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REBIRTH・6章(1)




 そこは、追放された最初の夜にクリュセが過ごした場所に似ていた。サークに尋ねると、彼はちょっとうんざりして否定した。ここからだと男の足でも3日はかかるところだ、と彼はつけ加えた。
 初めて村を離れ、狩りの旅に出てから何度も同じ質問をクリュセは繰り返していた。草原はどこも同じに見えた。何日も歩き回っても変わらない風景は、彼をわけもなく不安にした。結局自分は足手まといにすぎないことを嫌というほど見せつけられてもいた。こんなことなら村でおとなしくしているんだった、と反省しきりだった。
「でも、狩りに行きたい、って自分から言いだしたんだぞ」
へばりきったクリュセにつきあって木陰に身をよせ、サークは言った。
「わかってる。もう言うな」
「邪魔じゃない、と言うつもりもないがな、まあ、オレたちだって最初から狩りのやり方を知ってた訳じゃないし」
サークはクリュセの肩を軽く叩いた。
「妹がちょっと変わったところのある女だということはわかっていたつもりだったけどな。おまえと一緒になりたい、と言いだした時、オレはまっさきに反対したよ。今だから面と向かって言えることだが」
「こんなひ弱な男のどこがいい、って?」
「先に言うなよ」サークはくすりと笑った。「妹はおまえに魅かれた。それが一番大事なこと。妹は正しかった。結婚してから、おまえは大きくなったよ」
サークが意味することが、クリュセには正確には汲み取れなかった。しかし結婚以来、生きることに積極的になったのは事実だった。ましてや、子供ができてからは。
 結婚した次の秋に、子供が生まれた。男の子だった。
 望まれ、自らも望んでした結婚だった。だが熱にうかされたような時期が過ぎると、今思えばくだらないことをクリュセはぐだぐだと悩んだものだった。
 子供はどうしても欲しかった。しかし、同じ先祖を持つとはいえ一万年の時にへだてられたふたつの種の間で、それが可能なのだろうか?
 そんなことは、悩むまでもなかった。それでも、リンの妊娠をクリュセは素直に喜べなかった。
 無事に生まれるのか。どんな子供が生まれるのか。あまり自分に似ないで欲しい。自然の中で生きていくには、この体はあまりにもやわだ。
「やあねえ、あなたにも似てなきゃイヤよ」
そう言ってリンは、浮かない顔のクリュセを笑い飛ばした。文字通り、不景気な気分を吹き飛ばしたのだ。
「誰の子だって、生まれるまではどんな子かなんてわからないのよ。みんなといっしょじゃない。大事なのは、私のおなかにいるのはあなたの子だということ。それだけじゃいけないの?」
 そして、誕生。
 わが子の重みを腕に感じた時、不安はなにもかも消し飛んでいた。
 生まれたばかりの息子の頬をそっとなでながら、クリュセはつい泣きだしてしまった。死んだ父親が還ってきた。自分の中に。そんな気がして。
 産屋に招き入れられ、産みの苦しみに耐えた妻の手を黙って握った時、いつかは愛せるようになれる、そう思った女を今では愛しているとクリュセには言えた。彼を誰よりもよく理解し、望みを叶え、幸せを与えてくれた女を愛さずにいられようか?
 やっと手に入れた家族。それを守り養うためにもっと強くなりたいと、クリュセは願った。
 そして自分から望んで狩りに出た。だがそれは失敗だったのかも、と彼は思わずにはいられなかった。
 獲物をしとめるのに何の役にもたっていないことが、その理由のすべてではなかった。
 家族を持って以来、すっかり忘れたと思っていた疑問がまたも彼をさいなんでいた。
 オレは帰らなくていいのだろうか。
 自分がかつて暮らしていたところがどこだったのか。どんなところだったのか。もう何一つ覚えていなかった。彼はここで十分すぎるほど幸せであり、故郷がなつかしいなどとは、思わない。
 それなのに、胸にせまりくる迷い。長旅の疲れがたまるにつれて、それは大きくなっていった。
 ともすれば、心を引き裂いてしまいそうなほどに。
 突然、クリュセの背中を激しい痛みが襲った。
「クリュセ、・・・・・・・・・・気分でも悪いのか?」
サークは心配そうに覗き込んだ。クリュセは首を横に振った。そんなものでは、なかった。
 彼は妻と子の顔を思い浮かべようとした。子供を産んだあとも少女のように笑うリン。彼に似て耳は小さく肌は白っぽいが、ほかの子供たちと同じように元気に動き回る息子。だがその姿は、霧の向こうに消えていってしまいそうにぼやけていた。霧をはらそうとするほどに、目の前はかすんでいく。
「大丈夫か、クリュ−−−−」
サークの声も、どこか遠くに消え失せた。
 草原のどこかで、誰かが警告を発した。危険が、近づいてくる。それは心から心へ、全員に一瞬にして伝わった。みんな手近な物陰に身を隠した。サークも、クリュセを引き倒して岩陰にふせた。
 やがて「危険」が空に現れた。鈍い銀色に光る、三角形の「鳥」。それが真っ青な空をつっきってくる。
 −−−−シティに帰らなければ。シティへ!
 突然、クリュセは走りだした。「鳥」がやって来る方へ。
「クリュセ!どこに行く!」
クリュセを追おうとするサークを、村人たちは止めた。「鳥」には近づくな、掟をやぶる気か!
 その騒ぎはクリュセの耳には届かなかった。聞こえるのは、「鳥」が風を切る音だけ。
 あれには、シティの人間が乗っている。
 「鳥」は見る間に近づいてきた。まるでクリュセのいる場所をめざすように、まっすぐに。
 そして、飛び去った。
 呆然と空を見上げていると、機影は再び大きくなってきた。そしてクリュセの頭上に達すると、ゆっくりと旋回した。
 やがて飛行機は垂直着陸した。クリュセはその風圧によろめいた。
 タラップが下ろされた。がっしりとしたボディガード風の男に続いて、エリートとおぼしき初老の男とパイロットの制服を着た若い男が降りてきた。ボディガードと制服は銃を構え、警戒しながらクリュセに近寄った。声がやっと届く距離まで近づくと、3人は立ち止まった。伸び放題の髪とヒゲ、植物の繊維で作られた粗末な服。奇妙な恰好の人間を目の前にして、初老の男は考え込んだ末に、言った
「・・・・・・・・・・・君は、誰だ?」
クリュセは両手を宙に泳がせた。老人が使ったのと同じ言葉が思い出せなかった。今の問いを何度も反芻するうちにようやく、細い声が彼の口から漏れた。
「・・・・・・・・元イルクーツク市民、ナンバー01117792587、クリュセ」
「ナンバー0111・・・・・・?トップ・エリートのナンバーじゃないか?!」
「642年8月30日に追放処分を受けた者です・・・・・・・・・・・・」
 クリュセは思い出した。殺人の罪で、それ以上に、体制批判をした罪でシティを追放された身であることを。
 急に笑いがこみあげてきた。
 笑いがどうにも止められなくなった。涙があふれ、腹がよじれる。クリュセは耐えきれなくなり、その場にくずおれた。
 エリートの老人の指示でふたりの男たちはクリュセをかかえあげ、飛行機に連れ込んだ。その間も彼は笑い続けていた。
 息が止まってしまいそうにひきつった声をたてて。



×××



 ヒゲのない自分の顔を見るのは、久しぶりだった。顔を見ること自体、外ではなかったようなものだった。第一、今までどうやって生きてきたというのか。記憶はすっぱり切り取られ、その間に見慣れた顔は失われていた。鏡の中にいるのは、すっかり日焼けして精悍な容貌をした、自分に似ているだけの男。
 追放から5年−−−−正確には、4年と10ヵ月と12日。それほどの年月がたったことが、クリュセにはどうしても実感できなかった。決して短くはない時間。その間に何かが自分に加わったようにも思えたし、反対にけずりとられたようにも感じた。
 クリュセは鏡から離れ、ベッドに戻った。そしてごろりと横になる。柔らかくさらりとした合成繊維の感触。それは枯れ草と毛皮の寝床とは比べ物にならない心地よさだった。シーツをなでているうちに、彼はまた眠気に襲われた。いくら眠っても眠り足りなかった。完璧に整えられた環境は、彼の体から5年の疲れを洗い流した。それと共に、緊張の糸を最後の一本まで溶かしていた。彼はどこかにさらわれていってしまいそうな心細さを感じていた。だが、彼をもてあそぶ流れは、逆らうにはあまりにも優しかった。
 狭い空間。人工の照明。体にぴったりした衣服。衛生的にも栄養的にも細心の注意を払った食事。25年の間、慣れ親しんだ社会。
 長い夢は醒め、オレはシティに帰った。
 彼は眠りにひきずりこまれかけた。それを引きとめるかのように、通信ディスプレイがピーッという音と共についた。
「定時検診の時間です。診察台にどうぞ」
担当の若い医師がにこにこしながらディスプレイの中から語りかけた。
 クリュセは重い体を引きずって隣室の自動診察台に移った。医者が直接彼を診察したのは、帰ってすぐの1回きりだった。あとは治療も診察も、すべて機械を介して行われた。彼を連れて帰った飛行機に乗っていた者も、短期間隔離されたと聞かされた。それがどういう意味なのか、クリュセは今頃になってわかってきた。
 彼は冷たく固い台に体を慎重に横たえた。カプセルがクリュセを包み、いくつもの機械がちかちか光を発し始めた。
「食欲はでてきたようですね。そろそろ点滴を中止してもいいでしょう。何か自覚症状はありますか?」
耳元で医者の声がした。
「・・・・・・・・・・・・・・・眠い」
今にも眠ってしまいそうな声でクリュセは答えた。
「それは軽い栄養失調と貧血のせいですよ。心配はいりません。食事を残さずとっていただけば、数日中によくなるでしょう。この2週間でかなり健康状態は改善されてきています。伝染病にはかかっていないようですし、近々一般病棟に移っていただけますよ」
「監視付きには変わりないだろう」
診察台の光が一斉に消えた。カプセルが開いた。
「そのことについて、警備庁長官があなたとお話しなさりたいそうです。今日の検査は終わりました。病室の方へどうぞ。長官と回線をおつなぎします」
 クリュセはベッドの端に腰を下ろした。それを待ちかねたようにディスプレイに警備庁長官の顔が映った。
「気分はどうだ?」
「寝てばかりいますよ。5年分ね」
「医師の報告書は昨日受け取った。健康面は、市民生活に復帰するのに特に問題はないそうだ。そこで警備庁も君の処遇について早急に検討した。追放処分者で恩赦の対象になった者はひとりもいない。君が不在だった5年の間にもだ。一応刑法に明文化されているが、有名無実だったために不十分な部分が多くあり、その運用について意見が分かれた。特に君の場合、自力で帰ってきた訳じゃない」
「経過報告は結構です。結論をおっしゃっていただけませんか」
「そうだな。詳しいことは日を改めて話そう。−−−−4年10ヵ月という長期間、並々ならぬ苦労を重ねてきたであろうことを考慮して、五都市初の恩赦とする」
クリュセはシーツを握りしめた。
「一般病棟に移る時点で、監視を解除する。同時に君はイルクーツク市民として公的に復権する。以後健全な一市民として生活を営んでもらいたい。−−−−ところで、ひとつ直接確認しておきたいのだが、地上でのことはほとんど覚えていないそうだが、本当かね?」
「そんなこと、ウソついてどうなるってんですか」クリュセは声を荒らげた。「ウソならどんなにいいかと思いますよ。今までオレはどこにいたんですか?何をしてたんですか?この5年間を、オレはどこに置いてきてしまったんですか?覚えているのは、ほんの断片だけ。そんなもの、記憶のうちに入りゃしない。オレがオレでなくなったみたいだ。・・・・・・・・・・・・気持ち悪いこと、はなはだしい」
「まあ、いい。必要のないことは忘れてくれた方がいいだろう。我々にとっても、もちろん君にも有用な記憶とは思えないからね。知能、思考力、判断力、知識、その他のテストは完璧に5年前の君の水準を保っている。そちらの方が重要だ。その結果をふまえて現在、教育庁では君のキリエ復帰を検討している。いくらテスト結果がよいとはいえ、これが破格の待遇であることはわかるだろう。君はそれだけ我々にとって必要な人物なのだ。そのことを十分に自覚し、二度と軽率な行動に走らないよう切に望む」
「わかりました。・・・・・・・・・・・・ありがとうございました」
「退院後に正式に君を召還する。それまで十分に心身の回復にはげむように」
通信は切れた。
 恩赦第一号になる。その時どんな想いが胸をよぎるだろうかと、そればかり想像して過ごしていた時期もあった。
 シティに帰りたかった。それだけは間違いなかった。
 だが、これが熱望していたものなのか?
 5年という歳月は、オレに何をしたんだ?
 睡魔がふたたびクリュセを包んだ。彼はあらがうことなく闇の中に落ちていった。




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