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REBIRTH・4章(2)




 真っ暗だった。
 宙に浮かんでいる気分だった。
 死んだ訳ではなさそうだ。たちこめる枯れ草のにおいに辟易しながらクリュセは思った。手足が鉛のように重かった。後頭部はしびれて感覚がなく、まるでえぐられてしまったようだった。
 ここはどこだろう?
 問いに答えるかのように、かたすみにぽっと明かりがともった。あの人間に似た生き物が、小枝の火を油皿の芯に移していた。
 −−−−気ガツイタカ。
 彼は言葉を発した。クリュセには言葉そのものはまるでわからなかった。しかし彼が何を言いたいのかはなぜか理解できた。
 彼はクリュセのそばにしゃがみこんだ。そしてしげしげとクリュセの顔を見つめた。
 −−−−死ナナカッタ。ヨカッタ。
「オレを食うつもりじゃ、なかったのか?」
 口がまともに動かず、はっきりとした言葉にはならなかった。しかし、相手は返事をした。
 −−−−ソノツモリダッタ。モット前。
「前?」
 −−−−オマエノ方ガ強カッタ。オマエハオレヲ食ッテモヨカッタ。食ワナカッタ。傷ヲ治シタ。オレハオマエヲ食ワナイ。
 何のことか、クリュセにはさっぱりわからなかった。
 こいつ、一体、何なのだろうか?
 青年は自分を指さして言った。
「サーク」
 青年は薬草をはりつけた自分の肩を彼に見せた。そして彼の方を指して、続けて言った。
「く・りゅ・せ」
 クリュセは喉をつまらせた。
 なぜ、オレの名前を知っている?!
 サークと名乗った青年は、困惑して首をかしげた。そしてひょい、と立ち上がった。
 −−−−オマエ、腹ガヘッテル。食ベ物ヲ持ッテクル。ソコニ寝テル。
 言われなくても、寝ている以外何もできなかった。腕を持ち上げるのがやっとの重い体。吐き気を伴った頭痛。
 すぐに食われることだけはなさそうだった。だが、いつまで生かしておいてもらえることか。少しでも動けるようになったら逃げださないと。クリュセは気がせくばかりだった。
 そんな気持ちとは裏腹に、体は眠りを欲していた。いつの間にか、クリュセはぐっすりと眠っていた。



×××



 緑。緑。緑。どこまでも続く緑。
 たちこめる朝靄。
 オレは本当に生きているのか−−−−クリュセは自信が持てなかった。どこからやってくるのかわからない淡い光。そしてどこに行こうとしているのかわからない自分自身。彼は息をきらし、おののき、それでも足だけは止めようとしなかった。
 道とは思えない細いけもの道。なだれ落ちるような急勾配。うっそうと生い茂る木々に草。森が彼に襲いかかる。蔓や枝が執拗に体にからみついてくる。ふさがりかけた傷からかさぶたをはぎとり、新たな傷をつくる。
 どこか前の方で何かが動いた。
 クリュセは額の汗を拭った。手の甲から汗が玉となってしたたった。
 かすむ目であたりを見回す。風に木々が揺らぐ。枝から枝へ小動物が飛び跳ねる。
 大丈夫だ。心配することは何もない。クリュセはがくがくする膝をなだめ、岩場に体重をかけた。こけむした岩は朝露をたっぷりと含み、しっとりと濡れていた。
 足が滑った。クリュセは悲鳴をあげた。
 彼は坂をまっさかさまに滑り落ちていった。土や石が彼といっしょに崩れた。彼の手はつかまる物を求めて無為に空を切った。
 どのくらい落ちていったのか。気がついた時には靄はすっかり消えていた。
 オレは一体何をしているのだろう・・・・・・・・・・・。
 木漏れ日。静けさ。泥まみれになって寝ころがり、風の音をただ聞いているだけ。
 鳥のさえずり。せせらぎ。下草を踏みしだく音。
 踏みしだく音?
 何かが彼の方へ近づいてきた。クリュセは起き上がろうとした。肩に激痛が走った。
 枯れ枝が折れる音が響く。大型の生き物であることは容易に想像がついた。クリュセは息をひそめた。オレに気づくな、早くどこかに行ってしまえ、それだけを願った。
 やがて木立の中から音の主が姿を見せた。馬に似た、がっしりとした四肢を持つ動物が2頭。それはクリュセをめざとく見つけ、興味を持った。
 あせりがクリュセの中で空回りしていた。獣たちの動きを目で追うのが精一杯だった。
 これまで何度死ぬような目に会い、助かったことか。だが今度こそもうだめだ・・・・・・・・・・!
 断末魔の叫びが森に響いた。
 それが自分の声ではないことにクリュセが気づくのに、いくばくかの時間がかかった。彼はこわごわ目を開けた。獣の一頭にやりが深々と突き刺さっていた。もう一頭が逃げ去る後ろ姿がかすかに見えた。
 見開かれたクリュセの目は、別の動きをとらえた。あの『人間』が3人。パニックに陥った獲物を追い、さらに何本かのやりを突きたてる。獲物は四肢をけいれんさせ、やがてぴくりとも動かなくなった。傷からはおびただしい血が流れ、地面に吸い込まれていった。
 3人は獲物が間違いなく死んだのを確かめると、クリュセの方を向いた。その中に、サークもいた。
 3人はしばらく、獲物を囲んで何やら相談をしていた。やがて一人が山の上、村の方へ駆けていった。
 サークはクリュセのそばにしゃがんだ。
 −−−−イナクナッタカラドウシタカト思ッタ。オマエ、マタケガヲシテル。
 クリュセはおびえきっていた。彼の目には、残った一人が獲物の解体を始めた様子しか見えなかった。涙があふれていた。
 サークが手をさしのべた。その手をクリュセははじいた。
「寄るな、オレに触るな!オレは嫌だ、あんなのは嫌だ・・・・・・・・。オレもあんな風になるんだ、あんな死に方を・・・・・・・・・。いやだ・・・・・・・・帰りたい・・・・・・・・・・・・」
 クリュセの心は引き裂けかかっていた。サークにもそれが伝わり、彼に同じ痛みを与えていた。
 −−−−くりゅせ。オマエハオレヲ助ケタ。オレタチハオマエヲ食ワナイ。約束スル。大丈夫。オマエハチャントケガヲ治ス。妻ヤ子ノトコロニ、オマエハ帰レル。
 サークは必死になってクリュセをなだめた。しかしクリュセは子供のように泣きじゃくるばかりだった。



×××



 部族の家々は、一本の細い川を中心に森の中に点在していた。
 家の形はいろいろだった。枝がからみあってうろになったところに屋根をふき、石や土を積み上げたもの。岩棚に壁を作ったもの。雨風を避けるのに都合よくできているところを巧みに利用していた。一番多いのが急斜面に穴を掘ったものだった。クリュセが運び込まれていたのも、そんな家のひとつだった。
 クリュセは毎日、ほら穴の入口で何時間もただ座ってすごした。
 崖から落ちた時に打った肩、捻挫した足首は丹念に冷やして薬草をはってもらったおかげで、痛みはずいぶんひいていた。2、3日すれば歩くのに不自由はなくなるだろう。しかし彼は認めざるを得なかった。足が治っても、この世界でひとりで生きることは不可能だと。
 クリュセはもう何も考えたくなかった。
 これまでは、どう暮らしていたのか。
 今、どこにいるのか。
 これから、どうすればいいのか。
 何一つ、答えが出てこなかった。
「くりゅせ」
彼は我に返った。サークが立っていた。
「オマエノ心、ヘン。メチャクチャ」
クリュセはぷい、と横を向いた。
「薬ノ草ト食ベ物ヲ持ッテキタ。全部食ベル。元気ニナラナイト、妻ト子ノトコロヘ帰レナイ」
「妻と子、か。そんなもの、いない」
サークはきょとんとした。
「オレが帰るのを待っているのはひとりもいない。オレは街を追い出されてきたんだ」
「妻、死ンダノカ?」
「そんなもの、持ったこともない」
「オマエ、名前ガアル。一人前ノアカシ。ナノニ、妻、イナイノカ?」
「?」
「男モ女モ、一人前ニナッテ、自分ノ家ヲ持ツ時ニ、名前ヲモラウ。名前ハ、大事ナモノ。新シイ血ヲ残スチカラヲ認メラレタ者ダケノ、誇リ。オマエノ村デハ、違ウノカ?」
サークはクリュセをじっと見つめた。
「違う・・・・・・・・・・そうだ、何もかも、違う。オレは・・・・・・・つまり・・・・・・・・・・・・」
クリュセは目がうるむのを感じた。
「くりゅせ。全部ハ違ワナイ」
サークはきっぱりと言った。彼の迷いのなさに、クリュセはなおのこと気分が落ち込んだ。
「くりゅせ、オレハアシタカラ狩リニ出ル。シバラク帰ラナイ。ソノアイダ、オレノ妻ガオマエノ世話ヲスル。リル、ト言ウ。夕方、マタ来ル時、連レテクル」
クリュセはなんの反応も返さなかった。
 サークは、やれやれ、と立ち上がった。その時彼は、近くの木の上でひとりの少女がこっそりと様子をうかがっているのを見つけた。サークが叱りつけると、少女は枝から足をすべらせた。彼女はとっさにその枝に手をかけ、ぶらさがった。そして体勢をたてなおすと、スタッと地面に降りた。
「ドウシテココニ来タ。長ニ知レタラマタ叱ラレルゾ」
「ダケド、サーク、コノヒト、ワルクナイ、アブナクナイ、イッテル」
少女は好奇心いっぱいに近寄ってきた。サークがたしなめると、しかたなさそうに少し離れたところにしゃがみこんだ。そしてじっとクリュセを見つめた。ぶしつけで遠慮知らずな視線だった。クリュセはきまり悪くなり、横を向くと乾きかけていた涙をぬぐった。
「オレノ末ノ妹ダ」サークは言った。「困ッタ奴ダ。ドウシテ長ノ言ウコトガ聞ケナイ」
「ダッテ、ワカラナイ。ドウシテ、コドモハコノヒトニチカヅイテハイケナイ。ミンナイッテル。ミタイ。ハナシ、シタイ」
「オレが、子供たちをどうにかする、とでも思っているのか」
クリュセは言った。
「−−−−長ハ、ソウ言ッテル」
サークは答えた。
 クリュセは鼻先で笑った。
「自分の食うものすら調達できないオレが?いったい、何をどうやったら子供とはいえおまえの種族に危害を加えられるんだ?」
「オマエノ頭ノ中ニアルモノ。成人前ノ子供ニハ、ヨクナイ。子供ハ、スナオダ。ソノママ受ケ入レテシマウ。長ハ言ッテル。オレハ、ヨクワカラナイ。ダケド、長ガ言ウコト、正シイ。ソレダケハワカル。ダカラ、従ウ」
クリュセの目つきがけわしくなった。
「つまり、オレの存在自体が危険だと?それならばなぜ、2度も3度もオレを助けるようなマネをした。ほおっておけばいいじゃないか!何もしなくてもいい。それだけでオレは簡単に死んじまうさ。それではもったいないというのなら、さっさと殺せ。腹の足しにすればいいだろう!」
クリュセの頬に、サークの強烈な平手がとんだ。
「ダッタラ、オマエハドウナンダ!オマエハナゼ、オマエヲ食オウトシタオレヲ助ケタ!オマエハオレノ恩人。ダカラ、オレハオマエガ自分ノ村ニ帰ル時マデ、オマエノメンドウヲミル。オマエガツマラナイイサカイノモトニナラナイヨウニ気ヲツケル。ソレガオレノ役目。ソレヲオマエハチットモワカッテクレナイ!」
少女はひどくおろおろしていた。彼女はサークをなだめようとして、逆にどなられた。家に帰ってろと言われ、彼女は不満そうながらもおとなしく村の方へ戻っていった。
 妹の姿が見えなくなると、サークは続けた。クリュセから目をそらして。ともすれば、またどなりだしてしまいそうだった。
「くりゅせ。リルハオトナシイ女ダ。キツクアタルノハヤメテクレ。オマエガ危険ダト女タチニ思ワレタラ、オレハオマエヲ殺サナケレバナラナクナル。オマエノケガガ治ッテ、旅ガデキルヨウニナルマデ。ソノ約束デ、オマエヲ村ニ入レルコトヲ、長ニ許シテモラッテイルノダカラ」
 クリュセは頬を押さえたまま、ふらりと立ち上がった。彼は何も言わずほら穴の奥にひっこんだ。
「くりゅせ」
サークはおざなりに声をかけた。返事は、もちろんなかった。彼はため息をひとつつくと、山を下りていった。



×××



 何日も続いた雨がようやくあがったその日、森の下の方、村の広場からはにぎやかな声が切れ切れに聞こえてきていた。華やいだ雰囲気が枝のすきまからしみだすようだった。
 何かあるのだろうか。クリュセは初めて村のことに興味を持った。食事の時に聞けるだろう、と彼はリルが来るのを待った。
 そんな時に限って、リルはいつもより遅くにやって来た。彼女はどことなく楽しげで、いつもにくらべれば、という程度だが、うちとけた口調で村や子供のことを自分から話題にした。それまでは黙って食べ物を置いていくか、二言三言以上続かない話をぎこちなくするだけだった。
「今日は、何かあるのか」
聞きたいと思っていたことはなかなか喋ってくれず、クリュセは自分の方から訊ねた。
「オトコタチ、カエッテクル。オトトイ、ヒトリダケカエッタ。エモノ、タクサントレタ。オシエテクレタ。ミンナ、ゲンキ。ハヤク、アイタイ」
 ハヤク、アイタイ。−−−−その切実な言葉に、クリュセは自分の胸元を握りしめた。ぼろぼろになった彼の服にはサークの血がこびりつき、変色していた。
 狩りに出たまま、家族が2度と帰ってこない。
 突然の別れ。
 その悲しみを、クリュセは嫌というほど知っていた。あのつらい思いを、彼はリルにさせるところだったのだ。その事実に初めて、彼は思い当たった。だがその危険を犯さなかったのならば、彼は今、生きてはいない。
 クリュセは急にこわくなってきた。殺すか殺されるか。自分が生き延びるために、相手の幸せを砕くことも辞さない。それが彼らとの関係なのだ。
 サークは、クリュセが帰るまで世話すると言った。同時に、何か理由があれば、彼を始末するのも役目だと言った。
 しかし彼らとクリュセの間を取り持っているのは、中途半端な会話だけ。いつ意思の疎通が十分にできず、とりかえしのつかない誤解を招くか、わからない。
 こんな不安定さに、いつまで持ちこたえられるだろう?いつまで耐えられるだろう?
「くりゅせ。デモ、ワタシ−−−−」
 彼の気持ちを察して、リルが何か言おうとした。が、クリュセは心をふさぎ、聞くまいとした。ただでさえリルとの会話は難しい。彼女の言葉は簡単に聞こえなくなった。




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