Eifersucht
《2》
翌日。 「お迎えに上がりました」 ホテルのロビーへ訪ねて来た吉岡を、クラウスは上から下までじっくりと眺めた。 「なんでしょう?」 品定めするような視線に少々不快なものを感じつつも、それを表に出す吉岡ではない。 「‥‥いや。じゃあ、行こうか?」 クラウスは、妙に上機嫌な様子で笑みを浮かべた。 都心の色々な景色が見てみたい、と言うクラウスに、吉岡は公園だの高層ビルの最上階だのを連れて歩いていた。 特に、首都圏の再開発で超高層のオフィスビルが次々と建設されている辺りには興味を引かれたらしく、人の流れやビルの外観などを興味深そうに眺めていた。 吉岡は、質問には答えるものの、余計な事は一切口にしなかった。 だから、お世辞にも会話が弾んでいるとは思えなかったのだが、クラウスは終始上機嫌だった。 郊外の店で食事をとると、まだ明るいうちだが、吉岡はホテルへと車を向けた。 「‥‥君は、秘書ばかりでなく、運転手も兼ねているんだね。素晴らしい腕だよ」 「それはどうも‥‥」 帰りの車の中で、いきなり褒めて来たクラウスに、吉岡は戸惑いながら曖昧に答えた。 「あぁ、そう言えば、前に来た時は失礼したね。僕は、イチヤが君に、僕との事を話してあるとばかり思っていたんだ」 それは、昔、壱哉が一時帰国して来た時、クラウスとしている所を、何も知らなかった吉岡が目撃してしまった時の事だろう。 「で、どうなんだい?イチヤが帰国してから、早速君を愛人にしたのかな?」 興味津々、と行った様子のクラウスに、吉岡は僅かに眉をひそめた。 「‥‥‥そのような質問に、答える必要はないと思いますが」 低い声は、怒っているように聞こえなくもなかったのだが、クラウスは気に留めた様子もない。 「イチヤはグループのトップになってから、結構遊んでいたみたいじゃないか?それなのに、今は一人だけをパートナーに決めたと言うのが意外だったんだよ」 クラウスは、吉岡の反応を確かめるような視線を注ぐ。 「まぁ、その様子だと、昔から愛人だった訳じゃないようだね。‥‥でも、イチヤがいろんな相手と寝ている事は知ってるんだろう?君はそれでも良かったのかい?」 「‥‥‥‥‥」 こんな事を言い出すクラウスの内心を図りかね、吉岡は黙ったままだった。 「イチヤが留学していた頃からずっと、君はグループを守っていたんだよね?それなのに、イチヤは何人も愛人を作っていたんだろう。今は君が唯一のパートナーだと言っているけど、いつ、君に飽きて別の愛人に乗り換えるかわからないじゃないか。そうしたら、君はどうするつもりなんだい?」 クラウスはまるで、吉岡の心の中をかき回して楽しんでいるようだった。 「私は、何があろうと壱哉様以外の方にお仕えする気はありません。‥‥こう答えれば満足ですか」 きっぱりとした答えだったが、クラウスは逆に楽しそうに笑った。 吉岡の答えは、クラウスの予想通りだったのだろう。 丁度その時、車はホテルの前に着いた。 「部屋まで送ってはくれないのかな?」 先に車を降りたものの、歩道に立ったまま、クラウスは小さく首を傾げた。 送らないなどと答えようものなら、ここから動かないと言いたげな様子である。 「‥‥わかりました」 聞こえるか聞こえないかのため息をつき、吉岡は車を地下駐車場に入れる。 満足したようにロビーで待っているクラウスと一緒に、吉岡はエレベーターに乗り込んだ。 最上階のロイヤルスイートまで直通のエレベーターだが、結構時間がかかる。 エレベーターの扉が閉まると、クラウスは意味ありげにため息をつき、物言いたげな視線を吉岡に送って来た。 「イチヤに一途なのはわかるけど。本当に、惜しいな」 「‥‥何を仰りたいのですか?」 吉岡は、言葉は丁寧でも、そっけない口調だった。 しかしクラウスは気を悪くした様子もなく、僅かに目を細め、どこか艶めかしい雰囲気になる。 「ふふ‥‥イチヤは結構目が高いな。でも、ただ秘書として使うなんて惜しい」 「‥‥‥‥‥」 「僕なら、君にもっと広い世界で、自由な仕事を任せてあげられる。勿論、プライベートでも、君を充分満足させてあげられるよ。イチヤより、ずっといいパートナーになれると思うんだけどね」 クラウスの口調は、表面上は真剣だった。 「さっきも言ったはずです。私は、何があろうと壱哉様以外の方にお仕えする気はありません」 硬い表情で言う吉岡に、クラウスは苦笑した。 「ずっと、イチヤしか目に入らなかった?」 笑う、彫りの深い顔がふと近付いて来た。 「!?」 唇に柔らかいものが触れる。 啄むようなキスに、吉岡が我に返ったのは一呼吸置いてからの事だった。 反射的に手が出る。 しかし、吉岡の拳を軽くかわし、距離を置いたクラウスは気障な仕草で両手を上げた。 「『客』に対して随分だね?」 わざとらしいため息をつくクラウスに、吉岡は呆れた。 「それなら、『客』としての節度を守っていただきたいものですが」 怒りの表情で睨み付けて来る吉岡に、クラウスは苦笑した。 「僕なりの親愛の表現なんだけどね?僕は、君の事は高く買っているんだよ」 クラウスは、全く悪びれた様子がない。 呆れたのと怒りとで、吉岡はそれ以上言葉が出て来なかった。 あまりの事にポーカーフェイスが保ちきれない吉岡を、クラウスは楽しそうに眺めている。 その時、エレベーターが最上階に着いた。 部屋の前で、クラウスはにこやかに振り返った。 「今日は、本当に楽しかったよ。世話になったね」 「いえ‥‥‥」 どう答えればいいものか判らず、吉岡は言葉少なに答えた。 「あぁそうだ。そう言えば昨日、ここでイチヤとキスしたんだった」 クラウスが、今思い出したかのように言った。 「久しぶりだったからねぇ。僕とイチヤは身体の相性もいいし。良かったよ」 意味ありげに言って、クラウスは吉岡の表情を伺うように見詰める。 「それが何か?」 吉岡は、今は平然とした表情に戻って聞き返した。 「‥‥イチヤを信じている、か。妬けるな」 クラウスは苦笑した。 「本当に、今日は楽しませてもらったよ。また機会があったら、是非とも君と過ごしたいな。その時はベッドまでね」 「では、私はこれで失礼します」 クラウスの誘いが聞こえなかったふりをして、吉岡は一礼した。 「勿論、帰る時には、見送りに来てくれるんだろう?」 「‥‥壱哉様にお伝えしておきます」 そっけない答えでも、クラウスは満足したらしい。 もう一度、吉岡は一礼して、エレベーターへと戻って行った。 ――――――――― 家に戻る車の中で、吉岡は思わず、深いため息をついてしまった。 とてつもなく疲れているのが自覚出来る。 これなら、ライバル会社の地盤で一人で市場を開拓する方がまだ楽だったと思う。 「‥‥‥‥‥」 吉岡は、もう一度ため息をついた。 はっきり言えば、あのクラウスと言う男は好きにはなれなかった。 壱哉の昔の愛人になど、本当は会いたくない。 まして、一日、そんな相手と一緒にいるなど。 だが、壱哉が彼を『客』として迎えると決めたなら、吉岡にとっても『客』なのだ。 私情は差し挟まない、そう割り切っていたつもりだった。 しかし。 『そう言えば昨日、ここでイチヤとキスしたんだった』 まるで挑発するようなクラウスの言葉に、心が乱れなかったと言えば嘘になる。 壱哉を心から信じている、その気持ちには何の迷いもなかったが、それでも、かつての愛人の言葉に嫉妬めいたものを感じずにはいられなかった。 しかも。 「‥‥‥‥‥」 吉岡は、無意識に指で唇を擦っていた。 ほんの一瞬だったけれど、あれは挨拶などではなく、紛れもなく性的な意味を持った口付けだった。 壱哉以外の相手と意味を持ったキスをするなど初めてで。 思い出すだけでも、羞恥と自己嫌悪で顔から火が出そうだった。 壱哉の知らない場所で起きてしまった過ちに、酷い罪悪感が湧いて来る。 この事を知ったら、壱哉はどんな顔をするだろう? そんな事を考えると、漠然とした不安と居たたまれなさが胸の内に広がる。 壱哉に隠し事はしたくない、しかしだからと言って、わざわざ口にするのも躊躇われる。 「‥‥‥‥‥‥」 吉岡は、もう一度、深いため息をついた。 軽く頭を振って、余計な思考を追い出す。 とにかく、今は帰ろう。 無性に、壱哉の顔が見たかった。 |
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ひっぱってます。えぇ、目一杯!クラウスが益々軽いおにーちゃんですが、こーゆー人が一番書いてて楽しいんですよねぇ。
個人的には、一日、何くれとなく吉岡にちょっかい出してもらいたかった所なんですが、そんな事されたら吉岡帰りそう(でなきゃ一メートル以内に近寄らなそう)なので出来ませんでした。まぁ、所詮私が書けるのが受け秘書だからなんですが。攻め秘書だったら、もっとうまいことあしらうんだろうなぁ。
一応、次はちょっとだけ色気が混じりますが、所詮ウチのひしょ話なので、短く終わるんではないかと(と伏線だけは張っておこう)。‥‥てか、そもそもひしょFanの人はウチのサイトなんて来てないだろうからなぁ。ま、いっか(苦笑)。