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REBIRTH・5章




 3度、枯れ葉舞い散る季節がやってきた。寒い時を前に、大地は動物たちに多くの食物を惜しみなく与えていた。豊かな秋であった。
 村人たちは冬場をしのぐための食料を集めるのに余念がなかった。男たちは狩りと保存食作りにあけくれ、女と子供たちは木の実や果物を取って歩いた。それは子供たちにとって恰好の遊びでもあった。実が鈴なりになっている枝を見つけると、歓声をあげながら木に登っていく。そして樹とその実りをしばしひとりじめにするのだ。
 地面を歩くのと同じように、枝から枝へと飛び回る子供たち。その姿をクリュセはまぶしげに見上ていた。
「落とすよ−−−−−」
突然真上から声がした。クリュセは声の方に振り向いた。木漏れ日が目が射た。固くばかでかい木の実がぼろぼろ降り、彼の頭にまともに衝突した。
「ばかやろう、いきなり落とすな!」
クリュセは頭上に向かってどなった。サークの妹が枝を揺すりながら、くすくす笑っていた。
「どくぐらいの時間はあったよーだ」
彼女は別の枝に飛び移った。長い手足が宙にひらめいたと思うと、また木の実の雨が降り注いだ。彼はぶつぶつ言いながら、実を拾い始めた。
 山から糧を得る。自然にあるものから必要不可欠な道具を作る。自然に育まれ、自然に決して逆らわない。それが彼らの生き方。
 そして、自然が与える悲しみもそのままに受け入れる。シティでなら、文明の下でなら助かるはずの命が、ここではあっさりと失われてもいた。
 前年の冬は、悲惨なものだった。夏場の雨不足がたたって、秋の実りがほとんどなかった。ふだんは食べることのない木の実や草まで食べた。飢えや、不用意に口にしたものにあたって何人もの人間が死んだ。飢えて凶暴になった獣に殺される者も出た。肉親の死を悲しむ村人の姿は、肉体的にも弱っていたクリュセをさらにうちのめした。
 なぜそんな恐怖まであるがままに受け入れる?
 食べるものはなく、火のそばにかたまってじっとしているしかない時など、村人たちの生き方を理解しようとしたのは間違いではなかったかと、クリュセは思った。知恵あるものならば、知恵でもって危険からのがれることができる。そして彼らにはそれだけの能力があるはずだ。
 クリュセは何度も長に訊ねた。知恵があるからこそ、人間は人間でいられるのではないか、と。そのたびに、長は言った。
「おまえが言う知恵とは、力か?」
長の言う「力」の意味が、クリュセにはわからなかった。
「我らは力のみで人となり、生きているのではない。心もまた、人を人とする。力を得るのはたやすい。しかし、それに心の成長が伴わなければ、今度こそ我らは大地に滅ぼされてしまう。我らは待たなければならない。いつか心も十分に熟し、どんな力を持っても大地と共に生きていけるようになるまでは」
「それはいつ来るのですか?いつまで待てばいいのですか?」
「わからない」
「オレは自分の街が嫌いだった。だけど、飢えて死ぬほど食うものに困ったことはない」
クリュセはすっかりやせ細った自分の手足を見つめ、言った。
「そうだな」長は悲しげに首を振った。彼にしても、ろくなものは食べていなかった。「だが、時はまだ満ちていない。私にはそれがわかる。それは長たる者だけが持つ力。我らに許されただけの力を皆に与えるのが長の役目。−−−−私は13の時に次の長に選ばれ、15でおまえにも見せたあの記憶と長の力を前の長から受け継いだ。長には、心が他の者よりも強く、たくましく、大きいものが選ばれる。かつての大地の姿、そして大地の声を代々伝えていくために。私は、つらかった。このように大きな役目をなぜ私が負わなければならないのだろうか。−−−−だが、今では私は知っている。我らはかつて、大地をあのように傷つけたのだ!そんな我らを、大地は許してくれた。我らはその慈悲に応えなければならない。そのためにも、目の前の悲しみに耐えなければならない。私も耐えよう。長であることの重荷に。大地の悲しみは、大地の苦しみは、はるかに大きかったのだから」
「しかし・・・・・・・・・・」
「おまえは大地を足蹴にして得た快楽も知っているからな。納得しかねることもあろう。しかしこれが我らの生き方。我らと共に、あるがままの自然に従え。おまえは我らと共に生きることを選んだのだから」
そして長はその卓越した精神力で、クリュセのシティでの記憶を封じ込めた。それは長だけが持っていてよいもの、持ち続けなければならないものなのだからと。
 自己そのものが消えてしまいそうな感触に、最初のうちは反発もした。しかし、帰ることのできない過去ならば、消えてしまうのもいいかも知れないという思いもあった。そして繰り返し封印されるうちに記憶は少しずつ薄れ、シティはもはや夢の中の出来事になりつつあった。
 クリュセの手が、木の実を握ったまま止まった。
 オレは、帰らなくていいのだろうか。
 過去からたったひとつ残った疑問。それは記憶がぼやけるにつれてかえって鮮明になってゆく。
 だけど、帰るってどこへ?なぜ?何のために?ここで生きることを自ら選択した。そして今では、わかっているのはここで生まれたのではないことだけ。それなのに?
「もう一杯になったわね」
サークの妻、リルの声にクリュセは我に返った。かごから木の実があふれていた。こぼれるのもおかまいなしに、クリュセの手は無意識にかごに実をほおりこんでいた。
 彼女は義理の妹を呼んだ。そしてクリュセと一緒に、集めた食料を村に運ぶように言った。彼はひとりでも大丈夫だと言ったが、リルは2人で行くように言い張り、自分が集めた分も彼らに渡した。
「行こ、クリュセ」
少女はふたつのかごのうち大きい方を彼に背負わせ、先に立って歩きだした。
 少女は歩きやすい道を選び、クリュセの歩調に合わせてゆっくりと村に向かった。
 村に来たばかりの頃に比べれば、彼はずっとたくましくなっていた。山歩きには慣れた。小動物なら狩ることも覚えた。知識の吸収には自信があった。薬草に関しては、村で一番と自負できるほどになった。
 しかし、村人が生まれながらに持っている身軽さは、とうてい身につけられるものではなかった。彼のそんな負い目を村の人々は皆承知していた。少女が大きい方の荷物をさりげなく彼に持たせたのも、それを少しでも感じさせまいとする彼女の心づかいだった。そんな気づかいが、時に負担に感じられた。
 そんな時、消え去ろうとしている過去が急に重さを増し、心にのしかかった。
 オレはこうしていていいのだろうか。
「クリュセ」少女は突然言った。「帰りたいの?」
「さあ・・・・・・・・・」
心をみすかした問いに、彼はどぎまぎした。
 少女は彼をからかっている時とはまったく違う表情で彼を見つめた。時々見せる、何かを訴えるような、大人びたまなざし。
「むずかしいんだね」
彼女はそれ以上何も言わず、足を早めた。
 すらりとした少女の後ろ姿を必死に追いながら、クリュセはまたも自分に問わずにはいられなかった。
 帰りたいとは思わない。
 でも、帰らなければならない。
 なぜそう思うのか。
 自然の二面性を恐れるからではない。よそものであることに疲れたからでもない。
 答は失われていた。根をなくした想いは、朽ち果てるのを待つばかりだった。



×××



「妻〜〜〜〜〜〜〜?!」
冬支度も終わったある夜。たき火をかこんで食事をしながらサークが言った言葉に、クリュセはおもわず叫んでいた。
「そんなに驚いてもらっても困るんだが」サークは耳をおおった。「オレが言いだしたんじゃない。オレが心配してやるべきだったとは思ったが・・・・・・・・・。長に、オレから話せと言われた。オレも、そのとおりだと思った。ここにずっといるのなら、いつまでもひとりでいるのはよくない」
「だけど、しかし・・・・・・・・・・・・」
クリュセは頭がくらくらしてきた。
「いやなら、いいんだが」
「だけど、その前にだな、そんな女がいるもんか」
サークは困って鼻の頭をかいた。
「なんか話の順番が・・・・・・・・まあ、いいか、おまえだって、その・・・・・・・無理と思えば、・・・・・・・・・・言いづらい、よな」
「順番に言って欲しいのはオレの方だ。どこからそんな話が出た」
クリュセは木切れを火に投げ込んだ。火の粉が音をたてて散った。
「おまえが来てからも何人か結婚したし、少しはわかっていると思うが、・・・・・・・・つまり、オレたちは成人の儀を無事終わって大人と認められれば、自由に結婚する相手を選べる。心がひとつになれる相手を見つけ、十分に気持ちを確かめあえたら、長に伝えて許しをもらう。そうやってオレもリルを妻にした。で、長に言う時には本人たちの心は、ふたりとも決まっているはずなんだ、が、まったく・・・・・・・・・・・。つまり、おまえと結婚する、と女長に言った女がいる、ってことだよ」
「誰だよ、そんな酔狂な女は」
「・・・・・・・・オレの、末の妹」
「−−−−−?!」
クリュセは余計にわけがわからなくなった。
 サークは不機嫌そうに妹を呼んだ。
 彼女は、飛ぶようにやってきた。
「話が違うじゃないか。困ってるぞ」
少女はクリュセの隣に腰を下ろした。
「いいんだ。知ってたんだ。気がついてくれてないことは」
彼女はぶっきらぼうに言った。
「それなのに、長に言ったのか?」
サークは問いただした。
「だって、このくらいしないと、クリュセ、鈍感だからわかってくれないもんね」
「・・・・・・・・そんなむちゃくちゃなこと、どうやってわかれと言うんだ」クリュセはしどろもどろになって言った。「おまえ、いつもオレをさんざんからかいのタネにしてくれたな。とろいだの、のろいだの、力がないの。しかし、そのことをどうこう言おうとは思わん。事実オレは子供と同じか、それ以下の仕事しかできん。その仕事も、女たちに何度も教えてもらってやっとできるようになったわけだし。だからこそ、余計にわからんよ。そんな役立たずと一緒になりたいだなんて・・・・・・・・。それだけじゃない、第一、オレは・・・・・・・・・・・・。いったい、何を考えているんだ?」
少女は微笑んだ。それはおてんば娘のそれではなかった。あたたかさそのものの笑み。そんなものを彼女はいつ身につけたのか。
「クリュセ。わたしたち、好き合った者同士が一緒になる。わたしはおまえが好き。おまえもわたしが好き−−−−だよね?わたしはおまえと一緒に暮らしたい。おまえにわたしの子の父親になって欲しい」
父親。その言葉に、クリュセの心臓は痛いほどにしめつけられた。
「ねえ、クリュセ。おまえの村では、それだけではいけないの?」
彼には思い出せなかった。
 自分が父親になる、その考えは非現実的に思えた。だが、笑い飛ばしてしまうには、あまりにも甘い響き。
 父親。この言葉になぜこうまで魅かれるのだろう?
「サーク、話は済んだか?」
男長と、年老いた女長がつれだってやって来た。クリュセたちはあわてて火のそばの一番いい場所をふたりに開けた。
 腰を落ち着けると、男長は言った。
「クリュセ、おまえはどうしたいか?」
「どうしたいかって・・・・・・・・・・。いえ、その前に、どうしてこんなことになったんです?あなたがたが認めなければ、それで終わっていたはずでしょう?」
「我々が認めるはずがない、と言いたそうだな」
「その通りですよ」
長は微笑んだ。
「望みが叶えられる時が来たのだよ、クリュセ」
「は?」
「おまえは我々とまったく違う育ち方をしていながら、成人の儀に耐える力を持っていた。ここで暮らす術も身につけた。心つなぐことのできる女もいる。もはやよそものであることに負い目を感じることは、ない」
「待ってください・・・・・・・・。そりゃあ、ただのごくつぶしではなくなったとは思います。でも、成人の儀なんて記憶にありません。とんでもなく大変なものだということは聞いています。でも、長とふたりきりで行うものだというし、どんなものか見たこともない」
「クリュセ、私がおまえに初めて会った夜のことを、覚えているな?あの時、私はおまえに、我らの先祖の記憶を与えた」
「あれが・・・・・・・・・・・・?」
「そうだ。おまえはあの苦しみを今もはっきりと蘇らせることができるだろう。あれに耐えられぬ者は、自然と共に生きていけぬ者。ここで生まれ育った者でも時にはふるい落とされる。−−−−おまえは我らに近い存在。おまえに会い、私はおまえを受け入れるべきだと思った。とはいえ、近いにすぎないゆえに危険でもあった。早すぎると思いながらも私はあの夜、大地の記憶をおまえに与えた。大地の慈悲を知らぬ、おごった心を消し去らなければならなかった。あれは、賭だった。大地の嘆きが聞こえなければ、肉体は生きたまま、おまえの心は滅んでしまっただろう。そうなったら私は、おまえを生まれたところに帰すべきだったと後悔しただろう。しかしおまえは耐えた。私は村の者に、おまえを受け入れるように命じた。おまえに生きる術を与えるように命じた。おまえはおまえにできるかぎりのことをした。そしておまえはこの娘の心を得た。そのことを、誇ればいい」
「だけど、長・・・・・・・・・・・・・」
「まだこだわるか、クリュセ?まよいは捨てよ。大地の心に適わぬことであれば、望みは叶わぬ。おまえのささやかな望みは、大地の望みでもあった」
「オレの、望み?」
 クリュセの中で、消えかかっていた記憶がひとつ、はじけた。それは、両親の顔だった。父と母と3人で暮らしていた、シティにいた頃の、たったひとつのなつかしい思い出。
 自分が父となり、子を持つことであの時を取り戻す。シティでは絶対に叶えることの許されなかった、だからこそ望むことなどないよう自ら封印していた願い。心の一番奥底にいつも抱きながら、その存在に気づかずにいた想い。
 あの幸せな時間を、ここで与えてくれるのか・・・・・・・・・・・・。
 男長は立ち上がった。
「心が決まれば、いつでも言いにきなさい。おまえに祝福を与えよう」
そして彼は女長に手を差し延べ、彼女が立つのを支えようとした。
「あ、あの」長たちが行ってしまう前に、クリュセはあせって言った。「今、では、いけないでしょうか?」
「今?」
「今!」
今をのがしたら何もかもうたかたのように消え去ってしまう。クリュセはそんな恐怖にかられていた。
 その場にいた誰もが唖然とした。中でも当の少女が一番うろたえていた。
「でも、そんな、急な・・・・・・・・・!」
サークは妹の手をしっかり握り、落ち着くように言った。
「おまえの選択は済んだ。ここから先は、彼の選択だ」
 男長はじっとクリュセを見つめた。
 そして女長と目くばせし、言った。
「いいだろう。少し、待ちなさい」
 男長は、結婚の儀の準備をするよう、次の長として老女長の身の回りの世話をしている娘に言った。彼女が長の家の方に走っていくとすぐ、森のあちこちが騒がしくなった。やがて三々五々、村人たちが集まってきた。
娘は真新しい赤い紐を2本と、獣の骨で作った櫛を持って戻ってきた。ふたりの長はそれをひとつずつ受け取った。
「本来ならば、太陽の光の下ですべきことなのだが」
「・・・・・・・・少しは、考える時間を持った方がいいでしょうか。そうおっしゃるのなら」
「クリュセ、おまえが心から何かを望んだのは、初めてだ。そうであろう?私は、それを大事にしたい」
 長たちはクリュセと少女に、火をはさんで向かい合って座るよう言った。そしてそれぞれの後ろに立ち、髪を結い始めた。ふだんは長だけに許されている、三つ編みに紐を編み込んだ髪形に。
 長の手を髪に感じながら、クリュセは少女の方を見た。彼女はすっかり緊張した面持ちで、目をふせていた。
 髪が編み上がると、クリュセは少女の隣に場所を移した。
 長はふたりそれぞれに、今使った櫛を渡した。そして言った。
「クリュセ、おまえにはあらためてこの名を与えよう」
「そして、リン、おまえをこれからそう呼びましょう」女長が少女に言った。「互いを伴侶に選んだ、今の心を信じ、育み、子らに伝えていくように」
 村人の間から、歓声があがった。
 クリュセは妻となった女に、おずおずと目をやった。リン、と名付けられた少女は目をあげた。ふたりの目と目が合った時、緊張がほぐれ、気持ちがひとつになるのを実感した。
 リンは満面の笑みを浮かべ、クリュセに抱きついた。
 クリュセは妻をしっかり抱きとめた。彼女を愛しているとは、今の彼には断言できなかった。だが、いつかは愛せるようになれる、とは思った。




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