリ目にしちまうと、心の内で、行き先不明のさざ波が立ち続けてしまうんですよ。なぁんとなくではありますが、吐き気さえ催すような、目に入ってきちまった気色の悪いものを次々に蹴り飛ばしたいというような、そんな、理では説明不可能な、なんとも云えない暴力性さえも伴った嫌な心持ちっていうのかなぁ? 「郷土と国を愛し」と「郷土と国を大切にし」の違い、何方かチャント、私に説明して下さいませんかねぇ? 正直なところ本当にワカランのですわ。あ、「国立戒壇」云々かんぬん、ソレとの関係においての云々かんぬん、と云うような、或る種、まずは思考というものを前提から排除しなければ理解できないような御説明は、勿論、御辞退申し上げたく存じますがね。御教授の程、よろしく御願い致します。     



6月8日(火):友人が電話で嘆く。「調子が悪くてしょうがないよ無意味にイライラするしさ。突然カーッと顔が火照って信じらんない程いっぱい汗が急に吹き出すの。そうかと思うとさ今日なんか風邪?と思う位に寒気がしたんだよ。やンなっちゃう」。ハイ、あなたは立派に更年期ですね。そういえば最近別の友人も具合の悪さを母親に訴えたら「更年期に入ったんじゃないの」と云われたとか。自律神経失調症状がずーっと続くんだもん大変だよねェ…と云う私は、お陰様で30代後半から始まった様々なシンドイ症状は最近ほぼ終了の模様です。もっとも多くの症状のうち便秘と肩凝りは小学生の頃からの仲良しなので未だ仲がイイまんまですが全身の倦怠感と浮腫が無くなるだけでも別世界だものね。お世話になったヴォイス・トレーナーの先生が仰った「楽よぉ本当に生理が無くなると。面倒から解放されて自由になれるの。分かる?別のオンナになれるのよ」を、日々実感。



6月6日(日):とうとう本日梅雨に突入。本当に嫌だなぁこの時期の日本って。あ〜ぁっカリフォルニアのあの青い空と乾ききった空気が無性に恋しくてしょうがない。しかし頭ン中まで黴でも発生するのかな? 終日ボーッとしたり突然の睡魔にフワリと襲われることが多々あるのが毎年この季節だ。そう云えば祖母が鬱症状になっていたのも梅雨時だったなぁ。あッ!おばぁちゃんの目が真っ青になってる。そんな風に幼かった頃から彼女の変化には気づいたものだ。幼くして亡くした母親が逝った時に咲き乱れていたという所為か、祖母は紫陽花の花を心の底から嫌っていた、憎んでいた。そして花が次々と色を変えて行くにつれ、彼女の目の青さは怖い程にどんどん研ぎ澄まされ、溜息をつきながらホロホロと涙をこぼす時間が長くなっていったっけ。そんなおばぁちゃんも、私が江古田に入学した年に逝ったが、もう梅雨が明けそうだという、とても蒸し暑い日のことだった。



6月2日(水):こういうトコ↓をココから跳べるようにしたからといって、私のことを、イイトシして「2ちゃんねらー」かよぉ!? とか、本格的に「う、う、ウヨぉ」になったのかよぉ!? なぁんて思わないでねェ。お願いよ、誤解ってモンです。お互いに嫌ンなるくらいに長くて深い付き合いじゃん。そう、そうだよ!ソコの我が旧友のキミのことだッ! あんた、頭がカタ過ぎさぁ。そのまんまイクとヤバイぜよ! と、キミの腐れ縁の友人たちの一人として、心からの愛を込めて忠告しちゃうよ。いちいちメールにしないでBBSへ書き込みなよ。そうすりゃぁ、私だけでなく他の人の意見も聴ける!ッてぇもんだ。「十点鐘」を鳴らしたい?今でもさぁ? もしソウだったら、その時キミは、ソレを何処でどちらの立場で聴きたいのか?ということだと思うよ。じゃぁネ。 http://www.mc.ccnw.ne.jp/kiyoto/Aexport-train.htm
http://mobius1.nobody.jp/  



6月1日(火):事業所に書類を届け階段を降りる私を「Yさ〜ん」と追いかけて来たのは10ヶ月程先輩のSさんだった。彼女は声を潜め「この間はどうもありがとう。話しを聴いて貰った時に云われた一言でやっと決心がついたの。来月からはあなたと同じ契約形態にしてもらうように話しをつけることが出来ました。私も今年中には1級取得の研修を受ける。勿論ココの事業所絡みのではなく高いけど学校へ行ってね。頑張ろうね!」。良かったネSさん!一歩踏み出せて…。先々週偶然移動中に呼び止められ手を握られ話し始められた時には正直驚いた。会えば挨拶はするものの特別親しい間柄ではなかったしどういう契約で働いてる人なのかも知らなかったからだ。働き出して3ヶ月目、理不尽さに我慢がならず契約形態の変更を強行突破した私をSさんは羨ましく思っていたらしい。疲れ切って悩んでいた彼女に私が云ったのは「我慢は良くない楽しくなけりゃ仕事じゃないよ」。



5月31日(月):ここ1週間以上新聞のWebページを始め出来うる限りの北朝鮮拉致問題関係の記事や報道をチェックし続けて来たが、突然の「再訪朝」の背景にはやはり怪しいことが見え隠れするし、その後の今日に至るまでの様々な流れの中にも、余りにも胡散臭いことや納得がいかないことが多すぎる。細かいことを並べ始めると際限なく、考え始めると吐き気さえ催して来るほどの、この日本という国のデタラメさ。まぁ、そういう国にした一因は私ら国民のドウニカナルサとかソコマデイワナクテモといった「まぁまぁ体質」にあるのは明白である。例え自分一人だけの異なる意見であっても、怖れずキチンと意見表明することを始めようよ。他人の顔色を窺いつつの多数意見に埋没するようなことは止めようよ。想像力さえあれば、感じること見えてくることは一杯あるし、ちょっとだけ立ち止まって考えれば、文字や流される映像の嘘や煽りは分かってくると思うんだけどなぁ。



5月24(月):旧友から結構厳しい御意見メール。彼と似通った意見がここ数日、お初に目にするHNで怒濤のように多数書き込まれているのが、私の書き込み数は少ないが開設当時から好感を持っている掲示板である。先程ソコに書いたことをココに貼りつけます。それは旧友への返事でもあり、リンクリンクばかりで自分の意見をココにキチンと書けていない、トップページに「ブルーリボン」を貼らせて貰っている、私自身への問題提起でもあります。

【ここ数日、こんなにTVを観ていたことがあっただろうか…自分。で、様々、論理的な思考も出来ず、キレがイイ意見をぶちかませるような回路もない、哀しいかなのアタシの頭と「心」をフル回転させながら、辛い想い出もギッシリ詰まっている自分の引き出しをひっくり返してまで、考えてみたよ。今、コレを書いている時点でさえ、考え続けているよ、アタシ。こんなことを、心情でしかモノ云っていないようなこと、ココに書いてイイのかなぁ、と思いながら…ネ。自分のHPにさえハッキリとした考えなんか書けていないし、多分、当分のあいだ書けないだろうなぁ。
家族会の方々がここ数日間に口にしたことや、その時の態度などに対しての批判は、分からなくもないよ。正直アタシ、やばいじゃん!と思ったしねェ、誤解されるよぉ…って。でもネ、彼らのこれまでの孤独な「闘い」を思うとさ、涙が出るんだなぁ、ゴメン知らなかった、知ろうともしなかった、ってさ。
自分が拉致されてしまった人間だったら…? 自分が拉致されてしまった人間の親や兄弟姉妹だったら……?
多分、あんなもんじゃ済まなかったと思うよ。自分でもワケワカンナイほどブチ切れてただろうし、今夜なんかブチ切れ過ぎて血圧あがって逝っていたかもしんない…。
ソウイウコトです。
ただネ、イイんじゃないの?異論反論の嵐は…。だってさぁ、関心があるってことだもん。なぜなら、「無関心」や「無視」ってのが、最大の否定だと思うからアタシ…。】

で、なんだかまたワケワカランうちに、政府は「10人の安否確認を交渉再開の前提とし前進がなければ制裁発動」と云いだしてるけど、一種の「軌道修正」なわけ? それは何故? 世論が政府が予想期待していた程には今回の訪朝の結果を良しとしていないように感じたからなの? まったくもう! と思ったら、またまたコレだよ。ナンなんだよぉ! 誰が何と、どういう綱引きしてるのさ!!  でさぁ結局は、やっぱりコウだった! と。



5月23日(日):ふ〜ん…こういう情報を政府は掴んでいなかったとでも云うわけ? そんなはずは、いくら何でもないよなぁ。おかしくないか!?
それに、そうだったんだぁ。まぁ何事も、「金総書記次第」というわけなのねぇ。
何をそう早急にコトを運ぶ必要があったのだろう? 周到な準備や戦略があってのことだっとは、どうしても思えない。水面下で、何が、誰が、どういう目的のために蠢いていたの?
不思議でしょうがないことだらけだが、私のような政治の素人にもハッキリと解るのは、合意項目の「制裁を発動する考えはない」は、戦う前に武器を放棄するどころか、白旗を掲げたのと同じことだ、ということである。それとも、私には理解不能な、深遠なる政治哲学に基づいての何かが、存在しているのだろうか? ワカラン。



5月22日(土):「25万トンの食料支援、1000万ドルの医薬品支援を約束」! 「外為法の発動停止」!!「特定船舶入港禁止法案の可決中止」!!! となッ?! それに対し北朝鮮は、返すべきが当然である人質の一部5人を返し、10人の拉致被害者の調査の「再開」を約束しただけではないのか?! それも、「日朝合同の調査委員会」でさえお笑いにしか思えないというのに、誘拐犯のボスが「真相究明のための調査を再開します」とは、一体全体何ナンだぁ! アッチに、してやられたんじゃないか?! という思いは払拭出来ず。
私がごちゃごちゃと書くよりも、本日の合意項目ココココ、そしてコレコレを読んで戴いた方がイイだろう。きっと隠そうにも隠せない何かが浮かび上がって見えてくるはずです。



5月21日(金):明日、小泉首相が北朝鮮を再度訪れる。私がこの問題に関心を持ち、その思いを形にするための運動に参加したのは「ニューヨークタイムズに意見広告を載せよう」という、一昨年秋にWeb上で始まったものが最初だった。それ以降、何がどう変わったのか?または変わらなかったのか? 
様々な想いや考えはありますが、今もこの時の主張が私の核であることには変わりがありません。
皆さん、よろしかったら是非とも、その意見広告を読んでください。
THINK」のThe Movements to Get Them Backをクリックしてください。そのなかのThe New York Times Ad Movement がソレです。



5月19日(水):ちょっと心が疲れ気味の時って、どうして「詩」っぽいものが浮かんで来たりするんだろう? 陳腐な表現だけど、知らずしらずのうちに頭と心がせめぎ合い、必要もないのにギリギリのところで、何やら勝負しているような感じがするんだなぁ。そして、正体不明のナニかが勝手に言葉を探し拾い上げては、ほぉらコレはどうよ?ってな感じで、欲してもいない「私」に無理矢理迫ってくる、そんな気がする。なんだかなぁ…。お疲れサンなのに、よけいに疲れるぜ。止めてくれよな。



5月17日(月):イイんじゃないかなぁと素直に思ったのがアメリカはマサチューセッツ州での同性婚の受け入れ開始。ヒトを恋い焦がれるのに異性なのか同性なのかは関係ないでしょ? で、恋の末に同居に至れれば万々歳かもねぇ…まずのところは。少女時代から友人知人に「隠れゲイ」も含めて同性愛者やAC/DCが少なくない私は、耳にしちゃうだけで辛い疲れるの彼らの「愛」の現状を垣間見させて貰ってきました。彼らは熱い! その熱さゆえの反動でかな?直ぐに別れる切れるも多いけど、彼らの自分が持ちうる精神的肉体的な全てを賭けての「愛」に対する一瞬の勝負は、美しい!の一言。惚れた相手との生活が満たされているならば何故に今更の証明書?などという疑問を始め様々な非難をも口にするのは容易いことですが、そこはソレあらゆる事が契約が基本の現代ですからねぇ。などと、僅か半年で惚れたオトコとの同棲生活を解消した過去のある私は、今は思う。



5月13日(木):ココに至るまでの、現実的には立場が微妙に異なってしまった御家族の方々の、心情的な葛藤やらなんやらを想像したら、なんだか涙が出てきてしまった…辛すぎるよなぁ、色々とさぁ。ソウだ! 
話はガラリ変わり腹立たしいのが国民年金未納議員の晒し上げだ。論点ズレズレ。実際のところ余りの人数に口あんぐりだが、重要な点を頬被りし何かから目を逸らさせようとしてはいませんか? つまり国民年金制度とはナンなのか?とかシステム・運用上の欠陥や問題点からさ。「国民年金特別会計」問題はどうした!? どうせ40年間支払ったって現在の支給額は生活保護費の半額程にしかなっていない。自由業の私はソレシカないから働けなくなったら最後は野垂れ死にか!? まぁイイさ、ソウイウ人生を選んだんだからネ。しかし一応義務だから最後まで支払うよ。アリにはなれないキリギリスにも、「自分を生きる」ってことに、自負ってもんはあるのさ。



5月11日(火):あのネ、本当に有り難いことに、毎日ウィルス付きメールを送信してくださる、ズルッnise-heishi@ナンタラさん、そしてウンタラ-gakkai@カンタラさん、週末から週明けにかけて必ず何通もくださるウヒヒtakahashi@ムニュムニュさん、あとは新顔さんのglitter-gold-sters@グッフゥグフさん。あなた方を、「確信犯」と認定させて戴きました。あッあとはネ、スットコドッコイ@フニュ.plala.ムクムクさん、もかな? イイ加減にせいよ! 
おっほっほほ〜、私、ノートン先生の崇拝者ですぅ。



5月10日(月):昨日来、強引かつ中途半端な形で「北朝鮮による日本人拉致問題」に幕を引こうとするかのような報道を多数、目にする。 それに関連して、拉致被害者・蓮池薫氏のお兄さんで「拉致被害者家族会」事務局長・透氏の発言の一部だけを抜き出し強調したねじ曲げもイイとこの報道や、まるで家族会の内部分裂を臭わすような報道さえもある。
ダレかがドコかが、世論を誘導しようと画策してるなぁ…。
一連の流れを、ココ(5/10付けの記事)で確認して欲しいと、切に願います。 そして、拉致問題の本質は何なのか!?を、再度考えて欲しいなぁ、とも思います。
コレも、是非とも読んでくださいませ。



5月9日(日):昨日行った「知られざるロバート・キャパの世界」展は正直疲れた。かなりの人数が入館していたことよりも館内全体の照明が暗過ぎたのがその原因だと思う。ヴィンテージ・プリントにダメージを与えないための配慮なのだろうが、モノクロ写真を見るにはとにかく無理がある明るさで、誰もが眉根に皺を寄せて写真に近づける限り近づいて鑑賞している。有名な「崩れ落ちる兵士」や1954年5月25日仏領インドシナで地雷に触れ死亡(享年40歳)する直前の、つまり彼の最後の仕事も展示されていたが、多くの写真から強く響いてきたのは極限状況における人間というモノの「人間らしさ」「尊厳」といったものだった。戦争という生々しい現場でふと垣間見せる被写体の表情をシャッターを押し続け記録したキャパは、やはり只者ではないし、湾岸戦争以来様変わりしたリアルタイムでの戦争報道映像を思い、その違いに、しばし茫然自失。肉迫するってナニ?



5月7日(金):気づくと私の中で♪Somewhere, over the rainbow, way up high〜♪が流れている。先週末の友人との会話が引き金。昔々のデモ時の話になり「ソレってGAYじゃん!」と同時に彼と口にしたのが日大芸術学部全共闘「七色」の旗について。同じ「銀ヘル」でも赤で日大と書かれたソレとは違う「黒で芸」のヘルと旗は既に退学し別の隊列にいた私でさえ何時も目を見張ったものだった。最近の日本の反戦デモで見かける虹色旗を目にした米人から「ゲイのデモか?」と訊ねられたUSA在住日本人がいるが、私愛用のゲイ関連俗語Web辞書サイトはズバリ「The Rainbow Pages Slang」だし長期滞米生活をした会話相手の彼がゲイに初めて誘われたのは「Rainbow Ice Cream」の店内だったとか。彼曰く「ゲイのシンボルは一色足りない虹なんだよな」。ン?もしかしてゲイ云々以前にコレがソノ原因の一つ? どちらにせよ虹の色は、円盤に描き早く回転させると白色に見えるそうだ。イイなぁ。



5月1日(土):例の集会とン十年ぶりのデモ参加に関してはBBSに書きました。加えて例のイラクでトッツカマッてカイホウの第一陣御三方の内の二名の会見に関連したこともネ。で、我が友人NANIOサンが実に彼らしく「コムズカシイ屁理屈を言いたくないんだけど一応言っとこうと思った今回、雰囲気を和らげる為に試験的に使ってみたちゃお(笑)」と、ギャル言葉だという「ちゃお」を散りばめての意見を色々と書き込んでくれました。 ありがと! しかし正直に告白すると、直情一点突破を目指しての(?)突撃撃沈型(?)文章の私は、そういう対極にある彼や他の常連さん方の文章を時々本当に羨ましく思うんです。余裕ある言葉使い文章運び間の良さetc.、どうして出来ちゃうの!?って…。それぞれの個性の問題無い物ねだりなのは分かるんですが、そろそろ私、丸くなる必要など決して欲してはいないけどさぁ、なぁんか色んな面での「余裕」って雰囲気は欲しいかも。



4月29日(木):ココやBBSを読んでくださっている方には、ナンのことに関連してのことなのかお判りになると思うので前提は省きますが、ウンウンと激しく納得した或る方の文章です。【提案:政府は、イラクに自発的に行く人が命を失うようになっても関知しません、と最初から彼らに宣言すべきだ。そして、国民は、行く人に向かって「ボランティアなどするな」というべきではない。それは余計な御世話だ。ちなみに:自由な社会とは冷たい社会である。温情を発揮して、「ほら、だから言ったこっちゃない。今後はこういう危険なことはしちゃだめだよ。これからは私の許可なくそんな危ない場所には行ってはいけない」というのは、実は、奴隷社会への入り口である。このような管理は、温かいように見えて、実は緩慢な飼い殺しである。自己責任を負わせて突き放すことのできない親が子供をだめにするように、温情あふれる国家は国民を堕落させているのである。】 深い。



4月27日(火):友人と長電話。彼女は野球好きである。誘われて大事な試合だというナイター見物をしたことがあるが、ビール片手にコウイウ雰囲気も結構楽しいじゃんッてなだけだった位に私は興味が無いし何がなんだかワカンナイ。なので聞き役になるしか能がないワケワカラン相手に延々と話す彼女は流石私の友人、かなりヘンだと思う。個人競技しか興味ないの好きじゃないの?と訊かれたが、ソレはちょっと違うんだなぁ。高校時代仲良しの男子に頼まれ短期間だがサークルのマネージャーをやったお陰かサッカーは詳しいし好きだもの。話していて気づいたのは球場で観客を前にしてのあの練習(?)は嫌いかも。役者時代、私は稽古や本番前の全員揃っての発声練習身体ほぐしは大嫌いだった。プロならば、その日の体調等を敏感に察知した上での調整後に稽古場や楽屋入りし、即稽古バケたら即本番ってのが当たり前なんじゃぁないのかな?と。話が違ってたら御免なさい。



4月24日(土):ここ数日でなんだかとても嫌〜なことを知ってしまった。気分が悪いとか腹立たしいとかいう以前に、ただただ哀しいなぁ…という想い。その哀しさは、基本的能力に差があるのは人間如何ともし難いからコノ件に関しては仕方がないだろう、そう無理矢理納得させようとするから湧き上がってくる感情なのか? そして或る能力の低さに付け込んでか、どこかソレを利用してやろうという輩の存在には猛烈な怒り。そんな時に出会ったのが「じぶんの直感に映った光景を信じるのがいちばんです。」という言葉だ。残念ながら未読だが吉本隆明が語ったもの、とのこと。この一行を我田引水するのは乱暴すぎるが、直感で受け取ったものや人に対しては、これまでの人生で間違いが少なかったなぁ、慎重になる余りまたは好意的解釈をしようとする余りの様々は、結局のところ嫌な目にあったり振り出しに戻ることが多かったなぁ、と深〜い溜息をつきながら改めて実感。



4月22日(木):畳の縁にちょっと足先が触れただけで大奥に居た祖母「おつる(本名:鶴)さん」に育てられた我が祖母には酷く叱責されたものだった。自分の息子が甲斐性無しの所為で思いもよらぬ貧乏暮らしを死ぬまで余儀なくされた「キクヂ(通称:菊治、彼女は男性名のようなコレを何故か愛用)」さんは、破綻した結婚生活やナンヤカをも含めて己の人生に抵抗するかのように死ぬまで気高くも身綺麗に日々を全うしたと思う。しかし子供だった私にはソンナ事などは解るはずもなく余りの行儀作法や言葉使いに対する五月蠅さに辟易としたものだった。その反動でかな?ワザと使い出したベランメエ口調や胡座をかく姿など、今やテメェで惚れ惚れする程に身に付いているってぇモンだ。しかし、だな! 何方かへのお初の訪問時や初対面の方への御挨拶や気配り等は小笠原流に基づいてとまでは云わないが今だってキチンと出来るぞ。コレって、常識以前の問題だろうが…!



4月19日(月): 何かコトあると、そろそろかなぁと思う間もなく決まって返信するのに時間がかかるメールが届く。信じられない位に事細かに答を要求しているソレは、これまでもウチで何度か登場のLAでの級友ドイツ人Fabianからだ。お返事してたらこんな時間!日付はとっくに変わってる。ウンウン、あんたが云いたいことは分かる。で、あんたが見聞きしたというソッチでの今回の件での報道だけど未だハッキリしないことが多すぎるから最終的な私の答は未だ出ず!今夜の返信が本音ギリギリ。でもネ、「なぜ日本では意見を表明する自由がないんだ?」は完全に間違いだよ。それに自分で責任を取れるならナニ云っても良いしナニやってもイイんじゃないの? Fabian、今度また写真を貼付してくるのならデモをしてる時のじゃないのも見たいぞ。なぁに?なんでデモ時の写真が一度ならず新聞に載るのさぁ?!怪しげ…。あんた、私に隠してることナンカあるでしょ!?



4月18日(日):友人が【結局さ、「自己責任」を問う“民間”の声は、自分にとばっちりが来ることを恐れての発現でしかないし(だって僕だって「そんなアブネートコに行ったんだからしかたないじゃん」って思うし)(後略)】とHPに書いていた。どういうトバッチリ?と訊いたら【勝手な行動で、事を荒立てて混乱させるなよ〜 必要以上に反日感情が高まったりして、ややこしいことになって、日本でも本格的にテロを警戒しなくならなきゃなったら、おちおち歩いてらんねーぢゃないか〜。そんなとばっちりはごめんだぜ。実際、こんなような声はよく聞きます。まあ、こんな発想をしている時点で、危機意識ゼロですけどね〜】と返って来た。本当に色んな考え方があるもんだなぁ…と。LA長期滞在時に「在留届」提出を無視した私の理由は「日本から一歩でも出たら例え何があろうとも基本は自己責任の範疇。お上は信じられない」。故に此までの発言、撤回修正不能。



4月13日(火):腹の中ではグツグツとしているのに、記名してまでは誰もハッキリとは云わない云えない(?)「事の本質」を、怖いくらいに鋭く突いていると思う。Web現代→ブロードバンド・ランド→立川談志Webの「その231」をクリックしてみて下さい。



4月12日(月):まだ半月ちょっとの猶予はあるが、自分のなかで生理的に嫌悪する行為を如何に自己納得させて遂行すべきなのか否か? それ以前に、まずはそういった自己納得を迫る必要があるのか否かさえ未だハッキリと考えがまとまらない。誰に強制された訳でもなく自らの想いと考えで係わることを決めて以来、恥ずかしい位に細々と自分で無理なく出来る範囲で関わり続けようとはして来たつもりだ。しかしなぁ…デモかよぉ…。結論は、今日も出ず。
本日、以上のことには無関係だが私が忘れかけていることを思い出させてくれたのは、「夢は一度つかむと安心してしまうけれど「志」は無限大だからね。」という言葉だった。納得。で、これは少しは関係あるかもしれないが日本における「市民」って何よ? そして(運動する)「プロ市民」ってどのように定義される人達のこと? この混沌極まりない私に誰かキチンと教えて下さい。



4月7日(水)寝る前に出会った記事。サン=テグジュペリの『星の王子さま』は大好きな一冊だ。初めての出会いは今は亡きこれまた大好きだった従兄弟がテキストにしていたフランス語版ペーパーバック。小学生だった私が興味を持ったのは、後に知ることになるのだが作者自身の手になる表紙に描かれた主人公の姿と文中の挿絵だった。それも記憶によると表紙は色彩されていたが他は白黒の…。日本語版が目に止まった時には即座に入手したが、それは彼のものとは違ってハードカバーの立派なもので殆どの絵は色付けされていた。今手元にあるのは数冊目の日本語版と英語版ペーパーバックだが、数え切れないほどページを捲りその度毎に胸に突き刺さる言葉に出会う。もし一番好きな場面や言葉を選べと云われたら何日も悩んでしまうけれど、今夜はやはりこのキツネの言葉「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目には見えないんだよ」。



4月6日(火):ゾクリとし嘔吐しそうになった。「ねぇあの方C県のXなんですって。あそこはほらぁ…ね!○○さんもソウお思いになるでしょ?ねぇ〜お祝い事があると豚を殺して戴いてたんですって御実家では。○ッ○○○○に決まってるわよ。あら○○○出身ってことよ○ッ○○○○って。ウチの主人のとこではソウ呼ぶけど…○本とも云うわよ。嫌ぁねぇそういう御出身の方と同じクラスになるなんて、ねぇ」。超有名私立小学校も本日入学式で何組もの母子連れが様々終えた後バス停に佇み屈託なさそうな表情で立ち話をしていた。中でも幼稚園から一緒らしい母親二人が極めて遠慮のない会話を明るい声でしていたが途中からは完全に一人の方の噂話になり、聞きたくはないが隣に居た所為で明瞭に話の内容が耳に飛び込んで来た。何様!? 上品ぶった奴らの優越感と差別感に充ち満ちた話の内容は最悪最低。全くもって恥ずかしくも穢らわしい!と、元「河原乞食」の私。



3月29日(月):週初め、仕事ではコチラが鬱々としてしまうことばかり。季節の変わり目だしソレも様々ウズウズと来てしまう春だからだろうか、入院してしまった方以外にも精神的に不安定な方が多い、多すぎる。一番手こずるのは基本的に鬱症状で、自分でも具体的な原因がハッキリせず説明出来ないので余計にイライラと怒りに充ち満ちた攻撃的な方だ。仕事だから我慢してるんだよ!私もネ!! もし身内にアンナ事を云われたりやられたりしたら、もうそのヘンにあるもの蹴っ飛ばしブン投げドアをバタンッとして消えてるよぉ、数秒のうちにサ。知らずしらずのうちに、自己確認の為ヒトの反応に期待してるのかもしれない、寂しいから誰かに理不尽な甘えを託したいのかもしれない。でもネ、それは筋違いというものサ。多くの人達はソウしたいのをグッと我慢して生きてるんだと思うよ。もし病気ならソレを認めようよ、そして治癒に向けてちょっと踏ん張ろうよ、ネ!



3月28日(日)あれ?映画が始まった、と新聞のTV欄を見ていなかった私が偶然に見始めてしまったのが、2002年度製作の北野武監督『Dolls』。本日の私のテンションに合致したのだろうか、普通ならCFが入った段階でスイッチを切るはずなのに、登場人物達の誰一人にも感情移入は出来ないまま不思議なことに最後まで堪能。一言で云えば、リアルさを徹底的に剥ぎ落とした日本的なるものを前(全?)面に押し出した「情念世界の物語」か? また台詞が少ないにも拘わらず舞台劇のように感じたのは、冒頭この作品内容を象徴的に説明しその後も登場の人形浄瑠璃『冥途の飛脚』梅川・忠兵衛の存在、CGによるあくどいまでの色使い及びデフォルメされた移ろい行く日本の春夏秋冬、山本耀司デザインの核となる登場人物二人の意識下をシュールに表現したとも思えた衣装の見事さ、の所為だろうか。もう少しズレると嫌みにしか感じなかったであろう絵の「間」が、心地よかった。



3月27日(土):金曜日の夜は元気かも? 明日一日働けば休みで、我慢していた美容院にも行ける予約変更なしで(Very, very shortだとスタイルを保てるのは精々2週間なんだよネ私の場合)、1万円問題はドウニモナラン(しかし哀しいかな今の私にとってはこの金額を稼ぐのは容易なことではないんだナ役者時代とは違ってサ)と、取っ替え引っ替え「チャント」(好きなの、意外?)を流しながら心静かにThe Rolling Stonesファンクラブからのレターを読んだり(超矛盾。まるで私自身の存在みたいだ)Web世界をウロウロ。で、新聞社サイトに入ったのが運の尽きでムカムカ。コレコレ。私って、今、どういう国に生きてるんだ!? 様々と思い悩んだ挙げ句、20歳から住み着いているUSA国籍を昨年取得しちまった我が弟の方が、まだ、勝ち目があるかもねェ。シャントしろよな!何ビビッテるんだよ!ビジョンが見えない! 出来るもんならどうにかして「亡命」したい気分だ。



3月26日(金):ねェねッ、キャシュディスペンサーでお金を引き出した時、もしもだよ、1枚でも紙幣がお金が出てくるトコに残っていたとしたら、あの無機質で甲高い声(音?)が「紙幣をお取り下さい」と、その1枚を取り出すまで叫び続けるよねェ? 本日が賃金支払日なので最後の仕事先に向かう途中のATMで引き出した、10万円だ。キャッシュカードを財布に仕舞い10万円をソコに備え付けの封筒に入れ、デイパックの中の書類とスケジュール帳を入れたプラスチック製ファイルフォルダーの上部を開いて差し込んだ。その動作を終えるまで機械の前にいたのだから、もし機械が叫んでいたら絶対に気づいていたはずだ。でもねェ、さっきその封筒を開けて数えたら、9万円しか、ない。どうしたんだろう!?と、本当に狐につままれたような気分…。盗まれた?何処で?有り得ない。確かにその場でチャント紙幣を数えなかった私のミスだから、どうしようもないな。あ〜ぁ。



3月21日(日):突然の殴る爪を立てる引っ掻く抓るなどの行為が激しく週三回通うディケア・サービスでも他の通所者からは隔離という感じで車椅子に座らされている94歳女性のHさん。昨日もディケアのスタッフが私の顔を見ると不穏状況を詳細に教えてくれたが、そのスタッフの手首や手には彼女から受けた細かい傷が一杯。今日は何が起きるのか?重い気分でハァ〜っと長い溜息。そのHさんと通常より1時間延長の3時間半二人切りにならなければいけないからだ。当然のことまぁ色々とありましたが、大声張り上げ脈絡なくそれも数曲を入り混ぜて歌われる中で初めて耳にした彼女創作の恨み節かと思った御詠歌調のメロディの物を何度もリクエストして全容解明。♪ほうりだされてころころころぶ からだゆすってむっくとおきて はしら(?あちら)をむいてだまってすわる〜♪ 最後に「答」の歌詞が続くのですが、一体ナンのことだと思いますか? 答はBBSで。



3月20日(土):ほぉーッ…。数十年前の都立K高校卒業式が「今」だったら、なぁに!学校名とかが全国に公表される可能性が! 私らの時にセン公(スミマセンねぇこういう表現)からのソウイウ指導や指示などは皆無だったし、もしソウイウコトがあったとしたら逆に私ら殆ど全員が起立し明るく歌い踊ったかもしれないねェ「君が代」。なんで「細石が巌」になるの?常識的には??等々と時に思い出してはウ〜ン?となっていた私だったが「答えらしきもの」に出会えたのはLA在住中、それもガッコの「自分が基盤とする国に関するレポート」というものの準備中だった。友人のPCを借りて辿り着いたのが英語による日本発の国歌国旗関連サイト。気が抜けたよ。古代人はソウ考えていたのだとつまりチッチャイモンがだんだんと大きく、つまり巌になるんだと! ほッほ〜ビックリ! とにかく好きじゃないんだよなぁ私。今まで通り起立して歌うことはこれからも無いはず。



3月19日(金):ニューヨークから2年ぶりにコチラに来ている友人とは、お互いにスケジュールがどうしても合わず今回は残念ながら会えず。いくらメールや電話で頻繁に会ってはいても顔を見てお喋りしたかったのになぁ。で、もう帰るからと電話をくれたが「何度も電話してるのに掴まんないよなぁChiroは。どういう時間帯で働いているのさ?」。携帯電話へは仕事中だと悪いと思いかけなかったという彼に色々と説明しているうちになんだか自分自身侘びしい気分になって来たが、まぁあと少しの辛抱…踏ん張ろう!と思い直す。もう予想してたより寒くってさぁ帰り道では本当にイヤになっちゃったよ、という私に、向こうを出る時には暖かかったのに今日なんて大雪だよアッチ。でもなずっと住みたかった所に帰るんだ俺、イイぞぉNY、早く遊びにおいでよいつだって大歓迎、と彼。紐育の柴犬サンも歓待してくれると云うし、有り難いよ!早いトコ奇襲しなくっちゃなぁ。



3月17日(水):もう今日も終わろうとしている今も外では時折強い風が吹いているのが分かる。ちょうど正午近く只でさえビル風が吹きまくる場所で正面切っては前方へ進めなかった。だからといって身体を斜めにしても同じことで息さえまともに出来ず。いやぁ台風でもないのにあんなことは初めて。そういえば今日は一日中移動で歩いていたのは何故か向かい風の中ばかりで、なんだか不思議な疲れ方をした。帰宅後久しぶりに米飯それも炊きたてを食べたいと思いお米を研ぎ炊飯器のスイッチを入れた後にさっと入浴。豆腐と若布のお味噌汁に青葱いっぱいの納豆、トマトサラダにモヤシと細切りニンジンの牛肉入り炒めものを用意し終え、御飯をよそろうとお杓文字を…。ん?なんだぁ?!べちゃべちゃだ。どうもボンヤリしていてお米2カップのところに水を3カップ入れてしまったらしい。あーあッ。仕方なく冷凍庫に保存の御飯を泣くなくレンジでチンして「戴きまーす」。



3月14日(日):眠いねむい。なんだか一日中ウトウトしていた感じの休日だった。1週間分の洗濯をしなきゃしなきゃと思いながらも何度も布団から出られず。やっと昼過ぎに起き出しトイレに行くと、ヤバイ!トイレットペーパー買いに行かなくちゃぁ! 昨夜洗い桶に浸けたまんまの食器を洗おうとしたら、ヤバイ!洗剤もうすぐ無くなるぞ! 冷蔵庫の中にはベーコンも卵もミルクもキャベツも、あッ調味料も一味唐辛子と醤油が殆ど無い! ありゃぁ絶対無けりゃ困るパスタも一食分も無いぞ! 顔を洗う時に鏡を見たら、目の下が黒ずんだなんだか疲れ切った顔のオバサンが…。ヤバイ!の通りこしてマズ過ぎるぞ!様々と!! やっぱり休みなるもの1週間に2日は必要だなぁ。ここんとこ次なるステップの為の研修を受けるには仕事を断る日が出てくるからとチョイトばかし働き過ぎかもしれない。醸し出すモノが元気!じゃないと、自分にも仕事にも拙いよなぁ…色々と。 



3月12日(金):先週金曜日にココに登場のMさん宅に1週間ぶりに伺った。ここ数日の狂ったような天候の所為か、癖のある引き戸をやっとのことで開け挨拶した瞬間に、体調が思わしくなくそれ故機嫌も宜しくないのが見て取れた。こういう時は当たらず触らずサッサと決められた仕事をこなし理不尽な物言いや要求にもハイハイと明るく答えながら出来うる限り受け流すしかないのは、この仕事の基本中の基本だ。身内では無くあくまでも仕事だからこそ我慢が出来たり客観的な見方や冷静な対応が可能なのも、この仕事が必要とされている大きな理由の一つではあるはずだ。キリキリと神経を研ぎ澄ましているMさんを感じながら何も問題を起こさずに仕事を終え、ホッと事務的な処理をしていた私に一言、「あんた3月10日は何があったか知ってるか?」。ん!? 「ここら辺りもついでにやられたんだよ。友達がなぁ防空壕で蒸し焼きになって死んだ」。1945年、東京大空襲。



3月11日(木):朝、某区立中学校の正門。女性教師2名と生徒会の役員らしき筆記具を携えた3名の女生徒が「お早うございます」と突っ立ったままニコリともせずまるで応援団の練習のような大声を出していた。友人達と話しながらまたは一人黙々と歩き続々とやって来る生徒達は目の前には何も存在しないかのように無反応でズルリという感じで門を通り抜けて行った。不気味! 昼、ファストフード店2階。某芸術高校の生徒女子2名男子4名が誰はばかることなく濁声を張り上げて幾つかの美大の入試事情についてかなりシビアかつ詳細に話していたが、いつの間にやらタトゥーの話題に変わった。一人の男子を除き5名がタトゥーやりたい派。親が許さないでもやりたい如何に隠すかそれとも強引に納得させるか等々様々な意見。で、最後にやりたい派全員が渋々認め諦めたらしき理由が、芸術で金を稼げなかった時には超ヤバイよなぁ。健全というより、発想自体が根性無し!



3月5日(金):危機一髪で生き残った予科練の飛行機乗りだったMさんは身寄りがなく一人暮らしだ。酸素吸入しながらも70年以上住んでいる今時珍しい仕舞た屋で頑張って生活しているが、身体の調子がイイ日にはとても話し好きなオジイチャンになる。チャキチャキの江戸っ子の彼からは昔の子供の遊び小商いや天秤棒担いでの物売り様々な門づけのこと、そして季節毎の庶民の暮らしや風俗など今までちょっとばかし小説などの世界で垣間見たことを実感溢れる口調で聴かせて貰ってきた。TVが彼の友だから昨今の様々な事情にも驚くほど詳しく政治的な意見などもハッキリと云う。それもオトシの割には超過激だ。意見を求められるのもしばしばだが仕事上コチラは正直に反応するわけにはいかず時々本当に申し訳なく感じてしまう。今日彼が怒り心頭で語ったのはオウム真理教元教祖の裁判のこと。ううッ、本音で語り合いたかったよ。しっかしMさんは柔軟で鋭い。



3月4日(木):読んだ途端にアタマがクラクラ〜ッ。UKの雑誌「OK!」2月3日号の2003年度ショウビズ界長者番付によると、我が愛するThe Rolling Stonesが£65m.(約130億円)でダントツの1位。ちなみに2位はThe Osbournesの£30m.、3位Poul McCartneyの£25m.、4位Simon Corwellの£23,5m.、5位Sir Elton Johnの£18m.。彼らの1位は年間60日にわたるコンサート、そして£5の光るベロ(私2個買って耳に付けたが値段は忘れた)から£250の革ジャン(とっても欲しかったが買えなかった)に至るまでのグッズの数々、'02から引き続き売れ続けているアルバム『Forty Licks』(勿論聴きまくっている)、そしてバンドの伝記『According To The Rolling Stones』(分厚くて手首を捻挫しそう。未だ読み終わっていない)などが収入に貢献した。で、もし今彼らを自分の家のプライベートなパーティに招いて演奏を頼むなら(あり得ないが)、40分間につき10億円を支払わなければならない計算になるという。溜息。



3月1日(月):ここ数日「オウム真理教」元教祖の判決に関する新聞やWeb上に書かれたものを読みまくっている。それはあの未曾有の数々の事件に潜む事柄を知りたいというだけではなく、もしかしたら私もあのメンバーの一人になっていた可能性があった、そう思うからだ。というのはアソコが宗教法人になる前のこと、アパートの郵便受けに入っていた1枚のチラシに並々ならぬ興味を抱きちょっとその「ヨガと原始仏教の研究会」に顔を出してみようかと思ったことが…。そのチラシはそれまで頻繁に目にした新興宗教のソレとは違い宗教的な勧誘のニオイは全く漂っていなかったし何やら知的な雰囲気に充ち満ちていた。「宗教」というものを長年のこと頭で考え続けてきた私には、まさに格好の甘い呼びかけ。でも或る日とある駅で目にした被告人が「空中浮遊」のドでかいポスターのお陰で助かった。そこから発散されていたのは、汚れきった「俗」そのものだったからねェ。



2月27日(金):「生きざま」っていう言葉、自分で使う度ごとにもっと他にイイ言葉は無いのかよぉ!?と、正直なところその醸し出す臭いにいつもヘキ癖としていた。なぜならその言葉には、何やら湿っぽい怨念らしき雰囲気が漂っているからだ。そう感じてしまう私は「団塊の世代」と一括りにされる中核のトシだ。つまり、その言葉からは私ら世代の様々な敗北のニオイがしてくるし、未だ徹底的な総括が出来ないでいるなかでの或る種言い訳がましい安らぎ的響きさえあるからだ。実のところ一括りにされた私ら世代は多種多様で、再結集という幻想からは甚だしく遠いところで個々がそれぞれ悶々と日々を送っているのが現状だと思う。でも多分、同じようなニオイを発散してるんだろうなぁ…私らって。そんな私がコレだ!と本日出会ったのが、「人生の生きっぷり」という言葉。女っぷり男っぷり負けっぷり勝ちっぷり等の「ぷり」、勢いと明るさがあってイイ。使うぞ!



2月25日(水):アレルギー症状、なんだかなぁの酷さ。本日薬が変わったが効くとイイなぁ少しでも楽になるとイイなぁ。まぁコレって精神的なストレスがかなり影響しているはずだと思う。昨夜ツマランコトがちょっとあって、もうイイよぉ!どうにか生きていけりゃぁイイさぁ!の心境。でもこうやってHPを持っているお陰で救われることは多々あり。コチラから発信できるからね、ツマラン泣き寝入りしなくてすむこともあるからねェ。私はどう思われようと正々堂々と生きて行くしかない。ツマランコトやワケワカランコトになんか、冗談じゃない!負けてたまるか! 物事には全て原因があって結果がある。原因Aには、そのAを生じさせた何らかの原因がまた存在することも事実。そういった原因と結果の中間に存在する諸々、一々事細かに説明するのは馬鹿らしいかも。結局、成るようにしかならないし分かる人にはわかる。虚心でコトの成り行きを見てさえいればね。



2月20日(金):本日出会った感動の一言:ネットだからこそ嘘はつきたくありません。言いたくないことはごまかすのではなく言わなければいいことですからね。
深いなぁ…。しみじみと頷いた。



2月19日(木):友人からメール。コイツ不思議なことには克明に私の書いたものやBBSを覗いているのだが感想はいつもメールのみで書き込みなどは滅相もないというオトコ。Web世界で嫌な目にでもあったのかな?ソコントコ云いたくもなさそうなので訊いたことはないけどさ。で、その彼曰く「Chiroって思っていた以上にシニカルだ。あの川柳読んで思ったぞ」とか。その川柳とは友人サイトが募っていた「『毒入り』バレンタイン川柳」のこと。昨日仕事中の空き時間に一旦帰宅した時に書いたのですが、そうかぁ?!そんなにシニカルかぁ?? まぁ字余りばかりの川柳ですが楽しんで貰えたら嬉しいかな? イイよねぇ?NANIOさん、ココに転載しても。
チョコ作る 背中が語る 醜女(ブス)の深情け
そっと箱あけ ぎょっとするは 手作りチョコ
チョコ喰えば 金の算段 ホワイトデー
的絞り 序列化のチョコ 今年もまた  



2月18日(水):どうにもこうにも遣る気が起きず、気になりながらも後回しにしていた確定申告書の作成。今夜こそはと国税局のホームページに行き、「所得税の確定申告書作成コーナー」へ。あぁ、これで印刷して税務署に郵送すれば終わりだぁと、ホッとしたのも束の間。無い! プリンターのカラーインクが切れてたぁ…。あ〜あッ。
さ、お風呂にゆっくりと入って、ホットミルクでも飲んで、寝ようねようっと。



2月17日(火):ッたく、ざけんなよぉ! 日にちが変わったからこの日付で書くが、「ッてやんでぃ」やBBSの書き込みに、まっこと貴方様は御熱心なことで。ある意味、誠に有り難う御座います、です。あのさぁ云いたいことがあったらウチのBBSに書きな! 姑息に管理者メアド宛に私には全く理解不能のことを書いてくるよりも、ウチのBBSに書き込んだら、あなたが予想もしない色んな貴重な意見が聞けるかもよ。101ファン関係者なのか、はたまたかつてからのアノ方のお仕事関係のファンなのかは存じませんが、マジ私にモノ云いたいのなら、自分のことをハッキリと明示した上で、それなりの手順を踏みなよなぁ! 前から云ってるじゃん!タイマン張ろうか!?ってさぁ。あのなぁ、一ファンの立場でもイイからさぁ、マジ惚れてる証明付きで御登場願いたいもんだ。テメェのなぁ生活安定したままで、なぁにが、あなたは間違ってるだぁ!? ちゃんちゃら可笑しい。



2月16日(月):そこで私は考えた、かなり真剣に考え続けた。全くといっていい程モノが喰えず神経を騙しにだましやっとベッドに入るも睡眠は途切れとぎれで、けたたましく時間差で鳴る2個の目覚まし時計のお陰でなんとかやっと起き上がり意識朦朧で身支度を整え仕事先に向かう。そんな状態だったのは勿論私の勝手で誰の責任でもない。根本的な原因は見え隠れするが直接的な当事者ではないからこそ見えてくる感じてくるモノはちょっとやそっとの量ではない。やはりヘンなものはヘン。意見や想いに耳を傾けソウソウそうだよねェと相槌を打ち肩を持ってあげられたらイイのだろうが、ワケワカラン事や余りにも不可思議な展開にはどうにもこうにも対処は出来ないし哀しいかな降参だ。例え、いいや愛憎表裏一体だからこそ、誠に想いのある人間は時に排除や憎しみの対象に成り易い。まして、周囲に御上手御為ごかしや静観という名の逃げ上手の人間ばかりが多いとネ。



2月11日(水):昨日と打って変わり終日久しぶりに哲学書をパラパラと。勿論バックには色々と音楽が流れてはいましたけどネ。で思ったのは、ユダヤ・キリスト教的一神教は「信じる」だけど、古来からの日本的宗教環境は「感じる」ことかなぁ、ってこと。話はガラリ:「感想と批評」ですかぁ!? 感想というのは「あることについて感じたり思ったりしたこと」で、まぁ所感や感慨もその部類か。批評ってのは基本的に「事物の善悪・優劣・是非などについて考え評価すること」だから、物事に対する見識や眼力が必要だ。つまり感想云々とは違い、「知」を携えて無けりゃぁそんなことは出来ないはず。批評とよく混同され易い「批判・非難」だが、「物事の可否に検討を加え評価・判定すること。誤っている点や良くない点を指摘しあげつらう」だし「相手の欠点や過失を取り上げて責めること」だ。まぁ人ソレゾレだから勝手だが、「裸の王様」にだけはなりたくないもんだ。



2月10日(火):右耳に2個左耳に4個のピアスをしているが、初めてやった左右耳朶の2個以外は、いずれも自分でブスリと針で穴をあけピアスを填め込んだ。神経が尖りにとがり、そのトガリが自分の心を徹底的に刺しそうになると、無性に新しい穴を欲しくなるのは今も変わらない。しかしボディ・ピアスは私の美意識にはそぐわないらしく、やりたいと思ったことは一度もない。ヤリタイコトはまずヤッテみる私だが、少女の頃から憧れ続けている刺青は、そこまでの根性が無いので、未だどこにも無い。さて本日、金原ひとみ著『蛇にピアス』一気に読了。ここのところ小説というものを読み出しても何やら虚しく、一冊を読みかけのまま別の一冊に手を出すという塩梅だったが、コレはトイレに行くことも煙草に手を出すことも忘れ、読み耽った。文体や比喩表現の陳腐な箇所や、結末もちょっと気にはなったりしたが、イイ。「哀しみ」という通底音が流れる、「純愛小説?」。



2月8日(日):さっきから繰り返し聴いてる「魂のハグ」(ARB『KAZA-BANA』収録)が、私を泣かせている。なぜこんなに涙が流れるのかは分からないけれど、涙はここ数日の遣り場のない腹立ち苛立ちを、少しは洗い流してくれるのかな? 理不尽だが、本意が通じないヤツは放っておこう相手にするだけコチラが馬鹿をみる、そう自分に言い聞かせ心を静めようとするのだが、人間が出来ていない私には、やっぱりそれは、かなり辛くきつい作業だ。今も止まらず溢れでる涙は、嫌でたまらない心の中の、ナニカの反動なのだろうか?

HUG in LA
煮詰まり過ぎてしまって授業は上の空。ボロジーンズのポケットに煙草をそっと忍び込ませると、トイレに行くような振りをして教室を抜け出した。駐車場の片隅の芝生に座り込みボンヤリと煙を吐き出していると、いつの間にかRがやって来て煙草を1本取り出すと「火もってるか?」。
黙ってライターを差し出した私の隣に、長い足をどーんと投げだし腰を降ろすと、Rは何も云わずにただ煙草を吸っていた。が突然、まるで忘れていた何かを、今やっと思い出したかのように、こう云った。「どうしたんだよChiro。何かトラブルか? 人に話すと楽になるぜ。俺に話せよ。金はないが、口は堅いぜ」。
いつもキツイ冗談ばかりを浴びせては、時々本気で私を怒らせる彼とは打って変わった、静かで生真面目な口調だった。
Rは教室を抜け出したまま戻らない私が気になって、きっとアイツのことだからと、喫煙に適した場所に目星を付け探してくれたに違いない。そういえば昨日の休み時間にも、元気をださなくちゃいけない、とガンガンにロックを聴いていた私の耳から、何も云わず急にイヤホーンを抜き取ると自分の耳に突っ込み、「オマエ、ハードなもの好きだなぁ。疲れない?」なんて云ったっけ。
そういうヤツだ。分かってるんだよR、アンタの日頃の乱暴な言葉やなんかとは裏腹な、優しさや気遣いはさ。
それでも黙りこくったまま、次々に煙草に火を点けては吸い続ける私。だって何か一言だけでも口にしたら、絶対に声を出して泣きながら、支離滅裂のことを話し出しそうだったからね。そういうのは嫌だった。
そんな心の中を見透かしたようにRはポツンと「ツッパルなよなぁChiro」と云うと、ゆっくりと両腕を私に回すと、ぐぅっと、息が苦しくなるほどの力強くて長ーいハグをした。
それは仲良しと、どこか戯けたような賑やかな音を出す頬へのキスと共に毎日交わしあう、挨拶のソレとは全く別のものだった。信じられないほどの深い想いが、Rの鼓動を通して響いてきたし、とにかく、泣きたいほどの暖かさに満ち溢れた、素敵な友情の「魂のハグ」だった。



2月3日(火):初めて自分で買ったのはソノ・シートで映画『荒野の決闘(My Darling Clementine)』の主題歌「いとしのクレメンタイン」。日本人女性が英語で歌っているものだったが何故かその時コレを覚えて歌いたかったんだなぁ。その後The Rolling Stonesと衝撃的な出会いをしてしまい、ひたすら外国ものばかりを聴いて来た。日本語もので即買いに走ったのはジャックスの「からっぽの世界」、かなり経ってからだが長らく嵌ったのがBLANKEY JET CITYで、詞・曲・演奏は勿論のこと彼らの存在感に打ち震えた。その他の日本のロック・バンドに関しては食わず嫌いで殆ど知らない。そんな私が期せずしてブチのめされた1日の渋谷公会堂ARBの25周年記念ライヴ。歌詞が充分に聴き取れなくても強烈に叩き出される音とリズムに最初から不思議な程ノレたが、Unpluggedで歌われた「HARD-BOILED CITY」には正直総毛立った。腹の据わった凄いヤツ(ら)ってのはまだまだいるもんだ。



1月28日(水):たった今、知人の「死」を知った。死んでいるのを発見されたのは1週間前とか。イヤにイイ顔をした男だった、もし俳優だとしても二枚目クラスの。中途半端ではあるけれど業界の行儀作法や泳ぎ方をヘンに知っているヤツだった。でも自分の容姿と仕事能力を混同勘違いをしているところがあり、そこを直接的な仕事相手ではない私にも感じてさせてしまうようなヤツだった。だってさぁ私って役者だったから、振り当てられた「役」と心底「出会う」為には時にマゾ的(その傾向が強いのは精神的肉体的にも実証済みですが)なまでの分析も必要で、その延長線ゆえか哀しいかな、なんだかなぁってな風に感じちゃうんだよねェ見えてきちゃうんだよねェ色々と、興味もない他人のことや知りたくもないことまでさぁ。逝ってしまったS君、もしあの世とかがあるのなら、今そこでどんな風にしているのかな?知りたいよ。どちらにせよ、まずは、サヨウナラ!だよね。    



1月26日(月):いやぁ驚いた愕いた! どういう風に化粧したら20才もサバを読めるの?それが通用しちゃうの? それもこの方の場合は「パパはフランス貴族」だってサ!!http://news.msn.co.jp/newsarticle.armx?id=670499 そりゃぁアメリカでは東洋人は実年齢よりもズーッと若く見られるのは事実だし、加えて私は丸顔のファニー・フェイス。だから酒類を買おうとしては何度もI.D.カードの提示を求められたし、いつも行ってたガス・ステーションのブラックのお兄さんに嫌になる程「ガールジャナイ」と云っても「オモシロイネェキミ。ドウシテソウムキニナルノ?ネェガール」って笑いながら不思議がられていた。けどさぁ日本でだよ、それも日本人が日本人をどうして20才も若く信じさせられるわけ?! その化粧技術を本気で知りたい。御本人の化粧前化粧後の写真ぜひとも見てみたい。あッ私がその化粧技術をモノにしても、狸が化けたようにしかならないかぁ。土台が問題だわ。



1月25日(日):今日は一日中、「言葉」で一人遊び。最初思いついた言葉からソレに触発されて浮かんだ次なる言葉へと際限なく次々に書き連ねていくと、あらまぁ不思議!久しぶりに詩が書けちゃった。でもネ、真性不良文学少女だった頃、感性だけで詩を書いては投稿しまくっていた時のような瑞々しい跳び方は無論なく、LAで暮らしていた時、50ドルで購入の中古タイプライターに向かい叩きつけるように書いていた米語でのもののようなアナーキーな拡がりも感じられない。なんだか妙にコヂンマリしていて私が好きな詩の世界ではないなぁ。でもこうやって言葉それ自体を弄んでいると、今の自分自身の日常的立ち位置が哀しいほどに見えてくるような気がする。いかんなぁ…。もっとなんかこう、持ってしまった知識や何やかを凌駕するような、極私的で極微細なナニカを探し行為することが必要だ。ソレを深追いして行くと多分、濃密で大きなナニカに出会える予感。



1月22日(木):不意打ちを食らい、しばし呆然。仕事先で最後の書類作業をしていた時のこと、茶の間の大音響でかけっ放しのTVがチラリと目に止まった。エーッ!○○○! 画面の中では昔の芝居仲間がグデングデンに酔っ払って御帰還し何やら女房らしき女と大揉めにもめていた。相変わらずイイ芝居をしている。彼も事務所運がなくて売れないよなぁ、などと書く手を止めてその場面を見入ってしまったが、次の瞬間、愕然。もう10年近く前にこの世とはオサラバしているじゃないか! 気づいた時は末期の癌で、淡々と死を待っていたという。彼との初遭遇は鮮烈だった。ふっと目を動かすだけで周囲の空気がピリリと振動し、目が釘付け。花もあった。とにかく舞台ではイイ役者だったがオンナにはトコトンだらしがなく、最期までヒモ的暮らしを続けていたっけ。しかし別れた女達の口から、一度として恨み節めいたことが発せられたことはなかった。本当に、幸せなヤツだ。



1月21日(水):最近ちょっと拙い癖がある。仕事から帰ると身体を温めようとまずは入浴、そして食事。すると強烈な睡魔に襲われてウトウトしてしまうのだ。ちゃんと明日の朝まで寝ればよさそうなものなのに、私の中の何処かで、このまま眠っちゃうのは勿体ない寝ちゃったら只ただ仕事をしただけになっちゃうぞイイのかな?それで!? という意識が働くのだ。それも強烈に…。で、1時間程すると自然に目覚め、薄いコーヒーを飲みながら何やらゴソゴソと始めることとなる。しかしコレが、結構至福の時間なんだなぁ。今夜は久しぶりにSuzanne Vega を流しながら雑文書きをしているが、溢れる熱い想いが淡々と迫ってくるのはクールな彼女の歌声のせい? ア・カペラでのTom's Diner、児童虐待がテーマのLuca、物語の世界に果てしなく跳べるThe Queen And The Soldier などなど好きなものを並べだしたらキリがないが、今宵は妙に、アルバム「Nine Objects of Desire」がフィットする。



1月19日(月):旧友から久々のメール。「暇だったのでチロリンのことをyahoo!で検索したら11件もありました。しかしヒット1件目は「恵」が「ケイ」ではなく「メグミ」となっていましたぞ。ついでに日活ロマンポルノ時代まで使っていた僕にとっては懐かしいアングラ芝居仲間の名前で検索してみたら275件ひっかかりましたが植物関係が多かったです。…チロリンはやはり女優だったんですね…云々かんぬん…」と。私、エーッ!?と思って自分のこと検索しちゃったじゃないかぁ! ザーット見ただけだけどさぁ、舞台のことに関しては皆無と云ってもイイほどじゃん。あのさぁ、いくら仕事が暇でもなぁ、キミが知ってることを改めて検索なんかするなよ、わざわざ知らせてくるなよなぁ。疲れるよ全くもうッ。そしてついでに一言:ドップリと想い出に浸るには早すぎる、キミも私もね。まだまだヤリタイコトがお互いにあるだろうが! シッカリしてねぇ、お願いよぉ。



1月17日(土):連日の寒さとL.A.の親友からのメールは里心を直撃し身体までが向こうへ帰りたいと喚き震えている今夜、「Web版LA Times」と住んでいた地区の「Live Camera」映像で暫しの現実逃避。日曜日は泡風呂にゆっくり入った後、オンボロApt.から徒歩2分のセブンイレブンでLA Times 日曜版とピクルスなど挟み放題のホットドッグを買ったものだったっけ。日曜版の楽しみはクーポン。それを使ってよく行ったのが.Carl's Jr. だが、なんとパン無しのハンバーガーを先月に売り出していた。http://www.cnn.co.jp/fringe/CNN200401160012.html なんだかなぁ?意味が解るようで判らない。しかし短絡的な「健康教」信者が大勢いる向こうだから、まぁ考えそうなことではある。そんなモン喰いたかぁないぞ。で、思い出しただけで涙と唾が出てくるのは、知る人ぞ知るY-NOT Burgers、そしてIN-N-OUT BURGERFATBURGER だ。あぁ〜Californiaのすっぽ抜けたように高くて青い空と人気も疎らなあの海と…。



1月16日(金):お風呂が沸くまでとスイッチを入れたTVでは「太宰(治)さん」「(山崎富栄)さっちゃん」が飛び交っており『永遠の恋物語』(テレ東)の後半だった。内容とは無関係に、ニヤリとしてしまった私。高校1年時に坂口安吾と吉行淳之介に出会うまでは狂ったように太宰を読み耽っていたが、ある日母が「あんたソンナ男の書いたモンのどこが面白いの?」。そんなおとこォ?! 実は太宰夫人は母の女学校の先輩で、戦争中疎開先の決まらない太宰一家に夜半の客の多さとその騒音に参った祖父がお引き取り願いたいと申し出るまでの短期間、生家の離れを提供していたという。そこで母が目にしたのが太宰の肉体的ひ弱さ。「あの人ってお米一俵担げなかったのよ」。まぁ母の気持ちも解らないではないが、失笑した。芥川賞受賞者・金原ひとみ(20歳)さんの父の言葉「もっと恥ずかしいものを、親が地元に住めなくなるくらいの作品を書け」。凄い!感動した。



1月15日(木):私のHPトップには「ブルー・リボン」を貼らせてもらっています。一日も早くコレを取り外すことが出来ますようにと祈るような気持ちで、お恥ずかしい程の本当に小さなことなのですが自分なりに続けていることもあります。なぜなら、この問題を風化させてはいけない!そう強く思うからです。そしてまた、この問題の解決方法如何によって日本という国の主権そのものが根本的に問われている、そう確信しているからです。昨今、日本に帰国された拉致被害者の方々の北に残されたままのお子さん達が、もう直ぐにでも帰国出来るかのような報道が新聞やテレビでなされています。しかし本当のところはどうなのか?何がどう進んでいるのかいないのか?当事者の方々の気持ちはどうなのか?等、とても気になるところです。HPのリンク先である「電脳補完録」の↓の記事を、是非ともお読みくださいませ。http://nyt.trycomp.com:8080/modules/news/article.php?storyid=1711



1月14日(水):本当にイイのかなぁ?と、今回も思う。契約先事業所から明日一発目の仕事先へ研修生の同行を依頼された。前回に続いての直接的な依頼者とは、私が或る現場の混沌さ加減を詳細にシツコク報告し続けた結果その解決を一緒に図ったことがあり、以来彼女とは多少の信頼関係を築けてはいる。がしかし未だ仕事を始めて8ヶ月それも社員でもない者が、資格所得の為の最終的な現場実習を任されてイイものなんだろうか? 研修生にとっては実習先になる担当して半年余りになるその現場は確かにかなりの特殊状況下にあり、正直2時間の仕事を終えると精神的消耗は甚だしい。今週末から追加プランの1時間半、私が担当を躊躇した為数人に当たったが状況を聞くやことごとく断られ、結局私が引き受けざるを得なくなった程。でも指導ってのはさぁ、仕事とはまた別な能力や技量が必要だしなぁ(あるのか私に?)…当然の如く上乗せ賃金皆無ってのもなんだかなぁ…。



1月13日(火):両方向からのバスが互いに慎重に譲り合わなければ車体が擦れそうな、歩道など無いも同然の狭い道路を挟み、コンビニを除いては未だ殆どがシャッターを降ろした小商いの店が100メートル程連なっている。バスの行く手を自転車に乗ったり犬を連れた人々が慌てもせずに横切って行く、そんな幹線道路からはかなり外れた私鉄沿線の町の朝。店の軒下を身体を斜めにする様にして歩いていた私の目に飛び込んで来たのは、前を行く奇妙な一団だった。列を作った何羽もの雀が周りの喧噪にも我関せず、等間隔に思える距離をそれぞれが取りながらチョコチョコと歩き、次々と或る一軒に吸い込まれるように消えて行く。彼らの歩みの速度に合わせる様に最後尾1メートル程後を忍び足で付けて行ったが、なんとそこはお米屋さん。この店の人が彼らの為にと用意したのだろうか、僅か5センチ程開いたガラスの引き戸。雀たち、店内に零れたお米を啄んでおりました。



1月12日(月):おいおい、何なんだぁ! いいのか!いいのか!?日本国政府!! 放っておいていいのか!!! これを品性下劣な行為と云わずして何と云うのだ!? http://www.people.ne.jp/2004/01/10/jp20040110_35732.html



1月11日(日):「紐育の柴犬」さん、本日は誠に申し訳ありませんでした。行きたかったよぉ、本当に気心の知れた親族と知人ばかりでの「結婚報告御食事会」。久しぶりにキリリと和服に身を固めてあの料亭で、日本食それも御飯味噌汁塩鮭があれば大満足という噂のスイス人P氏と御目文字してお話ししたかった。しかし流石の私も負けました。先週月曜日仕事中に腰を庇おうとした余りに痛めた右膝裏からお尻にかけての筋、その痛みを軽減しようとあらぬ所に不必要な力を入れ過ぎたようで、一昨日からは椅子に座っている時以外はヘンにかなりの痛みが…。そりゃぁさぁ這って行こうと思えば行けたけど、仕事が休みの今日と明日午前中は静養しなきゃマジにヤバイし仕事に響く。という理由で泣くなくの欠席となりましたが、快く了解してくれてありがとう。かねてからの約束通り、N.Y.のお宅には必ずお邪魔させて戴きますよ!塩鮭や漬物の元etc.をイ〜ッパイ担いでさ。



1月8日(木):全く世の中って面白い。ここ一年以上お互いの様々な事情が重なり連絡不能だった旧友(実はある時期、恋敵)と連絡が取れメールが行ったり来たり。現在このHP探索真っ最中らしい彼女ですが、なぁんと同業者、それも凄い先輩なことが判明した。今夜のメールの最後には「Chiroがこの仕事やってるなんて、やっぱりちょっとびっくりかも」とあったが、ウン無理ないよ、自分でも驚いてるんだからさぁ。選んじゃったことは勿論だけど愚痴や文句をHPに書き込みながらも辞めたくないモットドウニカナルハズダと格闘しているんだもん。また「この仕事はやればやるほどむずかしいし、おもしろい。こんなにむずかしくておもしろい仕事は無いんじゃないかなあ。」ともあったけれど、私にとってはまさにその通り。「人間」というものが生々しく強烈に見えてきます、「自分自身」の影が辛く哀しく迫ってもきます。何やら日々「哲学的なるもの」の実践かもねェ。



1月5日(月):仕事始めの本日、夜8時まで淡々と仕事をこなした後お久しぶりの友人に会い軽くビールを呑みながら近況報告など。不思議なものでメールや電話でお互いの様々は知っているはずなのに、実際に顔を付き合わせての話は相手の表情や身振り手振りから言葉の細部を感じようとするからなのか、やはりとても新鮮だ。なんでさぁ私達っていつまでも落ち着くってことが出来ないんだろうねぇ…安定ってことに興味を持てないんだろうねぇ…などと、病気にでもなったら一銭も手にすることが出来ない不安定な仕事をするオンナ二人、句読点のように小さな溜息をつきながらも元気いっぱいに、世の中の諸々、どうにもならない男と女の関係、女の足を引っ張る中途半端で可愛ぶった女の話などで盛り上がる。最後には共通の友人であるゲイのオトコの話題になり、彼の純粋さや拘りはやっぱり凄いアイツの生き方には頭が下がるなぁ…と、今度は遠い目をして深ーい溜息。



1月4日(日):優に30年は越す付き合いの親友と長電話。彼女、雲上人の弟とのお見合話があった程のホンマモンの元・お嬢様だ。母親の母校S女子大系列で幼稚園から教育を受けるが心臓神経症に罹った程に悩み続け、大学入学ではかなりの抵抗を試みるも抵抗虚しくS女子大に押し込められた。しかし芝居したさに地獄に堕ちることを覚悟で捨てた信仰の残骸と共に大学を飛び出してからは、立派に私のお仲間だ。当然の事ながら人生色々あった末に一人細々と英仏両語の翻訳とややNew Ageっぽい整体で喰って来た。実はその彼女、昨年初秋に趣味の山歩きの最中に谷底に落下した。それ程の深さではなかったが両足で着地したものだからたまったものではなく、足首中心に複雑骨折。やっと少しは歩けるようにはなって来たが事故直後運び込まれた病院で一回は掛かった医者にはそれ以後は無縁。自然治癒の実験を身を持ってやっていると云うのだから、私と同じ大バカ者である。



2004年元旦:初めての元日の寄席。ウチの御常連さん「江戸家まねき猫」さんが新宿末廣亭正月初席に上がるのを拝見しに行ったのですが、2日には帰国する姪のJuliaも一緒でした。勿論彼女にとっては生まれて初めての寄席体験。小噺や漫才では笑っていた彼女も流石に大道芸のガマの油売りの口上を聴かせる「蝦蟇の油」、つまり弁舌の見事さが命みたいな一席はワケが分かんなくて呆然と溜息。姐さんの動物のものまね芸には「凄いねぇ上手いねそっくりだねぇ」と感心しきりで高座がハネた後の姐さんに何やら色々と訊ねておりました。今夜彼女の日本語ライブラリーに新たに加わったのは古典落語・出囃子・寄席文字など幾つになるやら。また小さい頃から大の温泉好きの彼女、夢見る将来の職業で温泉好きの私の友人に「東北の温泉に行こうよ」と云われ、「混浴は嫌だけど本当に一緒に行けるかな?仕事の話も一杯聴きたいし」と今から楽しみにしています。またおいでネ!




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