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REBIRTH・2章(1)




『“PROGRAM 21 #3
    イエス・キリスト及びキリスト教初期教会”

 わたしたちの直接の先祖が長い眠りから覚めて何年たったか。それが今の年の数え方です。
 では、眠りにつく前は、どう数えていたのでしょう?
 世界中にたくさんの文明が生まれ、おたがいの存在を知らなかったころ、あるいはそれほど深くつきあっていなかったころは、みんな自分たちのこよみを作り、てんでばらばらにつかっていました。
 しかし乗物の発達で世界がぐんと近くなり、さまざまな交流が生まれるようになると、別々のこよみを使っていたのでは不便です。そこで共通のこよみとして使われたのが西暦です。西暦というのは、ある人がうまれたとされる年を基準にしたものです。
 イエス・キリスト−−−−これがその人の名前です。彼は30年といわれる短い生涯の間に、ヨーロッパの文化のみなもとともいえる宗教をおこした人です。
 彼について言い伝えられていることをみなさんにお話しましょう。魔法みたいなはなしもたくさんありますが、そんなことぜったいにあるもんか、とあたまから決めつけたりしないでください。伝説に本当の話がかくされているのはよくあることなのですから。 』
 クリュセはキーボードを叩く手を止めた。
 ディスプレイに表示されている文を読み直し、彼はため息をついた。子供向けの歴史書より、学会用の論文の方がずっと簡単だ、と。
 彼はノートの電源を切った。そして一瞬ためらった後、窓のシールドを上げた。
 エルサレム発イルクーツク行きの飛行機。外はちょうど真昼だった。茶けた大地が地平線まで広がっていた。その上に常緑樹の暗い緑がまだらに模様を描いていた。はるか向こうにそびえる山々は白く雪化粧をしている。茫漠とした空間に、クリュセは落ちていきそうな恐怖を覚えた。展望室からほんのわずか地上をかすめ見るのとは全然違う感覚。それを必死に抑え、彼は外の風景を見つめた。
 めまいはすぐにおさまった。最初は飛行機に乗るだけでも怖かったのが、何度も飛ぶうちに少しは慣れたようだった。クリュセはこめかみをさすりながら、ひっそりとたたずむ冬の大地を見下ろした。
 資料に残る一万年前の地球は、満身創痍であった。西暦2500年代。毒性物質と放射能、そして紫外線とで、どんな生き物も自然のままでは生きられなくなっていた。人間しかり。健康な者は皆無、平均寿命は30年までに短くなっていた。環境汚染で荒廃した地球は、人間の力ではもはやどうすることもできなかった。自然の自浄作用に頼る以外、方法はなかった。
 人類は100近い数のシェルターに分かれ、いつまでともわからぬ長い眠りにつくことを選んだ。地球が再び生き物の星となる時が、目覚める時が来ることを信じて。
 それから一万年。
 目覚めたのは全コールドスリーパーの2割。シェルターの都市機能が復活するまでに生存者はさらに減った。多くのシェルター都市で市民が全滅していく中、現存の5都市−−−−イルクーツク、エルサレム、ベイジン(北京)、ラサ、ソルト・レイク・シティ−−−−のみが文明の消滅に歯止めをかけた。そして減るばかりだった人口は、ようやくゆるやかに上昇を始めた。
 生命の存在が再び許された大地。
 だが、人類が地上に広がることはなかった。
 青々とした大地を見るたびに、はかない期待がクリュセの胸をよぎる。ダッドも、この広大な土地のどこかで生きているのではないか。他の生き物たちと、どこかで。
 しかし、外の世界で人間は生きられない。
 外の世界で生きていこう、などと考えてはいけない。
 現代の人類は、狭い都市でいかに生きていくかだけを考えている。それでいいとクリュセは思う。自然と共に生きていけるほど、人類は成長していない。いや、成長はしない。
 人間は、決して反省しない。
 歴史とは、人間のそんな愚かさを繰り返し繰り返し証明するだけのものなのだろうか?
「キリエ・クリュセ」
女の声に、物思いは中断させられた。
「ミール・サーヴィスです。メニューをどうぞ」フライト・アテンダントはどことなくひきつった笑みを浮かべてメニューを差し出した。「本日の昼食は3種類ございます。どのコースになさいますか?」
「いらん」
クリュセはメニューを突き返した。
「でも・・・・・・・・・。エルサレムを発ってから、何も召し上がっていないのでは?」
「余計なお世話だ。・・・・・・・・・茶は一杯もらおうか。レモンなんか絶対に入れるな。砂糖もいらん。温めたミルクと別々に持ってこい」
「かしこまりました」
アテンダントはさっさと背を向けた。
「冷たいプラスチックのカップなんかごめんだ。わかってるな」
彼女はおざなりに振り返って返事をした。シールドの上げられた窓を不快そうに一瞥して。
 クリュセは彼女の視線に気づき、シールドを開けっ放しにしておいてやろうか、とちらりと思った。その時、機首が向きを変え、日光が直接差し込んできた。彼はあわててシールドを降ろした。
 機内と外界は完全に関係を断ち切られた。冬の弱々しい太陽にすら驚いた心臓は、少しずつ平静さを取り戻していった。
 クリュセは小さくため息をつくと、ノートのスイッチを再び入れた。10時間のフライト中に打ち込んだ文を読み返し、さっきのとは全然別の意味のこもったため息をつく。
 子供向けの文は難しい。集中力の形成されていない子供の興味を引きつけなければならない。しかも、限られた語彙の中で。
 細かいところは後で悩むことにして、クリュセは続きの文を打ち始めた。



×××



 定期便は月に1、2便。そしてチャーター便が半年に1便あるかないか。それが各都市直接交流のすべてだった。
 到着ロビーには、目的地までの案内を命じられた係員、あるいは出迎えの家族、友人が多数待っていた。ゲートの向こうに到着便から降りた客の姿が見えてくると、それぞれが目指す相手を探してロビーはごったがえした。飛行機が着くたびに繰り広げられる、狂喜としか表現しようのない再会のばかさわぎ。事故は空港ができたばかりで運営に不慣れだった頃に起きたきりだし、飛んだあと原因不明の病気で誰かが死んだなんてことは噂すら聞いたことはなかった。それなのに人々は、外に出ることに過剰な反応を示す。
 クリュセはそんな混乱を避けてゲートの手前でしばしたたずみ、はるか向こうに見える飛行機離着陸口をながめていた。滑走路を示すランプの列は、四角に切り取られた太陽の光を指している。しかしそこから何かおもしろいものが見えるわけではなく、すぐにあきてしまった。喧騒がおさまり、人の姿が三々五々消えていくと、彼も到着ロビーに入った。
 久しぶりの、故郷の街だった。ラサでの学会に出席したついでに他3都市もひとまわりし、各地の図書館や資料室にこもっているうちに、いつの間にか半年たっていた。
 歴史資料は各都市に分散してしまっていて、それぞれの図書館に直接請求する以外手に入れる方法はない。それも、専門外のキリエでは大幅な制限がついた。それで出発前、彼は権限拡大を教育庁に申請した。担当者はしぶっていたが、なだめすかしてなんとか認めさせたのだ。そして、整理するだけでもどのくらいかかるかわからないほど大量の資料が集まった。ディスクのぎっしり詰まったカバンの重さに困惑しながらも、彼はそれを楽しんでいた。
 だが、さすがに半年は長すぎたかな、とクリュセはちょっと反省していた。出張で一ヵ月くらい留守にする、母親にはそう言ってイルクーツクを発ったのだ。
 13の時、親権が実の親から奪われて以来、クリュセは母親に会うことを禁止されていた。上の身分の者が下の者の居住区に行くことは特に制限されていなかったが、エリートともあろう者が用もなくローワー地区に行くなどもっての外だった。それは法律以上に厳格な不文律として存在した。未成年の時には、不本意でもそれに従うしかなかった。
 しかし18才になってキリエの地位も安定した頃、こっそりと生まれた地区に帰ることを覚えた。それ以来、暇を見つけては今も健在の母に会いに行っていた。
 −−−−マムのことだ、怒っているだろうな。それとも、心配しているだろうか?どちらにしても荷物だけ置いたら、顔を見せに行こう。
 クリュセはイルクーツク市民専用ゲートで通関を済ませた。
 その時、彼の前に女がひとり、立ちふさがった。タイトスカートにショートヘア、キャリア組であることを誇示しながらもそれがいやみにならないように気をつかったその服装は、一点のすきもなかった。彼女はかしこまった笑みを浮かべ、クリュセに軽く会釈した。
「おかえりなさい、キリエ・クリュセ」
彼女は芝居がかった口ぶりで言った。
「誰だ?あんた」
「教育庁長官秘書室第三秘書、アリシアです。長官の命でお迎えにあがりました」
彼女は答えた。
「帰ったとみるや、さっそく呼び出しか。今度はどんなくだらない用があるんだ?」
「変わらないわね、クリュセ。毒のある言い回しも、人の顔をすぐに忘れる他人への無関心さも」彼女の笑顔がくずれた。「あんたとはエリート教養課程で3年間一緒だったわ」
クリュセは一瞬きょとんとした。そして、鼻を鳴らした。
「あんたも変わらんな」クリュセはニヤニヤしながら言った。「今も異端者のケツをおっかけ回す仕事を言いつかっているのか」
アリシアはもはや不快な表情を隠そうとはしなかった。
「その通りよ。ついて来てちょうだい。長官があなたに直接お話しなさりたいことがあるそうだから」
 彼女はぷい、ときびすを返した。クリュセは仕方なしについていった。
 エレベーターで、彼らはふたりきりになった。しらけた雰囲気が、重苦しかった。
 沈黙よりはまし、とアリシアは口を開いた。
「今度の旅は長かったわね。いったいどこをうろついていたの」
「ねぎらいの言葉でもかけてくださるのかな?わざわざ空港まで迎えをよこしたりして」
「またどこかに雲隠れされたら困るからよ」
「その判断は正しい。今度の長官はまんざらバカではなさそうだ」
「クリュセ。悪い話ではないそうだから、少しはおとなしくしていれば」
 再び、沈黙。
「教育庁に配属になったのか。気の毒にな」クリュセは言った。「こんな奴とは縁が切れたはずだったのにって顔をしているぞ」
アリシアは内心ビクリとした。
「総合管理職候補ですからね。全部の省庁で研修予定が組まれているだけよ。長居する気はないわ」
 目的フロアまでの時間は、嫌になるほど長かった。

×

 教育庁長官は、愛想よくクリュセを出迎えた。彼の出張中に人事異動があって、新長官に会うのは初めてだった。
 第一印象は、前の長官に初めて会った時と同じだった。イメージをよくしようと努力している、その無理から生じるつかみどころのなさだ。
「かけなさい、キリエ・クリュセ。長旅から帰ったばかりで疲れているところを呼び立てて悪かった」
「とんでもない。他都市の資料調査権を与えていただいて、感謝しています。いや、それはあなたでなく、前長官のご好意でしたね」
クリュセはへらへら笑いながら答えた。
「アリシアは君と同期だったね?それで彼女を迎えにやったのだが。少しはなつかしい話などできただろう」
「ええ。学生時代に戻って、担当教官にどなられている気分になりましたよ」
長官は返答につまり、せきばらいをした。
 彼は席に戻り、態勢をたてなおす時間をかせぐために椅子にゆっくりともたれかかった。そして言った。
「あいにく時間がそれほどないので、本題に入ろう。君もキリエになって、もうすぐ10年だ。いいかげん、昇格の時期ではないか」
「長官直々にしてはチンケな話ですね」
「だが君の場合は違う。なぜかは十分理解していると思うが」
もううんざりだ、とクリュセは舌打ちした。
「この9年間、君はキリエとして十分な水準の仕事をしてきている。そのうえ、数学以外の分野でも、かなりの活動をしているね。だが、ひとつ言っておきたい。君は数学者としてキリエの学位を与えられているのだ。それだけ余力があるのなら、キリオスにはもちろん、パテラまで昇格していてもいい頃のはずだ。−−−−私が何を言いたいか、わかってもらえるな?」
「オレは、ごめんですよ」
クリュセは横を向いてつぶやいた。
「歴史が好きな君なら、現在の教育制度が歴史上最高のものであることがわかっているだろう。すべての子供に平等に与えられる教育の権利!能力に応じて組まれるカリキュラム。だからこそ、ローワーの両親を持つ君でもその才能を正当に評価され、高等教育を受け、学者として尊敬されるようにもなった。それを認識し、君の能力を社会に還元すべく努力するのが君の務めではないかね?」
「はいはい、わかってますよ。だからこそせっせと研究し、論文を書き、人の嫌がるよそのシティでの学会にも進んで出てる。客員教授の仕事もこなしている。まだ足りんのですか?」
「繰り返して言うが、君は数学のキリエだ。その権利の乱用はよくないね。せめてもう少しおとなしくやったらどうだ?」
クリュセはくつくつ笑いだした。
「時間がないんでしょう、最初からはっきり言えばいいじゃないですか。毒にも薬にもならん歴史の本で印税なんか稼いでないで、数学者の本分に戻れ、とね」
「わかったなら、3ヵ月以内に論文を2本、学位認定委員会理学部会に提出しなさい。その上で君のキリオス昇格審査を行う」
「さっき言ったでしょ。オレはごめんです」クリュセはさっさと立ち上がった。「キリオスは義務ばっかり増えて、権利はキリエとたいして変わらんじゃないですか。オレには魅力ありませんね。キリエで十分です」
「キリエ・クリュセ、期限は今日からちょうど3ヵ月後、4月27日だ。わかったな」
「オレがキリエの学位をおとなしくもらっといたのは、何でだと思ってるんですか?」クリュセは言った。「学位なしのぺーぺーでは読ませてもらえない歴史資料がたくさんあるからですよ」




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