Eifersucht
《3》


 吉岡が戻った時には、既に壱哉は家に帰っていた。
 リビングにいた壱哉は、立ち上がって吉岡を迎える。
「ご苦労だったな、吉岡」
「いえ‥‥」
 ねぎらいの言葉に、吉岡は目を伏せた。
 その様子に何か感じたのか、壱哉は吉岡の側に歩み寄る。
「お前には、本当に嫌な思いをさせてしまったな。すまない」
「いえ‥‥‥」
 俯く吉岡を、壱哉は下から覗き込むようにする。
「あいつに、妙な事はされなかったか?」
 まともに問われ、吉岡は思わず言葉を呑む。
「何かされたのか!?」
 途端に、壱哉の表情が険しくなる。
 吉岡は、反射的に身を固くした。
 出来れば言いたくない、しかし壱哉に嘘や隠し事をするのも嫌だった。
 吉岡は、躊躇いがちに口を開いた。
「自分と組まないか、と言われました‥‥それから‥‥‥」
 壱哉の表情が目に見えて硬くなるのを見ていられず、吉岡は目を伏せた。
「‥‥ホテルの‥エレベーターの中で‥‥‥唇、を‥‥」
「‥‥っ!」
「申し訳ありません‥‥」
 すっかり下を向いてしまった吉岡は、掠れた声で言った。
 苛立たしげな表情になった壱哉は、吉岡の背広の襟元を乱暴に掴んだ。
 反射的に、吉岡は身を竦ませる。
 背広にしわが付いてしまいそうな程強く握り締めている手が、そのまま壱哉の怒りを表わしているように思えた。
 壱哉は襟元を力ずくで引き寄せて、荒々しく吉岡に口付ける。
 いつもの甘いそれではなく、噛み付くような乱暴なキスだった。
 そして壱哉は、そのまま、吉岡を突き飛ばすようにしてソファに組み敷いた。
「壱哉様、こんなところで‥‥」
「黙っていろ!」
 ぴしゃりと遮られ、吉岡は口をつぐんだ。
 一方的だったとは言え、唇を奪われたのは紛れもない事実なのだ。
 何一つ言い訳も出来ず、吉岡は、唇を噛んで目を逸らすと、壱哉がするに任せる。
 壱哉は、吉岡のネクタイを力任せに抜き取ると、ワイシャツの襟を荒々しくはだけた。
 千切れたボタンが飛ぶのも気に留めず、露わになった肌に口付ける。
 いきなり外気にさらされて、他人の唇に触れられた素肌が、反射的に竦む。
 そんな反応が気に入らなかったのか、壱哉は、執拗にも思える様子で、首筋や胸肌を強く吸い上げた。
 吸われた場所にちくんと軽い痛みが走り、吉岡は慌てた。
「あ、あの、痕がついてしまうような事は‥‥」
「黙っていろと言ったろう!」
 にべもなく撥ねつけられ、吉岡はそれ以上、何も言えなくなる。
 壱哉を怒らせるような事をしてしまったのは自分なのだ。
 黙って、されるままになりながらも、いつもとは違う刺激に、体が勝手にビクついてしまう。
 怯えたような吉岡の様子に、壱哉の口元が歪んだ。
「‥‥‥ない‥‥‥」
 かすかな呟きに、吉岡は思わず壱哉の顔を見上げた。
 壱哉の表情には、予想していたような怒りの色はなく、むしろ苦しげなものが浮かんでいた。
「お前は‥‥‥誰にも渡さない‥‥‥!」
 絞り出すような呻きに、吉岡は目を見開いた。
 壱哉は、まさか。
 嫉妬‥‥して、いるのだろうか?
「壱哉、様‥‥?」
 自分の考えが信じられなくて、吉岡は状況も忘れ、壱哉を見詰めた。
 すると、壱哉の表情が、悔しさとも、自嘲ともつかないものに歪む。
「お前は、俺のものだ。他の誰にも‥‥触れさせたりするものか」
 壱哉の言葉を認識した瞬間、吉岡は全身が熱くなる。
 まさか壱哉が、嫉妬してくれるなどとは。
 一瞬、喜びに似た感情が込み上げるが、すぐにそれは、罪悪感に取って代わられる。
 それ程までに自分を大切に思ってくれている壱哉を、傷つけるような真似をしてしまったのだ。
「申し訳ありません‥‥‥」
 消え入るような声で詫びる吉岡に、壱哉は眉を寄せる。
「どうしてお前が謝る?」
 まともに見詰められ、吉岡は反射的に目を逸らす。
「私がもっとしっかりしていれば‥‥壱哉様が辛い思いをされる事はなかったんです‥‥‥」
 壱哉ではなく、自分自身を責める口調に、壱哉は絶句した。
 元はと言えば、壱哉がクラウスの訪問を受け入れたのが悪いのだ。
 しかも、クラウスの嗜好を知っていながら、二人きりにした。
 挙げ句、吉岡がクラウスに唇を奪われたと知って、身勝手な嫉妬をぶつけてしまったと言うのに。
「吉岡‥‥‥」
 判っていたはずだった。
 彼はいつも、壱哉の事だけを考えてくれているのだと。
 しかし壱哉は、今更ながら、それを思い知らされたような気がした。
 もう一度、今度は優しく、口付ける。
「すまなかった、吉岡。お前に‥‥辛い思いをさせた」
「そんな、壱哉様‥‥‥」
 言いかけた口は、優しいキスで塞がれる。
「‥‥何も言うな。もう二度と、お前にそんな思いはさせない」
 優しい囁きに、頭の芯が痺れるような熱が広がる。
 壱哉の優しい言葉、それだけで、吉岡は体が熱くなってしまうようだ。
 恥じらうように目を伏せる吉岡を可愛く感じながら、壱哉は音を立ててその耳元に口付けた。
 壱哉はそのまま、吉岡の体を丹念にまさぐりながら、至る所に唇を落とす。
 いつもは毅然とした表情を崩さない吉岡が、上気して、甘く快楽の表情を浮かべるのがとても愛しくて、大切で。
 優しい愛撫を施しながら、壱哉自身も昂ぶっていた。
「吉岡‥‥‥」
 欲情に少し掠れた壱哉の声に、吉岡はぞくりと背筋を震わせた。
 壱哉もまた、余裕をなくしているのだと、荒い呼吸が示していた。
「‥‥っ」
 気遣うように、しかしもどかしげに体内に入り込んで来た指に、意思とは関係なく体が強張る。
「力を抜け、吉岡‥‥‥」
 宥めるように言われるが、こればかりはどうにも慣れない。
 本来、そう使われるべきでない場所への侵入は、酷い異物感と痛みを伴う。
 しかし、丁寧に慣らされるうち、それらは逆に甘い刺激となって全身を昂ぶらせる。
 熱い吐息を漏らし、吉岡は、切なげに壱哉の肩に手を掛けた。
「いち‥や‥‥さま‥‥っ、もう‥‥‥」
 このままでは、先にイってしまう。
「吉岡‥‥‥」
 遠慮なのか気遣いなのか、自分ばかりが先に欲望を遂げるのを嫌がる吉岡はいつもの事で。
 そんな様子を愛しく感じると、壱哉も本当に余裕がなくなってしまう。
「すまん‥‥ちょっと、キツいぞ‥‥‥」
 まだ少し慣らし足りないのは判っているが、仕方がなかった。
 もう、痛い程に張り詰めていたものを、まだきつい窄まりに押し当てる。
 反射的に竦む体を、宥めるように目元に唇を落とし、壱哉はゆっくりと腰を進めた。
「‥‥んっ‥‥‥」
 僅かな苦痛の色を滲ませながらも、紛れもない快楽の表情を浮かべている吉岡に、壱哉は目を離せなくなる。
 ぞくりとしたものが腰から背筋を突き上げ、気遣おうとしながらも性急に中に突き入れてしまう。
 痛みなのか、快楽なのか、大きく仰け反る体を強く抱き締める。
 感覚を押し殺そうとでもするように、必死に声を耐えている表情に酷くそそられる。
 それでも堪え切れない甘い吐息が、掠れた喘ぎが、どんな睦言よりも壱哉を昂ぶらせる。
 普段の冷静さからは想像も出来ない表情が、自分の前でだけ見せられるものだと言う事実が嬉しくて、もっと猥らに乱してみたくなる。
 気遣いながらもつい、溺れてしまうのはいつもの事だった。
 ソファからベッドへと場所を変え、壱哉は貪るように吉岡を抱いた。
 吉岡が、軽い失神状態に陥るに及んで、壱哉はようやく、やりすぎた事に気付く。
 いつもはそこまでする前に自制心が働くのだが、今日はつい、歯止めが利かなくなってしまった。
 幸い、じきに目を覚ました吉岡に手を貸してシャワーを浴びさせ、壱哉はもう一度ベッドに入り、その体を抱き締める。
 朝まで離れる気はなさそうな壱哉に、吉岡は少し困った顔をする。
 そんな顔も可愛くて、壱哉はその頬に軽く口付けた。
 愛しくて、大切で、どんなものにも代え難い存在。
 誰にも、渡したくない。自分以外には髪一筋さえ、触れさせたくない。
 自分の中にそんな激しい独占欲があろうとは、壱哉自身にも意外だった。
「俺は‥‥‥ずっと、お前に辛い思いばかりさせてきたんだな‥‥‥」
 酷く暗い響きを帯びた呟きに、吉岡は驚いて壱哉の顔を見た。
「クラウスが‥‥お前にキスしたと聞いただけで、腹が立って、自分で感情のコントロールができなくなった。もう、誰にも触れられないように、閉じ込めてしまいたいとさえ思った‥‥‥」
 それが『嫉妬』と言う感情である事は、壱哉にも判っていた。
 頭では判っていても、感情に引き摺られ、歯止めが利かなくなってしまった。
 だが、自分の嫉妬を認識した時、今まで、吉岡がどれだけの感情を抱えて壱哉を見ていたのかに思い至った。
 吉岡は、ずっと壱哉が好きだったと言った。
 しかし自分はそれに気付きもせず、何人もの愛人との行為に耽っていた。
 そればかりか、吉岡が僅かに感情の欠片を見せるのがおかしくて、行為の最中に呼びつけた事さえあった。
 そんな壱哉を、吉岡はどれだけの胸の痛みと共に見ていたのだろう?
 もしも自分だったら、到底耐えられなかったろうと思う。
 なのに吉岡は、ずっと、恨み言ひとつ口にせず、壱哉の忠実な秘書であり続けてくれたのだ。
 今まで彼に強いて来た痛みを思い、壱哉は胸苦しい程の自責の念に駆られる。
「ずっと‥‥すまなかった、吉岡‥‥‥」
 紛れもない、後悔の滲む表情に、吉岡は僅かに目を見開いた。
 俯く壱哉の背に、吉岡はそっと腕を回した。
 抱き寄せられ、額に落とされた唇に、壱哉はおずおずと顔を上げた。
 何もかも包み込むような柔らかい笑みに、壱哉は言葉を失う。
「私は‥‥ずっと、お側にいられるだけで満足でした。それなのに今、あなたに一番近い存在でいられる‥‥‥。『今』だけで、私は充分過ぎるほど、満たされています」
 叶う事はないと、半ば諦めていた想いが報われた、それ以上の何を望む事もない。
「吉岡‥‥‥」
 壱哉が、吉岡の胸に顔を埋めてくる。
 子どもの頃を思い出させるような、どこか幼くも見える様子に、吉岡は壱哉の背に回す腕に力を籠めた―――。


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えっと。一応、一番書きたかったのが今回の話です。ドラマCDでクラウスにホレて、クラウスに吉岡に手を出してほしい!と思った時に、焦げる壱哉様が見たい!と思い付きました。だって、壱哉様って独占欲強そうだし。でも嫉妬を煽るような事ばっかやってるし(吉岡にもそうだし、ハーレムEDとか複数性奴EDとかだともろにそんな感じだろうし)。ちょっとは秘書の気持ちを知れー!と思いました。
実は、吉岡とのHシーンが書けなくて半年以上放置状態だったんですよね。何とか誤魔化して先に進めましたが。やっぱ、秘書のHシーンは苦手だ(汗)。
なんか最後が、ウチには珍しく甘え系の壱哉様になりましたが。こーゆー壱哉様が苦手だから、攻め秘書書けないんだろうなぁと実感しました。