▼ 第十六話『夢なら良かったと思うことは大抵現実』
数日間の晴れ間が嘘のように生憎の雨模様だった。
正に梅雨といわんばかりのしとしととした静かな雨脚だ。午前中は曇りだったし天気予報でも雨とはいってなかった、傘も持ってきていない。
今日の帰りは濡れて帰るしかないかな。ぼんやりと外を眺めていた。全く授業に集中できない。
祐真くんは意外とあっさり体へ戻る決意をした。
暫らく会いに来ないで欲しい。という、祐真くんの希望通り、私は直ぐに様子を見には行かなかった。鈴奈は連絡を貰って病院には行ったようだけど、ごたついていて面会は出来なかったと落ち込みつつも、実際に目の覚めた祐真くんと対峙してなんと話し掛ければ良いか、まだ決めかねているから少しほっとしたとも溢していた。
それが正直な気持ちだろう。
そして、暫らくミカミは仕事で出なくてはいけないということで、ここ数日、珍しく私は本当に一人だ。ミカミには一人で行くことの無いようにと止められていたが、そろそろ落ち着いた頃かと私は一人病院へ向かった。
そっと、病室の扉をスライドさせると、この間まで、たくさんの機械に見守られていた祐真くんには、点滴が二つぶら下がっているだけだ。
ぼんやりと雨の降る景色を眺めていた。
まだ入室した私に気がついていないようだから軽く扉をノックすると、ゆっくりとした動きで音のした方へと顔を向け、やっと私の姿を見つけた。僅かに、ぎくりとした様な顔をした気がしたけれど、次の瞬間には
「ああ、暁先輩。いらっしゃい」
にこやかに迎えてくれた。
初めて聞く祐真くんの肉声は、とても繊細で細く優しく印象的なものだった。
その穏やかさに、私は少し不安だった気持ちを撫で下ろして「元気そうで良かった」と歩み寄る。
入院中の人に元気そうで、というのはおかしな話しだけど、掛ける言葉が他に思い当たらなかったから仕方ない。
「そうですね。思ったより元気です。暫らく動いていないので倦怠感はありますが、うん、思ったより平気です」
勧めてくれた椅子は直ぐに帰るからと断ってベッドの傍に立った。
「身体を離れていた時の記憶ってあるの?」
本当に聞きたいことに踏み切れず、丁度おばさんもいなかったし二人きりだったのでそう訪ねてみた。祐真くんはうーんと唸ったあと
「そう、ですね。曖昧なんですが所々覚えています。それほど鮮明ではなくて」
ああ! でも先輩に告白したのは覚えてます。と微笑む。
そこは忘れてくれて良いのに。
告白なんて慣れない単語に、ふわりと頬が熱を孕むのが分かる。そんな顔を見られるのは嫌で、顔を伏せたけれど、直ぐに
「そういえば、返事まだ聞いていません。聞いても良いですか?」
突然質問していたはずの私が答えなくてはいけなくなってしまった。
こういう場合どうすれば良いんだろう?
まだ私は祐真くんをよく知らないし、知ろうと踏み出したら今の事実を聞かされて、あっさり折れたし。
何より好きだなんて思ってくれる人が居ること自体、信じられなくて慣れない。そう思っただけで、なんだか気恥ずかしく、益々かあっと体中が熱くなって頭の天辺から湯気でも昇りそうだ。
そして遅疑逡巡してしまった私に祐真くんは鼻で笑った。
自嘲気味、とも嘲笑的とも取れるその笑いに私は不安を覚える。慌てて祐真くんの顔を見れば、一瞬瞳が絡んだだけで、直ぐに拒絶するように逸らされた。
「無理ですよね。だって、ボクはもう誰かの助けなくしては生きていけないだろうし、唯のお荷物だ」
「そんなこと」
「そんなことあるに決まってる。今はまだ辛うじて見えているけど視野が凄く狭くて窮屈で、さっきだって先輩が入り口に立っているのも見えなかった。これがどんどん酷くなってその内ボクは暗闇に落ちる。そんな人間と付き合おうなんて人いるはず無い! ボクはいつか落ちる暗闇に怯え孤独と隣り合わせで居るしかないんだ!」
私は祐真くんの苦悶に満ちた声と、孤独という単語に息を詰めた。
孤独は人を殺せるんだ。と、語った右京さんと同じように祐真くんも心の闇に支配されつつあるのだろうか。
「ちが、違うよ、祐真くん。落ち着いて」
「落ち着いてるよ! ボクは落ち着いてる! でも、もう変わらないんだ! 身体に戻って分かったことはこれから迎える不幸な現実だけでしたよ! 貴方はそうやって建前だけで善人ぶってボクを傷つけた!」
「―― ……っ、祐真くん……」
「―― ……もしかして、先輩に好意を持ったもんだから不運が感染したんだったりして? はは、ボクは、もう」
ぎりりっと奥歯を噛み締めた音が聞こえそうだ。
シーツを握り締めた拳は節が白く、手のひらにはくっきりと爪の痕が残るのではないかというほどになっていた。そしてその手のひらに残るだろう爪痕はしっかりと私の心に食い込んで抉っていく。
「こんなもの!」
サイドテーブルに置いてあったスケッチブックを取り上げ力任せに投げつけた。それは、身じろぎ一つ出来ずに立ち尽くしていた私の手の甲を傷つけて、ばさりと虚しく床に落ちる。
痛みに一瞬私が息を殺すと、祐真くんははっとしたような顔をしたが直ぐに伏せた。
その後は、祐真くんの声と物音を聞きつけた看護師さんや、おばさんが駆けつけてきて私は追い出されるように病院を後にした。
看護師さんは落ちていたスケッチブックを私のものだと思ったのか、私にしっかりと握らせてくれたので、流れ的に持ち帰ってしまった。
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