1683〜1759年。儒学者、漢詩人。名は元喬。通称、小右衛門。
京都の町家に生まれ、幼い頃より和歌や画などをたしなんだ。
16歳の時、柳沢吉保に仕え、荻生徂徠の門下となり古文辞学を修める。
後に開いた私塾は、南郭の深い教養と温厚な人柄よって評判を呼び、たいへん栄えた。
荻生徂徠亡き後、徂徠の高弟の一人、太宰春台は経義(儒教の最も基本的な教えを記した
経書の説く道)を推し進め、一方、南郭は詩文に重きを置き、経学の太宰春台、詩文の南郭
と称された。
それまで詩作は知識人の本業の余暇であったが、南郭は詩作を独立したものとした。
それは当時の知識人に少なからぬ影響を与え、人々の中に俗事を離れ身分階級に捉われ
ない、文人趣味や遊民層を生むきっかけを作ったといわれる。
肥後の細川侯は礼を厚くしてもてなし、学問を問い、国政についても意見を求めた。
晩年、老齢の為、諸侯にまみえることを望まなかった南郭も細川侯とは度々話し合ったという。
【古文辞学】
荻生徂徠が中国の古文辞派の主張を発展させて提唱した学問。
伊藤仁斎の古義学に対抗した。
【古文辞】
中国で明代中期に提唱された文学の模範とすべき古典。
「史記」を中心とする秦漢の文章と、杜甫を中心とする盛唐の詩、及び漢魏の詩。
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