5月11日(木):3/22の手術日にあったことを記します。

午前8:15頃には脱水症状防止の為に点滴をしながら、車椅子で手術部とICUがある6階へ向かうべく9階の病室を出た。エレベーター前での見送りは母と弟。「行って来ます」に、弟は頷き母は「頑張ってね」。私はVサイン。

6階に着くと車椅子から移動ベッドに移らされ、手術に立ち会う看護師さんが挨拶、そして私の名前確認と「何の手術をなさるのですか?」と、これまたの確認。
私が入室する隣の手術室には既に手術の行われていることを示す「手術中」の赤いランプが点いていた。

手術室のベッドに移動すると直ぐにM先生が現れ、私の左手首を軽く掴み「では頑張って下さいね」。「ハイ。どうぞ宜しく御願い致します」と答えると、先生は大きく頷いたが、眼鏡の奥の両目は診察室で初めて出会った時と同様に、優しく微笑んでいたように感じられた。

さてまずは「硬膜外麻酔」だ。
手術中は麻酔薬、そして手術後は術後の痛みを抑える鎮痛剤を投与する為、細いチューブを背中に入れるわけだが、その前には局所麻酔をするから痛みはないとの事前説明を受けていた。
看護師さんの指示通り手術台の上で膝を抱え、海老のように背を丸める。背中を消毒するソレがヒンヤリと背骨中心に這う感覚が、いよいよ手術だぞという思いを刺激する。そして妙に敏感になった私は、背後にもう一人誰かが立ったことを感じたのだ。

女性の声(以下、女)で「お臍に向かって4ケ所だそうです」。が、その声が終わるか終わらないうちに、急に背骨を強くグッグイと押された。とんでもなく痛いし、凄い力なのでベッドから落ちそうになり、私の両腕両足を押さえる看護師の力も、その力に負けずと強くなる。
不機嫌で高圧的な男の大声が「ウン!?ドコだ? ドコだ? わかんねぇなぁ」。そして半端ではない力で、またもや一つ一つの背骨を確認するかのようにグリグリ。思わず、「痛いッ!」と叫ぶ私に、男が「痛いィ?」。
むかっ腹の立った私は、「痛いです。下手な指圧をされてるように痛いです!」と云ったが、身体を丸めているので声は当然の如く、くぐもってしまう。
私を押さえつけている看護師が、「下手な指圧をされてるように痛いそうです」と、その男に伝えた。
男は木で鼻を括るように「そうか。上手な指圧をしてやろうか」と云いながら、「わかんねぇんだよ」とグリグリやりながら、女に訊く「何番だ?」。女「……」。「コレから幾つ上なんだ!?」と叱りつけるように再び訊かれた女は、「…○だと思います」と小声で答えた。
それに対し男は、「自分でヤラナイからといって、中途半端なことを覚えて来るんじゃねぇよ!」と、大声で叱責した。

ここまでの私の理解は、男は麻酔医で、お臍を中心に腹腔鏡の為に開ける穴は4ヶ所だ、そう、女から聞かされた。そしてまずは、チューブを挿入するために必要な「局所麻酔」の注射位置を見つけているが、なかなか見つけることが出来ず、女(後で判ったが入院した夜に、麻酔の説明と同意書を取る為に病室に現れた若い女性麻酔医・N)に向かって大声でモノを云ってるらしいってことだ。
しかし、イイのか!? 手術前なんだぞッ! いくらなんでも酷すぎるんじゃないのか!その態度は。

チクッと針が刺さりかけては抜かれること数回…。そして、やっと局所麻酔注射が打たれたようだ。
身体がベッド上に上向きにされた、その直後だ。男が私の視界に入ったが完全ではなく、名札の一部分だけが読みとれた、「安…」。
私は猛烈に癪にさわり、「私の体型の所為ですか?場所が判らなかったは!?」と云った。男は答えた、「そうだよ。これを機会に痩せた方がいいぞ。病気のリスクが低くなる」。

以後、記憶はプツンと途切れ、気が付いたら朝と同じ病室のベッドの上で、母と弟の顔が見えた。

手術が終了したことは確認できた私だが、手術室での腹立たしさが、手術を受けたという時間経過を素っ飛ばして続いていたらしく、そのむかっ腹のたった出来事を、弟に向かって息せき切って話し始めたのだ。
弟は小さく首を振って、止めろ、というような素振りをした。しかしその時の私は、術後のレントゲン撮影を終えた技師や看護師たちが周囲に居ることなどは全然眼中にはなく、彼のサインを無視して全て話してしまったのだった。

安…?安井?安田?それとも安ナニ?
全く腹が立つ。私のような性格だったからイイようなものの、もしああいうことが日常茶飯に行われているのだとしたら、あの所為で、気持ちが不安定になったり気分が悪くなったり血圧が上昇したりと、手術直前には有ってはならない症状を引き起こす人が、きっといることだろう。
あんな態度は、これから手術を受ける人間のまえで云ったりやったりすることでは、決して、ない! 

御見舞いに訪れてくれた人の顔をみれば、とにかくこの事を話すものの、少しも腹立たしさは収まらず、退院したらこの病院のHpで、「安ナニ」なのかを絶対に見つけてやる!の気持ちは、募るばかりだった。

さて、手術後数日して、一人の看護師がやって来た。初めて目にする人だ。挨拶をすると「何か気が付いたことがあったらお訊きしたいのですが」、と云った。
質問の意味が判らず、どういうことですか? と訊く私に、「何でもいいんです。手術後、寒く感じたとか…食事のこととかと、何かYさんがこの病院に入院してから今日までの中で感じたことをお話しして下さればいいんです」。

当然、話しましたとも!さ!! 
彼女は若いけれど、流石にプロだ。私の話す内容をメモしながら、こちらに対する質問が微に入り細にわたったのは、私の話が麻酔後の朦朧とした中での幻覚ではないのかどうかを探るためだったのだろう。
しかし、読み取った名前は一文字「安…」、を耳にした途端、彼女の表情が一瞬だが変わったのを、見逃す私じゃない。
メモを取り終わると、「貴重な御意見、どうも有り難う御座いました」と云い、去っていった。
生かされるのか?私の体験は…?

さて退院前夜のことだ。
消灯時間がもう直ぐという時間、ぼんやりTVを見ていると、これまた初めてのベテランらしき年齢の看護師が私のベッドにそっと近づいて来た。そして「Yさん、明日退院だそうですね。おめでとう御座います」と、にこやかに云った。
静かに膝を折り体勢を低くすると、次に顔を近づけ、まるで秘密の会話をするように小声で話し始めた。「手術室の婦長です。実は御願いがあって伺ったのですが。嫌な目に遭わせてしまって申し訳ありませんでした。出来ましたら、その事を投書して戴けないでしょうか? 投書箱があるのは御存じですか?匿名で結構ですから、お願い出来ないでしょうか?」。
看護師さんから謝ってもらうことではないと思うこと、また先日、事実を全てお話し、そちらはメモをお取りになられていたはず…、そういう患者からの意見を検討する様な場は無いのでしょうか? なぜ再度、投書の必要があるのか等々、率直に伝えた。すると彼女は、「投書があった方が、上に行きやすいのです」と、すんなりと口にした。
私は、投書することは考えたことだから吝かではないし、もし投書するのなら、事実を書くのだから匿名の必要は感じないので本名でする旨を伝えた。婦長は「宜しく御願いします」と頭を下げた。

なんだかなぁ…。
なんだか病院内の権力争いに、利用されちゃうワケ?という、嫌な感じがさえしてきたのは、私が臍曲がりの所為だからかな?


そんなこんながあって無事に退院したものの、気分的な脱力状態が続いていて、どうも投書する気になれないどころか、ココにさえ書けずにグズグズとしていた。あの「安」以外は、医師や看護師その他のスタッフも本当にプロで、嫌なことなど一つもなかったことは奇跡的なことだと思うから、尚更「安田(見つけちゃった)」のプロの風上に置けぬ理不尽さに、腹は立つのだが…。
ということを医師の友人に話したら、現場の人間ならではの視点から、意見を貰った。納得。

お陰さまで、やっとココに書けたのだから、コレを印刷し、Hpに書いたものであるという説明を加え、近々投書箱に入れてこようと思う。
ソレがどう生かされるのか否かは、全てアチラ側の問題だ。まぁ生半可なことでは、ああいう医師でさえ、排除されることは無いでしょうがねぇ。



4月19日(水):実は書かなければイケナイことがあるのだが、気分的に脱力の日々で、とにかく書けない。書く気にならない。まぁそういうこともあるよ、と自分で自分を慰めつつ、結局は今日もまたなんとなく過ぎていく。
ただ退院した日からのことは記録として残しておきたいので、BBSへの書き込みを、部分的にですが転載します。



【出所しましたぁ!(^_^)v 投稿者:Chiro 投稿日: 3月31日(金)17時35分21秒】
皆さ〜ん(^^)/ いろいろと本当にありがとうございましたッ!!!!!!!
実は午前11時半頃には支払うモノを支払い、タクシーにて帰宅したのですよぉ。
で、まずは御心配やら激励を戴いた皆さんに退院報告を…と、PCを立ち上げたものの、↓に「Juliaの父」が書き込んだように、モデムの動きが異常。即、NTTに連絡し、今さっき、モデム交換をしてもらい、こうして書き込めるようになりました。

話は色々とありすぎ(大笑いのことから、結果としてですが某告発をしてしまったらしいことなど…)ですが、まずは取り急ぎの「やったぜ!退院だぜ!!」報告です。

再来週の木曜日には、詳細な病理検査の結果が判明するので(その結果如何で、2ヶ月近くの生活の頼みの綱である「ガン保険」を含む保険の給付金額が、かなり違ってきちゃうワケ。勿論、進行してない方がイイけどさぁ…。)、それまでは仕事には復帰せずに、のんびりと超小部屋の整理や、超小部屋に入れる予定の中古品オーディオ探しなどで時間を潰そうと思っています。

あぁああそぉそぉ。
ストーンズの4/2埼玉スタジアムのチケット、I会長が、今現在も入手してくれようと必死にやってくれてるンだけど、無理みたい…(T_T)。
やっぱ、借金しても、海外かな!!?(笑)

本日のI会長との電話の遣り取りでも、大笑いなことがありました。
何を勘違いしたのかIさん、英語で携帯にかけてきた(>_<)。あれーッ?と思いながらも、なんか理由があるンだろうとコッチも英語で…。でさぁ、最後のさいごになって、「なんで二人して英語つかってんの??」だと、さ。
もぉIさんったらぁ…(爆)。
どうも直前までM○のマネジャーであるS○と話していたらしくて、頭が英語脳?だったみたい…。

書きたいこと多すぎ…。

これから夕食を作って食べて、また、あとで〜〜ねぇ。


【The Rolling Stones 投稿者:Chiro 投稿日: 4月 2日(日)23時59分45秒】
今回こそ赤字を出すまいと、ギチギチの枚数を確実に…路線だった日本のファンクラブだが、東京ドーム以外は、基本的にGC席のみ手配で、既に完売。
会長のIさんにはお手数を様々とおかけしたのですが、結局、確実かつ諦めもそれなりに可能なのは、テメェの努力と行動のみ。

予約キャンセル分を当日売りするという情報をキャッチしたので、とにもかくにも、さいたまスーパーアリーナへ!

6時起きしてシャワーを浴び、黒の、レースをたっぷり使った下着上下をおろして身に付け(アタシにとっては、潔斎、だと思う)、AKUちゃんから貰ったショッキングピンクのピタTシャツに、ブーツカットのこれまた新しいジーンズとJジャン姿で出撃しました。
とにかく、賭・け・た!
彼らが日本にいるというのに、このアタシが会えないなんて、理屈にあわな過ぎだもん!!^^;

東京ドームに比べるとかなりちっちゃいからかな? 超シンプルなステージングのなか(バカでっかくて或る種こけおどかしのセットなんか、全くいらないじゃん! なことを、今夜証明)、彼らはノリにのりまくり、今夜は完璧なまでに、アタシの愛してやまないRock'n Roll "Band"だったし、すぐそこにMickたちがいた。
色んな意味で、久しぶりにアタシは、マジ、ジーンと全身、濡れにヌレっぱなし…。
彼らは凄すぎ!
彼らに出会い、このン十年を彼らの曲と共に生きて来られたことに感謝!!です。

<今夜の曲>(メモってないから順番とかが間違ってるかもなぁ…)
Jumping Jack Flash
It's Only Rock'n Roll
Let's Spend The Night Together
Oh No Not You Again
Sway
Wild Horses
Rain Fall Down
Midnight Rambler
Tumblin' Dice
This Place Is Empty
Happy
Miss You
Rough Justice
Start Me Up
Honky Tonk Woman
Sympathy For The Devil
Paint It Black
Brown Sugar
You Can't Always Get What You Want
Satisfaction


明日にでも入院中のことなどを「ッてやんでぃ」に書き始める予定です。

それから、電話連絡が遅れて、この週末、病院にお見舞いに行ってくださってしまった方々、本当に申し訳ありませんでした&ありがとうございました。<(_ _)>


【狂ったように桜が舞い散っていた 投稿者:Chiro 投稿日: 4月 3日(月)23時37分45秒】
今日は↑だし、昨日の雨とで、桜はほぼ終わりかな?

駐輪した自転車がバッタバタ倒れるスッゲー風の中、チャリで動き回っていたら、さすがに疲れ切って、夕飯も食べずにさっきまで熟睡。
入院中に落ちた筋肉と体力は、まだまだ完全には復活じゃぁないなぁ…を実感です。
でもさ、自分で自分を甘えさせちゃうとマズスギなので、ソコンとこのバランスの取り方が難しいワケで…、
う〜むぅ。


【いやいや眠い 投稿者:Chiro 投稿日: 4月 5日(水)00時26分10秒】
まだどうも病院時間から抜けられなくて、眠くてねむくて仕方がない。
それに、何かひとつにリキいれてしまうと、その後、どーっと疲れがでてしまうのよねぇ…。

書いてる文章もまとまらないし、明日も確実に2つ、ヤラネバならないことがあるので、おやすみなさ〜い、です。 (Θ.Θ)スヤスヤ


【余韻 投稿者:Chiro 投稿日: 4月 6日(木)00時18分38秒】
「さいたまスーパーアリーナ」でのストーンズの余韻にひたっています。
ひたりながら、安物のラジカセで彼らの曲を聴いています。

アタシがやっとの想いでチケットをゲットしたからかもなぁ…思い込んじゃったかもなぁ…と、チョッピリだけど不安は感じていたンだぁ。(←なんで? <自分)(う〜ん(-_-) 惚れた弱み? で、そういう自分を、日常に取り戻さなければ…と? んン??)
(昨夜、電話をくれた♪Nさんには「そういう不安」は語らなかったなぁ。ゴメン(^_^;))

でも、さいたまのソレは、ヤッパ、信じられないようなスッゲーライヴだった!!!という人ばかりで…。
(冷静でコうるせぇガキの批評なんか、Shit!!!!!!!!ぶっとばせー!!の、ン十年のコアなファン、アチコチのサイトで「恥ずかしくないのかよぉ!?」と、ダチになんかは間違っても絶〜対ッなりたかぁないタイプのクソガキ(=_=)に云われちまってる、ヘンテコな狂ったジジィババァばっかですがぁ…(^_-)&(^_^)v)

内視鏡検査が即だったのも、結果、手術が1ヶ月以上早まったのもストーンズのお陰、手術の所為で東京ドーム2公演が無念の涙だったから(主治医のM先生は知らないと思うけど、手術に関わったC班の若い先生方の中にストーンズ好きがいて、目敏くアタシが読んでいたストーンズの本に気づき、様々訊かれちゃったので、バレちゃいましたぁ・笑)、予想もしなかった退院の早まりで、ラッキーッ(^_^)vとばかりに必死で行った「さいたま」だったワケで、なんだか全てが、ストーンズ様々だった感じのうえに、そのせいで最高のライヴに出会えたしなぁ…と……。

ストーンズ仲間の♪まつサンがアタシを励まそうと手術前に、「色々と、えにしを感じちゃいますよねぇ…Etc.」と云ってたけど、本当にソウ!だ!! 本気でガキの頃からン十年も、見果てぬ夢のオトコたちに惚れきり心変わりしなかったからこその、今回だなぁ…と、思うのは勝手だよねぇ?(^^)
こんなにも長い間、ブレずにささげられる純にして熱き想い、コレ程までのジンジンときちゃう感情(?)ってさぁ、手が届きそうな(届いた)オトコたちに、もしかして感じたことってあったっけっかぁ?
ソコントコが、アタシの不幸かもなぁ…^^;…と、話がソレルので止めるけどさぁ…。

あっ、「リンクのページ」に流れる音楽を「Tell Me」に変えました。アタシがFENで最初に出会ったThe Rolling Stonesの曲です。
つまり一目惚れ(?_?)しちゃったのが、コレってワケです。


【アタシってさぁ、かな〜り幸せな未だオンナかもぉ。投稿者:Chiro 投稿日: 4月13日(木)00時39分11秒】
なぁんて思ったのは、明日が退院後初めての診察日で、切り取った癌部分等の詳細な検査結果の判る日なのを知っているFabianが、泣けちゃう、というかぁマジ泣いちゃったよぉ(T_T)メールをくれた…。

自分のママと同じような年齢、それもデブブスのアタシに惚れて、口説きにくどいてくれたラテン系のRは、勿論手紙だけでなく今でもとっても会いたいけど…、やっぱりFabianの、こういう細やかな心遣いには、ナンでぇ?!Fabianはココに居ないのさぁ!?会いたいよぉ! と、心が乱れます。

大好きなFabianのHugはねぇ、いっつもおぉきくてさぁちからづよくてあったかくてさぁ、仕方ないなぁ…と、ナンでも受け入れてくれるようなオカァサンみたいなHugなんだよねぇ。
いっくらヨッパでもラリッテいてでも、彼のHugは、安心して眠りにつけちゃうようにアタシを見守ってくれるソレなんだよねぇ…。


♪Fabian
白いアスパラガスが美味しい季節には無理だけど、ソッチに行く予定だよ。今回のことで痛感したもん、会いたい人には会っとかなきゃ、死んでも死にきれないってこと。明日、結果をお知らせします。
で、「Chiroが見たら絶対悔しがる、欲しがる」と云う、昨年雪の降る前に買ったというスクーター、カッコ良すぎじゃん!


【無罪放免 投稿者:Chiro 投稿日: 4月13日(木)20時58分38秒】
様々と御心配をおかけしましたが、本日、無罪放免となりました。

3,5cm×2,5cmの異物は、粘膜下層にまで浸潤した「盲腸癌」で、病理組織診断名は「高分化型腺癌」というものだそうです。

幸い、リンパを含めたドコにも怪しいモノは発見されず、
先生曰く「99%完治した、そう考えて間違いないですよ。外科的には卒業なので、定期的に外来に来る必要もありません」。ただ、体質的にポリープには注意が必要と考えられるので、年に1回の内視鏡検査はするように。もし発見されても簡単に切除できるから、ということでした。

今回はこういう結果になり嬉しいワケですが、身体の異変には注意しつつ、でも神経質にはならないように心しながら、残りの人生を、能動的にガンガンと生きていこうと思います。

今日の結果が判るまでは、なぁんか気分的に落ち着かなくて、ダメダメな日々が殆どでした。が、明日からは事務的なことを中心にサッサとやっつけて、来週後半からは、仕事にも完全復帰、です。

どどっと疲れがでちゃったような、不思議な感じなので、「ッてやんでぃ」ではなくココに書きました。「ッてやんでぃ」の方にも、書かなければ…のことばかりなので、ボチボチと復帰していきますネ。

本当に皆さん、ありがとうございました<(_ _)>。
これからも、これまで以上に、よろしくお願い致します。取り急ぎの御報告と御礼の書き込みです。


【ありがとぉ!(T_T) 投稿者:Chiro 投稿日: 4月14日(金)23時47分30秒】
昨夜は、マジ、気分的に、ヘンに静か〜ぁにぃ、プッツンしていました。

多分大丈夫だろう…と思っていても、もしも…だったらアレはどうしようコレはどうしたらイイのだろうか等々、入院前に、母と弟の目の前で説明した、実に本音&実用的な「遺言」とはまた別の視点から、色々とパターンを想像しては、実はアアでもないコウでもないと、文章的に身辺整理に近いことまでやっていたのです、アタシ。
だからでしょうきっと、昨日のMセンセの言葉に、緊張の糸が、切れたというより中途半端にたわンだんだと思います。

そんなワケで、今日は午前中から夕方近くまで、弟&ココを見てはいない仲良しの親族と、弟に電話をしたら「TOKYOに居る」ということで、アタシのことがバレちゃったアタシも仲良くさせて貰っているアッチとコッチの方々に、ご報告電話。

あとは保険関係のことで動いたけど、盲腸癌が珍し過ぎで、某保険は、まずは入院給付金のみの支払いで、手術に関する給付金決定は1週間くらいかかるんだってさッ(-_-)。
病気もさぁ、あんまり珍奇なモンに、なっちゃぁいけないねぇ…(笑)。

で、絶対忘れちゃぁいけないのがホーム・ドクターのK先生への御報告。
クリニックの受付の方、婦長さん、先生と、「本当に良かったねぇ」と、我が事のように喜んでくださいました。

まぁそんなワケで、「もうちょっとは、生きられるってことだね。生きなきゃいけないわけだよ、Chiro! ビンボー人どうし、(お互いに、東京行くより大阪行くより)安いツアー(は、いっぱい有るのだ)でグアムにでも行こかぁ!?」という、30年以上の付き合いの:
ドッチかがオトコだったら絶対的に同棲or結婚したものの、直ぐに疲れ切り傷つけあって悲惨な別れをしただろうなぁ、でも同性同士のアタシらは、けっこうスッゲー楽チンだよねぇ一緒に住んだら…。
ババァになったら(もうなってるじゃん^^;)オトコよっかオンナだよなぁ…、一緒に住もうよぉ、と、アタシらの会話の枕詞のように、またもや話しあったKちゃん、始めアタシが素っ裸で向き合える友人たち!ありがと!!

呆けを感じるまでは、懸命に生きるよぉ!
アタシがソレに気づくまえに気が付いたとしたら、云ってくださいネ、よろしく!!



3月20日(月):それではこれから病院へと…。しばしの間、ココのUpも出来ません。私の情報はBBS「Chiroの小部屋」で流れるかと存じます。



3月14日(火):本日かかってきた一発目の電話は、事業所のEさんからだった。「どう調子? 入院前の検査も多分もう全部終わった頃だと思って、どうしてるかなぁの電話です」で始まったが、彼女の言葉の端々から感じられたのは、私に心の準備が出来ているかどうかを心配しているらしいこと。でも話し終わる頃には、「声を聞いててホッとしたわ」と、少しは安心して貰えたようだ。
「とにかくちゃんと養生してね。そして必ず復帰して貰わないと困るんだから。会社のみんなが淋しがってるだけじゃないの。何人もの利用者さんがYさんはどうしたの?って訊くの、心配してるのよ。頑張ってね、待ってるからね!」
お気遣い、本当に有り難う御座います。仕事も待っててくれるしで、勇気百倍です。

そして夕方、郵便受けには「入院中に聞いてもらおうと、私の中で一番癒されるミュージシャンのCD、Chiroさんのプレゼント用に買っちゃったよ」と、メールを貰っていた友人Aからの封筒が…。
もうもう泣けちゃう。CDと一緒に入っていたのが可愛らしいMiffyの立体グリーティングカード。「病室の飾りになりそうなので、このカードにしました。使ってくれ」と書かれていたけれど、40オトコが、どんな顔してこのカードを選んでいたかが浮かんでしまい、泣き笑い。
ありがとう!Aちゃん。心のこもったメッセージ、しっかと受け取りました。CDとカードは御守りのつもりで持って行くからね。退院したら、また色々と遣り合いましょうねぇ。

で、さっきは友人Bから電話。「特別なにがあるってわけじゃないんだけど、一応今日はホワイトデイだから電話してみました」。
「えーっ?私、義理チョコさえあげてないじゃん」に、「ははは」と笑ったが、彼もまた彼らしい言葉で気遣いをしてくれているんだなぁと、これまた涙が零れそうになった。
ありがとう!Bさん。早く完治して、また楽しく酌み交わしたいものですねぇ。

こうやって親しい友人たちに励まされ元気づけられながら、刻々と入院日に向かって、1秒そして1分と時計は間違いなく進んでいる。



3月13日(月):入院する迄に終わらせておかなければならないと考えた絶対的必要最小限の事は、ほぼ終了することが出来たかな?だったけれど、実際のところは気がつけば、相変わらずのチマチマゴタゴタアリャマァやんなきゃッ!の日々が続いていた。入院前にもっとキッチリしておきたいことは数あれど、自分一人で出来ることには限りがあるからねぇ。後は野となれ山となれ!だ。
どんなに簡単な手術でも何が起きるかは判らないと思っているし、ましてや病気が病気、それも希有なるらしい盲腸癌だから、先々のことも含めて一瞬先は闇だろうことは先刻承知。かなりの覚悟はしているつもりだ。

だから、母よ! 毎日のように朝っぱらから呪文みたいに「アンタに何かあったら…どうするの!?どうなるの!?あっちのことは?…あれは?これは?云々かんぬん」は、お願いだから止めてくれよなぁ。
心の底から心配してくれてるのは涙が出て止まらないくらいに有り難いなぁだし、90歳に手が届くアナタにかなりのショックを与えてしまっていることは本当に申し訳ないなぁ心苦しいなぁ、ですよ。ましてやアッチ関連のことは……だから、余計に心配をかけているよねぇ。
でもね、どうしようもないってことはあるワケで、ドウにもコウにもドウしたってさぁ、ドウにもならないんだってば!
出来たら、そこだけは解って頂戴な。
いくら不出来な娘でも、アナタの血も半分は入っていることをお忘れなく。もうちょっと信用して下さいね。



3月9日(木):朝9時半から手術前に必要とされる検査が目白押しだった。麻酔科呼吸機能検査から始まったが、思いのほか時間がかからず、最後の胸部・腹部のCT検査は予定されていた時間より1時間以上早く受けることが出来た。が、最後のコレが終わった瞬間から、使用したヨード造影剤の所為で蕁麻疹が出てしまい、疲れ切ってしまった。程なく治まったけれど、異物を身体の中に入れることの怖さを実感。

さて帰宅すると、ウチの常連サン方にはお馴染みであるミュンヘンのFabianから返信メールが届いていた。「Hi! Chiro、3フィートもの雪が積もっているうえにまた雪が降りしきり始めたよ。クリスマスより素敵な冬の世界が広がっている云々」で、その風景や雪掻きをする自分の写真などが添付されていたが、それは当然、本題ではない。
実は今回の手術のことは、外国の友人たちには一切知らせるつもりはなかった。入院後のBBSには弟が滞在中は、手術やその経過状況などを彼に書き込んで貰うつもりだが、一人を除いて日本語が全く分からない彼らにはソレさえ読むことが出来ないから、ただただ心配させてしまうだけだもの。
ただFabianには知らせておかないと、また何人もの友人たちを巻き込んでの大騒ぎが勃発してしまう可能性が大だなぁと、彼にだけはメールで伝えたのだ。
なぜなら彼は私のストーンズ狂いを十二分に知っているから、「チケット取れたか?」「取れた!」「いつだ?」「おーッ流石だな、2日間も行くのか」「もっと行きたいけどお金がないのだ。目一杯だぞ」とか、ここんとこメールが行ったり来たりで盛り上がっていたという経緯がある。
だから当然彼のことだから、初日の22日が終わったら「どうだった?」メールが絶対来るはずだし、その返信が遅れたら、何かあったのか?と凄く心配して、以前同様の騒ぎになりそうなのが目に見えるわけだ。

大騒ぎというのは数年前のこと、彼が引っ越し先の住所とメールアドレス変更のお知らせをくれたことから始まった。
そうとは知らない私は、まず差出人がE-カードサイトらしいし、件名がかなり怪しく感じられるものだったので、迷わずソレをゴミ箱へ。お互いに速攻返信の間柄だから、私からの返信がないのを不審に思った彼は、これまたしつこく同じ題名のメール(それもE-カード)を私宛てに、半月以上も送信し続けたのである。私は私でシツコすぎるコレと腹を立てながら、ゴミ箱そして削除の連続。
で、ある日のこと、LAの友人Eから「Chiro、何かあったのですか? もしこれを読んだら直ぐに連絡を下さい」とメールがあり、ハテナ?いっぱいで「元気です。どうしたの?」と返信。
実は、知らぬは私だけで、笑っちゃう様な大騒ぎが起こっていたわけだ。

Fabianは、こんなに返事が来ないのは絶対Chiroに何かが起きたと思い込み、ドイツからLAの共通の友人Aにメール。AはAで「そんなはずないと思うけど…」。でも余りのFabianの心配ぶりに不安になって、「何かあったとしたら知ってるはずの人って他に誰がいる?」と、メキシコのBにメールし、Bが「C夫妻なら知ってるんじゃないかな」と答えたので、AはNYのCにメール。Cは、「俺たちが知らなくても台湾のDなら知ってるかもしれない」とDにメールするも、返事が来ない旨(後で判明したのだがDは海外旅行中)、Aに伝えた。で再びAは、自分が嫌われているらしいことを薄々感じていたから疎遠だったLAのEのメールアドレスを探し出してEに、そして、もしかしたらとケベックのGにもメール、という大騒ぎだったらしい。
特別の用がなくても電話で話すことがあるのに、なぜか皆、Fabianの切羽詰まった感じのメールに惑わされてしまい、誰一人電話をして確かめるということを思いつかなかったわけだ。
なので、今回はもっとヤヤコシイことになりそうだったから、Fabianにだけは詳細をメールして「心配ないよ」。
医者の彼からは、専門的な質問が書かれたメールが何通も来た。医学用語は分からな過ぎなので辞書を引きひき、判るだけのことは全部書いたつもりだけど、でもきっと彼のことだから全面的には納得はしていないだろう。

本日付で届いた最後のメールには、「7月にはストーンズ公演がコッチであるから来るように! 何して一緒に遊ぼうか? 今から俺は考えておくからな。Chiroなら頑張れる! いつもの調子で行け!」。



3月6日(月):本日も電話をかけることから行動開始。私が手配させてもらった友人用のチケットを、彼らに間違いなくちゃんと渡さなければならないからJapan ROLLING STONES Fan Clubの、いつも通りの留守番電話にメッセージを残すと、これまたいつものように会長のI氏から直ぐに電話があった。
Iさん(以下I)「早めにチケット送ってくれって、どうしたんですか? 全てのチケットが用意出来たら一斉に郵送する予定なんだけど。ギリギリでも、公演の1週間前には必ず到着させますよ」。
私(以下C)「あのぉ入院するんです私。で、バタバタする前に友人にはチケットを渡しておきたいと思って」。
I 「えーっ! Cさんは、東京ドームに来られないの?」。
C「そう。悲しいっちゃぁないんだぁ」。
I 「そうかぁ…。東京のあとの(チケット)、用意できるよ」。
C「日本でのは無理…」。
I 「なに?どうしたの。何の病気?」。
C「手術するから。ドームの初日に」。
I 「だから、何なの?病気」。
C「…癌が発見されちゃったんです」。
I 「ガ・ン!?…癌?」。
C「うん、そう。盲腸癌ですって」。
I 「もーちょー?ガン…。もうちょうってアノ盲腸?」。
C「聞いたことないですよねぇ? 私もビックリの珍しいものらしいです。(以下、またもやの盲腸癌の説明)」。
I 「まいったなぁ。大丈夫なの?」。
C「初期みたいだから大丈夫だと思います。見つかって良かったって思ってますから」。
I 「分かった。直ぐに郵送の手配をします」と、行けなくなった私分のチケットのことまで心配してくれた末に彼は云った。
御礼を云う私に、「ヨーロッパにもバンバンとツアーを組むから、一緒に行きましょう! メンバーに会おうよ! 大丈夫!頑張って下さい!」。
Iさんの妙に力のこもった声と物言いに、なんだか、泣けた。

借金、そして返済、またそしてまたまたの借金と返済の繰り返しを続けながら、30年以上もファンクラブの運営をドコゾの紐付きではなく、まったくの個人としての立場でやって来た彼は、今でも堅気の生業をきっちりこなしながら、自分の人生をストーンズに賭けている。半端な惚れ方や生き方じゃあ、出来ることでは、ない。そういった彼の真摯な態度と努力は実を結び、今やストーンズのメンバーやスタッフからの信頼はとても厚いのだ。
それが嫉妬を呼ぶのだろう、ストーンズのツアー開始が囁かれ始めると、彼の足を引っ張るような実に嫌な噂が流されたりもする。誰もがWeb世界に親しむ時代になってからは、余計にソウだ。が、彼の目線や想いは常にストーンズに集中しているから、雑多なことはドウデモイイことらしい。凄い。
そんな彼は私の歳も知っているから、当然、いつからのファンなのかも解っているわけで、だからこそ今回の私の無念さを、素直に感じ取ってくれたんだろうなぁ。
そういえば、前回のワールド・ツアー初日の最後に会場中に降り散った薄紙製のピンクの花弁、それを拾い集めて日本に持ち帰り、機関誌以外の毎月のストーンズ情報「紙」(B5サイズ両面)と共に封筒に詰めて送ってくれたのも、Iさんだったっけ。幸せ爆発のお裾分け…、ファン心理を知り尽くした素敵なヤツだ。
私は、こういう「徹底オタク」は、どうしたって自分がソコまで行けないからだけど、大好きだし尊敬してしまう。ン?あれ? Iさんのように、ちゃんとしたシノギで稼ぎつつ、堂々とヤッテルのは、オタクとは云わないのかなぁ?



3月5日(日):昨夜のOff会は楽しくも、参加してくださった皆さんへ、どう想いを伝えていいものか最後まで分からないまま、ただただ「ありがとうネ」としか云えませんでした。遅れにおくれた「新年会」と理由づけてのOff会のはずだったのに、私がこういうことになったので皆さんに気を遣わせてしまったことは事実です。
あんなに温かい連中に囲まれている私は、なぁんて幸せなヤツなんだ。ただただ、感謝!のみ。

皆さんへの想いも込めて、ミュージカル"A CHORUS LINE"の中で一番好きな歌を、私の拙い抄訳でちょっぴりと。音は「リンクのページ」に流れています。


What I Did For Love (愛した日々に悔いはない)

サヨナラと 別れのキスを今日 優しさと哀しみとともにするわ
幸運を祈るよ あなたにも私にも
でも 私は後悔しない なぜって愛した日々に悔いはないから
見てよ 私の目には涙なんてないでしょ
あの才能という名の贈りものなんて ちょっとした借りものさ
そう いつだって分かっていたはずなのに 
報われないのを ちょっぴり焦ったこともあったよ
でもね ためらわずに思いのままに 過ごした日々に悔いはない
愛はけっしてなくなることはないはずよ
旅を続けながら 愛は想い出すもの そして 愛は身近にあるもの
今日にサヨナラのキスをして 私は明日を見つめるわ
私たちが愛した日々に悔いはない 
私が愛した日々に悔いはない




3月3日(金):時計が9時を指すのを待ち、S大学病院に電話。M先生が拘っておられた弟への手術等に関する詳細説明の日時に対するお伺い及び確認を終え、航空券手配のために待機している弟に電話。そしてKクリニックに電話し、いつも親しくお話をさせて貰っている婦長さんに、癌であったことなどを報告する。
次にPC を立ち上げ、来年1月受験予定の某国家資格試験の情報発信サイトに直行。チェックするのは本日発表されるはずの其の試験に内包される実技技術講習に関することである。判明したのは講習の電話受付日の90%以上が入院中の4月1日からであること。昨年も受付初日に電話が集中して繋がらず、やっと繋がった時には既に定員に達しており、大半の人が諦めざるを得なかった事実を知っているので思案をめぐらす。思い切って実施する某校に電話し事情を話すと暫しの沈黙の後、「私の判断と責任で仮申し込みという形を取らせて戴きます」と嬉しくも思いがけない返事が返って来た。登録番号を下さり事務的手続きに関してもかなりの猶予をして貰えることになり、感謝してもしきれない。
さて次はというと保険会社に電話し、加入している「ガン保険」の給付金関連の説明を受け、給付に必要な書類送付をお願いする。
その後、入院中に自動引き落としされる金額を確認し、小銭を掻き集めて銀行と郵貯の口座に入金しに行く。あとの金銭的な作業は、入院費用を工面するのみ。どうにかなるでしょう。
まだやりたいことは沢山あったが、雨も降ってきたので中止し、夕飯の「豚しゃぶ」を作り、久しぶりにゆっくりと母と食事をした。



3月2日(木):15時30分の予約でS大学病院外科に、1週間前に採取した組織の培養検査の結果および手術のことなどを含めた話を伺いに行った。結果は「盲腸癌」でステージT。つまり癌細胞が上皮内にとどまるものとされる0期ではないということです。
普通「盲腸」と聞くと私も小学校5年の時に受けた「盲腸の手術」を連想すると思いますが、それは正確には急性虫垂炎。今回の場合の盲腸は、小腸から大腸に変わって直ぐの部分の名称で、そこに出来たものは位置的に、内視鏡では根元部分の観察が不可能に近く、癌としても珍しいものに入るそうです。
ですから手術は、お腹に数ミリの穴4〜5ヶ所と数センチの切開1ヶ所での腹腔鏡を使用しての手術と決定しました。
腹腔鏡での手術ミス等の問題点は知られるところですが、まぁこの際、その道のベテランだというM先生とそのチームの力量を信じ、身を委ねるのが最良の方法だと思います。



2月24日(金):キッターッ!って感じだ。本日、大腸の内視鏡検査を受け約3cm程のポリープ1個が発見されたのだ。

実は、事業所から義務づけられている年1回の健康診断書提出の為、かかりつけのクリニックで区民無料健康診断を利用したが、結果、2日分の検便に共に潜血反応があったことが報告された。
K先生が「どうせだから、ここでも出来るバリュウムでの造影検査を抜きにして、直ぐに内視鏡検査を受けなさい」と、知り合いの腕のイイ先生がいるからとS大学病院のM先生に紹介状を書いて下さり、昨日診察を受けに行った。
M先生は「ここのところ色んなことでスケジュールが詰まっているんです。今からだと検査が出来るのは3月24日になってしまうけど」と仰ったが、即座に私は、其の日はどうしても駄目なことを告げた。
理由は、The Rolling Stonesの東京ドーム公演2日めで、その日に緊急手術をしなければ死ぬか生きるかという以外なら、誰かに馬鹿だと思われようとも絶対に嫌だ。
では「4月1日にしましょう」ということになったが、私のことだから先生に云ってしまったんですよ、「そんなに長い間、ドキドキしながら待ち続けるんですかぁ? 辛いなぁ」と。
すると目の前のノートをペラペラ捲って考えていた先生が、「明日はどう?」と訊ねた。勿論即答、「大丈夫です」。
で急遽、本日の内視鏡検査と相成ったわけだ。

来週木曜日には、本日採取したものの組織培養検査の結果は出ているだろうし、うまくいけば手術日も決まるはずである。
このトシになれば何があってもオカシクはないし、人間成るようにしかならないとつくづく思っているから、私自身は、自分でも不思議なくらいに冷静だ。
もし悪性のものだと判明しても、進行していない限り手術で摘出すれば、まぁ大丈夫じゃないのかなぁ…と、私の特技であるお気楽モード全開ではある。もし最悪の状態だということになったとしても、暗くなったりジタバタしたってしょうがないしねぇ。

今の仕事を始めてから、明日という日の不確実性を、嫌になるくらい見知ってしまったし感じているからだろうか、私は先へ先へと想いを巡らして悪足掻きすることの無意味さを実感しているもの。
でもどんなことがあっても、明日はきっとやって来る、そう思い込んで明るくやって行くしかないのだよねぇ、私ら人間は…。それしか、様々に入り組んだ現実を乗り越えて行く、確実な方法は無いと思っているけど、どうだろうか?

病院から帰るとLAの弟から電話があったので報告すると、Juliaが話したいと電話口に出た。
色々と話した最後に、彼女は「死なないでね。死んだらヤだよ」と云ったけれど、「どんなことをしたって、人間、死ぬときは死ぬんだよ。仕方がないんだよ」と云ってしまった。
相変わらず、やんわりとした物言いが苦手な、可愛げもないAuntie Chiroである。



2月15日(水):<止めた。きっぱりスッキリ止めた。>と、昨日付の主人公から連絡があった。私が勝手にFade-outと感じてしまっていただけで、彼にとっては考えに考えた末に導き出した、十二分のCut-outだったわけだ。続いて書かれていた内容も、私なりにすんなりと理解ができ、納得です。
なんとまぁ生きがイイの!なんて明るく素直に突っ走るデキル男の子なの!(実際はオトコノコと云える様な歳ではないけれど)っていう感じの、凄く素敵な、私にとっては畏友とも云えるヤツなので、納得できたことは幸いでした。
本当にお疲れさま。もう既に次なる目標に向かっての助走中らしいので、ソレもまた興味津々。もうちょっと暖かくなったら約束通り、久しぶりにゆっくりと酌み交わしましょうネ。会って話したいことは一杯あるし、あなたの意見を聞きたいことも山積みです。じゃぁ、また!



2月14日(火):何かがアチコチで起きている…。
「北朝鮮による拉致問題」に特化した所、あるいは目指すところ的には特化されたに近いWebサイトの中で、「小泉マンセー」やソレとは真っ向から対立する「倒幕」サイトには全く興味が持てない私だ。
それらのサイトに対してどうしようもなく感じてしまう共通項は、己の政治的な目的に「結果として」ではあるのだろうが、拉致という不条理で悲惨な事件を利用しまくっているのでは?ということである。
だから私は、恥ずかしながらのウチと同様に玄関先にブルーリボンを貼り付け、雑然としてはいるが、日々の生活の中で刻々と変化する己の心状・心情を全面に出し、そんな中でも忘れずに拉致問題までをも語ろう、そして自分に出来る事を諦めずにやって行こうとするサイトが好きなのだ。
それは或る意味、同類の臭いを嗅ぎつけてココにも居るじゃん!と、安易に何処かで安心を望んでいるという私自身のヘタレ感情の表れの一つなのだとは気づいているけれど。
でもさ…どうしたの?なぜ?? そりゃぁさ、サヨからはウヨと云われウヨからは売国奴とまで罵倒されちまっていたら、疲労困憊するのは当然だし、馬鹿馬鹿しくもなって放り投げ出したくもなるわなぁ。ましてや仕事関係までも絡んでいたとしたらさぁ。
いくら私だって少しは想像がつくよ、今までのメールの遣り取りの中でだけでもね。
でもさ、無言のままでのフェードアウトは、良くない! ちゃんと何処かで言い訳でも何でもイイから、相手との喧嘩の内容までを全部とは云わないまでもバラシた後に、消え去るべきなのではないかと思う。
そうしなけりゃ、なんか虚しいじゃん、哀しいじゃん。何の為の、あなたにとってのブルーリボンだったのさぁ?! その理由も私はちゃんとあなたから、聞いてるはずだよねぇ。
甘いのかな?私。いい加減なヤツでは決してない、そう今でも信じているからこそ、私は混乱しているのですよ。
あ、御心配なく。アッチ関連のことは誰にも喋っていないし、これからも書くつもりも話すつもりもありませんから。どうかアッチで頑張ってくださいね。



2月10日(金):知りたくもないのに様々と耳に入ってくる某関係に関することには、「想いを同じくする方々よ! 基本的な自分の立ち位置を忘れるな!見失うな! あなた一人ではないはずですよ」と、恥ずかしげもなく大声で云えるのですが、自分の足元に眼前と横たわる今日明日かの、多分取るに足りないだろう事柄となると、全くもってだらしなくも溜息ばかりで少々オチ気味。
明日という日を心穏やかに迎えるためには、今日という日の終わりに想うことへの総括と反省が本当に大切なのは分かってはいるけれど、時に、ドウデモいいじゃんソンナコト…と、自分自身で全面的にシカトすることも実際には必要なんだよなぁと、つくづくと思ってしまう私って、中途半端に真面目で、どうしようもないよなぁ、救いがたいよなぁ。どうせなら、もっと混沌の真っ只中で、迷わずに突っ走って生きて行きたいよ。
あぁ、嫌だイヤだ。こんな自分は大嫌いだ。



2月1日(水):よくぞ云った!中田宏・横浜市長!! 私は、あなたの記者質問に対する答に、激しく賛意を表させて戴きます。
そう、そういうことなんですよねぇ。
横浜市 市長定例記者会見(平成18年1月18日)」の「4 その他」を読み進むと、堀江貴文容疑者に関することが出てきます。是非とも御一読ください。



1月26日(木):まったく反吐が出るわなぁ、連日のホリエモンこと堀江貴文氏・Livedoor事件報道。私が反吐が出そうになるのは、堀江容疑者たちに対してではなく、いつものことだから驚きも失望もしないが、今までのマッチポンプ的な立ち位置と行動に「知らぬ顔の半兵衛」を決め込み、訳知り顔かつ「正義面」で諸々を語るTV報道だよぉ! ちょっとでも「ツラから火が出る」可能性のある様な感性の持ち主は、TVカメラの前に座ってモノ云うには、最初から根本的に資格失格なワケだ。そう、だよねぇ?

「金が万能ではない」などと、道徳の時間じゃぁあるまいし、ふざけたことを吐かすンじゃない! 資本主義社会では、金になる臭いを敏く見つけ素早く何事かを行為し、結果、金が唸る様になったら今で云うところの、金に糸目をつけず金に飽かす暮らしが可能な勝ち組じゃないのか? どんな場面でも金は物を言う、だからこそ、金で面を撲るのが容易な世の中なんじゃないのか?
哀しいけれど、かなりの部分でソウイウコトは事実だから、多くの人が、金の生る木はないだろうかと血眼になっているんだろうが! 違う?
ソレは100%間違いだ!と云える方っていますか!?
デイトレーダーに触れながら非難がましく、「企業の将来性を買い、その企業を応援し育てるのが本来の姿」なんて、よく云うよぉ! 例えば一例、いわゆる選挙株と囁かれるものは何さ? インサイダー取引なんてものも皆無だってワケ? 笑止千万、お臍が茶を沸かすまでもない。

今回のLivedoor事件報道で、何回か目にし耳にしたのが江副正浩氏の「リクルート事件」だが、同じ東大繋がりの学生起業家関連でなら、「光クラブ事件」ってのはドウよ?
三島由紀夫の『青の時代』(既読)や高木彬光『白昼の死角』(未読・映画のみ)のモチーフになったという事件だが、その事件の張本人で自殺した山崎晃嗣氏は留置場で週刊誌のインタビューに応じ、「人生は劇場だ。僕はそこで脚本を書き、演出し、主役を演じる」と語ったらしい。私が好きなのは、彼が愛人に対して云ったという、「誠意とはいいわけと小利口に逃げることである。私の誠意を見てくださいという言葉ほど履行されぬものはない。人は合意にのみ拘束される」だけど、ネ。
含蓄に富む言葉だと思いませんか?

あ、ホリエモンですか? 私は、トリックスターの一人だと思っています。
"trickster"と英和辞書をひくと、「手品師;ペテン師、詐欺師」とか出て来るはずだけど、基本的には既成の価値観を破壊して人々に笑いと創造をもたらす者で、低俗なソレがもたらすものは破壊のみのことが多いけど、高尚なソレは破壊の後に新秩序さえもたらしたりするので、英雄にさえなる場合があるのですよ。
乱暴に思い出すに、『夏の夜の夢』に登場する妖精パックとか、神ゼウスを騙して人類に火を与えたというプロメテウス、高天の原で大暴れの須佐之男命は八岐の大蛇を酒で酔い潰しアマノムラクモの剣まで手に入れ、とか……。
ホリエモンも、彼と同じニオイを醸し出している、未だ安全圏で棲息している人達のように、もう少し表立っては地味に、大人連中には相手の自尊心をくすぐるような媚びを売ったりしていたら、もしかしたらまだちょっとは馬脚を露すことなく、此の世の春を十二分に楽しめたかもしれないのに、残念だったねぇ。生き急いだの?
ま、どうでもイイけどさ、私。



1月24日(火):前回で書いた主人公が、秘やかに新Blogを開設。「単純な話。もう少し気軽に文を書ける場所が欲しかっただけのこと。」「本家ではあり得ないような色を出してやろうと思う。」「イメージの破壊と再創出。なんて素晴らしい響きだ。それこそ「真性引き篭もり」でも目指してみるか。」とあった。その意気や、良し!
私はブルーリボン関係からヒョンなことで彼のページに行き着いたのだが、まずは、己と同じ「朝鮮半島系在日の人々及び彼らの構成団体」に対しての鋭く率直な視線と意見に驚いた。「驚いた」ということは、つまるところ私自身に潜むソレラに対する漠然とではあるが、かなり重症な思い込みや偏見の存在を気づかざるを得なかったということであり、また長年抱いてきたソレラ「在日」に関する様々なことへの根本的な検証を、否応なく求めらることでもあったわけだ。
最近はWeb世界以外でも注目が集まり始めていた彼だから、寸分の隙ない文章で論理展開をしようと必死になっている様は、愛読者としては感じていたのだよねぇ。
そういうことも、鬱症状再発の一原因?
踏ん張って!ネ!!  もうすぐ「韓国系日本人」になるはずのRさん。



1月22日(日):リンク先のBlogが、また一つ休止になった。理由は書き手の鬱症状再発。日本への帰化申請が完了し、その結果を心待ちになさっている最中でのBlog休止宣言なので、余程のことなのだろうなぁと推察もでき、コチラの心も痛むのだ。
「このまま今の仕事を続けて幸せになれるのだろうか? という問いが点いては消え、消えては点いてきます。」「この不安定感は自分の価値観が明確化されていないが故の、やりたいことと実際にやっていることのズレが原因であることを示しています。」等々、本日付「鬱的思考」と題された中に書かれているが、最後には「その答えを自分なりに出すまで時間を下さい。それまでブログを休みます。ごめんなさい。」。
謝ることなんか全く必要無いのですよ。韓国・在日三世の立場から、あなたが真摯に様々と書かれた事柄から沢山のことを学ばせて戴いた私は、いつかまたBlogを再開して下さることを勝手に期待しつつ、心の底から次の言葉を贈らせてもらいます。<頑張らない。でも踏ん張る>
心身障害者の作品展に出品されていた墨書だったそうですが、その頃酷い鬱症状で七転八倒の苦しみに喘いでいた友人がコレに出会い感動し、その想いのお裾分けをしてくれました。今では私の大好きな言葉の一つになっています。
またそのうち、Web上で会いましょう! 



1月21日(土):東京は初雪。それも東京にしたらかなりの雪が降りしきっていた今朝、出掛けにBBSに書いたように流石にチャリ移動は危険だと思い、遅れ遅れになるのを承知でバスと徒歩で今日一日の仕事をこなすことを決めて、家を出た。事業所からはコチラが電話をする前に様々な確認の為の電話があったので、いくら遅れたって気分は楽ーッてなモンだ。

LAで友人が招いてくれた別荘は、LA市内からフリーウェイをブッ飛ばせば数時間で行けるスキー場エリアにあったが、そこの小さなモールのセールで$10にも満たなかった掘り出しもんのハイキングブーツ(最近は少々水が侵入してくる)と、僕は着ないからと弟が呉れた新品のアウトドア用の強力レインスーツ、そして仕事に必要なものを詰め込んだ(いつもよりタオルの枚数と靴下の替えが多い)毎日愛用のバックパックという出で立ちだ。

ピリピリと寒いだけじゃなく、細かい雪は痛いまでに目に突き刺さる様に飛び込んでは来るけれど、なんて雪の日は心がワクワクするんだろう!? 
目にする殆ど全てのものたちは、着せられちまった真っ白な衣装にチョッピリ戸惑いながらも、暫しの心の休息をしているように見えたりするのも、「きっくきっく とんとん きっくとん」(by 子供の頃に読んだ絵本『ゆきんこ』)とまではいかないけれど、雪道を歩いていて刺激された、私の心の中にある何事かの反映だろうな、きっと。

気がつくと牡丹雪になっていた。それは一瞬だったけれど…。
歩を止め、ふぅーっと大きく息を吐き出しながら空を見上げる。
本当にフワフワした白い花弁が、天空から舞い降りているようだ。見上げ続けていると、なんだかそのまんま天に向かって引き上げられ行ってしまうような、不思議な感覚に捕らわれて、目眩。
そして次に突如、私の口からは「あめゆじゅとてちてけんじゃ」。

そう、宮沢賢治の『永訣の朝』の中での印象的なフレーズだ。何故かって? ワカンナイよ、私にだってさぁ…。
全文を覚えているわけではないので、なんだか気になって気になって仕方がないまま帰宅し、手元にソレがない私はWeb上で手に入れ、読んだ。
とても哀しいけれど温かさに満ち溢れた詩だと思う。
そして、声を出して賢治のコレを読んでいたら、泣いちまったよ。
あはは。元・役者の、ささやかな陶酔? 自己愛が強いからねぇ、私。



1月12日(木):結局2日間寝込んでしまった。そういう時に限ってお誘いの電話。まずは昼過ぎに、「HP読んだ。オイ!まさか死んでるんじゃないだろうな? 必要なのは栄養補給だ。最近イイもん喰ってないだろう? 美味いモン喰わせてやるから出て来いよ」と友人。「こんな声のアタシに出て来いと!? アンタは鬼か!」。「タクシーで来りゃぁいいじゃないか。帰りもタクシーにしろ。払ってやるよ」。ありがとう、でも行かない。大丈夫、アンタが心配している様に、一人寝込んでいるからといってソレを切っ掛けに、モノゴト様々、暗く考えたりなんかし始めてはいないからさぁ。次に夕方、「今日は仕事、休みだよね? 正月にも会ってないしメシ喰わない? 美味い肉喰わせるとこあるんだ。ホラまえに話しただろ?」と、仲良しの従兄弟。これまた有り難いけど、こんな調子じゃ喰いたくても喰えません。ありがとう!御両人。改めて近々御馳走になります、宜しくネ。



1月10日(火):熱発。かなり辛い。
日曜日の夜、仕事を終えチャリを漕いで家路を急いでいると、突然なんとも言い難い不快感に襲われた。なんだぁ?!と思う間もなく、嘔吐感と全身に悪寒。ヤバイッ!なぁ…だったけど、とにかくまずは冷え切った身体を解そうと入浴し就寝。翌朝にはゾクゾク感に加えて、ひっきりなしのクシャミと鼻のモゾモゾが始まったが、熱も咳も嘔吐感や関節の痛みも全く無しのままで、午前中は無事に仕事はこなせた。が、午後イチの入浴介助の最中にクシャミと鼻水の大攻撃開始で、ありゃぁッ!参ったぁ状態。でも誤魔化し誤魔化ししつつ最後まで働き、帰宅後撃沈でした。そして本日はと云うと、完敗の予感のまま仕事を流していましたが、もう駄目ッ!で最終の仕事には代打を出して貰って医者に直行という体たらくで、泣いちゃう。目が異常に痒いのはアレルギーも出て来てる所為らしいけれど、とにかく鬼の霍乱状態なのは確かです。
ン?そんな時に何でPC なんかに向かってるんだぁ!?ですか? 
軽い食事と薬を服用後、急ぎの用件がある2通のメールを送信後ベッドに入ったはイイのですが、絶え間なく流れる鼻水の所為で寝てなどいられないのですよぉ…。急遽、明日の仕事全部には代打候補を一応は立てて貰ったのですが、朝イチで代打が必要か否かを電話連絡しなくちゃならないのも、ナントモハヤではあります。
日本は今、戦後最大の寒さの真っ只中なんですって? どんなに注意しても、ドウにもならない時はドウにもコウにも如何ともし難いとは思いますが、呉々も皆さん、私の二の舞にはなりませぬよう、細心の御注意をなさって下さいましね。
ズルリ流れる鼻水と上昇しているらしき熱と格闘しつつ、どうにかして寝ます。お休みなさいましぃ。
あーっ、何も考えず、のほほんと温泉で過ごしたいぞ! そう切に夢想するしかない、今夜の私ではあります。



1月7日(土):お正月休みが明けたばかりだというのに、もう世の中は3連休だというじゃぁありませんか! そんなことは遠い世界の話とばかり、チャリでの移動時の尋常ではない寒さにもめげず、真面目一直線で労働に励む私であります(笑)。そんなちょっと可哀想かもしれない私に、待ち焦がれていたプレゼント第一弾が…。
あぁ本当に良かったよぉ、気付かずに捨てちまわないでさぁ。
郵便受けに詰め込まれた多量のチラシ、その間に偶然発見したのは「郵便物お預かりのお知らせ」で、受取人はY○ちろ(郵便配達人は悩んだろうな、ChiroH.Y○をドウ書こうかと)、差出人がローリング・ストーンズ(つまり配達人は彼らを知ってるってことだ)。つまりね、The Rolling Stones公式サイトからの、ファン・クラブ・メンバー向け非売品ポスターが、不在時に届いたってわけさ。次には同じく非売品のDVDが届くはず。
PC横に掛かっているカレンダーは、Mickの半裸姿が強烈な1月だが、コレは日本のファン・クラブが独自に作成したものだ。しかしコチラからは、未だ特別会員(爆)向けグッズは届いていないなぁ。どうしたっ!?
何十年の間、どれくらい彼らに貢いで来たんだろう?私。でもさ、その辺のオトコに惚れて貢ぐのとはワケが違いすぎで、手が届きはしない見果てぬ夢である連中は絶対に裏切ることなく、惜しげもないパワー全開のRock'n'rollを何時も必ず届けてくれるのだ。で、全身ゾゾッゾーでン十年、ずーっと心変わりなどせずに惚れまくり続けているのは、不思議を通りこして異様ってもんだ。この惚れっぽい、そして直ぐに飽きては迷うことなく目移り先に突進してしまう私が、だよ! さぁてと、彼らの来日に向けて、いよいよカウントダウン開始か? 
今日も連絡をくれた、同じく長年Crazy about The Rolling Stonesのアナタ、共にイイ席を闘い勝ち取りましょう!(激笑)



1月5日(木):連休を取った昨日は、朝風呂ならぬ昼風呂の後、ワインなどをチビリチビリとやりながら本を読んだりCDを聴いたりと、久しぶりにのどかに過ごしていましたが、これまた久しぶりにブルーリボン関連のWeb散歩を始めた途端、心底気分が悪くなって来た。
拉致問題解決にコレといった目に見える形での進展が見られないのは如何ともし難いし、暮れになって突如ニュースで流された拉致実行犯二名の名前から始まる、何やらちょっと臭うぞハテナ?の報道(詳細は「電脳補完録」でチェックして下さい)の連続に、疑心暗鬼になるのは仕方がない。しかし、自分(ら)の意見と異なるからといって、安易なレッテル貼りを基にした罵倒まじりの応酬は止めた方が良いと思うのだよ。まるで、内ゲバ状態みたいじゃないか! それって、敵の思う壺以外の何ものでもないんじゃないの?
なんてことを書くと、私はきっと「保守・穏健派」とやらに分類されちまうのだろうなぁ。誰に?って、「右翼・強硬派」あるいは「保守・過激派」「保守・強硬派」とやらの方々にですよ。大局などという言葉を使う割には、全てが、こまこまとしてて、あーっ嫌だ。
自分を「支援者」だと考えているのなら、支援するとは何か、どういうことなのかを、もう一度冷静に考え直した方が良いと思うのだがねぇ。
また今まで、「運動」というものが、如何に潰され、いいや自滅してきたかを、振り返ってみて欲しいものだとも思う。反面教師的な例は、累々と屍となって横たわっており、掃いて捨てることも出来ないほどの有様のはず、だ。
私ですか? 私はシルヴェスター・スタローン演じるところのランボーにはなれないから、あまり威勢のいいことは、恥ずかしくて口になんて出来ませんよ。それだけではありません。拉致被害者の方々、また高齢の身を鞭打つかの様に東奔西走なさっている御家族の方々の姿を思うと、推測まじりのことなども口になんて出来るもんですか!
ン? これって、ただの日和見ですか?



2006年元日(日):今年も毎日が右往左往、怒濤のように過ぎ去っていくのだろうなぁ。そう、大晦日も元旦もない仕事に朝から追われながら、僅かな溜息を混じえつつ何度もなんども思ってしまった次第です。
でもね、どんな時にも決して忘れちゃぁいけないのが、「私は、アタシよ」ってこと。
落ち込みそうになると奮い立たせるために、何時も自分自身に向かって、そっと呪文のように囁くのは、秘やかに抱え込んでいる幾つかのフレーズです。その中で一番気障な赤面モンのヤツを、新春サービスのつもりで御披露してしまいます。失笑を買うだろうこと、覚悟の上で、ね。

♪片手にピストル 心に花束 唇に火の酒 背中に人生
(『サムライ』歌・沢田研二 作詞・阿久悠 作曲・大野克夫)

今年もどうか御贔屓のほど、宜しく御願い申し上げます。  




2005年1月01日(土)から12月29日(木)までの『ッてやんでぃ』

2004年1月01日(木)から12月31日(金)までの『ッてやんでぃ』

2003年8月10日(日)から12月30日(火)までの『ッてやんでぃ』



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