772〜846年。中唐の官僚、詩人。字は楽天。香山居士と号した。
代々地方官の家柄で新興士族階級の出身。父の季庚(きこう)も県令や州の次長を歴任した。
楽天は早熟の天才と評されるが、青年期は貧困の中で苦労を重ね勉学に励んだという。
その頃の事は後に「二十より以来、昼は賦を課し、夜は書を課し、間に又詩を課して、寝息に
遑(いとま)あらず」と述懐している。
16歳で長安に出た白居易は、当時の文壇の領袖、顧況(こきょう)に面会を求めた。
顧況は白居易の名を見て、「都は『居』し『易』くはないぞ」と、からかったが、持参した詩を
読むと、「こんなに素晴らしい詩が出来るのなら、都で暮らすのも難しくない」と前言を撤回
したという。
800年に終生の友、元Cと共に進士に合格。上級試験にも次々に合格し、エリート官僚の
道を進んだ。40歳半ばで江州に左遷される挫折も味わったが、後に再び都へ召還され、
最期は大臣クラスにまで昇った。晩年は詩と酒と琴を友とし、詩壇の大御所として君臨した。
杜甫の社会批判の精神を継承し、元Cと新楽府運動を展開、諷諭詩「新楽府」等、社会の矛
盾や不正を糾弾した諷喩詩を数多く発表。玄宗皇帝と楊貴妃の故事を詠った「長恨歌」等
多くの作品が幅広い読者層に受け入れられた。
白居易の詩は、異例ともいえる速さで日本へも伝来。当時の平安朝では彼の存命中から
絶大な人気を博した。「遺愛寺の鐘…」「香炉峰の雪…」の一節は、我が国でも清少納言が
枕草子の中で引用し特に有名。詩文集の「白氏文集」は日本の文学に大きな影響を与えた。
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