12月29日(木):今年最後の休日だというのに、結局は雑用のために、家を出たり入ったりと忙しい一日だった。今年中に処理しなきゃなンないことは一応終わらせた、あとは年末年始の特別スケジュールが組まれた仕事をミスを犯すことが無いよう焦らず慎重に乗り切るだけだ、と少しだけホッとし、豆から挽いて丁寧に淹れたコーヒーを飲みながら、郵便物をチェック。
その中にあった大きな封筒は、卒論の指導をして戴いたM先生からのものだった。素敵なカードには、涙がこぼれちゃうような有り難い文章が…。

思えば、M先生と出会わなければ私は卒業論文を書き上げることが出来たかどうか、かなり怪しいものだ。
M先生の指導を受けたい旨を明記した小論文を事務局に送ったが、事務局からは「M教授の指導はもう受け付けられません」と、その理由は不明のすげない電話。
諦めきれない私は「その小論文を先生に読んで戴くことも駄目ですか?」と食い下がったが、相手の返答は芳しいものではなかった。どうしようか?と、その年度の卒論指導申し込み締め切り日近くまで悶々と1ヶ月余り。

「K大のMです。小論文読ませて貰いましたよ。急ですが明後日、僕の研究室まで来られますか? 僕ね、再来年の3月にココを辞めるんですよ。あなたの視点はユニークで面白いと思いますが、あれを卒論に纏め上げられますか? 11月末の卒論締切まで、残された時間は1年ですよ」と、電話を戴いた時には驚きと喜びでシドロモドロだったが、「勿論、伺います、書き上げます。あのテーマで指導して戴きたいのは、先生以外には考えられないのです。宜しく御願い致します」。

研究室に置かれた応接セットの小さなテーブルの上に、既に手元にあった10冊近くの資料を並べ必死になってテーマと自分との関係性をアピールする私に、苦笑しながら先生は「分かりました。引き受けます。事務局は難色を示すでしょうから僕の方から上手く伝えますよ」、そう仰って下さった。
そして手提げ鞄から分厚い数冊を取り出すと、「持って行きなさい。代金は次に会うときに払って呉れればイイからね」。
卒業後に判ったことだが、先生は御自分のスクーリング講義での私が提出した試験解答や関連科目の成績など全てチェックした後、電話を下さったというが、「"A"を付けたけど、僕の授業での解答はユニーク過ぎたねぇ。只ね、あなたが狙ってソレをやっていないのは分かるから、ホォ…と思ってしまったのかもしれない。異端児だと思われて嫌われることがあるでしょう?」には、小学校時代からの数知れない様々なトラブルを思い出し、冷や汗でした。

私の性格を見抜いていたらしい先生は、塾生向けの『論文の書き方』などを余り気にせずに、自分に合うと思われる方法でドンドン書き進めなさい、そしてとにかく書き上がったものを直ぐに見せなさい、事務局を通すと時間がかかるから自宅に直接郵送しなさいと、普通なら卒論としては問題視され、内容構成ともに根本的な再考を要求されるであろう、典型的な学際内容のものを受け入れて下さっただけでなく、完成に向けて最後まで導いて下さったのだ。
手抜きを許さない厳しいものではあったが、どこまでも「個性」を第一に重んじて下さる、優しく鷹揚な指導であったと思う。
残すは製本のみの最終原稿コピーが返送された時に目にした、赤い色鉛筆で大きく書かれた「Well done!」は、私にとっては初めて貰った花丸状態で、諦めなければかなりのことは出来る!を実感して、嬉しいなんてモンじゃなかったっけ。
今もなお「宗教研究会」の一員として、その末席を汚していられるのも先生にお声をかけて戴いたからこそで、本当に有り難いことです。

さて私が卒業した年の4月には、立ち上げ段階から関わられていた公設民営の新設某大学の学部長に就任されたM先生は東京を離れた。今年からは開設された大学院の学科長になられたが、その大学・大学院のキー・ワードは「公益」である。
M先生曰く、「公益=誰にとっても善いといわれるもの(Common-good)」だそうで、闘うクリスチャンでもある先生らしい選択だなぁと思う。

学会や所用で上京の際には必ずと云って良い程、研究会のメンバー達とミニ研究会と会食の機会を持って下さるのだが、加えて、今お住まいの地の名物大花火大会開催に合わせて、御自宅への招待メールを下さるのも毎夏のことである。
でも私は残念ながら仕事の所為で、ここ1年以上お目にかかれないでいるのだ。「ゴメンナサイ。また駄目です」メールばかり。

そんな私を、何故か先生がとても気にかけて下さっているのは「仕事」が仕事だからかもしれない。
私は意識などしていないのだが、或る視点からすれば「公益」という一端をかすっている仕事に従事しているということなのかな? 事実、先生の大学と大学院には、今の私の仕事に直接あるいは間接的に関係する科目が目白押しだ。
先生からの大きな封筒には、カードと共に何種類もの冊子とコピーが入っていたが、どう考えても、もっと学びなさい、そして書きなさい、時間を作って大学院なんてドウかな? という先生の愛の鞭としか思えない内容物ばかりなのだ。

ちょっとぉM先生〜、買い被り過ぎですってばぁ…、なのですが、少し気を抜くと口すぎの為のRoutine-workと化す危うい日々に、1年の終わり際して心から敬愛する先生から、静かなる喝を入れられてしまった気分です。もっと前向きになって、踏ん張らないといけないよ、ねぇ。 喝!

M先生、何時もいつも、お心遣いに感謝致しております。こんな不肖の(自称)弟子ですが、来年も、どうか宜しく御願い致します。



12月25日(日)(同日付BBSに書いたものを一部省略等のうえ転載):ドアを開けっ放しでXmasミサの真っ最中だった大きなカトリック教会は、立錐の余地もないほどの、大入り満員状態。そんな教会から僅か徒歩3分の距離には、一日に1回配達される、たった一食のお弁当とマグカップ3杯の日本茶のみで生き延びている、独居で重度の痴呆老女がいることなんて、誰が想像できるだろう?
かつては洒落た洋館だったはずの、だだっ広い隙間風だらけの家で、暖房といえば、レンガ造りの暖炉に設置された危険極まりない旧式のガスストーブだけ。失禁したせいだということも理解できずに、ぐちょぐちょに濡れ冷たく冷え切った自分のお尻を温めようと、そのガスストーブに張り付くようにしてるなんてことを、これまた、誰が想像することが出来るだろう?

まぁさ、まずは信仰は、自分の幸せを求めてのためだものねぇ…。自分自身が幸せな想いに満ち溢れなければ、他人のことにまで、思いなんて馳せられるはずなど、無い。
ゴメン。やっぱり捻くれてるか?私…?



(12月24日(土)付BBSに書いたものを一部省略等のうえ転載):昨日に続いて、なんだかワケの判らない、自分が持てる言葉だけでは完全には、説明・整理のつかない「混乱」とも云えるザワザワ感が、こうしてPCの前に座り、ココに書き出した今も、まだ続いている。
私は、なぜ、北朝鮮によって拉致された方々の御家族の言葉に、これ程までストレートに、心、動かされてしまうのだろうか?
それこそ彼らが発する言葉は、私にとっては、ある種の「言霊」としか云いようがないのだ。拉致された方々、そして必死に救出すべく東奔西走されている拉致被害者家族の方々には、もはや、それ程の時間が残されているとは考えられない。そのような思いがコチラにあるから、こうまでDeepに心に、いいえ、私という個体全体に響いて来てしまうのだろうか?

新約『聖書』の「ヨハネによる福音書」第1章の冒頭にあるのは、有名な「はじめに言葉ありき」である:
  初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
  この言は、初めに神と共にあった。
  万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
  言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
  光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。


コレの解釈は、純粋に宗教哲学的にさえ様々あるから、信仰者ではない聖書の一読者である私が云うのもナンなのだが、私ら人間が「言葉」を持った時、人間は初めて他の生き物(動植物)と異なる存在になったと云えるのではないかと思う。そして人間は、言葉というものによって、今ここに存在しないもの、あるいは未だかって何処にも存在しなかったものさえも、呼び出すことが出来る力を得たのではないだろうか? ということである。
云い方を変えれば、言葉は未だかって何処にも存在しなかったコトやモノを含め、少なくとも、此の世の(もしかしたら、彼の世の…のも?)アリトアラユルものを、生み出す可能性を携えているものだ、ということでもあるはずだ。

そう考えると、御家族の言葉には、形振り構わずの、心の底からの必死な願いや想いがあるのだから、強烈な言霊となって、私をノックアウトするのは当然だし、個的な政治的立ち位置から、御家族の存在および発する様々を、自らの目的や欲望の為に、タマや補完として利用しようとするヤツラの、発言やら何やらをも、容易に乗り越えていく力があるであろうことは、想像に難くない。違うかな?

あーっ、ごっちゃごちゃ。上手く書けない。バッカじゃないの!? 哀しいよなぁ、勢いだけでしか、モノ書けない自分ってものが…。
マジ、混乱している私は、Topページに「ブルー・リボン」を貼らせてもらってる、その根本までを、一人グズグズと、考えちまっておるのですよ。バッカみたいでしょ?



12月24日(土):■国民大集会 決議
 今この瞬間も多くの拉致被害者たちが北朝鮮で「いつ帰れるだろうか」と指折り数えて待っている。
 本大会には韓国、タイ、レバノンの被害者家族が参加された。北朝鮮は朝鮮戦争中に8万2959人、戦後に486人の韓国人を拉致し消息すら知らせずにいるし、曽我ひとみさんたちの証言により拉致事実が確定したタイ人のアノチャ・パンジャイさん、レバノン人のシハーム・シュライテフさんをはじめ、マカオ系中国人、ルーマニア人、フランス人など多くの国からも拉致をしていたことが明らかになりつつある。私たちはすべての拉致被害者を取り戻すため国際連帯を強めていくことを誓う。
 さらに日本人拉致被害者が金正日が認めた13人以外にも、はるかに多くいることは間違いない。本日も特定失踪者のご家族からの訴えがあったが、政府は日本人拉致の全貌を明らかにするため一層の努力をし、追加認定を続けて欲しい。
 政府は昨年12月24日、「迅速かつ誠意ある対応がなければ、厳しい対応をとる」と制裁を予告したが、それから約1年経ついまも北朝鮮は「拉致問題は解決済み、めぐみさんの遺骨鑑定は日本のでっち上げ」と開き直りつづけている。これはどう考えても「誠意ある対応」とはいえない。しかし、小泉首相は未だに制裁発動を決断しない。
 制裁発動は、拉致被害者全員を取り戻すという国家意思を示すことである。それを躊躇していると、拉致問題を重視していないという大変危険なメッセージが発せられる。国家意思を示すこと抜きに、被害者を救出できるのか。
 日本政府に強く求める。制裁法による送金・貿易停止、船舶入港禁止を行っていただきたい。北朝鮮最高人民会議(国会)代議員を勤める総連幹部6人への再入国許可を取り消し、北朝鮮・総連への不公正な優遇措置の適正化を行っていただきたい。拉致被害者追加認定を継続して実行して欲しい。
 金正日に要求する。いますぐ、日本人拉致被害者を全員返せ。韓国人拉致被害者、その他の外国人拉致被害者もすべて返せ。核武装と戦争準備を止めて、北朝鮮民衆の生活向上に力を尽くせ。
        平成17年12月22日 国民大集会 参加者一同


また本日、被害者の家族や支援者が東京都内で記者会見し、以下の声明を出しました。

■制裁予告1年に当たり家族会・救う会声明
 政府は昨年12月24日、「迅速かつ誠意ある対応がなければ、厳しい対応をとらざるをえない」と制裁を予告したが、それから本日でちょうど1年が経つ。
しかし、小泉首相は未だに制裁発動を決断していない。
 北朝鮮は「拉致問題は解決済み、めぐみさんの遺骨鑑定は日本のでっち上げ」と開き直りつづけている。本日から日朝協議が行われているが、北朝鮮が協議に応じたことだけでは「誠意ある対応」とはいえない。彼らのこれまでのやり方からしてむしろ時間稼ぎを企んでいる可能性が大きい。
 制裁発動は、拉致被害者全員を取り戻すという国家意思を示すことである。それを躊躇していると、拉致問題を重視していないという大変危険なメッセージが発せられる。国家意思を示すこと抜きに、被害者を救出できるのか。
 私たちはこの1年間、「経済制裁発動ですべての拉致被害者救出を!」というスローガンを掲げて、集会、デモ、座り込み、街頭アピールなどを続けてきた。
12月にも大阪と東京で多数の国民の参加を得た国民大集会を開催した。
 その中でご高齢の家族が、何回「もう我慢の限界だ」と話してきたか。ついに家族会横田滋代表は過労のため入院した。
 日本政府に強く求める。今回の日朝協議で実質的進展がなければ、制裁法による送金・貿易停止、船舶入港禁止を行っていただきたい。北朝鮮最高人民会議(国会)代議員を勤める総連幹部6人への再入国許可を取り消し、北朝鮮・総連への不公正な優遇措置の適正化を行っていただきたい。拉致被害者追加認定を継続して実行して欲しい。
 金正日に要求する。いますぐ、日本人拉致被害者を全員返せ。韓国人拉致被害者、その他の外国人拉致被害者もすべて返せ。核武装と戦争準備を止めて、北朝鮮民衆の生活向上に力を尽くせ。
        平成17年12月24日
        北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表 横田 滋
        北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長 佐藤勝巳



12月15日(木):有田芳生氏の一昨日13日付〈酔醒漫録〉に「時間は哀しいものだ。(中略)誰でもそうだ。哀しいからこそ元気でいるというパラドックス。」とあった。
しばし、黙考……。

切り取られた風景、切り取られた想いや情念などが雑然と渦巻くなか、ヒトは、吸った息を次の瞬間には意識せずとも吐き出すように、それら切り取られた様々に対し特別な感慨や疑問を抱かずとも、ただただ日々、時を消費しても行けるのだよねぇ。これもまた、時間というものが内包する哀しさの一つなのだろうか?
などと思ってしまったのが発端で、哲学入門的「時間」の概念を、チョッピリだけど久しぶりに復習してしまったのは、仕事が休みの夜だから。それも一人だからこその、自由に過ごせる静かで余裕の時間があったからだけど、さ。



12月13日(火):父親が亡くなって間もない大親友と長電話。彼女は云った、「なんだか虚し過ぎるよねぇ」。長年の赴任先のアメリカでグリーン・カードを取得し、今やハワイで不動産業を営む私と同い年の彼女の弟は、父親の入院中には一度も現れず、亡くなった瞬間から口から出るのは全てお金のことばかり。母親の意向も一切無視し、葬儀に関しては「とにかく一番お金のかからない方法で御願いします」、そう開口一番、葬儀社に云ったそうだ。
「父が死んだ瞬間からずっと、全ての事からアタシは聾桟敷に置かれたけど、私はヤレルことはヤッタからかな、腹も立たない。悲しいのも通りこしてさぁ、お金お金…お金が何だっていうのさッていう感じだよ」。
両親の夫婦仲は良かったが、彼女の母親の実家が相当の資産家だった故か、技術畑出身で日本を代表する某大企業重役だった父親は、傍からは婿養子とも見えるような存在ではあった。しかし人も羨む第二の就職直後「遣りたいことをやる」と宣言し辞職。大学の専任講師となり教壇に立つことになったのだ。若い学生相手に生き生きと過ごしていた其の頃の父親が一番好きだった素敵だったと、友は何度も云っていたものだった。
しかし数年前からは年相応の痴呆症状が見られる様になり、趣味だったピアノの鍵盤を叩くことも一切無くなっていたという。
痴呆が進行しても、私と同じ様な不肖の娘を最後まで心配したのだろう父親は、病室に毎日通って来る彼女の為に、自分が亡くなった後、そして妻も亡くなった後の、今までの様々を考えれば当然起こり得るだろう息子の動向をも慮ってか、自分の入院先に程近い超中古のアパートの一室を彼女に買い与えた。
そこへの引っ越しの真っ最中に鳴った携帯電話が、彼の死を知らせるものだったというのは、余りにも出来すぎで嘘みたいな話だ。

もし、彼の世とやらがあるのなら、海をこよなく愛したという共通点がある彼女の父親と私の親父、是非とも出会って欲しいものだと思う。そして、あの背が高く物静かで素敵な紳士のピアノ伴奏で、チビで南方系の顔をしたトンデモ不良親父がカンツォーネやジャズを歌ったとしたら、もしかしたら最高の不思議コンビになるかもしれない。
そんなことを、ふと夢想したけど、どんなもんだろう?



12月9日(金):少々お伺いを立てたい事があり友人にメールをするも、梨の礫。忙しくしてるはずだもんなぁ…それに明日明後日というような急ぎの用件では無し。そう始めは思っていたが、だんだんと、なんだよぉ!友達がいの無いヤツだ、見損なってたのか?私、などと自分自身にまで腹が立ってきた。
かなり深い付き合いをしていたつもりだから、普通はココで一種のシカト体勢に入り付き合いの見直しを計るというのが、まぁ一般的な大人の対応というものかもしれない。
が、そこはそれ私のことだから、理由もハッキリ判らないまま中途半端に流して行くのは絶対に嫌だ。そこで、「云々かんぬん。1行でイイから返事は欲しかった」と、これを最後にサヨナラするつもりで、簡単かつ事務的なメールを送信した。
結果は、全くのつまらない行き違い、誤解。あーぁ良かった! 大切な友人を一人、失なわずに済んだ。時に煙たがれ嫌われる私の子供の頃からの性格、疑問や納得出来ないことがあると執拗に徹底解明しないと気が済まないところが、今回は幸せなことに、吉!と出た。
イイ性格してるよなぁ全くさぁ、と電話で大笑いしながらも、二人して、ふぅ〜ッと溜息。



12月4日(日):"Neglect" 過去の関係性に於いて如何なる経緯があったのか、その詳細を知る術は無いが、その結果が悲しいまでのコレなのか? それとも己自身が凄まじいまでの困難を現在抱え込んでおり、それ故にっちもさっちも行かず止むを得ずでなのだろうか? どちらにせよ、ドコをドウ殺したら、ああまでのことが出来るのだろう?
本日の仕事先は、緊急の単発依頼も含めて5人で6件(お一方には2度の訪問)だったが、共通項は老女・強度の痴呆・独居あるいはソウ云っても何ら差し支えない様な状態、そしてNeglect だ。
私にとっては仕事だから、どんなことが目の前に現れようが、ただただ冷静に判断し可能な限りの対処をするのみ。しかし流石に帰り道では、氷雨のような冷たい雨に打たれていたこともあってか、胸がジンジンと痛んで仕方がなかった。
血の繋がりって何?どんな意味があるの? 長生きも程々にしないと、在るのはただ一つ、無間地獄のことが多すぎる。



11月24日(木):悲しい。就寝直前の今、遅れにおくれて知った訃報。カメラマンの高村倉太郎さんが21日にお亡くなりになっていたのだ。
私の日活ロマンポルノ時代には何本も一緒に仕事をさせて戴きましたし、その後も他の仕事で何度かお会いしました。日活ロマンポルノの現場では、彼にとっては後輩である監督の目を盗んでは、こっそりと何度も私の演技についてダメ出しやらヒントになる言葉を下さったものでした。ロケ先や撮影所で食事やコーヒーを御馳走になったことは数知れず。また、私のヒッピーくずれ紛いの衣服や化粧を見ては、「似合ってるねぇ。Chiroらしくてイイよ」と、いつもニコニコ顔で声をかけて下さったものです。
日活ロマンポルノを離れてからの私が、TV映画の仕事で衣装合わせや撮影の為に日活撮影所に行くと、何処からともなくフラリと現れては「Chiro元気か? 終わったらメシ食おうな。何にする?」と、それはそれは可愛がって戴きました。
そんな高村さんと連絡を取らなくなったは、彼の叙勲を祝うパーティに鬱状態だった私は欠席し、それが心苦しくも気になって、季節の御挨拶を失礼したのが発端だったはずです。今思えば自分の気分に負けただけの、何とまぁ取るに足りない問題だったわけで、自分自身に対して心底、コノヤロウ!です。

本当に有難う御座いました。いくら知らなかったこととはいえ、最後の最後まで不義理をしてしまったこと、どうかお許し下さい。もしアッチという世界があるのでしたら、オババの私が高村さんを一生懸命に探しますから、また映画の話をして下さいね。あっその時には、高村さんよりも先に逝ってしまった三浦プロデューサーと相米チャンも一緒に楽しく、かな?
合掌。



11月19日(土):目がテン! 世も末(?)なのか!?
忙しさにかまけて「北朝鮮による拉致問題」関連以外のニュースを、ちゃんと読んでいなかった私。いわんや芸能関係ニュースをや! あの「○の○○た」がNHK紅白歌合戦の司会とな! ひゃーっ!死にそうっ!!

別にイイんですよ、私は大晦日のその番組なんか疾っくの昔に興味を失ってしまっているし、今年だって99,99%の確率で目にするはずがないから、ネ。でも彼の方の司会で番組が世界(といっても、どうせ見るのは在留邦人か日系人だけだろうけど、さ)に流れるかと思うと、日本人の一人としては複雑な心境ですなぁ。何だか恥ずかしい、申し訳ないって感じ?

私はハッキリ云って、彼を生理的に嫌悪しています。彼の語り口から一瞬にしてイメージしてしまうのは、「女衒」。誰がナント云おうがソウなんです、女衒なんです。だから、私の中では何の抵抗もなく素直に吐き気を催す程の嫌悪感に結び付いてしまうわけで…。

家で偶然目にしてしまったTVに彼が映っていると、私は母に「ごめん、チャンネル変えるよ」と云い、その瞬間にはもう別の画面です。
初めは気にしていなかった母が訊きました、「どうしてソウまで嫌うの? まるでナンカあったみたい」。いえいえ、ただただ声を聞いただけでも虫酸が走る程に嫌なだけ。
ン?私とじゃぁ勿論ないけれど、そういやぁあったぞナンカが! そう、身近だった方の親しい女性が被害にあってたよなぁ、彼の。

とある時期のさる分野で超売れっ子の有名人だった某女史は、彼にアチラコチラで「某とは寝たねたネタ」としつこく吹聴されて困惑しきっていたことがあったっけぇ。オトコ、いいや人間の風上に置けぬ最低なヤツ! 噂はあくまでも噂であるし、彼がソウイウコトを口走ってる現場を実際に押さえたワケでもなし、ましてや私の様に後先を考えずに激情突進の女性ではないから、親しいところに愚痴をこぼすしか無かったのでしょうねぇ、彼女。お気の毒に。
私はヤッタけどさ。

舞台で照明器具を設置していたソヤツに歩み寄ると何も云わずに、デッカイ相手に向かって飛び上がって左頬をブン殴ってやった。全く冗談じゃないよ! 口説き落とせなかったからって、寝たヤッタなどというツマラン嘘を云うな!馬鹿野郎!!
その日の本番では、長台詞を云う私に当たるべきピンスポットが、心持ちズレてたかな?(笑)

話は違った方向に行ってしまいましたが、とにかく、み○○ん○氏、私は、嫌いです。
個人的には何の恨み辛みもありませんが、早いとこ、TVの画面からあの女衒顔が消え去りますようにと、日々心から願っておるのです。彼のファンの方々、御免。
それにしてもNHK、ヒヨッタな、最悪。



10月27日(木):ここのところ、憲法改正があるならば、するならば…という前提で、国防・国軍ということに関する本を読んでは、一人ひっそりと考えている。
私は基本的に、「自衛隊」は「軍隊」であると考える立場であり、それは典型的なサヨであった時も今も何ら変わりはない。つまりソレを、どう解釈し受け入れるか、それとも否か、というだけの違いでしかないのだ。また、自衛隊という存在が、「日本国憲法」に於いて違憲か否かと問われたら、現在の憲法記述においては違憲である、という考えも変わりはないが、考えれば考える程に、様々な面で思想的な解釈における表裏一体でしかないのでは? という思いが強くなって来るだけである。
私たちに問われているのは、国家というものをドウ考えるか? その国家と自分自身との関係性を結論づけた上での、国家というものの存在意義とソノ存続上の危機感をドウ捉えるか? ソレラとドウ関わり続ける決心をするか! に様々な問題とされる論点の根本は在るような気がしている。
結果、哲学的な性善説・性悪説の、どちらに己が身を寄せているかという、至極簡単ではあるが永遠の課題にまで帰着してしまうアタシではある。
そんなことをツラツラ考えていたら、一度会いたい話をしたいと思いながらも未だその機会が無い方を思い出した。その方はClaudia J. Kennedy著書)、The United States Armyで最初にGeneral つまり将軍になった女性で、私の弟のツレアイの遠い親類にあたる方である。
彼女のお母様には一度お目にかかったし、妹さんには何度もホーム・パーティでお会いしては楽しく話をさせて貰っているが、将軍の話題は出ても会ったことのある人は親族でも少ないのである。
是非とも「元・将軍」にお会いして、女性の立場からの国家観・国防観などを基にしてのお話を伺いたいものである。直ぐにオンナが云々コドモが云々の、ちゃちな日本のフェミニズムなんかは簡単に吹っ飛ぶ様な、ヒント満載の刺激的な話題がきっと伺えるはずではないかと期待感イッパイだ。
出来得るならば、聞き書きをしたいなぁ。
なぁんてことを書くと、私のウヨ認定に弾みがつくこと請け合いだ(笑)。



10月25日(火):担当の利用者さんに緊急事態が発生で、仕事時間と仕事先が急遽変更になり思いもかけない1時間半の空き時間が出来たので、一旦家に戻ったところに弟からの電話。母への定期便だったけれど、あいにく母は不在で私との長電話となる。姪Juliaの大学出願話になったが、まずは私へ「H(私のこと)が云ったことで大変だったんだぞ」と苦情。はぁ?何? 聞けば私の云ったことで志望大学決定でゴチャゴチャと何だ彼だとあったらしい。

実は以前Juliaと話した時に私は云った:
「エーッ!CAUDH? どうした?なんでよ? あそこ環境的に余り良くないしアンタの成績では易しすぎるじゃん!」 彼女(以下、J)は「家から近いし…。CSULBでもイイんだけど」
私「ふ〜ん。でもさアンタが本当に行きたいトコはドコよ?」
J「UCLA。でも難しいよ。お金も高いし」 
うん、そりゃぁ同じ州立大学といっても、UC系はPhD.コースも用意されてることからも判るように、教育機関としてよりも研究機関としての色合いが強い。教授達も学生の指導は勿論だが研究にも重点を置いているのが特徴の、基本的には高度な専門知識を身に付けたい人向けの大学だから、地域に開かれまた密着し、教育に重点をおいたCAL.State系よりも難しいことは事実だ。
しかも彼女の志望は医学関係だから、いくら成績以外の様々なポイントが十二分だといっても入学許可を貰うのは生易しことではないし、授業料が高額なのも間違いない。
金銭的な大部分を幾つかの奨学金で賄うというのは、或る意味、入学許可を得るよりも激しい競争率を突破しなければならないだろうことは想像に難くないから、親の経済状態を考えれば金銭的不安を持ってしまうのも仕方がないだろう。けれど、手が容易に届くところをのっけから目標にするのは、イイことなのか? 
加えて彼女は、「(高校過程を終えた資格があれば誰でもが入学できる公立の2年制大学であるCommunity Collegeの一つである)El Caminoでもイイんだ。おかぁさんもCommunity CollegeからTransferしてUniversityに行ったんだから」などと云う。
それは、状況や条件が違い過ぎやしないか? 
アンタのおかぁさんはUCLAがOKだったのに、難病を発症した直ぐ下の弟の高額医療費を慮って、学費がとても安いCommunity Collegeなら働きながら全て自分でやっていけると決心し、2年分の単位をソコで取得後CSULBに行ったはずだ。大学卒業直後には某売り場のマネージャーになったくらいに、ずーっと稼いでいたんだよ。
私「とにかく、楽な所に決めちゃうより、ちょっと大変でも行きたい所へ行けるように頑張る方が私はイイと思うよ。そういうのが好きだな。それでもしも希望通りにいかなくっても、やったー!って感じがするんじゃないかな?自信が持てるんじゃないかな? ソレって大事なことだと思うけどさ」
J「うーん、そうかな…?」
で、そのあと、家庭内で何やらあったようだ。

弟は:
見栄を張って、名前のある所に無理して行く必要はない。自分で楽に勉強が出来る所で勉強して、もし他に行きたくなったら編入・転学すればイイことだ。ドコだって同じだよ。コッチは日本とは違う。
それに対し私は:
見栄? 憧れは見栄ではない。それに、ドコも同じというのは違うんじゃないのかな? 或る方面で名前がある所は、それなりに教育環境はイイはずだし学ぶべきことが多いのは、ソッチの方がコッチの比じゃないと思う。親は無理強いしてはいけないけれど、子供が少し高いところに目標をもつことを後押した方が良くはないのか? 転学編入って云うけど、それを本当に真剣に考えてるような子だったら、この間の様なことは云わないと思う。

いけどもいけども、彼とは平行線かな?
でもまぁJuliaがApplication Formを書いて提出予定の3校は、この間とはかなり違っていたから、まずはイイんじゃないか、とは思った。
優しくて周囲のことを非常に考えてしまう子は、自分で気づかぬうちに、時として自分を抑圧してしまう傾向がある。それが他からは、自信の無さや覇気の無さに見えてしまうことが往々にしてあるが、Juliaの場合も、ちょっとそう誤解されても仕方がないところがあるな。
とっても色々なことに気がつくイイコなんだけど、そのイイコってのが、結構、彼女自身にとっては曲者なんじゃないかと思うのだけど、どうかなぁ?



10月21日(金):仕事開始が朝早くからだというのに、日付が変わるのをわざわざ待っていて絵葉書メールを送信してくれたんだね、M。ありがとう! 早めの忘年会になるのかな?またまた楽しく呑もうネ。時差を考えてくれただけでなく、あなたにしては不思議な程に意味明瞭で暖かな動画メールをくれたF!ありがとう。私だってさぁとっても会いたいよ。片手にした美味いビールを呑むのも忘れる程に、必死になって様々と意見を闘わせたいものだと思ってる。ソッチかコッチか、それともお互いに懐かしくて仕方がないLA? とにかく「地球のドコカで(近々)会いましょう!」(by 旧知のMr.ASOU-chan in Lima, PERU)



10月17日(月):「ねぇね、Yさんのお父さんも靖国にいるのよねぇ?」とベッド上から大声。
その日によってかなり痴呆症状の出方が異なるUさんだが、調子の良い日には、殆ど一日中つけっ放しのTVの内容に脊髄反射をしてはコチラに声をかけてくるから、仕事をしながら彼女のそうした反応に対応するのが大変である。
何度も「そんなに若いわけがないでしょ。私の母はUさんよりもトシ上なんですよ。Uさんのお嬢さんよりずーっと年上なんですってばッ!」と云っても、なぜか私のことを勝手に20歳も若く思い込んでいるUさん。それに加えて夏の或る日のこと、彼女の淡い恋の相手が特攻隊員として散り、靖国神社に祀られている話を聴かされて以来、これまた彼女の中では何故か私の父親も靖国に祀られていることになってしまっているのだから、話は複雑怪奇なことになることが多々である。
靖国に居る父親が、現在30代半ばの私Yを如何にして此の世に誕生させ得ることが出来たのか? などという疑問にもならない疑いなど、Uさんはこれっぽっちも持つはずもなく、とにもかくにもソウイウコトになってしまっているのだから、傍からは何をドウ云っても、それこそドウにもならない世界なのである。
「どうなさいました?」と急いで近寄った私にUさんは、「Nさん(彼女の恋の相手)もYさんのお父さんも、こんな御参りをされたって喜ぶはずはないわ。嘆かわしいねぇ」と一言。
TVは緊急特番とか名付けられたものの放送真っ最中で、画面には小泉首相の靖国参拝の姿が何度何度も繰り返し流されていたのだった。

追記:この「大阪高裁判決の傍論に見る暴論 日本人の原宗教意識を全く無視」という意見に、激しく同意! です。



10月14日(金):昨夜勢いだけでBBSに書き込んだもの、読み返したらコチラに書いた方が良かったなぁ…書き直してココにUpしよう、そう思いました。ただしかし、文章を手直ししたりする時間がありませんので、その部分をそのままココに貼り付けます。


<投稿日:10月13日(木)10時21分56秒>
昨夜はPCを立ち上げるどころか、お風呂にも入らずに撃沈(;_;)でした。
だって帰宅するやいなや事業所と打合せの長電話で、ただでさえ1週間の疲れが溜まっていたので、ぶっ疲れたぁ。

ここんとこ季節の変わり目だからでしょうか、強度の欝状態に陥る方が頻発で、問題多発。
仕事中に、その対処がマジ大変なんですよぉ…。

身体面は、訪問医療(歯科を含めて)や訪問リハビリ制度が充実して来ているのですが、精神面専門の訪問医療(あるのか? 調べなきゃ)は、まだまだ、というより、アタシが関係してる方々には、全くのところ届いていません。
月に1度の訪問看護師さんだけでは、彼らがアタシらとの連絡帳をチェックしても、具体的な詳細はなかなか伝わらないし、最大の問題点は、月に一度の数十分(それも血圧測定などのバイタルチェック込みでの時間)では、利用者さん自体が、心なんか開くわけないのですよねぇ…。

今の事業所は、様々と風通しがイイし、事務サイドにも、長年現場で揉まれたことのない人間は一人もいないし(例えば、介護員として施設→訪問が長かったケア・マネージャーですが、今でも必要に応じて現場に出動し、アタシらから上げる様々な問題点を、身をもってチェックしています)、関連他分野との「チーム・ケア」という点でも、かなり上手い具合になされていてもソウなんですから、訪問介護全体での精神的なケアの遅れは、推して知るべし、です。

コチラが出来ることといえば、どんなことでも「傾聴」し、「介護」の範囲で可能な限りのケアをするのみ。
ただ聴くだけでも、利用者さんの表情が変わってくるのが分かるので、いかに話し相手のいない高齢者が多いかと、愕然とします。
しかし、まぁコチラは赤の他人で、しかもお金を頂戴しての「仕事」ですから接する時間が限られている。
だからこそ、出来ることです。

あんな話ばかりを、寄ると触るとされた日にゃぁ、いくら家族だって、声を荒げちまうだろうし、全てをおっ放り出してネグレクト寸前までいっちまうだろうなぁ…。
そのことに対しての非難なんか、誰にも、絶対に出来ませんよねぇ。
当然、ですよ。



10月11日(火):筑紫哲也というジャーナリストには最早とっくに興味も関心も無いし、彼の「NEWS23」なる番組を偶然たまたま目にしてしまった時には、えも言われぬ程の腹立たしさを覚えることが多いという、ただソレだけのことだが、コレは必見。(20,8MB 21分11秒) 

WMV

で、一応さぁアンカーとしての筑紫サンなわけで、そういう反応だけでイイの!?と、毎度のことだけど、腹立たしさを禁じ得ない。氏が今まで語ってきた「北朝鮮」や「拉致問題」と絡めて、もっと何かを語る責任は在るはずだ。
 


10月6日(木):仕事が休みの日って、どうしてこうも忙しいことが多いのだろう? 当然のように溜まりにたまった所用の一つを片づける為に久しぶりに有楽町に出掛け、ついでにこれまた久しぶりの本屋に立ち寄ってみた。
まずは平積みにされた村上春樹の新刊『東京奇譚集』を手に取り、パラパラとページを捲りながら買うか否かをかなり迷ったものの…コレは今の気分じゃないなぁ。直ぐには読まないだろう…からと、次の機会に購入と決定。
次に外国文学コーナーに近づくと、見慣れた「星の王子さま」が大勢コチラを見るともなしに見つめているではないか! そう、原作の著作権が今年1月で切れたのに伴い、岩波書店が持っていた翻訳出版権も消滅したわけで、それゆえの今年は『Le Petit Prince』の新訳ラッシュなのだ。
私が初めて出会った『星の王子さま』は、大好きだった今は亡き従兄弟が見せてくれたフランス語版で、彼が大学の第2外国語のテキストとして使用していたものだった。
小学生の私には彼が語ってくれたストーリーよりも、作者が描いたというイラスト(その本ではモノクロだった)が強烈な印象として残り、それが原因で後に飛び付くように入手した内藤濯の翻訳本だが、それは未だに、折に触れては紐解く大切な一冊となっている。
LAに居た時も懐かしくて仕方がなくなり英語版のペーパーバックを買い、読み始めたものの余りにも難解な英語に頭痛がするほど手こずったことなどは、今や懐かしい思い出だ。
さて本日は、一目で惹き付けられてしまった装丁とこれまた泣きたくなるくらいに素敵なスピン(このリボン欲しいぞ!)、そして幾つか読んだ小説の文体がかなり好みだった池澤夏樹が訳したということがポイントを稼ぎ、集英社版に軍配が上がってしまった。
実は、いっとき大好きだった倉橋由美子の遺作となったらしい宝島社版は、最後の最後まで集英社版と激しい接戦をしたものの、この作品の中核(そう勝手に私が思っているだけだが)である「キツネと王子さまが話す」部分の所為で、残念ながら敗北してしまったのである。
内藤濯・訳に慣れ親しんだ私は、やはり「飼いならす」じゃなければイケナイんだよねぇ。
つまり、王子さまが「飼いならされていない」から「きみとおれは遊べないよ」というキツネに訊くわけさ、「飼いならすってどういう意味?」かって…。
内藤訳ではキツネの答は「仲良くなる」こと。
倉橋訳は「飼いならす」ではなく始めから「仲良くなる」になっており、その答は「関係をつくる」こと、となっていて、なぁんか私にはシックリこなかったわけ。ちなみに池澤訳では「飼い慣らす」は「絆をつくる」ってこと、になっている。イイでしょッ!?
とは云っても、私はサンテグジュペリや『Le Petit Prince』の研究をしているわけではなく、ただ自分の感性に何故かフィットしたから買ってしまっただけなので、大きなことは云えませんが、ネ。
帰ってきてから検索したところ、池澤氏がコンナことを仰っていました。あれぇ?!そうなんだぁ!と、遅まきながら…。
当分の間、新しい『星の王子さま』三昧になりそうな気配です。



9月29日(木):仕事以外のことで、思いもかけずに途轍もない蛸壺に嵌り込んでしまった、どうしたらココから抜け出せるの?状態の日々で、何かを言葉で表そうとすると余りにも剣呑な表現しか思い浮かばない。もがけばモガクほどに言葉は宙を舞い、直接的かつドウしようもない状況を嘲笑うかの様だ。結果、昨日より今日は、更に切っ先鋭い言葉たちに周囲を雁字搦めにされてしまっているが、どうにかならないのか!? と自問自答。
そんな時に友人から電話を貰った。「元気なの?」と何気なさそうに訊く彼女の口調は相変わらずのクールで理知的だが、私の全身を包み込むかの様な、なんとも云えない暖かさに満ち溢れていたのだ。愚痴る私に「やっぱりソウかぁ…、そういうことだったんだ」と呟き、続く様々な言葉は、私の突っ張り切り伸び切ってプツリと切れる寸前の危うい頭ン中の様々を、初心者相手のオセロゲームで黒い石を白に白い石を黒にと容易に裏返すかの如く、信じられない位に弛緩させてくれた。そして、愛憎表裏一体の複雑な想いまでをも再度冷静に認識させてくれたのかもしれない。ありがとう!



9月16日(金):この3年間に、何が判明し何がどう動き進展したのか否か!? 決して忘れてはいけない、2002年9月17日の「日朝首脳会談」と今までの流れを…。
この声を改めて聴いてください。(小泉首相と金総書記の映像に続く)当日の御家族の会見。そして、生放送以外では決して放送されることはなかったのが、この御家族の声であり、放送を忌避されたところに潜むものは?その意味することは何か?
明日を前にしてこんな報道や、昨日私も観たNHKの「クローズアップ現代」では、こんな新たな情報()も…。しかしながら、未だにこのようなことを云っている首相近辺では、様々と怪しげな動きがあることさえ漏れ伝わって来るが、新たな利権を念頭に置き、妥協という照準に集約しての政治的決着とやらを模索してはいないか!? 監視の目を緩めてはいけない、この問題を風化させないように私たちの声を途切れさすことなく、何らかの行動に結びつけていかなければならない。
そう、今この瞬間、不条理極まりない「北朝鮮による拉致」が、あなたや私そして身近な人々の身には決して起きないと、何処の誰がそう断言できるだろうか? 右だ左だ保守だ革新だなどと、己の政治信条に則って理屈を捏ね回している問題ではないのですよ。「テロ」です、「人権侵害」です、「主権侵害」されたのです、され続けているのです。

9月17日という日を、私は決して忘れはしないだろう。

追記:このことに関わった政治家達は、今回の選挙で当選落選に拘わらず、今までどの様な釈明を行って来たのか? どう考えても、単に脇が甘いだけの問題だったとは思えない。どの様な考えと立場で為されたことか、再検証の必要が大である。



9月15日(木):時間があると時折覗かせて戴く、一度だけお目にかかったことのある女性の日記サイトを久しぶりに訪問すると…。
恋の行く末に悩む友人に向かって、<行かないでくれ、そばにいてくれ、って思ってるんだろうが!「べき」でする話じゃないんだよ!>と、手厳しいが的確なアドバイス(?)を書いていた。翌日にはまた、他の事にも関連しての文章の最後に、どう考えても前日の方へ向けてとしか読みとれない2行、<やりたいことを理由をつけてやらないのは、本当はやりたくないことだからだ。誰だってやりたいようにやればいいではないか。>があった。
期せずして同じ様な相談を受けたばかりの私は、ただただ彼に向かって、そうかぁ、そうなんだぁ、う〜んそれはさぁ…等々、全く以て煮え切らない言葉ばかりで、彼女の様には「言い切れなかった」なぁ。なぜなら、何でも彼でも答を他人様から授かろうとする様な自己が希薄な人間は別として、何事かに心から悩みソレを誰かに相談する状況というのは、自分の出した一応の答にどうしても確信が持てずに未だ右往左往、ゆえに己の回答に少しでも裏打出来るかもしれない言葉が欲しいことが多いんじゃないのかしら? ましてや恋愛問題のソレに関して云えば尚更のこと、ソウではないのかなぁ? 
だから私は今まで、単なる愚痴だとコチラが思うものに対しては相手が嫌がるくらいに、かなりハッキリとモノを云わせて貰って来ているが、ディープな相談事には、あくまでも相手の話を真摯に聴くことが第一、そして余程のことが無い限りは相手の決定したらしき事に対し、強く疑問を呈したり否定はしないように注意をして来たのだけれど…。もしかしたらソウイウ私の態度は、かなり冷たいものなのかもしれないなぁと、日記の彼女の熱い文章を読んで、チョットだけですけど思った次第です。



9月14日(水):済みません、ちょっとアルコールが入っています。明日が仕事休みだということもありますが、今日もまた着信アリの、全くもって私には理解不能の「私の投票行動」に対しての非難・誹謗メールの内容にアッタマ来て、素面ではヤッテらんねぇ!(という程のことではないよ、うふふッ) 
はっきり申し上げて、コレラが公明党支持者(≒創価学会員)の方々からのモノだと判明ならばコチラとしても、宗教哲学を専攻し今も卒論のテーマ「宗教多元論」に拘り、市井の徒(おッとぉソレじゃぁ市中の無頼の徒だわな。私の場合、或る側面では当ッタリーッ!かもぉなのが何ともはや、ですが…)、ではなく(笑)、名も無き市井の一人として、死ぬまで研究者の卵の端くれに連なって行けたらイイなぁなので、真摯に対処の仕様は有ります。
LAで出会い今でも親しい友人の一人は典型的な「福子」です。彼女からの折伏や選挙時の投票依頼をキッパリと断り、云いたいことをお互いに言い合っているからこその持続する友人関係ですが、ソレって二人の性格もあると思うけれど、珍しいのかな?
(注:「福子」とは創価学会には「願兼於業」という考え方があり、「仏道修行の功徳によって、幸福な環境に生まれてくるところを自ら願って不幸な人々の真っ只中に生まれ、妙法を弘通する者」ということらしいが、両親が既に創価学会の信者ならば、その間に生まれた子供は自動的に福子になるらしい。)
さて、そういうワケワカランお馬鹿メールはさておき:
小泉・自民党の圧勝に狂喜しザマァミロと反対派を罵倒するような連中、そして自民党勝利は日本国民の民度の低さなどと自分を高みに置いての様な口ぶりで嘆いたりの連中には、私は与したくはありません。ましてや大政翼賛会(文化大革命、ってのもあったな)、徴兵が云々というような意見には、もっと現実を直視しろよ!世界的リアルの中での日本を見ろよ!考えろよ! いつまでも「デスペラートなワタシ(by清水邦夫・作『真情あふるる軽薄さ』)」に安住するなよ! そう、云いたいだけです。
私は小泉マンセー!では決してなく、北朝鮮による日本人拉致問題、コレを軸にしての、考えに考えた結果の投票です。
そして、どんなに馬鹿にされようが笑われようが、私はLove &Peace 、Jhon Lenonの♪IMAGINEが大好きです。

かつて自分が訳したものより数十倍イイッ!と思った、私が好きな未だ現役ロッカーな忌野清志郎の訳した、
「IMAGINE」(RCサクセション「COVERS」より)

天国はない ただ空があるだけ
国境もない ただ地球があるだけ
みんながそう思えば 簡単なことさ

社会主義も 資本主義も
偉い人も 貧しい人も
みんなが同じならば 簡単なことさ

夢かもしれない でもその夢を見てるのは
一人だけじゃない 世界中にいるのさ
 
誰かを憎んでも 派閥を作っても
頭の上には ただ空があるだけ
みんながそう思うさ 簡単なこと言う

夢かもしれない でも その夢を見てるのは
きみ一人じゃない 仲間がいるのさ
夢かもしれない でもその夢を見てるのは
きみ一人じゃない 夢かもしれない

でも一人じゃない 夢かもしれない かもしれない
だけど一人じゃない
夢かもしれない かもしれない・・・・・


ずっと前に書いたけどさ、IMAGINEの世界は「アナーキズムの世界観」という考え方がある。私はソレには全面的に納得しています。
そして、私がコレを大好きな曲の一つにあげるのは「団塊の世代」に属するから? 違うんじゃないか?!と思うけどなぁ。
まぁさ、アナーキズムという意味において、今回の自分の投票行動には後悔はしていないよ。
また「反戦・平和」と宣い、アフガンやイラク問題には声高に様々と語るけれど、北朝鮮の拉致問題に関しては、何故か黙して語らずの人達の、なんと多いことよ! そういう方々の意識の深層を知りたい私でもありますから、「同胞」奪還についての意見を、よかったら是非とも聴かせて戴きたいものです。

なんだかヨッパで突っ込みどころ満載、矛盾だらけの文章だ。ン?!矛盾? あ、そうだッ! 毛沢東の『矛盾論』を読み直してみようかな。



9月11日(日):さぁッ!こうなったら自由民主党よ、創価学会≒公明党を切ってくれ!!(出来るか?)
友人の一人は苦渋の「白票」を投じたらしいが、私は泣く泣く小選挙区では民主党の候補者(∵彼は「北朝鮮による拉致」解決に対しては、私が見聞する限りは積極的な姿勢で行動していた、只それのみの理由)、比例区には生まれて初めて自民党と書いてしまったが、考えにかんがえた末のことだ。「危険なニオイがする力強くも怪しげな主張」or「反論にもならない様な未熟極まりない柔な主張(?)」ならば、私は前者を取りたい。
今のままでも様々とした事に関して汲々とした日々だとしたら、いっそ徹底的に壊れた方が、少しは建設的な未来構築に繋がるのではないだろうか? 「己とは?国家とは?」などといった根本を、もう少しまともに真剣に思考し行動する人間が出てくるのではないだろうか? と、私は夢想する。
こういった考え方がヤバイことは重々承知。
でもネ、私は「解体」を叫んだ団塊世代の一人として、ちまちま取り繕ったり小賢しい工作をするよりも、「ッてやんでぃ」の姿勢で闘う方が好きだし、壊れかけたものには目を瞑らずに、己が傷つこうが自ら徹底的に壊す方が性に合っている。こういう風に文字にしちゃうと、露悪的かつ或る意味ではカッコ良すぎになってしまうかもしれないが、本音である。くわばらくわばら<自分。
遣り手のプロデューサーの手になる「小泉劇場」、今回の公演は予想以上の大々大成功の大入袋だったが、次回公演は、さぁてドウなる?!



9月9日(金):昨日、期日前投票を済ませた私ですが、北朝鮮に拉致された横田めぐみさんにも20歳になってからは、毎回投票券が届くという。しかし勿論のこと、一度として使われたことは無いのだ。今回の選挙期間中にも北朝鮮の貨客船「万景峰号」は新潟西港に今年11回目の入港をし、その新潟県には「論点に上がっていない拉致問題をわざわざ取りあげる必要は感じない」とか「拉致問題への姿勢は投票に影響しない」と口にする人間が立候補している(産経新聞8/27)。コレに対する抗議メールへの彼らからの返信等はコチラのBlogに掲載されています。
私は思います。拉致は現在進行形の国家犯罪なのです、国会議員を志す候補者がソレを取りあげないで、どうやって国民の命を守る仕事をしようというのでしょうか? もしあなたが拉致問題解決を望むならば、拉致された人たちの奪還を願うならば、是非ソコのところもお考えになって投票行動に結びつけて戴けたらと、心から願っています。
また本日の電脳補完録には、ご自分のBlogを閉鎖されたakiさんがお書きになったものが掲載されていますが、読み終わった私は、選挙結果が出てからのことを様々と考え込んでしまいました。どうか彼の記事を読んで下さい。



9月6日(火):告白します。ここのトコロずーっと困っていました、不謹慎すぎると毎日何度も反省していましたが、どうしょうもなかったのです。いつまでもコンナ状態は良くないので、この際、恥を忍んで思い切って懺悔して、心苦しさから解放されたいと勝手ながら思う次第です。
大型ハリケーン「カトリーナ」がアメリカ南部を襲ってから早1週間が経ちました。ルイジアナ州ニューオーリンズでは8割が冠水し、亡くなった方は1万人を超えるのではという報道もあります。また、政府が後手後手の対応しか出来なかったのは人種差別が根底に有ったからだ等々、アメリカならではの複雑な声まで聞こえて来ます。
そんな悲惨なニュースが流れる折には、必ずルイジアナ・ニューオーリンズという言葉が使われるわけで、その度に私の頭ン中には陽気な歌声が脊髄反射で流れ出してしまうのです。いいえソレだけではありません。正直に申し上げると、知らず知らずのうちに声を出して歌ってしまっているんです、私…。
♪あの娘(こ)はルイジアナ・ママ やって来たのはニューオリン 髪は金色 目は青く 本物だよディキシクイーン マイ・ルイジアナ・ママ ノリオリン♪
そう、和製カバー・ポップス隆盛の頃、チャコこと飯田久彦が歌ったジーン・ピットニーの「ルイジアナ・ママ」(入室しmusic→Odds&Ends の中に"Louisiana Mama"が在り、聴けます)、それを私が耳で覚えてしまった歌詞です。だから正しくはないです。ちなみに、この部分のオリジナル歌詞は、♪She's my red hot Louisiana mama From a town called New Orleans Golden hair and eyes of blue My real live Dixie queen My Louisiana mama from New Orleans♪ です。
被災された方々に、心から御見舞い申し上げます。そして、こんなにも気分がウキウキする曲を声を揃えて唄い踊れるような日が、一日も早く訪れますことを願って止みません。それまでは私、なるたけ小声でそーっと歌いますから、許してくださいね。



9月5日(月):担当する仕事先の殆どが目黒区内、そして数は少ないが品川・世田谷両区の一部をも受け持っている。この時期やはり移動していて目に付くのは選挙関連ポスターだが、吐き気を催すほど出会うのが公明党のものであることは云うまでもない。付け加えれば、利用者さん宅の塀などに貼られているのも圧倒的にココのものである。
さて「電脳補完録」さんが、〈経済制裁発動 東京都立候補者の回答一覧〉と題し、産経新聞が9/2〜9/4に掲載した東京都の小選挙区からの立候補者へのアンケート結果のうち、「拉致問題」に関する質問と回答のみを抜粋して掲載して下さいましたので、ココに転載させて戴きます。なお設問は「北朝鮮への経済制裁を発動すべき。Yes or NO ?」です。





9月3日(土):もう9月じゃん! 仕事は忙しくて追いまくられているし夏の疲れは出て来るし、加えて仕事関連の某資格取得の為に研修を受けるは、所属する研究会の機関誌への小論文は仕上げねばで、疲れ切って青息吐息。「Chiro姐、過労死するなよなぁ」との友人の言葉は有り難いが、死ぬときゃどう足掻いても死ぬのだから、自分が納得する方法で突っ走るしか、ないよなぁ。このトシになったからこそ余計にソウ思うのかな? そういう私の生き方には、当然のことながら様々な矛盾が日々押し寄せて来るけれど、それもまた皮膚感覚で取捨選択しては己に納得させたり無視したりと、まぁ目まぐるしくもある。ただ不思議なことには以前には珍しくはなかった、全てを押っ放り出してこの瞬間から消えてしまいたいという様な投げ遣りな想いは、正直なところ全く吹き出しては来ないのだ。つまり精神的には、とても健康的な生活を送っているってこと?それとも只の躁状態? 



8月27日(土):仕事関連で某資格取得の為に本日から研修を受けている。ちょっとした資格を取りたくても全てが「Money is talking」の世界だから、コッチとしては低額で受講できる所を探すのは当たり前。今回は「(財)総合健康推進財団」の九州事務局が開催の講座が超格安だと発見した友人がいて、彼女からの情報を得て受講することにしたのだ。座学の研修場所は「駐健保会館」。講座主催の元締めも場所も、名称からして厚生労働省のお役人の天下り機関であることは自明だよねぇ。
ただ、研修場所の名前にある「駐」って何?と単純に思いながら行ったけど、帰宅した後のWeb検索で判明した。
研修場所は母校K大の近くなので余り迷うことなく行き着いたが、入り口にある黒い板に書かれた白文字に、えーッ何時の時代のこと?なんで今?うんコレはなんとなく分かるけど、でもソウだったら逆にヘンじゃない?などと、のっけに不思議マークで一杯になった。書かれていたのは、「防衛施設周辺整備協会」「駐留軍要員健康保険組合」「駐留軍労働福祉財団」「全駐留軍労働組合」の四つ。
私の発想は間違ってはいなかったけど、大きな誤解がありました。現在では、在日米軍基地関係のことなのですねぇ…。駐留軍という文字から、羽田生まれ育ちの私が直ぐに思い浮かべたのは占領当時の進駐軍のことだし、「防衛云々」は、迷うことなく自衛隊の基地及び関連施設だと思ったというワケです。
しかしなぁ…。こういった小規模のものにも、間違いなく容易に税金がジャブジャブと流れ、天下った役人に膨大な金が支払われているわけだよな。
安くはないお金が必要な研修ついでに云わせて貰うと、今の仕事を始めてから気がついたのだけど、厚生労働省の「教育訓練給付制度」というのは「雇用保険」絡みだから仕方がないが、雇用保険の被保険者でなかった人間にとっては無意味で腹立たしいことが多すぎる。
事実、私の親族の一人は父親が経営する会社に転職したが、高額な授業料で有名な某英会話学校に趣味で通う其の授業料のうち30万円程の給付金を受けた。転職に伴い貿易関係事務に英語が必要、という理由でだ。勿論、彼女は仕事で英語などは使用していない。
仕事とは会社などに勤めて月給を貰うこと、だけではない。雇用保険とは無関係な場所で働いている人間も大勢いるし、そうした人間が、新たな仕事を始めようと志し、ソレに必要な資格を取る意欲があってもどうにも不如意な時こそ、こういう制度が生かされて欲しいと思うのだけどなぁ。勿論、給付ではなく貸付でもイイのだよ、バリバリ働いてキッチリ返すからさぁ。なぁんか本末転倒?主客転倒?って云ってイイの、こういう制度の発想も…?



8月26日(金):<ひとには謎があるから「誤解の幅」がある。だからこそ「訂正への道」があるのだ>という文章に、今週初めに出会った。最初はワカッタような気になったが、時間が経つにつれて、どんどんワカラナクなって来た。気になって仕方がない。
どのような解釈が可能ですか? どなたか教えて下さい。



8月24日(水):こう天気がオカシイと、ただでさえ精神的に「も」不安定な利用者さんは、突発的に激しく不穏状態になることが多い。昨日は5件の仕事中2件でソウイウ事が発生し、終了時間間際になっても不穏状態は収まるどころか加速の一途。私の担当時間が終わりだからといって、そういう状態の方を部屋に一人残して退室するわけにもいかず、事業所と相談の結果、時間延長での様子見となった。ということは、次の仕事先には行けないことになり、緊急の代理を探す事業所もテンテコ舞だが、コッチは無意味で中途半端な空き時間が出来るだけでなく減収ともなるワケだ。まぁ、生身の人間相手のコウイウ仕事だから、仕方がないよねぇ。
今日もソウ。午後の最終仕事は4時間という長丁場。その間ずーっと切れ目なくダミ声で喚き散らすだけではなく、車椅子の上で不安定極まりない動きをし通しの方の相手をしていたら、担当時間半ばで頭の芯がジーンと痺れた様な感じになって来た。疲れたぁなんて、そんな生易しいモンじゃなかった。
しかしコッチは仕事だから、どんなに大変であっても決められた時間内で済むことだし、その方に対しての心情的な思い入れなどが無いぶん救われるから、まだイイのだ。しかし御家族にとってはソウはいかない、本当に大変だよなぁ…。
人間、余程のことがない限り、仕事上の惜しまれつつの潮時ってぇのはあると思うけど、生きることもソウなんじゃないか?と、つくづく考えてしまうことが度々ある。まぁさ、そういった方々を毎日のように目にしているから、コッチは学ぶべきことも多いのは事実だけど、今日は「もういいよぉ!」と大声で叫び続ける姿を見ていたら、ふぅッとだけど、この方は最早こんな状態で生き続けるのに疲れ切っているンじゃないのかなぁと、不遜ながらも思ってしまったよ。いっとう大変なのは、死ねずにソウヤッテ生きている御本人、ってことなのかもしれないねぇ。



8月21日(日):「アンタって何事に関しても経験主義過ぎる立場からモノを云ってるよなぁ」と誰かに云われたら、「そうだねぇ。自分が身を以て感じたり経験したりしたことを基準にしてしか、差し迫っての実感なんか出来ないんだよ。だからかな?幾ら自由に想像しろと云われても、今や哀しいかな、そういったモノを取っ外したら、ただただ何処かを漂っちゃうだけで、モノなんて云えなくなってるよ」としか、答えられないのは事実だな。それがイイかワルイかは、まずは置いといて、だけどさ。
で、そういう私は役者時代、演出家からのダメ出しにドウにもコウにも対処不可能で悶々を極めた時は、台詞の言い回しや動きなどの小手先の手直しなど、まずは一切放棄して、台本に記された句読点にバカじゃないかと思う程に忠実に従っての棒読みに近いことから、再度の出発をしたものだ。それも稽古場で。相手役にはイイ迷惑だったけれど、ありゃ不思議! 良く出来たホンほど行間が浮き上がって来て、自分の役作りの根本的な間違いなどが分かって来たりしたんだなぁ、コレが。似通ったことは絵を描いていてもあるらしい。必死にチマチマと筆を使って修正するより、いっその事キャンバスを白で塗りつぶし最初から描き直した方が逆に手間もかからず、思ったようなイイ絵になることが多い、ソウ絵描きの友人に聴いたことがある。
でもさ、まぁ、政治はそんな簡単なことでは立ち行かないのだろうな。



8月18日(木):<自決を予告?三島由紀夫の映画「憂國」フィルム発見>というキャプションに、えッ?なに?なんでぇ?と一瞬混乱。なぜなら私は『憂国』という映画を「新宿ATG 」で、何だったかは忘れた他の1本と一緒に観てるんだよねぇ。初上映ではなかったことは確かだけれど。記事を読んで納得。やっぱりソノ映画のことだった。今にして思えば、よくぞOKだったものだとつくづく思う。評判だし面白そうだからと、連れション的行動は嫌悪していた私が、私と同様に超受験校の異端児問題児だった女の同級生と一緒に若松孝二監督『壁の中の秘事』を見に行ったのも新宿ATG。その時は高校の制服だったけど、学割で入れてくれたアレって成人映画だったよなぁ。小生意気な背伸びしたチンピラ文学少女たちをも、コチラの興味と気構え如何では本気で受け入れてくれた、あの時代の新宿の懐の深さと好い加減さかな? 刺激的でイイ時代と街だったことは確か。ドキドキと懐かしいよなぁ。
しかし、こんな状況の時に「発見」されDVD化決定の記事?



8月17日(水):なんだか全てが、イッパイイッパイの感じだ。暑さ、というよりは、ベッタリと身体にへばり付いて来る湿気のせいで、身体が重くて仕方がない。加えて、頭が働かなくて「某反論」が書けない。あ、書くと云えば、「K大宗教研究会」会誌へ掲載予定の小論文も書き上がってなんかいないのだ。
明日はやっとこさの休みだというのに、休み前夜の解放感も一切なし。来週再来週と、稼ぎ時の週末は仕事を休み、某資格取得の研修に参加するのだし、こんなことでヘバっててどうする! まずは晩秋まで、もうちょっと頑張らないといけない、のだよなぁ。



8月15日(月):60回目の「8月15日」。本日の仕事先5件のうち、私と未だ言葉でのコミュニケーションをとれる方は御三方いらっしゃる。5分前に自分の云ったことや行ったことは忘れ、最近は時計の見方さえも怪しくなってきたUさんは60年前の此の日を、故郷浜松で女子挺身隊の一員として迎えたそうだ。「新型爆弾のことを聞いてからはソレが何時ココに落ちるか怖くて怖くてしょうがなかったの。早く戦争は終わって欲しい勉強がしたいと毎日思っていた」が、ラジオから切れ切れに聞こえる天皇の言葉の意味を理解した時は「ただただ涙が出ただけだった」。「どうしてかしら?その日も飛行機は飛んでいたの」と、TVのワイドショーを見ながら彼女は語った。東京高輪で小学校を卒業すると直ぐ、満州で仕事をしていた父親の元に母親と渡ったというKさんは、「私の誕生日の翌日に日本が負けたのよ。住んでいたのは大連でね、海の近くてイイトコだった。22年の暮れにやっとのことで帰って来たけど、家族みんなで帰って来られただけでも幸せなことです。親切な中国人にお世話になったことは今でも忘れない。死ぬ前に大連に行ってみたいけど、今の中国は好きじゃないからねぇ」と云いながら、昨日隣家の甥に贈られたという縮緬製煙草入れから1本抜き出すと、マッチで火を点け美味しそうに吸った。結婚歴のないSさんは「嫌なことばかりだったわ。こうして生きていても嫌なことばかり」と、高校球児たちの黙祷を目にしながら呟いた。
戦争で亡くなられた人たち、生き延びた人たち、そして戦争を知らない私たち、それぞれの2005年8月15日。
戦争を決して美化してはならない。しかし、そこに至った当時の世界情勢を度外視し、自虐的な史観のみに立脚しての安易な謝罪を続けることも、これまた決してイイことでは無い。なぜならば、「(表立った)歴史は勝者がつくる」ものであるからだ。客観的に様々な資料を多方面から検討し、その上で主張すべきはキッチリと主張していかなければ、日本という国は遅かれ早かれ、世界のみならずアジアの中でも容易に埋没して行くことだろう。
揺れ動くは、時の政治的な雰囲気の中で踊らされる、加害者意識・被害者意識。それぞれの意識もまた、長い歴史的スパンの中では、哀しい哉!の表裏一体の心性、ではある。



8月13日(土):↓からの、なおこサンのBBSへの書き込みで、有り難いことに考えること多々。
で本日仕事先の、フィジカル的には日常生活上かなりの問題があるが、メンタル的にはさほど問題は無いどころか今でも可成りの現場と接触があるらしい東大卒の元・大蔵省官僚のオジィチャマから伺ったところでは:
結局は郵政民営化の結果、経済学的に起きる可能性が高いことは「景気の停滞と物価の上昇が同時進行する事態、つまりスタグフレーション」のようです。彼が云うには、「カード破産者のヤミ金融への利息払いのみ状態のような日本の財政は、遅かれ早かれ破綻するのは当然(国民が実感していないだけで実質上は破綻と云ってイイ、とのこと)だから、どちらにせよの痛みは、早いほうが傷がまだ浅い」らしい。
誰が得するの?との私の質問には:
「そりゃぁ国ですよ。あとは一部の大金持ち」。
「あんたは知らんでしょうが、戦争末期には国家財政の80%もの軍事費を費やしていたこの国が生き残れたのは、敗戦後のインフレですよ。困窮したのは国民ですが、日本という国家は生き残れた。今回も、同じようなことです。アメリカからの様々な何かを口にする人もいるが、それはあるかもしれないでしょうねぇ。友人に貸した金を返して欲しくても、返してくれ、そう強く云える状況や額には限度があるでしょう? またバブル時代が終わりを告げた時によくあったように、返済困難な状況下では、嫌なことですが、結局は借りたモン勝ちだったはずです。どういうことなのか? あとは、あなたが考えなさい。
敗戦時もソウでしたが、オイシイ思いをした人は、そのオイシイ思いの結果が公に出る時には、もうイナイものです。誰かが、その尻拭いをしなければならないが、貧乏籤ですよねぇ。でも、引かざるを得ない。
同じことは、政治的な根本的謝罪もちゃんとせずに、ウマイ汁を吸い続けた人がいるから、戦後60年にもなるというのに、敗戦時には生まれてもいなかった人までが、今でも韓国・中国から反吐を吐きたくなるような難癖をつけられているわけですよ。無責任極まる責任逃れが、こういう結果を招いているわけですが、どう思う?あなた?
今回も、そう、全く同じ。つくづくカナシイ国になったと思います。
あのね、国鉄の民営化で揉めていた時、最終的に私らが先生(議員)達に云ったことは「郵便局には膨大な、国民の貯金があります」でした。そしたら先生方は、どうしたと思います? 顔色を変え、さぁーっと引いて、国鉄民営化になったという側面があるんです。その意味、あなた分かりますか? 分からなかったら自分で調べなさい。そしてまた、私に訊いたらいいよ」。
小泉さんはスタグフレーションまで覚悟しての今回のことなんですかねぇ? に:
「私の知る限り、あの人はソコマデ覚悟してるかどうかはチョットだけど、好き嫌いは別にしても日本的政治土壌では希有な政治家でしょうねぇ。さて、彼への資金はドコから来てるのかな? ふふっ」。
ちょっと勉強して、またの質問への回答やら説明が楽しみです。



8月10日(水):「刺客、スナイパー」などという不穏な言葉がマスコミでは飛び交っているが、オカシクはないか? 9.11選挙、郵政民営化関連法案の衆議院採決において反対票を投じた全員に対し、例外なく(?)対抗馬を立てるようだが、当たり前じゃないのかな? その対抗馬としての立候補者を、安易に刺客とかスナイパーとか呼ぶのはヘンだ。20年近く郵政民営化を叫び続けて来た小泉を、総理に選んだのは誰だ? それにも拘わらず反対票を投じたのだから、自民党支持の有権者が選択可能なように、造反議員は公認せず、そうした候補者が立候補の選挙区に、賛成票を投じた自民党公認候補者を立てるのは決して間違ってはいないはずだ。また、小泉という政治家は「自らが拘る事に関しては」、諸々を談合調整しての日本的全員一致を目指すタイプではないらしいことは、今度のことでより鮮明になったようにも感じられる。
それにしても敗戦後60年目の今年、この国の行く末を、或る意味では決定づけるかもしれない大事な選挙だと思うけど、どうかな? 
云うまでもなく、基礎票が800万とかいわれる公明党(まぁ創価学会票+αだが)をアテにしない選挙が望ましいが、現状では無理であろう。庇を貸したつもりになっていたはイイが、いつの間にか母屋の重要部分は完全に占拠されてしまったかの様な、この日本の現実を考える度に溜息が出る。公明党はヌエだから、政権の一角に潜り込む為には、ドコへでも色目を使って擦り寄りヒッツク可能性が大。全くもう、憂う以前に怖ろし過ぎるよ。くわばらくわばら。
あッ私はですねぇ、「郵政民営化」には、賛成です。



8月8日(月):どうもかなりの「レアもの」らしい。弟がくれたMP3プレーヤーの中に入っていた、Janis Joplinの「Leaving On A Jetplane」だ。イイんだなぁ…とっても。あのJanisが、これっぽっちもシャガレていない声で信じられないほど素直に、力を抜ききって歌っているのだ。彼女が並の歌い手じゃなかったことを再認識のブッ跳びモンの1曲で、聴けばきくほど好きになっていく。ただしJanisマニアの私としては、知る限りの今までリリースされているどのアルバム・リストにも入っていないものなので、Webで調べまくった。やはりこの曲が正規に発売された形跡は、何処にも無い。それに奇妙なのはバックの演奏で、彼女が生きた時代の音には、どうしても感じられないことだ。どうもシンセでの打ち込みっぽい。何時か何処かで彼女が歌ったレア音源から歌声だけを抜き出し、新たに誰かがバック演奏をかぶせたのかな? 
弟にドコで手に入れたものなのかをメールで尋ねたら、「今はヤバイから使わないようにしている、違法であろうと騒がれているサイトから落とした曲だ」という返信。なぁるほどねェ…。
しかしJanisの歌声が、どんな形にせよ今の時代に甦るのは、ファンとしては大歓迎。保存版CDを作らなければ、ネ!(笑) それと、何処かの誰かサンが持っているのだろうマザー音源を、是非とも聴きたいものだ。きっとバックはシンプルに、ギターだけなような気がするなぁ。



8月7日(日):また、抜け道発見〜!で、チョッピリだけど楽になるかな? ココを曲がってみたら近いんじゃないかな?と一瞬思っても、効率が第一の移動時間はタイトに設定されているのが常だから、迷い込んでのロス・タイムは即、仕事開始時間に遅れることに通じてしまう。ソレが怖くて、初回訪問前日に地図を広げマーカーで辿って作り上げた、一番危な気のないルートを自転車でひた走る小心な私だ。でも最後の仕事が終わったら、もうコッチのもの。今日も帰りは、この間から気になっていた住宅街のくねりにくねった細い道を勘を頼りに走ってみたら…。あらまぁッ!こんな所に出ちゃうじゃないの! うふッ嘘みたいに近ーい。それに道すがら気になった、銭湯?はたまた新興宗教の施設?という感じの奇妙奇天烈な真新しい家。その内あそこの住人に遭遇出来るかもしれないなぁ。着々と事業所と家を中心にしての抜け道地図が出来上がって行くのが、なんとも楽しい。



8月6日(土):昨日帰宅すると母がTVで観ていたのはTBSの「ヒロシマ特番」で、とにかくシャワーを浴びなきゃ!の私は番組の後半も後半、本当に終わり近くの一部だけを観たことになる。ちょうど場面はアメリカ人Dr.アグニューが男女2名の被爆者から、静かではあるが糾弾じみたことをされているところだった。Dr.アグニューは「マンハッタン計画」に参加し原子爆弾の開発に関与、広島への原爆投下時には観測機に搭乗し、あのキノコ雲を撮影した人物だそうだが、最後まで一貫して「No. I don't apologize.」。誤解を怖れずに云えば、敵ながらアッパレだ。当時の大統領でもあるまいし、彼一人がTVカメラが回っている前で、何事かの言質を取られる様なことを口にしなけばならない義務も必要もないだろう。しかしながら、カメラが捉えた、彼のあの眼鏡レンズ越しに垣間見えた困惑し苛立った両目に気づけば、その心の中に立ち続けていたであろう小波はワカルというもんだ。
さて、本日も帰宅するとTVからはヒロシマ関係、NHKの「平和巡礼2005演奏会」が流れていた。雑用をこなしつつ、音だけ中途半端に拾っていたからなのか、心に響いてきたのは吉永小百合が朗読した有名な峠三吉の詩、だけだった。さっき久しぶりに読み返したので、ココに貼り付けておこうと思う。


 序(『峠三吉 原爆詩集』より)  

 ちちをかえせ ははをかえせ
 としよりをかえせ
 こどもをかえせ
 
 わたしをかえせ わたしにつながる
 にんげんをかえせ

 にんげんの にんげんのよのあるかぎり
 くずれぬへいわを
 へいわをかえせ


 (吉永さん朗読の英語訳詩は、多分コレだと思う。)
 Give back my father, give back my mother,
 Give grandpa back, grandma back,
 Give my sons and daughters back.

 Give me back myself,
 Give back the human race.

 As long as this life lasts, this life,
 Give back peace,
 That will never end.




8月5日(金):人間関係でちょっと思ったことなんだけど、理由があって誰かに自分から投球した場合、捕球した人が投げ返したボールは、やっぱりチャント受け取らなくちゃイケナイというかぁマズイというかぁ…、違うかな? もし自分が、彼奴ならコウ来るだろうと予想した所に、投げ返されたボールが来なくて受け取れなかった時は、その受け取れなかったボールの飛んで行った方向だけでも、キチンと見定めなくちゃ駄目なんじゃないかと思うんだけどなぁ。出来たらだけどさ、相手はどうしてあんな方向にボールを投げ返したのかな?ってことを少しでも考えられたら、もっとイイかもなぁ。あっ最初に投げる方も投げ返す方も、もし意図的な暴投の場合は、勿論全てにおいて論外だよ。暴投合戦になる前に、多少厳しい状勢でも捕球出来る可能性があるならば、一時の辛さを我慢しても、投げられた投げ返されたボールを誠実にCatch&Throwで生きたいものだと思うけど、私。



8月4日(木):さて久しぶりの呑み会なのに、なぜ下記のような話題に移って行ったかというと、キー・ワードは「八田」。
注文した「白レバーの唐揚げ」が何時まで経っても運ばれて来ないのに業を煮やしたKが店員を呼んだが、現れた青年の名札を見ると「あなた、出身は金沢?」と尋ねた。「いいえ。でもウチは元々は石川県だそうです」と怪訝な顔で答えた店員が姿を消した途端、なんでよ?八田サンは金沢に多い名字なわけ?等々、口々にKに訊く他のメンツ。
彼は「最近研修会で聴いて感動したのが八田與一という人の話でさ。その人が金沢出身だったから」と笑った。「あーっもしかしてその人って戦前の台湾にダムを作った?」と私。「そう。なんで知ってるの?」と不思議そうなKに、ブルーリボン関係の某過激HPでチラリと読んだことがあることを伝えた。その後は李登輝の話まで熱っぽく語るKの独壇場。
だからさぁ台湾は云々で日本政府の対応はかんぬん、日本からのODAを中国は云々、韓国がやっと国民に一部公開した日韓条約だけどEtc.と、話が連鎖していくことは、何の不思議もなかった訳なのネ。

もう直ぐやって来る60回目の「八月十五日」。
日本という国は、敗戦後に如何なるアイデンティティーを持ち、どのような国を目指して来たというのだろうか? 
私には本当に分からない。色んなことを知れば知る程、どんどんワカラナサの度合いは深まっていくが、ソレをそれっ放しにしておいてイイはずはないよなぁ。



8月3日(水):仕事終了と共に家に取って返し、慌ただしくシャワーを浴びると集合場所に駆け付けた。約束の時間に2分遅れで到着したが、そこには、電話やメールでは頻繁に会話しているが会うのは久しぶりな者も含めて、仲良しの従兄弟・従姉妹たちの顔があったのは、明日アメリカに帰国する弟を肴に、呑もうぜ!だったからだ。
見事な程に全員がかなりの呑兵衛で美味しいモン好き。目指したのは「手羽先唐揚げ専門店」で、ここは豆腐もかなりイケル。生ビールのジョッキで乾杯した後は各々が呑みたいもの食べたいものを頼み、お互いに、チョットそれ頂戴なぁをしながら色んな話題で盛り上がった。
ただ同じメンバーが揃っていた1年近く前と違っていたのは、今回は何時の間にか台湾と中国、朝鮮半島・ロシヤを中心とした政治的な話や靖国神社・教科書問題、日本の国連安保常任理事国入りは本当に必要なことなのかどうかなどと、喧々囂々になったことだ。
ェエーッ!?知らなかったなぁ此の人がソウ云うかッ!!の発言もあったりで、ビックリもイイとこの連続。そしてまた全員が、どこかで密接に日本以外の国と関わりを持たざるを得なかった又は今もなおそうだったりという個人的な背景があるにせよ、実に多様な立ち位置と視点から、日本や日本人を考えていることを痛感しつつ、ミクロ的アプローチを持つナショナリズムとマクロ的なソレとの行き着く先の違いを、当然ながら私もですが、もっとこの国の人々は真剣に考えなければいけないのじゃないかと、強く思った次第です。
いやぁ、とにかく楽しかった。あっそれから、泡盛ってやっぱり凄く旨いなぁ…と。



8月2日(火):最近気がつくと、コレを口ずさんでいる。
 The tide is high but I'm holding on
 I'm gonna be your number one
 I'm not the kind of girl
 Who gives up just like that
 Oh, no

そう、最近TVCMに使われ頻繁に流れているのが、今年の元旦にココで触れたBlondieの、大ヒット曲『THE TIDE IS HIGH(夢見るNo.1)』だ。超Pop&Catchyなコレは、夏に相応しいレゲェっぽい感じも漂うからかな?妙に気分をウキウキさせる。
 満ち潮状態だけど アタシは待ち続けているわ
 アンタのNo.1になるんだもん
 アタシは あ〜あっもうダメッて風に
 あきらめちゃうようなオンナじゃないの

しかしあのコマーシャルは、何を宣伝してるの? 未だに私、はっきりとは認識していないのよねぇ(笑)。



8月1日(月):ベッドに入る前に数ページだけ読もう、そう思いながらもついつい読み進んでしまっているのが『私の家は山の向こう―テレサ・テン十年目の真実』だ。著者・有田芳生の名を初めて意識したのは、今はなき『朝日ジャーナル』での署名記事。それは昭和天皇逝去直後に発売された特集版で、理由あって他の資料と照らし合わせながら克明にチェックしていた私は、気になるテーマ数箇所に短文を書いている人物に目が止まった。お世辞にも読みイイ文章ではなかったが、何故かその筆致に興味を抱いた。その後再び出会ったのは「オウム真理教」事件での追及者としての彼であり、Web探索で辿り着いてしまった彼のHPにおいての諸々だった。「北朝鮮による日本人拉致」問題に関して、アメリカの新聞に意見広告を出すことを模索していることを最初に公にしたのは彼で、その日記を読むや否や、微力ながら是非とも協力したい旨をメールした私に、丁寧な返信を下さったっけ。



7月31日(日):↓ということで、ここ「ッてやんでぃ」は字数縛りを取っ払い、余程のことがない限りは毎日ナニカを書く方向で行ってみようかと…。
さて7月最後の今日ですが、一番の出来事は担当させて戴いていたターミナル・ケアのお一方が昨日深夜に亡くなられたことだ。在宅でのターミナル・ケアを、御本人が納得した形で選択した場合には、困難なことは当然ながら次々に押し寄せては来るけれど、「QOL(クオリティ・オブ・ライフ)」 、つまり無理矢理の「延命治療で生きることではなく自分らしい生き方を全うし人生の意味を追究して死ぬということ」に最期まで繋がる可能性は大だ。けれど、御本人の与り知らぬところでの御家族の様々な思惑でなされるソレは、「在宅終末ケア」とは名ばかりの、問題が山積みの場合が圧倒的に多いことは、この仕事を始めてから嫌と云うほどに痛感している。
今回の方の場合も、その典型例。私たちの執拗な意見も反映されて、少しずつだがやっと訪問の医療・看護・介護のチーム・ケア環境が整い始めた矢先のことだった。
亡くなられた日の午前中には、誤まった所へ嚥下しないようにトロミをつけた麦茶に溶かし込んだ薬さえ、耳元で声をかけながら小さなスプーンで口に運んでも一切受け付けず、か細い声で「無理…もう無理」と仰ったMさんだが、なぜ突然病院から自宅に戻ったかも分からず、ましてや全身を襲う痛みは日々強烈になるしで、本当にお辛かったことと思う。
私たちは色々と学ばせて戴きましたが、そんなことの為に自宅で闘っていたワケではないですよねぇ…。80年近い人生、本当にお疲れさまでした。
梅雨前からの天候不順とこの暑さです。まだまだ危ない方が何人もいらっしゃいますが、私たちは、やるべきことを淡々とやるしかありません。万全の注意を払いながら、ネ。



7月29日(金):思案のしどころ? とまでは大仰なことではないけれど、自分に課せた字数縛りの所為で、時間的余裕がないと、どうしてもBBSにばかり書き込んでしまう昨今の私です。なぜそんなシバリをしたかと云えば、ダラダラとメリハリのない文章を書く傾向が強いから、特別のことが無い限りは、どうせなら限られた字数内でモノを書き上げるという訓練をやってみたかった、という単純な理由です。それによって下手は下手なりに素人は素人なりに、多少なりとも「私らしい文章」というものも追究可能かなぁということも、チラリですがあったりして…。しかし前向きなつもりだった字数縛りが、正直なところ私の首を絞めているというのも考えてみれば本末転倒、ちょっとオカシイことかもしれないなぁと感じ始めています。例え1行でも2行でもイイ、反対に何十行になってもイイから、その日の私の「ッてやんでぃ」を、日記のようにココに書くことにしようかなぁ?



7月21日(木):人間の死亡率は100%だ。そして誰が何歳で此の世にオサラバするかは、誰にも分からない。例えば私、明日思いもかけない何事かに出会ってしまい無念と感じる間もない程にコロリと逝ってしまうかもしれないし、又はこんな形で生きてなんかいたくはないと自ら命を断つことさえ発想不可能なボケ状態のまま、あらまッChiroって未だ此の世にぃやがんのかよぉ!?と呆れ驚かれる年齢まで生き長らえてしまうかもしれない。徘徊オババか寝たきりオババか? 後者になったら事前に断固たる意志表明をしておかない限り、最期近くには口からなんてトンデモナイ、身体の何処かに開けられた穴から強制かつ機械的に栄養物としての何物かを注入されてしまう可能性が高いはずだ。入れれば出るは必然だから体外への排出もコレまた型通りに設えられた人工的なソレだったりして、さ。「私らしい生き方」を「私らしく生き抜きたいものだ」と考えてしまう日々なのよ。



7月14日(木):えーっ!?もしかして凄く高価な置物とかの石だったんですか?と、笑いながら訊いてしまったことを深く反省。Tさんは私と同い年の、先輩女性と起こした小さな不動産会社の営業部部長、気さくな人柄だがかなりの遣り手である。その彼女は20歳で結婚し40歳で夫の許を飛び出したそうだが、その時持って出たのが当座の衣類を詰め込んだ1個のトランクと石だというのだ。「漬物の石よ。糠味噌の容器と一緒に持ち出したわけなの」と真面目な顔で答えたが、聞けば15歳で母親を亡くして以後、母の残した糠味噌の手入れは彼女の役目。どうせ父や弟達には手に余るはずと結婚時にもソレを持って行き、そして…。「咄嗟に持ち出したのよねぇ。アレ以外に持ち出した方が良かったものは沢山あったはずなんだけど」。今もソレが健在なのかと尋ねると、「アレは心に余裕がないと駄目。直ぐに腐らせたもの。家出直前にはもう味がおかしかったものねぇ、アハハ」。



7月8日(金):例えば或る問題について何かを語ろうとする時、その事柄だけに即して何事かを口にすることは、まぁそれほど難しいことでは無いような気がする。只その時注意しなければならないのは、その事柄の一見それ自体に思えることは、あくまでも状況や立場からの意味付けによって表面を覆われたソレであって、その事柄の本質ではないことである。そしてそれら意味付けされたものを剥ぎ取る作業により表出されるだろうものもまた、個別的具体的な事柄の本質であって、それ以上でもそれ以下でもない。つまり、もしその事柄に内包された普遍的な問題点といった様なものが存在していたとしても、或る事柄に付随している固有のものを放棄した上で思考しない限り、炙り出すべきその事柄の本来的な核心には辿り着かないだろうし、ましてや解答らしきものが浮かび上がって来たとしても、ソレは何事かを動かす為の充分な原動力には成り得ないのではないだろうか?



7月4日(月):月曜日のレギュラー担当は4件、いずれもかなりシンドイ状況の方ばかり。それゆえ帰宅すると心身共にダウン寸前状態なのが正直なところだ。加えて今日は最後になって時折単発で引き受ける方の緊急仕事が飛び込んで来た。Mさん宅のドアを開けると凄まじい限りの…。流石に私、茫然自失半歩手前。ドコでドウ線引きするかは難しい問題だが、自宅での生活を持続したいという意志的な自由にも、やはり限度というものはあるはずだと思う。自力での排泄処理が全く不可能な来月末には94歳を迎える独居老女は、己が糞尿まみれであるという現実を認めたくないからだろう、私の手を払い除けながら、狂的な甲高い声で的外れな指示を居丈高な命令口調で矢継ぎ早に繰り出し続けた。ハイハイと返事をしつつそっと窺った皺に埋もれそうな彼女の両目には、暴力的な鋭く冷たい光と共に底知れぬ深い哀しみが宿っていたのだが…。一体全体、人間の尊厳って何なの? 



6月24日(金):読みながら、強烈な怒りと虚しさ…。有田芳生氏の書かれた通りだと思う。敢えてリンクにはせず、『酔醒浪漫』を貼り付けさせて戴きます。

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6月23日(木)( 略 )いつも緊張し、さらには怒りを覚え、何が出来るのだろうかと真剣に思い込む経験を再び。横田滋、早紀江さんから1時間ほどお話を伺った。愛娘のめぐみさんが北朝鮮に拉致されてから28年!当時13歳だった少女はいまでは41歳だ。早紀江さんは69歳、滋さんは72歳。明日から首相官邸近くで行われる座り込みは経済制裁を求めるものだが、そもそも政府が解決策を明らかにし、北朝鮮に毅然と対処していれば被害者家族がこんな行動をする必要がないことを忘れてはいけない。焦点は経済制裁が是か否かではない。横田めぐみさんをはじめとする拉致被害者をいかにして奪還するのか、その方策を政府は明らかにせよという闘いである。「わたしたちはいつどうなってもいいんです」と繰り返した早紀江さんの声をどう聞くのか。拉致幇助が明らかな朝鮮総連指導部と手を結ぶような犯罪的行為や傍観者的な「ただの評論」ではなく、何が出来るかを考えることこそが現代の日本に生きるものの責任である。
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「これからアンタ行くの?替わってあげなきゃねぇ」。TVのワイドショーやニュースで目にした家族会の方々の座り込む姿にいたく心を動かされたらしい、かつては都職労の活動家だった母が、帰宅した私にソウ云った。ン?替わるぅ? 感覚が無くなる程だったという厳寒2月の旧都庁でを始め何度も座り込みを経験した彼女は、昼夜を通して3日間の座り込みをするのだと思い込んでいたことが分かったが、とどめの一言「若い人達で突撃しなきゃ!」には、凄い女だなぁと唖然呆然。あのね、官邸になんか突撃したら、どうなんのよぉ! 時代が違う? 



6月23日(木):前日の様な事を書くと流石に気になることはある。それは、アラシが来るか?その時は徹底的に闘うけど面倒くせぇよなぁといった類の事ではなく、もし常連さん方の中にS学会員がいらしたらドウしよう?という、多分に心情的なことなのだ。宗教哲学(特に宗教多元論の見地からの比較宗教学)を専攻し今もなおその辺りをウロウロ彷徨っている私としては尚更の事に、何をドウ説明したらイイのだろう?信仰の領域に踏み込むのは困難以前に失礼だしなぁなどと無限ループの世界に填りこんでしまう。ウチのような所だから機会があれば常連さんとは電話で話したりお会いしたりだから、反って云いたい事を表明できずに悶々状態の方がいたとしたら…。分かって下さい、私が拘り問題としているのは「宗教と政治の癒着」という点であり、「信仰」それ自体の否定ではありません。友人の一人は熱烈な「福子」ですが、彼女とはとてもイイ付き合いをしています。



6月22日(水):S学会とK党は本当に一心同体なのねぇ…。ドアベルが鳴り利用者さんが不自由な足を引きずりながら玄関先に出て行った。「はぁ?山口からですか?あ、主人ですが。いぇはい昨年亡くなりましたけど。あっはいはい」などと、粘る男女二人らしきを相手に孤軍奮闘。聞き耳を立てずとも耳が遠い老女の大声だけはハッキリと私に聞こえて来た。判断能力等に支障をきたしている方が殆どだから、滞在中に目や耳にした訪問者や電話での不審な遣り取りの模様など、気になった事柄を事業所へ報告するのは彼らを詐欺行為から守る為の大切な仕事の一つだ。が、その日の30分近くに及んだソレはそれには該当せず。なぜなら亡夫の旧制中学卒業者名簿を頼りに遥か山口県からやって来たというS学会員による都議選での投票依頼だったからね。でコレだが、どうにかなんないの!? 表立って活動のS学会員を使う意味は何さ!選管も乗っ取られてるワケ? 世も末だ。



6月16日(木):昨夜のBBS への書き込みの所為で、一日中『十点鐘は鳴ったか?』の劇中歌が次から次へと頭ン中で鳴り響いていた。そういえば共演のAちゃんは元気かな?と久しぶりに電話。「おーっ!チロリンかぁ、生きてる? 俺は相変わらずのカツカツ生活だけど、まだまだクタバルわけにゃぁいかないから頑張ってるぞ!」と、変わらぬ優しい声が聞こえてきた。長い闘病生活を送っていたお母様が春先に亡くなったことを知りお悔やみを云うと、「オフクロ、やっと楽になれたんだよ。俺も肩の荷が下りたよ。フリーランスだから自宅で面倒がみられたけど大変だったぞ。月末の締切近くになると、決まって何かが起きたしなぁ」。60歳間近のオトコ一人での介護は大変だったはず、Aは最後までよく頑張ったと思う。「ところで…」と、またもや二人して心配したのは、数年前から行方不明のRのこと。『十点鐘…』の作者兼演出家だ。何処かで、生きているのかなぁ?



6月9日(木):ドイツはミュンヘンのFabianからメール。「勝ったな日本。良かったな。Chiroは云ったよな、政治とスポーツは別だなんて云うのはLip serviceだしDeceitじゃないか、と。俺もそう思う、代理戦争だ。来るかドイツに? 勿論俺は母国を応援するが日本にも頑張って欲しいと思う。前から何度も云ってる様に、来るならば俺ンチに泊まれ。ビール付きだぞ。」なんだか涙が出てきた。彼は私からのメールで「北朝鮮による日本人拉致」を知り、私の米語力では一日中辞書と首っ引きでも説明困難なことが多い、素朴ではあるが基本的な事件経過等に関しての質問や日本政府の対応への疑問やらを書き送って来たし、アメリカによる「イラク攻撃」反対のデモ仲間を含め、周囲の友人たちにこの不条理極まりない問題を云い広めてもくれていた。ありがとう! それにしても家族会のこの決定は、余りにも哀しく暗澹たる気持ちになる。支援の意思表示はどうしたらイイのか?混沌。



6月4日(土):旧友Xへの手紙
一昨日の文章を削除したのは、あなたから届いたメールが直接原因です。
そう、私が書いた旧友Yとは誰なのか直ぐに判ったようで、いたく気にしていたし、私が「新劇人反戦青年委員会」にサラリと触れたことにも、なんだかとても拘っていましたよね。
細かい点を穿り出せば、悲しい気分にはなりますが、あなたに、反論可能です。
でもね、「総括云々」の部分には99,9%同意が出来たので、すっぱりと全文削除しました。

Upしたものをあなたが読んだように、何人もの方が既に読んでしまったことを考えると、削除したことがどれ程の意味を持つかは、正直なところ疑問です。
それにあの文章は、あの時代にメットを被り一緒にインターナショナルを歌いジグザグデモやフレンチデモをした仲間、それもあの小さな稽古場に集まって来ていた極少数の仲間たち以外には、イイ意味でもワルイ意味でも、それほど響くものではなかったと思っています。

私がウヨ転向したと思うのも、自分たちと同様に半端な総括さえもやっていないと、Yやあなたが考えるのも、それこそ自由だし勝手ですが、少なくとも私は現状の中で、後ろ向きには生きてはいないつもりです。
私たちの知るかつての共通の友人である広告業界で未だ御活躍らしい方とは違い、安定した生活をしながらサヨをポーズにしているような生き方はしていませんし、ブル弁になってしまったなぁなどと自嘲気味な言葉を時として吐きながら、その実サッサと金にならないような刑事事件を担当することは止めて、ブル弁のトップ階級としての生活を満喫している方とも違いますしね。

そうです、私は今でもアオイ生き方をしています。きっと死ぬまでそうなんじゃないかと思っています。
だからこそかな、かつての思想をいつまでも後生大事にああだこうだと言い訳がましく己の手の内で転がし続けようとは、思っていません、したくもありません。
日常的に自分自身に納得できないことは、出来うる範囲、無理のない可能な方法で、変えられるものは変えて行きますから、これからも、ね。
それって、転向といえば転向でしょうかねぇ。そうなのかもしれませんねぇ。否定は出来なくなっています。

ついでだから書いちゃいますが、砂漠のアッチ方面へ行ったのも、地下に潜って何やらやっていたのも、自首したのも、未だ様々と裁判闘争を続けているのも、誰かが強制したから、ソウしたんでしょうか?ソウしてるんでしょうか? 
もし、あなたがそんな風に、ちょっぴりでも思っているのでしたら、それこそ彼らに対して失礼ってなもんなのではないでしょうか。

あなたが疑問に思ったらしいYとの関係ですが、私は淡々とした付き合いがずっと続いています。あなたがどうして?と思うだろう他の数人とも付き合いがあります。
このHPを始めてからは、そういった中の誰かから伝え聞いて、相変わらずのChiroだなぁと思うらしく、定期的にそーっと覗いてくれている人もいるようですから、面白いですよ。

いいじゃないですか! あの時誰某が官憲にチクッタのチクラレタなど以外にも、ハッキリと判らないことは沢山あるんですから。
少なくとも私が付き合い続けている人たちは、みんな色んな意味で痛みを抱えていますよ、今でもね。

あなたはそれでも、有るのか無いのかも判然としない「パンドラの箱」を探し当て、それを開いてみたいのでしょうか?
あなたへの返事になっているかどうかは分かりませんが、今の私が書けることは、以上です。


おーい!Y。もっと楽になろうぜ!
ウヨの私(笑)と、久しぶりに会いませんか? ビヤホールにでも行こうよ。あッ、会うなら二人っきりがイイ。彼奴と3人は最悪の組み合わせになるからさ。嫌だから、前の時みたいな雰囲気はさぁ。連絡を待っております。



6月2日(木):(一度Upしましたが、ワケあって全文削除します。)



5月26日(木):仕事は休みでも遣らねばならぬ事が溜まりにたまっていて、それらに追っかけられてる内に一日が終了。疲れました。深夜になってやっとWeb散歩を開始し、本当に久しぶりで覗いたのがJuliaが密かに開設のBlogページだった。16歳が綴る日記から漂ってくる日々の気分の泡立ちは、なんだかコソバユイ感覚を私に甦らさせたり、時には目を見張る鋭い観察眼にチョットばかりオタオタさせられたりと、彼女が超未熟児でこの世に現れた時から知るAuntie Chiroとしては、読みながらも落ち着かないこと甚だしい。しかし何であんなに難しいんだ、アメリカンギャル語。判読困難。それに更なる拍車をかけるのが、ふっと混じるローマ字表記の日本語だ。彼女はJapaneseを専攻しており、そのお仲間向けの遊びなのだろうが読み辛いこと此の上ない。今夜、前後の文章繋がりで悩みまくったのが「TodaE」。「とだえ」?何? やっとのことで気付きましたともさ、「Today」だって。



5月19日(木):他人事ながらチョット、いいえェかなーり嬉しい。友人のNANIOさんがWeb上に公開している小説の最終章を脱稿。足かけ6年かかってのやっとこさのエンド・マークってワケだ。帰国直後、調べものをしていて偶然に辿り着いたのが彼の宮崎学氏のHPだった。刺激的なページで毎日のように覗くようになり、そのうちそのBBSの書き込みの中で毎回イヤに気になる文章を書くヤツがいることに気がついた。それが彼だった。某日BBSで某常連さんの「NANIOの小説おもろいでぇ」を目にし、こいつ小説なんか書いてるわけぇ!?と記されたURLに速攻で跳び、読んだ。嵌ったねェ。私の好きなW.バロウズとギンズバーグの世界じゃないか!日本語で日本を舞台してもこんな風にこういう世界を展開できるんだぁ! 湿らず赤裸々、時に諧謔的な描写は作者の力量を窺わせるし、なんといっても行間から立ち上り漂う疾走感は生半可なモンじゃなかったのだ。最後まで、ネ。



5月15日(日):突然の激しい雷雨。チャリでの仕事の移動中に遭遇した。天気予報でヤバソウだったからバックパックに用意の雨具を身に付けたけれど激しく濡れちまい、着替えに帰る時間はあるはずもなくそのまま最後まで仕事を続行。で、寒くてさむくて仕様がない状態で帰宅し、何はともあれまずはゆっくりと湯船に浸り温まった。入浴後には久しぶりだなぁという感じで丁寧にお肌の手入れをしたが、ありゃーッ! 顔の皺やシミではなく(実際のところトシの割には肌年齢は若く健康的なイイ状態です)ごっつい指とその指先の荒れ方にショック。知人からのお声掛かりで企業広告映像のPCのキーボードを打つ其の手を演じたこともある、身体つき顔つきには不釣り合いで気味が悪いとまで云われた、あの繊細で美しい手は何処に行っちゃったの? ちょっと泣けてきちゃうなぁ。でもまぁコレが生きて行くってことの現実的な一断面、指先の荒れも諦めずに、踏ん張るんだ!



5月12日(木):「消極的な生き方を強い意志で選択してるのかもしれない。」とは、返信メールにあった友人の言葉だ。「冷たい言い方ですが…」と次に書かれていたのが、私の知る彼らしいと云えば彼らしいが、そうか、そういう見方も出来るわけかぁ。
混沌たる状況の中にあった時、面白可笑しく理不尽な言動を繰り返しては私の神経を逆撫でする奴等がいたが、其奴等への恨みつらみで制御不能になりかけて、どうにかして思い知らせてやろうと躍起になっていたことがある。馬鹿を相手のそうした感情は今にして思えば、自分で自分が敗北する為の消耗戦を仕掛けたようなものでバカらしいことこの上ないが、当時は露そんな風には考えられなかった。そんな私にブレーキをかけさせたのが、思いのこもった冷静的確な彼からの忠告だったことを思い返しながら、今回のこの人間観察表現、半端ではないなぁ凄いなぁ…と。多分、私の深読みではないはずだ。



5月6日(金):ここのところ頭の片隅でではあるが、ちょっとばかり気になっていることがあり、それは「〈病は気から〉なのか?」ってこと。「病は気から」は、病気は気の持ち方一つで悪くもなり良くもなる、という意味だというが、私が拘ってるのは「気の持ち方によっては病気を招く」のではないだろうか?ということだ。
以前かなり危うい状況もあった私の精神的疾患は、最終的には「気の持ちよう」で回復したと信じているが、適切な投薬やカウンセリングが効果的であったのは勿論だが、それ以上に有効だったのは、甘さを残したままではあったがそれなりに自分自身と対峙し、雑然と横たわる様々な問題を横目で見ながら「私はアタシさ」と、ある意味開き直ることが出来たのが大きかったと思っている。加えて、もう抗鬱剤に頼るのは止めようと決心しソウしたが、それも「私の場合は」正解だったかな。

私の為にミュージカルのオリジナル台本と11曲の詞を書いてくれたTは仕事が上手く立ち行かなくなった時、本来の仕事に関連する分野であっても本業ではないものだからか、例え身近な友人が紹介しても繋ぎ的仕事は一切拒否し、実に困窮を極めるようになった。精神的にダメージを受けただけでなく、ついに胃癌で急逝した。喰う為の稼ぎを何故もっと気楽に考えなかったのかと今でもとても残念に思うが、それが彼の美学であり生き方だったのだから仕方がないし、親しかったが故に余計に踏み込めなかった所があったのも事実である。

みんなと仲良くやって行きたいんです、それが私が何度も耳にした某さんの口癖だったが、それは裏返せば、誰からも嫌われたくない誰にとってもイイヒトでいたい好かれていたい、ということだろう。そんな生き方、辛過ぎないか?無理してないか大丈夫か?と思っていたら、やはり、病に冒された。それも重篤らしい。キツイ云い方になってしまうが、嫌なことはイヤ出来ないことはデキナイと、どうしてもハッキリと云えなかったのは彼が根本的に特別心優しい人間だからではなく、単にそういう方法でしか己を保てなかった、つまりそういう保身の仕方でしか自分の居場所を確保することが出来なかった、自分を感じることが出来なかったのではないのかな? どうなの某さん? 性格なんだと云われてしまえばソレまでだけど、もうちょっと他の遣り方があったんじゃないのかなぁ?他人との付き合い方。鬱なんです、とのウチのBBSへの書き込みを読んだ時には、無理ないよなぁと妙に納得してしまったけれど、今回は納得はしないよ、出来るはずがないよ。とにかく、まずは無事に手術が終わることを、そして一日も早く快癒なさることを陰ながら祈っています。社会復帰までの道のりは短くはないはずですが、踏ん張ってくださいネ。



5月4日(水):昨日今日と仕事中の移動が楽しい。陽射しはかなり強いが脂ぎった様な日本の真夏特有のギラギラさ加減には程遠く、なんといっても湿度が低いことに加え清々しい五月の風が自転車で全力疾走する私の身体を一瞬包み込んでは適度な抵抗感を感じさせながら去って行くのが、とても心地良い。なだらかな傾斜のアップダウンと突如出現する相当急な坂道、その連続という自転車乗りには結構辛い地域だが、そんなことも気にならない程に御機嫌な私。ただ困ったことが一つ。急な坂道を登り切って下りに差し掛かると、シフトレバーの切り替えやブレーキでの制御などをせずに、このまま下りたい!それも両手を離して!というムズムズとした感覚が湧き上がり、それを制止するのがちょっと大変だったかな? アッチで車を運転していた時もアクセルを踏みっ放しにしたくて堪らないことが何度もあったけれど、これってもしかして、潜在的自殺願望、その発露の一種?      



4月29日(金):イイんじゃないの。サッカーファンとしても私は大歓迎。スポーツは政治とは無関係なんてことは全くの戯言だし欺瞞だ、そう思っている。しかし日本サッカー協会・川淵三郎会長の朝鮮総連云々コメント、コレって本音じゃぁないですよねぇ? スポーツを政治の道具に利用している国そうせざるを得ない国の、なんと多いことよ(日本はドウよ?! 有象無象の唾棄すべき人間達も一杯だ)。オリンピックで初めて韓国と北朝鮮の「統一旗」が登場した時、非常な違和感と疑問を感じた私は大喧嘩の末に友人になれたソウル在住の元クラスメートのビジネスマンに即メールをした。彼からの返信は薄ら笑いを漂わせての「オリンピックも政治でしょ?商売でしょ?」だったなぁ…と。さぁてドウ出る?北朝鮮。中国本土も北京オリンピックが近いことだし、考えろよな!チベット問題を始めとする人権関連は当然として、その他諸々! などと云う私はやっぱり馬鹿だ。



4月28日(木):あれぇなぁに?どうしたの? と思ったのは本当。だって、メールでも電話でもかなり頻繁に話をしているつもりの友人から、でっかい真四角な紙メンコのような封書が届いたからです。何が起きようとしているわけ?と、ちょっと不安な思いでドキドキしながら封を切ると、便箋も封筒と同じく目が醒めるような鮮やかで深いブルーで、私のHPのテーマ色と同じだった。書かれていたのは……内緒。
ありがとう!Mくん。手書きの手紙って本当にイイねぇ。私が最近は、すっかり忘れていた素敵な世界を思い出させて貰えました。いまネ、ちょっとばかり右手が仕事の所為で腱鞘炎っぽいの。だから下手な字がますます汚くなったけど、簡単で悪いなぁ…と思いながらも、お返事を書かせて戴きました。読んでネ。
そうだ! もう何年も使っていない万年筆の掃除を丁寧にしてから、カートリッジのインクを買ってこようっと。



4月25日(月):昨日参加した日比谷公会堂での「小泉首相の決断を求める国民大集会」だが、様々と思うことがあり、「北朝鮮による拉致問題」に関する意見を頻繁にUpなさっている方々のサイトを次から次へと覗かせて戴き、再確認やら改めての疑問やらをピックアップ。そんな中、ソレはないだろう!と怒り心頭になったのは取材側としてその場にいたけんたサンの記事を読んだ時だ。集会後BSN(新潟放送)記者が横田御夫妻に次のような質問をしたそうだ。「万景峰号も規制するべきですか?新潟には在日朝鮮人が多く住んでいます。彼らの祖国往来の為には大切な船です」。単なる大馬鹿野郎の無神経極まる言葉だとしても許し難いが、もし意図的なものだったとしたら? メディアと関係者の間では知られているという官邸周辺で進行中らしいめぐみさんの娘キム・へギョンちゃん来日計画と共に、何やら種々画策している魑魅魍魎たちの意図するものは、一体全体何か?



4月16日(土):フォーク・シンガーの高田渡さんが亡くなられた。彼の死は、少年時代ギターをかき鳴らして♪自衛隊へ入ろう入ろう入ろう♪と歌っていた、かつて新宿西口地下広場で繰り広げられた「フォークゲリラ」集会の常連だったLA在住の愚弟から、まずは知らされた。ひょんな切っ掛けで手にし、私が一時期聴きまくっていたのが2001年発売の高田さん最後のアルバム『日本に来た外国詩…。』だ。その名の通り外国詩15作を唄っているのだが、彼自身の作曲ではない3作さえも彼の手によるものと感じる程、実に味のある見事な高田渡世界を作り上げている。詩の内容と彼独特の歌声が相まってコチラに迫ってくる滅法素敵なソレラは、全くの所、歌の上手下手などということはどうでもイイことだ、そう確信してしまう或る種何かを超越した世界でもある。最期まで歌い続けた高田さん、お酒が大好きでいつも酔っ払っていらした高田さん、安らかにお眠り下さい。献杯!



4月9日(土):「悪いわねぇまたもや大変な所をお願いしちゃって。でもYさんは問題山積みの利用者さんには特に評判が良くて、他の日にも来て貰いたいと電話してくる方が多いのよ、ふふふッ。あっゴメン。ココも宜しくお願いします」と、施設経験も豊富なAさん担当のS夫妻を今日から中抜き(この間は昼食&他の利用者宅で仕事)で朝夕合計6時間。聞きしに勝る老夫婦は精神医学的には「サバイバー」という範疇に入ると事前に聞かされたが、お互いに殺しも殺されもせずによくもまぁこのオトシまで御一緒に生き延びられたという典型例に見受けられる。私に云わせれば、瞬時に役割が入れ替え可能のSM関係じゃん!です。どちらかが亡くなったらもうお一方も意気消沈茫然自失で直ぐに逝っちゃうかもなぁ?と興味津々の上流家庭の室内は、一見整然と彼らの趣味満載で飾られてはいるが、ドライアイスに水をぶっかけた時のアノ不思議な感じに充ち満ちていた。 



4月6日(水):またしても「宗教カルト」で問題発生。私は「宗教的人間」ではないからこそ逆に「宗教」というものに非常に関心があり、イイトシして再度入学したK大での卒論カテゴリーは「宗教哲学」、それも「比較宗教学」の視点からの「宗教多元論」を基礎に据えたものだった。
指導教官のM教授は真摯なプロテスタント信者で、人という生物が持つ本来的かつ基本的な「信仰」の意味を重要視して常に教会側とは闘っている方だ。招かれて新設某単科大学の学部長就任が内定していた当時、私の卒論に関する小論文に興味を持って下さり、今からでは指導担当は時間的に無理という事務局の反対を刎ね除けて、K大での最後の教え子として担当してもイイと直接電話を下さった。
学問的にはトンデモ世界にまたがる私の書きたいことを自由に展開出来るようにと、最後まで厳しい指導をして下さった彼は管理職になってからも研究熱は衰えるどころか益々活発で、特に最近は「自然葬」の研究者として世界的に名を馳せている。
今も心からセンセイと呼べる一人である彼から声をかけて戴いて参加の「K大宗教研究会」のメンバーの一人としては、私は余計に「カルト」問題は、無視出来ない問題の一つなのだ。

全ての宗教は、例外なく発生原初は「カルト」である。
ブッダしかりイエスしかり、間違いなくムハンマドも、その時代ではカルトのリーダーに相違ない。
しかし彼らの発する言葉たちが、その当時の様々な意味に於いて虐げられていた人々や世の中の不条理を心から悩む余裕のあった人達の心を打ったのは事実だろう。だが自らの信じる教えを絶対化しよう或いはその教えを広めることを職業とした余りに、結果、信仰者ではない私の目からすると信じがたい変質を遂げてしまっているのではないだろうか? と感じている。
少なくともキリスト教に対してのそうしたことは、『聖書』の記述を古い年代から読み進めるだけで、気がつくことは満載のはずだ。

現代においても、かつての宗教的才能溢れるリーダーと同様の人物出現は否定しないし、出来ないが、そういう人物って存在していますか、今? 本当にオリジナルな教えを説く方って、いますか? 
どうして(新)新宗教の教祖様の教えって、聖書・仏典などなど既存のもの、それも自らに都合良く安易に解釈したものしか基本にないわけ? 

ハイ、反論される前に云っときますが、ブッダ・イエス・ムハンマドそれぞれの教えには、その当時の伝統的宗教(的)の教えやら何やらが様々と反映していますよねェ。でも、彼らはソレラに疑問を抱き、混迷なるそうした世界に自らの生を危険に晒しながらも対峙し闘い、人々に対して主張したわけだ。
そんな方って、今いますか? もしいらっしゃる様でしたら、是非ともこの私にお知らせ下さい。お会いするには「献金」が必要なら、少々なら用意は可能ですから。

キリスト教「系」・仏教「系」・Etc.(神道「系」もあるなぁ)問わず、まずは、何系でもヤバイよぉ。あなたやあなたの家族の心のちょっとした隙間に、カルトは確実に、親切ごかしに近づき忍び込もうと、虎視眈々ですからねェ。

「聖書の勉強をしませんか?」のお誘いで、「聖書」の勉強を続けているというあなたのツレアイさん、大丈夫ですか? 
彼女が学んでいらっしゃる「聖書」は、いわゆる『聖書』ではありませんよ。
以前あなたから聖書云々とお話を伺った時、余りに直接的なことは云うべき立場ではないと考え、カルト問題を扱うWebサイトを幾つか紹介しましたが、あなたは何故か理解がお出来にならず「何を信じるのも個人の勝手自由だから仕方がない」という様なことを仰いました。
あなたが現在直面している危機においてもソレラ関連からは大丈夫ですか? などと、ちょっぴりですが勝手に気がかりな私です。

信仰者でない立場の人間には「伝統的宗教」さえ、時に迷惑この上ないけれど、「カルト宗教」は、信じている御本人の人格破壊のみならず様々な略奪行為をし、その周囲をも完全に巻き込み、殺伐とした混沌に陥れます。 



4月3日(日):昨夜のマッドくんのライヴ感想を書き始めようとして、困った。困ったなぁ。今まで観た彼のライヴの中では一番面白かったし、パフォーマーとしての彼の魅力も充分に発揮されていたが、一晩経ったら「密度の高い素敵なライヴだった」とは書けるが、ドコがドウ?と分析し始めると、ハテサテ困った。共演者の息使いを確実に読み取る冷静さを持ち繊細で力強いリズムを刻む見事なドラマーと、心と身体のベクトルが寸分の狂いもなく同じ方向に向かい瞬時に躊躇無く動き出す鮮やかなダンサー。彼らから発せられる空気を全身で受け止め声を出す「間」を探るかのようなマッドは、どう己とせめぎ合っていたのだろうか?それともその「間」に見える静寂は単なるテクニックか? 「ヴォイス」という即興芸術は観客からすると、常に「危うい美」を感じるところがあるのだが、昨夜の彼はその危うさというギリギリの線上で、セクシーささえ漂わせていたように思う。
 

♪♪♪♪♪♪♪
↓爆笑しながらも唸ったぞ! こういう自由な解釈さえ許されるのが、台詞がないパフォーマンスの面白みの一つだろうか? BBSから転載させて戴きます。

【超俺流解説  投稿者: Aku-Chang@仕事中  投稿日: 4月 4日(月)12時48分22秒】
23日のマッドのパフォーマンスですが、Chiroさんが説明しきれてないようなので、わたくしが超俺流に解説致します。(第1部のみ)

とある日曜日の昼下がり、とある私鉄沿線のボロアパート日の出荘の一室。これまたとある夫婦ものが、新聞読むぐらいしかすることも無く、ごろごろと寝転がってジャレついておりました。
そんな平和な昼下がりなのですが、何故かうめくような声がかすかにどこからか聞こえてまいります。隣室に住む独り者のM(童貞)が、薄い壁に穴を開けて中の様子を窺っていたのでした。
しかし、興奮して声を漏らしていたMは、夫婦ものに気づかれてしまいます。怒って怒鳴り込んできた旦那にMは緊張し体を丸めて唸るだけ。最後にはロープで縛られ袋をかぶせられて近所の河原に捨てられます。
旦那は怒ってましたが、このごろ夫婦生活もマンネリ気味でちょっと刺激の欲しかった奥さんの方は、Mのことが気になります。こっそりMの所に行ってロープを引っ張ったりして様子を見ますが、Mはうんとも寸とも言いません。更に気になってしまった奥さんはとうとうMのロープをほどいてしまいます。
事態の読み込めないM、おまけに奥さんは何か意味ありげで、誘惑しているように見えます。でも童貞の悲しさか、どうして良いやらわからず、ひたすら緊張するM。とうとう、階下に住む大家(ドラマー)に助けを求めますが、どんなことでも即座に対応、丸く収めちゃう大家さんのおかげで事態はいつのまにか収集、こうして日の出荘の平和はぎりぎりのところで保たれたのでした。めでたし、めでたし。

これに、マイク=ペニスというフロイト的解釈を加えると更に話は膨らむのですが、みんなお腹一杯でしょうから、やめときます。
ねっ!見たくなったでしょ?次回はごいっしょしましょう!!


♪♪♪♪♪♪♪
パフォーマー本人のBBS書き込みを、転載させて戴きます。

【わたしは童貞ではない。セックスしたことあるし。  投稿者: マッド  投稿日: 4月 5日(火)15時50分31秒】
とても43のおっさんらしからぬセリフからスタート。
毎度、タイミングを外して登場。
折角、悪魔が投稿してくれた昨日は、一日デートにいそしんでおりました。おいしかったら、ここで報告するつもりだった池袋のジンギスカン屋は全然だったけど、神酒(おみき)と言う名の国産ラム(洒落か?)がうまーーい。クリーズだかカリーズだか忘れたが、オーストラリアのオーガニック黒ビールもうまし。あっ、ジンギスカン以外の料理はわるくない。
さて、本題へ。ライブの話。

遡ること。
そもそも、原田淳と言うパーカッショニスト(なんて言わねえか)と共演したくてはじめたライブでした。個人的にファンでしたので。
原田さんも、去年の夏にわたしのライブを見て、おもしろがっていてくれたので、すんなり実現。
昨年、オランダから拠点を日本に移したダンサー、野口雅子氏にも声をかける。わたしはこの人のファンでもある。
プロデュ−スと構成をかねると大変なので、信用はしてるけど信頼はしてない(逆でもいい)万城目純さんにお願いする。後で、オレも踊るわ、と言われて少し驚く。
いや、ダンサーなんだけど、前回頼んだ時は踊らなかったので。
もうひとりくらいメンツ入れてと頼んでおいたのだが、これで行く、と言われ「大変じゃん」と思うわたし。
音3人いれば途中休めるんだけど。あっ、前、万城目さんに頼んだ時もそうだった。いろいろ追い詰めてくれるんですわ、この人。

さて、公園通りクラシックスに置いてあるドラムはわるくないので、場所決定。バンドヴォーカル以来、久々のマイク。これが、やはり鬼門だった。

兎に角、久し振りにマイク使ってみたいので、二週間前に初顔合わせ&構成披露&音出し。目黒マッドスタジオ(狙ってないよ)。
タイトルが「FIND」と言うことで、一部(40分)が富士栄、万城目、野口の順でメインを取り、探すイメージでおとなしく行く、と決める。クラシックスのフラットな空間を活かし、ステージを中央に置くことにする。あと、ピアノを使う。
まあ、即興の取り決めなんて、それくらいのもんです。と言うか、いろいろ決めると即興じゃなくなっちゃうし。

当日、時間厳守と言ってあったのに、原田さん、ちょい、万城目さん30分以上遅刻。万城目さん、全く悪びれず。もう!
ドラムの後ろにも客席を置こうとするが、原田さんの反対で却下(まあ、やりにくいわな)。バックヤードなしの不思議な空間出来上がる。
二部は、原田さんからスタート。ガンガン行こうと。
取り決めそんだけ。まあ、企みは、あったんだろーなー。

開場しました。
さて、バックヤードがないんで、わたしはドラムの脇のイスに腰掛けコンセントレーション。残りの3人は、キンチョ−感ねー。客とだべってるよ。
上手のChiroさんの声が聞こえる(ははは)。予定通り、10分押しでスタート。  

とりあえず、集中したいんで、ダンサー無視して目を閉じてスタート。まあ、最初の15分はわたし中心だし。
と思ってやってたら、いきなり万城目さん、入って来るし。構成作ったのあんたやん!
新聞読み始めた。そーゆーのオレきらいなんだあ、けど、音でつぶしにかかるほど子供っぽくもない。うにゃあ。
あとは、悪魔が書いた通りで、熱いから脱いだ上着で万城目さんに拘束され、その上から野口さんにさらに別の上着で包まれ、マイクのシールドでぐるぐる巻きにさて。
野口さんて、実におっとりしていて、美しく踊るが、ライブでは実にひどい人だよなあ(知ってたけど)。
暗いところにいたので、時間感覚なくなっちゃって、もう終わりだろうと時間経つの待ってた。以下、あんま、覚えてない。
一部終了。

休憩終えて、トイレから戻ると、あっ、ドラムもう始まってるじゃん。んっ、もー。
しょうがないので、堂々とドラムの脇のイスに戻る。ダンサーも出てるし、ちょいと休めるなあ。でも、ふたり外に出てった。駆け落ちみたく。戻るのを待ってたけど、戻って来ないんで入る。
このシーンです、Chiroさんが絶賛してくれているのは。
もちろん、タイミングは見計らってますが、まあ、普通に入ったんだけど(笑)。
 
あとで判明したのですが、外に出たダンサーふたりはカギがかかって入れなくなっていたとのこと。小屋の人が気づいて開ける。

ふう。
後はですね、兎に角、苦しいばかりで。
マイクの使い方馴れてないんで返りがわかんないから、やっててもの凄く不安。観客にどの程度声が届いているのか、全然わかんなかったんですね。心無しか、声も出てないように感じられる。もっといろんな声出したいのに、同じパターンに入ってしまっている。
とにかく、ダンサーは邪魔ばかり。
えいっと、ダンサーが引っ込んだタイミングで、ドラムの前に対峙、戦いを挑む。やるだけのことはやった。

いつもはねえ、もっと冷静に自分のプレイを俯瞰視しながらやっているのですよ。どんなに陶酔しているように見える時も。
Chiroさん、悪魔から酷評された(まあ、するわな)去年の夏のライブも、構成担当してたから、残りの5人を完全に把握しながらやっていたし、なおこさんが来てくれたライブは3人で30分だし、音だけだったんで楽勝。
秋のも、名手、河合さんのピアノに対抗するのはたいへんだったけど、まあね。

まあ、自分で構成すると、冒険しているつもりでも、うまく行く作りにしてしまうんだね。まあ、ヴォイスパフォーマ−と称してはいますが(他に言い様ないからだけど)、パフォーマ−としてはまだまだだなあと実感しました。いつもは、「オレって世界一」っと思ってやってるんだけど(マジ。笑)。

いやあ、万城目、野口と言う釈迦の手の上で踊らされた気分です。万城目さんからは、「一部であんだけやったから、二部はどうだろうかと心配してたけど、あそこまで持って来るとはさすがに富士栄さんだねえ」と褒められましたが。まあ、天狗(二次会そうでしたね)になってるわたしには、いい薬でした。

富士栄がいい気になって、オリャオリャ、と自慢げにやっているときより、追い詰められてヒ−ヒ−言ってる時の方が、観客は好き。まあ、二次会で、もっと追い詰められるといい、と事も無げにリクエストしてくれた御仁もおられましたが。いやあ、もう、かなりのとこまで来てますよ。

あらためて、Chiroさん、声出してみたらどうかなあ?特に、今週土曜日3時からのワークショップは、野口雅子さんの進行だし、もし、時間があればだけど、始めるのにうってつけだと思うけどなあ。
なお、興味を持ってくれた人は、コラボラボoh-hoのサイトにアクセスしてみてね。写真が笑えるから(おほほ)。



3月31日(木):♪フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん  フランシーヌの場合は あまりにもさびしい  三月三十日の日曜日  パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ♪(by 新谷のり子)と、なぜか一日遅れの日付が登場する歌を午前中チャリを疾走させながら歌っていた私。そして遅めの午後の仕事の替わりに、白内障の手術をする予定の母を最終検査に連れて行った。その帰りのことだ。お腹が空きすぎた母娘が安くて美味しい寿司屋さんで夕食をとり終え、某アーケード商店街の出口に向かっていると素敵なコーラスが聞こえてきた。正体はちょっとした広場での観客数人を前にしてのストリート・ライヴ。冷たい風にも拘わらず私たちは聴き入った。聴けたのは2曲だけだったが、感動でした。拍手して帰りかけたけれど踵を返し、帰り支度をしていた彼らから、手持ち売りの1st.アルバム「ALL 4 ONE」を購入してしまった。歌うはbless 4、かなりイケテますよ。



3月30日(水):なんかコレって凄くないかぁ!? 漂う危うさの充ち満ちさ加減は、否ッというほどに感じてしまうけれど、こういう発想ってイイなぁ…好きだなぁ…と、かつてハプニング(Happening)の面白さを実感した(実践した?)身としては、捨て置くことは、どうしても出来ないのです。



3月29日(火):仕事を終え事業所にて来月の打合せ。「猫は一匹までならOKなのよねぇ?Kさんチがそうですものね。ところで犬ならどんなタイプでも大丈夫?」と、Hさん。彼女は70歳に近い事務能力も抜群の遣り手で、時に平然と口にするちょっとシニカルな表現は私のお気に入りだ。私「どんなタイプって…。可愛いに越したことはありませんけど。何か?」。H「新規のUさん宅、かなりの曲者ワンちゃんが室内にいるんですよ」。私「噛みつくとか?」。H「いぇ最近は年の所為か噛みはしないのよ。でもね馴れるまでに凄く時間がかかるの。それまではとにかく仕事中ずーっと吠えっ放し。で困ったことには、ソレに反応してUさんの鬱度が高くなるんです。本当に申し訳ないけど明日この空き時間にワンちゃんに会いに行って貰えます? 一回でも多い方が馴らすにはイイと思うの」。オイオイ、どんな犬だよ!? というワケで、なんと御犬様面接という初体験の明日。



3月28日(月):「擬似米(ぎじまい)」は昆虫の糞?! 長年、研究なさっていた考古学者の方々には誠に申し訳ないが、一人PCに向かって大笑い。なんか他にも有りそうだなぁ、この手のモノやコト。
………ちょっと頭のなかでワサワサとするものがあるのだけれど、残念なことに明瞭な絵にはなって来ないのだ。えっとぉ、ナンだっけっかな? ほら、アレよ、アレ、アレだってばぁ! 外野席だからこその、無責任極まりない興味と期待でワクワクの、とっても楽しい記事でした。



3月26日(土):リンクさせて貰っている大分のTAKEさんに、今日初めてお会いした。九州を中心にフォークシンガーとして地道に活動している彼の本業は、公立中学校の技術家庭の先生だ。知り合ったのはWeb上。音楽の話を書き込む私のことを、歌う仲間の一人と完全に思い込んだ彼に「CD交換しませんか?」と呼びかけられた。大笑いのうちに誤解は直ぐ解けたが、彼は自分の歌声がいっぱい詰まったCDを送ってくれた。それ以来淡々と続いている付き合いだが、やっと会えたというわけだ。歌仲間の結婚披露パーティーに出席する上京ついでに絶好の機会だからと、明晩東京での初ライヴをすることになった。その連絡を戴いたが、その時間は仕事中で残念ながら伺えない。そこで、午前中の仕事を終えた空き時間に息せき切って新宿副都心の某ホテルロビーに駆けつけた。短い時間だったけど、ランチを御一緒しながら楽しく四方山話。イイ奴だったなぁ。また会おう、ネ!



3月25日(金):近頃、考えてもかんがえても解らないことが多すぎて困る。「竹島」・「人権擁護法案」・「ライブドア vs.ニッポン放送(フジサンケイグループ)」。これらの問題に共通するのが、「利権」。手をこまねいているうちに様々次々と難癖を付けられ主権は実質的に侵害され、某宗教団体の票欲しさの議員(達)の駆け引きによって人権の定義さえもうやむやになり、提示された根本的な問題さえネガティブで低次元な話に置き換えられ集約されていく。少なくとも私は、これら三つの問題を考えるために必要な基本情報などを、まず収集しようと試みる時、今やそうした場はTVや紙媒体のニュースよりもWeb上のあちこちに散らばったものの中からの取捨選択であること多く、なんともオカシクも哀しい。玉石混合、問題山積みのWeb上のソレではあるが、時に高みから教え諭すかの様な記事や物言いが垣間見える旧来メディアの、足をすくう様なものも少なくはないのだ。



3月20日(日)(同日付BBSから転載):『ダ・ヴィンチ・コード』読み終わったが、評判の割には(当てにはならないよねェ、評判ってのはさ。(D通主導の?)「韓流」しかり(藁)。広告宣伝の妙か? アタシも買っちゃったしなぁ(-_-;))、小説として、完成度が低すぎ。
信仰者でないアタシにすれば、バチカンが云々、などというコト自体が、相手になんかしなさんなよぉ…こんなモンにさぁ、という感じです。小説好きの敬虔なカトリック信者の友人に、感想を訊いてみよう…っとぉ。
「モナ・リザ」etc.(そういえば昔、上野に並ぶかなぁ…と思ったけど、余りの人混みに止めたっけ。ミロのビーナスやツタンカーメンで懲りてたのだよねェ…)の謎(?)はもとより(この関連書は、とっくにある)、「キリスト……」Etc.などは、ちょっと聖書の世界に興味があって、寄り道脇道大好き人間には、小説の「素材」自体が、特別に驚くべきものではない。つまり、ちょっと異端(と、バチカンからのお墨付きを戴いた…)関係を覗き見れば、探らずとも、否が応でもゴロゴロと目にふれるものばかり。つまりさ、小説の基本的な素材の「種本」(申し訳ないが、「資料」とは云いたくない)さえも、世界中に、笑っちゃうくらいに、わんさかってワケ。
ミステリーという割には、基本的に素材とするものがソンナモンだからかな? 展開も陳腐で、底が浅すぎだ。
どうせなら、ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』(プラス、『フーコーの振り子』もかな?)を超える、とまでは云わないが、ありゃまぁっ!まいったぜ!!こういう視点もあるワケ!!? と思わせてくれるぐらいのものを読みたかったなぁ。あー、時間の無駄だった…。



3月16日(水):貧しく偏った知識や情報かもしれないが、そういったものを総動員し考えかんがえ数日間に渡って書いていた事柄がある。しかし哀しいかな、内容的にどうにもこうにも纏まりがつかないだけでなく、何度書き直しても単なる糾弾風な文章になり、偉そうに!じゃぁChiro、アンタはどういう立ち位置で何をどうしたいワケなのさ?!といった堂々巡りにまで陥る始末で、ココにUp出来ずにグズグズの悶々状態。しかし私のソウいったソレラを冷静かつ小気味よいタッチで書いておられたのが、偶然にですが一度お会いしたことがあるWeblog記者のakiさんだ。彼の「news_from_japan 新・ニッポンからの通信:ええかげんにせい!」を、明確で鋭い視点・切り込み方・論理展開などに何時も驚嘆と羨望の眼差しで読ませて戴いているが、3月16日付「保守派にはダブスタはゆるされない」は、そうッ!そうだそうなんだよなぁと100%同意。是非とも読んでくださいませ。



3月15日(火):<はたき>考。そう、あの室内や道具類の塵を「叩き」払う掃除道具です。仕事上(訪問介護には直接的な「身体介護」だけでなく「生活援助」という名の家事関係もある)、どうしても気になって仕方がないのが其のハタキがけ。今はハタキというと、叩きという名前に偽り有りの、静電気の帯電作用を利用して埃をそっとなぞって吸い取るというものが殆どで、昔ながらの羽毛や布片を束ねて柄を付けた物は、目にすること自体が珍しいはず。それに叩き払うという作業は、部屋を開けっ広げて強力な風の通り道を作らない限りは、叩いた埃は舞い上がり室内に広がり落下するだけで、本来の掃除にはならないと思うのだ。しかし其の昔ながらのハタキがけに頑として拘る高齢者は少なくなく、今の季節は特にだが、窓をちょっぴり開けただけでのハタキがけは不衛生極まりない。でもなぁ、あのパタパタという音に掃除を実感し安心するらしいので、困った、う〜む。



3月10日(木):童歌「花いちもんめ」での遊び、ご存知ですか? ジャンケンをして勝った方(A)と負けた方(B)の2チームに分かれ、それぞれ手を繋いで向き合い掛け合いで歌い始めるのですが、歌いながら相手方になだれ込むように進み、相手方の反撃に後退するという繰り返し。

A: かーってうれしい はないちもんめ
B: まけーてくやしい はないちもんめ
A: となりのおばさん ちょっときておくれ
B: おにーがいるから いかれない
A: おふとんかぶって ちょっときておくれ
B: おふとんないから いかれない
A: おかーまかぶって ちょっときておくれ
B: おかーまそこぬけ いかれない
A: あのこがほしい
B: あのこじゃわからん
A: このこがほしい
B: このこじゃわからん
A: そうだんしましょ 
B: そうしましょー


ここまで歌い終えた両チームはチーム内で相手チームの一人を決めて、「きーまったー」。
A: ○○ちゃんがほしい
B: △△ちゃんがほしい


で、○○と△△は、「じゃーんけーんぽい」。
負けた子は勝った子のチームに入らなければならないの。これを繰り返すと最終的には、手を繋ぐ仲間が誰一人いない「独りぼっち」が出来上がり、その子が大負けということなのね。それは最後まで「ほしい」に選ばれなかったってことでもあるわけで、その子にとっては凄く寂しくて悔しい思いをするはずなんだよねェ。
どうしてこんなことを書いてるのかというと、ウチのBBSでの〈褒められて安心したい子供〉の話題からの様々と、NANIOさんが自分チに書いた〈「普通」ってなんだろね。〉には、どこか気になる共通点が見え隠れしてるように思えてボンヤリと考えていたら、突然、「花いちもんめ」が浮かんで来てしまったんですよ。ン?ただそれだけなの?と、これを書きながらも自分に問うています。



3月8日(火):A Perfect Circle のアルバム『eMOTIVe』より

Annihilation(絶滅) (Chiro訳)

人間らしさを奪うことから兵器の生産まで
国家利益のため それとも 破壊のためか
力 ちから それは国家の法律
死のために生きるものたちは 自らの持ち札によって消え去るだろう

もし諦め受け入れるならば 生きることに厳しい試練などはないはずだ
押しつけの模範を拒絶しよう

人間らしさを奪うことから兵器の生産まで
国家は急き立てる それは 破滅に向かって  
力 ちから それは国家の法律
死のために生きるものたちは 自らの持ち札によって消え去るだろう

人間らしさを奪うことから兵器の生産まで
この国が急いでいるのは 破滅へ向けてだ

これは あなたが選ぶこと 選択 あなたの選択 選択
平和 それとも 絶滅



 
3月6日(日):LA時代足繁く通ったのがBordersのココ。本棚に囲まれた空間に置かれたソファーにゆったりと座り高価な写真集をそうっと捲ったり、音楽コーナーでは新曲をチェックしたり、値引きコーナーの中から数ドルで入手の奇妙な本をミッケモンだったかな?とドキドキしながらチェックし始めるのは、何時も店内片隅の珈琲店で買った美味しいコーヒー片手に陣取るカウンター席でだった。週末の夜に催される無料ライブには車が無かった頃は自転車を疾走させてまでも行ったものだ。或る日のこと児童書コーナーで目を惹いたのは平積みにされた『The Story of Little Black Sambo』、そう、黒人差別を助長するからと日本では絶版になって久しい『ちびくろさんぼ』だ。絶版へ向けての騒動時には非常な違和感を覚えた私だが、なんだぁ!Black Peopleがごまんと住む国で堂々と売られてるじゃん! 今でもアチラでは何種類も販売されている其の岩波版が、来月、再び日の目を見るらしい。



2月27日(日):ここ数日の「某さん」とのBBSでの遣り取りですが、彼がお書きになられたことは、私が日頃こだわってる様々に非常に関連する事柄でしたし、日本社会に対するかなり重要な問題提起でもあると思います。発端は私の友人でありリンク先でもあるNANIOさんチでの、NANIOさんへの某さんのレスでしたが、某さんに了解を戴いたのでBBSにUpされた順にコチラに転載し、きちんと残すことに致しました。


☆★☆★☆★☆
他人事じゃあないのですよ  投稿者: 某さん  投稿日: 2月24日(木)18時43分40秒
NANIO さんへの書き込みはね。

昨今の作家先生は、いきなり「なんとか賞」デビュー→先生。みたいな風潮になってきてるでしょ?
でも、作家って昔は、先生に師事して…というのがあったのが、今は作家先生が弟子とらなくなってるでしょ。ある意味「なんとか賞」デビューかっこいいよね。才能ある個人が颯爽と見える。しかし、「先生に師事して云年…」という方が、実は正統だと私は思う。歴史的に見てね。作家に限らず、職人さんの世界でも、伝統芸能の世界でもそうなんだからさ。それを「なんとか賞」→いきなり先生!つーのは結構いかがわしいんだよ。

まあ、励ます意味で新人に賞を取らせるのはいいんだけどさ、「それから」だろーがよ。本物になるかどうかってのはさ。それを賞→連載→書き下ろしなんてやってたら、相当な天才だって、「消耗」しちゃうよ。自分を研く時間がないんだからね。今の文学界ってそういう意味での「消費の場」にしかなっていないという気がしてならない。

だけど、一方で近代つーのは、「個人」の社会なんだよね。個人でなんでもできるようにするという社会だから、そういう徒弟制みたいなのは、ある意味対立する概念のように見えたりもするわけだ。芸人でも松本人志なんかが、私達は師匠はいりません。って言ったりして、デビューするわけだよね。

で、僕は、職人でも作家でもなーんでもないんだけど、そういう価値観のはざまで、どっちなんだよぉって言ってきた人なんだから、NANIO さんみたいな悩み方は、ある意味人ごとじゃなかったのですよ。

で、僕は、今の世の中は、近代以降なんだから当然個人主義、という前提で生きてきた。ところが、世の中に出てみるとそーじゃないだよなあ(笑)。世間知らずのアマちゃんだからさあ。そうやっていきがってやってきて行き着いたところが今(笑)。

で、堀江さんなんだけど、彼は圧倒的に後者の代表みたいな人なわけ、人物についての好き嫌いはあるだろうけれど、あの人の言葉で一貫しているのは、「日本のやり方はおかしい」なのね。彼のやり方は必ずしも正しいとは思わないけど、「おかしい」という感覚は「正しい」と思う。

まあ、僕なんか負け組だろうが何だろうがレッテル貼られても構わないんだけど、世の中で正論張られている方々が、お支えになっているニッポンというシステムは案外、もう「先が無いんじゃないの」とホリエモンみたいな人物の出現を見ていて思うんだよね。


↑何度も読み返しちゃった。  投稿者: Chiro  投稿日: 2月25日(金)01時00分51秒
☆某さん
>他人事じゃぁない
のは、アタシも同様だと思ってます。
>そういう価値観のはざまで、どっちなんだよぉって
時に悶々としながら生きて来て、
>行き着いたところが今
だという認識を持っているのも、また同じかもしれません。
ただ、あなたと違うのは、
>そうやっていきがってやってきて
というより、ただただツッパッテやって来ただけなんじゃないかなぁ…と自分では思ってるトコかな?

ずいぶんと昔々、小説ばかりを読んでいた少女時代のことですが、拙い議論を大人相手にしていたアタシに、某オジサマが「近代の始まりは Cogito ergo sum. だよ」と静かに云いました。
ショックでした、アタシは自分というものを、キチンと疑ってもいないじゃないかと…。
それが切っ掛けで、小難しいモノを読み始めちゃったのかも知れませんが、ドップリ浸かっちゃたのが「気分の哲学」(笑)と云われる分野でした。
でも、頭では理解したような気になっても、実感不可能だったんですよねェ、長ーい間。

でアッチに居た時、様々と煮詰まってニッチモサッチモいかなくなった日々が続いてたある晩のことですが、一瞬にして「実存」ということを実感しました。

その実感は、「聖霊が降りた」と証する信仰者たちのソレに近いものだったように思えるのですが、強烈でした。
でネ、その実感のあと、何もかもが、とっても楽になったんですよ、アタシ。
そう、基本的に、I My Me Myself ってことかな? 
だから、価値観を始めなんやかや、個々で違って当ったり前、それが自然なことだって、それこそ無理なく思えるようになったワケ。
(あ、違うモノを、許せる許せないは、また別問題ですが…)

だからかな?
乱暴ですが、アタシは一度、何もかも、ぶっ壊れちゃった方がイイかもしれない…と思ってるんですよ。
嫌じゃん、真面目な顔して、疑うこともなく正論(らしきもの)を語る奴等ってさぁ…。
アタシの理想は、ヒンドゥーのシヴァ神の世界、つまり、破壊と創造(再生?)。
そうゆう混沌のなかでも、様々な「本物」は生き残るんじゃないかな…と。

あなたへのレスにしちゃぁ、かなーりヘンな内容ですが、何度も読んで、考えちまった、ってことです。
あ、先月お会いした時に、あなたが話してくださった色々なことのCoreにあるもの、この書き込みを読ませて戴いて、より理解できたかもしれません。

ココントコ停滞気味のアタシが、自然と刺激されちゃうような話を、またしてくださいネ。
民俗学的な話題も、楽しみにしております。
ありがとう!


寝て起きたところ…  投稿者: 某さん  投稿日: 2月25日(金)02時33分23秒
外が雪だよ…。
こーゆーこと書き出すと長くなるのね。わたくし。
僕は、個人主義と言ったけれど。それは、程度問題の個人主義なのです。
実存というものじゃなくてですね。この辺は Chiro さんと違うところ。

僕は欧米の人みたいな一神教を信じていないから、また中国の人のように儒教精神もあまりないから、自分を規定するものというのは基本的に関係でしかないのです。人間関係ですね。だから、欧米的自我や個人というもの
よりもずっとあいまい。関係性の中で自分のスタンスを表明するというやり方が僕のやっている個人主義。

ただ、関係性だけだとやっぱり個人は難しいのね。漱石先生が言うように情に竿差せば流されるから。自分というものの立脚点を作れない。だからルールは何なの?というのが僕の次のスタンスになるわけ。僕と世の中のルールを提示してください。無ければ作りましょう。

そうやって、決めごとがきちんとできれば、お互いに「許せる」ところで折り合いが付けられる。この国で、個人主義をやるならそうするしかないなと思っているわけです。

「許せる、許せない」というのは実は義の心なのね。正義に関わる問題。

「許せない」ことはどうするか、という問題は、これは私は基本は立法と司法で、という考え方。民主主義だからそうでしょ?個人的に「許せない」ことは基本的に関わらなければ良いと思っています。そうしないと他者の自由ということに踏み込まなければならなくなるからね。

だから、僕にとっての人間関係の第一歩は、お互い納得ずくのルールをどうやって作れるかにあるわけなんですよ。これ、社会的にはかなりヘンテコだと最近気づいたんだけど(笑)。

「みんな、そんなこと言わなくったって、常識でわかるだろう!」って思っているみたいだから…。

わかってないよ!ぜんぜん!!
長くなるから、続きはまたね。


真夜中は別の顔? --熱発  投稿者: 某さん  投稿日: 2月25日(金)23時38分24秒
なんか、昨日から辺なテンションだなと思っていたら、本日発熱。
いま、家に帰って寝て起きて体温 37.8℃…。もう一度寝て汗かけば楽になるなあ…と思いつつ。

昨日書こうとしてたのは、個人主義ということだけど、これはもうみんなそうでしょ。ということを書きたかったんだと…。否応無く、多かれ少ないかれ、個人主義社会になっていて、そういう時は、お互いのルールを明確にしていかないと、非常にトラブルが多くなる、というのが「新年会」の時あった話で、それを言いたかったんだけどなんか、暴走した…。

ただ、日本は割と昔から高文脈社会で、そういう腹芸でルールが動いているところがあるわけですよね。たとえば、社民党の辻元さんの秘書給与問題などというのは、明らかに法律違反だけど、実はあれは、国会議員の中では半ば公然の秘密だったわけですね。
そういう法律を越えたルールが平然と立法府の中にまであって、どっちのルールを適用するかは、その組織(こういうのはムラと言ってよいと思うけれど)の仲間の腹の内次第になっている。

宮崎親分の「喧嘩の極意」でも警察と風俗業のそういう裏ルールが書かれている。どこの社会に行っても、表と裏はあるものだけれど、日本のように立法府から風俗まで、こういう表と裏が整然とある社会というのはめずらしいと思う。

で、こういうダブルスタンダードは、個人主義社会ではだんだん問題が大きくなると思っている。お互いに理解できるが、前提の高文脈社会と違って、個人主義は、それぞれ別でいいじゃんの「お互いわかんない」社会だから。

もちろん、個人主義なんか日本じゃやりません。おとーさん、おかーさん、地域を大切にしよう!という方法もあるんだけど、日本は明治以降確実に個人主義社会を目指してきたのね。かなり明確に意識的に。

だから僕がずっと疑問だったのは、どんどん個人主義社会になっていくのに、どーするの?ということだった。
そんな所に案の定、内々のルールなんて僕知りません。法律の範囲内なら何やったっていいじゃないですか、そう言って出てきたのが堀江さんだったわけだ。


じゃあ何が違うか  投稿者: 某さん  投稿日: 2月26日(土)01時52分42秒
なんか、熱が下がって、今度は目が冴えてきた。
ということで、続きを書いてしまう。僕は基本的には法律で、あるいはルールを明文化しましょう。という点では、堀江さん的だ。でも堀江さんとは違う点がある。

それは、裏ルールの妥当性も認めているところだ。日本の表の法律というのは、実は欧米のルールを援用している、そのため近代の理念に則っているし、その意味でわかりやすい。逆に、裏ルールというのは、日本人の生活の中から出てきたルールで、歴史的な経緯を含んでいる。そういう意味で、僕は堀江さんのように「いまの法律」を守れば OK だとは思わない。むしろ、暗黙のルールの方に大切な規則がある、場合があるからだ。

秘書給与問題も、警察の売春取り締まりの手加減も、そこにやむを得ぬ事情があって、裏ルールがある。だったらそれを法制度化したらどうですか?というのが私のスタンス。そういうことを、きちんとしたら、今後堀江さんみたいな子供が出てきても説明ができるわけですからね。この表と裏のダブスタを続けていたら、永遠に後に続く人達に納得のいく説明なんかできない。実は社会正義という話は、そこまできちんと詰めて初めてできることだと私は考えている。

と、ここまで考えてきて、ちょっとまてと?あれええ?そういう「大人たち」への問題提起をしたのが、いま堀江さんへの返答に窮している「団塊の世代」じゃなかったのぉ?ということも最近の僕の抱える不思議のひとつになっていますね。ここでいう、団塊の世代って別に Chiroさんだけを指しているわけじゃないですけど、でも僕の基本的なスタンスの中には、団塊の世代の人達に対する、そういう素朴な疑問はあるわけです。


To:某さん その1  投稿者: Chiro  投稿日: 2月26日(土)23時23分47秒
「高文脈社会」は、血縁・地縁といったものを基とする、ムラ社会的な共同体意識が作り上げる、また作り上げて来たものではないかと思います。
そして言語学的に「高文脈な言語」とされる日本語を母語とする日本人ですが、その言葉を運用する時、そういった共同体意識が明確に無くとも慣習的に、自分と異なる考えを持っている人に言葉を使うという意識は希薄で、相手も自分と同じ考えを持つべきだという意識が、知らないうちに働いていることが多いのではないでしょうか?
だから、自分の意見を反論・批評されると、自分の存在までをも批判・非難・否定されたと考えてしまう人が多いのではないかと推察します。

また高文脈な関係性が突出する社会では、己だけでは対処不可能な現実(問題)を、他者と共に、互いの能力を補いながら何かを為そう何かを存続させようとするような、「相互補完性」は機能し易く、ソレが連綿と続いて来た「暗黙のルール」や「表と裏のダブスタ」を、イイ意味でもワルイ意味でも温存させて来たとのではないかと思うのです。

以上のようなことからアタシは、真っ当に個人として存在すること、そしてそうした個人が、純粋に対個人同士の繋がりを構築していくことは、現在の日本社会では、未だかなり困難なことであるよなぁ…と考えている次第です。
対個人の繋がりが機能不全では、個人の尊厳と自己決定を最優先するはずの「個人主義」は、ただのエゴイズムに容易に移行するのではないかなぁ…とも。

では、どうする?
正直なところ、アタシにはイイ考えは浮かびません。
どんなに母語以外の言語が堪能であろうと、人間、母語からの発想というものからは決して逃れられないらしいですね?
だとすると、日本語という言語自体を解体しない限り、
高文脈社会はこれからも続いて行かざるを得ないのでないか?という、暗澹たる気分にもなったりします。

某さん、あなたの述べられていることに対して、どうも同じ地平から的を絞ってモノを云えていない最大の原因は、アタシの持つ視点が、それこそ超個的な興味の範疇から出られていないからだと思っています。
そう、残念なことに、アタシは何かを考える時に、木の幹を興味津々に見てソコから考えを開始するよりも、木の枝葉にばかり興味を持ってしまい、結果、鬱そうと茂る枝葉の中をアッチへウロウロ、コッチへウロウロしてしまいがちなんです。
で、かなりの頻度で、元々の幹に至るのにさえ時間を取りすぎてしまう…。


To:某さん その2  投稿者: Chiro  投稿日: 2月26日(土)23時26分1秒
それから「団塊の世代」に対するあなたの疑問ですが、団塊の一人として云えるのは、アタシらは「大人たち」へ反逆したのは事実だけれど、その反逆の根っこに有ったのは、それこそ「自己の為の解放」だったという消しがたい事実が、少なくともアタシにはありました。
ワケも判らず個人主義という揺り籠で育ったアタシらは、個人主義が大衆社会では、時にアパシーという現象を現出してしまうのとは逆の、ああした行動・思考の実践を試みたのかもしれないという、否定しがたい思いさえもあります。

10年以上まえ、高校のクラスメート(男子二人)と忘年会をしたのですが、それほど酒を呑んでたワケではないのに、アタシの目の前で大喧嘩を始めました。
彼ら二人とも、大学は違いましたが全共闘の闘士だったんです。
そして機動隊に排除されるまでバリ封鎖した中を基点に活動をしてました。
喧嘩の原因は、Nが云った「俺は最初から闘いながらも、これは幻想だと思っていた」の一言で、Mは「いや、現実に何かは変えられると信じてたよ。じゃなかったら俺は何の為にオマエと共闘してたんだよ!」となったワケです。
あとはグッチャグチャ。
トバッチリは、当然アタシにも来ましたが…。

彼らがバリの中に居た時、アタシはもう日大芸術学部は中退しており、「新劇人反戦」の旗の下にデモなどしてたワケで、ある切っ掛け(コレに関しては長くなるので、お会いした時にでもお話しします)で、そこから逃走しましたから、彼らにとっては、ハッキリと裏切り者なワケですよ。
で、最後には深い溜息をつきながら三人で、……。

徹底的に敗北した! という認識がある分、どこか、また負けるのではという不安感があって、理屈っぽい割には、自信をもってモノ云えないところが、あるんだろうなぁ、きっと。

だから、コレが答です!などと、提示できる人間は少ないと思います。
それに、「組織」というモノや声高な「正義」に対しての猜疑心は凄いし…。
すみません、かなり、どうしようもないトコがいっぱいあります、多くのアタシら世代の人間には。


今夜はこんなとこです。
アタシは地味ながらHPを持っていて、稚拙ですが、書きたいことは書かせて貰っています。
ですから、逃げたくても、今や逃げられません(笑)。
何か疑問点などがございましたら、遠慮無くどうぞ。

♪他の皆さんへ もですが、
アタシは、異論反論、大歓迎!です。
他の方との意見交換で、自分の考えがハッキリとしてくることって多いですもん。
よろしく。


どうもありがとうございます  投稿者: 某さん  投稿日: 2月27日(日)00時32分44秒
その1から
>自分の意見を反論・批評されると、自分の存在までをも批判・非難・否定されたと考えてしまう人が多いのではないかと推察します。

これは本当にそう思います。言葉を曖昧にしない。厳密と言わないまでも、個々に問題をあきらかしていくと「角が立つ」んですよね。漱石先生は偉いなあ。

でもときには、敢えてそれをしないと、本当に伝えたいところが伝わったかどうかわからない。違いを確認しておくっていうことは、案外その後の人間関係をうまく維持する上で必要なんだけど、日本人はそうじゃない。ことが多い。

人間、全部同じになることなんかあり得ないし、なる必要もないのに、日本という国ではなかなかそういうことはできない国だと思います。へんてこりんな結果平等主義が跋扈するのも同じ理由なんでしょうね。

その2から
>で、かなりの頻度で、元々の幹に至るのにさえ時間を取りすぎてしまう…。

僕も、これは同じですよ。日常世界では、身辺のできごとで振り回されているわけですし。
ただ、こういうものを書く場所では、わざと大上段に振りかぶってみるんです。核心に触れている場合もあるし、間違うこともありますけど、そうやって書くことで自分の中で考え方の整理を付けているということが多い。

ここに書いたことだって、もう過去何回も似たようなことを「ン十回」も書いてきたことだから(うまくまとまっているように見えるとすれば)それだけのことに過ぎない(笑)。
こういう大ぼらにつき合わされる方は大変なわけですが…。すみません。

その3から
>徹底的に敗北した! という認識がある分、どこかまた負けるのではという不安感があって

よく判らないけれど、人生というのは最終的にだれにも「勝ち」は無いと思います。
ヨクワカラナイけれど、昔、仏陀が諸行無常って言ったのはそういうことじゃないかと思う。よくわからないけれど、団塊の世代の人達には、勝ち負けに対するすごい
執念のようなものを感じる。まあ、それが戦後復興を助けたんだと思いますけど。
でも、いまここで勝ち負けにこだわると、完全に負ける。そういうこともあると思います。

今日12チャンネルで WBS に堀江さんが出ていたけれど、テレビ司会者始め、コメンテーター全員が堀江さんに負けてましたよ。堀江さんを呼びながら、相手の話を聞いていない。というか理解できていないんですね。みんな経済馬鹿。自分の常識だけで相手を判断しているので、自分が納得できなければ相手が間違っていると考えているとしか思えませんでした。「考え方が違う」ということだってあるのに。

昨日、堀江さんを「子供」と書きましたが、それはこの日本で「高文脈社会」を無視するという一点で書いたんですけど、自分達が社会的に説明できていないことをさし置いて、堀江さんばかりに説明を求める了見というのは一体どういうことかと見ていて思いました。メディアの思い上がりも甚だしいとはこのことだと。
あの番組に出ていた人は、団塊の世代ばかりじゃなくて、それより若い人もいましたけれど、ダメな人はダメですね。対話ってのは一方的には成り立たないということをわかっていない。今回の一連の騒動は、「価値観の違いをどう乗り越えるか」ということが最大の争点だと僕は思って見ています。堀江さんに、何が問題なのかをきちんと伝えることができれば、彼は有能だからそれを何倍にでも良い方向に展開できると思いますけどそういう人が、少なくともメディア側には見えませんね。

昔、維新の時に、坂本竜馬や西郷を説得した勝海舟のような人物がいないんですよ。
一方で、話はがらりと変わりますけど、団塊の世代にもこんな人もいます。

橋本 治 「上司は思いつきでものを言う」

まさに、今回のようなテーマにぴったりの内容がきちんと説明されています。それはもちろん、橋本流なんだけど、でも「きちんとした説明」なんですよ。
よろしかったらぜひ。

最後になりましたけど、新しい職場でのなれない仕事の合間に、こんな馬鹿にまともにお相手いただいて、本当に有難うございました。


ごめんごめん、某さん  投稿者: Chiro  投稿日: 2月27日(日)00時40分43秒
あなたの書き込みがUpされる直前に「編集」で、「その3」が短かかったから、読みやすいように、「その2」のケツにひっつけちまったので、「その3」は無くなったぁ。
で、その流れで、「その2」の頭も、「その1」のケツに付けちゃった。
ごめんねェ…。
内容は、全く変わっていません。あ、てにをは、ヘンなトコがあったので、それは直したよ。

>よくわからないけれど、団塊の世代の人達には、勝ち負けに対するすごい執念のようなものを感じる。

ある。さびしいくらいに、スッゲーある。
幼稚園(アタシは保育園中退(^_^;)だけど…)から、
とにかく人数が多いという一点で、何かに付け競争を強いられて来たからかな?

偏差値に近いものも、アタシの小学校時代には出現したし…。
とにかく周りは、自分の競争相手ばっか、みたいな環境だったんだなぁ…と改めて思います。
だからドウ? ってことは、また別問題になるのだろうけど、さ。

こちらこそ、色々とありがと!
橋本治、早速、入手して読みますネ。
これからも、こんなバカですが(笑)、どうぞ宜しく。


あわてるとろくなことがない  投稿者: 某さん  投稿日: 2月27日(日)01時10分44秒
その3 なんてないし…
その2 → その1
その3 → その2
でした。<(_ _)>

あと、エゴイズムですが、高文脈社会でもエゴイズムはあります。
個人はないけど、エゴイズムの場があるということがあるんですよね。
また、欧米でも個人の利益の追求は、昔は「悪」だったわけですけど「勤勉」の代償としての「利益」は「善」という、市場経済社会に合わせたそういうエゴの理解の仕方を組み換えるようなこともやっているわけです。
また、個人社会でエゴを認めないとどーなるか、ということを詰めていくとそこに「酒鬼薔薇」くんや、それにも繋がる「現在の女性の問題」が出てくると思います。私はフェミニストじゃないですけどね。

でも、これを話すとまた長くなるんで、この話は、またずーーーーーーーーーとあとで……。しばらく沈黙します。


ああそういうことなのね  投稿者: 某さん  投稿日: 2月27日(日)01時23分31秒
困るなあ、私、書くのが早いんだよ……
まあ、ろくに考えずに書いているってことでもありますけど……
なんか墓穴を掘りつつあるので、これにて


ははは…^^;  投稿者: Chiro  投稿日: 2月27日(日)01時40分48秒
☆某さん
本当にすみません<(_ _)>
アタシ、書くのが遅いんですぅ。
欧米における↓その件からのこと、卒業した大学での専攻が哲学、それも宗教哲学だったアタシは、キリスト教(それもピューリタン)社会での価値観の転換という視点で、意見があります。
ずーっと先でイイですから、是非ぜひ、お願い致します。

アタシの周り、特にROM専の友人たち(団塊の世代?(^^))から、
Who is that person? の問い合わせメールが何通も来ています(爆)。
勿論、教える必要はないよ、興味があるのならアンタもBBSへおいで! とだけ答えておりまするぅ。
ではでは、おやすみなさいましィ〜。うふふッ。
まっこと、楽しいねェ…ココは(^_^)v 



2月26日(土):65歳で自然妊娠で出産!? もしコレが本当なら女性の生殖機能の個人差ってナニがドウなってるワケ?って感じです。いやぁー考えちゃいます、自分の血が流れる子供など欲しくはないと、10代後半から避妊に細心の注意と努力をして来た私としては(お陰様で相手方の協力もあり一回もソウイウ「失敗」はしないで済みましたが)もう目がテンですよ。この彼女には更年期は何時やって来るのだろうか?それとも…?? 私は昨年に1回だけあった生理ですから、もう生殖機能を持つという意味ではオンナとしては終わっているはずです。でも、イイですよぉ!楽ですよぉ!自由ですよぉ!「つきのもの」が訪れないのは…。所謂月経困難症を主とする様々を抱えていたので、役者としての仕事時は別として、最低でも生理時には2日間は寝込んでいました。だから余計に様々と思うのかもしれませんが、純粋に「オンナ」として再度生きられるのって、本当に幸せだよ。



2月20日(日):やっぱり私には施設での介護職は合わない、無理だ。
最近では施設へ出勤しようとすると突然胃が差し込んで吐き気まで催すし、その晩には眠りに入ってからもシクシク痛む胃の所為で何度も目が醒める。
ソレって意識的に観察しようとする意識やつもりが全く無くても、気がつかなくてイイ所イイ事までをもフッと気づいてしまうという子供の頃からの私の性癖が原因? 
施設での仕事をすればする程、気になること疑問に思うことが増え続けるのみで、どうにもこうにも割り切れないソレラを無理矢理に自分の中で整合性を持たせようとするものだから、身体に来てしまうのだろうとは思う。

否定しようにも否定不可能な施設に於いての介護に横たわる様々な問題は、「仕事のお仲間連絡BBS」の常連Sさんが以前担当していたMさんの口癖、「あんなトコ、人間が人らしく生活するところじゃない」に集約され尽くされるのではないだろうか。
「要介護5」で独居の車椅子生活者のMさんは数年前の入院後に施設で1ヶ月程のショートステイをしたが、その時のことが強烈なトラウマになっているらしい。
最近は体力も随分失われて来ているが、相変わらずの口癖が生きる力となり、ベッドから車椅子への移乗・トイレ・着替えetc.を時間をかけながらも、なんとか自分でこなす自宅生活をして頑張っているとのことだ。

有料の超高級老人ホームの実情はどうなのか?の詳細は知らないが、少なくとも実際に私が働く「某特別養護老人ホーム」は、身体的には大きなダメージはあるが頭脳的には未だ問題はソレ程ではない方の「生活空間」としては問題が山積み過ぎだと思う。
しかしココは、今までの資格取得時の実習でお世話になった数施設に比べると、職員の質はもとより様々が格段とイイ環境・状況であるのは事実である。そういった現実を考えると、余計に根本的な問題点が浮き彫りにされて来てしまい、複雑な脱力感は如何ともし難い。

そんなワケで、最低半年は経験しようと思っていた施設での仕事ですが、今月一杯で辞めることにしました。短期間にもかかわらず色々と学ばせて戴きましたが、やはり駄目なものはダメでした。
ここ数ヶ月、施設と在宅を殆ど半々にしていて働いていたのを、介護という仕事に興味を持った時に、なぜか拘ってしまった「在宅介護」という点に的を絞り直し、今一度、全面的に在宅者への訪問介護を、試行錯誤しながらやって行くことに決めました。そんな時、偶然にも目をひいてしまった記事がコレだったのですが…。



2月19日(土):午後の仕事がキャンセルだったので急いで着替えて「〈日韓米は拉致問題解決にどう協力できるか〉国際集会」に出席してきた。拉致問題について想うこと考えること多々なのは当然だが、人の心を打つ話し方というのは決してアジテーションではないことを痛感した。帰宅するとAmazonから蓮池透氏の『奪還 第二章 終わらざる闘い』が届いていた。前著に続きコレも私の次には母が読むそうなので、彼女が読了後は前回同様に母の趣味である革工芸の教室に置かせて貰い、教室の皆さん方にも読んで戴こうと思っている。決してこの問題を風化させてはいけないのは、拉致がテロであると共に不条理な人権侵害でもあるからだ。私たちにとって「人権」が普遍的な価値であるならば、その一点からだけでも北朝鮮に対しての突破口は見出せるはずである。なぜなら「人権は国際安全保障の問題である」(byアンドレイ・サハロフ博士)のだから、日本だけの問題ではない。



2月12日(土):コレを読んで戴ければ分かるように私には東京・羽田を舞台にした幼い日の想い出は沢山あるが、「チョウセンブラク」という名称とその現実を目にしたのも、また羽田でのことであった。小学校への集団登校時に意味もない苛めを受けたのは2才年上のヤスコからだったが、彼女は部落の住人ではなく大衆酒場を経営する比較的裕福な家の子供だった。その酒場が「ドブロク」というものが原因で定期的に「テイレ」を受けていることは小声での大人達の会話を耳にして知っていたが、手入れが何なのかは知る由もなかった。羽田を離れた私がヤスコを最後に目にしたのは中学時代のこと、チョンバックと呼ばれた薄型鞄をこれでもかとペタンコにしたのを手に、僅かに襟元に白が覗く黒いチマチョゴリの制服姿でバス停に佇む姿だった。その後に出会った在日3世朝鮮籍男性や仲良しの韓国人男性などはいるが、この肩肘張らない真摯なBlogページで、様々と目から鱗。



2月6日(日):ちょっと凹んでしまった。
金土日と最後の仕事は夜8時からの30分、自宅ターミナル・ケアの70代後半男性の排泄チェックと清拭、つまり排泄の有無を確認後、汚れた皮膚を清潔にしオムツ等を交換するわけだ。
肺癌患者としてこれ以上は手の施しようが無いという病院側の見解を元に、家族が余命を自宅で過ごさせることを選択し退院させたのだが、その数日後から私が係わっている。しかしここ1週間程は食欲も無く、急速に傾眠傾向と浮腫の状態が進んでいる。

眠気とアチコチの痛みを訴えては、コチラが行おうとすることを悉く拒否なさるのは担当初日からのことだが、この3日間は、ゆっくりと声かけをしながら掛け布団をめくろうとするだけで「痛い!嫌だ!下手くそ!」と大騒ぎが始まる。
排尿だけならまだイイのだが排便(それも軟便)があると、その処理等の最中は阿鼻叫喚状態と云っても過言ではないようなことになる。
するとコチラを気の毒がる奥さんが「おじぃちゃん駄目でしょ!云うこと聞かなきゃ!明日の朝までどうするの!」などと始めるのだが、奥さんの言葉に御本人は余計に甘えの感情が湧き上がるのか、より油を注いだ状態になり混乱は深まるばかりだ。本日も、その典型。

その部屋に御本人だけなら、痛い痛いと訴えられてもコチラにも遣り様はある。例えは悪いが基本的には、皮膚に密着し剥がれにくくなっている貼り薬を剥ぐときの要領だ。
痛みを慮って少しずつ剥がすよりも思い切って一気に剥がす方が、結局は痛みを感じる時間が少ないというソレ。
訴える痛みの原因は精神的なものが殆どであることは、チームとしての連絡用ノートに記された看護師さん等の意見からも了解済みのことであるから、幾ら痩せ細っても大男の御本人なのだが、簡単ではないが、そう難しいことでもない。
しかしソウは問屋が卸さないのは、コチラが滞在中ずーっと心配そうにジッと見守る奥さんの存在が最大の理由。
いくら慎重に気を遣った手早さも、御家族には御本人の意志を無視した乱暴さ、そう映り易いのが解っているから、使う神経はかなりのもんだし、そういう場面では私の技量では、全ての動きが鈍になり後手後手になることが多くなるのを怖れていたのだ。
そして今夜、とうとうやってしまった。

余りの抵抗に焦った私はオムツの前後を間違えて装着してしまったのだ。こんなことは初めてのことだし、最悪。
時間的な問題に加え拒否の激しい相手にし直すことは無理なことと判断し、奥さんに謝罪と断りを述べた上でそのままの状態にし、ガムテープで漏れを防ぐべく、思いつきの応急処置を施し終了した。
自己嫌悪もイイとこだ。

連絡帳には詳細を記し、お宅を辞して直ぐ事業所の直接担当者に犯したミスを報告したが、まずかけられたのが慰労の言葉だった。そして、もしよかったら明日、仕事が終了後、一緒に様々と対策を考えませんか? と云ってくれた。勿論、ソウお願いしたが、とにかく、感謝。
怯まず、頑張んなきゃ、ネ。来週の金曜日までは、まだまだ時間があるものネ。



2月2日(水):BBSで昨日ちょっと触れたので、「『女性国際戦犯法廷』に対する冒とくと誹謗中傷を許さない日朝女性の緊急集会」に突撃取材・潜入を試みた、リンクさせて戴いている殿下けんたサンの記事を読んで下さった方は多いと思います。加えて是非、gori氏「Irregular Expression」の「NHK番組改編問題における相関図」をジックリ見て下さると、この件の問題点やら矛盾点が、より具体的かつ鮮明に露呈してくるはずです。
余りのあまりに頭がクラクラした後の気分転換(?)には、この歌(→)をどうぞ!



2月1日(火):「貧すれば鈍する」とは、よく云ったものだと思う。しかし幾ら何でも元・日本赤軍メンバー、山本万里子容疑者の場合は酷すぎないか哀れすぎないか? どれ程の困窮だったかは知る由もないが、お徳用サキイカ2袋でパクラレルなよなぁ。盗みを働いてまでどうにかして食い繋ぎ、「革命」達成のその日まで何らかの活動を継続し続けよう生き抜こうとしたわけじゃないだろ!? パクッタのはサキイカだもんな、酒のツマミにするつもりだったらしいもんなぁ。昔の芝居仲間に、とことん「思想」にかぶれ日本の地で非合法運動。当然ながら指名手配され長期に渡る逃亡生活の末、警察に出頭、逮捕。刑期を終え出所した後は何処でどうしているものやら、風に乗っての噂さえ全く耳に届かない奴がいるが、そんな話の一つや二つは私ら世代の多くにとっては特別珍しいことではない。生きて汚名(?)をそそぐどころか、サキイカで逮捕とは…同情の由無し、あぁ。



1月26日(水):支離滅裂とは、こういうことを云うんじゃないのか!?(コレコレ) いまさら、何をか況や! よって、以下のこの主張に、激しく同意するとともに支持させて戴きます。



1月21日(金):本格的に仕事が再始動して来た。有り難くも嬉しい。状況を冷静に把握しつつ目標地点に到達可能なように様々を上手く転がし続けるには、確実に着実に、しかし気張らずに日々こなして行かなければならないことは少なくはない。そんなことを考えながら歩いていたが、そうだ!と、時々立ち寄っては一生私には手が出るはずのない高価な一点ものから今の私でも2時間働けば手に出来るような安価なものまで、目の保養をさせて貰っている宝飾店に入った。自分を励ます為に、私から私への小さなプレゼントをしたくなったからだ。購入したのは、ダイヤモンドや誕生石のオパールよりも心ときめく宝石であるルビーを使ったピアス。ピジョン・ブラッドには超程遠い色の、芥子粒にも満たない小さなちいさな石の上部左右には、金色のこれまた極小の翼が羽ばたいてる。そう、天使をイメージしたデザインのソレは滅法素敵で、十二分に幸せ気分にさせてくれるのだ。



1月17日(月):親友(参照「ッてやんでぃ」2004年1月4日)と長電話。翻訳の仕事が途切れっ放しに加え足の調子も余り良くなく、書き始めた「古代マヤ族の占星術」もスランプ状態に陥り元気がなかった彼女が、何を思ったか、突如Dream Catcherを作り始めた。窓辺に吊したりベッド脇に飾っておくと「良い夢だけを穴の部分から通し悪い夢はクモの巣状になった部分に絡ませて朝日と共に消していく」と伝えられているネイティブ・アメリカンの御守りである。既に10個完成したそうだが、自ら山に分け入り集めた蔓などの自然素材が中心の大型作品だという。「ビーズを通った陽の光が部屋の中で虹になるんだよ。いくら見てても飽きない。ビーズは祖母が残したアンティークの装飾品をバラして使ってる…」。そんな彼女が、私は泣きたくなるくらいに好きだ。ウチの軒下を貸すから皆さんに見て貰おうよ。もしかしたら、欲しいと思う人もいるかもしれないし…。乞う!御期待。



1月14日(金):鬼の霍乱もイイとこだったが流行のノロウィルス感染ではなくて一安心。そんなワケでベッド上でを余儀なくされてた数日間、頭に浮かんでは消えまた浮かび…だったのが「以心伝心」という言葉。

発端は日曜日のパーティでの何気ない会話だが、話してる内にBBSでの私の書き込みも当然関係して来た。つまり日本人が「話さなくてもワカルだろう」と表現することが多い、〈思うことが言葉によらず、互いの心から心へ伝わること(広辞苑第五版)〉について、である。

「こんなことまで話さなきゃワカンナイのか!?理屈っぽい」と云われたことは数知れずの私は、友人某サンの、「あぁ僕はそういうことを云われた場合は、仕事上で意識的に頻繁にヤリますよ、何ですか?何がドウなってるんですか?とかって。そうやって問い詰めて行くと、ソウ云った相手が実は詳細をキチンと言葉で説明する程にはソノ件を把握してなくて、単に雰囲気でソウ云ってるだけ逃げてるだけということが多いことが経験上ワカッテいますから。そうじゃないだろ?!仕事だろ!ってことです。嫌われますけどねぇ。あなたの書いてたこともワカリますよ、アメリカではソウじゃなくて、あなたはソウイウ、アメリカの方法が好きで楽だってこともね」に、ちょっと大げさだけど、ココにもまた居たか同志よ!と、それこそ詳細はブッ飛ばして、勝手にソウ心強く思ったのは事実だ。

少数派でも別にイイけどさぁ、以心伝心に脊髄反射してワカラないと、人間としての本質まで否定される様なことが多いからなぁこの国では、ネ。

さて、その以心伝心に代表される日本語文化の特徴を、大学の「言語学概論」講義の中で、確か高文脈とか低文脈とか聞いた覚えがあるなぁ何だったっけ?と、ボンヤリ頭だったけど暇に任せてネット検索したところ、これかな!?と。
で別サイトには関連事項として:高文脈コミュニケーションの文化を持つ国から低文脈コミュニケーション文化を持つ国までを、文脈コミュニケーション程度の高い順に列挙すると、日本人→アラブ人→ギリシャ人→スペイン人→イタリア人→英国人→フランス人→米国人→北欧人→ドイツ人→ドイツ系スイス人、だとあった。
しかしこれに関しては、私が出典等の詳細な裏を取れなかったので、まぁそういう話もあった、ということで御勘弁を。
大学の講義はテキストが無かった分、ノートだけはキッチリ取ってあるので、メモした参考文献あたりできっとソレらしきものには出会えるはず。時間がある時にちゃんとそれらを読んで理解してから、改めて書くつもりです。

でもさ、当然のような「以心伝心」って、どうにかならないのか!? 
まぁ「話せばワカル」、これまた盲信だと思うけど、Pillow talkする間柄の古人が「睦言もまだ尽きないうちに夜が明けてしまったようだ(古今和歌集?)」なぁんて、云って無かったっけ? 
だからさぁ…。ン?違うよな、それこそ「文脈」が…? 

って、話はドンドン別方向に向かっちまうので、この辺で。



1月10日(月):「よど号」ハイジャック事件のメンバーの子供らが続々と帰国し、メンバーの妻ら6人も今年夏までには北朝鮮から帰国する、という現在(参照:「電脳補完録」(1)(2)(3)(4))、1980年にヨーロッパにおいて行方不明になった松木薫さんの遺骨だと北朝鮮が日本側に提出したものは、2度とも別人のソレでした。その「松木薫さんを救うぞ!東京集会」が1月13日(木)午後6時半から開かれます。こうした地道な集会の積み重ねも、問題を風化させない為の重要な行動の一環であることは云うまでもありません。「北朝鮮による日本人拉致問題」に関心がおありになる方は、ぜひ参加を御一考くださると幸いです。残念ながら私は仕事の関係でかなり遅れそうですが、どうにかして駆けつけるつもりです。



1月7日(金):今月2日の内容に対する訂正です。CA州のソレへの私のアクセス方法が直行過ぎたようでした。実はこの「Megan's Law Disclaimer」ページで同意を示すと次画面に跳べ、2日同様の手順を踏めばSeriousまたはHige Riskかに拘わらず、そうした該当者の様々な情報が提供されています。本日付Webニュース記事のコレコレだが、早急な対応の必要性を感じているのは私だけではないだろう。「人権」とは何か? 「犯罪者の人権」やプライバシーをどう考えるか?どう捉えるか?再犯の可能性に対してどのような対処が必要か?等々、様々なことを多方面から検討していかなければならないのは法治国家としては当然だ。しかしまず根本的に再考して欲しいのは、現在でも「いたずら」目的などという甘っちょろい表現がまかり通っている、この社会に蔓延しているらしき「性(犯罪)」に対する考え方だ。なぜならば、人間の尊厳と「性」の関係は深く、分かち難いのだから。



1月6日(木):昨年12月中旬にウチの常連さんで長年の友人がBBSにコウ書き込んだ。〈北朝鮮 お金が欲しくて国交正常化交渉始めたんだと思うんだが、すぐばれる嘘の連発で、交渉はこじれるばかり。世界一の弱腰外交国を怒らしちゃうんだもの。バカだね。変な面子より相手の立場になって物事を考えることを覚えた方がいいよ。お金欲しいんでしょ?ね!〉彼らしい書き方に思わず苦笑したが、その北朝鮮、今度はコンナことを叫んでいるぞ! もう怒る気にもなれず呆れ返って口あんぐり。内容は全く違うが、同じくソウまでするかぁ!?だったのが、メキシコ政府の「メキシコ人移民のためのガイド」ブック配布。「Not Fade Away」に「楽しそうな人達」と題してメキシコ人体験を書いた身としては、メキシコが地続きのアメリカさんは本当に大変だなぁと、改めて御同情申し上げたが、日本とは海で隔てられている北朝鮮、もし地続きだったらと、ついつい妄想地獄に陥った。



1月4日(火):またもや危機一髪。本当に年寄りは危ない。足元のふらつきなどで転び易いことは勿論だが(事実、母は先月30日にも私の帰宅直前に足を滑らせ、玄関の鉄製ドアに頭を強打して大騒ぎ。それに似たことはショッチュウで冷や汗の連続である)、今日のソレは、様々な勧誘に対して不用心すぎて危ないという意味だ。

夕食後、電話中の私に聞こえてきたのは、ドアを開ける音と「新年の御挨拶に参りました」という聞き覚えのない女性の声だった。ン?と思い、かけ直すからと電話を切り耳をそばだてると、またしてもの新聞の勧誘。
さっさと事務的に断ればイイものを、ウチは今M新聞を取っていますからなどと、母はのんびりとした調子で余計な情報を与えている。
年末には、既に支払ったことは忘れ、料金徴収を装った、それも購読もしていないY新聞の男にドアを開けてしまい、あわや半年後からの1年契約をするところだったというのにさぁ。
何度云っても、インターフォンで最後まで確認してからということが出来ないのは、もしかすると出来ないのではなく、ちゃんと耳が聞こえていないことを他人に知られたくなくて、ヤラナイだけなのかもしれないが、ソウなの?とは、いくら娘の私でも、彼女には訊けない。

電話での勧誘にしてもそうだ。生返事や馬鹿丁寧な応対をして、云わなくてもイイことを自ら話してしまったり、アチラさんの訪問を承諾してしまったことは、思い出すのも嫌なくらいある。それも私が母の所に居候するようになってからの、たった2年間だけでもだ。

私が在宅しているときはどうにかなる。怪しい!と思ったら即座に電話を代わったり玄関に出て行けば済むことだからネ。しかし母が一人でいる昼間の対処は、どうにもならない。
今日のような新聞の勧誘は、例え母が自分でも忘れるだろう1年後の契約を、知らないうちに何件も結んでしまったとしても被害は小さいが、最大の問題は、銀行関係だ。

12月中旬、母が在職中から取引のある信託銀行の人間がやって来た。なんだか怪しいぞと思い何気なく顔を出すと、かなりの額の損失を知ってかしらずか、投資信託解約手続きの真っ最中だった。ナンだっての!? 
バブルが弾け始めた頃、私が偶然にだがソンナモノに手を出していたのかと知って驚き、証券会社相手に粘りにねばって掛け合い、まだ解約は出来ないというものまで無理矢理に解約し、株関係の被害を最小限に抑えたことも忘れて、またかよぉ! いつソンナモノ買ってたんだよぉ! 

合併や支店の統廃合で、かなり遠くの支店の顧客になってしまっているから、母が自ら足を運んでのことじゃないことは明白だ。
こんな御時世だから預金の利息など雀の涙にもならないことくらい、さすがに母も充分承知している。
そこに付け込んでくる営業!いい加減にしろよ!! お客様コチラで運用した方が宜しいかと存じますが、などと云われた日にゃぁ、ワケのワカンナイ年寄りはイチコロさ。
不法行為をしたのではないだろう、リスク説明などもキチンとしたのかもしれない。
でもさ、耳も遠くなり頭の健康度もかなり落ちている年寄りには、理解不能なことが多いのを承知で、ソウイウコトをヤッテはいないか?!

預金ではない、元本保証はない、価格変動リスクが高い、そういうものを、退職金と年金だけが頼りで生きているウチの母のような貧乏人に、勧めるな! 
そういう勧めに応じた人間の「(自己)責任」と云われてしまえば、まぁ、それまでだけどさ。

四六時中、母を監視するようなことは出来ないし、もし全てを私が取り仕切り始めたら、母はもっとボンヤリし始めるだろうと思うしで、迷路、というより出口無し状態だ。
あんなにシッカリしていた母が…と思うと、なんとも云えない気分になる。   



1月2日(日):奈良県の小1女児誘拐殺人事件で逮捕された容疑者情報が様々と出て来ているが、その異常性に戦慄しつつ虚しさと怒りを覚えるばかりだ。日本では「ミーガン法」導入は無理なのだろうか? そういえばCA州では昨年12月中旬、州が開設したHPで過去に性犯罪を起こした人物の情報公開に踏み切ったはずだと、LA郡のソレにアクセスしてみた。住所や郵便番号等を入力すると地図が現れ、そのエリア内のSerious該当者は青・Hige Risk該当者は赤で、彼らの居住地が地図上に点で示される。赤い点をクリックすると名前・顔写真・犯歴等が表示された。私が住んでいたアパートと弟ン家の周辺には…それぞれ「青」は何人も、居た。ゾッとしたのは弟の家の前を走る狭い通りの反対側を、北に向かって2ブロック先にSerious人物だが居たことだ。姪が通っていた小学校にも近い。ちなみに、連邦最高裁はWeb上での顔写真公表等を合憲とする司法判断を、既に下している。



1月1日(土):2005年幕開け初日だが、気負った目標も特別な感慨もない。ヤレルことを無理せずやって生きて行く中で、自分に(極力)嘘をつかずにいられれば、まぁそれが一番イイんじゃないかと思っている。さて今年最初の偶然耳にした曲はBlondieの『One Way Or Another』。コレ、映画『COYOTE UGLY』(とにかくワクワクのカッコイイ作品)でも流れていたはずだが、身体が自然に動き出して踊りたくなる。ウン、暗く哀しみに満ちた曲と第一発目に遭遇しなくて良かったぞ。などと云ってる私は、大ドジを踏んでしまっていたことを入浴中に知ったのだ。なぁんと臀部右側に何やらクッキリとした模様が…。暖房には扇風機型の電気ヒーターを使用しているのだが、余りにも身体に近づけていた所為か、カバー部分の自転車の車輪に似たデザインが、ソックリそのままお尻に転写されちまったというワケだ。つまり知らない間に低温火傷をしたらしい。ま、私らしい年明けではある。




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