【題意】
壇の浦は源平最後の合戦場、平家滅亡の地として名高い。
旅の途中、船上から安徳天皇が入水された昔を懐古して作った。
【詩意】
船の窓から見える月は、とうに落ちてしまったが、今だ寝つく事が出来ずにいる
夜明け近く、壇の浦の暖かな春風が船上の私のもとに吹いてくる
漁へ向かう船から笛の音が、平家一門の恨みを込めて、一声響いて消えていく
安徳天皇陵墓の地に広がる海には靄が立ち込め、
天皇が詠われたという都が幻に見えてきそうだ。哀愁の感は一層深くなる
【語釈】
五夜=一晩を五つに分けたもの。甲夜、乙夜、丙夜、丁夜、戊夜。
ここでは、その中の5番目の夜の意。戊夜は、午前3時〜5時頃。
漁笛=漁師の吹く笛。
養和陵=安徳天皇の陵。下関市阿弥陀寺町にあり阿弥陀陵ともいう。
【安徳天皇】
1178〜1185年。第81代天皇。高倉天皇の第一皇子。
御母は平清盛の娘、建礼門院徳子。
寿永4年、壇の浦で海に投じ、平家と運命を共にされた。
【鑑賞】
1185年3月24日早暁、戦いに臨む源平両軍の鬨の声は、上は梵天にまで轟き、下は
海龍神も驚くほどであったという。激しい合戦の末、夕刻には大勢が決した。
二位尼(平清盛の妻)は幼い帝に「波の下にこそ、極楽浄土という有り難い都がございます」
と申し上げた。御齢8歳の天皇は「かけて知る御裳川の流には波の下にも都ありとは」の歌を
残され、二位尼に抱かれ入水された。
無常の風吹く戦場の事とはいえ、千年近くの時を経て今だ人々の涙を絞る。
壇の浦懐古の詩中、最高傑作といわれる。
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