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REBIRTH・3章(1)




 −−−−むかしむかし、ひとびとは土の上にすんでいたんだよ・・・・・・・・・・。
 −−−−ひとびとが長い長いねむりにつくまえは、みんな土の上でくらしていたんだ。
 −−−−そとはあぶないところなのに、なぜかって?むかしはそんなことはなかったのさ。土の上はとっても広くてきれいなところだったんだ。それをひとびとはすててしまった。−−−−どうして?さあ、どうしてだろうね。
 −−−−今日は何のはなしがいいかな?エジプトの王さまのはなしかな?ギリシアの神さまの方がいいか?それとも、べつの世界をさがしてぼうけんのたびに出たひとのはなしにしようか・・・・・・・・・・・。

×

 クリュセは目を覚ました。
 枕元に液晶の光がぼんやりと浮かぶ。午前3時すぎ。朝までまだかなりあった。
 −−−−またダッドの夢か・・・・・・・・・。
 この何日か、繰り返し見る全く同じ夢。
 クリュセは目を閉じた。
 しかし、もう眠れそうになかった。
 彼はベッドから起きだし、机の引き出しから写真を出した。旧式のホログラフィ・カメラで撮った、1枚しかない家族3人の写真。
 父親は油に汚れた作業着を着、ごつい腕に息子を抱いている。隣には夫よりずっと背の低い母親がよりそって立っている。クリュセの3才の誕生日。父は息子に髪をひっぱられ顔をしかめながらも、目はいとおしそうに息子を見つめている。
 父親の膝の上で、昔話を聞くのがクリュセは大好きだった。
 −−−−むかしむかし、ひとびとは土の上にすんでいたんだよ・・・・・・・・・・・。
 クリュセが小さな頃、何度も何度も聞いた、そして決して聞き飽きることのない話は、必ずこの言葉から始まった。
 クリュセの父親は、10才までの初等教育をローワーの子弟にふさわしい成績で終了した。そして、それ以上の教育は必要なし、と教育委員に判断された。適性検査の結果、日用品を造る工場での単純作業に就き、25才で−−−−現在のクリュセと同じ年だ−−−−地上に追い出されるまで毎日同じ仕事を繰り返していた。無学な、つまらない歯車にすぎない男だった。
 そんな彼だったが、昔話はいっぱい知っていた。一万年に及ぶ長い空白期以前の話。高等教育を受けた連中なら「歴史」と呼ぶ物語。それを毎日のように、彼は息子に語って聞かせた。
 −−−−ダッド、どうして?
クリュセは何度もそう訊いて、話をさえぎったものだった。答えられる質問もたまにはあったが、たいてい父は困った顔で息子を見下ろした。そして、言った。
 −−−−さあ、どうしてだろうな。それは自分でべんきょうしてかんがえてごらん。おまえはダッドよりずっと頭がいいんだから。
 頬ずりする不精ひげの痛かったこと、寸足らずな喋り方、手の温かさ。クリュセはそのひとつひとつをはっきりと覚えていた。
 しかし父が逮捕された日のことは、ぼんやりとしか記憶に残っていない。
 その日いつものように学校から帰ると、めちゃめちゃに荒らされた部屋で母は呆然と座り込んでいた。ダッドはもう帰ってこないんだよ。彼女はそれだけ言うと、息子を抱きしめ、泣き崩れた。母が泣いている理由が幼いクリュセにはわからなかった。
 母の涙を見たのは、後にも先にもそれ一度きりだった。
 あれから20年。
 人に後ろ指をさすがままにさせ、クリュセは父の無実を盲信していた。彼は今も、事件の概要すらよく知らなかった。知っているのは、エリートを殺して追放されたということだけ。ぬれぎぬをはらそうといろいろと調べ回ったがために、父を信じることすらできなくなるのが怖かった。
 −−−−本当に無実を信じるのなら、いつまでも逃げているわけにはいかない・・・・・・・・・・。
 母の死期がせまっていることも、クリュセの心に重くのしかかっていた。事件の関係者たちも母と同じように年老い、病を得、そして死んでいっていることだろう。20年。それだけでも十分重い時間の流れは、決して戻ることなく積み重ねられていく。そして事実は少しずつ削り取られ、その姿はうつろになっていく。
 しかし今度も決心がつかないまま、クリュセは写真を引き出しに戻した。



×××



「以上がイエルマの公式の概要である。これを図形で表現すると、このようになる」
クリュセは教壇に立っていた。その頭上に、クラインの壺をいくつも重ねたようなねじ曲がった原色のホログラフィがぽっと浮かんだ。
 400名は座れようという階段状の教室に、学生はわずか40名ほど。数学、物理学などを専攻する学生の中でも、特に優秀な者ばかりだった。
 教育はターミナルを介した個別指導がカリキュラムのほとんどを占めていたが、講義形式の授業もなくなることはなかった。同レベルの学生を集めての授業は互いの学習意欲を高める効果が認められており、さらにエリートの場合は、同期生の仲間意識を良きにつけ悪きにつけ強めていた。
 クリュセはそんな効能は関係なしに、集合講義を好んで行った。機械を通しての教育は肌にあわなかった。たてまえにもかかわらずローワーの子弟には教育用ターミナルは与えられず、初等教育の全カリキュラムが子供を学校に集めて消化された。クリュセはターミナルでの学習をエリートに入って初めて経験した。そのせいかも知れなかった。
 人に教える仕事は、嫌いではなかった。ローワーの子供の勉強をみるほうがずっと楽しかったが、エリート相手も悪くはなかった。学生が熱心で、講義についてくる能力がある限り。クリュセは、これと見込んだ学生にはとんでもなくきびしい、しかしきわめて的確な指導をした。同時に、彼が設定する基準を学生が満たしていないとみなすと、容赦なく切り捨てた。あるいは単に、気に入らない奴だから、という理由で。
 彼の指導方法にかなりの批判も出ていたが、彼は意に介さなかった。
 『あんたたちがやっていることを、オレもマネしているだけですよ』
 理学部長を初めとする管理職たちに一度ならず、そう言ってもいた。実績さえ作っておけば、あんたたちには何もできないんだ。腹の底でせせら笑いながら。
 そんな彼の講義も、このところ精彩を欠いていた。誰に言われた訳ではない。彼自身が自覚していた。理由はある。しかし言い訳にはならない。そんなふうに自ら考え、手抜きをしようにもできない自分の性格がうらめしかった。本当は講義なんかすっぽかして、母の手を握っていたいのに。
「ただし、これを完全に図形化するためには八次元の空間が必要なため、我々の認知できる範囲内では不可能だ。これは視認できるようユークリッド空間に変換したものであることを理解しておいてもらいたい。さて、x以外の数値を全て5としてxを変化させていくとその点の描く軌跡は・・・・・・・・・・・・」
 クリュセはホログラフィ・コントローラーのボタンを押した。その時、図形はふっと消えた。主電源が切れていることをコントローラーの表示は示していた。
「誰か調整室に行って、メイン・コンピューターの様子を見てきてくれ」
 彼がそれだけ言い終わらないうちに、教授者用の入口から3人の男がどやどやと入り込んできた。そしてクリュセの前に立ちはだかった。
 彼らはおざなりに一礼すると、言った。
「キリエ・クリュセ、我々は警備局第3課の者です。ただちに我々に同行していただきます」
「何の用だ。いや、何の用でもかまわん。講義中だ。話があるなら後にしてもらおう」
「猶予は許されておりません」リーダー格の男がふところから紙を一枚出し、クリュセの目の前に広げた。「あなたに逮捕命令が出ました。殺人容疑です、キリエ」
 学生たちが一斉にざわつき始めた。
 クリュセは令状をまじまじと見つめた。何度か読み返し、それが正式な書類であることを納得すると、彼は笑いころげた。
「殺人、ね。オレが人を殺した、だと?今までさんざんおもちゃにされてきたが、ここまできつい冗談は初めてだ!」
クリュセの反応を気にも止めず、警備官は義務的に言い始めた。
「現時点より嫌疑が消滅するまで、あなたの権利は制限され、警備局の監視下に置かれます。あなたが持ちうる権利はこれより述べる5点に限られます。一つ、・・・・・・・・・・」
教室の中に、警備官の言葉だけが響いていた。学生たちはしんと静まり返り、目の前で起こっていることを見つめていた。
「ひとつ加えて申し上げますが、あなたは今のところ容疑者にすぎません。あなたの身分を考慮して、刑が確定するまではそれ相応の処遇を考えております。こちらの指示に従っていただくほうがよろしいかと存じます」
「それにしては、ずいぶんと乱暴だな。そんなにご丁寧な扱いをしてくれるのなら、講義が終わるまで待っているくらいできそうなものだ」
「あなたほどの人物に令状が出るのは、慎重に慎重を重ねた捜査の上でのことです。あなたへの嫌疑が相当強いこともお忘れないように願います、キリエ」
クリュセは鼻を鳴らした。
「あんたたちの言い分はわかった。ちょっと待ってろ」
彼は学生たちの方に向き直った。
「聞いてのとおり、本講義の続行は不可能になった。申し訳ないが、今日はこれで解散する。では、宿題を出しておく。次の章で扱っている『フェンダーの定理』についてだ。23世紀にフェンダーが不可能の証明をした、と言われているものだが、『した』とフェンダー自身が書き記しているだけで本当に証明されたのかは全く不明、というエピソードの残る定理だ。過去の証明の失敗例を分析し、その問題点を指摘しておくこと。次の講義がいつになるかはわからんが、じっくり取り組んでもらうだけの時間はありそうだ。もしまかり間違って証明に成功した者がいたら、正直に言ってくれ。名誉を横取りされるかも、なんて心配はしないでな」
ふと笑いを漏らした学生がいたが、それはすぐに飲み込まれた。その様子に、クリュセは口のはしに笑みを浮かべた。
「さて、行こうか。嫌なことはさっさと済ませるのがオレの主義だ」
 彼は先に立って教室を出た。警備官たちはあたふたと彼のあとに続いた。
 学生たちが再びざわめき始めたようだった。
 さっさと歩いていってしまうクリュセを、警備官が押し止めた。
「お待ちください、キリエ。どちらへ行かれるおつもりですか?」
「一度部屋に戻る。講義の資料なんか持っていてもしょうがないだろう」
「ご自宅への立ち入りは認められません。先程申しあげた権利内容に明言はされていませんが、そう理解していただくのに無理はないでしょう」
「わかったよ。ほれ」クリュセはファイルを投げるように渡した。「そのうち、これも証拠として差し押さえる、と言いだすんだろう」
「そんなことも、あるかもしれませんね。とりあえず、おあずかりしますよ」
警備官はファイルをばかていねいに押しいただいた。
「面会の自由はあると言っていたな」
「弁護人ですか?ご希望の者がおありなら、おっしゃってください」
「母に会いたい」
「ローワーの?」
警備官は失笑した。
「そうだ。よく知ってるな」クリュセは唇をかんだ。「病気なんだ。もう長くない。できるだけ、そばにいてやりたいんだ。1日最低1時間の面会を要求する。それだけ許可されれば、あんたたちの好きなだけ監禁されてやる」
「キリエ・クリュセ、いくらあなたがトップ・エリートでもその言い方は納得できません。それを決めるのは我々の方だ。それをご理解いただいた上でお答えしますが、事情はどうあれ、認められませんな。第一、お会いになってどうするおつもりで?ちょうどいい機会ではありませんか。今後ローワーとは一切関わりを持たれないほうが、ご自身のためではないのですか?」
「どういうことだ?」
クリュセは訊いた。これまでさんざん言われてきたのとは違う意味合いを含んでいるような口調に、嫌な予感がした。
「逮捕状にはそこまで細かいことは書かれていませんからね。何も知らないことを強調して、無実を主張なさろうと?それならば、なおのことおやめなさい。セルキュラー携帯義務をわざと忘れてローワー区に出入りするなんてことをしていなければ、ローワー殺しの嫌疑をかけられることもなかったはずなのですから」
 クリュセは愕然とした。
「オレが・・・・・・・・ローワーを?よりによって?どうしてオレが、そんなことをしなければならないんだ!」
「誤解なさっては困りますな。それを聞きたいのは我々の方だ」警備官は高飛車に言った。「まあ、そういうことですので。この件は認めませんが、だからといってそう何もかもむやみには制限しませんよ」
 警備官は先に進むよううながした。
 2度、3度と強い口調で言われて、クリュセはやっと足を前に出した。
 この様子では、もっと上の立場の者に正式に申請したところで、母との面会が認められるとは思えなかった。母をこちらに呼ぶことができるならまだしも。すでに病院から動かすことはできなくなっている。
 今をのがしたら、2度とマムに会えない−−−−。
 振り向きざまに、クリュセは警備官を突き飛ばしていた。
 そして逃げた。
 マムのところに行かなければ。看取ることはできなくても、せめて一度なりとも手を握り、声をかけ・・・・・・・・・。
 こんな突然の別れは、もう嫌だ−−−−!
 クリュセは狭い通路に飛び込んだ。抜け道はいくらでも知っていた。ほとんど人の通らない通路。さびかけた作業用はしご。階段を駆け上がり、空き部屋を抜け、逃げ回る。逃げきれるとは思わない。病院に先回りされるのはわかりきっている。それでも何もせずにはいられなかった。
 足が動かなくなってきた。クリュセは息をきらしながら、階段をもう数段だけはい上がった。非常灯に照らされた地区番号を確かめる。めちゃくちゃに走り回ったわりには、かなり都合のいい所にたどりついていた。その近辺には、ノーマル区への急行エレベーターが数多くあるはずだった。
 非常階段から通路へのドアを薄く開けて、彼は外の様子をうかがった。数組の人間が談笑しながら歩いていた。平穏無事な様子。クリュセは外に出てみた。すぐに逃げられるようドアのそばに、人待ち顔で立つ。誰も彼に特別な関心は払わなかった。
 しばらくして彼は何食わぬ顔でゆるゆると歩きだした。エレベーターへと向かう。ローワー地区までたどり着ければ、抜け穴はそれこそ山ほどあった。
 目の前の曲がり角から突如、警備官が数人現れた。振り向けば、後ろにも。 クリュセは完全に取り囲まれていた。
 彼ははっとして耳に手をやった。セルをつけたままだった。
 −−−−これでは捕まえてくださいと言っているようものだ−−−−−−!
「困りますな、キリエ。協力していただかないと、ご自分をますます困難な立場に追い込むことになるだけなのですがね」
 クリュセは前と後ろとを見比べた。後ろの方が人数が少なかった。銃は持っていない。クリュセはセルをもぎ取り、投げ捨てた。そして包囲網に思い切って体当たりした。突破し、さらに走る。
 しかし、もう逃げられなかった。少し走っただけですっかり息があがり、足が前に動かなくなった。大勢の警備官はあっという間に追いつき、彼を取り押さえた。
 彼は頭を床に力まかせに押しつけられ、両腕をねじあげられた。手錠をかける音が小さく響いた。
「頼む、マムに会わせてくれ!それだけでいいんだ−−−−−!」
息がつまりそうになりながら、クリュセは叫んだ。
 しかし誰も聞いてくれなどしなかった。



×××



 身柄を拘束された部屋は、快適といえた。
 机とわずかな身の回りの物を置けば一杯になる部屋と寝室にバスルーム。エリート・クラス用の部屋に比べればずっと狭いがこぎれいだった。中から鍵が開けられないこと、四六時中監視されていること。それさえなければノーマルクラスの独身用コンパートメントと変わらなかった。バスルームまでは監視されておらず、運動不足になりがちなこと以外は特に不都合はなかった。特別に図書館のコンピューターと直結した端末が与えられ、クリュセは日がな一日机に向かって過ごした。
 考えることは山ほどあった。そしてそのどれもが考えてもしかたのないことであり、それならば忘れてしまいたかった。彼はくだらないディスクを読みふけることで気をまぎらわそうとして、失敗していた。
 クリュセは耳に触れた。そこにセルはなかった。あんなに嫌っていた小さな機械が、今は欲しくてならなかった。あれがあれば、母親の担当医を呼び出して病状を直接聞くことくらいはできる。しかし今、彼の方から呼び出せるのは図書館と監視責任者だけだ。
 外に出られるのは1日2時間、事情聴取の時だけだった。「おまえがやったんだな?」「違う」。要約すれば、たったそれだけのやりとりがされるだけの時間。
 ローワー地区で起きた傷害致死事件。飲食店、いわゆる「飲み屋」で口論の末、男がひとりガラス瓶の破片で刺されて翌日に死んだ、という事件だった。犯人は逃走。目撃者から得られた犯人の特徴は、背恰好、容貌、髪の色から目の色に到るまでクリュセに一致した。犯人が使ったグラスに残された唾液から割り出した血液型もだった。
 しかし、それだけでエリートにまで捜査が及ぶだろうか?ローワー区にひんぱんに出入りしているのが公然の秘密だとしても?
「もちろん、それだけならエリートの身柄を拘束する理由にはならないでしょうね、キリエ。該当する人間が他に出なかった訳じゃないんですよ」5日目になってやっと、捜査官は言った。「犯人は指紋も残しているのです。グラスと凶器にね。はっきりとではなかったので、少々手間取りましたが」
「指紋?!なんでそんなものがあったんだ?」
「結論はおわかりでしょう。私どもはご自分の方から進んで証言してくださるのを待って、証拠があがっていることを黙っていたのです。第一、あなたは逮捕時に逃げだしたではありませんか」
「母に会いに行こうとしただけだ。面会がすぐに許可されたのなら、あんなことは−−−−オレの、判断ミスだ」
「そういうことにしておきたいのでしたら、それでもいいですよ。しかしですね、キリエ・クリュセ、証拠はかたまり、事件は次の段階に移っているのです。いい加減にその点をわかってください。いいですか、あなたのされた行動も問題だが、しょせん被害者はローワーでも特に単純な作業を仕事としていた者です。自発的に証言されれば、罪はいくらでも軽くできます。今からでも十分間に合いますよ」
トップ・ノーマルの捜査官は、言葉づかいとは裏腹な、軽蔑をこめた口調で言い放った。
「何といわれようと、オレはその時その場にいた覚えはない!まして人を刺してなどいない!」
「やれやれ」捜査官はため息をついた。「失点を増やすのがお嫌なのはわかりますけどね。あなたにとって失点のひとつやふたつ、いまさらでしょう?その程度のことで済みますから、さっさと終わらせませんか?」




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