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REBIRTH・6章(2)




 クリュセがキリエに復帰する。
 アリシアは自己嫌悪と恐怖にさいなまれていた。クリュセに最高刑を科し、追い払うことに成功した時、二度とこんなことで悩むまいと思った。悩むことはない、とも思った。
 しかしクリュセは生きて帰り、あまつさえ追放前の身分を保証されることが決まった。その検討の過程をすぐそばで見ていなければならなかった、見ていることしかできなかった彼女は、後悔するばかりだった。クリュセを無視し続ければよかったのだ、と。
 堂々巡りを、来客の知らせが断ち切った。誰かと訊き返す間もなく、客は彼女のオフィスに入ってきた。エドムだった。
「いったい、何の用?」
「クリュセのキリエ復帰が決まったって?」
「ついさっきの会議でね。32対1で」
 彼は来客用の椅子にどさっと座った。ふたりは黙りこくって、お互いをにらむように見つめあった。
 沈黙を先に破ったのは、エドムだった。
「僕たちは、どうすべきだ?」
アリシアは手を組み直した。
「奴のことだ、自分の無実を晴らそうとやっきになるだろう。その前に、やらなければならないことがあるんじゃないのか?」
「たとえば?」
エドムは口を開いた。だが、何も言わないまま手で口をおおった。視線をあちこちにさまよわせ、ようやくのことで言った。
「・・・・・・・・・・・わからない」
「エドム、短絡的なことを考えているのなら、そんな考えは捨てなさい」
「だが、急ぐ必要があるんじゃないのか?」
「あまりそうとは思えないわ。帰還後のクリュセに関する報告は、検察局にも届いているでしょう。知能テストの結果はともかく、みてくれはまるでふぬけだわ。ぼんやりとしているか、寝ているか、どっちかじゃない。そうでなくても外の生活で、彼の性格が変わってしまったことは十分考えられる。実際に会ってみないことには、対策のたてようがないわ」
「そんな悠長な・・・・・・・・・・!」
「彼がたったひとりうろうろしただけで、簡単にわれてしまうような手の回し方をしたの、エドム?それではたとえクリュセが帰ってこなかったとしても、同じことだわ!」
彼は唇をかんだ。
「わかったよ、アリシア。君の言うとおりにした方がいいことは、重々承知している」
「どうしても何かしたいと言うのなら、例の事件の記録をチェックするにとどめておいてちょうだい。それ以上の行動は許さないわ」
アリシアはエドムを追い払った。



×××



 人は皆、自分がどこに行こうとしているのか、疑問を持たずに歩いている。クリュセはそれがうらやましいような気がした。
 彼はそっと耳に手をやった。
 セルキュラーがそこにあった。キリエへの復帰が正式に伝えられると同時に与えられた小さな機械。
 一市民としてもエリートとしても、追放前となんら変わらぬ位置を得、自分の行くべきところは上層部が決めてくれる。他の市民と同じように。
 忘れたことは、忘れるべきこと。どこかに落としてきた5年間。それがなくても、歩くことはできる。
 広場のベンチにぼんやりと座っている彼に、人々は好奇の視線を向けた。日焼けした肌と茶けた長い黒髪は、人込みの中でもめだった。彼が誰なのか、知らない者はいない。人々の視線が意味するのは、外の世界から生還したことに対する驚愕か、元犯罪者に対する軽蔑か、彼には計りかねた。やがて、不透明な他人の心を類推することにも疲れてしまった。
 クリュセは教育庁から読むように命じられた、この5年間に発表された数学論文の概略に目を戻した。長い間、数学者の発想に縁のなかった頭では、なかなか集中できなかった。集中力がわずかでも散漫になると、疑問がふと胸をよぎった。
 オレはなぜここにいるのだろうか、と。
「こんなところで勉強?珍しいわね」
声をかけられるのは初めてだった。クリュセはなぜかほっとして、声の主を見上げた。
「私のこと、覚えているかしら?5年前とたいして変わっていないつもりだけど?」
「ああ・・・・・・・・・・・。あのおせっかいやきか」
「どうやら忘れずにいてくれたようね」
アリシアは彼と同じベンチに座った。話をするにはちょっと広すぎる間隔をおいて。
「恩赦第一号になった気分はどう?」
「そんなことをわざわざ訊きに来たのか」
クリュセはこめかみをさすりながら言った。
「社交辞令よ。どんな用件であれ、あなたに会った人はみんな必ず訊くでしょう?」
「今は警備庁の職員か。どこにでもいる女だな」
「あなたはもう、犯罪者ではないのよ。警備庁の人間でなければ用がないなんて思わないで欲しいわ」アリシアはむっとして言った。「シティはあの事件について、記録にとどめる以上のことはしない。だからあなたも、いつまでもひがんでいないでシティに貢献することだけを考えてちょうだい。それだけの分別を身につけたと判断した上での処置なんだから」
「わかったよ。で、用件は」
「今日はちょっとあなたに会ってみただけ。いずれ都市管理課課長として会うことになるわ。間違えないで、今の私の肩書はこれよ。近々私のオフィスで重要な話をするから、それまでに頭をすっきりさせておいて。いいこと、必要なのは以前と同じに優秀な、あなたの頭脳なんですからね」
「脳みそ以外には、オレに価値はないってことか」
何と答えるべきか、アリシアは困った。ほんの一瞬の迷いの後、彼女は言った。
「そうよ」
「そうだよ、な」
クリュセはぽつりと言った。そして論文集を閉じ、立ち上がった。
「どこへ行くの」
「疲れた。帰って寝る」
「3日以内に連絡するわ」
アリシアの最後の言葉は、クリュセの耳に入っていなかった。もうろうとした彼の頭は、新しく与えられたコンパートメントへの道を間違えないようにするのが精一杯だった。



×××



 クリュセがオフィスにやってきた時、アリシアはかすかに身構えた。彼の何も考えていない、それゆえ落ちつきはらって見える態度は訳もなく彼女をうろたえさせた。人込みの中ですらひどく不安になったというのに、なぜふたりきりになる状況を自ら設定してしまったのか、自分の考えを計りかねていた。
「そこにかけてください」
ソファを指して、彼女は事務的に言った。
 照明が暗くなり、壁の一面が巨大なスクリーンに変わった。イルクーツク市の断面図が映り、赤い点や線がそこに重ねられた。
「新都市制御システムの計画図の一部です。最初の計画では今年全市完成予定だったのですが、計画が何度も変更になり、完成のめどは全くついていません。現在、B−39地区にテスト用ミニシステムを設置するところまでは進んでいますが、テスト運用はソフト開発が大幅に遅れていて、無期延期状態です」
「そんな実務的な話とオレと、どんな関係があるんだ?オレは確か、机上の理論が専門だったと記憶しているんだが・・・・・・・・・・・・」
「あなたは机上の理論が好きだったようだから、お気に召さないとは思うけれど。実務に結びつかない学問なんか、存在しないわ。そして、プロジェクトが計画されたのも、予定通り進まなかったのも、あなたのせいだとしたら・・・・・・・・?事情を知らないだろうから、そのことから説明しましょう」
 クリュセの研究内容を応用した新しいコンピューターの開発プロジェクト発足決定までのこと。システム開発スタッフにクリュセが内定していたこと。それについで急遽決定された彼のキリオス昇格。プロジェクトスタートの直前に起こったスキャンダル、それゆえ計画の変更を余儀なくされたこと。一部未完成だった数学理論を完成させ、運用できる数学者を養成することが計画の遅れを招いた最大の原因だったと、アリシアはしつこく何度もくどくどと繰り返した。
「それ、で」
クリュセは黙って聞いていたが、とうとう嫌気がさして口をはさんだ。
「10日後にプログラム開発スタッフとして参加してもらいます」
「辞退する権利は、もちろんないんだろう」
「シティの最も優秀な頭脳を集めたプロジェクトよ。辞退するバカはあなたぐらいだわ。・・・・・・・・追放前ならね。だけど今のあなたは、決して辞退などしないでしょう」
クリュセは答えなかった。
「その沈黙は、承諾と受け取っていいわね?ならば、あなたに渡す物があります」
アリシアは部屋の明かりをつけ、青い強化プラスチックケースをクリュセに渡した。
「開発計画の概要データと、スタッフの一覧。それにプロジェクトスタッフの特別IDです。今週末に最高責任者のパテラス・アンダリウムに会ってもらいます。それまでにデータの検討をしておいてください。もし質問があっても私には答える権限はありません。パテラスにお会いした時、直接訊いてください。私が責任を持つのは、あなたの正式参加までのスケジュール調整だけです」
クリュセは10センチ四方くらいの薄いケースをほおり投げてみたり、すかして見るようなしぐさをしたりした。アリシアは眉をひそめた。
「あなたのキリエ復帰が簡単に承認されたのは、プロジェクトがあなたを必要としているからよ、クリュセ。その点を自覚して、最大の努力をはらうようにね。ふざけた態度はやめて」
彼はキツネにつままれたような顔をした。
「何がだ・・・・・・・・・・?」
彼はアリシアの視線がケースをもてあそぶ手に向けられているのに気がついた。
「ふん、この程度の行動にすら気をつけなければならないんだな」
「その通りよ。シティはあなたを再び失いたくはないのだから」
アリシアの目が、一段と冷やかに光った。
「ここでの用件は済んだわ。もう一ヶ所、この足で行ってちょうだい。厚生庁長官のところにね。私の秘書が案内します」
「わかった」
 クリュセは立ち上がった。長い髪が肩から流れ落ちた。髪は薄汚れた赤い紐でまとめられていた。クリュセが外で身につけていたものでただひとつ、本人もなぜだかわからないまま、絶対に手放そうとしなかったもの。それがアリシアの気にさわった。それだけでなく、手や顔にたくさん残る小さな傷あとも、がっしりとして肉体労働者風になった体つきも、外での暮らしがクリュセの体に刻み込んだものすべてが。
「1日にふたつも名誉ある仕事を命じられるエリートの姿には、とても見えないわね」
アリシアは吐き出すように言った。
「ふたつ?厚生庁の用は、健康診断かなんかの話だろう?おとといまた、頭の先から足の先まで検査されたとこだぞ。まだオレを病原菌のかたまりかなんかと思っているのなら、そうとはっきり・・・・・・・・・」
クリュセは誰に聞かせるでもなくぶつぶつ言った。
「シティはあなたを、精子提供者に選んだのよ」
「な・・・・・・・・んだって?!」
クリュセの無感動だった表情が、驚愕に変わった。
「この数回の検査は、そのために行われていたのよ。検査項目から気づかなかったの?シティは遺伝子バンクにあなたの『優秀な』資質を大至急残したいのでしょうね。また間違いを犯す前に。それとも、研究材料かしら?突然変異の」
 クリュセはいきなりアリシアの両腕をつかみ、彼女を壁に叩きつけた。
「どういうことだ、それは!ダッドとオレ自身だけでなく、オレの子供まで利用しようと言うのか!」
もの凄い力だった。痛みと恐怖で、アリシアは息ができなかった。手首が折れてしまいそうだった。
「答えろ!」
「あんたなんか・・・・・・私は・・・・・・・・・・・・・・!」
警備員が飛び込んできた。あばれるクリュセを、彼らは数人がかりでアリシアからひきはがした。
 取り押さえられても抵抗をやめようとしない彼の前で、アリシアは服の乱れを直した。そしてつとめて冷静に、言った。
「クリュセ、あんたはさんざん厚遇されてきたわ。それはあんたの能力ゆえだけど、能力を見出し伸ばしたのはシティよ。それなのに、あんたはシティに貢献するどころか、有害な思想を育てるのに能力の大半を費やしていた。あんたほどの人材を無駄にするのはあんた自身にはどうだか知らないけれど、シティにとっては不幸なことだった。でも私には、あんたに好き勝手させておくことの方があとあともっと大きな不幸をシティにもたらすように思えたわ!それなのに、あんたは帰ってきた。シティはあんたを追放前の身分に戻し、重要な職を与えた。それがあんたに対するシティの期待の大きさをそのまま表しているのに、あんたはそれがあたりまえとばかりに飄々としている。いいえ、あたりまえと思っているだけならともかく、まるで侮辱されたみたいなその態度は、いったい・・・・・・・・・・・」
「侮辱されたみたい、じゃない。侮辱そのものだ!生を受ける以前から洗脳されていたおまえに何がわかる!」
「もういいわ、連れていきなさい!」
アリシアは叫んだ。
 クリュセはまだ息をあらげながらも、おとなしく警備員に従った。部屋を出て行く時、彼はちょっとだけ立ち止まった。
「空白期以前に使われていた言語で、『アリシア』が『真実』を意味していたのがある」
「・・・・・・・・それが、どうかしたの」
「思い出しただけだ」




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