郷土熊本出身の作者 三
 
     ※下記の漢詩は熊本漢詩紀行 三を御覧下さい。
菊池武時公
菊 池 東 郊
百  梅  園
小 川 玉 峯
球磨川槍倒の険
瀬 戸 頑 水
熊城四時の楽しみ(冬)
藪  孤  山
祝賀の詞(河野天籟)
 

 【題意】

 祝い喜ぶ詩。祝賀の席などで吟ずる為、めでたき句を用いて作った。

 【詩意】

 世の中が天下泰平で、めでたい霞が満ち広がり

 天候も順当で、田畑も自然の恵みに溢れている

 幸せは東方の海の如く際限が無く

 齢(よわい)は、何時までも変わらぬ山の様に、健やかで長寿である

 鶴は留まる、老松は千年の趣

 亀は潜ぐる、大河は一万尋の深さ

 霊峰富士の雪、 大海原の水

 寿は我が国に揃い集って天空で四方に光を放っている

 【語釈】

 南山=南山の寿=終南山が何時までも崩れないのと同じ様に丈夫でいること。

 「南山の寿」の出典は、「詩経」の中の「南山の寿の如し、騫(か)けず崩れず」という語。

 江漢=中国の大河、揚子江と漢水。

 【鑑賞】

 祝慶の席などで好んで詠われる。いわゆるスタンダードナンバー。

 多くのめでたい言葉が句を構成し、それぞれの祝賀の句は美しい一つの詩を作り上げた。

 また、そこには青年期の日本の勢いや希望さえも感じられる様だ。

 河野天籟(こうのてんらい)  

 1861〜1941年。名は道雄。現代漢詩家として名を成した。

 昭和16年5月3日、玉名郡長洲町法華寺にて歿。81歳。

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壇の浦夜泊(木下犀潭)
 

 【題意】

 壇の浦は源平最後の合戦場、平家滅亡の地として名高い。

 旅の途中、船上から安徳天皇が入水された昔を懐古して作った。

 【詩意】

 船の窓から見える月は、とうに落ちてしまったが、今だ寝つく事が出来ずにいる

 夜明け近く、壇の浦の暖かな春風が船上の私のもとに吹いてくる

 漁へ向かう船から笛の音が、平家一門の恨みを込めて、一声響いて消えていく

 安徳天皇陵墓の地に広がる海には靄が立ち込め、

 天皇が詠われたという都が幻に見えてきそうだ。哀愁の感は一層深くなる

 【語釈】

 五夜=一晩を五つに分けたもの。甲夜、乙夜、丙夜、丁夜、戊夜。

 ここでは、その中の5番目の夜の意。戊夜は、午前3時〜5時頃。

 漁笛=漁師の吹く笛。

 養和陵=安徳天皇の陵。下関市阿弥陀寺町にあり阿弥陀陵ともいう。

 【安徳天皇】

 1178〜1185年。第81代天皇。高倉天皇の第一皇子。

 御母は平清盛の娘、建礼門院徳子。

 寿永4年、壇の浦で海に投じ、平家と運命を共にされた。

 【鑑賞】

 1185年3月24日早暁、戦いに臨む源平両軍の鬨の声は、上は梵天にまで轟き、下は

 海龍神も驚くほどであったという。激しい合戦の末、夕刻には大勢が決した。

 二位尼(平清盛の妻)は幼い帝に「波の下にこそ、極楽浄土という有り難い都がございます」

 と申し上げた。御齢8歳の天皇は「かけて知る御裳川の流には波の下にも都ありとは」の歌を

 残され、二位尼に抱かれ入水された。

 無常の風吹く戦場の事とはいえ、千年近くの時を経て今だ人々の涙を絞る。

 壇の浦懐古の詩中、最高傑作といわれる。

 木下犀潭(きのしたさいたん)  

 1805〜1867年、肥後菊池郡の生まれ。名は業廣。晩年、い村と号した。

 幼くして俊敏、記憶力が強く、22歳で学業優秀につき苗字帯刀を許され、木下姓を名乗る。

 後に時習館訓導を勤め、禄百石を賜った。

 幕府より昌平黌教官への話があったが、未だ藩公の恩に報いていないとして、これを辞した。

 門弟に井上梧陰、竹添井井、古荘嘉門等、多くの優れた人材を輩出。

 また、犀潭の次男は京都帝国大学初代総長を務める等、一門にも俊才が多かった。

 慶応3年、63歳で病没。墓所は熊本市内の龍田山にある。

木下塾跡
木下塾跡
木下犀潭(い村)塾跡(熊本市京町京町台公園横)
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失題(古荘嘉門)
 

 【題意】

 題を付けかねたか、当初より付ける気が無かったもの。

 【詩意】

 才覚のある人は昔から案外多く物事を誤るものである

 自らの才知を頼んで議論を好むが、結局理屈ばかりで世に何の益ももたらさない

 考えた事があるだろうか、自然は黙っていながらも日々運行していることを

 季節が巡り来れば時を違えず、山は青々と茂り、花も紅に咲き誇るではないか

 【語釈】

 不言裡=論語の「天、何をか云わんや、四時行はれ、百物生ず」の意。

 実行を尚ぶという教訓を含んでいる。

 【鑑賞】

 論語よりの不言実行を勧めたもの。

 従来西郷南洲の作と言われてきたが嘉門の真筆が在るという。

 肥後の先哲として名声を馳せた。

 

 頭でいくら考えても、実行せねば其処には何も生じない。

 才子も口だけでは、行動力ある凡夫に劣る。

 勝海舟の言葉にも「事を遂げるものは、愚直でなければならぬ。才走ってはならぬ。」とある。

 古荘嘉門(ふるしょうかもん)  

 1840〜1915年、熊本生まれ。名は惟正。号は火海。嘉門は通称。

 木下@村(犀潭)の門人。井上梧陰、竹添井井、木村邦舟と共に、木門の四天王と呼ばれた。

 長崎に遊学後、藩主細川護久の命により京阪、東北を往来。後に河上彦斎、山岡鉄舟等と

 親交があった。佐賀の乱後、司法省判事となり、国粋主義を唱え紫溟会を組織した。

 一高の校長、国権党の総裁、衆議院議員、台湾総督府内務部長、群馬県知事、三重県知事

 等を歴任し貴族院議員に勅撰された。大正4年5月10日没。76歳。

 号の火海は熊本・八代海の不知火から称したという。

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人の長崎に帰るを送る(竹添井井)
 

 【題意】

 知人が長崎へ帰るのを見送る。上海在住時の作。

 知人は同郷人の津田静一かともいわれるが真偽は不明。

 【詩意】

 物憂げな雲が夢の世界の様に空を覆い、塵にも似た細かな雨が降っている

 街路に花が舞い飛び、春は暮れようとしている

 春申江の柳を結んで

 異国の空の下、故郷の人の帰国を送る

 【語釈】

 懶雲=物憂げな雲。   陌路=道。   折り尽す=柳の枝を環状に結び、

 旅人の無事帰還や再び廻り合うことの祈願とする習わしがあった。

 春申江=黄浦江。上海市内を通り、長江河口に注ぐ河。

 竹添井井(たけぞえせいせい)  

 ※作者については栞/郷土熊本出身の作者一を御覧下さい。

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雪中即事(二代瓜生田山桜)
 

 【詩意】

 雪が細かに降って昼の冬風に舞っている

 たちまち辺りは白玉の様に光り輝く美しい景色となった

 昔、中国の詩人杜牧は炉を擁し、雪を賞して酒を飲んだという

 今また、私も同じ様に杯を傾け雪を賞でている

 【語釈】

 六出=雪の異称。六出花。   霏微=雨や雪の降る様。

 【鑑賞】

 昼から降り出した雪が、みるみる降り積もっていく。

 南国熊本では年に一度有るかどうかの情景だ。

 街中の様々な色彩や喧騒を白い雪が少しずつ覆い尽くす。

 作者は暖かな部屋で、杜牧の「独酌」を口ずさんでいる。

 蘇軾が言った、酒は憂いの玉箒(たまははき)と。

 傍らには詩集と盃。雪と共に、酒の神も降りて来たらしい。

 二代 瓜生田山桜(うりゅうださんおう)  

 ※作者紹介は香雲堂吟詠会の頁で「現二代宗家」をご覧下さい。

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