祝賀の詩
     ※下記の漢詩は郷土熊本出身の作者 三を御覧下さい。
四海波(本宮三香)
 

 【題意】

 謡曲「高砂」の「四海波静かにて」から「君の恵ぞ有難き」までの通称でもある。

 【和歌】

 幾千代の契なるらん常盤なる松の梢の鶴の巣ごもり (内柴御風)

 【詩意】

 天下は太平にして、めでたいしるしに満ちている

 相生の松は栄え、世は穏やかである

 高砂の一曲に喜びは尽きない

 永遠の契りを結ぶ三々九度の杯

 【語釈】

 四海波恬=「六合塵清、四海波静」(楊万里)から、四方の海が静かなこと。転じて、国の

 内外が平和に治まっていること。

 相生の松=雄松と雌松の幹が途中で合わさったもの。夫婦等が共に年を経ることのたとえ。

 枝を鳴らさず=「論衡」の一節。世が治まり、平和であるたとえ。

 高砂=謡曲。世阿弥作。古名「相生」「相生松」。祝言曲として、祝儀の席でよく謡われる。

 肥後阿蘇の宮の神主友成が都に上る途中、高砂の浦(現在の兵庫県南部)で景色を

 眺めていると、老夫婦が通りかかり高砂と住吉の二本の松を「相生の松」といういわれ等

 を語って去る。友成が住吉に行くと明神が現れ、御代を祝って神舞を舞う。

 本宮三香(もとみやさんこう)  
 1878〜1954年。千葉県佐原市津宮の人。名は庸三。
 幼少より漢詩を好み、依田学海、服部担風に師事する。
 日露戦争に従軍、殊勲をたてる。その間、戦場の感慨の詩を多くなした。
 江南吟社、清風吟社を創立し、作詩及び詩吟の普及に力を尽した。
 詩作は実に一万余首といわれる。
 昭和29年没。
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富士山(石川丈山)
 

 【題意】

 霊峰富士の佳景を詠んだ。

 【詩意】

 仙人が遊んだという雲をも突き抜けた頂

 遥か古より生き長らえる神龍の棲む洞窟

 雪はまさに白絹の如く、噴煙は柄にも似て

 白き扇が東海の空に逆さに懸かっているようである

 【参考】

 富士山は古来数多くの詩家に詠われている。

 同じく「富士山」と題したものは他に、室鳩巣、柴野立山、徳富蘇峰等の作が知られる。

 また長三洲作に「石川丈山」という詩がある。

 石川丈山(いしかわじょうざん)  

 1583〜1672年。戦国〜江戸初期の武人、文人。三河(現在の愛知県)碧海郡出身。

 代々徳川家に仕え、祖父正信は長湫(長久手)の戦いで戦死したといわれる。

 自身も戦国期には武人として活躍。徳川家康に仕え、若くから豪勇をもって知られた。

 33歳の頃、大坂の役で功を立てたが、軍令違反を問われ浪人。京都に隠棲した。

 藤原惺窩の門に学び、林羅山らとも詩文をもって交わった。

 その後、老母に孝養を尽くすべく紀伊、安芸で仕えたが、母が没したのを機に京都へ帰還。

 寛永18(1641)年、比叡山の麓、一乗寺村に詩仙堂を築く。

 漢魏より唐宋に至る詩家36人の像を狩野探幽に写させ、それに詩を讃して懸け並べ、

 生涯そこで隠棲生活を送った。

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