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REBIRTH・4章(1)




 クリュセを乗せた護送機は、草原の真ん中に着陸した。
 緑がうねりながらどこまでも続いていた。はるか遠方に山々がかすんで見えた。空は晴れ渡り、淡い青が稜線に溶けていた。飛行機の中からは何度も見た光景。
 どこまで行っても壁も天井もない、だだっぴろい空間。足の下の不安定な土の感触。何ものにもさえぎられずに降ってくる太陽の光。これからここに、ただひとりほおりだされる。そう考えると脚が震え、ひざがくずれてしまいそうだった。しかしそんな醜態を見せる訳にはいかなかった。
 護送官はクリュセの手錠をはずし、ロープザックをひとつ渡した。それには携帯食料や薬などが1ヵ月分と、小型の銃が1挺入っていることが前もって知らされていた。それが未知の世界でどのくらい頼りになるかは、わからない。
「本当に残念です、キリエ・クリュセ」
3人の護送官のうち、一番若い男が言った。
「残念、ね」クリュセは肩をすくめた。「残念なのは何だ。オレの命か?オレの頭脳か?」
「あの・・・・・・・・・・」
「そのセリフも、マニュアル通りなんだろう。死刑囚への最後のはなむけってところか」
「追放は死刑ではありません。正常な市民生活を営むことができなくなった人に対する更生の方法として、最も過酷な手段を取らざるを得なくなっただけです」
白髪まじりの護送官がなめらかに言った。
「どう飾ったところで死刑は死刑だ。もう行けよ。あんたたちの仕事は済んだ」
彼らは一礼すると、さっさと飛行機に戻った。が、青年護送官は2、3歩足を進めたところで不意に振り返った。
 彼はしばらく唇を震わせていた。そして、やっとの思いで声をふりしぼった。
「私は、本当に、心から残念に思っています、キリエ・クリュセ。私はあなたが書かれた空白期以前の歴史の本を、すべて読みました。何度も。私も研究を志したのですが、十分な才能がありませんでした。だけどあなたのお気持ちをなんとかもっと身近に感じたいと航空士の資格を取り、地上を私の仕事の場としました。しかし、こんなことを命ぜられることになるとは思ってもみませんでした。・・・・・・・・・キリエ、あなたは、・・・・・・・・・・・・本当に、追放されるほどの罪を犯されたのですか?」
十代にしか見えない青年は、泣きだしそうな顔でクリュセを見つめていた。彼はそのまなざしにとまどい、背を向けた。
「おまえ、名前は」
クリュセは訊いた。
「エドベリです、キリエ」
早く来い、と老護送官がどなった。
 青年は丁寧に一礼すると、護送機の方に走っていった。やがて飛行機は西に進路を取り、まっすぐにシティ目指して飛んでいった。
 クリュセは見送らなかった。



×××



 夜がやって来た。クリュセが初めて体験する、本物の夜が。
 シティ住民にとって夜とは、睡眠をとるべく規定された時間にすぎない。一日の区切りとして活動を低下させる時間。自分であかりのスイッチを切り、暗闇を呼ぶ時間。
 意志に反してやってくる闇に、彼はとまどうばかりだった。そして寒さ。冷たい風というものも、知識でしか知らなかった。
 クリュセは刑務所で学習したとおりに火をおこそうとした。燃えやすそうなものを集めてライターの火を近づける。火は枯れ草に移り、ぱあっと燃え上がるとわずかな時間で消えた。もう一度やってみた。同じだった。木切れを燃やそうとする。つかない。学んだことがうまく実行できないのも初めてだった。夕闇と寒さが、クリュセをじわじわととりかこんでいった。彼は聞くに耐えない悪態をつきながら、何度も何度もライターをつけた。ようやくたき火らしきものができた時には、彼は冷や汗でびっしょりになっていた。
 彼は膝をかかえ、燃える炎を呆然と見つめた。シティの常識は、外の世界では通用しない。頭では理解していたはずのこと。それをいきなり現実として叩きつけられ、クリュセは自分がどれほど無力な者であるかをいやおうなしに自覚させられていた。
 追放された者がシティに帰りつくことができれば、恩赦を受け、以前の生活に戻れると刑法上には定められていた。しかし未だかつてその対象になった者はいない。クリュセの父親を含めて。−−−−しかし、オレは負けはしない、恩赦の第1号になってやる−−−−そんな彼の意気込みはすでにしぼんでしまっていた。
 ダッドもこんな心細い時間を過ごしたのだろうか−−−−。
 クリュセは自分自身を抱きしめた。寒かった。誰にも知られず、誰にも想像ができない形で命の火が消える。誰も泣いてはくれない。誰も憐れんではくれない。
 炎が揺らぐ。それは知らず知らずのうちに目にたまっていた涙のためだった。
 ダッド、ダッド・・・・・・・・・・!クリュセは父の膝を求めた。無骨で無教養だった、しかし温かかった父の膝を。
 −−−−むかしむかし、ひとびとは土の上にすんでいたんだよ・・・・・・・・・・。
 地上には何の暖かみもなかった。



×××



 クリュセの頭の中を、妙な話し声が飛びかっていた。それはシティで使われている現代語とも、彼が知っている20近い古代言語とも違った。言葉、というものとすら違っていた。それは音声ではなかった。音声や文字という媒体を利用せずに、認識そのものを彼に伝えてきた。
 クリュセは目を覚ました。
 たき火は衰え、わずかなおき火が点々としているだけだった。彼は目をこすった。乾いた涙で頬がひきつっていた。
 満月に近い月がモノトーンの世界を浮かび上がらせていた。そよ風が草をなびかせ、さらさら音をたてていた。
 夢だったのだろうか・・・・・・・・・。クリュセはおき火をかき回した。火の粉が散り、消えた。
 その時、誰かの意識がまたも飛び込んできた。
 危険−−−−−!
 クリュセは銃を探して、バッグをかきまわした。
 何かが闇の中にいる。
 彼は銃を握りしめようとした。夜気でこわばった手は、なかなか言うことを聞いてくれなかった。彼は両手で銃把をなんとかささえた。
 前にいるのか?後ろなのか?気のせいか?そうじゃない、確かに何かがひそんでいる。
 オレを狙っている。
 クリュセは震えていた。歯が鳴った。草影で何かが動いた。指に我知らず力がこもり、彼は引き金を引いていた。
 突然の反動に、彼は銃を落とした。その時、長い槍を持った影が彼に襲いかかった。
 −−−−エモノダ。
 −−−−エモノ、ダ!
 クリュセは身をひるがえした。彼のすぐ脇で土が飛び散った。別の影がすかさずとびかかった。槍の切っ先が彼の腕をかすった。彼は銃を捜した。腕の痛みで、彼はむしろ冷静になっていた。
 ここで死ぬのなら、それでもいい。しかし、ほんの数分であろうとも、運命に逆らってやる・・・・・・・・・!
 耳元で槍が空を切る。クリュセは石を敵に投げつけた。敵はひるむ気配すら見せなかった。槍がまた彼めがけてふりおろされた。脇腹に痛みが走った。服が地面にとめつけられ、身動きが取れなくなった。
 クリュセは槍を地面から引き抜いた。
 黒い影が、彼のすぐ目の前にいた。
 クリュセは目を固く閉じ、思い切り槍を突き出した。
 彼の脳神経に、激痛が走った。
 やられた!そう思い、気が遠くなりかけた。
 だが、痛みは急速に引いた。
 残ったのは、のしかかる重みだけだった。
 やった!
 一匹やっつけたことに安堵する間もなく、もう一匹の敵が近づいてきた。クリュセはめちゃくちゃに槍を振り回した。扱い慣れない長い棒はどんどん重くなっていった。そしてつるりと彼の手から落ちた。
 敵の槍が風を切る。クリュセは身をかたくした。切っ先は彼の上に倒れている奴の方を傷つけた。小さな悲鳴があがる。その時、クリュセの手は銃を見つけた。
 彼は銃を撃ちまくった。エネルギーが切れるまで。そして切れてしまっても。
 無為に引き金を引いていることに、エネルギーが切れてかなりたってから彼は気がついた。
 クリュセはそろそろと目を開けた。穏やかな闇が戻っていた。
 助かった・・・・・・・・・彼はその言葉を何度も何度も口の中でかみしめた。それが実感に変わると、自分にのしかかっているものが急に邪魔になった。彼はそれをはねとばすようにどけた。
 それはうめき声をあげた。
 彼はぞっとして、手を胸におしあてた。ぬるり、と手がすべった。服は血だらけになっていた。彼は気が遠くなりかかった。しかし、痛みはない、と気を取り直した。襲ってきた奴の血だった。彼は少し安心して、自分が倒した生き物を見た。
 −−−−人間?!
 彼が知っているホモ・サピエンスとは違うことは、わずかな月明かりでもわかった。だが、まったく違うけだものとも言い切れなかった。
 人間と同じ、直立歩行に適した体。器用そうな手。体毛はほとんどなく、長い髪は布で結われている。そして粗末とはいえ服を着、道具を使って狩りをする。そんな生き物が人間以外に存在するなどと、聞いたことがなかった。
 その生き物−−−−男、だった−−−−はまだ生きていた。浅く苦しげな呼吸を繰り返していた。クリュセはそれの首におそるおそる触れた。指先にぴりっと痛みが走ったような気がした。
 それは肩と腕に傷を負っていた。クリュセはライターの火を近づけ、傷の具合を診た。彼が突き出した槍の切っ先は、その生き物の肩を深くえぐりとっていた。
 クリュセは救急用品を出した。そして自分もケガをしていることをすっかり忘れ、それの手当てを始めた。止血をし、消毒薬を傷口に塗る。薬がしみるのか、それは時折弱々しくうめいた。クリュセはそんなことはかまわず、手際よく処置を済ませた。荒かったそれの呼吸は、やがて落ちついたものに変わっていった。
 その時、クリュセは気がついた。月が地平線に消えようとしていることに。
 もっと暗くなる!真っ黒になる!一時忘れていた恐怖が、クリュセの心に蘇った。
 彼は気を失ったままのその生き物を打ち捨てて、逃げだした。
 どこか安全なところへ!
 クリュセは何度もつまづき、ころげ、息もたえだえになりながらも走りつづけた。
 しかしどこが安全なのか、彼にわかるはずがなかった。



×××



 草原にただひとり取り残されてから十日たったことは知っていた。それも明日になれば、たぶん十日ぐらいだ、としか言えなくなりそうだった。
 クリュセは葦をがむしゃらにかきわけていた。背丈をはるかに超えて生い茂る草で、視界がまったくきかなかった。雲一つない空から太陽が照りつけていた。体温が上昇し、焼かれた皮膚が悲鳴をあげていた。彼の体には、汗をかく余裕はこれっぽっちも残っていなかった。容赦ない陽の光は、彼の理性をも蒸発させていた。
 水のことしか、考えられなかった。
 葦がゆれる音、すべてが水音となって彼の耳に響いた。そのたびに彼は歩みを止め、音の方へとさまよっていった。葦の葉が頬や腕を、ところかまわず切りつけた。血がにじんだ。なめると独特の甘味が口の中に広がった。
 オレは狂いかけてる。
 そしてこうも思う。狂いかけてる、と考えられるくらいならまだ狂ってはいない、と。
 クリュセは笑いだしたくなる衝動を必死になってこらえた。
 葦原はどこまでも続くように思えた。
 水の音。
 展望室のスプリンクラーの音。
 目を閉じれば、ほんのちょっとだけ閉じれば、スプリンクラーの霧に驚いて目を覚ます、そんな気がした。
 足の下から地面が消えた。
 クリュセは前のめりに倒れた。
 息ができなくなった。
 クリュセはめちゃくちゃにもがいた。ほんの一瞬空気に触れたかと思うと、息をする間もなく気管はふさがれた。
クリュセは必死に手を伸ばした。何かが指先に触れた。
 彼は葦にしがみついた。そして川岸によじ登った。
 ぜいぜい言いながら、ようやく一息ついた彼の目の前は、きらきらと光っていた。
 彼の目を覚ましたのは、スプリンクラーなどではなかった。もっと大量の、水。
「・・・・・・・・・・・・水、だ!」
 クリュセは川の中に飛び込んだ。
 川に顔を突っ込み、無我夢中で水を飲んだ。
 むせながら、飲んだ。
 砂まじりの茶けた水は、焦げかけていた彼の体を急速に冷やしていった。
 萎えた心が再び張りつめてきた。
 まだ生きられる。
 クリュセは川の流れにそっと身を沈めた。
 シティでの生活は、もはや現実とは信じられなくなっていた。住民の大半も、追放者のことは忘れてしまっているだろう。
 だが、オレをはめた奴らには忘れさせはしない。クリュセは自分に言い聞かせた。何年かかろうと、オレはシティに帰る。
 そして必ず、オレの−−−−そして、ダッドの無実を晴らす。
 彼の回りで、葦がさらさらと鳴った。
 不意に、冷たいものが彼の背筋に走った。
 前にもこんな感触があった。−−−−それは、最初の夜。
 クリュセは急いで川をさかのぼった。落ちた場所からかなり下流に流されていた。
 ザックはどこだ?銃は?急げば急ぐほど、足は川底をまともにとらえられなくなった。行きたい方向とは別の方向に押しやられていた。簡単に芽生える自信が、より簡単に揺らぐ。こんなことでシティに帰れるのか?ここでは一瞬のすきがそのまま死へとつながっているというのに!
 寒気がさらに強くなっていった。ふるえが脳にまで達した時、あの時と同じ感覚が彼の意識に飛び込んできた。
 −−−−エモノ、ダ!
 そして彼は知った。葦原のそこここに、あの生き物がひそんでいた。2匹やそこらではなく、たくさん。
 まだ生きられる、と思ったのはついさっきのことだった。それなのに、またも死を覚悟しなくてはならないのか?
 川に肩から下を沈めたまま、クリュセは凍りついた。銃はない。自由に動くことすらできない。
 狩猟者たちが彼を取り囲もうとしている。聞こえるのは葦が鳴る音だけ、しかし脳に直接飛び込む感覚でわかった。
 襲われる!
 心の中で叫んだ瞬間、すぐそばからあの生き物が飛び出した。長い髪が陽を受けて踊る。それはらくらくと流れを飛び越え、中州に立った。細く長い手には短いやりを持っていた。
 クリュセは流されるように下流へ動いた。狩猟者は獲物をじっと見つめ、動く気配を見せない。彼はさらにあとずさった。川底が少し浅くなった。水から出るべきか、それともこのまま流された方がいいのか?
 どちらの方が、少しでも長く生きられる?
 背後で物音。
 クリュセは振り向けなかった。やっとわかった。姿を見せた奴は、獲物を仲間の方へ追いやるのが役目だったのだと。
 オレはこいつらに食われるのか?嫌だ、そんな死に方だけは嫌だ!
 棍棒をふりおろそうとする敵のシルエットが視界の端に入った。
 ヤメロ!−−−−誰かが遠くでそう叫んだ気がした。




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