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SECOND MISSION〜Final Fantasy VIII・IF〜

〜エスタ(2)・9〜




 寝ぼけているようなセミの声。
 かますびしいまでの鳥の声。
 波の音にも似た葉ずれの音。
「−−−−冷てっ!」
 ラグナは目を開けた。頭上の枝が激しく揺れていた。葉のすきまから、その枝の上で2羽の小鳥がエサを争っているのか、大騒ぎしているのが見える。
「なんだ、夜露でも落っこちてきたのか・・・・・・・・・・・」
彼はまたすうっと眠りに落ちかけた。
 そして、飛び起きた。
 彼が寝転がっていたのは、まだ夜の気配が残る早朝の雑木林の中。
 −−−−−ここは・・・・・・・どこだ??
 オレはついさっきまで、ルナティックパンドラに、戦場のただ中にいたはず。アデルを倒し、リノアに降りてきたアルティミシアをエルオーネの力で過去に送りこみ、時間圧縮魔法が使われて−−−−−−。
 −−−−そうだ、エルオーネは??
「エルオーネ!!」ラグナは叫んだ。「キロス!ウォード!−−−−エルオーネ!!」
林の中がしんと静まり返った。そして誰の返事も返ってこないまま、また夏のざわめきが戻った。
 ラグナは林の中を進んだ。木立はすぐにとぎれ、舗装されていない小道に出た。涼しい風が頬をなでる。腹をすかせて飛び回る鳥たちのはばたきが心地よく耳に響く。今日も暑くなるぞと告げるように晴れ渡った空にはまだ星が残る。気持ちのいい、夏の夜明け。
 小道は崖に突き当たり、そこで左に折れていた。ラグナは崖の端、手すりのところまで足を進めた。少し離れたところから崖の下に降りられるようになっていた。眼下には岸に小さな小屋の建つ池があった。そしてその先には、花畑と草原が地平まで広がっていた。
 −−−−ここは、ウィンヒル?!
 間違えるはずがなかった。何度夢に見たかわからない光景。
 ならば、これも夢なのか?
 しかし夢と言うには、あまりにも鮮明だった。じゃりを踏む音も、握った手すりの感触も、何もかも。
 −−−−もしかして、オレも時空のゆがみにのまれちまったのか?そしてここに・・・・・・・。
 それならば、ここは『いつ』なんだ??
 ラグナは道に沿って、呆然としたまま歩いていった。回りの風景を眺めるうちに、長い時間の中で失われていったはずの記憶までがよみがえってきた。
 農繁期には、こんなヤツでもいないよりマシと、何度も畑仕事にかりだされたな。慣れないうちは筋肉痛がひどくって。初めて一日中畑で働いた次の日は、階段の上り下りすらできなくなっちまってさ。
 ここの曲がり角では。ケガがだいぶよくなってやっと歩けるようになった頃。浮かれてこんなところまで遠出したところを悪ガキにつきとばされてころんで立てなくなって、その子の弟がレインを呼びに行ってくれるまでそのまんまだった。彼女にささえられてやっとベッドに戻ったあと、無理をするなとさんざん怒られたよな。
 あそこの家は、確かチョコボを飼ってたな。仕事用にカメラを買った時、エルにせがまれてチョコボの写真を撮りに行った。そんで生まれたばかりのヒナにレンズを向けていたら、突然背中を親鳥にどつかれたんだ。飼い主の許可は取ったけど、親鳥のお気には召さなかったらしくて−−−−−−。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
 ・・・・・・・・・ろくなことを思い出さんな。
 でも、悪い気はしない。
 もともとよそ者を嫌う土地柄だから、商売に来る業者にはあいそよくしてても、いそうろうのオレには風あたりが強くて、嫌な思い出もないわけじゃない。しかし、少しずつ、ほんとうに少しずつだったが、オレを受け入れてくれる人が増えていった。その記憶のおかげで、冷たくあしらわれていた頃すらなつかしい。
 やがて小道は、少し広めの道につきあたった。
 この角の家の奥さんには、わりと早いうちから仲良くしてもらえたな。よくお茶や手作りのお菓子をごちそうになって。
 そしてここを曲がってちょっと行くと橋があって、そこを渡ると−−−−。
 村の広場に出る。
 広場には誰もいなかった。しかし、広場をかこむ家々の一軒−−−−パブの2階の窓にはあかりがともり、まだ薄暗い広場に柔らかな光を落としていた。
 ずっと、帰りたかった、場所。
 ラグナは橋を渡りかけたところで、唐突に足を止めた。
 そのまま歩いていきたかった。しかし、どうしても足が前に出なかった。
 突然、広場の向こう側から車のエンジン音が聞こえてきた。ラグナはとっさに、橋の欄干に身を隠した。
 車はパブの前で止まった。遠慮がちなクラクションが1回鳴ると、車からふたりの男が降りてきた。
 −−−−キロス?ウォード??
 しばらくして、パブのドアが開いた。
 −−−−あれは・・・・・・・・・!
 出てきたのは、『ラグナ』だった。そのあとから、レインと、彼女に抱かれてまだちょっぴり眠そうなエルオーネも。
 『ラグナ』はレインになにやら話しかけ、彼女にキスをした。エルオーネが『彼』の服のえりをひっぱった。『彼』は少女の頭をなで、その頬にもちょんと唇をつけた。そしてまだ名残惜しそうにレインと二言三言言葉を交わすと、キロスとウォードと共に車に乗り込んだ。
 車は元来た方向に走り出した。エルオーネがめいっぱい手を振る。車が街角の向こうに去り、そしてエンジン音も聞こえなくなると、レインとエルオーネは家の中に戻った。
 広場には、再び人影がなくなった。
 ラグナはその場にずるずるとへたりこんだ。
 そうだ、ここは−−−−−オレが、一番幸せだった頃。
 レインと結婚して1年あまり。村の人たちとようやくうまくやっていけるようになった。まだいやみったらしいことを言う人もいたが、さっさと出て行けと言わんばかりの物言いはされなくなっていた。仕事も順調。ティンバーマニアックスの専属記者として書いていた穴埋め程度の記事が認められて、わずか4ページとはいえ、初めて特集記事をまかせてもらった。これは−−−−その取材旅行に出る日の朝。
 なにもかもがうまくいっていた。毎日が楽しくてしかたなかった。
 このわずか数ヶ月後には、エルオーネがエスタにさらわれ、多くのかけがえのないものを失ってしまうことを知らずに過ごしていた・・・・・・・・・・・・・。
 こんなことになった最初のきっかけは、あの事件の1週間前に行った取材旅行の時の忘れ物だった。
 あの仕事は日程的に余裕がなくて、ひどくあわただしい旅になった。それで、エルオーネにみやげを買ってくるのを忘れてしまった。オレが仕事で何日も家を留守にするのはあの頃にはあたりまえのことになっていたから、いつも何か買ってきてやっていたわけじゃない。ただあの時は、あの子の誕生日が近かったから、なんかプレゼントを買ってくるな、とエルに約束して出かけた。それが手ぶらで帰ったものだから、エルはすっかりふくれてしまって。忙しくて買い物に行く暇がなかったのも本当だ。だけどそれ以前に、オレはエルとの約束そのものをすっかり忘れていた。
 それでオレは、送ってしまえば済むはずだった原稿を、自分でティンバーの編集部に持っていった。原稿料をもらったその足で何か気の利いたものをじっくり探してきてやろうと思って。
 しかしそのプレゼントは、とうとうエルオーネには渡してやれなかった。
 ウィンヒルに帰った時には、すべてが終わってしまっていた。
 エスタ兵に荒らされた店の中で、レインは後悔にさいなまれていた。どうしていっしょにティンバーに行くと言わなかったんだろうと。
 その時のティンバー行きは仕事というわけじゃなかった。ついでに次の仕事の打ち合わせくらいはするつもりだったが、それだってせいぜい半日のこと、エルも連れて2、3日街で遊んでこようかとレインに言った。しかしその頃はちょうど、秋の花の買い付けに多くの商人がウィンヒルを訪れる時期だった。春と並んで年に2度の、彼女の店にとってもかきいれ時。それで彼女は結局、留守番することに決めたのだった。
 あの時レインが、肝心な時にエルのそばを離れてしまっていたオレを責めてくれたのならば、どんなにか楽だったろう。だけど彼女は、ただ自分だけを責めていた。エルもいっしょに行きたがってたのに、何日か店を閉めたところで食べていけなくなるわけじゃなかったのに、と。
 それから1ヶ月。レインが落ち着くのを待って、オレは旅に出た。エルオーネを取り返して帰ってくる、そう彼女に約束して。
 その約束は半分しか果たせないまま、レインとはそれっきりになってしまった。
『あの時に戻ってエルオーネを取り返したいと思う気持ちがどこかに残っていたからか・・・・・・・・・』
イデアは、スコールが13年前に現れたのはそのためかも知れないと言っていた。
 そうだ。オレだってそうだ。
 作戦会議の時、過去へ移動するのは簡単だとオダインが言うのを繰り返し耳にしても、自分が過去に行ってどうこうなんてことはちらりとも思わなかった。
 それでもオレは、ここに来てしまった。
 レインを失ったと知って以来、何度思ったことだろう。
 あの頃に戻れたらと。あの時に戻ってやりなおせたらと。
 どうしてあの時、ティンバーに行ってしまったんだろうと。
 ウィンヒルにとどまっていれば、こんなことにはならなかったはずだ。
 何かが変わって−−−−−−−。
 ラグナはぞくりと身体をふるわせた。
 今なら、変えられるかも、知れない。
 エルオーネは、過去のオレにこれから起こることを伝えて未来を変えようとした。しかし過去のオレにわかったのは、何か自分とは違うものが自分の頭の中に入り込んでいるということだけだった。
 だけど、今は、違う。
 ここにいるのは、オレ自身。レインの意識を通して過去を感じとったあの時とは全然違う。この感覚は、まぎれもなくオレ自身の身体が感じているもの。
 イデアが未来の魔女の後継者になったように。彼女が4才のスコールを抱きながら17才のスコールと話をしたように。
 今なら、過去の人間に何かを伝えることができるはずだ。
 ならば、誰に?レイン−−−−−いや、レインはだめだ。彼女のことだ、唐突にそんな話だけをしたところで、笑い飛ばして忘れてしまうだろう。彼女を信じさせられるような証拠まではとてもじゃないけど揃えられない。
 それなら、『オレ』は?そうだ、『オレ』になら、このことを伝えられかも知れない。あの頃の『オレ』はまだかけだしジャーナリストで情報収集力も人脈もほとんどなかったから、エスタ軍の行動を調べだして村の人に警告し、家族を連れて避難するなんてことはできないだろうけど、とりあえず村にとどまってそんなことがほんとうに起こるか自分の目で確かめようとくらいはするだろう。そうすれば、あの時、なんかとエルを守りぬいて−−−−−−。
 さっき『オレ』は、ウィンヒルを離れてしまった。しばらく帰ってこない。だけど、どこに行ったかは覚えている。なんとかあとを追って−−−−いや、手紙の1通でも残せば。そうだ、その方がいい。直接会ったりしたら、何をどう言ってしまうかわからない。それよりも、文章の方が。『オレ』が興味を少しでも持つように、落ち着いて・・・・・・・・・・・・。
 ラグナはポケットに手をつっこんだ。そこには手帳があった。赤ん坊のおしゃぶりのように、いつも持ち歩いていないと落ち着けないもの。
 彼は白紙のページをちぎり、ペンを持った。そして書きだそうとしたところで、手を止めた。
 確かに、これで『未来』が変えられるかも知れない。
 でも、本当に、すべていい方向に変えられるのか?
 今以上に悪くはならないと断言できるのか?
 あの時、ウィンヒルにいたとして、オレは本当にエルを守ってやれただろうか?
 何年かの軍隊生活の中で、武器の扱いは多少覚えた。時々村の中にまで入り込んでくるモンスターを退治するために、銃を持ってもいた。
 だけど、ケガの後遺症がまだ残っていた。いちおう普通に生活ができるまでには回復し、走ることも、畑仕事も、エルを抱き上げることもできたけど、それでもまるっきり以前と同じというわけにはいかなくて、それがもどかしくて・・・・・・・・・・。そんなんで、エスタ兵を追い払うことができただろうか?
 避難して襲撃をやりすごせればいい。だけど、ウィンヒルに残ってしまったら?抵抗したあげく、オレやレインがエルの両親のようになってしまわないという保証がどこにある?もしそうなったら、失わずにすんだはずのものまですべて−−−−−−−。
 でも、それでも・・・・・・・・・・・。
「おじちゃん」
少女の声に、ラグナはびくりとして頭を上げた。
「ずっとここにいるね。どしたの?おなか、いたいの?」
「エルオーネ・・・・・・・・・・・・・・」
いつのまにか、ちっちゃいエルが彼の前に座り込んでいた。
「うん、あたしね、エルっていうの。おじちゃん、どうしてしってるの?」エルオーネはじっと彼の顔を見つめた。「おじちゃん、ラグナおじちゃんににてるね。でもね、ラグナおじちゃんのほうがずーっとわかくてかっこいいんだよ」
ラグナは思わず苦笑した。そりゃそうだ。かっこよかったかどうかははさておき、あの頃のオレは確かに若かった。
「ラグナおじちゃん?」
「エルのね、あたらしいパパになったひと。でね、レインがあたらしいママなの。エルのほんとうのパパとママはずっとまえにしんじゃったの」
「新しいパパか。パパなのに、おじちゃんって呼んでるの?」
そういえば、どうしてエルにオレとレインをパパ・ママと呼ばせなかったんだったっけ。結婚した時にきちんと養女にして、それが今までとどう違うのか、どのくらい理解できたかはわからないが、エルにも話したはずなのに。
「あのね、えっとね・・・・・・・・・・エルとず〜〜〜っといっしょにいるためにパパとママになったけど、エルのパパとママはちゃんとてんごくにいるからねって。パパとママはおそらからエルをみてるってことをわすれちゃだめだよって。それから・・・・・・・・なんだっけ」
そう、それから・・・・・・・・・・エルが天国のパパとママのことをちゃんと覚えていられるようになったら、おじちゃんたちのこともパパ・ママって呼んでもらおうかな、って言った。そしたらエルは、ちょっと怒ってたな。エルはそんなにこどもじゃないもん、ちゃんとおぼえてるもん、って。でもエルは本当に幼かった。写真でしか知らない実の両親のことをすっかり忘れ、オレとレインを本当の両親と思いこんでしまうのが心配だった。そんなになついてくれるのはうれしいことだけど、そうさせないのがオレたちの務めだと思った。あの子をかばって死んでいった人たちのことをきちんとあの子の心にきざむのが。だけど、オレとレインの間に子供ができたら実の兄弟のように育てたかったから、その子が言葉を話すようになる頃にはエルにも自分たちをパパ・ママと呼ばせようか、とレインと話し合っていた。その頃にはエルも、自分には生みの親と育ての親と、二組の両親がいることを理解できる年になっているだろうからと。
 そうしたのは、エルのためにその方がいいと思ったからだけじゃない。
 自分のためにもそうすべきだと思ったからだ。
「エルは・・・・・・・ラグナおじちゃんと、レインのこと、好きかい?」
「うん!だいすき!!」エルオーネは目を輝かせて言った。「ラグナおじちゃんは、おしごとでしょっちゅうおでかけしちゃうけど、うちにいるときはいつもエルとあそんでくれるの。レインはね、ちょっとおこりんぼさんだけど、まいにちおいしいごはんをつくってくれるんだ」
「そっか・・・・・・・。よかったね」
ラグナはエルオーネの頭をなでた。エルが自分たちのことを慕ってくれてることは知っていた。しかしこうして、『見知らぬ他人』にまでなんの迷いもなくそう言うのを見るのは、やはり、たまらなくうれしい。
 エルオーネがふっとうしろを向いた。パブのドアが開き、レインが広場を見回している。
「あ〜〜〜〜、もうかえんなきゃ。またレインにおこられちゃう」エルオーネはあわてて立ち上がった。「ひとりでおそとにでちゃだめだっていわれてんの。でも、おじちゃんがずーっとここにすわってたから、どしたのかなあって。−−−−−ね、おじちゃん、ほんとにだいじょぶ?」
「大丈夫だよ。ちょっと淋しかっただけだから。エルとお話しできて、もう・・・・・・淋しくなくなったよ」
「そ!よかったっ」エルオーネはにこっとした。「じゃね、ばいばい、おじちゃん。またさびしくなったらエルとおはなししようね」
 エルオーネは彼に手をふりながら、家へと駆け戻っていった。戸口でレインが少女を出迎え、頭にいっぱつごちんとやった。また怒られてるな−−−ラグナはくすりと笑った。そこで叱られるのも当然か。モンスターの数はかなり減っていたとはいえ、まだ子供だけで外に出すのは危険だったから。オレが甘かった分、レインがきびしくあの子をしつけてもいたしな。
 ちっちゃなエル。
 エルがいたからこそ、オレは安心して家をあけられた。レインを淋しがらせずに済むと。オレとレインはよくケンカもしたけど、そんな時にはエルが必ず仲直りのきっかけを作ってくれた。
 オレとレインの間には、いつもエルオーネがいた。
 なあ、エル・・・・・・・・。おまえは、自分がオレの幸せを壊したなんて言って自分を責めていたけれど、それはまるっきり無意味なことなんだ。ウィンヒルでの暮らしは3年ともたずに消えたけど、でも、おまえがいなければかけらも存在しなかったはずなんだから。
 大ケガをしてウィンヒルにかつぎこまれた最初の頃は、レインもオレに冷たかった。だけどおまえが初めになかよくなってくれて、その頃からレインの態度もやわらかくなったんだ。村の人たちとうまくやっていくきっかけを作ってくれたのもおまえ。おまえがいたから、自然とレインと家族同然に暮らすようになって、ケガが治ってもウィンヒルを離れたくないと思うようになって・・・・・・・・・・・・・・。
 そして、レインと結婚するよ、エルともずっといっしょにいるよ、とおまえに言った時、無邪気に喜ぶおまえの顔を見て、オレは思ったんだ。エルの両親が健在だったらきっとこうはならなかった、幼い我が子をおいていかなければならなかったこの子の両親の悲しみの上にオレの幸せがあったことを忘れたらいけない、と。
 エルオーネのことを本当に想うのならば、さらに過去にさかのぼり、あの子の両親を救う道を探すべきだろう。だけどそうしたら、オレにとっては何も始まらない。
 それと同じように−−−−−−−。
 今ここで、これからの運命をオレの望む方向に変えられるかも知れない。しかしそれは、他の誰かのあるはずだった大事なものを奪ってしまうことにならないだろうか?
 ラグナは手元に視線を落とした。ちぎり取った手帳のページには、宛名だけが書かれている。
 でもそれは、可能性にすぎない。
 これ以上に悪い運命を呼び込んでしまうことも。
 その中に、レインを失わずに済むという可能性もあるのなら−−−−−−。
 ふと、めまいに似たものを感じて、ラグナは頭を上げた。
 明るくなった空の色が、どこか奇妙に見えた。
 −−−−−ゆがんだ時空が元に戻ろうとしている。
 オレは、まだ何もしていないのに・・・・・・・・・・・・!
 帰ったりせずここに残れば、何かを変えることはできるだろう。
 でも、本当にそうしたら。
 長年の恐怖に終止符を打つため、ルナティックパンドラで戦ったエスタ兵たちは。
 君を信じる、と言ってオレを送り出してくれたキロスとウォードは。
 怖いのを必死にこらえ、力をふりしぼって自分の役割を果たしたエルオーネは。
 そして、『時間』を守るために強大な敵に立ち向かっていったスコールは、どこに行ってしまうんだ・・・・・・・・?
 幸福も不幸もなにげない日常もすべて、無数の偶然の産物。ほんの少し時間の流れが変わっただけで消えてしまう・・・・・・・・・。
 かすかに、ドアが開く音。
 ラグナはそちらに振り返った。パブの中から、レインが三度外に出てきた。そして、店先に置かれた鉢植えの手入れを始めた。
 レイン・・・・・・オレは・・・・・・・・・・・・・・・・。
 やっぱり、ダメだ。
 オレは、いつか子供たちといっしょに暮らせると、いつかレインにあやまりに行ける時が来ると信じて過ごした時間を、その中で得た多くの人たちとのつながりを、ここに在る唯一無二のオレという存在を、どうしても捨てられない−−−−−−−−−!
「レイン!」ラグナは叫んだ。「オレ、絶対もう一度幸せになるから!スコールやエルオーネといっしょに、必ず幸せになるから!」
 だから−−−−−−−−−−−−−−−!



×



 レインはふっと我に返った。
 手にしたジョウロから、水が無駄に石畳に流れ落ちていた。
「あら、やだ」
彼女はジョウロを持ち直した。
「変ねえ。今、ラグナがそこにいたような気がしたけど・・・・・・・・・・・」
橋のところでかがみこんでいる人はいた。しかしそれは、天気のよい朝には必ず犬の散歩に来る村の老人。彼は飼い犬にひっぱられるように彼女のところに来ると、おはようと挨拶をした。
「ねえ、そのへんでラグナを見ませんでした?」
「いんや、誰も見とらんよ。ダンナは今日から仕事でどこぞに行くと言ってなかったかね」
「ええ、夜明け頃に出かけていったわ。忘れ物でもして戻ってきたにしても、あんなところにいるはずがないし。−−−−やっぱり、気のせいよね」
「あそこに、こんなもんは落ちとったがの」
彼はそう言って、紙のきれっぱしをレインに渡した。それにはただ、『ラグナへ』とだけ書かれていた。彼女はちょっと不思議に思ったがそれ以上気にとめず、あとで捨てておくわ、とそれをスカートのポケットにしまった。
「それにしても、あれも妙な男じゃの。軟弱な都会モンが村の生活になじめるはずがないから、動けるようになったらすぐに出ていくだろうと思っておったが。それが、まともに歩けるようになったら頼みもせんのにモンスター退治をするわ、人手の足りん家の畑仕事を手伝わせてみればへっぴり腰でいまいち役にたたんなりにいやがりもせず泥まみれになって働くわ。外で仕事を見つけたあとも便利のいいとこに引っ越すでもなく、結局いついてしもうたな。なんというか、まあ、村の人間に溶け込もうと一生懸命で。そんだけあんたに惚れたんかのお」
「やあねえ、そんなのじゃないわよ」レインは照れながら答えた。「あの人はただ、ひとりでもたくさんの人と仲良くなりたい−−−−そう思っているだけよ」
 だから、私も・・・・・・・・・・・・。
 私だって最初は迷惑だったわ。なんで私がこんなけが人のめんどうなんか見なきゃならないのよって。でも、いくら赤の他人でも目の前で死なれたら気分悪いし、軍からお金はもらえたからその分だけは働かなきゃ、って義務感だけでラグナの世話をしていた。
 エルオーネだってそう。体中に包帯を巻いてまるでミイラみたいだったラグナを怖がっていたし、お化けにパパのベッドを取られたって怒ってもいたわ。動けないのをいいことに、ラグナに相当ひどいいじわるもしてたわね。
 だけどラグナはそれに怒るでもなく、どうしたらエルオーネとなかよくなれるかなあ、なんて私に聞いてきた。私はエルオーネに近づいて欲しくなかったから、ちゃんと答えるどころか迷惑顔でつっぱねちゃったけど。
 それなのに、どうやったのかあの人は、エルオーネの心をつかんでしまった。ついこのあいだまでラグナをいじめていたあの子が、おざなりな看病しかしていなかった私を非難し始めた時にはびっくりしたわよ、ほんとうに。
 ラグナおじちゃんが元気になったらいっしょにあれもしたい、これもしたいとうれしそうに話すエルオーネの相手をしているうちに私も、早くよくなって欲しいと思うようになった。軍にあの人をおしつけられた時からいちおうそう思ってはいたけど、それは、さっさとやっかい払いしたい気持ちからだった。それが、よくなっていく姿を見るのがだんだんと楽しみに変わっていった。
 そして、なんとか歩けるようになった頃から、今度は悲しくなってきた。治ったら、きっと故郷に帰ってしまうんだろうなと思って。あの人がティンバーマニアックスに記者として採用されたと喜びいさんで私に言った時、口ではおめでとうと言いながら、胸の内では泣きたくなっていた。とうとうその時が来てしまったんだと。
 だけど、そうじゃなかった。
 ラグナは、どこに行ってもここに帰ってくると、オレが帰る場所はここだからと、私に言ってくれた。その時の自分の気持ちを、私は今でもはっきりと覚えている−−−−−。
 老人はしばらくレインと雑談したあと、犬の散歩を続けた。すっかり明るくなった村のあちこちに少しずつ人が出てきた。ウィンヒルの1日が、その日も始まった。
 レインは鉢植えの前にかがみ込み、花の手入れを始めた。咲き終わった花を摘みとりながら、彼女はちょっぴり顔をしかめた。
 −−−−それにしても、あたまにきちゃうわね。
 ラグナは出かける前いつも、しばらくおまえやエルの顔が見られなくて淋しいよ、なんて言っておきながら、そのくせわくわく顔で仕事のことしか考えてないんだもの。
 でも、いいわ。帰ってきた時のほっとした顔、それを見せてくれるのなら。
 今度の旅は、今までに比べて長い。でもその分、あとで少し長めの休暇が取れそうだから3人でどっか旅行にでも行こうか、と言ってたわね。ほんと、動き回ってるのが好きなんだから。たまには家でゆっくりしていようなんて思うことはないのかしら。
 そうね−−−−−それなら、海に連れてってって言おうかな。帰ってきて原稿を書きあげる頃にはもう夏も終わりだし。エルにも一度海を見せてあげたいしね。身体中に残る傷跡がエルを怖がらせるんじゃないかと気にしてあの子とお風呂に入るのはもちろん、着替えるところを見られないようにもしてるくらいだから、いっしょに泳ぐことはないでしょうけど、連れていってはくれるわよね。海にはあんまりいい思い出がないようだからもしかしたらしぶるかも知れないけど、自分だけいろんなところに行ってて悪いなとも思ってるようだし、こっちが行きたいと言い張ればいやとは言わないでしょ。私はこうして家にいる方のが好きだから、そんなふうに思うことはないのにね。
 ねえ、ラグナ。こうやって待ってるってのもいいものよ。
 離ればなれになっている間、心配でしかたなくなることもあるからこそ、いっしょに過ごす平穏な時間が心から幸せに思える。 
 毎日顔を合わせられないからこそ、あなたが好きだと気づいた時の気持ちを今も新鮮なまま持ち続けていられる。
 それよりもなによりも、帰ってきた時のラグナの顔を見ると、ここがこの人の帰る場所なんだ、そう感じられるのがうれしくて−−−−−−。
 こんな気持ち、じっとしていることのできないあの人には、きっと一生わからないでしょうけどね。



×××



 エスタ大統領官邸、執務室の中をラグナはいらいらと歩き回っていた。
 部屋の中をぐるっと一周し、窓のところで立ち止まり外を眺め、すぐにドアの方に歩き出し、部屋から出ていくのかと思いきやそこで回れ右してデスクの上のインターフォンが沈黙したままなのを確かめ、椅子に座り、机の上を指先で叩いていたかと思うとまた立ち上がり、部屋をぐるっと一周し−−−−−−−−。
「ラグナくん、少しは落ち−−−−−」
「これが落ち着いていられるかーーーーーーーー!!!」
ラグナはキロスに裏返った声で怒鳴り返した。キロスはそれ以上何も言えず、ラグナの姿を黙って目で追った。ウォードは、青い顔をして座り込んでいるエルオーネの肩を抱いていた。
 アルティミシアは倒され、時空のゆがみは消えた。
 戦いを終えたSeeDたちは、約束の場所へと戻ってきた。遠い未来で不幸にも生涯を終えた者たちも、仲間の腕にいだかれて、自分たちが在るべき時間に帰ってきた。
 しかしその中に、スコールの姿だけがなかった。
 指定場所で待機していたエスタ兵にその知らせだけを託し、SeeDたちは必死になってスコールを探していた。任務完了報告はリーダーの役目、そのリーダーの安否がわからないままではクライアントのところに出向くことはできない、と。
 −−−−まさかスコールは、13年前に取り残された?
 時空が元に戻るのはゆがみ始めた時に比べてゆるやかだったとは言え、それほど長い時間がかかったわけじゃない。その短い間に帰るべき方向を見つけだすことができず、永遠に道を閉ざされて−−−−−−。
 ラグナはそんな考えをなんとか振り払おうとした。
 そんなはずはない。スコールにも、帰る場所がここにあるってわかってるはずだ。自分がいるべきところはリノアや仲間のSeeDたちの中だと知っているはずだ。それを自分も望み、その想いはあの困難な仕事を仲間たちとやりとげたことで強くなっているはずだ。帰ってこないはずはない。あいつが13年前にちょいと寄り道してくるのはとっくにわかっていたこと。寄り道をすれば、着くのがちょっとばかし遅くなるのは当然で−−−−−−−。
「大統領」
「なんだーーーーーーー!!」
ラグナは声がした方に振り返った。ドアのところで秘書官が、彼の剣幕にびっくりして固まっていた。
「すみません、あの・・・・・・・・・SeeDの代表が、任務完了の報告に参りましたが」
 ラグナは一瞬、心臓が止まりそうになった。彼は一度深呼吸をすると、通してくれ、と言った。
 スコールも無事に帰ってきて、自ら報告にやってきたのか?
 それとも、リーダーの姿がどうにも見つけられず、これ以上報告を遅らせるわけにはいかないと判断して、他の代表者が来ただけか?
 一言問えば済むことだった。しかしラグナは怖くてどうしてもその問いが口にできなかった。彼は両手を握りしめ、SeeDの到着を待った。
 ドアが再び開き、SeeDたちが大統領執務室に入ってきた。
 その先頭にいたのは−−−−−スコールだった。
 激戦を物語るように、彼の服はあちこち破れ、血のしみもいくつかついていた。しかし立てないほどのけがは負っておらず、元気な姿でラグナの前に現れた。
「スコール・・・・・・・・・・・・・・・・」
スコールは直立不動の姿勢を取ると、敬礼した。同行のSeeDたちも彼に倣う。
 そして彼が報告しようと口を開きかけたところで、ラグナは思わずスコールに抱きついた。
「スコール・・・・・・・ホントに、よく、やった。ほんと、よく、帰ってきてくれた−−−−−−−!」
 ラグナは息子の身体をしっかりと抱きしめ、こらえきれずに泣き出した。
 これまで何もしてやらなかったオレのことを恨んでくれてもいい。嫌ってくれてもいい。軽蔑してくれてもいい。父親と認めてくれなくったってかまわない。こうして生きていてくれるだけでいい。それだけでいい・・・・・・・・・・・・!!
 スコールは眉間にしわを寄せ、自分にしがみつくラグナの背中を不愉快そうに見下ろした。
 しかしそうしただけで、彼の手を振り払おうとはしなかった。




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