1130〜1200年。南宋の儒学者、哲学者。朱子学の創始者。熹は名。朱子は尊称。 |
字は元晦、仲晦。号は晦庵、晦翁、雲谷老人など。文公とおくりなされた。 |
19歳で進士に合格し、以降、南宋の高、孝、光、寧、四代の皇帝に仕えた。 |
23歳の時、地方の主簿(帳簿管理や庶務を司る。通常、次官につぐ地位)となり、後には |
各州の知事を歴任する。1194年、寧宗の初年には召されて侍講(君主に奉仕して、学問の |
講義をする)となったが、反対勢力に排斥され在職45日で罷免された。その後も朱熹の説く |
ところは様々な迫害を受けたが、朱熹は泰然として自らの学問を説き続けたという。 |
数多くの著作があり、また文学でも優れた業績を残した。その詩は深い学問の知識を背景に |
気品があり、時に豪胆、放逸である。「偶成」の一節、「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰 |
軽んずべからず」は広く世に知られる。(朱熹の文集に無い為、別人の作との説もある) |
思想上の好敵手として陸九淵がいた。陸九淵の唱える陸学もまた後の世に引き継がれ、 |
明代に王陽明が確立する陽明学の基礎を成したといわれる。 |
【朱子学】 |
宋代に周敦頤(しゅうとんい)、程・程頤兄弟等に始まり、朱子により大成された儒教学説。 |
明に渡った南禅寺の僧桂庵らにより日本に伝えられ、江戸時代には幕府の御用学となった。 |
我が国では藤原惺窩、林羅山、木下順庵、新井白石、室鳩巣らが朱子学者として著名。 |