酒にまつわる詩     
 
将進酒(李白)
 

 【題意】

 酒を勧める賛歌。酒をつごう。旧友岑・元丘生と酒を酌み交わした折の作といわれる。

 長文の詩のうち、ここでは前八行。

 【詩意】

 君、知っているかい

 黄河の水が遥か天上から降り注ぐことを

 激流も海に入ればもう戻って来ないことを

 君、知っているかい

 豪華な屋敷に住む貴人達が鏡にうつった白髪の我が身を悲しむことを

 朝には絹糸の如き黒髪も、夕には雪のように真っ白になってしまうことを

 せめて思いのまま振舞える時は存分に成そうじゃないか

 旨い酒をただ月の光にさらしておく事はない

 【語釈】

 青糸=黒くつやのある髪。

 李   白(りはく)  
 ※作者は栞/酒にまつわる詩 一で詳述。
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 【題意】

 箱根にて友人(山本二峰氏か)の別荘から酔って帰る時の作。

 【詩意】

 酔って苔むした石段を下り、緑深い山を見る

 天は遠く澄みわたり、渓流のさらさらと流れる音が聞こえる

 見送ってくれる友人の衣は雲と同じように白く

 松風にひらめいて、谷に懸かる月の間に見える

 【語釈】

 潺湲=さらさらと水の流れるさま。   衣袂=袖。

 仁賀保香城(にかおこうじょう)  

 1877〜1945年。山形県の人。名は成人。香城は号。幼少時より詩を善くした。

 土屋竹雨、服部空谷らと親交深く、漢詩文雑誌「東華」を出版する芸文社顧問を務めた。

 詩、書、画ともに才能を発揮したが、特に書家として有名。

 昭和20年8月、69歳で没。

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 【歌意】

 秋の長夜、白い玉のような歯にしみとおるうま酒は独り静かに飲むのがよろしい。

 【出典】

 明治43年(1910)長野県佐久市での作。

 牧水は多くの酒の歌を詠んだがその中でも最も世に知られる一首。

 【鑑賞】

 白玉は真珠のように美しい白。「歯」に対する斬新な比喩。

 「しみとおる」というのも思い切った表現に感じられるが、芭蕉の「岩にしみいる蝉の声」に

 通じるものがあるのかもしれない。

 理屈はどうあれこの歌を詠むと、秋の長夜にしみじみと美味い酒を飲みたくなる。

 若山牧水(わかやまぼくすい)  
 1885(明治18年)〜1928(昭和3年)。歌人。
 宮崎県東臼杵郡東郷村に若山立蔵・マキの長男として生まれる。名は繁。
 延岡中学(現・延岡高校)在学中の18歳頃から牧水の号を名乗り始める。上京し早稲田大学
 英文科に入学、北原白秋(当時射水)、中村蘇水と共に「早稲田の三水」と呼ばれた。
 歌人、書家の尾上紫舟に師事して、卒業後23歳で歌集「海の声」を自費出版。
 明治43年には雑詩「創作」を創刊。「明星」廃刊後の自然主義的短歌の拠り所となった。
 同年、第3歌集「別離」が好評を博し、歌壇の花形となるが、この頃の牧水は愛人問題や
 厳しい経済状態等で大きな苦悩を抱えていた。
 30代後半まではほぼ毎年歌集を発表、平明な歌風により自然主義歌人として活躍した。
 41歳の時、雑詩「詩歌時代」を創刊、大きな賞賛を得るが商業的には失敗し損失を穴埋め
 する為、各地を巡る揮毫の旅を続けた。
 昭和3年9月17日沼津の自宅で永眠。43歳。
 酒を愛した牧水は生涯に300余首の酒の歌を詠んだという。
 没後昭和13年に歌集「黒松」が出版された。
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鴨涯旗亭所見(神田香巖)
 

 【題意】

 京都鴨川河畔の料亭から見た景を詠んだ。

 【詩意】

 木蓮の緑瑞々しく、橋の下を清らかな水が流れる

 涼しい風が吹いて、酒も程よく醒め加減である

 水鳥が声をあげるばかりでひと気は無い

 柳の向うに浮かぶ有明の月が靄に包まれ青みかかって見える

 【旗亭】

 中国で酒旗とよぶ旗を立て目印としたところから料理屋や酒場。また、旅館。

 有名な杜牧の『江南の春』にも「水村山郭酒旗の風」と詠われている。

 神田香巖(かんだこうがん)  

 1854〜1918年。京都で代々続く商家に生まれた。

 書画にも通じ、京都博物館の学芸委員も務めた。

 日本に一時滞在していた羅振玉、王國維、董康等中国の学者とも交流を持った。

 大正7年没。孫は東洋史学者の神田喜一郎氏。

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酔うて祝融峰を下る
 

 【題意】

 衡山(こうざん)の最高峰祝融峰に登り、酔いにまかせて一気に峰を下り、胸中を詠じた。

 【詩意】

 遥か遠方から吹く風に乗って、祝融峰にやって来た

 深い谷から湧き起る幾重もの雲の如く、我が心も揺さぶり動かされる

 濁り酒を立て続けにあおり、豪快な気分になって

 高らかに詩を吟じながら、祝融峰を一気に下った

 【語釈】

 祝融=火の神。  長風=遠くからの風。  絶壑=深い谷。

 盪胸=胸中を揺さぶる。

 朱  熹(しゅき)  
 1130〜1200年。南宋の儒学者、哲学者。朱子学の創始者。熹は名。朱子は尊称。
 字は元晦、仲晦。号は晦庵、晦翁、雲谷老人など。文公とおくりなされた。
 19歳で進士に合格し、以降、南宋の高、孝、光、寧、四代の皇帝に仕えた。
 23歳の時、地方の主簿(帳簿管理や庶務を司る。通常、次官につぐ地位)となり、後には
 各州の知事を歴任する。1194年、寧宗の初年には召されて侍講(君主に奉仕して、学問の
 講義をする)となったが、反対勢力に排斥され在職45日で罷免された。その後も朱熹の説く
 ところは様々な迫害を受けたが、朱熹は泰然として自らの学問を説き続けたという。
 数多くの著作があり、また文学でも優れた業績を残した。その詩は深い学問の知識を背景に
 気品があり、時に豪胆、放逸である。「偶成」の一節、「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰
 軽んずべからず」は広く世に知られる。(朱熹の文集に無い為、別人の作との説もある)
 思想上の好敵手として陸九淵がいた。陸九淵の唱える陸学もまた後の世に引き継がれ、
 明代に王陽明が確立する陽明学の基礎を成したといわれる。
 【朱子学】
 宋代に周敦頤(しゅうとんい)、程・程頤兄弟等に始まり、朱子により大成された儒教学説。
 明に渡った南禅寺の僧桂庵らにより日本に伝えられ、江戸時代には幕府の御用学となった。
 我が国では藤原惺窩、林羅山、木下順庵、新井白石、室鳩巣らが朱子学者として著名。
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客中の作(李白)
 

 【題意】

 旅先での作。李白、三十代半ば頃の詩。

 【詩意】

 蘭陵の美酒は鬱金の香り

 玉で作った杯に注げば、琥珀色に光る

 ただ宿の主人が、私を十分酔わせてくれさえすれば

 ここが何処であろうが、故郷に居るのと変わりはしない

 【語釈】

 蘭陵=漢代、今の山東省棗庄(そうしょう)の南東にあった県名。酒の産地。

 鬱金=ウコン。しょうが科の多年草。根から香料や染料を作る。ターメリック。

 李  白(りはく)  
 ※作者については解説の栞・酒にまつわる詩 一で詳述しています。
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