raison d'etre
《1》
ベッドの支柱に身体を預け、樋口はうとうとと微睡んでいた。 昨夜も、遅くまで壱哉に嬲られて、身体が酷く重い。 強制的に闇のエナジーを注ぎ込まれ、身体の隅々まで内側からまさぐられ、かき回されたのだ。 魂を他者に支配されているから、『従魔』に残っているエナジーはほんの少しだ。 しかし、元々の意志や肉体をそのまま残している場合、エナジーの質自体は人間の時とそれほど変わらないのだと言う。 最近の壱哉は、闇のエナジーを使って、僅かに残った樋口のエナジーに触れる事を楽しむようになっていた。 時にはその一部を味わい、時には闇で引き裂いて、樋口の反応を眺める。 強大な闇のエナジーに干渉され、自分の存在自体を引き裂かれるかのような苦痛に、樋口は涙を流し、悲鳴を上げた。 肉体自体は、もう人間のそれではないから、どんなに疲れ切っても、病気になったり損なわれると言う事はない。 けれど、心が。 樋口が悶える様を楽しげに眺める壱哉の表情が、胸の奥深くを抉り、切り裂くのだ。 悲しくて、苦しくて、胸が潰れそうになる。 それでも。 自分をこんな風にした壱哉を心から憎む事は出来なかった。 怒りがない訳ではないけれど、その感情はどこか淡い。 浅い眠りに就けば、思い出すのは、何も知らずに笑っていられた学生時代の事だ。 或いは、あの街で十年ぶりに再会し、他愛ない会話を交わしたあの頃の事とか。 けれど、全ては、変わってしまった。 壱哉も、樋口と壱哉の関係も。 もう、何一つ戻る事はないのだ‥‥‥。 微睡みの中で、何度も辿り着いた諦めを噛み締めた時。 ベッドが軋み、壱哉が起きる気配がした。 ネピリムの案内で魔界に行く、と言う壱哉の言葉に、樋口の身体は勝手に緊張する。 壱哉に、悪魔になる契約を持ちかけた銀髪の悪魔。 壱哉の従魔になってから、何度か、ネピリムの姿は見ていた。 表面的には笑みを浮かべていても、その目は笑っていない。 言葉の上では壱哉を歓迎するような事を言っているが、実際には、全く違う事を考えているように思えた。 もし、本当に憎むとすれば、あの悪魔だ。 あいつさえいなければ、きっと、壱哉はこんな風にはならなかった。 心臓発作で命を落とすか、悪魔になるかと契約を持ちかけたと言うが、怪しいものだと思う。 もしかして、壱哉が心臓発作を起こした事も含めて、全部罠だったのではないか。 人間を悪魔にする事が、何か別の目的に繋がっているのではないか。 樋口は、それが気がかりだった。 見上げれば、壱哉は、相変わらず自信に満ちた顔をしている。 側にいるようになって、壱哉は、樋口が想像していたより、もっと大きな仕事をしていたのだと知った。 若いながら、実業家として、どんなに困難な状況でも切り抜けて来たらしい。 でも、今度の相手は悪魔なのだ。 壱哉がどんなに頭が良くても、強くても、今までのようには行かないのではないか。 魔界に伴うのは自分一人、と聞いて、不安はもっと大きくなる。 あの、いつも壱哉の側にいる有能な秘書なら、もし何かあっても、どうにかしてくれるのではないか。 何となく、そんな安心感を与えてくれる人だと思う。 いや、もしかすると、だからこそ連れて行かないのか。 唐突に、そんな考えが浮かんだ。 何かあっても、こちらにあの人を残しておけば、道が開ける。 そうかも知れない。 だとしたら、自分の役割はひとつだ。 壱哉を、守る事。 この身を、全てを懸けて、壱哉を守る。 それが――今の自分の、唯一の存在意義なのだ。 重苦しい魔界の空気。 正体も判らない者達の、品定めするような視線。 気を抜けば押し潰されてしまいそうな『圧力』に、樋口の身体は勝手に緊張してしまう。 悠然と前を歩く壱哉は、そんなものを感じていないのだろうか。 ネピリムに連れられ、この魔界に足を踏み入れてから、どれだけ歩いたろう。 ネピリムは、まるで晒し者にするかのように、様々な場所を連れ歩いた。 魔界の住人達の、悪意とも、好奇心ともつかない視線に、精神がささくれ立って行く。 絶対に、ネピリムは何か企んでいる。 樋口の不安は、益々大きくなって行った。 「いざという時は、俺を置いて逃げて。置き去りにしていいから」 ネピリムが先に、別の空間に消えた隙を見計らって、囁いた言葉。 トカゲが自ら尻尾を切り離すように、樋口を贄に壱哉が助かれば、それでいい。 何もかも失って、人ですらなくなった自分に、それは似合いの最後ではないか。 壱哉のために消えて、こんな苦しい気持ちを抱える時間が終わるなら、願ってもない事ではないか。 だから、壱哉の背を、押すつもりだった。 躊躇う必要はないのだと、そう伝えたかった。 なのに、そう口にした途端、壱哉は怒りの表情を浮かべた。 「馬鹿な従魔めっ‥‥‥」 苛立ちと、怒りの表情に、樋口は反射的に身を竦めた。 「‥‥必ず、お前と一緒に帰る」 怒りと、強い意志に満ちた視線が樋口を射抜く。 あぁ、自分は、なんて馬鹿なのだろう。 樋口は、激しい後悔に駆られた。 たとえ悪魔になろうとも、壱哉は優しい。 あんな言い方をしたら、壱哉は逆に、樋口を棄てる事を思い留まってしまうではないか。 どうして、それに思い至らなかったのだろう? 猶も言葉を継ごうとした樋口の唇は、壱哉のそれによって塞がれた。 甘いキスに、力が抜ける。 「お前は俺の、一番の気に入りの従魔だ。‥‥‥俺が守ってやると言っているんだ」 その言葉だけで、耳から尻尾の先まで、嬉しい、と思う自分がいる。 壊れてしまった関係でも、壱哉がいれば、そして壱哉が見てくれれば、それで自分は満足なのか。 霞が掛かりかけている頭で、そう思う。 「ぐずぐずするな。行くぞ」 樋口を放し、壱哉はすぐに背を向ける。 自信に満ちたその背を、樋口は慌てて追いかけた。 |
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壱哉×樋口の従魔EDを見て、「こんな賢いのは受けわんこじゃないーっ!」と叫びつつも、ネピリムの企みって何だろうとEDの間中妄想が大暴走してしまっていました。その文章化がこれ。
三分の二くらいがーっと書いて読み直した時に、なんかしみじみ、自己満足な話だよなぁなんぞと我に返ってしまってしばらく放り出していたり。
いや、同人とか二次創作と言う性質上、更にはウチのサイトは特に自己満足の集大成ではあるのですが。まぁ、そう言う事が気になる季節(←?)と言う事で。