▼ 第十五話『心の傷はなぜ見えない2』
「だから、そうじゃなくて」
ごにょごにょと、口にした後でそれ以上続けられなくなった私の替わりにミカミが続けてくれる。
「源さんの話ですが、本当のところはどうなんですか?」
祐真くんはその問いに一瞬姿を消したが思いなおしたのか直ぐに戻ってきて首を振った。
「分からない。よく、覚えていないんです。落ちた時誰かと一緒だったかどうかというのもわかりません。それに、僕は別に源さんを傷つけるつもりはないです。でももしも責任の所在がそうなら」
呟いた祐真くんの姿が一瞬暗く闇に沈んだ。重苦しく、濃厚な闇を纏う……外気温まで数度下がるような気がする。以前病室で同じようなことがあったのを思い出し、一歩下がりそうになって私は持ちこたえた。そして、身体の脇に下ろした拳に、きゅっと力を込めて「駄目だよ!」叫んでいた。
「祐真くん、あれは事故だよ。誰も悪くない。祐真くんも悪くないし、鈴奈だって悪くない」
「じゃあ、どうしてボクは光を失わなくてはいけないんですか? 誰も悪くないのに」
「そ、それは、だから事故で。予期せぬ不幸というか、いや、でも万が一にでも幸に転ずるかも知れないし、新たな道だって見えるかもしれないし、それなのにその可能性を全部無視して誰かを恨んだり憎んだりするのに時間を費やすなんて」
「全くの無駄ですね」
何とか必死に言葉を繋いでいた私の話を、ミカミが簡潔すぎるほど完結に纏めた。あんたがいうと身も蓋もない。
眉を寄せてミカミは黙っていろといいそうになったが、祐真くんの笑い声に遮られた。虚をつくその声に私とミカミは祐真くんを見た。
「らしいですね。ボクはずっと貴方のようになりたかった、貴方のように強く……ポジティブに生きたかった。でも実際に聞いてると滑稽ですよね」
要するに馬鹿だといいたいわけだね、祐真くん。がっくりと肩を落とした私に祐真くんは続ける。
「悪くはないけど」
にっこりと微笑んだ祐真くんは、つぃっと私に顔を近づけて来た。私は一歩後ろに引いたけど、触れる距離にあっても触れるはずはない。
「ボク気持ち知りたいですか? 僕と同じハンデを負いますか?」
「え?」
すっと、祐真くんが私の目を手で覆ってしまう。
いつもなら祐真くんの姿は透けているし、だから、後ろの景色が見えるのに……私の目には何も映らなかった。
一筋の光も射しては来ない深い闇。
周りの自然音だけがやけにうるさくく響いて頭をがんがんと打っていく。
「―― ……っ!」
息をするのも苦しい気がして息を詰めると、そっと私の手を取る感触があった。
「ひなたさん、大丈夫ですから……ゆっくりと呼吸してください」
ふわりと暖かな気配に包まれて耳に届く声に従う。
二度目の深呼吸の時にはやんわりと視界が戻ってきた。
私の手を取っていたのは、もちろんミカミだ。本当は抱き締められているような気がしたけど、それはしただけで立ち位置はそんなに変わっていなかった。
「ゆ、祐真くん?!」
慌てて祐真くんの姿を探すと変わらず祐真くんは前に居て、両手を頭の後ろで組んで「あーあ」と残念そうに声を漏らした。
「暁先輩もボクと同じ体験をすれば良いと思ったのに、やっぱりミカミ先輩がそうはさせてくれないですよね」
「当たり前です」
「……なんか、ごめん」
他にいいようもなくて謝罪してしまった私にミカミは呆れ、有真くんは笑った。そして、ひとしきり笑ったあと祐真くんは「良いんです」と首を振った。
「どうせ同じ状況に暁先輩がなったとしても、きっと先輩はボクみたいに落ちたりはしない。暁先輩は折れない人、ですよね」
そして深く嘆息したあと遠くを見詰めて呟いた。
「まるで神様でも味方につけてるみたいだ」
あながち外れていないだけに私は何とも答えることは出来ない。
「ボクまだ分かりません。目を閉じると今は直ぐに闇に包まれます。音も無い光も無い、全身に纏わりついてくるものは闇ばかり。思考することすら遮られる。それはとても恐ろしくて孤独で……でもそんな中で唯一、暁先輩の傍に居る時は考えることが出来るんです」
それはきっと私のお陰じゃなくてミカミのお陰だと思う。ミカミはきっと闇を寄せ付けないだろうから。 それでも、祐真くんが私しか見ないから、ミカミの本質に気がつけない。人は見ようと思ったものしか見ない。多分、祐真くんのような状態になるとそういうのが強くなるんじゃないだろうか。
……見たいものしか、見えない……
本当の意味でそれは暗闇かもしれない。
「そして、考えれば考えるほど身体に戻らなければ、これが永遠に続くのかと怖くなります。分かってるんです。でも、でもね……やっぱり戻るのも怖いんです。だから、彼女のせいじゃないかもしれない、でも謝罪してくる彼女を暁先輩が彼女にいっていたように許せるのか、やっぱり分かりません」
愛らしさすら感じる容姿に悲しみの色を湛えて祐真くんは首を振った。
私は鈴奈に許すといった。
もし自分が彼だったら十分に苦しんだ鈴奈を責めないと、私は人が良いからだと鈴奈は泣きながら笑ったが責め苦に喘ぐよりも、自分が自分を許すために何が出来るかを考える方がずっと賢いと思う。
ま、偉そうなこといえないけど……私なんてこれまで鬼のようにみんなに許してもらってきたんだもん。それにはまだまだ追いつかないと思う。思うから、私も誰かにそれを少しでも返すべきだと思う。
「先輩」
そんな風に考えていた心でも読まれていたのか、祐真くんに複雑そうな表情を向けられた。なんとなく、その視線に居心地が悪くて逡巡しつつ「何?」と問い返す。
祐真くんはそんな私をマジマジと見つめて、ぽつと口を開く。
「それでもやっぱり戻ったら何か分かること、ありますかね?」
「え?」
「失くすだけじゃなく、暗いだけじゃなくて、他の何かが……」
その言葉に、祐真くんは肉体に戻る気持ちを固めてくれたのではないかと、ただ、そのことが嬉しくて、私は安易に返事をしすぎたのかもしれない。
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