秋荊門を下る(李白)
 

 【題意】

 荊州から呉の地方へ下る時の作。

 【詩意】

 この辺りも霜が降りる時期となって、川岸の木々の葉も落ち物寂しい気がする

 私の乗る舟は何事もなく秋の風を帆に受けて進んで行く

 この旅は別に鱸のなますを食べたくてというわけでも無い

 ただ名山の景に惹かれて、この地に入ろうと思ったのだ

 【語釈】

 鱸魚膾=すずきのなます。

 昔、晋の張翰が、秋風に故郷である呉の菰菜(こさい)、蓴羹(じゅんさいのあつもの)、

 鱸魚膾(すずきのなます)を思い出し、それを食べたい一念で官を辞して故郷へ帰った。

 この後、すぐ世が乱れた。人々は、世の乱れを察していた張翰が故郷の味を口実に

 先手を打ったのだと思ったという逸話。

 李  白(りはく)  
 ※作者については解説の栞・酒にまつわる詩で詳述しています。
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詩後に題す(賈島)
 

 【題意】

 ようやく詩を完成したのちの感慨を詠む。

 【詩意】

 たった二句詠むのに三年かかった

 ようやく出来上がった詩を吟じ涙がこぼれた

 友人知人にこれを理解する者無ければ

 秋景美しい故郷に帰ってしまおう

 【語釈】

 知音=親友。知り合い。

 【参考】

 賈島は「推敲」の故事でも有名な苦吟家。作詩に対する熱意の一端が知れる。

 賈  島(かとう)  

 779〜843年。中唐時代の詩人。字は浪仙。

 僧侶となり無本と号した。ある時、「鳥は宿る池辺の樹、僧は推す月下の門」という対句で

 「推す」が良いか「敲く」が良いか思案に耽り歩くうち、都の高官であった韓愈の行列に

 ぶつかった。訳を聞かれ非礼を許されたが、その際、「敲く」の方が良かろうと助言を得た。

 以来、詩文を十分吟味し練り直す事を『推敲』というようになったといわれる。

 この後、これが縁で還俗し、韓愈門下で役人となった。

 推敲の故事ともなったように、詩の一字一句に全身全霊を注ぎ、練り直し苦吟を重ねた。

 亡くなった時は、一銭の蓄えも無く、病気のロバと古琴が一つ残っていたと伝わる。

 同じく苦吟詩人の孟郊と共に「郊寒島痩」と評せられる。

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夜墨水を下る(服部南郭)
 

 【題意】

 夜、隅田川を下る。

 同じ荻生徂徠門下の高野蘭亭「月夜三叉江に舟を泛ぶ」、平野金華「早に深川を発す」

 と併せて「墨水三絶」と称される。ただし、平仄の関係から厳密には古詩にあたる。

 【詩意】

 金龍山のほとりに月が浮んでいる

 川面が揺らぐ度 月が湧いて まさに金の龍が流れるようだ

 小舟は滑るように進み 空と水の区別もつかぬ

 秋風の吹く中 武蔵と下総の境を下っていく

 【語釈】

 金龍山=浅草の待乳山。聖天宮がある。  

 二州=武蔵と下総の国。二つの国を跨ぐ橋が両国橋。

 服部南郭(はっとりなんかく)  

 1683〜1759年。儒学者、漢詩人。名は元喬。通称、小右衛門。

 京都の町家に生まれ、幼い頃より和歌や画などをたしなんだ。

 16歳の時、柳沢吉保に仕え、荻生徂徠の門下となり古文辞学を修める。

 後に開いた私塾は、南郭の深い教養と温厚な人柄よって評判を呼び、たいへん栄えた。

 荻生徂徠亡き後、徂徠の高弟の一人、太宰春台は経義(儒教の最も基本的な教えを記した

 経書の説く道)を推し進め、一方、南郭は詩文に重きを置き、経学の太宰春台、詩文の南郭

 と称された。

 それまで詩作は知識人の本業の余暇であったが、南郭は詩作を独立したものとした。

 それは当時の知識人に少なからぬ影響を与え、人々の中に俗事を離れ身分階級に捉われ

 ない、文人趣味や遊民層を生むきっかけを作ったといわれる。

 肥後の細川侯は礼を厚くしてもてなし、学問を問い、国政についても意見を求めた。

 晩年、老齢の為、諸侯にまみえることを望まなかった南郭も細川侯とは度々話し合ったという。

 【古文辞学】

 荻生徂徠が中国の古文辞派の主張を発展させて提唱した学問。

 伊藤仁斎の古義学に対抗した。

 【古文辞】

 中国で明代中期に提唱された文学の模範とすべき古典。

 「史記」を中心とする秦漢の文章と、杜甫を中心とする盛唐の詩、及び漢魏の詩。

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関山月(儲光羲)
 

 【題意】

 楽府題の一つ。題意にある月を詩中に出さず、玲瓏とした月の存在を感じさせる。

 楽府題=楽府(前漢の武帝が創設した、音楽を司る役所)が巷間から採集し、保存した歌謡

 等で多くは楽器に合わせて歌った。

 漢代以降、題目・形式をまねて作られ、伴奏を伴わない詩として唐代に流行した。

 新楽府と云われ、「白氏文集」に収められる白居易(白楽天)のものが有名。

 【詩意】

 一羽の雁が陣営の上を飛び去った

 真っ白な霜が古い街を覆っている

 あの笛はどこで吹いているのか

 夜半聞こえてくる辺境の音色が悲哀の感を呼び起こす

 【語釈】

 胡笳=中国北方の胡国の人の吹く笛。葦の葉製。

 辺声=辺境で奏でる音楽。辺境で歌う声。

 儲光羲(ちょこうぎ)  

 707〜760?年。中国唐代の詩人。

 玄宗皇帝の治世、開元14(726)年の進士。特に田園詩を得意とする。

 安禄山の乱の際、賊の官位を受けた為、乱後、嶺南(広東)に流され、その地で没した。

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疎陂駅に宿す(王周)
 

 【題意】

 疎陂の宿場に泊まる。疎陂駅は現在の湖南省江陵の付近にあったらしい。

 【詩意】

 秋も深まって棠梨を染め、葉も半ば紅く色づいてきた

 荊州を東に眺めれば、草と空が平らかにどこまでも続いている

 誰が知っているであろう この地の果てで独り仕える私の思いを

 宿は物寂しい細かな雨に包まれている

 【語釈】

 棠梨=バラ科の落葉小高木。小林檎。小梨。姫海棠(ひめかいどう)。

 王   周(おうしゅう)  

 晩唐(9世紀半ばから10世紀初頭)の進士。官吏、詩人。詳細は不明。

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